埼玉県│秩父鉱山(ニッチツ/日窒)関連遺構
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 秩父鉱山 - 日窒(ニッチツ)鉱山跡
有名物件のニッチツへ行って来た、と言っても詳細なレポートの製作の為に予備調査としての来訪。現地の方や鉱山関係者への取材、そしてそれぞれの物件の位置関係などの確認を行って来た。写真はウェブ上で舐める様に見ていたので初めて来たのに何故か知っている様な不思議な場所、それでは予備調査段階では在りますがニッチツのレポートを致しましょう。
俗称としてニッチツと呼ばれていますがそれは運営会社が株式会社ニッチツ事業開発本部だから、なので正式には秩父鉱山ですね。
歴史はとても古く、1600年頃に発見されてから長い間鉱山として採掘されていた大規模な鉱山施設群でした。金の採掘で日本のエジソン、平賀源内も入山した事でも有名。沿革についてはウィキ参照で。
秩父鉱山(日窒鉱山)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e7%a7%a9%e7%88%b6%e9%89%b1%e5%b1%b1
最初の写真はニッチツの中心地域に在る購買供給所跡、現在でも色々と商品が残っています。直ぐ隣には鉱山関係者の住居跡が在ります、今では老朽化が進んでいるので中の撮影はお薦め出来ない状況でありんす。
県道210号、秩父の市街地からも国道140号を経由してカナリの山道を登ります。夏場は様々な野生動物にも出逢えますが飛び出しにはくれぐれもご注意。
走りやすかった県道も秩父鉱山に近づくにつれて少々荒れてきます。
この辺には中津川水系の支流が沢山在って沢登の人間としては贅沢な場所でも在ります、とにかく枝が多くて登り放題歩き放題だったりするのです。んが、細い支流は流れも水量も多くて高低差もある事から上級者向けのルートが殆ど。
近年も沢屋さんの遭難事故や滑落死亡事故、また救助ヘリが墜落する二重遭難事故なども起きています。廃墟さんには関係ないかもですが山をやられる方はお気をつけて。
到着、秩父鉱山の小倉沢地区。丁度「秩父鉱山簡易郵便局」の前です。
その秩父鉱山簡易郵便局、お隣はニッチツ労働組合事務所。郵便局は関東僻地郵便局としても知られていて関係者泣かせの支局、現役なのがなんとも素晴らしい。
この郵便局に関しては幾つか面白い事情が在るので記載しておこう、以下のサイトから引用しているので引用先として該当ページのリンクも併載しておく。
鉱物産地情報 - 秩父鉱山簡易郵便局の消印
http://mineralhunters.web.fc2.com/titibukozankyoku.html
局の沿革
秩父鉱山の沿革
秩父鉱山そのものの歴史は古く、明和2年から4年にかけて平賀源内が入山し桃の窪旧坑(金坑)を手始めにあちこち採鉱したことからも分かります。
明治44年に英国資本家・ベーツ出資により英国人技師達が探鉱したが鉱床を発見できず、その後、柳瀬貞三の経営となり、本坑、雁掛澤、ワナバ澤などで短期間に金、銀、鉛、亜鉛鉱を発見し、金山として隆盛を見るに至った。1914年に第一次大戦勃発に伴い、鉄の価格が高騰し、金より鉄に転じて全山挙げて探鉱に取り組み、道心(神?)窪、金香坂などの大鉱床を発見し、皆野駅までの間に空中索道を建設するなど、前途洋々と思われた。
しかし、欧州大戦の終結に伴い、鉄価が暴落し鉱業界の不振により休山に追い込まれた。昭和7年、またまた金山として復興し、産出鉱石を日立鉱山に売鉱し、重要鉱山に指定された。
秩父鉱山簡易郵便局の局員のお話では、鉱山の最盛期には3000名の人々がいたが2002年には、100名ほどになってしまったそうです。
秩父鉱山簡易郵便局の沿革
この局は当初「秩父鉱山郵便局」として開局したようです。開局の時期は調査中ですが鉱山の沿革からみて、昭和10年前後だろうと考えています。
開局:大正時代
変更:1986年に簡易郵便局へ移行
秩父鉱山簡易郵便局の局長は個人名にはなっているが、実質は「ニッチツ」が主体で運営しているようで、局員の人も「ニッチツ」の名前が入った作業服姿です。世の中全体の景気が思わしくない昨今、閉局にならなければ良いがと、案じています。
今回、秩父鉱山の目玉である”車骨鉱”、”ブーランジェ鉱”そして”毛鉱”を採集するついでに立ち寄りました。押印だけであれば、「郵頼」という方法があります。これは、押印してもらうものと押印位置などをメモ書きしたものを宛名を書いた返信封筒と一緒に同封し、郵便局へ送って、押印をお願いする方法です。これですと、遠隔地でも比較的簡単に消印を入手できます。
参考文献:斎藤直基知編 大日本鉱山史 日本産業調査会(1940年発刊)
またこの並びの通りには幾つかの関連施設や宿舎などが現在も残されている(※1)、有名な小倉沢小中学校もこの河川沿いの道路に並んでいる。
※1 鉱山会社関係者への取材で今後解体される予定の物件が幾つか挙がっていました。
特に鉱山夫宿舎は崩落が進んでいてとても危険な状態です、この鉱山地区から離れた場所にも幾つかの関連施設が残されていて今後調査を進めてエントリーをしたいと思っています。
2011年04月24日に再訪エントリーとしてレポートを公開しました。
2012年10月14日に再訪エントリーとしてレポートを公開しました。
最初の写真、購買供給所跡から少々進むと旧居住区に。小さな橋を渡ると数軒の建造物が見えて来ます。
ここには病院、公民館、公園と3つの施設が併設されていました。どの建物も崩落寸前と言った所で公園に関しては跡地としてしか確認が出来ません、遊具などは撤去されてしまっています。
2011年04月20日に再訪エントリーとしてレポートを公開しました。
次に公民館跡が、秩父の鉱山遺跡ではとても有名な廃墟で沢山の方がこの公民館跡を撮影されています。正式名称は「赤岩文化会館」、鉱山夫達の憩いの場として長年愛された場所だったが現在はご覧の通り。詳細を纏めて今後エントリーしたいと思う。
2011年04月22日に再訪エントリーとしてレポートを公開しました。
2階席から写真も良く見ますね、この辺から更に登っていくとまだまだ沢山の遺構や旧住宅区域などが見れますがそのレポートはまたの機会に(※2)。次回はメインの小倉沢小学校をご紹介しましょう。
※2 エントリー内にその後の詳細レポートを掲載した再訪リンクを記載しました。
アプローチ
秩父市外から国道140号線から県道へ。県道は210号線をひたすら群馬方面へ、雁掛トンネルを抜ければ秩父鉱山です。
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