山梨県│上暮地の石碑
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 上暮地の石碑
※ 情報内容を2014年4月現在の物に更新し、テキストも再構成しました。
前回のエントリー、旧八坂集落のレポートはお楽しみ頂けたでしょうか。富士山麓にはまだまだ謎の多い地区や言い伝え、大好きな富士の樹海(青木ヶ原樹海)が在りますが今回は富士山麓へ行った時のオマケ報告と成ります。
前回のエントリーはこちら。
前回の発端だった「富士山の麓の孤立した集落」、「本当は恐ろしい山梨県」などのウェブ上での噂。実は近隣区域にもう一つ在りました、具体的な題名や言い伝えが無いのですが以下の様なレスがコピペされているのが目に留まったのです。
35.513749,138.810925
地元の者だが、この道の先(指してある所)にはどう見ても日本語じゃない正体不明の石碑がある。ガキのころ一度行ったことがあるが、もう不気味超えて怪奇だよ。
熊とかハチとか地元民の目がこわくなければ見に行ってみるもよろし。
ふむ、こりゃ場所も三ツ沢集落の調査区域から程近い。車でギリギリ行けるっぽいしオマケ物件として見て行くかな。それにしたって圧倒的に情報量が少ないのはお宜しく無い、まずは考察とウェブ上で拾える情報を集めてみようか。
まずはウェブ上で示されているこの物件の住所を。
山梨県富士吉田市上暮地
地図リンク
http://yahoo.jp/xhKPeh
※ 2013年に地図が改正されてこの砂防ダムへの廃道が正確に記される様に成りました、国土地理院の地図や紙媒体の地図では砂防ダム付近の道の描き方が随分と違う事に気が付く筈です。
番地は振られていない、国土地図で見ると砂防ダムが幾つか見て取れるので国土交通省は山間部用の区分け番号を振っているのかも。確か東電の関係者から鉄塔を建てる時のほにゃららを聞いた事が有ったけど同じ様なモノだろう。
しかし地図で確認する限り道が途中までしかないな、林道自体も途中で終わってるのだろうか…。更に登山系の地図を見ると別ルートの登山道が存在し、合計3本の枝が確認出来ていてそのどれからもアクセスは出来そう。今回は一番距離の短いと思われる集落(上暮地7丁目区画)からの伸びる林道を選択、後にこの道はこの先の砂防ダム建設の為に使用された工事車両の道路だと知るのだけれど。それも今と成っては廃道と成っている様でして、これは以外と大変なアプローチに成るのかなぁ。
それでは考察に入る。
山岳地域での集落は山岳信仰(巨木や単一の樹木、川や石など)だった事が多い、日本固有の神道として道祖神は古来から存在している。
道祖神 - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e9%81%93%e7%a5%96%e7%a5%9e
ウィキ内にも在る様に道祖神とは路傍の神様だ、「集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神様」とある。山岳信仰としてこの様な道祖神を石としたり石像として加工したりとても歴史の有る文化と言える、そしてこの地域は日本一の標高を頂に持つ富士山の山麓。
山岳信仰として付近の集落が道祖神を村単位で崇めていた事は容易に想像出来る。
もう一度航空写真を見てもらおう。
うん、こりゃ集落の端だーね。ウィキの説明とも一致する、こりゃ今回の元ネタを投下したレス主に一杯喰わされる可能性も出て来たなぁ。
行ってみたら道祖神の石碑でした…ってんじゃ面白くない、何か無いのか…この付近に言い伝えとか何か2828出来て2424な情報は。
グーグル先生、何か頼むっすよ。
キーワードは幾つかある、「上暮地」、「道祖神」、「石碑」、「石像」、「山岳信仰」、「数見川」、「神道」、「伝承」…
他にも幾つかワードを組み合わせたり滅多に使わないグーグルさんの検索方法だったり、それでも有力な情報は見つからない。地元の歴史をまとめたPDFファイルにも目を通すが行政が発表してる範囲に留まっている(行政にはすでにこの地区について問い合わせ済みで詳細な歴史は把握していないとの事)、結局はこの物件のネタ元はレスのテキストしかないのだ。
「地元の者だが、この道の先(指してある所)にはどう見ても日本語じゃない正体不明の石碑がある。ガキのころ一度行ったことがあるが、もう不気味超えて怪奇だよ。」
地元なのに一度だけ?なのに結構場所とか正確に覚えてる?知識不足の為に楷書系のフォントを日本語として認識出来なかった?しかし書き込む時点でそれなりの知識(普通の大人としての)が有れば神道や道祖神の可能性を思い浮かべる筈だ、胡散臭いけどまあ現地に行けば解るだろう。
そもそも”どう見ても日本語じゃない”ってのは如何にして判断した物だろうか?日本は世界的に見ても象形文字と記号文字を並列使用している珍しい文化を持った民族だ、まあ象形文字に親しんでいるんで石碑に使用されそうな漢字書体(旧字や異体字)なら読めなくとも中国由来の漢字書体だとは判別出来る筈(レス主がよっぽどのアレじゃなければだけど)。難読書体も石碑には多いが現在数百と確認されている国内で流通した旧字書体(地域限定の変形異体書体は別)などを含め、現代教育を受けた成人が”日本語ではない”と判別する書体は無い。断言出来るが無い、読めなくとも”旧字”か”異体字”などの難読書体だと判断は出来る筈なのだ。
まさかこんな日本の山奥でヘレニズム期のヒエログリフやデモティックが書かれた碑文が在る事も無かろうて、しての書体の正体とは一体…。こればっかりは現地で確認しないとなんとも、その場で解らなくとも民俗学が強い大学関係者などにお伺いを立てれば解らないって事は無いだろう。
机上調査では眉唾系の古史四書でも有名な「竹内文書」や「宮下文書」なんかも絡んでくる、また富士吉田市には「徐福伝説」なんかも在って一筋縄ではいきそうも無い。
って事で。
実は旧八坂集落(三ッ沢集落)の調査より幾分早い時間帯に訪問した今回の謎物件「上暮地の石碑」のレポートをお届けしよう…謎は解明してないよ。(震え声)
やって来ました、上暮地。来て見ると普通の小さな市街地を抜けて最後の家屋から更に細い獣道が残っている感じ、そしてゲートで封鎖されていて「こりゃ駄目なのか?」と思ったら…
「開けたら閉めてね(はーと」
※ 害獣侵入防止の為の策で元々施錠されたゲートでは在りません、バイクでも途中まで行けます。
って書いてある。普通に入って良いみたい、直ぐ脇に何やらアナウンスボードが立てられているので見てみる。
帰宅後にちょっと調べてみた、ここから続く道は元々登山道として随分昔に開かれた様でして。実はこの先に車で突っ込んだのですが前日までの雨でマディ、引き返せなくなる前に途中で駐車。しかし砂利道や丸太橋を更に進むと舗装道路は続いていた、コレは廃道…?
※ 現在は廃道、後の調査で元々は砂防ダムの建設用工事車両が走る為に整備された道と判明。
兎に角ここから続く道、それは随分と前までは迂回路が在ったにしろ車でもう少し奥まで入る事が出来た様なのだ。
そして描かれた滝の数々。
その先に「石碑」は本当に在るのだろうか。
車を突っ込める所までスタックしながらグイグイ入って行く、こう言う事もあろうかと本日はジムニーさんの出動だったので意外と安心してマデイを攻める。
暫く走って流石にキツくなった手前で車をデポ、そこからは徒歩に成るのだが地図には描かれていない枝(脇道や細い作業道)が数本確認出来て既に怪しさは鼻を付く香りを放ちはじめていた。廃墟と成った作業小屋を過ぎて小さな丸太橋が見えて来た、ここから本格的な廃道が始まる。
暫く獣道を歩くと大きめの丸太橋が見えて来た、その先にはなんと舗装林道が敷かれている。これは…。
うん、恐らくだけど。崩落か何かで分断されてこの形に成ったのかも、現地調査が不十分で帰宅後の机上調査が上手い事行かなかった。そして地域の古い地図が見付からず、未だこの道の正体を確認出来ていない。
追って調査、報告したい。
※ 現在は廃道、繰り返すが後の調査で元々は砂防ダムの建設用工事車両が走る為に整備された道と判明。
いつもの。
先程から見えていた黄色い看板、どうやら熊さんがサプライズする場所だと注意してる。登山ならベアベル、爆竹、アームガイドマウントのスリングショット、熊撃退スプレーなどを用意するのだけどなぁ…。
近年熊とのエンカウント率の上昇が山屋や沢屋に情報として入ってきます、北海道ならヒグマなので諦めもつきますが本州全土はツキノワグマ。対処すれば生存率も上がります。
