埼玉県│小倉沢小学校跡
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 秩父鉱山 - 小倉沢小学校跡
急ぎ足で廻った埼玉の山深い鉱山、ニッチツ。そのニッチツで美味しく頂くメインのお料理と言ったらこの小倉沢小学校だろう、森に囲まれた廃校…こりゃあ…。ジュルリ
夏の盛緑に囲まれた廃度がエロエロな廃校、小倉沢小学校をお届けします。
有名物件も有名物件、この小倉沢小学校は廃墟さん、廃校さん、廃村さんに大人気。地域文化の個人的な研究者さんなんかも題材に挙げる位知名度が在ります。
ニッチツの中心部に位置し、この川を渡る錆びた橋を越えると廃校が残っています。ウェブ上に写真を掲載されているサイトの殆どが紅葉の時期や冬場に訪れている感じ、緑と廃校って個人的に正義なんだけどなー。やはり紅葉の方が人気高いのかなぁ…。
鉱山関係者さんから聞いた話だと以前はこの学校の元生徒さんや関係者などの見学には応じていたのだとか、そして同窓会の様な事も行われていたと教えてくれました。校舎の一部が倉庫として利用される様に成ってからはその様な開放は取り止めて現在に至るとの事です。
敷地内の石階段を登ると講堂校舎(校舎入口)が現れます、2階部分は渡り廊下で繋がっていて全校集会などで使用された講堂が在ります。1階部分は資料室と倉庫に成っています。
この倉庫には当時の教材が今でも沢山残されていますが心無い侵入者によって幾ばくかの窃盗被害が明らかに成っているとか、今後セキュリティ面での対策も検討しているとの事ですが何分鉱山関係者にとっては負の遺産。
NPO団体などから保存の声も出ているそうですが本音はさっさと解体してリスクとコストの問題両方を解決してしまいたいと言っておられました。
こちらは校舎内の廊下、地面はうねうね。
※ 2012年後半から崩壊が進み、現在では廊下のアチラコチラが抜けています。
※ 校舎の窓も何枚か新たに割れている事が確認されています。
この小倉沢の廃校が「小中学校」なのはご存知かと思う、物件名もそうなってるし。校舎は手前の小学校棟と渡り廊下で繋がれた斜面側の中学校棟に分かれており、中央棟には炊事室が残っている。何分見た目とは裏腹に実に大きな学校だった事が解る。
多目的教室や各専門の教科教室は小中共用で使用され、教員宿舎は一時期在ったが新校舎建設時に解体。その後はこの現存する校舎の一室を教員室として使用していた様だ。
廃校では必ず撮影する単置きの椅子、うっとりその1。
※ この場所は残念ながら一部崩落が確認されました、廊下も抜けてしまいました。
校舎裏手、鬱蒼と茂る緑が赤い屋根と良く合う。
先程説明した小学棟と中学棟の渡り廊下部分、中学校裏手の斜面には鉱山資材・鉱材の運搬用のトロッコ軌道が残されている。ニッチツと言えば有名な「日窒広河原沢軌道」だけれどこんな校舎裏にも鉱山用の軌道が走っているなんて、いやぁ本当に鉱山の町だったんだなぁ。
そうそう「日窒広河原沢軌道」に関しては何れ詳細を纏めてレポートしたいと思ってます。
単置きの椅子再び、うっとりその2。
この部屋、元々は保健室として利用されていたが廃校後に多目的教室と音楽室の教材が運び込まれてこんなカオスな状態に。また廃校後の整理の時の写真を鉱山関係者さんに見せて頂いたら全く違う配置でこれまたビックリ、鉱山事業所に保管されている写真には実に様々な歴史が写されておりました。
現役当時のこの学校の写真も勿論ありました(廃校後に元生徒さんから提供された物だとか)、いずれにしても諸事情で公開出来ないのが本当に悔しい。
※ 元生徒の方からの写真提供がされ次第公開しようと思います。
2011年04月20日追記 今後の警戒状況が変化する様です(日窒診療所 再訪から抜粋)。
企業サイドから解体の話がずっと提案されている、まだ大丈夫って言われてきたのだけど実は最近になって事件が起きた。
今回はパスした小倉沢小中学校でバカちんが怪我をして救急車を呼んだのだ、この話は秩父鉱山の担当現場責任者の方から事務所でお聞きした話。
今迄は無断訪問の場合は口頭注意、また事前許可を取れば概観は自由撮影、内部は職員付き添いの上撮影を許可されて来た。しかし今回の怪我に到る事件から完全に訪問をシャットアウトに切り替えたとか、東京都に本社があるのだけど本社指示で今後も撮影や訪問はお断りの様だ。
また告知して欲しいとお願いされた内容を書いておこうか。
侵入は如何なる場合も禁止、発見時は理由を聞く事無く通報だそうです。また今回の訪問で実感したのは警備が多くなった事、意外と人多いです。今後はプレスや出版関係などの正式依頼が無いとユックリ安全に確実な撮影は難しいだろうなぁと、また今回の事件を受けて周辺の関連廃墟の解体を本気で視野に入れているそうです。
あーあ、コレで決定的だぁ…。
最初の資料室入口の2階部分、講堂には沢山の残留品が。
小倉沢小中学校と秩父鉱山
1937年にそれまで採掘事業を行っていた柳瀬鉱業所を買収したニッチツが本格的な大規模採掘を開始する、最盛期には山深いこの地に実に2000人以上の鉱山夫とその家族が居住した。
鉱山採掘が本格化する1935年、小倉沢小学校(※1)は開校する。その後1949年には中学校校舎が新たに建築されて小倉沢小中学校(※2)と成った、閉校は1985年。一時代を築いた秩父鉱山も鉱山産業縮小の波に飲まれた形と成り、現在でも一部稼動しているものの居住区に関しては2006年に無人化。
秩父鉱山簡易郵便局や鉱山関係者は全て通勤者となり、秩父鉱山簡易郵便局の隣のニッチツ労働組合事務所裏に鉱山OBが犬と共に住んでいる。つまりこの地域における人口は人1人と犬1匹と言う事に成った。
1959年 - 児童数:274名
1972年 - 児童数:160名
1973年 - 児童数:85名
1974年 - 児童数:46名
1975年 - 児童数:25名
1984年 - 児童数:7名(最終児童生)
短期間でこれだけの児童数の激減があった時期は高度成長期に在っても全国の鉱山産業が縮小した鉱山バブル崩壊時期と一致する、数多くの鉱山夫とその家族がこの地を後にした事は想像するに容易だ。
※1 秩父鉱業の経営者だった柳瀬貞三が私立秩父学園を創立(私設校)
※2 行政管轄と成り独立、学校法人として現在の通名「小倉沢小中学校」へ
余談だけれど1952年03月に飛火によって校舎は全焼する、小学校と中学校が併設されて既に数年。児童の教育の場はこの学校へ集約されており、一刻も早い再建が望まれた。事業から行政に教育機関の管理が移行してした為、行政主導で再建が行われ、同年の11月には新しい校舎が完成しました。
アプローチ
秩父市外から国道140号線から県道へ。県道は210号線をひたすら群馬方面へ、雁掛トンネルを抜ければ秩父鉱山です。小倉沢小中学校はそこから車で5分ほど北上し、川を渡る小さな橋の向こう側です、現在は勿論立入禁止と成っています。
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