千葉県 │ 君津エースゴルフクラブ - 夜撮
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 君津エースゴルフクラブ - 夜撮
2015.12.27 - この地理的な歴史検証を記載しました
追加情報としてどの様にこのゴルフ場が建設され、そして中止に至ったのか。またどの様な経緯で現在の再開発と成ったのかを地理的な歴史検証と共に追加エントリーしました。
上の「追加エントリーバナー」をクリックすると追加記載に移動します。
2015.01.25 - 再開発が開始されました
長らくと放置されていた廃橋でしたが別荘地開発が始まりました、現在立派な”現役橋”として復活しました。2015年07月より翌年2016年01月までの半年間で整地される予定です、登記関連の情報を一応記載しておきます。
事業主:君津エース株式会社(昔のゴルフ場建設時とは別の会社です)│松島和雄
施工者:2015年03月までに決定
管理者:木津雅洋
現場にはプレハブ小屋も設置され、橋は工事関係者が通行する為に鉄板を敷かれました。一般の通行は不可、関係者と工事車両のみの通行です。今後登山道の変更などが予想されます、またオフの天然練習場としての役目も終焉を迎えました。
2013.05.30 - 私設道板の設置を確認しました。
入口からゴルフ場内まで廃橋上に事業計画と関係ない私設の道板が設置されている事を確認しました、2013年初頭には無かったのですが現在は木板が並べられて容易に渡れる様に成ってしまいました。またH鋼上には親綱も張られています。
この板の設置によって装備をしなくとも橋上に至れる為、落下事故などの心配が予想されます。オススメはしませんがもし行かれるので在ればシッカリと装備をした上で行かれた方が良いと思います。
スッカリとラペリングや初心者の高所登攀練習の場と化した君津エースCCの廃橋、今回は夜間にアッパーライトでこの廃橋を撮影しようとゴールデンウィークにやって来たですよ。本当はバルブで星をグルっとヤリタカッタのだけど運が良いのか悪いのか、数年に一度のスーパームーンど真ん中。長時間露出が不可能なので月が低い時間帯に短時間撮影に挑みました、その代り代替案として馬鹿な企画写真の撮影にも挑戦。
それでは早速…っとその前に。過去の関連エントリーを、以下リンクよりどうぞ。細かな歴史やどの様な経緯を辿って現在に至るかを詳細にレポートしております。
今回の夜景撮影の為に用意した物を参考までにリストしてみよう。
・バッテリーインバータ(死にそうなバイクのバッテリー搭載)
・200W野外ハロゲンライト
・3000ルーメンワイドライト
・1800ルーメンビームライト
・200ルーメンワイドライト
それと登攀用には、いつものラペ用の装備。比較的低い部類に入るこの廃橋も初心者さんには結構怖い様で、今回は高所初挑戦の弟子(♀2*)を伴っての撮影なので何時もより多少の重装備と成った。岩屋や沢屋なんかはその間々丸腰でホイホイだけれ暗い時間帯はどうしても危ない筈。
そんな訳で君津エースCCの廃橋の「夜撮」と「オマケ企画(実はコッチが本命)」をエントリー致します。
まず今回訪問して驚いたのがアクセスする道が綺麗に整備されていた事、以前まで工事中止から放置されていた看板やガードレール、その他の廃棄物が綺麗サッパリと撤去され、草刈までされていた。廃橋入口のブッシュも取り払われ、新緑の季節だと言うのにゴルフ場入口までの前方正面がこの通り見開けている状態。何か動きが在るのだろうか、とうとう産廃施設が建設されるのかな。
※ 競売物件との情報も過去掴んでおり、2012年の3月頃にこの土地が売却されたとの噂も不動産関係者経由で聞いております。近い内に何かしらの動きがあるかもしれません。
無限の可能性を感じる
やっぱりこのアングル素敵だわ、なんて素敵なんだろう。じっとしていても手を見るかヒルに血を吸われるかしかない…まずは獣道を下って川まで降りたワケだけど。
前日までの雨でマディコンディション、滑る滑る。ホンマ、つんつるてんやで。
※ 下に降りる道は登山道とは別に工事中止後に来訪者が踏み固めた(と、言っても薄い)獣道とバイクが降りるオフ道位、斜面が緩いので降りようと思えば何処からでも降下可能です。
初めてこの廃橋に訪れた頃から自然に呑まれている状態をずっと夢見てた、やっと見る事が出来たよ。廃橋と緑は正義だな、美しいよ。
そう言えば今年は4月初旬にはヤマビルが活動を始めていてこの場所も既に蛭クライム状態、以前別の物件で紹介したヒル対策を再度掲載しておこう。
※ とにかくヤマビル天国
繰り返します、この場所はヒルの生息地としてハイカーにも知られていて恐ろしい程の攻撃を受けます。歩いていても眼を離した数秒でブーツに取り付き、10秒程撮影の為に足を止めると10匹ほどがニョロニョロと登ってきます。
そこで山屋さん沢屋さんが愛用している自家製忌避剤をご紹介しましょう。
自家製のヒル忌避剤ですが羽虫、蚊、アブ、蜂(種類により効果に相違有り)などにも効果が在ります。忌避剤なので寄って来ない(刺され難い)為の物ですが刺されたあとの消毒にも効果的です。
用意するのは「ハッカ油」、「エタノール」、まあ他にも色々とレシピは在るのですが基本形はこの2種類の薬品。
総量の10%をハッカ油として調合して下さい、ブーツやタイツ、靴下などに事前にスプレーすれば忌避剤として15分~30分程度の効果が在ります。また登ってきたヒルに一吹きすれば脅威の効果でポロっと落ちます、血を吸われている最中でもポロリするのでホント便利。
因みにエタノールには通常「無水エタノール」、「消毒用エタノール」、「消毒用エタノールIP」と3種類が売り場に並びますが買うのは後者の2種のどちらか。
無水エタノールは純度100%ですが消毒効果などに後者2種と違いはなく、税金の問題で価格も高いです。含有成分の話を始めると実はもっと細かく再分化されるのでこの辺で、あ…粘膜にはスプレーしちゃ駄目ですよ。
※ 市販のヒル忌避剤なんて買うのが馬鹿らしく成る効果です、と言うか登山者でヒル忌避剤の市販物なんて買うのはよっぽどのアレな人位しかいません。
この他にも待機する場所の付近に塩を撒く、当日履く靴下を高濃度の塩水で揉み、その間々乾燥させて着用する、靴やブーツとボトムの隙間を布テープで目張りするなどの対策が在る。どれも沢屋や山屋の人にはご存知の方法だけれど参考までに。
(^q^)あうあうあー
君(津エース)は綺麗だ…、思わず狂って(松田シュナイダー×おんぶおばけ)しまいそうだ。(病気で)言葉が出ない程だよ、(上から万が一落下したら)来世でもまた逢おう。
そうだ、そろそろ素敵写真の用意しないとな。
何時もの岩屋の相棒なら龍角散を飲むに失敗して咳き込んでいる内に上まで登っちゃう、ゴキブリみたいに早いから見てても怖いのだが。今日は弟子(♀2*)を引き連れてなのでユックリと確実に様子を見ながら登攀する、カラビナの扱いにややタドタドしい所は在るけれど大丈夫そうだ。
※ 幾重もの安全対策をした上で行っています、無装備での登攀は非常に危険です。
弟子(♀2*)かと思ったら高所電気工事の方でした。
最上部まで登りきった、良くやった。褒美にその手を踏んでやろう、僕らの業界ではご褒美なんだぞ。
写真では結構明るいけど撮影時は既に17時を回って薄暗い、この時間の廃橋上部は空が開けてとても気持ち良い。山々に落ちる影も段々と伸びて来てそろそろ夜撮の用意もしなくちゃ成らんのだけど折角だから一服しようじゃないか。
…そういえば。
この写真を撮ってる時に丁度登山道から帰って来た家族連れが廃橋入口に、子供にガン見されて恐ろしく恥ずかしい思いをした。何故恥ずかしいかって?
それは…な…。
緊張感の在るキャンプって素敵ですよね、自然を知ると言うのはつまりそういう事さ(?)。
※ 真似すると死にます、多分絶対死にます。
※ 寝返り一瞬、後悔一生…いや後悔出来ないか、恐らく。
※ キャンプしたって言う設定です、したら駄目ですよ。
最近登ってる崖に比べれば随分と低い、そういえば以前に現役の自衛隊員と来た時、
「ここラペで降りたらどの位掛かるの?」
「まあ数秒でしょうね、子豚背負っても10数秒」
マジですか。
ああ、子豚ってのは要救助者の事。それにしても数秒かよ、トラス沿いに戦闘降下かスパイダーでもしてみますか?って言われて慌てて止めた、流石本職はすげーわ。
夜は更けて再び川へ降りた、機材を持って真っ暗な斜面を降りる(ケイビング用の高出力ハンドライトとヘッドライトは装着)。滑るわ転ぶわで大変だったがどうにか撮影の準備が整った、ホイじゃ撮りますか。
明るい大玉で撮影してみた、真っ暗な空は薄く青みがかりながらも明るく写る。風も無いので葉が揺れる事も無く撮影完了、ライトのポジションが限られてくるのでどうしてもイメージと違う画に成るのだけど及第点としよう(アッサリ)。
見上げた先の廃橋を指さし、弟子である彼女に囁いた。
「今日はあの場所で寝ると思うと感慨深いな…」
暫くの無言の時間をおいて機材を片付けた彼女は車に向かった、こちらも無言で後に続き荷物を車に積み込む。
「さあ、帰ろう」
「そうですね」
これにて本日の予定は終了、帰宅と相成りました。
再開発により2度と渡橋が叶わなくなった旧君津エースCCの廃橋、過去2回のエントリーではこの君津エースに関する詳細な内容をお伝えしてきたのだけれどそもそもはどんな場所(と、言うか地形)だったのだろうか。
ふと疑問に思ったので少々机上調査を行ってみた、このエントリー(2015年/年末)の頃には丁度再開発の為の整地工事が完了している頃だろうから記念(?)に記載する事にしよう。
1974年に撮影された航空写真、写真中央が君津エースCCと成る筈だった場所だ。1955年から数年おきに写真を確認したがこの年まで大きな変化は無い、と言うのもそれまでは房総上総のこの一帯に関しては大きな山間部産業も特に無かったからだ。
山を崩して埋め立て用の土砂にするにも東京湾までの距離が少々長い、そして道路も整備されていないと成ると江戸時代から続く小規模な製炭位しか無かった筈だ。深い山を縫う様に道が見えるのはその名残で作業道や産業道として山道が使われていた事がこの地域の歴史資料に書かれている、しかしそれも高度経済成長期に飲み込まれて殆ど使用されなく成る。
ここから一気に本来の自然の姿を取り戻す…筈だったのだけれど。この1974年と言う年、この写真の直ぐ西側で「笹川」を擁する形で「片倉ダム」の建設が開始される。
片倉ダム - ウィキペディア
萎み掛けていた山間部の産業が大きく動き出しす、そしてバブルを迎えるまでの20年間でこの付近一帯は様変わりする事に成る。
この写真、先程の1974年から10年後の同じ場所なのが解るだろうか。何も知らずに見れば此方の航空写真の方が古い時代に思えるだろう、しかし間違いなく1984年の物なのだ。
ダム(片倉ダム)建設の計画が進んではいるものの、実はダム直下と成る地域には幾ばくかの水田と畑、そして民家が数軒並んでいた。地域に関しては既にダムに成る事は決定されていた訳だから色々な誘致合戦が卓下で繰り広げられてはいたのだけど…やはり人が来る事が決定づけられないと周囲の開発も進まない典型的な計画倒れ(※1)の様相を呈していた。
なんとこのダム建設の遅れ(民家が立ち退かない)所為で道路の整備まで遅延(※2)したとの事で行政も乗り出しての工事加速計画が別途組まれる事に成る。
※1:当時、この付近に住んでいた方からの情報です。現在は県外に引越しされています。
※2:実際に予定していた道路の整備計画と異なる形で現在の道路が敷かれました。
