岩手県│ラサ工業田老鉱山跡 竪坑巻上施設
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 田老鉱山抗口跡 竪坑巻上施設
正直今回紹介する場所を廃墟系サイトで見掛けた事が無い(2011年現在)、その位田老鉱山に在って知名度がない関連物件を取り上げて見たいと思う。その存在自体、僕も現地に行くまで気付く事が出来ないでいたのでレポートは全て帰宅後の机上調査で明に成った物。
※ 2013年頃にはとうとう廃墟好きさんに見付かってしまいました、がココの撮影許可ってとても難しいプロセスがある筈なのに他の方はどうやって申請したんだろう…その辺は後述します。
選鉱所跡から北西に山岳作業道を2キロ半弱歩くとそれは見えて来る、と言っても幾つかの分岐やブッシュに阻まれた旧道も通るので本当に解り辛い。見付けたのも別物件の調査中に偶然ってなもんでして(※1)、実は田老鉱山の中でも歴史が在るその廃墟の正体を先に記載してレポート開始と行きましょう。
「田老鉱山 初期抗口跡 竪抗巻上施設」
今では関係者も来なくなった山中に佇む廃墟にお邪魔しましょう。
※1:関連施設及び敷地内の撮影許可は事前に取ってあります(この廃墟の発見自体は偶然でした)
今までの関連エントリーは以下より。
実はですね、この場所に至るには一部私有地(山岳所有地)を跨ぐ事に成ります。どういった経緯で明星大学から敷地を入手したのか解りませんが不明瞭な敷地を含むと言う事で地図の記載を控えます、ヒントとして下記グーグルマップのリンクを置いておきます。(写ってます)
※ この場所へ行くのが難しい要因、それが通過しなければ成らない一部の私有敷地です。
田老第二小学校跡の手前の分岐から右折して作業道に入る、ここからは普通の車では少々厳しいので軽トラか四駆、2輪ならモッサーでどうぞ。
長内川を渡る「砥澤橋」、迂回した川を再び渡る「中砥澤橋」を超える。小学校に裏手からアクセスする廃道手前に車を止めて徒歩で向かう事にした、何せ本当に道が悪いのなんの。因みにこの駐車した場所に廃神社が在る、現在は階段と狛犬を残すのみ。残念な事に神社の正式名称が解らず、解りそうで中々ハッキリしない物件って以外と多いのです。
写真はかつてこの先に抗口が在った事を示した看板の名残、2つ目のT字路を左に折れるとこの場所だ、更に次の分岐左に折れる。
photograph : saorigraph
そこから少し歩くとブッシュが薄くなり、轍の在る旧道に出た。更にヒントとしてこの時点で長内川は左手斜面下に、進行方向は小学校跡の方に向いている。つまり巻いている状態だ、この場所で山岳内の一般所有敷地は抜けていて元の明星大学敷地内に成っています。
どちらにせよ無許可の撮影や来訪は通報対象だそうです、2012年からは選鉱所跡を含む区域警備も強化され、この場所も警備対象と成る様です。管理会社の担当さん曰く、既に監視カメラも区域に内に設置済みだそうですよ。
photograph : saorigraph
最後のカーブ手前に古い鉄製のワークデスク、右に折れると坑口跡と竪抗巻上施設が見えてきます。
抗口には施錠されていますが許可を取れば入る事は可能です、縦坑約200メートルの地下への口が今でも残っていますが安全上の問題で部分的に塞がれてしまいました。
photograph : +10
坑口から対角線上に外部巻座台が残り、更にその奥の施設へをワイヤーを伸ばしていた事だろう。簡単に言えば台座付きの釣りのギミック、それではその釣り糸を巻き上げるリールを見るとしましょう。
竪坑巻上施設内部の2階から、中央が巻上機。
この抗口は初期の頃から稼動していたのだけれど1961年の三陸フェーン大火で選鉱所が全焼した時に一緒に被災、新設されて機器も翌年の1962年に操業再開と共に新たに導入されました。
2階反対側から。
この施設は巻上機能のみの施設(+巻上操作室)なので規模としても小さい物件、見所が特に在る訳では無いけど余り知られていないって点で撮影に来る価値は在るかと思いますよ。
内部巻座台に残る巻上機、写真でも解る通り日立製作所が納品している。製造年月日も操業再開の年と合致、その他の機器(誘導電動機、発電機やコンプレッサー)も同時期に日立が納品した様だ。
photograph : saorigraph
地元新聞社さんから頂いた資料から幾分か当時の稼動状況を推測する事が出来る、1962年の操業再開から設置されたこの施設。竪坑から約50メートルの抗口の方向とリールの巻上げ方向が一致する事からこの竪抗地区が重要な施設だった事が解る。
このリールのワイヤーは直線状に口を開けている引き込み窓から抗口に一直線で伸びていた筈だ、錆びたガイドローラーの方向も一致していた。
巻座は腐食しているけれど強度はまだ残っている様だ。
勘違いされそうだけれどこの巻上施設がこの物件のメインではない、メインはあくまで竪抗だ。提供された資料によって深さが異なるのだけれど280~320メートル位まで掘り進められた、残念ながら抗口は鉄板で閉鎖されている。
手前に見えるのは日立製三相誘導電動機(発電機)だ、こちらも資料を確認すると電圧3000ボルト、出力200キロワット。確かに大きな出力だけれど同時期に稼動していた鉱山と比べるとやや少ない。
こちらはエアコンプレッサー、当時としても結構大きいタンクが設置されている。ここで蓄積された圧縮空気は坑道内の打撃式削岩機の運用に使用された、現在ではこのタンクより小さいサイズで数倍の力を生むコンプレッサーも在る。
1階と2階の間に浮く様に残る中二階の施設はこの巻上重機の操作室、坑道内を計器でモニターしつつ眼前のリールを操作していた。
操作室、見るからに随分と古い形式。1962年と考えても技術的に時代遅れのギミックを使用していた様だ、この施設に関しては提供された資料だけで十分な調査が出来なかったので今後機会が在れば詳しく調べてみたいと思う。
因みにこの巻上施設を含む竪抗地区は狭い様で実は広い、今は残っていないが稼動当時は他にも幾つかの建造物が設置されており、また竪抗も現存するよりも規模が大きかった。これらは今と成っては確認する事は出来ないがその名残は散見出来る、ただその遺構を探すのは更に藪漕ぎが必要なのだけれど(※2)。
※2:これらの遺構は斜面と藪の鉄壁防御で見付けるのがとても困難ですが現存しております
お問い合わせ頂いた内容について(2013年現在)
今年(2013年)に入ってからこの施設に関して数件お問い合わせを頂きました、どうやら当ブログの他にもこの場所について記載しているサイトが在るとか。で、そこでは「巻上室」と言うのが紹介されているがこの施設と何か違うのか、と。
確認しましたが呼び方が相違しているだけで同物件です、と言うより「巻上室」と言うのは存在しません。この物件は「ラサ工業田老鉱山 竪坑地区 竪坑巻上施設」が正式名称の様です(資料確認)、またエントリー内に追加情報を記載しました。
最後にもう一つ、これも問い合わせ内容に在ったのですがこの場所。ウェブ上の地図には記載されていません、「どうしても建造物が見つけられない」との事ですが一般的に使用するヤフーマップやグーグルマップ、大正義の国土地理院の地図にもどう言う訳か掲載なし。うーん、コレに関しては解りませんです。
アプローチ
土地管理者諸事情の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
土地管理者諸事情の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
photograph - nee
ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい