千葉県 │ 間滝(麻滝/間ノ滝/魔の滝)
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 138 間滝(麻滝)
前編は以下よりどうぞ。
前編からのレポート続けます。
まずは地形の把握から入る、冬季と雰囲気は一転しているけれど地形が変化した訳じゃない。カメラの機材を背負って安全に降下する為にビレイが取れる場所とプーリーが設置出来る樹木を探す。
岩壁に囲まれた滝上部、ビレイの場所は取れてもビレイを取る人間の安全確保が心配だ。またプーリーが設置出来そうな樹木も少々距離が在る、岩壁に再度登って上方の樹木からロープを垂らす案を採用、ロープへの負荷バランスが良くないが仕方ない。
結局ビレイスポット後方の樹木からロープをエクステして滝を降りる事にした、セーフティロープも同様に設置してフックポイントとステップポイントの確認、水量の確認を行う。
(photograph : saorigraph)
(photograph : saorigraph)
最初に降りるのは割橋シリーズで特攻(ぶっこみ)担当のいつもの相棒、ワタクシ、新顔の学生の順、弟子(♀2○歳)は無線を持たせて上部待機。相棒に先行させて間滝第一瀑布の滝壺と着地地点の確保、確認をしてもらい、更にビレイを取って順番に降下。最終的には機材を背負った僕が滝壺より更に奥の間滝第二瀑布手前まで後退する事にした。
※ シャワーラペには本来12mm以上のザイルを使用、今回は使い捨ての為編みロープを使用しました。
どうやら第一瀑布は攻略可能の用だ。さて、問題はここからなのだ。
この小さな第一瀑布のエントランス部分から今まで間滝の全容とされて来た第二瀑布を降下する事に成る。しかしここからビレイやセーフティロープを新規に設置する事が出来ない、つまり最上部から伸ばしたロープで更に降下すると言う事だ。
(photograph : saorigraph)
ダブルロープとは言え新規に負荷方向を変更出来ない状態での降下は少々危険だ、たかだか10メートルだがそれでも一歩間違えれば大怪我をする事になり兼ねない。
第二瀑布の上部から下を覗き込むと抉り込む様なゴルジュ、そして堆積物が邪魔して見辛いけどオーバーハングして流れ落ちている事が解る。つまり滝上部からは第二瀑布の滝壺を見る事が出来ない、うーんコレは困った。
遡行ルートが壊滅的な現在、第二瀑布にどうやってアプローチするか。
悩んだ末、もう一度来たルートを途中まで戻って迂回する事に。道なき道を恐らく初めて踏破するルーファンが予想される。まあ取り合えずは美しい秘瀑「間滝・第一瀑布」を撮影するとしよう。
機材を片付けていざ撮影、資料写真用に沢山撮ったがココで全て紹介するのは控えよう。横構図と縦構図を撮影して撤収作業開始、これから第二瀑布に向う事に成る。
一先ずはお疲れ様でした、しかしこの後に地獄の山行が待っているとはなぁ。
間滝(まのたき)第一瀑布
上流から数箇所設置されている砂防ダムを昇降しながら下ると間滝第一瀑布が見えてくる、過去に間滝とされて来た第二瀑布を含めて複合連続瀑布帯(小滝を含めると5つの瀑布帯)が形成されていてこの第一瀑布が最初の滝と成る。
アプローチの難易度は10段階評価で2~3(沢屋・岩屋的考察)程度、一般的に少々厳しい地形(急傾斜)とルーファンを要する。この場所は必然的に個人が勝手にアプローチ出来る場所ではないのでどうしても行きたい方はお問合せ下さい、来訪目的によっては対応致します。
因みに地元の方(上流部に家屋が在る方)が言う間滝は実はこの第一瀑布の事でして、下流部の方が言う間滝は第二瀑布と言うちょっと変わった認識のされ方をした連続瀑布です。この辺も実は色々と伝記や言い伝えを含めて調査したのですが長く成るので割愛させて下さい。
さて、第一瀑布からのラペリングが不可能だったので迂回ルートを選択して道無き道を開拓しながらのルーファン。所々に炭焼き時代の古道が薄っすらと見え隠れ、何箇所かロープを垂らして急斜面を慎重に降りると1時間程で第二瀑布の流れ落ちる音が聞こえて来ました。
下流からの遡行ルートも断絶した今、ゴルジュをラペで降下するしか第二瀑布(今まで間滝の本滝とされてきた滝)へ向うルートは在りません。
