千葉県│天津滑山 大山祇神社
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 神道教派 御嶽滑山大山祇教会
初詣はここでと決めて幾ばくかの年月が過ぎました、2014年を最後に遂に行く事が無かった2015年。そんな罰当たりな身の上で今更どの面提げてって言うね、そんな後悔の念をグッと堪えて行って参りましたよ大山祇神社。
最初まだ廃神社の体でしたが今やスッカリと崩落が進み崩れかけの廃墟感たっぷり、それでも合祀された大山祇大神と御嶽大神はまだいらっしゃると想いつつお邪魔します。いや、この様子ではやはり神様の威光は既に残照の域なのかもしれません。
過去のエントリーは以下の連載ページより、鴨川市教育委員会さんにも協力頂いて解き明かしたこの廃神社の過去を是非ご覧下さい。
2014年の時点では記録的な豪雪にも耐え抜いておりましたが昨年(2015年)にはこれまた連続体風などの自然災害が頻発、房総半島も被害を受けた地域の一つです。
それでは改めてご紹介しましょう、本年度の大山祇神社さんです。
!!!
まだ建ってるやんけ!
そう、まだその威光は少しながらこの神社を照らしておりました。いや、本当に良かったです。って、言うかアレ?意外と2年前と大して変わらないお姿でいらっしゃいます?
※ 狛犬さんはお二方とも息災でおられました
この写真が2014年10月の状態、うん…何か意外と持ち堪えている感じ、なの…かな?
と、思って良く見てみると。
左側の崩落は裏手を覗き込むと更に進んでいました、最後の柱が辛うじて折れずに残っているけれど本当の本当に時間の問題って感じ。右側は樹木で隠れて解り辛いけれどやはり潰れちゃってますねぇ…しかし凄いのは大山祇大神と御嶽大神の祭壇それぞれがシッカリ残っている点、やはり神様っているのかなぁ。
因みに狛犬さんは仁王門の仁王様と同様で口を開けた「阿(右側)」、口を閉じた「吽(左側)」の並びがスタンダードだ、勿論組み合わせのパターンは色々とあるのだけどその詳細は割愛しよう(凄く説明が長く成るのです)。この大山祇神社の狛犬さんもスタンダードに「阿(右側)」、「吽(左側)」の並びです。
真正面から、うん…やはり屋根や壁など細かく見て行くと崩落が進んでいるのが良く解る。そして残念なのは中央奥の祭壇、もう長い事お供え物(御嶽教祭壇)が移動された形跡が無い。
これ、本当に崩落する前に色々と保存すべき神具などを移動した方が良いのではなかろうか。この場所でなくても記念碑の方にでも小さな祠を作って祀るってのは駄目なのかなぁなんて思う、どうにか残して欲しい文化遺産だと思うのです。
流石に中に入る勇気はありませんです、左脇からブッシュの隙間から。こうして内部を見ると持ち去られたのかどうかは解らないけれど無く成った物が非常に多い、特に大山積神の祭壇からは殆どの物が無く成っていた。
元々は土着の神として祀られていた大山積神(滑山大明神からの由来)、地元の方が優先的に此方の祭壇を保護した可能性も捨てきれない。
いずれ地元の方に再度聞き取り調査をしたいと考えています、鴨川市内宗教法人名簿にはいまだにその名を残しているこの神社。
今後どの様な経過を辿るのか、興味深く追跡調査していきたいと思います。
鴨川市内宗教法人名簿
https://www.pref.chiba.lg.jp/gakuji/shuukyou/houjin/kamogawa.html
来訪時の留意点
この天津滑山大山祇神社は現在非常に危うい建築状態と言えます、力学的な崩落の方向や崩落の仕方が判断出来る人物だとしても半径3メートル以内に近づくのは咄嗟の判断では難しいと進言します。また内部に入ろうなどとは絶対に思わないで下さい、その位危険な状態です。
近々この神社が崩落した場合の行政の対応なども管轄する課に伺いを立てる予定です、調査継続物件ですので出来れば現地を訪れるよりレポートをお待ち頂ければ幸いです。
因みにこの板の意味が解る方いらっしゃいますか?
この板、当初は奉納額の裏側かなぁと漠然と思っていたのですがどうやら全くと違う様でして。突然思い出したのでこれから調べようとは思っているのですがもしご存知の方が居ましたら是非ご連絡頂きたく思います、宜しくお願い致します。
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本日は以上です。
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
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写真撮影:6Frogs Design Works
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