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REPORT - 0915│富浦町岡本川沿いの廃道

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6FROGS 廃墟 廃道 房総 登山 岡本川


千葉県│富浦町岡本川源流未開発地帯


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 富浦町岡本川源流未開発地帯


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- コンデジ撮影画質


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査中です


私事ですが今年(2016年)に入り、世界的にも症例の少ないとても厄介な神経麻痺の病気を患いました。その為、当初予定していた雪山計画や冬季の山岳来訪計画を全てキャンセルする事態と成っております、回復の兆しは少しづつですが見えてきてはいますが本格的な始動までは今暫くお待ち下さい。


春までに握力や腕の可動範囲の改善、指運に関して行動出来るレベルまで回復しない場合は他のメンバーのスキルに応じた物件や少々の方針変更などを視野に入れてエントリーは継続していきます。現在調査中の「群馬県│岩塔ヶ原」及び「栃木県│霧降の滝/岩屋不動」に関しては公開時期が遅延する可能性もあります、ご了承下さい。


因みにこのエントリーは神経麻痺が発症する数日前に来訪した時の模様です。


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2015年11月、「行ってみた」に参加してもう直ぐ1年に成るU氏に「そろそろ1年やんけ、自分で企画してどっか連れてってや」と探索物件を探す事を指示。自分で地図と歴史を浚い、そしてルート設定と現地のルーファンを一通りやらせてみようと思ったからだ。


ロープワークや荒地の踏破技術は随行していれば自然と技術は身に付く、しかし物件の探索能力や誰も知らない場所での探索能力は自らが進んで行わないと身に付く事は無い。節目と成る2016年の1月(U氏が最初に参加したのは2015年の1月でした)に何処でも良いから自分で企画して山に連れてってくれと言ってみたのだけれど…さて、楽しみに待ちますか。


U氏が最初に参加した物件はこれでした、お懐かし。


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指示の上で補足した項目は以下の


・まずは無理をしない地形である事
・何が有っても用意に帰れる県内(千葉県)
・2人で行ける(地形的にサポートメンバーが不要)事


以上だ。そして12月、半ばを過ぎ様とする頃に企画は上がってきた。


「岡本川って言う、ウェブ上にレポートが全くない沢へ行きませんか」


ほう、確かに検索してもこの川や沢に関する既述は皆無。地形的に等高線の複雑さもない、旧道らしき道が描かれているけれど恐らくは廃道か林道…これなら往路を加味しても2人で大丈夫だろう。


※1:U氏はたまたま地図を見てこの場所に設定した様ですが出発前に少々この地域について調べてみた結果、住民と外部の企業などが戦いを繰り広げた中々熱い土地でした。それの経緯なども含めてレポート中で少しづつ、現地見聞で新たに生まれた謎も含めて最後尾に解説を入れようと思います。


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今回伺うのは房総半島の上総地方、南房総市の富浦町だ。それも山間部とあって現在も未開発区域が残されている地域、地図上で見てもちょっと殺風景と言える。


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この薄らと描かれた川を辿る、川専門の地図でも正式名称は判明しなかったけれど「岡本川」の支流(※2)である事は解った。道路も描かれているけれど、さて。


※2:来訪後の机上調査まで正式名称は判明していませんでした


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航空写真に切り替えると…やはり、か。どうやら道路は死んでいる様だ。廃道、良くて荒れた林道レベルなのは何となく解る。


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ストリートビューでも確認、封鎖されているので廃道は確定。後は現地に着いてから沢歩きするか廃道を探索するか状況を見て決めるとしよう。


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航空写真に等高線をレイヤーで重ねてみる、両岸から少しだけ高さはあるけれど恐らくロープレスで登れる位緩い斜面。そして緩やかに登っている事が解る、また両岸も対して等高線が集中してないので幾らでもエスケープルートが構築出来そうだ。


