埼玉県│秩父鉱山(ニッチツ/日窒)関連遺構
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 解体済み関連施設
今までもこの「行ってみたレポート」で数回、ニッチツこと秩父鉱山の関連施設を紹介してきた。中には余りに有名で現在セキュリティが厳重化された遺構も在る程。過去のエントリーは以下よりどうぞ。
さて、今回は別件で秩父鉱山を通過した時に気に成った物件に寄ってみた。と、言ってもグーグルさんの航空地図写真で以前から調査したいなぁとは思っていた場所。
が。
行ってみたら見事に全部解体済み、辛うじて少し離れた場所に一棟だけ重機の設置跡が残る廃屋が在るだけだった。帰宅後の机上調査で2009年頃には既に解体されていた事が判明したのだけどその詳細は解らなかった、特に再調査する様な物件でも無さそうだったので写真のみのレポートだけれど尺稼ぎのエントリーとして。てへ。
航空写真ではシッカリと写ってるのよねぇ、んだから期待してたんです。ところがどっこい撮影予定だった建造物の殆どがログアウトしてるんだもの、いつも割橋で同行する相棒も顔がイカみたいになってる。
おい、おまえドントマインド
それじゃデポ地から一番近いのにグルッと大回りした最後の廃屋さんにお邪魔しましょう。
おおう、カットした鼻毛が急に伸びちまう雰囲気じゃねーですか。相棒がイカ顔から急にビタミン漲る力士の表情に早変わり、
「GOD'S and DEATH …」
何言ってんだお前、シッカリしろよ。糸井重里も言っていたろ、「辛うじて生きてろ」と。
中はがらーんとしてて残留物少なめ、場所的に鉱山のメイン地区から随分と離れているから加工や巻上とか重要な拠点では無いと思うのだけれど…解らんです。
既に解体された遺構さんと関連が在るならば結構な規模かもしれないけど机上調査でも判明せず、興味も沸かず追加調査なしでフィニッシュです。
少ない残留物も住宅区画から持ち込まれたゴミの様でここに在った物は見当たらない、基礎部分と残されたコードなどから発電施設が在ったのかなぁとも。撮影意欲が沸いたのは辛うじてこの朽ちたヴィンテージのアーロンチェア、デスクワークには必須です。
「昭和33年3月3日に生まれた人は、平成3年3月3日に33歳に成るんですよ」
「突然何言い出すんだよ、脳味噌に柔軟材使い過ぎじゃねぇのか」
「ピーマンはナス科なんですよっ!」
「何キレてんだよ、あ…でもそうなんだ、勉強に成った」
「あのナイフ、デザインから見てペンズの中期型…」
相棒が1人で何かブツブツ言ってるけど放っておこう、先に車に戻って次の物件までのルートを確認する。15分程して降りて来た相棒が興奮気に、
「牢獄の庭を歩く自由より、嵐の海だがどこまでも泳げる自由を、私なら選ぶ。」
ぶ、ブライトさん…じゃなかった。艦長違いだった、そして意味が解らなかった。気まずい空気に耐えられず「へへへ」と愛想笑いをした僕だったが車中ではお互い無言だった。
そうか、「沈黙」がオチって訳だな相棒よ。
今回は以上です。
アプローチ
県道210号線、ニッチツを要する秩父鉱山から更に北上。ニッチツ社宅跡から400メートル程進むと1棟だけ廃屋が確認出来る、上部の関連施設は全て解体済み。
地図リンク
http://yahoo.jp/rOKRkW
photograph - nee