茨城県│ブラックマンション * 正式名称は少々お待ち下さい
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - ブラックマンション(仮称)
※ 大幅加筆(2016年03月)しました、修正もちょっとしました。
余り興味が無かった廃虚、茨城県の笠間市に残る建設途中で放棄されたブラックマンションと言う物件だ。廃墟さんのみ成らず心霊さんやヤンチャなお兄様までこの場所は周辺住民にとっては人気スポットなのだと言う、人が沢山来るって事は廃的に旬を過ぎた物件だ。しかし腑に落ちない、それはどのサイトでも何故かこの廃墟の細かな正体を明かしていないからだ。
当ブログでは過去に幾つかの詳細不明物件を調査し、廃墟へ至った経緯をお伝えして来た。 その中でも行政への一般問合せが初だった為にウェブで最初に詳細を公開した人気のエントリー、
この物件と今回のブラックマンションが状況的に良く似ている(※1)。誰もが知る有名物件で在りながらその正体を知らない、うーん…やっとこ撮影意欲と興味が沸いて来た。
※1:2015年12月に追加エントリーで更に詳細情報を追記しました
ほんなら調べてみますか、このブラックマンションとやらを。ってか世の廃墟さんはやはり物件に廃墟美を求めるから歴史とかって興味ないのかなー、勿論美しい写真を撮りたいし撮れたら嬉しいのだけれど。んども歴史にも一寸だけ興味を持って頂けると嬉しい、きっと撮影時の素敵な調味料に成ると思いますよ。
このブラックマンション、一体何時頃からこう呼ばれて有名物件へと成長したのだろうか。早速ごにょごにょほにゃほにゃして調べてみた、しかし調べ始めるとどうにも面倒な事に。
街中に比較的目立つ格好で残されているこの建設途中の廃マンション、建築確認情報(※2)を参照すると建設申請は1990年の12月27日だった。驚く事に20年以上も前の造り掛け建造物だったのだ。1990年と言えばストーンズとポール、それぞれ初来日公演をした年だ。
そんな昔から在るのか、この廃墟。
※2:一般財団法人建築行政情報センターにて公開されている建築関連情報
更に茨城の建築関係の事業団連に協力を求め、行政にも調査の経緯を説明して協力頂いた。そこから少しづつ解って来たこの廃墟の真相、それらを少しづつ語るとしよう。
1990年、年末の申請から年を跨ぎ翌年1991年の1月から建設工事は開始。今と成っては現場に関連・関係業者が解る様なヒントは残されていない事は来訪時に直ぐ理解出来た、うーん…こりゃ審査機関に照会しに行くしかないのかなー。
ココで少しだけ詳細不明物件を調べる方法のヒントを書いておこう、まあ不動産屋さんや関連職業の方は直ぐ解りますが参考程度に。
調べたい物件、その土地利用面積が3000㎡を越える場合は、都市計画法の規定に基づき法令手続きが必要です。と、言う事は3000㎡を越える様な大型物件はそれを管轄する所に照会すれば良いわけですね。一方3000㎡に満たない場合、この場合は幾つかのルートが在ります。建築確認申請の審査機関での申請内容の照会や、法務局にて不動産登記簿を参照するなどですが一概にはどれと言えない事情も在ります。
まま、興味が在る方は各々調べてみて下さい。これ以外にもまぁまぁ在るのですが余り詳しくは掛けません、あくまで業界内の方法に成るのでご友人などに不動産関係の方が居る方は教えて貰って下さい。
※ 調査方法も一部ボカした書き方をしています、ご了承ください。
さて、この廃墟の話に戻しましょうか。概観は3階建て+屋上部分の様に見るけれど屋上部分は鉄骨が更に上へ延びる様に残されています、建築確認情報によると9階建てのマンションだった様で工事としては半分も進んでなかった事に成ります。
まあエレベータールームがある時点で5階以上の建造物(※3)で在る事は明白、現在の様なバリアフリーが提唱される様な時代では低階層建築でもエレベーターは在るようですが。
※3:建築法では5階以上の建築物にエレベーターの設置を義務付けてはいませんが総長31メートルを超える建物には非常用エレベーターの設置を義務付けています
取り合えずは現在まで解っている事をまとめましょう。
[ 建築確認情報 ]
建築確認日付:1990年12月27日
建築確認番号:水特330
建物予定用途:共同住宅
構造及び階数:鉄筋コンクリート造9階建
因みに一緒に語られる事の多い隣の鉄工所の物件とこのブラックマンションは全く関係なし、何故か同一視されながら紹介される事が多いのだけれど勘違い無き様。これ、別途エントリー(隣の鉄工所のレポート)でも重複する内容に成りますが建設年代が全然違います。鉄工所は当初1960年代に建造、現在残る建物のほぼ半分の規模で道路側は駐車場として利用されていました、1980年代中盤以降に増設される形で工場が拡張され今の姿に。
詳細は次のレポートでご紹介しますが兎に角このブラックマンションとは全く関係はありません、ついでにこのマンションの建設地について少々。このマンションの建設地は元々大きな土地を保有する地元住民の家屋が建っていました。敷地内に畑もあり、かなりの富豪さんが住んでいた様です。1940年代まで遡りましたが既に記録が残っていたので戦前から住まわれていた様です。
敷地の周囲は家屋を囲むように樹木で覆われていましたが1973年頃に半分以上を伐採して敷地内の畑を広げた様です、1982年までは居住を確認しましたがそれ以降は不明に。1986年の時点では手入れのされていない敷地内と畑が地元住民にて確認されています。恐らくその後土地が不動産業者に販売され、マンション建設予定地として整備、1989年(07月)には更地に成った様です。
時間を戻して建設開始当初(1991年初頭)、工事は3ヶ月程は順調に進められたみたいだけれど半年も経たずして途切れ途切れな進行具合に。
6ヶ月が経過した頃には完全に建設はストップしてしまい、その後重機や機材、資材、公示看板などが取り外されてしまう。着工から1年が経過する頃に成ると完全に廃墟化が始まり、その後2年程で地元のヤングがウハウハしちゃう「はっちゃけハウス」へ移行する事に。工事が中止と成った原因は解らなかった…けれど恐らくは、1990~1991年と言えばバブル絶頂期のギリギリ範囲内だったとは言え不動産業界は既にハジケが見え隠れしていち早く察知したから故の建設放棄だったのかもと推測。
内部に関してはどうだろう、もう少し見てみようか。
幾何学的な構造に見えるのは建設途中で放置された何も取り付けられていない状態だからだろう、最初現地に着いて思ったのは古臭いデザインの割りに綺麗に残っているといった印象。この時代の建造物(特にマンション)って「凝ってるでしょ、デザインとか」的な押し付けが痛々しくて今住むには随分と恥ずかしい造形だ。
過去にエントリーした、
も、そうだ。コッチのマンションはバブル黎明期のゴリ押しデザインが更に鼻を突くけれどやはり時代時代のニーズって相容れない物があるのかなぁ。
とは言っても資金力溢れるバブル絶頂の設計、強度などは近代建築において一番信用がおける造りになっていた筈だ(完成していれば)。
軍艦島の様な…いや、無理が在るか。
この廃墟、彼方此方のサイトで過去に数度の解体予定が…などと書かれているけれどその様な事は実は一度も無い。この通称ブラックマンションに解体の文字が突きつけられた事実は一切無く、現状行政側にも撤去の意思は無いと言う。
まあこの辺に関しても後述するとしよう。
もう少し緑が生い茂る時期に来れば良かったかもしれない。
大げさに書かれたサイトでは山中に佇む様に表現されているけれど全くの街中、標高は周囲の平均的数値となる海抜40メートル程。廃墟さんってポエムと歴史改変、そして景観の捏造がお上手ですねぇ。裏手には直ぐ幼稚園がありまして朝から夕方までギャースが煩せぇ煩せぇ。しかも国道沿い、眼前まで車で行けるし、車降りたら20秒で廃墟の中ですしねぇ。
まあ戦前まで遡れば北側(約1キロ先)はやや低い海抜30メートル程度、丘と言えなくはないけどこの廃墟が存在する年代においては既に都市開発がある程度進んでいる関係上「山」は付近に一切御座いませんです。
実はこれ以上の情報も得ているのだけど諸事情が在りまして現在伏せている状態です(2012年現在)、また追加情報も得られる予定なので1ヶ月程したら皆さんにお伝え出来るかと思います、暫くお待ち下さい(※4)。
※4:2016年最後尾に追記
しかし正直撮影対象としてどうかと問われると、うーん。そこまで綺麗じゃないし見所も少ない物件なので無理してまで見に行く程では在りません、ついで物件位に位置付ければ良いでしょう。
本日はココまでと成ります、追加情報のエントリーまで暫くお待ち下さい。
調査内容に関して(2016年03月追記)
再エントリーのタイミングでは既に遅過ぎますがこの物件に関して調査内容の追記…と言うか追記出来ない理由と言うか。その辺を少々書かせて頂きます。
この物件、最初の公開は2012年の06月でした。既に4年も経過している状況ですが現在に至っても詳細な内容を記載出来る状況にありません、来訪後の追加調査で行政や各関連企業さんの協力を得て歴史的な年代で言えば1940年前半まで辿る事が出来ました。
ついでと思いこの地を中止とした付近の地域民俗学、並行してマンション建設までの経緯などを追いました。結論から言うとこの物件云々より周辺の宗教的問題と言うか、うーんどうしても濁った言い方に成りますがまあ色々なのです。
2015年の年末に再度確認(関連する団体)したのですが現状は変わらず、よってこの物件の正式名称も含む周囲の詳細な調査内容は不掲載としました。読まれた方は何が何だか解らないと言うのが正直な意見かと思われますが何卒ご容赦を、以上をもちましてこのブラックマンションの調査レポートは終了とさせて下さい。
アプローチ
常磐線岩間駅から正面へ伸びる県道30号線、その突当たりT字路が国道355号線です。国道355号線を左折して700メートル程進むと右手に廃虚が姿を見せるでしょう。
地図リンク
https://goo.gl/maps/uNicAenC6ZD2
写真撮影:6Frogs Design Works
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