千葉県│君津市黄和田畑 湯ヶ滝集落
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 千葉県 湯ヶ滝集落
千葉県の房総半島、この地域は意外にも温暖で北九州と同じ様な気温、勿論雪も殆ど降らない。それは戦後の山間集落の復興や発展にも大きく影響を及ぼす様だ。
気候自体が安定している為に戦後復興の国内生活水準が上がると県内での衣食住と仕事が戦前などとは随分変化して多様化、都市化が進んで労働層が離村すると限界集落化し、後に人が居なくなってヒッソリと残った廃屋達はいつしか「廃村」なんて呼ばれる様に。
んだども記録や文献によれば千葉県には廃村と言うモノが無い事に成っている、つまりは大きな集落移動が無かった地域という事だ。軒を連ねた2~3軒の本当に小さな集落はやはり幾つも存在した様だけれど「廃村」と呼ばれるまで大きな集落は少しばかり調査しただけでは見つける事が出来なかった。
これには推論が在って「離村する意味がない」程の温暖で農作に適した地域、そして何より千葉県房総半島のみで発展した「川廻し」の特殊な農耕法が在った為だと聞く。
しかし探せばやはり出て来るもんですよ。と、言っても廃村ではなくて小さな集落。本当に極々小さな集落跡、時には1軒ほどのモノでは在るけれど行ってみたく成りますよ。
って事で今回は千葉県房総半島では珍しい廃集落「湯ヶ滝」に行って来ましたですよ。
本当は新緑の頃に伺う予定だった、それでも場所が判明してから兎に角行きたくて2010年初頭、しかもまだ正月気分な時期に集落跡…と、言うか廃屋跡を見に出掛けたのだった。
この場所は養老渓谷からも程近い七里川温泉と言う観光地からそれ程離れていない地域の山間部に現存する、小櫃川の支流である七里川を沢登りし、緩やかな山を上り、時には道が立ち消えた場所を歩き進むと辿り着く事が出来る。
「こんな処に…なんでよ」
そう、正にこんな処に何故。そんな場所にこの廃屋はひっそりと佇んでいた。今にも人が出てきそうな玄関側とは裏腹には読んで字の如く、勝手口に廻るとその朽ち具合は中々素敵な状態だった。それもそうか、この場所は1960年代にとり残されてしまったのだから。
盛時には3家屋が軒を連ねた集落で地下水汲み上げの井戸やワイヤー駆動の貨物軌道も稼動していた、メインの道路は山道と七里川を渡る木製の橋。しかしこの橋が崩落した事で交通手段も限られ、買い物も別の険しいルートで往来していたとか。
屋内を見ても突然時間が止まった様な、そんな感じがアチコチからする。恐らくそれらの原因は多く残された家具や長く生活に使用された品々が散見出来るからだろう、しかし実際は何十年も放置されて獣臭が酷い。
写真の座布団も動物が引っ掻いた後の様で部屋中に鹿などの糞が散らばる。
しかし1960年代に放棄された割には随分と近代的な雰囲気と言うか、これはこの場所に到着して一番最初に感じた違和感だった。この違和感によって興味はこの集落よりも残された建物へシフトする、いっちょ調べますか。
※ 3年後の再訪で沢山の新事実が判明しました、最後尾の再訪リンクから是非ご確認下さい。
裏手には井戸の汲み上げポンプや発電機、手動放水車など今では見なくなった備品が。自転車も在ったのだけれど集落が在った当時から現在に至るまで自転車が走れる様な道は整備されていない。一体何の為に、そしてどうやって持って来たのだろう。
山の斜面上側にはゴミを燃やした穴の後や放置された比較的大きな家具などが、どれも当時棄てられた物だったけど幾つか最近の缶ジュースの空き缶も。ここに訪れた人の物なのかな。
山の斜面下側にはこの家屋の他にも家が建っていた事が解る基礎が幾つか発見出来た、この場所に関しての資料は房総史と市歴に幾つか記述が在って多い時で6軒(家屋は3軒)の家が立ち並んでいたそうだ。主な収入は山岳集落では多い炭焼き、周囲の斜面には炭窯跡も残っていて集合墓地も苔むして並んでいる。
現在のアプローチルートと昔のアプローチルートは違っていて昔は橋(記述した崩落した橋)が架かっていた為に今よりは多少楽な山道が存在した、今でも踏み後はシッカリ残っていて道祖神や石仏が。
※ 2012年後半以降、道祖神の確認が出来ません。ご存知の方、お知らせ下さい。
取り壊されること無く千葉県の房総半島で自然に還るのを待つ湯ヶ滝の廃屋、中を覗いた感じではまだまだ綺麗でとても数十年もの間誰も立ち入る事が無かったなど信じられない。廃墟好きの中にはこの場所に訪れた方も居るかも知れないけど少々驚いたのはほんの最近に人が居た気配がした事、ホームレスさんにしたってココまで来るのは健常者でも面倒な場所だ。
そんな場所にワザワザ大汗かいてこの廃屋へ来る意味は無い、衣食住の内どれもが安定しないこんな山中に。
1966年に最後の転居が在って暫くは行き来する元集落の方が居た様だ、しかしそれも山間部での産業が衰退して完全に放置されると市の建造確認も1970年には打ち切られてこの様な廃墟と成った。今では登山者や沢屋位しかこの地を歩く事は無いけど2000年代に入って山間部の電線の引き直しの事業が行われ、その時にこの付近の古材回収なども行われたとか。東京大学演習林が在る関係でその関係者も周囲を歩く事が。
さて、この湯ヶ滝の廃屋は今年度の新緑の頃、再度来訪予定(行政広報の写真撮影に同行)です、その時にまた詳しくレポートしたいと思っております。恐らくそれまでの間に誰にも見つかる事なく待っていてくれる筈でしょう。
2013.05.31 - ずっと気に成っていた物件詳細調査を行いました。
疑問究明の為に再訪しました、と言っても沢の遡行「キンダン川遡行+川廻しの撮影」のついでだったのでメイン物件としてでは在りませんが聞きこみ調査や机上調査を踏まえた最終結論を記載しております。興味が在りましたら是非お読み下さい。
アプローチ
秘境及び危険物件は自然保護と建造物保護、安全確保の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び危険物件は自然保護と建造物保護、安全確保の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
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