佐賀県│向山炭鉱跡
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 樋口工業株式会社 向山炭鉱跡
2012.02.26 - 追記エントリーをしました、最後尾をご確認下さい。
画像を追加しました、伊万里の川南造船所が解体された今と成っては関連施設で唯一残る軍需遺構。現在のところこの向山炭鉱跡が解体される事は無い様ですが気に成る方は早めの訪問をオススメ致します。追加された画像とテキストは最後尾に。
2012.03.24 - 追記エントリーをしました、最後尾をご確認下さい。
画像を追加しました、伊万里の川南造船所跡(解体済み)東数百メートル先の海岸に残る向山炭鉱跡の写真です。今回は干潮時の訪問と在ってウェブ上でも珍しい遺構の直前撮影、余り見ない向山炭鉱跡を最後尾(スクロールして下さい)にてどうぞ。
幾つかの廃系サイトで見ていたこの場所、向山炭坑跡。歴史は古く1912年に向山炭坑はスタートした、隣接する川南工業浦之崎造船所跡を擁した川南工業株式会社がこの向山炭坑を一時経営下においたのは有名な話。この辺の歴史に関しては後ほど語る。
伊万里造船所を後にしてやって来た向山炭鉱の姿は日の出前とあって少し神秘的だった、それでは早朝の向山炭坑跡の散策を早速はじめようか。
海岸には無数の石炭関連の廃石や鉱物が転がる、当時掘り出した石炭を石炭と石炭以外の鉱物で選別し、それから捨てると言うプロセスを行っていた。軍需炭坑として稼動した際に軍部から「鉱滓(こうさい/俗に言うスラグ)は海にでも捨ててしまえ」との命令でこの向山炭坑跡の海岸と海にはこの様な状態で鉱滓だらけの風景と成ってしまった。
九州では「ぼた」と言うそうで1950年代中盤時期には同地区内で10社程在った炭鉱の中で一番汚い炭鉱場と評されていた様だ。
雨が混ざる早朝、予定していた写真が撮れない事にガッカリしてしまい殆ど写真を撮らなかった。朝陽を取り入れた写真が撮りたかったのに…しかも時間が早過ぎて光量が足らなかった。完全なる失策…と、言う事で後のレポートの為に色々と海岸を調べてみた。
満ち潮の時は随分と陸地付近に波が達する事は容易に予想出来た。植物の成長と岩の侵食を見ればどの程度まで海が迫るかは簡単に知る事が出来る。今回は引き潮の様だった、引き潮の時でさえ海の中を見つめると随分と鉱滓が沈んでいるのが解る。この分ではどの位の距離まで鉱滓を海に捨てたのかが気に成るところだ。
因みに伊万里市は伊万里焼の窯業で有名だけど炭鉱産業でも一時代を築いた地域だ、19世紀始めには炭鉱産業が開始されていた事からも潤沢な石炭資源が在った事に成る。
陽が昇り、随分と明るくなって来た。薄暗くて形が良く解らなかったコンクリート製の遺構もハッキリと解る明るさだ。この遺構は積込用桟橋の一部が残ったもの、形状から巻座も在った様に見える。
この様に海岸沿いに炭鉱施設が在るのは当時では珍しく、僕も余り知識が無いのだけれど大好きな北海道の産業遺構の本を読んでいる時に知った白糠炭砿が海上炭鉱なので当時の海岸、海上炭鉱の技術を再度調べてみたいと思う。
最後にこの向山炭鉱について少々歴史を語ろう。
そもそもは西分炭鉱を経営する金桝宮次郎が1911年までこの場所で炭鉱業を行っていた、しかし減産の為に同年に大阪の炭鉱会社がこの炭鉱を買収。
この炭鉱場を買収した人物は石炭商社として大きく成功していた村井吉兵衛、同時期にこの鉱山場を含め、住ノ谷炭鉱と八幡山炭鉱を買収。八幡山炭鉱を本部としてこの伊万里の地で経営に着手した。1912年に西分炭鉱で新鉱を開坑、ようやく「向山炭鉱」と言う名称が誕生する。
1937年、川南工業株式会社が村井吉兵衛よりこの向山炭鉱を譲り受け、「川南工業株式会社向山炭鉱」と成る。
1951年には独立した炭鉱会社として運営し、新規事業(石炭鉄道輸送)に着手。1953年には炭鉱業の拡大を図り、立岩、追崎第五場開発に着手した。この炭鉱業拡大が災いしたのかは不明だが翌年の1954年、向山鉱山株式会社は向山炭鉱を閉山した。
翌年の1954年、樋口工業株式会社が新向山炭坑に着手。新西坑開発、一枚坑開発を経て炭鉱経営を模索したが1963年、長い歴史を刻んだ向山炭鉱は完全な閉山と成った。
その後は50年近く放置され、造船所とセットで廃墟見学の人気スポットと成った。しかし造船所とは違い、地味な概観と「道路から見えるけど行き方が解らない」といった理由から廃墟人気が一段落下した最近では行く者が少ない。
ここ、本当に面白いです。綺麗だし史実が興味深い。関連する歴史を知れば尚面白い、それに写真には撮ってませんが関連遺構がまだまだ在るのですよ。気に成る方は是非調べて実際に発見する楽しみに触れて欲しいと思います。
追加調査+追加写真│追加レポート 2012.02.26
絶賛解体中の川南造船所跡の関連物件としてご一緒する事の多い向山炭鉱跡、解体で揉めた造船所跡と違いこちらの物件は余り語られる事が少ない。
今回の解体予算の中にはこの向山炭鉱は含まれて居なかった様だけど今後、この遺構がどの様な運命を辿るのか。興味深く追って行きたいと思う。
さて今回は。
以前の訪問時は天候に恵まれなかったので再訪の際に撮影された同時刻の美しい朝焼けを4枚追加掲載した、やはり雨天とは全く違う表情を見せてくれる。
お隣の造船所跡はウェブ上でも現場でも大騒ぎだった、一方此方の向山炭鉱は麦茶にメントス。別段何も変わらない廃墟美をいまだ見せてくれていた。
追加調査+追加写真│追加レポート 2012.03.24
とうとう解体された川南造船所跡、その関連遺構として取上げられる事の多いこの向山炭鉱跡は朝焼けの美しさで定評が在ります。なので来訪時はいつも決まって早朝だった訳ですが今回は偶然にも干潮時、つまり遺構のギリギリまで近づけるのですよ。
いや、寧ろオサワリおっけー。
ぎゃーす、こりゃ見た事ないぞ。いや、そうなのか…ココまで近づける物件だったんだ。なーんて思ってたらドイツ人の廃カーさんがずっと前に撮ってるじゃーん。
Abandoned Kansai - Mukaiyama Mine
http://abandonedkansai.wordpress.com/2011/06/30/mukaiyama-mine
-向山炭鉱/
NU☆KA★ってる。
正直に言えば造船所のついで物件だっただけに今後この向山炭鉱に行く事は2度とないと思う、欲しい写真も撮影済みだし近くに良物件が在る訳でもないですし。
解体予定は噂さえ出てないこの物件、まだ行った事の無い廃カーさんは早朝の朝焼けがオススメです。しかし造船所跡の緑地公園化が終了したら既存の道なんかはどうなるんだろう…。
アプローチ
国道204号線沿い、松浦西九州線浦ノ崎駅から徒歩5分~10分の距離に在ります。川南工業浦之崎造船所跡が道路沿いなので直ぐに解り、向山炭鉱へは進入ルート途中の分岐で左に折れれば簡単に解ると思います。
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