滋賀県│今畑廃集落
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 霊仙廃集落群 - 今畑集落跡
前回の霊仙廃集落群で入谷集落跡をご紹介した、今回は今畑集落跡をご紹介するのだけどこの集落跡は霊仙登山に行った事が在る方なら必ず知っている場所。その詳細も含めてレポートを投下したいと思う。
この今畑集落は最後まで車道が整備されなかった(出来なかった)山岳集落だった、その為近代化の為のインフラを整備する事が出来ず廃村化が進んだ集落だ。が、面白い事に霊仙廃村群の中で廃村が確認されたのは一番遅いと言う中々興味深い場所だったりする、行政が住民人口0人を確認したのはなんと1998年。まあこれはあくまで行政確認のデータで在って正確にはすの少し前には最後の住人が転居していて転居後の整理などで住宅跡に出入りしていただけの様。
霊仙山の登山道入り口、ここが今回ご紹介する今畑集落跡への入り口でも在る。この山には普通の登山客の他に季節で様々な植物が見頃に成ると各地から人が押し寄せる、つまり廃村や廃集落と言っても絶えず人が訪れる場所。
それ故に道なども整備されているかと言えばノー、若干マディな場所も在りながら土の山道を登る事に成る。因みに集落入り口までは10分程の歩行が必要、運動不足の方は少々の注意です。
今畑も入谷同様に対面地に倉庫群が在ります、理由は入谷同様で住民の産業道具などの保管に使われていました。
急勾配では無いのです、なのだけれど地味ぃに足腰をジャブってくる。登山道入口から10分程なのにマディな足場で予想以上に歩き辛いったらもう、こりゃ元住民さんもキッツイ生活を強いられていた事でしょうねぇ。
旺盛時には簡単な貨物車が通れる道が整備されていたとも聞きますが現地で見る限りとてもリヤカーなどが往来出来る状態では無かったです。
この山道の下方斜面側には小さな農耕地跡が見られたので生活の為の自家栽培なども行われていたのかも、これに関しては行政からの正確な回答も得られなくて書籍にや資料にも記載は見受けられなかった。
山道入口、集落入口とも成る場所に水場と成る小屋が建っている。昔から山道への導入区画にはこの様な水場が用意される事が多かった、この霊仙も例に洩れずに写真の様な水場が用意されている。集落自体が霊仙廃集落群の中で一番キツイ傾斜部分に在る事からこの様な水場小屋は大切にされて来た事だろう、各家屋にも一応水場は井戸などで用意はされていたのは勿論の事だけれど。
倒壊家屋跡、時間経過と風化でこの様に人が介さなくても人が離れた家は比較的容易に倒壊してしまう。それがこの様な通常の平地とは異なる立地条件なら尚の事、最盛期には17軒程の家屋が在ったが現在ではその殆どが崩壊倒壊して残り数軒を残すのみと成っている。
住民の姓は「藤井」・「鹿野」・「辻村」の3つ、やはり霊仙廃村群ではダントツの家族筋を有していた「藤井姓」がここでも顔を覗かせる。
余談だけれどこの「藤井」と言う姓、少しだけ解説してみよう。苗字の解説サイトによると、
百済帰化族藤井宿禰の子孫。清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流、利仁流などにもみられる。語源は、藤の木のもとに井戸がある所との意味や、藤にゆかりの地の意味がある。藤居。藤は、山野に自生する葛のこともある。
との事。ふむ、他の廃村でしかも山岳集落に何かと「藤井」姓が多いのはこの”藤は、山野に自生する葛のこと”ってのが大きいのかも。しかも井戸のくだりも納得、一般的な古い集落だと井戸ってのは村で一つ、とか区画分けされた箇所に設置とか、まあそんなに沢山無かった訳ですよ。
それは平地での水源や水脈と言った地質学的な要因が在るのだけれど山岳集落に至ってはこの例に当て嵌まる事は少ない、なんと言っても山なのだ。水を豊富に蓄えた土壌と言った山岳集落においては随分と初期の段階で各家庭に井戸が設置されていたと地域民俗学の資料に在る、そこに在っての「藤井姓」とはこれ当然と言えるとも考えられるだろう。
家屋が在った場所に最後まで残るのは井戸だ、現代においては井戸は古い家屋に多いが兎に角丈夫に作られる。この場所でも家自体が崩壊していても井戸は残っていた。1979年(行政確認では1998年)に廃村と成るまでは登山客や地元の方で賑わっていた場所なのだろう。
昔はこの場所まで、水以外の食料を含む生活必需品は全て背負子さんが運んでいた。一度尾瀬の背負子さんの取材をある雑誌の同行で行ったのだけど1日運ぶ送料は凡そ100~200キロの重さ、その荷物を往復で40キロ程歩くのだそうだ。
鳩待峠からビジターセンターまでの行程でお話を聞きながらこりゃとんでもない仕事だなぁと関心した記憶が在ります、これが更にキツイ山岳集落だとするとホントにインフラの整備次第で栄えもするし廃れもするのだろうなぁとシミジミですよ。
珍しい瓶を見つけた、関東の人間から見ればまず解らないブランド「名古屋牛乳」の牛乳瓶だ。東海地方ではずば抜けて有名なミルクブランドで隣接県の滋賀県でも知られたのかもしれない。因みに現在でも名古屋牛乳は商品を開発発売しています。
名古屋牛乳株式会社
ウィキペディア - 名古屋牛乳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e7%89%9b%e4%b9%b3
三種の神器と謳われたのも昔、電化製品に限らずプラスチックを利用した製品が廃村で自然に還ろうと頑張っている姿を見ます。しかしバクテリアの種類や環境などでかなり時間差は在りますが最低でも1000年以上の時間が必要なのは確かです、「画」としては素敵ですが環境的にはNG。過疎化の問題の一つでも在ります。
現在だとこんなプラスチックが在ります。
ウィキペディア - 生分解性プラスチック
今畑は廃村に成ってから結構な時間が経っていますが人が多く携わる事も多く、また浄土真宗本願寺派の宗金寺の手入れが定期的に行われている事からも廃度は高くありません。
それでもこの地域の歴史を紐解く一つの要因として重要では在ります。
地元の行政関係者から紹介されて「多賀町立図書館」へ、その図書館に所蔵されている芹谷霊仙分校の百周年記念誌「芹霊」を拝見させて頂きました。その中の「同窓生名簿」、その今畑の欄に住民の名前が並んでいます。1970年代後半まで記載されているので現在でも元住民を探す事は難しくなさそうですね、是非元住民の声を生でお聞きしたい、そして当時の様子を伺いたいと思ったのでした。
アプローチ
彦根ICより国道306号へ彦根市外方面へ、途中県道17号との分岐から霊仙地区へ。幾つかの分岐が在るので地図上で確認して下さい。
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