当然ラペで降りたら垂直懸垂登攀するしか帰路は在りません、ゴルジュの壁質は硬度の低い泥岩で踏ん張る事は出来ません。もし独自にこの場所にたどり着いても単独アタックは絶対にしないで下さい、岩屋経験者が数人居て初めて10~20メートルの泥岩登攀は可能と成ります。
因みに第二瀑布手前には15年前に残されたテレビ取材で使用されたと思われるロープを発見しました、しかも別目的と思われる登攀用のハンガーボルトの打痕も数箇所。どう考えてもこんなに軟質な壁に意味を成さないのに何故打ったのか、そう言えば第一瀑布にもステップポイントやフックポイント用に抉った跡が残されていたな。
(photograph : saorigraph)
奥が下流、この先50メートル程の絶壁をラペで降りて来た。驚いた事に前回初めて田代滝でラペリングを教えたばかりの弟子(♀2○歳)が降りて来てるではないか…
REPORT - 189 │ 田代滝
http://ameblo.jp/6blogs/entry-11310212069.html
「き、貴様どうやってココまで来たんだよ!まさか降りてきたのか。」
「えー、だって間滝見に来たたしー。見ないと意味ないしー。」
ジーザス
おまえスゲーな、僕だって降下するのにちょっと考えたのに。てっきり崖上でポニョってるかと思ってたよ、スゲーよホントに。
これが若さか。
「おまえ帰りどうすんだよ、アレ登れねぇだろが」
「えー、多分なんとか成りますよー(真顔)」
そして弟子(♀2○歳)は一瞬満面の笑みを零す、これはいい笑顔(椎名軽穂が真っ青級)。
ラーメンのチャーシューは最初に、寿司は下痢するまでウニ、宝くじ売り場での第一声は「当たり券1枚」…彼女は全力なのだ、如何なる時も。
(photograph : +10)
それでは単体の滝とされて来た間滝の第二瀑布に向うとしよう。
ゴルジュ上部からラペで降下、下方10メートルはナメ泥質の垂直壁。正直に話すとロープの回収が出来なかった場所が在る、内緒な(震え声)。
降下地点から50メートル程上流へ遡行すると滝の音が聞こえてくる、段階的な小滝群が姿を現して来訪者を阻む。小さな連続瀑布帯はM字に入り組んで10メートル程登る事に成る、そして最後のクランクを曲がるとずっと逢いたかった第二瀑布が眼前に。
(photograph : +10)
色々凄過ぎてわからない
「コレかな?」
「コレですね」
相棒も興奮気味に話す、そして勢い余って尿意を開放する。
放尿をしに向った相棒が大地に向って何やら叫んでいた、
「月光蝶であるっ!」
絶好調である。ディアナ様、先を急ぎましょう。
1時間程前に顔を覗かせた滝上部、下から見るとこう成っていたのか。来てみれば成る程、人を寄せ付けない立地条件だ。以降も訪れる人間は居ないか少ないだろう場所、そんな場所に来れた事が何とも嬉しいではありませんか。
辛く厳しい行程の最後にやっとこさで見る事が叶った間滝、その迫力も当然の事ながらなんとも美しい。
それでは帰路に着くとしよう、写真には残って無いのだけど本当に辛くて軽く遭難するかも…なんて思った一行が協力者のKさん宅に到着するまで凡そ2時間を要する事に成る。第二瀑布の詳細は下記参照、アプローチ難易度は10段階評価の5+と言った所、装備が有ればなんとか。
色々と現地調査を行い、資料写真も沢山撮影した。美しい風景に眼球破裂、房総の山に痺れ帰宅後に同行者全一致で吐いた言葉があった。
それ程辛い取材撮影だった、房総侮るべからず。兎に角本当に辛かった。
(photograph : saorigraph)
それでは最後にこの房総の秘瀑と名高い「間滝」に纏わる色々な事柄を書き連ねようか。
房総の秘瀑「間滝」とは
間滝は地元では殆どの人が知っている滝で実は秘瀑と言われる様な存在ではない、しかしそのアクセスの困難さが人を遠ざける結果に成り、付近の地域から少々離れると殆どその存在を知らないと言う事に成った様だ。
富津市での確認は1997年中頃、富津市広報誌に連載が開始される予定だった「滝シリーズ」に先駆けての事前調査が切っ掛けだった。この「滝シリーズ」が開始される事に成った経緯には写真家の菅原譲太郎氏が「富津市内の滝を紹介してほしい」との要望を行政サイドに打診し、元々広報誌で「癒し」をテーマに何かに焦点を当てる企画が立ち上がっていた事で話がまとまった様だ。