何せ初めての地域だ、地図などで把握出来る情報は色々と知っておきたかった。そんな中で1947年のこの区域の航空写真を発見した、そこには大きく切り開かれた山の状態が映し出されていたのだ。


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今から約70年前(2016年現在)、この地で一体何があったのか。偶然U氏が選定した細い川の流れがこの1枚から行政や地元新聞社さん、その家族までを巻き込んでの調査に成るとは思いもよらず…1月某日の来訪当日、僕らは眠い目を擦りながら現地に来訪した。


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現地に到着、廃道も事前調査通り発見。どうやら廃道から10メートル程低い場所(※3)に沢が在る様だ、流れはとても細く、水量は少ない。


猟期ではないので撃たれる心配は無いがどうやら猟区の様でアチコチにワナが仕掛けてあると廃道入口に注意書きがある、その辺も留意して歩く様にしよう。


※3:場所により沢と廃道の高低差は5メートルから20メートルと変化します


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動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、2016年春には本格的な撮影に入りますがそれまではモバイル中心です。(※揺れ酔い注意)


入口付近、道筋はシッカリとしている…が。本当にここを車が通ったのだろうか?と、言うのも1947年の航空写真には重機などが必要な程の地形掘削痕が見てとれたのだけれどこの時代にこんな山中へ車両が入ったのだろうかと疑問が過るのですわ。


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この写真は1966年の物、一度は大きく切り開かれたのに幾ばくか自然の力を取り戻しているご様子。その代わり切り開かれた一部分が田畑に利用されている様だ、この周辺の変化に関しては比較的簡単にその歴史を辿る事が出来た。


1930年代では全くと手付かずだったこの山間部(地元住民の農地としての運用は小規模で幾つか存在していた)だったが1940年代、人口増加(戦争の為に下総地域からの流入)に伴って田畑の拡大を余儀なくされて開発を開始。流入時期がハッキリしないので戦争中の移動流入なのか戦後の移住流入なのかは判明しなかった、あくまで聞き取りなのでただの人口増加も考えられるけれど…。


近隣住民からの聞き取りで削られた土砂は東京湾の湾岸埋立に利用され、山間部の土砂利用と田畑拡大の相互利点が開発速度を速めながらこの地一体の姿を変えていったと聞く。この時点で1947年の航空写真の謎は判明した(実は後々違う事が解ります)、新たな農地開拓と土砂掘削の為の山岳森林区域の運用だ。


しかし戦後経済の中心が再び下総から更に都心部に集中した事で開発速度は低下、良質の土砂の確保が富津市や君津市に見つかった事で土砂掘削は中止。その後は残された田畑を地元住民が細々と運用しながら掘削を逃れた森林区域ではビワの栽培が行われていた。


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経済や産業の移行で全国で山岳区域における田畑の利用も無く成った1980年代、写真は1982年の物でやはり同様の歴史的流れに呑まれた状況を映し出していた。この頃に成ると車両の往来は無く成っており、一部では崩落もあって道路としての機能は著しく低下。田畑の運用で川の流れは人工的に操作されて弱くなり、現在の姿と変わらない状態(弱い水量や低い水位)に。が、同時期にこの地で一騒動起こる事に成る。


南房総市の総務課さんから提供された情報によると田畑の拡大や土砂掘削の開発を終えてゆっくりと自然に還ろうとした矢先、再度この地に開発の波が押し寄せる事に。


駒沢大学がこの山間部にセミナーハウスの建設を計画、程なくして大学側が県有林を購入。しかし地元住民からの反対を受け、計画は一時保留。富浦町は同じ町内の海側に位置する大房岬入口にあたる県有地を千葉県から譲り受け、その場所とこの山間部の土地を交換。その後、駒沢大学のセミナーハウスは大房岬に建設されて現在も運営されています。


駒澤大学 富浦セミナーハウス
参考:https://goo.gl/BRQIQv
場所:https://goo.gl/maps/ujF2e6HXVX52


この様に1940年代~1980年代に掛けて右往左往した開発経緯を辿った岡本川の支流とそれを要する山間区域、それだけでも興味をそそる廃道の歴史。無作為(と言うか偶然的)に選ばれたこの地の来訪計画は当初の「U氏が計画した山を歩く」事から「人里離れた山間部で何度も開発が行われた歴史調査」に変わりつつあった、事前調査ではウェブ上にも書籍上にも情報は殆ど皆無。少しばかりの期待を胸に現地での状況把握と残留物の発見、そして歴史を辿るヒントを見付けに行くとしますか。


さて、歩を進めよう。


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山深く成って来た、この辺まで来ると道路の幅は人が歩ける分がやっとと言った感じ。左側の斜面には幾つか枝(未確認の細い道)が発見出来たけれどどうやら隣接した別の農地への作業道の様だ、町歴にはこの付近に幾つかの山間部を開いた田畑運用された農地が確認出来ていて少し離れた「犬掛地区」の住民が保有していた山林区画もあった。それらを繋ぐ作業道が道路に描かれる事無く、多数延びていても不思議は無い。


標高:47メートル
補足:地図との差異が各所に見られる


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場所によっては植林された形跡が、これは土砂掘削した区画のみに行われた復旧行為でその他の開発区画は自然の力で緑化が進んでいる。


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広かったであろう道路が崩落した事が解る場所、本来真っ直ぐ延びていた道路は抉られて人道が迂回する様に残っていた。下方10メートルには岡本川支流が見える。


※ 古い崩落と新しい崩落が混在する兎に角荒れた廃道、今後更に崩落が進む事が予想される。


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険しくなって来た、もはや人道とも言えない道で傾斜も意外とキツイ。恐らくは地図に描かれている等高線や土地の状態とこの現状は大きく掛離れているだろう、今と成っては猟期しか人が入らない場所だ。


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もう直ぐ分岐が見える筈なんだけれどなぁ…廃道は標高を大して変化する事なく平行に暫く続いた。一応GPS見ながら歩いているのだけれどどうも地図と現状が一致しないなぁ。


標高:50メートル
補足:地図と全く合致しない


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今回の核心、ズリっと行くと20メート以上を沢まで落ちる事に成る。地形を見ると完全に土砂崩れの後の様で道は無い、「行ってみた」のメンバーからすれば難度以前のレベルだけどもし興味を持って行かれる方はお気を付け下さい。


しかも日陰でマディなので危ないっちゃー危ないのです、バイトポイントも無いので落ちたら下まで行きますよ。


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房総っぽい。


うーん、このショボさ…落ち着きますぜ。いやね、結局地図に描かれた分岐を発見出来ずに少し進んだ所で沢に比較的楽に降りれそうな場所を発見しまして。んでちょっと降りてみたのです、水の流れは極々僅か。うん、房総っぽい


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動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、2016年春には本格的な撮影に入りますがそれまではモバイル中心です。(※揺れ酔い注意)


面倒どけれど廃道に戻ろう、この間々行けそうに無いほど荒廃してる。恐らくは2014年の大雪の所為だろう、あの大雪の爪痕は房総半島のアチコチの沢で見て取れる。


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昔の航空写真で写し出されていた一番大きな水田、どうやらココがその場所の様だ。地図上では向こう岸(写真左側)に更に田畑が存在して道が在る筈…なのだけれど。僕らが歩いているのは水田跡の左側で地図には描かれていない(※4)、うーむ。


※4:周囲には無数に枝(作業道)と思われる細い踏み跡があります、それが猟期に猟師が歩いた後なのか当時の物なのか判断出来ませんでした。地図にも測量資料にも描かれていない道は確認出来ただけでも5本、聞き取り調査では20本以上あると予想されます。