熊鈴、実は大きな音が出るものは避けた方が良いです。これは人間側の可聴域を阻害します、音が小さくても熊って捕食中以外は結構聞えているのですよ。次に爆竹、コレは見通しの悪い場所で使用します、熊と出会ってからでは在りません。あくまで此方の存在を知らせる為の爆音です。
ココから切羽詰ってくる場合ですね、まずはスリングショット。正直効きません、イノシシや猿ならまだしも熊にはピンポイントで目に当てる技術が無いと…まあ気分的な物。それでも海外製のスリングショットだと殺傷能力(人間なら)は月に代わって月光蝶レベル、月光蝶でも倒せない熊が強過ぎるんですわ。
最後の手段、熊撃退スプレー。コレ高いです、1本15000円位するし…それでもコレで助かっている人が結構居るので熊の生息域では是非ホルスターに差し込んでおきたいアイテム。
で。
この日は活動が活発な朝方でしかも上記の用意はしてこず、逢ったらアデューです。
この風景には正直ドキっとした、廃道化した舗装道路が斜面にへばり付く様に延びていた。向かって右側は崖と成っていて数見川が流れている。扇状地で形成された集落からこの様な地形に変わると言う事はここは谷で今後はこの谷を詰める様に”登らなくては成らない”と言う事だ。つまりは登山…
そんなん用意してねぇ。
地図で等高線を確認すると緩やかでは在るけれど確実にこの谷を詰めて行く事に成る、しかもゲート入口い設置されていたアナウンスボードに記載されていた一・二・三崖滝の一崖滝からは急激に斜面を攻める事に成りそうだ。
こりゃ困った、今日は登山装備じゃないだよ。これから取材撮影控えてるしどないしまよ、いやホント折角来たのだから石碑発見までは漕ぎ尽きたい所なんだよなぁ。
ガードレール…だと…?
帰宅後の机上調査でこの先に有る数見川砂防ダムの建設時に敷かれたアスファルトの作業道だと解る。1988年に砂防ダムは完成しているのだけれどアスファルトは凡そその1年前と成る1987年事から工事が始まったそうだ。
しかしそうか、それならばダム建設前と建設後の地図を入手すればこの道の正確な正体が解るかもしれないな。これは宿題としよう。
更に続く。
航空写真で確認出来る砂防ダム、かなり大きい。地図上ではそろそろ見えてくる筈だ、そして2013年辺りから描かれ始めてた対岸の林道も気に成る。この砂防ダムの向こう側なのだが現地では全く解らなかった。何より訪問当時(2011年)はその林道の存在自体知らなかったので意識もしなかったけど。
数見川砂防ダムに到着、場所はこの辺だ。
地図には砂防ダムが描かれている、正直に言うと現地に行くまでコレ何だろうと思ってたけど。しかしこの場所に大規模な砂防ダムとは…扇状地下方への川の氾濫を懸念しての設置だとは思うのだけれど過去の歴史を振り返ってもこの場所で大規模な洪水災害は記録されてないんだよなぁ…、しかもこの砂防ダムに関する資料はオンラインには殆ど存在しないってのも何か引っかかる。っつうか砂防ダムを作る為に往来しただろう大型トラック達が走れる車幅が無いのは一体どういう事なのだろうか、4トンクラスでもキツイぞ、ここの車幅…、もう色々とワケが解らんですわ。
※ 2014年現在、周囲の山間部の開発が進められています。近い未来で風景がガラっと変化する可能性も出て来ました。
滞留してますねぇ、砂防ダムってゆうよりは小型の通常ダムみたいな雰囲気。数見川自体がとても流れの緩やかな川だけれどこの砂防ダムによってその流れさえも更に抑制されている、そこまで怖い川に見えないけれど地質学的に災害を及ぼす恐れでも在るのだろうか。
さて、少々の休憩をとってココから更に山深く成って行く廃道を歩く。傾斜も厳しく成るのが心配だ、と言うのも幾回か書いた”登山装備”ではないって言う不安要素。沢屋や岩屋など総じて山屋はビビリが多い、ビビリと言っても度胸的なモノでは無くて山の怖さを色々と実体験で知っている事に所以する。
その心は天候だったり野生動物だったりGPS不良だったり、兎に角どんなにレベルの低い山でも”山”なワケで。だからトレッキングシューズ(ブーツ)じゃないとかザイルとかATCとか、ホントに普段持っている物が無いだけかなり神経質に成るのです。普段からクライミングやらボルダーな沢歩きをしていると”気合一発”より確実なビレイとカチガバ確保、そして道具。
そして結局この不安要素を拭い切れず僕らは途中で撤退する事に成ります。
うわぁ…(色々な意味で)
核心に迫る、この橋を越えると最初の看板に在った「一崖滝」が見えて来る筈だ。更に進んで「二崖滝」、「三崖滝」と進めばお目当ての「石碑」が見えて来るだろう。
在った、これが「一崖滝」だ。
この辺を更に調査すると山梨県はこの上暮地をどうやら観光地化したい意向の様だ、関連するPDFが落ちてたので幾つか掲載しよう。
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/div/toshi_p/pdf/machidukuri/kamikurechi1.pdf
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/div/toshi_p/pdf/machidukuri/kamikurechi2.pdf
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/div/toshi_p/pdf/master_chiiki/kamikurechi_kousouzu.pdf
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/div/toshi_p/pdf/master_chiiki/kamikurechi_kadai.pdf
つうか。
この滝の詳細も殆どオンライン上に存在しない、数人の方がこの一崖滝には訪れている…が。その先の滝の詳細や写真も見つける事が出来ないのだ。入口ゲートのアナウンスボードを設置した「一・二・三崖滝保存会」もその活動実態が掴めない、こりゃあ…。
さて、だ。
実はココまでやって来て問題が発生した、道が…道が…。
そう、通常の登山スタイルなら前々余裕なのに今回は三ツ沢の取材がメインだった為にプレスで行動する様な普通の格好。マディの急斜面が登れないのだ、そして熊対策も無し。
事故や怪我で取材をブッチする訳にも行かないのでココにて撤退を決定。
よし、決めた。
石碑も碑文もそしてこの滝も、まとめて面倒みましょうじゃあ在りませんか。
って事で再訪決定です、噂の実態その真実を明らかにこの物件は徹底的に調べ上げようじゃねーですか。まあいつに成るかは解らんのだけれど、その内やります。多分。
って事でまずは机上調査でこの付近の地域民俗学を浚ってみる事に致しましょうか。
八十八大師
三ツ峠の大師石仏は81体が保存され、中央に1塔にまとめた「遍照金剛八十八躰施主現当二世安全」の石碑が建ててある。
三十三観音
遊歩道の周辺には33体の石仏が祭られ、「三十三観音」と呼ばれている。数年前までは22体しかなかったが、「かつての姿を取り戻したい」と、地元有志が欠けていた11体を新たに設置した。
これらの事から今回の目的だった「石碑」が上記2件に関係する空胎上人かその一派が彫った物じゃないかと推測する、実物を見てないので何とも言えないのだけど個人的に興味が在るので調査を継続して行きたい。
因みにこの付近の歴史をまとめたページが在ったので下記リンクから参照してみるのも良いかと。
http://www.lib.city.tsuru.yamanashi.jp/contents/history/another/kingendai_set.htm
こいらの山行も色々と興味深いので一読して欲しい。
http://yuyusyumi.hobby-web.net/yamanikki/gazoutukiyamanikki/fuji-ga-ya/mitsu583-1.htm
取材の待ち合わせ時間までまだ余裕が在る、「んじゃ行きますか…」取材班3人は三ツ沢の解明前に関連する同地区の廃村「御弟子」に向かう事にしたのでした。
次回廃村「御弟子」集落でお逢いします。
アプローチ
中央道河口ICから国道139号線を北上、上暮地の集落入口から数見団地を抜けて行き止まりまで。ゲートは自由に出入り可能、開放は厳禁、通行後は必ず閉める事。基本整備が入って居ない場所で熊出没区域です、何が在っても自己責任で。
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