富津市広報誌の連載が決まり、「滝シリーズ」第2回(1997年12月01日発行/広報誌309号)に選ばれたのがこの「間滝」で続けて第3回(1998年02月01日発行/広報誌310号)にも登場している。今迄は地元民しか知らなかった秘境の滝「間滝」が初めて公共の目にお披露目したのだけれど実は時を同じくして全国区でも知れる存在と成る。
なんと1997年10月頃、広報誌に先駆けて日本テレビがこの「間滝」を取材していたのだ。番組は当時日本テレビでは朝の顔だった「ズームイン朝」で短い時間ながら確かに「間滝」を取上げて内容がテレビで放映された様だ。この取材時にも既に登場したOさんが全面的に協力し、今回の滝上部からのルートを取材班に教えたとの事。
この様に一時期的にメディアに取り上げられたこの滝だったのだけれど日々暴力的に生産される数多の情報に埋もれ、結局は一部の沢屋や滝好きの記憶に残るばかりと成った様だ。行政サイドからは当時の富津市広報誌のサンプルデータを頂いたのだけれど菅原譲太郎氏の写真に著作権があり、ここでその間々お見せする事は出来ないのが残念だ。少々画像と掲載方法を変えてご紹介しよう。
平成10年02月号 間の滝(まのたき)その1 田倉
「自然のままの姿が迫力に満ち、美しい」
「滝つぼには大きなクモが住み、滝を見に行った人はそのまま帰ってこない」と地元の言い伝えがある間滝。秘境の素朴さとぶきみさをあわせ持ち、自然のままの姿が見る人を圧倒します。落差10メートルから流れ落ちる滝は、悠久の時を刻んで岩肌をえぐるように浸食し続けています。自らの姿を隠すように奥へ奥へと。切り立つ岩に響き、とどろく水音。断がいが迫り、昼なお暗い間滝は、「魔の滝」の呼び名がふさわしいようです。
平成10年02月号 間の滝(まのたき)その2 田倉
「初めて全姿を現した、幻の滝」
前回紹介の「間滝」の上には、「もう一つの滝」が…。やぶを下り、沢を登って、やっとたどり着いた間滝。滝口に横たわった流木を取り除こうと再びやぶの中へ。目的の流木へたどり着いたつもりが、そこは、もう一つの間滝の口でした。垂直に落ちているため上からのぞいても姿は見えません。下の滝に10メートルのはしごをかけ、瀑音の中、飛まつを浴びながらやっとの思いで上の滝と対面。断がいをえぐり、落差7メートルを一気に落ちる滝、とどろく水音。おそらく、ファインダーからのぞかれたのは初めてでしょうが、たじろがず「威風堂々」の言葉がぴったりの名瀑です。
広報誌にも在る様に巨大な蜘蛛が滝に住み着き、滝見客を蜘蛛の糸で巻いて食べてしまうと言う恐ろしい言い伝えが残る間滝。呼び名が「まのたき」で在った事から言い伝えを知った地元民は皆「魔ノ滝」と勘違いしていた、と子供の頃の思い出を話してくれました。
魔物が住む滝、間滝。数度だけだけれども訪れてその魔物に確かに取り憑かれた事が解る、自然の美しさは確かに魔物。ウッカリ足を踏み入れると大怪我をすると言う古い言い伝えが蜘蛛の姿を借りて語り継がれたのだろう。
こんな美しい間滝では在るけれど北側(源流)にマザー牧場が出来てからは水質が悪化し、下流にはゴミが小さなダム造る様に堰き止めていた。東側のゴルフ場からも変色した水が支流に流れ込んでいるのを確認している、無責任な飼い主が放した犬達が集団と成って野犬化して滝付近に姿を現す事も在る(実際に遡上中に多数の野犬の声に追い掛けられました、姿は確認出来ず)。現地を訪れた者からしたら秘瀑は秘瀑として残して行きたいと思う、なのでこの間滝の詳細な場所は掲載しない事とした。説明部分にも一部大げさなフェイクを混ぜた、地元民からの希望でも在るのでご了承願いたい。
国内でダントツに低い原野を持つ房総半島、それでも魅力溢れる沢や滝は沢山在る。間滝もその一つだと思って貰えたら沢屋として何より嬉しい限りだ。
今回のレポートは以上です。
※ 間滝周辺は現在富津市管理課が管理する土地です、個人・企業の土地では在りません。
※ 遡上、滝降り共に個人敷地内からのアクセスの為に一般の来訪は出来ません。
※ 間滝への同行依頼・詳細の問い合わせ等はお受け出来ません、何卒ご了承下さい。
(どうしても…と言う方は市・土地管理宅の方と協議をして餡子対応させて頂きます)
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
photograph - nee