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1974年に撮影された航空写真では綺麗に運用されている水田や畑が見て取れる。そして恐らくだけれどこの写真の田畑を囲む道路の内の左側が今歩いている場所なのかと予測、本来メインだった右側が土砂崩れなどで埋没したなどの理由で消失したと思われる。


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が、近年の測量(1980年代)資料は残っていてそれを元に地図が描かれている筈なんだよなぁ、ここ30年位で劇的に地形が変化したか、測量資料の引き継ぎで製作されたか…どちらにせよこの先の状態をもう少し見てから判断(進むかどうか)しよう。初めての土地で余り無茶も出来ないから慎重に、山ではどんなに踏破レベルが低くてもビビり根性が第一(※5)なんです。


標高:72メートル
補足:地図と全く合致しない


※5:安全確保の為のビビり根性を「行ってみた」では推奨します


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周囲には田畑の整備で作られたであろう農業用水路があった、川が涸れている訳ではなくて自然の力によって別のルートを形成して下方へ流れている。この水路は長い事その仕事をしていない様だ、耳を澄ますと直ぐ近くであろう滝の音が僅かに聞こえるので見に行ってみよう。


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動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、2016年春には本格的な撮影に入りますがそれまではモバイル中心です。(※揺れ酔い注意)


岡本川の支流へ別ルートで流れ込む、本来の流れでも無いし水田用に整備された水路でも無い新たな流れが形成されるのを見ると自然の力は偉大だと実感。


この滝には名称も無いけれど意外と立派、高低差は10メートル未満だけどちょっと入り組んでいて降りようとは思えなかった。


※ 新滝発見では無いですが行政も測量企業もこの滝の存在を把握していませんでした、ですが地元住民には昔から知られていて猟師の方も勿論知ってらっしゃいました。


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少し進むと思わず驚く現状を目にした、道路が広く残っているのだ。そして縁石らしい人工整備痕も、どうやら両岸の傾斜が緩い所為で土砂などが流れ込まずに綺麗に道路を残していたのだと予測。この広さなら確かに工事の為の大型車両も通行出来た筈…なんだけど、うーん…どうしてもココを車が走った実感が湧かない。


なんて思っていたのだけど。


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ありゃ何だ?


一度広がった道路幅だったけれど直ぐに狭く成る、そして地図に描かれた道とは川を挟んで逆側を歩く事数分。突然林の中に小さな家屋の様な物が目に入った。


え、こんな処に家ですか?


標高:98メートル
補足:地図と全く合致しない


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家屋と言うより倉庫?だろうか、しかし突然現れたこの建造物には2人とも驚いた。だってまず人手でどうにか成る建材では無いしどうしたって車での運搬が必要な人工物だ、つまり今まで歩いた道を車が往来した証拠をこんな山奥で発見した事に成る。


しかも良く見ると庭の様に整備された周囲の土地、そして決定的とも言える残留物の発見。うん、ココは確かに幾度となく開発の為に車両が往来した場所なんだ。


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車のホイール(※6)、そしてタイヤ。バッテリーやその他の工事車両関連と思われる沢山の残留物、こりゃ興奮してきたでぇ。


※6:ホイールは写真の通り普通車サイズの物でトラックなどの大型車の物は発見出来ず、タイヤも同様でした。その他の残留物には若干の大型車両と思われる関連部品が散乱していました。


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うわぁ、これやん。色味や形から判断すると70年代後半から80年代に良く使用されたカラーの瓦やね、いやしかし。付近にはこの瓦を使用したと思われる建造物は無い、しかもこの量だと随分大きな建造物の筈。


眼前の小さな倉庫が残っていてるのだから建造されていれば付近に在っても不思議ではない、と成るとコレは使用予定だった建材と成る。1980年初期には車の往来は不可能だったので既述の駒沢大学のセミナーハウス用の物では無い、あれれ…この瓦の所為で新たな謎が生まれちゃったなぁ。


※ そもそもセミナーハウスは計画段階でこの地へ建材運搬の事実はありません


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ヒントを探る為に先程の小屋を見てみよう、周囲には別の建造物は無くてこの小屋に繋がるパイプや電線の様な物はない(※7)。そこから住居では無い事は判断出来る、使用建材やサッシなどのタイプから建設は1970年代。田畑の運営状況から1970年代の農地管理者が利用していた作業小屋か何かとも思っては見たけれど…。


※7:行政が把握しているこの付近のインフラは一切なし


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鍵が掛かってなかったので内部を見てみた。


4畳半程の広さの畳間、そして押入れには二組の布団と若干の衣服。それと極僅かな家具、灯油ストーブやヤカンもある。入口脇にはトイレが設置されている、自然浄化漕なのか水道機器は一切なし。


天井に電灯や電源なども皆無、発電機と灯油を利用していたのは何となく解るけれど水はどうしていたんだろう?生活水用のタンクも無いし…倉庫でも作業小屋でもないけど住居と言うには規模が小さいし残留物が偏ってる。


もう一度探索範囲を広げて周囲を探索してみる、するとこの場所には不釣り合いなミカンの木(※8)や無理矢理整地したであろう平地(現在は荒地)、そして数枚の麻袋を発見。


※8:既に野生に戻ったのか非常に酸っぱく、食べられませんでした(食料としては十分食べられます)。


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残されていたビワ栽培に関係するだろう麻袋、調べてみると栽培用に使用する肥料を入れるのに使用されていた様だ。当初は収穫用かと思っていたのだけど違うのね、しかしこんな山奥でビワ栽培ですか。


この麻袋、色々と記載されているので興味が出て来まして。結果的には特にこの地を探るヒントには成らなかったけれどちょっとリストしてみましょうか。


・房州ビワ864
・房州ビワ専用複合(以降判別不可)
・北平特産株式会社小名浜工場
・福島県いわき市小名浜字高山34番地


房州ビワは千葉県でも上総地方特産として知られている果物、1970年代の田畑運用時にこの地域でビワの栽培が行われていた事は行政記録にも残っていた。また現在においても近隣地域栽培が行われている、この麻袋は当時の物で間違いないだろう。


864」の番号の詳細は解らず、でも多分ペレットタイプの肥料の種類だと思う。今でもビワ用の肥料で「863」ってのがあるので商品の名称なのかなぁと。読み取り不可能なキャプションも多分「複合肥料」みたいな補足説明かと、農家の方教えて下さい。


そして社名である「北平特産株式会社小名浜工場」、恐らくはこの肥料の生産者なのだと思うけれどどうやら現在は運営されていない様だ。因みに併記されていた住所の「福島県いわき市小名浜字高山34番地」だけれど2016年現在、この場所には全くと違う会社が工場を構えていました。


日本化成株式会社小名浜工場
http://goo.gl/sKdcTZ


しかも本店(本社じゃない)です、ビックリ。残念ながらこの住所と今回の土地との接点は現在では全く無い様でして、ヒントには成らなかったですわ。


さてさて。現地での見聞を終えてはみたものの、色々と謎は残っていましてね。まずこの川の名称が判明しない、いや全国に沢山あるんですよ…正式名称の無い支流は。それとこの廃道がいつ整備されてどうして廃道に成ったのか、奥部の小屋は何の目的で建造されて残されていた建材は何だったのか、何故実際の地形が地図と合致しないのか…などなど。


それらを調べるのには絶対的に協力者が足りない、って事で今回は行政さんにバックアップをお願いしたのですがその行政さんも「この地に関する詳細な町歴の記載が無い」と事でして。それでもどうしても知りたいと思っちゃったんですよ、だから再びお願いしてみました。


そして待つこと2週間。


平成大合併前の資料や町歴の再考、行政(南房総市の管理課と総務課+総務課の担当者さんのお父様)と地元新聞社(房日新聞)の方、山岳会でこの周辺を歩いた事がある方ともうホントに沢山の方が協力してくれました。


って事でここからはこれらの調査や情報、出てきた古い資料を踏まえてこの支流沿い山間部の歴史を紐解いてみましょう。


うーん、確かただ山歩きするだけだったのになぁ…。


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岡本川支流富浦町/居倉地区大津地区境界線上の廃道


この地域は富浦町の居倉地区と大津地区の丁度境界線、地域を跨ぐ様に流れる川とシンクロする様に存在する。所々で川と廃道を行き来する居倉地区と大津地区ではあるけれど詳細に言うならばその殆どは居倉地区と言っても良い。


開発は双方の地区をやはり跨ぐ様に行われているが居倉地区では土砂掘削、大津地区では農地運用とされて来た様だ。農地に関しては川を沿う様に拡大していった経緯が在るので双方の地区に跡地が残る、1930年代から作業道は存在したが行政の道路整備記録には残っていない。


土砂掘削規模は小さく、山間部での開発は農地が殆どで1940年代に馬車などが通れる道として住民が再整備した様だ。車道として更に整備されたのは1960年代後半、しかしこれは確たる証拠が残っていない。


今回協力頂いた南房総市の総務課Nさんとそのお父様が偶然にもこの地域の出身だったとの事で少々詳しく聞く事が出来た。行政が把握している「富浦町史」には該当地区の記載は無く、上記の通り地元民であるNさんとNさんのお父様のお話しが何より重要な情報と成った。


・この土地は昔より農地と共有林だった
・1980年代に駒澤大学が一部を買い取った(レポート内に詳細あり)
・道路は1920年代には作業道として存在した


駒沢大学の件に関してはやはり地元でも問題に成った様で反対運動によって大房岬へ計画が変更されたのは調査内容と一致する、しかし土砂掘削のズリ山としての情報が一切出て来ない。他の証言(この土地ではない近隣の出身者の聞き取り)では知られているのにこの土地の方が知らない筈がない、連なる別の山かと思って情報提供者(ズリ山の証言者)に確認したがこの廃道の奥の山で間違いないと言う。


これに関しては詳細な情報が全く残っていないので確証がないのだけれど航空写真を見る限り農地の他に山が削れているのは確認出来る、大小の規模の違い(記憶の違い)はあっても土砂掘削もあったと言えよう。


そして行政が所有する地図にてこの川の名前が判明した。


岡本川水系七曲川(ななまがりがわ)


やったー、川の名前がやっと解ったぞー。ってか何でウェブ上の地図や書籍の地図には載ってないんだろう、川専門の地図にも名称不明って記載されていたし…。


次にこの廃道だ。


この道路は重複記載に成るけれど最初の整備経緯は判明していない、兎に角古い農地作業道として住民が作った獣道が少しづつ拡大していった物と考えられる。しかし車両が通った形跡があり、その証拠に成る残留物(車両部品や建造物)も残されていた。実際「掘削も行われていたんだし当然…か…?」


あれ?


いやいやいや、ちょっとまてよ?車が通れる様に成ったのは1960年代なのに1947年の航空写真で何で掘削の跡が写し出されての?土砂を運ぶにしても掘削重機を搬入するにしても「」は必要だ、しかもそれなりに広い車道が。


もう一度まとめよう。


掘削規模は小さかった、しかし農地開発で人の手で山間部が切り開かれていたのらばどうだろう?そして1960年代に往来したトラックなどは土砂を運んでいたのでは無くて農作物だったのなら。


地元の人が知らない事実とは元から存在しなかった「掘削による土砂事業」で、農地開拓と農作物運搬が付近の住民に勘違いを生んだのなら辻褄は合う。いや、本当に掘削はされたのだろう。その二次利用として実際に東京湾へ土砂が運ばれた事もあったのだ、埋め立て事業の記録で富浦町から土砂が運ばれてきたとの証言も得ている。元はこの証言から「掘削による土砂事業」をメインに廃道の歴史を追ったのだけれど実際は農地開発がメインであったのだ。


この道は町歴としては近代町史の記録を開始した時点で「町道」に指定、南房総市の建設部管理課によれば1993年6月15日に町道認定を廃止※8)。これは山岳農業が衰退して往来が無く成った事に起因する訳ではなく、新たな開発問題でこの地における3度目の騒動の幕開けを意味する。


時はバブル時代、レポート内に掲載した航空写真で1982年には農地は荒廃していた。80年代後半から加速的に向上した経済は房総半島にゴルフ場建設ラッシュなる金を生む卵をアチコチに生み出していた、そしてその卵はこの岡本川水系七曲川両岸の山間部にも産み落とされしてしまったのだ。


1990年にはゴルフ場建設の計画が進行したものの地元住民から激しい反対活動が巻き起こる、事業計画として不備が無ければ行政は着工許可を出すしかないのだけれど運が味方する形でこのゴルフ場建設は開発の瀬戸際で食い止められた。


※8:工事車両の道路再整備の為に一般車両の進入を制限・禁止する為に町道認定を廃止


あれー?こんな話をどっかで聞いたぞー。


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いや、そっくりじゃないですか…ゴルフ場建設とその後の経緯が。


バブル崩壊、そう…町道を廃止したその年には既に国内の経済は下り坂。幾ばくか効果があったのか反対運動で着工が遅れ、そして開始寸前でのバブル崩壊。3度目の開発騒動に幕を閉じたのだけど…まあ廃道に至った経緯は解った。解ったけれどさ…


あの奥部の小屋って何?


南房総市建設環境部管理課から房日新聞社の記者Oさんに協力依頼が行ったそうでここからはこのOさんのお話から史実をまとめよう。


ゴルフ場建設の計画が表面化し、反対運動が起きた当時。房日新聞社の記者として取材にこの地を実際に訪れたそうです、バブル崩壊で業者が撤退するまで土地の所有者が反対活動を続けられていたそうでして。


土地の所有者と言っても一旦は業者に渡ってしまった事業計画買収区域、当時の立場はゴルフ場事業者の方が上だったと思われます。何時工事が開始されるかも解らない状況下では開発される現地に目を光らせる他無かったのでしょう…その反対運動に使用されたのがあの小屋、ではないかと。


農業(田畑やビワ栽培)で使用されたとの情報もありますが放置された建材(瓦の量)を見るとゴルフ場関連の建造物を作る為の資材、そしてそれを監視して反対する立場の元土地所有者の反対活動に使用された仮設住居と考えるのが妥当との結論に至りました。


因みににゴルフ場建設取りやめと共に土地は元の所有者に返還されています、そして現在。


今回のレポートの様にスッカリと自然に還り、しかも道路も廃道後は崩落をを続けてご覧の有様と言った状況です。いや、それにしても随分と紆余曲折を辿った土地でした。本来ならちょっと歩いて帰りに「ばんや」でご飯食べて帰ってくるだけの計画だったのになぁ…うーん疲れた。


って感じで今回のレポートは終了です、沢山の協力者のおかげで新しい事実も古い歴史も知る事が出来ました。U氏、面白かったで。


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今回のレポート製作でご協力頂きました、本当に有難う御座いました。


・南房総市総務課(担当Nさんとそのお父様)
・南房総市建設部管理課
・南房総市建設環境部管理課
・富浦町居倉地区の方
・房日新聞社
(記者Oさん)


※ 諸事情を考慮して実名は伏せて記載しました


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー


アプローチ
館山道終点から国道127号線を経由して県道185号線を北上、富浦宮本~富浦大津と2つの街を過ぎ富浦居倉地区に入って直ぐのヘアピンカーブが廃道入口部分とのジョイント地点と成ります。


地図リンク
https://goo.gl/maps/jbiv5seavTw


写真撮影:6Frogs Design Works


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