千葉県 │ 天津滑山 大山祇神社
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 神道教派 御嶽滑山大山祇教会
※ デザインリニューアルに伴い多少の記事修正を行っております、更新当時(2012年)とは若干相違しますが出来る限り違和感の無い様に再構築しました。追加情報などのエントリーは最後尾のシリーズリンクよりご覧下さい。
今回ご紹介するのは本当にマイナーなスポット、半年間の机上調査でもその素性が明らかに成らず、鴨川市の教育委員会と郷土資料館の協力を経てやっとこさで判明と言う古い歴史を持つ神社です。
人里離れた山奥の、更に生活道路からも逸れた高台にその神社は在ります。自然に侵食されてもう直ぐ存在その物の歴史も閉じようとしている倒壊寸前の廃神社にお邪魔しました、それではレポートを始めましょうか。
この神社を知るキッカケと成ったのが下記のブログで掲載された1枚の写真、僕が房総の山や沢の情報を探してウェブ上をウロウロしている時でした。
房総の日々 - 太平洋を望む滑山へ
http://takaki-i.blog.so-net.ne.jp/2011-02-16
2011年の2月16日にエントリーされた「太平洋を望む滑山へ」と言う記事の中に興味を引く写真が掲載されていたのがそれ、自力では詳細が解らずブログを書いている方へ直接メールして質問した事で少しづつこの廃神社に近づく。
約半年後の同年7月、僕はとうとうこの魅力溢れる廃神社の入口へ。薄曇の早朝、雰囲気たっぷりの「大山祇神社」へ足を進めた。
その日、予報では晴れの筈だったのだけれど出発時には晴れていた空が山間部へ向う頃から怪しくなって来た。待ち焦がれた廃神社と対面する時間の頃には小雨が降って来たけど気にせず神社へ歩き出す。
写真は入口付近、左側に狭いけど車が走れる生活道路。しかしこの先は暫くすると行き止まりだ、そもそも民家など付近には無いので周囲の畑などの為に敷かれた道路なのだろう。
ジメっとした空気の中、草木に暴力的に侵食された廃神社が現れた。コレだ、この場所へ来たかった。廃墟が好きってのはまあ在るのだけどそれ以前に地域民俗学が好きな者としては廃神社のバックストーリーは非常に興味深い。
因みに先に紹介したブログ内で掲載されていた写真は下記リンクから。
http://takaki-i.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_c0e/takaki-i/DSC03039.jpg
時期が異なるから印象は随分と違うけど、うん…間違いない。
これは…これは凄いぞ。一見そこまで古くない旧家の様に思えるけど建築様式が昭和の物じゃない。結構古そうだ、兎に角釘が少ない、そして間取りが近代建築のセオリーとも異なるのも気に成った。どちらかと言うと江戸後期に近い様式だ、コレは後程資料を入手して再考しよう。
しかし一番気に成るのはネットで見た写真と比べて崩壊が進んでいる事、これには随分と驚かされた。正直311の地震で倒壊しなかったのが奇跡なのだけど…。
神棚に声を掛けて中にお邪魔した、不思議な事に正面の神棚の他に右側にも小さな神棚が在る。この件に関しては後の資料や情報などから推測解明、押入れには布団などが残されていた。
狛犬の上に成体に成って間もないカエルが、数枚撮影してこの廃神社を後にしました。それではこの廃神社の詳細を書いていきましょうか、ちょっと長いですが興味が在る方は是非。
天津滑山 大山祇神社
この神社、実は何時頃建造されたか判明しておりません。現存する資料で一番古い既述が1894年、と在るだけ。略歴を下記に。
建設年不明 神道教派 御嶽滑山大山祇教会として開社
1894年 大山祇大神と御嶽大神を合祀し、御嶽滑山巴教会所と改称
1940年 御嶽教 滑山大山祇教会と改称
1957年 教主逝去
1958年 廃社
※ 1940年代から大山祇神社と呼称される様に成る
なんと少なくとも100年以上以前よりこの神社が存在した事に成る、旧木造建築の強固な造りが今も尚倒壊から逃れている事は驚きの事実だ。
さて、恐らくは山岳信仰から派生した神道教派をその起源としたであろう大山祇神社、屋内に2つの神棚があった事は既述の「合祀」からそれぞれを祀った物で間違い無いだろう。融合せずに末期まで2つの信仰対象を守り続けた県内でも珍しい複数信仰の神社、それがこの「大山祇神社」と言うわけだ。
今回この廃神社を調査するにあたってご協力頂いた、
・鴨川市教育委員会生涯学習課文化振興室
・鴨川市郷土資料館
各担当さまには大変お世話に成りました、有難う御座いました。また関連資料の写しまで送付して頂き、より深い歴史を知る事が出来たのも幸いです。
実はまだまだこの廃神社に関連する資料が手元に在り、記載出来る事は沢山在ります。しかしそれらを網羅すると風呂敷が少しづつ広がってしまい、畳み込む事が困難に成りそうなので今回はこの辺で終わりたいと思います。
最後にこの神社を知るキッカケを頂いた「房総の日々」の筆者さんには情報の提供と共に感謝致します、有難う御座いました。
※ このエントリー以降、毎年1回は来訪して追加調査と崩落の様子を見に伺っております。仲間内ではその年で最初に行く時を「初詣」と称し、ライフワークとして土に沈むまで見届けようと来訪し続けています。
そんな再訪エントリーをシリーズとして以下リンクにまとめて在ります、知れば知るほど面白いこの廃神社…今後も注目物件として追っていきたいと考えています。
個人的心情から地図リンクは不掲載です。
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
※ 自分も教えて頂いた身です、場所がどうしても解らず現地に赴いてみたいと思う方は御連絡下さい、対応致します。
photograph - nee
ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい