千葉県│旅館 新川
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 大百池 旅館 新川
ずっと気に成っていた廃墟が在った、まだ廃墟には興味が無くて林道ライダーで酷道さんやってた時にふと寄った大百池。その湖畔でポツンと残るこの廃墟、どうやらその後の机上調査では旅館の廃墟だった様だ。一時期何故か保田見林道の廃屋と混同していて見付けるのに四苦八苦したのだけれど解ってしまえばこんな直ぐ近い所に在ったのかと自分の記憶のいい加減さに加齢の悲しさを感じるばかり。
残留物が少なくて見所も殆ど無い廃墟だけれど懐かしさに誘われて見に行ってきましたよ、簡易レポートですが「旅館・新川」を始めましょう。
内部はこの通り、昔見た時はもっと普通の廃墟だったのになぁと情報収集すると随分前に放火でこの様な状態に成ってしまったとの事。まあ廃度は上がったものの本当に見るべき所が無くなってしまった様だ。
所狭しと書かれた「TBS」の文字、いやTBSはさて置きコリャ以外と写り栄えする物件かもしれないなぁ。盛緑の時期に再訪してみよう、緑に包まれればきっと素晴らしい表情を見せてくれる筈だ。
(photograph : +10)
この物件に関しては情報が少ない、そもそも本当に旅館だったのか(余りに小さいので)、物件名は「新川」で正解なのか、など不明点も多かった。
しかし付近には営業時に立てられたと思われる石碑が2塔残されていてどちらにも「旅館・新川」の文字が。どうやらこの廃墟の物件は確かに「旅館・新川」で正解の様だ。地元の方の情報でも「新川と言う名前だった」との情報が寄せられ、しかも営業当時の写真も見せて頂いたのだけれど看板には「旅館・割烹 新川」と写されておりました。
割烹?旅館でも疑問満載の営業面積なのに割烹もですか。
裏手には小山を登る様に石の階段が用意されている、旅館の部屋部分の裏口とも繋がっているけれど上下の移動は表側の螺旋階段がメイン。この階段は旅館用ではなくて小山上部に位置する民家のアクセスルートとして使用されて模様、今でも民家は普通に残っております。
この旅館内の移動手段はこの螺旋階段しかない、余りの狭さに屋内に階段が無いのだ。もうお解かりかと思うがトイレも風呂も屋内には存在しない、二つとも表部分の駐車場スペースに小さな小屋が建てられていてトイレは向って左側、風呂は旅館側に離れて作られていた。
(photograph : +10)
屋上部分は何も無い、火災被害の前から何も無かったとの情報あり。眼前の大百池を眺めるにしても低過ぎる、一時期物置が仮設されていてそこにリネン関係などの旅館用具が収められていたそうだけれど野外に布団て。
(photograph : +10)
1階部分はカウンター(カウンター内は極々小さな厨房設備)、当時を知る方の情報だと窓側にはボックス席も在ったとか。僅か6畳程の広さしかないので見た目は喫茶店の様だ、ここで割烹などとても無理だろう。
面白い造りではある、しかし1日の予約は1組しか受け付けられず、しかも設備の不十分さは建設当時の時代背景も以ってしても話題性に欠けたであろう事は解る。建設は1970年代後半との事だが詳細を行政も把握しておらず、火災に関する事実のみが確認出来ただけだった。
経営者などの情報も手を尽くしたが何故か上手く辿る事が出来ず、薄味の謎では在るけれど出来れば詳しく知りたいってのが正直な所だ。
因みに1973年の航空写真にはこの旅館が写っている。
んん?聞いた話では在るけれど旅館が出来たのは1970年代の後半ではなかったの?あれ、んじゃコレは何だろう。旅館を始める前に違う経営者、もしくは別業種で営業していたのかなぁ。一般住宅の造りじゃないから民家って事も無い筈だし、うーん解らんです。
しかしこの頃は全くと周辺地域の開発が進んでいない、大百池も公園として整備される前なので本当にただの池って感じだ。
久し振りに全敗した物件、歴史検証が聞き込み情報以外全くと掴めなかったのが何とも悔しい。特別興味が在る訳ではないけれどヤハリ当ブログのスタンスとしては検証をシッカリと行いたいってのが在るので追加情報が在れば精査してエントリーしたいと考えております。
今回のレポートは以上です。
アプローチ
国道16号線からは館山道の桁下通行に入る分岐路からが解り易い、丁度相互通行から分岐通行に成る複合交差点部分から枝折れと成る。折れて一本道、おゆみ野ショッピングセンター手前の大百池入口からは湖畔外周路内を走り数十メートルで見つける事が出来る。
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