Quantcast
Channel: 行ってみたら凄かった。アーカイブ
Viewing all 455 articles
Browse latest View live

REPORT - 1009│ナスカの地上絵

$
0
0

 

海外編│ナスカの地上絵

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - ナスカの地上絵

 

こんにちは、SAORIGRAPHです。梅雨ですね。

 

これからしばらく湿度との戦いだと思うとジメジメ不快ではありますが、枯れ果てた30代の乾燥肌にはありがたいところであります。本日はそんな湿気とは全く無縁のナスカの地上絵のお話です。

 

梅雨だからって湿度たっぷりモイスチャーなお話をすると思ったら大間違い。そうは問屋が卸しません。これからするのは、もうパッサパサに乾燥した場所のお話ですよ。

 

皆さん、手元にお茶の準備は宜しいですか?

 

破線

 

ナスカの地上絵、皆様もご存知でしょう。そうそう、あの、地面に描かれたでっかい絵です。ナスカの地上絵があるのは南米・ペルーのナスカ。首都リマからバスで7時間くらいの距離にある、非常に乾燥した地域です。

 

 

ナスカの地上絵
https://goo.gl/bXzMKC

 

 

ちなみにわたくしリマとナスカの間にある「ワカチナ」という砂漠の中の小さなオアシスの町にも滞在しましたが、ここも面白かったですよ。興味ある方は「サオリグラフ ワカチナ」で検索してみて下さい。サンドバギーやサンドボードで遊べます。

 

はい、話を戻しまして。

 

当初わたくしはナスカに行く予定はありませんでした。行った人から「実際に見るよりテレビ番組で見る方が綺麗に見えるよ」と聞いていたし、荒涼な大地にでっかい絵が描いてあるだけの景色(←失礼)を1万円近い料金を払って見たいかと言われればぶっちゃけどっちでもいい。

 

確かに「なんでこんなに大きな絵がたくさん描かれたんだろう」とか「どうやってこんなに大きい絵を正確に描いたんだろうか」とか不思議がいっぱいのナスカ、謎とロマンに包まれたとても魅力的な場所ではあります。そうゆうの、想像するの好き。マチュピチュとか、イースター島のモアイとか。でもナスカの地上絵はイマイチ気乗りしない場所でしたので、当初の旅ルートには入れておりませんでした。

 

そんな中何故行くことにしたのかって?「ペルー行ったのに、ナスカの地上絵見てこなかったの?」と言われるのが癪だからです。

 

それだけです。

 

ペルーと言ったらマチュピチュナスカの地上絵が有名ですからね!


 

ナスカのバスターミナルに到着すると、地上絵ツアーの客引きがわんさか群がってきます。客引きはうざったいけれど、街中のツアー会社を回る時間もなかったので条件に合いそうな客引きと交渉。小型セスナ(パイロット2名、乗客2名の計4人乗り)でディスカウントしてくれて、更に荷物預かりとシャワーも浴びさせてくれる客引きと交渉成立。

 

 

では早速、セスナに乗り込みましょう!セスナとか、初めて乗るなードキドキ!離陸前、パイロットに「もしゲロ吐きそうになったら、この袋に吐いてね」とビニール袋を渡されました。それほどまでに揺れるのでしょう。でも、「吐くくらいの緊急事態になったら、お前の頭にぶちまけるわ」と内心思っていたのは秘密です。

 

いざ、離陸。これがまぁ、揺れること揺れること!今まで飛行機に乗って怖いと思ったことは無かったのですが

 

「これは割とマジで怖い・・・落ちそう・・・」

 

と恐怖を感じました。

 

 

わたくしの命はこのパイロットに懸かっている。前言撤回。「何があってもパイロットにはゲロをかけまい」と誓いました。

 

 

 

さ、頑張って地上絵を見ましょう!まずは「宇宙飛行士」です。個人的にこの地上絵は、宇宙飛行士改め「ガチャピン」と呼んでおります。そう、あの緑色のアクティブな着ぐるみです。似てるでしょ?わたくし的に1番見たかったのがこの「ガチャピン」なのでもう既に満足です。カワユスなお方でした。

 

 

そして続きましては「」。

 

 

