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REPORT - 0911│尾瀬の山窩集落「岩塔ヶ原」の謎を追う①

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尾瀬 山窩 サンカ 岩塔盆地 岩塔ヶ原 外田代


今回のエントリーは全4回連載形式と成っております、連載ページは以下より。初回となる今回は予備知識の為の準備期間エントリー、興味の無い方にはポカーンですが山屋さんや史跡好きさんには中々興味深い内容に成ると思います。


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群馬県│岩塔ヶ原


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 岩塔ヶ原(岩塔盆地、外田代)


当ブログで過去に「都市伝説」とされる幾つかの謎に迫ったエントリーがあったのだけれど覚えている方はいるだろうか、一時期ネット上を騒がせた「富士山の麓の孤立した集落」や登山者の中で囁かれていた「横岳南側冬季道」などがそうだ。


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これらの謎は実際に行く事で大凡の謎は解明した(横岳南側冬季道に関しては途中撤退)、行政や関係者の協力もあって色々と詳細な情報もウェブ上に公表出来た事は幸運だったとも思う。そして今回、私達「行ってみた」のメンバーは決死隊(いつものメンバーですが)を組織、新たな謎を解明する為の準備期間も含めて1年掛かりのアタック計画を立ち上げたのです。


えー、その「」ってヤツ。これを説明せねば成らないですね、知ってる方もいると思いますがまあ聞いて下さいよ、ええ。


岩塔ヶ原(がんとうがはら)


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これ、随分も昔にネット上を騒がせた眉唾物の物件※1)でして。山歩きと地域民俗学が好きな私達ですが以前よりアンテナには引っかかってはいたのです(※2)、ただその漠然とした情報とどうにも胡散臭い内容に二の足を踏んでいたんですね。騒がれた当時、


・山窩の地下の大神殿がある
・山窩の集落跡が残されている
・昭和中期に国が隠蔽した
・集落跡には石塔が残されている
・平将門の終焉の地


などなど…大凡近代の話とは思えない内容が出てくる出てくる。


※1:2001年頃の某掲示板で最初のスレッドが立てられ、その後個人サイトへ飛火した。
※2:2010年頃に再びこの地に関しての話題が某掲示板やブログで取り上げれた


そもそもこの話が話題に成ったのは探検家(登山家)西丸震哉氏の著「西丸震哉の日本百山(実業之日本社/1998年発行)」で尾瀬ヶ原の西方に位置し、非常に踏破困難な盆地「岩塔ヶ原」の記載が異彩を放っていたからだ。


アマゾン(書籍) - 西丸震哉の日本百山

http://goo.gl/zwf8b3


それではまず「西丸震哉」なる人物像からご紹介して行こう、氏は既に故人(2012年没)であり、直接本人にその真実を問う事は叶わない。


ウィキペディア - 西丸震哉

https://goo.gl/TN5dEl


ウィキペディアの既述を引用すると、


・台湾山脈、パプアニューギニア、アマゾン熱帯雨林、アラスカ、南北両極圏など世界の秘境を踏破
・若い頃から鮮明な幻覚を見る事がよくあり、幽霊やいわゆる超能力現象に興味を示
・動物の珍しい行動(タコが陸上に上がり、大根を引き抜く)も記録している
・作詞作曲から絵画まで手がける
・幽霊話はある種の神経変性疾患の症状に極めて類似している事が報告されている


うーむ、言葉に詰まる人物像なのだけれど如何だろう?特に山行記録は公式な物が存在しない物もあって何処まで本当の話かも判断しかねるし、科学的なアプローチも試みた様だけど専門分野(水産・水産製造学)以外を修めた記録も無い。


しかし探究心や好奇心に勝る物なし、行く事を決めたのだから現在残されている情報を精査して現地に挑もうと思う。


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写真引用:出版 - 現代書館/著者 - 三角 寛/サンカ社会の研究より