行政、建設請負業者共に残された(実を言えば立ち退き料の高騰を見込んだ住民)土地権利者との間で1990年には大凡の天秤のブレは無く成っていた。つまりは立ち退きに納得出来る金額が積まれた事に成る(※3)、その後は転居先やその後のフォローに関する詰めが進められた様で。
人の口には戸が立てられないのは世の常、この情報をどこからか得た不動産業者が早速付近の開発に乗り出してくる。既にバブル絶頂期(経済界では破綻寸前の状態)を迎え、房総半島上総地域は「ゴルフ場銀座」と呼ばれる位その数を増やし続けていた(※4)。
※3:現地での聞き込み調査の内容です、整合性は保証出来ません。
※4:先見の明がある業者は1990年の前期で出資を停止しています、実際房総半島におけるゴルフ場建設の事業計画提出率は1990年中間決算期に激減しています。
勿論、このダム付近の山間部に狙いをつけていた業者は数知れず。ダムが出来れば産業道路が整備される→道路が出来れば新たな産業が流入してくる→インフラが整えば工事もし易く成り、完成後の来客も見込める…そう思うに十分な条件がこの土地には揃っていた。そして1991年、「君津エースCC」と言う株式会社が設立されてゴルフ場建設が開始された。
この航空写真は1994年、丁度バブルが弾けて工事が中止された直後の姿と成る。ここからは既にエントリーした過去2回の内容を見て頂ければ解るだろう、1997年に事業中止が件の企業から発表する迄3年間放置され、2000年か2001年の入口完全封鎖までの間はオフロード乗り以外は殆ど知らない山間部にただ開けた土地があるのみと言う奇妙な区画が出来上がってしまった。
因みに放置されている数々車両(セダンや工事車両)は1997年から2001年までに持ち込まれた物で橋を渡って直ぐ右側のセダン2台は工事と関係ない不法投棄だとされている、橋の鉄板撤去も同時期だとされているから辻褄は合う様だけれど…まあ他にも既述出来ない(と、言うか控えました)未確認情報もあって話題が尽きない場所でもあります。
その後は産廃施設の建設計画が立ち上がり、2012年頃から別プランでの再開発計画が発足して現在に至ります。
因みに2012年の後半には現地視察用に鉄橋上に仮歩道が組まれ、2013年中期から本格的な現地視察が開始されました。2014年には開発業者も決定して新たに鉄板が敷かれ、2015年~数年掛けて別荘地の区画整備及び建設が行われるとの事です。
無事、工事が終わったら現地視察(勿論企業に許可を取りますよ)に行ってみたいと思います。追加記載情報は以上と成ります、これ以上はもう何も出て来ないと…思いますよ、多分。
君津エースの様な廃橋を渡る事を「割橋」と私達は呼んでいます、日本に実に様々な形態の廃橋が残されています。その渡橋模様を上のバナーリンクの先で纏めていますので興味が御座いましたら是非。
2015年からの再開発で登山道以外の経路は寸断されましたが一応注意喚起の為に以前からの注意書きを残してあります、類似物件へ訪問の方は特にご注意ください。
オフ車やトラ車のアタックルートとしては比較的簡単で練習に持って来いなルートが在る為、最近では登山者の他にもアタックライダーが随分と増えた。割橋の練習中にも良く声を掛けて頂く事も増え、訪問者が多い事を伺わせる。
ただ当ブログと似た様な遊びを希望される方、写真を撮影する為に廃橋を渡ろうと考えている方は本当に安全に留意して来訪して下さい。低い低いと書いておりますがそれは岩屋や沢屋の意見で在ってアウトドアを趣味としない方にはヤハリ高所だと思います、対策の方法は各々違うと思いますが重ねて安全第一を心掛けて楽しんで下さい。
2014.09.20 - 笹川湖経由で再訪しました、その時の模様は下記からどうぞ。
アプローチ
久留里街道として知られる県道24号線を片倉ダム(笹川湖)方面へ、房総スカイライン有料道路を使えば終点(始点)が片倉ダムの直前です。県道24号線から三石山へ延びる道を暫く走ると「産廃反対」の看板が大きく立てて在ります、そこが入口です。
撮影者:nee
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