山梨県│下九一色小学校下芦川分校(下九一色尋常小学校分教場)
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 下九一色小学校下芦川分校(下芦川学校/下九一色尋常小学校分教場)
※ 2013年04月、兼ねてから危険視されていた校舎が解体されていました。眼前の畑作業の邪魔に成る事と崩壊寸前だった事で周囲地域住民の安全性を考慮したものでした、前年と成る2012年には市川三郷町一般会計補正予算に「下芦川分校解体工事費」が計上されています。議案としては2011年には既に、現在は農地と成っております。
平成24年度市川三郷町一般会計補正予算(PDF)
http://www.town.ichikawamisato.yamanashi.jp/40administration/10section/files/h24.9gatuhosei.pdf
(2015.07 リニューアルエントリー時に上記追加情報掲載)
廃校系の廃墟で僕が一番好きな物件へやっとこ来る事が出来た、日本全国にはそれこそ沢山の廃校が在る。廃的に美しい物や雰囲気やロケーションもそれぞれがとても素晴らしい、だけども何故だろう…どうしてもこの廃校には来たかった。
個人的に言えば「廃校」って言葉がとても似合う、この下九一色小学校下芦川分校をご紹介するとしよう。
一時期日本全国を沸かせた一大事件で名を馳せた、ちょっと不名誉だけどいまだに記憶にへばり付く村の名前。
上九一色村。
その上九一色村と相為すのが今回の廃校が座する下九一色村だ、と言っても現在は平成大合併の為に新しい市川三郷町と言う名前が正式な名称だ。
この市川三郷町はとても複雑な合併の経歴を持っていた、市川三郷町の行政資料から歴史を抜粋してちょっとだけ解説しよう。
1872年 九一色村発足
1889年 生活区域拡張の為に区域分割、上九一色村と下九一色村が発足
地域拡張によって区域分割が行われ下九一色村は誕生した、下九一色村は更に八区域に分割されていてそれぞれ畑熊、中山、三帳、垈、高萩、下芦川、八坂、折門の地区で一つの村として機能していた。
この中の下芦川地区にこの下九一色小学校下芦川分校は設立され、山間部の子供達の学び舎として大きな貢献を果した事だろう。
1954年 上野村、大塚村、下九一色村が合併し三珠町発足
2005年 三珠町、市川大門町、六郷町が合併し市川三郷町発足
こうやって現在の市川三郷町が出来たのだと資料に綴られている。
そろそろこの廃校の歴史に入ろうか。現在の市川三郷町が九一色村だった頃、それはまだ下九一色村が単一の村として区域分割されていない時期と成る1876年に下九一色小学校下芦川分校は創立した。
世の中はグラハム・ベルが電話機を発明したり日本では廃刀令なんてのも在った頃だ。
うはぁ、本当に古い学校なんだ。歴史を知る前からホントに「廃校」って言葉が似合う校舎だったけどその雰囲気はそれだけの歴史を背負ってのモノなんだろう。
些か町内で探してしまった、10分程探しても解らず畑仕事をしている老夫婦さんに声を掛けると親切に教えてくれた。神社の脇道から細い坂道を登るとその廃校は在った、やっとこお逢い出来ましたよ。
こりゃまた凄いね、色々と。
現在の校舎創立当初の物では無くて意外と新しい1954年、いや確かに古いけど50年代の建造物は都内にでさえ沢山残ってるからそこまで古くは感じられないのです。それにしても凄いね、色々と…ねぇ?
学校脇には近年に成って建てられた記念碑が。
記念碑と関係ないのだけど実は最近に成ってこの校舎をどうにか保存出来ないかと考える人達が現れたそうで。跡地の校庭では地元の方達が開墾して小さな畑を管理しているのだけど校舎はご覧通り、この間々では朽ちて何れ倒壊してしまうだろう。
裏口からお邪魔した、抜けそうな木版の廊下を歩く。うーむ、これは保存云々の問題ではないかなぁ…着手するには手遅れな感じ。
1974年、長い歴史を誇った下九一色小学校下芦川分校は廃校と成る。その時からこの校舎全体の時間は止まってしまい、現在はこの様な状態だ。
下芦川学校として創立され、下九一色村が発足した1889年に下九一色尋常小学校分教場と改称。1954年に校舎を改築して現在残されている校舎と成った。
期間にして実に98年間、凡そ1世紀の間沢山の卒業生を輩出した下九一色小学校下芦川分校は本校となる下九一色小学校へ統合(廃校扱い、在校生の一部が本校へ)。しかしその本校も1979年に市川三郷町立上野小学校へ統合、下九一色小学校としての103年の歴史に幕を落とした。
因みに写真は教員室だ。
ここが見たかった。
下九一色小学校下芦川分校は養蚕を授業の一環として取り入れていた珍しい学校だ、と言うのも地域自体が近代化するまで養蚕業を行っていたのと養蚕信仰のシンボルであった蚕影山(石碑)が集落に残っている。
この辺に関しては全くと専門外なので以下のサイトを参照してほしい。
道祖神 、蚕影山と石尊山
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3160/doso.html
その養蚕の形跡が教室内でもアチラコチラと残る。
再び廊下へ出た、この日はまだ訪問物件が残っていたので次の場所へ移動しなければならない。そろそろ時間だ、出来ればまだまだユックリとこの素晴らしい廃校を堪能したいのだけど。
再び教員室。
なんだろうねぇ、こう言う美しさってのは人工的には創造出来ないんだよな。廃的な美しさってどうしても時間が必要で、それも人が介さない長い時間でないといけないのだから容易に目に出来ないのは当然の事なんだろうなぁ。
さて、とってもエロかったこの下九一色小学校下芦川分校を後にします。もう一度、夏の時期に撮影に来たいと思います、それまでどうにか倒れずに頑張って頂戴。
いやどうせならずっと頑張ってもらいたものだけど。
下九一色小学校下芦川分校
1876年 下芦川学校創立
1889年 下九一色尋常小学校分教場と改称
1954年 校舎改築、下九一色小学校下芦川分校と改称
1974年 廃校(本校下九一色小学校へ統合)
1979年 市川三郷町立上野小学校へ統合
単一の校歴として98年、同名称(本校統合)としては103年の長い歴史だった。
アプローチ
中央自動車道の甲府南IC国道358号線を精進湖方面へ、県道36号線の分岐を市川三郷町方面へ曲がる。県道36号線を暫く走ると下芦川の集落に入るので集落中程の神社入口を探して下さい、神社の脇道を登ると廃校が見えます。
地図リンク
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