導入部分の説明として聊か長くはあるけれどもう少しお付き合い願いたい、まだまだ事前知識としてお伝えしなければ成らない事が山積しているのですよ。


恐らく、ここまで読み進めて「」と思っている事が一つ有る筈だ。そう、「山窩」と言う言葉だ。


山窩。


これは解釈に幾つかのポイントがありまして、うーん…どう説明しようか…。まずはお決まりのウィキペディアを参照して欲しい。


ウィキペディア - 山窩

https://goo.gl/gSFzXs


読んで頂ければ解る様に原始的な回遊農民(山岳狩猟民)だったり特定の時代においては犯罪集団だったり(所謂”山賊”的な意味も含まれているとされている)、学問や時代など提唱する立場が違うと対象と成る解釈に大きな違いが出てくるのです。何れにせよ、1950年代以降の高度成長期に飲み込まれた形で現在は存在は確認されていない様だ。


今回、私達「行ってみた」の見解としては地域民族学からのアプローチなので回遊農民(山岳狩猟民、幻の漂泊民とも呼ばれる)としての山窩(サンカ)をベースに話を進めて行く事に成ります。


※ 地域によっては方言も考慮しなければ成りません、呼称によって解釈の地域差がある様です。
※ 以下、参考にしたサンカに関するウェブサイト(一部アーカイブ化)


・サンカ(山窩)を考える(http://goo.gl/5yZWtS
・日本の古部族『サンカ』の存在を知っていますか?(https://goo.gl/cM5iZq
・サンカ研究(https://goo.gl/mIa1fM
・最後のサンカの孤独死(https://goo.gl/BkWeZR
・サンカ文字(http://goo.gl/N12Uvv


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写真引用:出版 - 現代書館/著者 - 三角 寛/サンカ社会の研究より


サンカは北海道の原住民「アイヌ」同様、文字を持たない民族とされ、テキストベースの言い伝えや文献が近代の物しか存在しない。しかもその文献も徹底した事実確認を元にされた内容ではなく、幾分にも著者の思想や推論が加味されている状態…今回の調査にあたって数社の出版社に協力を求めて参考文献を送って貰ったけれどどれも確信に迫るものは無し、うーむ。


その実態を調査したとされる資料も目を通しては見たものの…興味があれば上記の参考リンクの他にも最後尾に記載した参考文献を探してみて欲しい。いやね、今回はサンカの調査ではなくて「岩塔ヶ原」がメインな訳でして。なので予備知識としてのサンカを踏まえ、現代へ続く「尾瀬の秘境”岩塔ヶ原”」の実状をレポートしたいってのが本筋。なのでサンカに関しては各々の興味範囲内で知識を吸収して欲しい、今後は特に注釈せずに進めていこうと思う。


で、一体全体あんたらは何をしに行くの?ってな問いにお答えするとですね。こう以外にも沢山の人を魅了した都市伝説「岩塔ヶ原」と言うのが本当に在るのか、それを確かめに行こうってシンプルな動機だったりします。実地見聞に勝る調査なし、ホントかウソか…それを見に行こうではありませんか。


※ サンカに関する資料を整理して記述すると恐ろしいテキスト量に成ります、当ブログはあくまで「岩塔ヶ原」の調査を行う前提で予備知識を取り入れているに過ぎません。サンカに関する情報や知識は興味がある方各々で調べて頂ければと思います、当ブログは地域及び地形的な調査とその時代背景(地域民俗学)の遡及にあると認識して下さい。


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まずは机上調査から始めてみようか。


2001年、初のネット上での話題から現在に至るまで実に沢山の推論や検証が行われている。また謎とされているけれど実は幾つかの登山パーティが現地に赴いてもいる、これは動画でも確認出来る。レポートとしては何と話題が出て直ぐの2002年に、そこから10年経過して動画レポートも発見出来た。


父と娘の尾瀬・岩塔ヶ原スノーハイク
http://www.ctnmt.com/toriumi/trek/053/053.html


(アーカイブ取得:https://archive.is/vA6pL


このサイトでは親子で山ノ鼻山荘から出発している、猫川(正式名称は猫又川)沿いに遡行している様だけどもう少しショートカット出来るルートが在る筈。実は尾瀬の地理、こと尾瀬ヶ原周辺は良く知っている。


海外放浪の途中で日本に帰国した際に僕自身が行政の山開きに同行して5月の道開き山行~8月まで尾瀬ロッジに滞在して周辺をアチコチ歩いたり整備したりしていたのだ。なのでこの辺の地理は一般の木道他、山菜を取る為に山小屋の行政職員と一般進入禁止区域やちょっと危険な場所へも踏み入れている。ヘリでの食糧やごみの運搬、消防訓練なんかも今では良い思い出です。


っと話を戻そう、レポートを読む限りこの親子は岩塔ヶ原に到着している…が。幾つかの文献を細かく目を通すとどうやら、この樹木が密集した場所が本当の集落跡では無い様なのだ。これに関してはまた後述しよう、兎に角この場所へアタックした方々の殆どが「岩場の樹木が密集した箇所」を「岩塔ヶ原」と認識している様で。これがとても気に成っていた、違和感を感じる程に。


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こちらの方は2012年に「岩塔ヶ原」にスキーとスノーシューで赴いている、この外田代周辺は水源地保護地域に指定されている為に冬季以外の進入は禁止されている。よって行くとしたら山開き直後の残雪期しかチャンスが無い、いや勿論行政の許可を取って行く事は出来るけれど…まあ通常のリーガルルートでまずは…ねぇ。


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このパーティは翌年にも岩塔ヶ原へ赴き、その模様を動画にてアップしている。しかし、だ。ネット上のレポートや動画においても決定的な「岩塔ヶ原」を示した内容の物は皆無、如何なる写真や動画も「この辺が多分そうじゃね?」ってなモヤっとしたハッキリしない表現ばかり…こりゃ一体どういうこっちゃ。


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写真引用:尾瀬北部/大白沢・アサユウ沢~東白沢池│https://goo.gl/soM7bJ


この写真を見て欲しい、まだ「岩塔ヶ原(外田代)」が立入禁止に成る以前に撮影された非常に貴重で資料性の高いフィルム写真だ。撮影は1989年7月29日、撮影者のウェブサイトは今でも稼働しているので興味が在れば閲覧しても良いだろう。


兎に角だ、これだけ自然豊かな場所とは言え尾瀬の山深い地域。しかもツキノワグマの生息地のど真ん中で果たして人間の生活が滞りなく出来るだろうか、集落形成の為にはそれなりの道具が必要だし一番近い「鳩待峠」までも結構な距離だ。そればかりか1950年代以前であれば鳩待峠から麓の町まで道具を仕入れに行くのも大変な日数と手間が必要とされた筈…果たしてこの地にかつて人々の集落が本当に在ったのだろうか。


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この写真岩塔盆地に在るとされる「岩塔ヶ原」の写真、冬季を除く画像資料としては唯一と言って良い。動画にも同様の映像が映り込んでいるので殆どの方がこの「画」の場所を岩塔ヶ原と捉えている様だ。しかし、だ。もう一度言わせて貰えば何故大方の人々がこの「画」の場所を「岩塔ヶ原」と思っているのだろうか。


それについては実地検証を踏まえて解明していこうと思う、とまぁ…ここまでが実は導入部分なのです。長いでしょ、恐らく「行ってみた」史上最長のレポートに成ります、今までも「三ッ沢集落」や「大山祇神社」など長くはあったけれど…うん、今回は長いので時間をタップリと取ってお読み下さい(※3)。


※3:と、言っても連載エントリーなので1回の長さは通常の内容と変わりません。


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まずはこの「岩塔ヶ原」が何処に在るのか、それをお伝えしましょうか。


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場所は尾瀬だ、鳩待峠から山道に入って最初のビジターセンターがある山ノ鼻のキャンプサイトから出発する事に成る。つまりは初日に尾瀬入りし、翌日早朝から現地を目指す事に成るのだ。外田代と掛かれている地点まで猫又川を遡行して現地で一泊、調査を終えて翌日はその間々下山して帰路に着く予定だ。

大凡の場所はココ


https://goo.gl/maps/QLqKA9xcDSQ2


今後のレポートで詳細な場所を記載(※4)するけれど行政協力の下で来訪する事に成る、勿論立入禁止区域だ。熊の(ツキノワグマ)生息地でもあるので行く方も少ないと思うけれど本当に行きたいと思った方…くれぐれも自己責任で。


※4:遡行ルートなどは現地調査レポートを参照して下さい


で、この場所。色々とおかしな点が有るのです(と、言うより有った)。まず地図上の表記、これが近年まで記載なしか「外田代」と成っていました。


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現在でも国土地理院では「外田代」の表記で、オンラインで限れば他のサービス(ヤフーマップなど)も同様だった。グーグルマップは近年に成って「岩塔ヶ原」と記載している。


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上の画像はグーグルマップの表記、先程説明した様に「岩塔ヶ原」と成っているのだけれど…うん、ちょっと待って欲しい。この「岩塔ヶ原」と言う地名、実は正式な物では無い。


元々は「外田代」が正規の名称で件の西丸震哉氏の著書でサンカの集落跡とされる「岩塔」がある湿原を「岩塔ヶ原」と独自に呼称したに過ぎない、それでは何故天下のグーグルさんが「外田代」から「岩塔ヶ原」に記載する表記を変更したのだろうか?


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そもそもはこの画像、西丸氏の著「西丸震哉の日本百山」内で掲載されているこの地図が要因と成っていると考えられる。


だけれどよ~く見て欲しい、これ「外田代」は下方にシッカリと記述されていて「岩塔ヶ原」はその上方に別途既述されている事がお判り頂けるだろう。


つまり。


地図製作企業が「外田代」と「岩塔ヶ原」を混同しているのだ、これと似たミス表記は当ブログでも1、2を争う人気エントリーと成った「三ッ沢集落(八坂)」のレポート内でも説明した地名の誤表記…これと全く同じ現象がこの地でも発生していると思われる。


まあ地図によっては「外田代」と「岩塔ヶ原」のポイントの位置がズレているので正確に認識しているのか偶々ズレているのか判断に困る物も有るけれど双方を表記せずに片方だけをその地点の地名としている事に疑問を覚えた、これは聞くしかないじゃーありませんか。


で、聞いてみた。


出版社の社名は伏せるけれど地図製作担当の方に直接聞きましたよ、ええ。


「ちょっと解んないですねぇ…」


あ?


詳しく聞くと測量とその地域の地名呼称(地名表記)は別々の企業が担当していてしかも出版社毎に表記の采配が任されているとの事、これはその地図の縮尺によって表記する情報の量にも左右されるとの事。うん…まあ解る、解るけれどこの「尾瀬」に関しては表記する情報量ってそんなに無いじゃん?


が、これ以上のお答えは頂けず。うーむ。


ただ地方行政や国が主導して何かを隠蔽したとかそんな事は無い様ですね、オカルトさん達の勝手な推測でしょうか。ま、恐らくはそこまで深く考えて地図上の表記がされていないって事でしょう…って思っても何か釈然としないよなぁ。


※ この一体は外田代です、岩塔ヶ原はその一部を指した非公式の地名です。


もう少し掘り下げてみようか。


そもそもは西丸氏が昔の航空写真を見て「岩塔」と思しき場所を特定した事からこの「岩塔ヶ原」と言う場所の謎が始まる、それでは実際に昔の航空写真ではどう写っていたのか。「岩塔ヶ原」の場所が公式(各地図サービスでは無くて公として)に指定されていない現状で”恐らくこの場所を指して”いると思える外田代周辺を幾つかピックアップしてみよう。


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この写真は戦後アメリカ空軍が撮影した1947年当時の航空写真、その中の予想該当地域の物だ。元々何も無い尾瀬の山中「外田代」、しかしそこには確かに一際浮き出る様な「」が映し出されている。


写真ほぼ中央、確かに「何か」在る様に見える。一帯は湿地帯(湿原)で夏季であれば立入禁止でなくとも歩く事には苦労しそうな地形。本当にこの地域に集落など在ったのか疑わしくはある、西丸氏の研究が確かならばこの1947年には確かにこの付近に集落は在った筈。


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時代は進み、1971年。国内では三島由紀夫の事件直後で学生運動がピークを迎える時勢、サンカの存在は既に薄れて20余年。


この写真ではハッキリと地形的な盛り上がりが影を作っていた事が解る、そして確認出来るだろうか…薄らと延びる数本の道が…が、しかし。これは既に高度経済成長期後半を迎えた国内、この尾瀬にも地域調査、測量、その他の目的で人が入る機会が増えた(※5)結果の物。


千葉贔屓の話で申し訳ない、1971年は千葉テレビが開局した年でもあります。


※5:現在ではヘリなどの輸送経路が確立されている為、この道は失われている。


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1976年に成ってやっとこカラーの航空写真が見つかる、それより以前からカラーの航空写真は存在するけれど重要度の低い地域は白黒が多かった時代だ。それこそこの地域のカラーでの航空写真は貴重と言える、しかも高解像度。


だけれども…うーむ。カラーに成って疑問も出てくる、これ…隆起した地形ってよりも周囲より少し大きめの樹木っぽくも見えないか…と。


いや、オカシイとは思ってた。等高線がこの場所に描かれてないんだもの、バキっと平地なんだもの。だけれども場所はこの辺で確かな筈、これは数少ないレポートなんかでも同様にこの場所をポイントしているので間違いない。


いや、まさか。


これは何か勘違いしているのか、西丸氏の言う「岩塔」は航空写真では判別し難くて現地でないとやはり解らないのだろうか…。そう言えば資料写真の中に隆々と20メートル以上は在ろう岩場に群生する樹木たちの写真が在った(このエントリー内でも掲載している写真です)、しかも数少ないネット上のレポートでも”それ”と思しき画像や映像が見て取れる。


あら、僕ら勘違いしてるっぽいなコレ。


※ 場所と言うか岩塔の位置を勘違いしている事が後々判明します、と言うかコレ「岩や樹木」じゃないんですよね…地図見れば解るだろって言うね…。それらも含めて以降の調査内容と新しい事実などを次回のエントリーにてご紹介する予定です。


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って事で今回はこの辺で一先ず終了です。


まだまだ謎が多いこの「岩塔ヶ原」、実は大学さんやその手の研究者さんにもご協力頂いて現在も机上調査は進められています。今後このエントリーの内容が訂正される可能性もありますが順次ご報告して行こうと思っています、最終的には2016年の5月の現地調査をもってそのレポートを掲載。それまでにどうにかこの場所に隠された(何も無いかもしれないけれど…)謎を解き明かしてみせましょう…的な?


導入部分としても中途半端な終わり方ですが申し訳ないです、色々と別プロジェクトも動いておりましてねぇ…。いや、忘れた頃にサラっとエントリーするので気長にお付き合い下さい。


今回は以上です。


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今回も各方面からの協力体制が整いつつあります、まだ正式にリスト出来る段階ではありませんが映像製作会社さんや出版社さん、放送局さんなど色々と嬉しい申し出もありました。


最終的にはシッカリとクレジットさせて頂きますので今暫くお待ち下さい、それではまた次回。


※ 今回の現地来訪は公式遡行ですが一般の入山は別途関係各所の手続きが必要と成ります
※ 来訪に関するご質問やお問い合わせには個別にお答え出来ません(企業様の場合は考慮致します)


注意】 今後掲載される写真と映像について 【注意


現地来訪に関する掲載される写真や映像は複数の企業様と使用許諾及び二次使用に関する取り決めを行っております、引用する場合は特に留意して行って下さい。


また企業毎に締結内容が違いますので無断使用などされた場合は当方(6FROGS DESIGN WORKS)以外にも契約企業様から何らかのアクションがある場合も御座います、併せてご注意下さい。


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アプローチ
鳩待峠から入山、山ノ鼻山荘(ビジターセンター)から猫又川へ入渓。猫又川周辺遡行に関しては冬季のみ入林可能で基本的には立入禁止区域と成ります、一般での入林許可は通常降りる事はありません。


地図リンク

https://goo.gl/maps/wAnABpBBU3m


撮影者:nee


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