そして有名な「ハチドリ」。ハチドリは小高い丘の上に描かれていました。

 

予想以上に綺麗に見える地上絵に興奮しつつも。激しい揺れや機体の急旋回、耳元での大きなアナウンスに段々酔いが酷くなっていったわたくし。「右側に犬の地上絵が見えるよ!ほら!分かる!?」とパイロットに言われても

 

「うっせーな、こっちはそれどころじゃねえんだよゲロかけるぞ

 

と離陸直後の誓いを容易く破棄。人間て本当、怖い生き物ですね。


 

そんな瀕死状態でも気張っていきましょう。「蜘蛛」です。

 

 

ハチドリと似ているけれど、これは「コンドル」です。こちらも有名ですよね。やっぱり羽ばたく系はかっこいいからでしょうかね?

 

 

」と「」です。地味ですが、綺麗に描かれていました。

 

なんとかパイロットにゲロをかけることなく、無事に地上絵遊覧は終了。

 

結論としては「せっかくペルー行ったなら生でナスカの地上絵見ても後悔はしない」というところでしょうか。テレビやパソコンの画面で見るのと実際に目の前で見るのでは全然違うし、人から話を聞くのと自分が体験してみるのは全然違います。

 

今、自分の眼下にあのナスカの地上絵があるんだ!というリアリティを感じる瞬間は言葉では言い表せない充実感というか、感動を覚えます。

 

是非皆様も「行きたい!」「見てみたい!」と思ったら行動に移してみて下さいませ。(法を犯さない範囲で)

 

以上、第2回スゴログエントリーでした。梅雨ですがパッサパサな内容の記事でしたね。次回は同じくペルーにあるあそこの記事を書きましょうかね。ヒントは恐らく世界遺産好きなら一度は行きたい!と思った事があるであろう場所です。

 

6FROGS スゴログ サオリグラフ ウユニ塩湖

 

写真撮影:サオリグラフ


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい


REPORT - 1010│九州北部豪雨災害 朝倉被災地域

$
0
0

 

福岡県│九州北部豪雨災害 朝倉被災地域

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 九州北部豪雨災害 朝倉被災地域

 

2017年07月05日~06日掛けて九州北部で凄まじい豪雨が襲った、その雨量は該当地域の観測史上最高に達するもので梅雨前線に伴う継続的な大雨と台風3号に起因するものだった。

 

平成29年7月九州北部豪雨 - ウィキペディア

https://goo.gl/JWhsxp

 

 

当初の報道でも十分な被害報告だったが後に予想を上回る大災害となる

 

九州大学の川村隆一教授によれば「前線南側の太平洋高気圧は平年に比べて勢力が強く、大陸から南下した高気圧との間に挟まれた梅雨前線付近の上昇気流が一層強まっていた。そこに太平洋高気圧の西縁を通って南から多量の水蒸気を含んだ空気が流れ込み続け、線状降水帯が持続したとみられる」との事で今回の洪水災害のネックとなるのは”線状降水帯”の様だ。

 

線状降水帯 - ウィキペディア
https://goo.gl/TXkN57

 

この線状降水帯によって同日別地域においても甚大な被害を齎し、大分県や島根県でも大小含めて実に多くの被害状況に関する詳細が各種メディアで流れたのでその辺については割愛しようと思う。

 

今回はこの大災害から2週間(※2)経過した現地を改めて来訪、どの様に復興が進められているのかを見て来た。運良く熊本市の職員さんや一番被害が大きかった杷木星丸地区でご一緒した福岡放送さんからお聞きした内容なども含めてレポートする。

 

※2:2017年07月21日から現地入りしました

 

一般の立入が禁止されているエリア(※3)では未だその被害状況は芳しくなく、自衛隊による必死の捜索活動や瓦礫撤去作業などが続けられていた。建造物や道路、田畑などを含めて通常の生活に復帰出来るまでおよそ3年。更に完全な復興までは5年の歳月が必要とされているこの災害の今をお伝えしたいと思う。

 

※3:メディア報道の取材許可を得て入っています

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

 

最初に訪れたのはテレビの報道などでも頻繁に中継がされた朝倉市宮野地区、この付近では桂川と筑後川が共に氾濫して各川から流れる支流や用水路など危険水位を突破。周囲の施設や歩道を濁流が遅い、大きな被害を出した。

 

桂川は場所によっては通常の10倍の川幅に、筑後川は元々大きな川であったがそれでも5倍に川幅が広がっていた。

 

 

 

地図を見て頂ければ解ると思うのだけれどこの場所、川でも用水路でもない。普通の道路なのだ、集を田園に囲まれた特筆すべきロケーションではないが行き場を失った雨水は田畑に滞留し、そして氾濫した川の水も合流してこの様な有様に成ってしまった。

 

 

 

付近の主要道路さえ水没し、数多くの車が流された。中には人が乗ったものもあったと行政職員からお聞きした、この場所で偶然お会いした熊本市の職員さんによると今回の被害状況と記録して今後の災害対策に役立てるとの事。

 

そう、直接被害に合わなかった地域においてもこの局地的災害の現場は学ぶべき事が多いのだ。ここで朝倉市の行政サイトを見てほしい。

 

福岡県朝倉市 - 行政サイト
https://goo.gl/LdX5uz

 

朝倉市では、平成21年6月に筑後川、佐田川、小石原川を対象とした朝倉市洪水ハザードマップを作成しました。このマップは、概ね150年に1回程度起こる大雨(想定雨量:48時間521mm)が降ったことにより、筑後川、佐田川、小石原川が氾濫した場合を想定して、浸水する範囲と浸水深、避難所等を示したマップです

 

と言う記載と共にハザードマップのPDFリンクが貼ってあった。

 

朝倉市洪水ハザードマップ(PDF:6.74MB)
https://goo.gl/4DKadU

 

注目すべきは”150年に1回程度怒る大雨”だ、そう…行政はシッカリとこの地域の洪水についてある程度認識しており、しかも対策(防災整備)も行っていた。隣接する市の職員が視察にきていたのは、

 

平成21年7月中国・九州北部豪雨 - ウィキペディア
https://goo.gl/RdPT64

 

この様な過去があったからこそなのだ。

 

 

07月06日になると被害状況が明白に、洪水対策を上回る降雨量だった事が解る。

 

 

工場から流失したのか、大きな機械片が道路に転がっていた。眼前の田畑は干上がった川の様で地形が大きく変化していた、地図を見ながらでないと元々の様子を窺い知る事は本当に難しいのだ。

 

因みに無知な輩が「異常気象がー」「地球温暖化がー」と騒いでいるがこの地域の大雨・豪雨は全く関係なく、周期的な気象現象だとされている。限定地域と言うか局地的な集中豪雨は気象条件や地理的条件とかなり密接な関係にあり、今後もその多岐にわたる要因を細かく精査していく必要があると気象庁も発表している。

 

 

 

少々移動して県道80号線沿いの朝倉市立比良松中学校、こちらも実に沢山の報道機関が中継を行った場所なので見覚えがある方も多いと思う。

 

ストリートビューと見比べるとその被害の大きさも実感出来るだろう。

 

 

 

 

戦後の風景かと見紛う被災状況だった朝倉市山田地区

 

国道386号線を走っていると突然家屋の倒壊や用水路の氾濫跡が見て取れた、これは南側の筑後川が大氾濫して支流も溢れ返った事で付近の住宅が浸水。流れ出ていた土砂と流木で倒壊する家屋も続出した。

 

今回の洪水被害では”線状降水帯”と共に”流木による濁流被害”が注目されている、テレビでも中継された流木被害は如何にして起きたのだろう。

 

朝倉市と東峰村に押し寄せた流木は少なくとも20万トン※4)と推定されている。これは山に囲まれた地域で特に顕著で山の地中に貯水出来る容量を大きく上回って土砂崩れが起き、大量の流木が発生したものだと分析されている。

 

※4:13日に福岡県が公表したデータ、大分県を含めた流木の全体量はまだわかっていない。

 

住宅などへの被害を拡大した上、救助や復旧活動の妨げにも

 

九州大学大の矢野真一郎教授は被災現場を見てその様に話している(以下リンクより)。

 

九州北部豪雨 “流木”の脅威と対策は - NHK NEWS WEB
http://archive.is/Gqcdp

 

分析内容が非常に興味深いので是非ご覧下さい。

 

 

筑後川から延びる支流、この辺一帯がやや標高が低い事と平野部分が扇状に広がっていた事が被災した理由。筑後川からの逆流と上流からの土砂が丁度合流してしまい、天然のダムを形成して甚大な被害を周囲に齎した。

 

 

押し寄せた流木によって家を貫通して土砂が流れ込んだ。

 

この流木、実は土砂崩れだけでなく地域産業も密接に関わっている。今回被災状況が特に悪い朝倉市や東峰村、大分県日田市では林業が盛んで、山間部に植林されたスギが大量に土砂と一緒に流出した。

 

本来の自然森林であれば強い根と大量に許容できる地中の水分貯水量がこの様な大雨から麓の居住区を守ってくれる筈なのだが…が、今回の流木は植林されたスギ。

 

スギなどの植林地は、人の手で木を間引く間伐をしないと太陽の光が入りづらくなり、しっかりと地面に根を張ることができない。そのため、間伐を行わないと強風や大雨などの際に倒れやすくなったり、辺り一帯の地盤が崩れやすくなってしまったりする

 

日本テレビが取材した林野庁及び流木被害の専門家(詳細表記なし)によると上記の様な要約された状況が引き起こした二次的災害でもある様だ。また内閣府の担当者は、今回のような流木の被害について

 

根本的な対策をとれる段階に至っていない

 

と取材に回答しており、今後の見直し案にも大きく影響すると予想される。

 

 

 

国道386号線の側道からは道路や敷地に関係なく土砂が流れ込んでいた、手前の車が埋まっている場所は本来個人の畑。運悪く流れが滞留して奥の駐車場から車が流されてしまった。

 

 

 

国道386号線の歩道部分、瓦礫撤去と土砂撤去の為に歩道と車道の片方がこの様な状態、車道は勿論片側通行で慢性的な渋滞を引き起こしている。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここからは今回の洪水で一番の被害者を出した筑後川水系赤谷川の立入禁止区域に移ります、このエリアは現在でも一般の立入が制限されており、山斜面の地滑り、滑落・崩落、家屋の流出、その他土砂や流木によって死亡者が30名を超えた場所で自衛隊による復旧作業が継続しています。

 

 

雨が落ち着いた09日、時事通信者の記者が現地を取材している

 

 

 

国土交通省が公表している朝倉市ハザードマップによるとこの杷木星丸地区の氾濫危険水域は6300mm、市内の危険水域と比べる約二倍も猶予があるにも関わらず、山岳部の崩落が仇となって非難を遅らせた要因にもなっている。

 

つまりこの区域は普段より洪水とは無縁の地域だった事になる、今回の洪水においてこの場所は川の氾濫による被害と言うより土砂崩れとの弊害が問題だった。しかも赤谷川の氾濫も大規模で本来の川幅の約20倍にも達し、川沿いの家屋は容易に流されてしまったのだ。

 

非難が遅れた要因は先程の通り、川の氾濫より山間部からの土砂崩れで避難経路が遮断され、様子を見ている内に川が氾濫。それにより30名を超える死亡者が、地形的な問題が大きく関与した大災害となった。

 

 

 

ストリートビューだと在りし日の本松酒店の姿が、洪水時に2階部分まで土砂で埋もれてしまった。

 

尋常ではない土砂が流出し、裏手の山の地形も大きく変化。流れ出た土砂は突っ切る様に低地の星丸地区へ流れ込み、赤谷川と合流して周囲の家を飲み込んだ。

 

 

 

この様な被害は実は他にも記録が多数ある、今回は度々出てくる”線状降水帯”の継続的な降雨に寄るものだが地形的な気象条件で言えば”バックビルディング現象”が被害に至る背景として近いかもしれない。

 

バックビルディング現象 - NAVER まとめ
http://archive.is/4OQSf

 

この現象については現在も研究が続けられており、集中豪雨の被害形成に貢献できる内容だとして注目されている題材でもある。

 

更に移動しよう。

 

 

 

 

集落内の至る所で洪水の跡かと思われる水溜りが見られるがこれは家屋の洗い流しで自衛隊が高圧洗浄機で使用した水の排水跡、裏手の山斜面の整備を進めつつ高所の家屋や道路から順番に洗浄している。残念ながら業務用敷地や田畑は後回しになってる様だ。

 

 

記録的豪雨から1週間後の様子、既に復旧作業が開始している事が動画から見て取れる。

 

 

集落唯一の自動車修理工場兼中古車販売店、今回の洪水で廃業も視野に入れなければ成らない状況だ。

 

 

 

星丸地区の住宅を飲み込んだ赤谷川、通常は3メートル程の細く穏やかな川だが今回の洪水時には20倍、場所によっては更に倍の40倍(120メートル)もの川幅に。

 

田畑は全滅、護岸工事も流出した土砂と流木が邪魔で撤去作業が進まない様だ。人的被害は甚大で既に記載したとおり、まだまだその被害が広がる今回の九州北部豪雨災害。現場を改めて訪れると緊急を要した災害時とはまた別の姿を見る事が出来た、そしてこの取材中に起きた遠方秋田県での水害。

 

2017年の夏は水災害と向き合う年と成りそうだ。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

最後に被災者と行政の対応の在り方について問題視されている動画を、この動画の中で1人の男性(50歳代の被災者)が行政職員を罵倒している姿が映し出されている。

 

 

どう思われるかは視聴者の判断するところだが状況としては

 

付近の住民が志波小学校に避難、その後気象庁の天候悪化の発表もあり行政と警察で避難場所の再検討が行われる。裏手の桂川支流(用水路)が氾濫して志波小学校も倒壊の危険性が。安全の為に更なる避難場所へ移動を求めると、被災者が何を思ったか大声を張り上げる。

 

「ふざけるな!移動はしない!」
「市職員が身体の悪い人や高齢者を、一人一人移動させろ」

 

と意味不明な言動を発する。これに感化された数名が志波小学校からの避難移動を拒否、避難準備情報から避難勧告に移行したとはいえ強制力がないので行政職員や警察、消防関係者は避難民を連れて校舎(※5)へ移動。

 

※5:体育館から校舎への譲歩案でさえ移動拒否した様だ

 

これが「避難指示」であれば多少の強制力(※6)はあるがそうだとしてもこの様な輩は何かと文句を着けるのだろう、そもそも行政はこの状況下で住民の避難強力しているだけで避難誘導の責任など皆無。記憶を遡ればこの様などうしようもないアレな人達は過去にもいた。

 

※6:後に避難指示に移行したそうです

 

玄倉川水難事故 - ウィキペディア
https://goo.gl/gpNfPK

 

 

この避難拒否と良く似た所謂”逆ギレ”状態だ、この時市は移動の為にバスも用意したがこの無意味な拒否者の為に結局無駄に。他の避難者に散々と迷惑を掛けた上で結局後から校舎へ自主移動した。その後この方へ追跡取材した報道関係者は居ない様だが実に興味深いと思う、個人的見解としてはより多くの住民の安全確保の為ならば無意味なクレーマーを放置しても問題ない…そんな法整備も必要なのではないかと考えさせられたのでした。

 

本日は以上です。

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
エントリー本文を参照願います。

 

地図リンク

エントリー本文を参照願います。

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1011│白岩集落

$
0
0

 

埼玉県│白岩集落

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 白岩集落

 

久しくご無沙汰していた廃村物件、余りに有名過ぎて今では来訪者が少ないと聞く秩父の廃村群にお邪魔して来ました。幾分廃墟に対する写欲が薄れつつありますが素晴らしい廃美に触れると沸々としてくるじゃないですか、今日ばかりは防水コンデジにはゆっくりとお休みして頂きましょ。

 

( ˘ω˘)スヤァ

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

まずはこの秩父の廃村群一帯の歴史と簡単な現状をご説明しましょうか。

 

近代では石灰採掘による鉱石産業が有名な武甲山、古く江戸時代では「御林山」と呼ばれる自然保護(山林保護政策)の為に一般の周辺居住者が入山する事を禁じられていた。それは山菜取りや狩猟、材木の伐採など山に手を入れる事を全て禁止とする”山岳集落に住む人々には非常に厳しい政策”だったと言えるだろう。

 

しかし地場産業が無かったこの地域では集落から一里半(約6キロ)の範囲(※1)において「稼山」と呼ばれる入山許可が与えられた者のみが入れる”指定区域”が存在し、木製加工品や製炭などを許されていた様だ。結果、この微小な山岳産業が昭和初期まで残る事になるのだけれど明治時期に良質な石灰岩の大鉱床である事が判明すると大規模な採掘事業が次々に開始。

 

1940年に秩父石灰工業が操業を開始して以降は「山姿が変貌するほど大規模な採掘※2)」が無計画に薦められ、度々測量を行う(地図の書き換えも)までに。

 

※1:一理とは特定の距離を指すのではなく、一定時間で歩く事が出来る距離をそう呼んだ。つまり正確な距離を示す単位ではなく、また元と成った中国の一理ともその距離感は相違する。

 

※2:採掘事業によって標高さえも変わったのは有名、結果的に1336mから1295mを経て現在の1304mと成った。ただ三角点と最高地点が別々に指定されている事で国土地理院は今後その表記方法が変わる事も示唆している。

 

今回お邪魔した廃村群「白岩集落」・「冠岩集落」・「栗山集落」・「茶平集落」はその何れも類似する繁栄と衰退を経ており、各詳細な歴史を紐解くと特色も垣間見えてはくるが凡そ特色といえるだけの文化的違いはない。

 

参考 - 秩父山地の歴史と文化
https://goo.gl/PHf7Sy

 

武甲山 - ウィキペディア
https://goo.gl/z6RnKe

 

それでは最初に来訪した「白岩集落」、その今と歴史をご紹介していこうか。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

 

白岩集落へは武蔵白岩鉱山(JFEミネラル武蔵野鉱業所)脇のハイキングコースから急な勾配の山道を通って行く事になります、2015年までは現役であったこの鉱山だけれど事業縮小で同年3月31日に閉山。翌月からは早々に解体が開始され、特徴的だった軌道桟橋や工場施設が、その後同年10月にはサイロ四兄弟を含むほぼ全ての施設が撤去されて騒々しく稼動していた山中の鉱山施設は静まり返っていました。

 

武蔵野鉱業所 - 武蔵白岩鉱山の閉山について
https://goo.gl/zwPygM

 

入山して暫く歩くと頭上に廃屋が見えてきた、白岩集落は上白岩下白岩に分かれていて最初に見えて来たこのエリアは下白岩地区。実はこの下白岩地区も上下の平地をやっとこ確保する様に分かれて、下白岩の上方地下方地に別けて来訪する事になるのだ。

 

・白岩集落

・上白岩地区

・下白岩地区
 │
 ├・上方地
 └・下方地

 

※ 現在はありませんが別の場所に作業小屋が別々に2棟程存在した
※ 炭釜へ至る作業道も沢山存在
※ 昭和初期に消滅しましたが上白岩と下白岩を繋ぐ獣道も

 

今回時間の都合で上白岩にはお邪魔出来ないので土産物屋の「しらとり」やアノ車のおもちゃには会う事は出来ないけれど機会があればまた何れ。

 

※ 最後尾にちょっとしたサービスレポートを用意しました

 

さて、そろそろ廃村内を歩くとしよう。

 

 

こちらは白岩集落下白岩上方地、このお宅は外観こそ保っているものの内部はこの有様だった。床は抜け落ちて土壁は剥がれ、天井も崩落寸前と言ったところ。

 

江戸中期から製炭で生計を立てており、村内には小さいながら農耕跡も。明治以降鉱山事業が盛んに成った事で山間部では早い段階で電気が来ていた、これは居住者にとっては嬉しい誤算だっただろう。水道は山水を農耕用水と下水に利用し、井戸水を上水水利用していた。

 

製炭と鉱山事業で潤っていた最盛期では上白岩に6戸、この下白岩には23戸もの居住者が。

 

※ 戸数に関しては諸説ありますが恐らく合計29戸が正確な数かと思われます

 

 

風呂と釜場のエネルギーは主に薪(※3)、流石に製炭で生計を立てていた家系。その土地柄「火」に困る事は終ぞ無かったご様子。車も他の運搬方法も無かった急斜面の村ですからプロパンの導入も厳しい状況だったと言えます、しかし近年で言えば相当不便ではあったかと。

 

※3:1970年以降は灯油などを利用する家庭も。

 

 

1994年(※4)に最後の居住者として生活されていた90代の女性(神林・姓)が亡くなると完全な廃村に、超過疎集落であったこの村もいよいよ終焉を迎えました。

 

※4:別資料によると翌年の1995年とする記載も

 

この地区には神林姓新井姓の二つの苗字が確認出来た、特に新井姓に関しては秩父の山間部で本当に多い。この新井姓は元を辿れば群馬県多野郡神流町の新井姓(この地域も新井姓の占有率が高い)ともルーツは同じ、そして何れも山間部に多い…実はこの符合、歴史的な実証があった。

 

金達寿の著「日本の中の朝鮮文化」によれば

 

「関東の新井姓は、668年朝鮮半島で唐・新羅軍に敗れ日本に亡命してきた高句麗の王族 高麗王若光から出た者である」

 

とあり、群馬県南部から埼玉県北部に安住地の地を見つけたとする文献(716年に高句麗からの渡来者は埼玉県の日高に集められそこを高麗郷として定住したと記載)も。

 

あくまで少数の出典なので確証はないけれどその様な背景があったとするならば集中する特定の苗字にも納得がいく。因みに過去にレポートした、

 

 

もこの歴史的検証に合致した内容と言える。

 

 

別のお宅にもちょっとだけお邪魔する、こちらは床が抜けていない…と言うか抜ける寸前の状態。気になるのはちょいちょい真新しい缶などがある事。ハイカーさんかそれとも廃墟さんか、いやしかしどうやって中まで入ったんだよって言うね(床抜けそう)。

 

因みに日めくりカレンダーが1995年の4月3日になっているけれど廃村化したのは1994年だ、だれかが悪戯で捲ったのか…。いや、それなら態々1995年の日捲りカレンダーなど設置しない筈。ならば状況証拠から推測すると実際の廃村時期は1995年と言う事になるのか。

 

※ 当ブログでは判断出来ませんが1995年が濃厚です

 

玄関先にNHKのステッカー、うーむ…ここまで来るんかいっ。

 

 

この白岩集落を過ぎて鳥首峠を超えると「東の白岩」・「西の冠岩」と呼ばれた双子集落、「冠岩集落」があります。この廃村同様に製炭産業で生計を立てており、峠向こうの情報交換や物資のやり取りもあった様。

 

※ 冠岩集落は次回のエントリーでレポートします

 

ここらの廃村に限らず問題になるのは産業として残された物流(人・物・付随する関連性)、冠岩との関連性を深く掘り下げると長くなるので控えるけれど実は現在残る家屋とそうでない家屋…これにはこの”関連性”が少なからず関わっているのだ。

 

廃村後暫くは住民や離村した元住民で家主が居なくなった家屋を解体していたのだけれど1980年代に入る頃には放置する家屋も増えていき、廃村後の1990年代後半から自然倒壊を待つ廃屋ばかりに。

 

故に綺麗な跡地と自然倒壊した残骸が残る場所が混在しているのです。

 

それでは何故この様な両極端な状況が発生するのか、この白岩及び冠岩に限れば単独移住してきた家族は自然倒壊した家屋に住む率が高く、撤去作業が行われたのは冠岩集落ほか別の集落と家系的関連性や地場産業で繋がっていた家族が多いという事。

 

これは昭和中期までの地場産業に関する資料にも記載されているのだけれど他の企業や家系の一族と繋がりが強かった家庭は離村後の法的な後処理も含めて進める事が出来た、しかし単独移住の家系や産業と関わりの無かった家庭はそう簡単には行かない。

 

この様な山奥の廃村で解体されずに家屋が残っているのには意外と現実的な理由が介在している事が多い、この白岩集落も恐らくは。土地や家屋によっては現代の処理能力をもってしても所有者がハッキリしない物件もあるのだ。

 

 

白岩集落の該当地区の地名「白岩」、これは上白岩地区から眺望できる山の岸壁が石灰岩の為白く見える事から命名されている。白岩の由来は白い岩とは何ともシンプルで解り易い。

 

残念ながら下白岩地区からは見る事が出来ない、が土に覆われた斜面を掘削していけば同じ石灰岩の地肌が顔を出すに違いない。

 

※ 命名元となった白岩周辺は武蔵白岩鉱山の所有地で眼下では掘削作業が行われてた
※ この先にはウノタワと呼ばれるちょっと興味深い場所も(何れレポートします)

 

 

村内の生活道を通って白岩集落下白岩下方地へ、斜面にへばり付く様に建設されているが意外と地盤はシッカリしているのか建造物自体の強度はまだ保たれていた。

 

現在の建築基準では斜面の家屋建設に関する取り決めはとても厳しく、その基準を満たすには大規模な地盤整備工事が必要となる。

 

 

こちらのお宅はカレンダーが1990年の1月で止まっていた、隣接している家屋でも離村時期には随分と開きがある様だ。

 

別のお宅の新聞には1985年のテレビ欄が、残留物から各家屋の離村時期や家庭環境が窺い知れる。産業の乏しさから廃村と成った集落は全国に沢山あったがそのどれもがエネルギーの近代化などで山岳産業の衰退、そして代替燃料の普及が影を落としている。

 

製炭産業は1950年代後半には減少を始め、1960年代には化石燃料へと移行が開始。戦後復興のインフラ充実拡大がこの様な山間部での離村を推し進めたのは事実であろう、だからこそなのか全国的な廃村への道は同時期に集中しているのは歴史が語っているし有名な霊山廃集落群も廃村の理由から離村時期まで本当に酷似していた。

 

 

 

 

※ 霊山の廃集落群レポートはこの他にも沢山あります、是非ご覧下さい。

 

 

今更ながらの秩父の廃村群、その中の有名物件である「白岩集落」は如何だっただろうか。この廃集落が注目を浴びたのは2000年代初頭、心霊さんや廃墟さんが関東から程近い廃村写真をネット上にアップした事がはじまりだ、その後東京都の「」や「倉沢」など魅力溢れる廃村が周知となるのだけれど軒並み解体される中で今だ辛うじてその姿を見る事が出来る稀有な存在と言える。

 

そうそう、この地方にこんな昔話もあります。

 

埼玉の民話 - 機織淵
http://archive.is/53bWl

 

※ 埼玉県飯能市上名栗の白岩地区の昔話です

 

まだまだ興味が尽きないこの廃村、これからも是非残って欲しい廃墟物件の一つです。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

さて、最後に皆さんご存知のアノ”車のおもちゃ”の詳細を伝えて終わりにしたいと思う。知ってはいるし見た事もある、けれども一体アレは何なんだ?と思われている方が非常に多い様でして。

 

 

写真引用:MIMIZUのパワーアップBlog(ameblo.jp/pairzu)

 

これです、コレ。白岩集落と言ったらこのペダルカーですよね、来訪する皆さんが必ず撮影すると噂されるこの車のオモチャ。

 

このペダルカー、お名前は「スモールバード」さんと言う。株式会社モーリが1962年から10年間ほど企画製造した子供用のペダリングで進む車玩具だったのです、東京オリンピック開催の年(1964)には特別仕様となる、

 

 

写真引用:CBXmaster2004のブログ(blogs.yahoo.co.jp)

 

「スモールバード64」が発売されて爆発的に知名度が向上する。

 

この成功を元に毎年前面ナンバープレートに西暦が記載される様になって保存状態の良い車両になると発売年となる「1965」や「1966」などのステッカーが現存している、因みに「スモールバード64」だけはボディサイドパネルに車名が記載されている。

 

近年ではこんなノスタルジーなアイテムを復活させよう、なんてプロジェクトもありました。

 

ペダルカーマニアによる「スモールバード」復刻プロジェクト
https://goo.gl/8hfHdH

 

 

写真引用:五部輪通帳(blog.goo.ne.jp/smallbird2)

 

現存するスモールバードの中にはミュージアムコンディションレベルの物もあり、状態が良いと¥100000前後、デッドストックだとそれ以上の値が付く事も。ヤフオクなんかでも見掛ける事があるので欲しい方は探してみては如何だろう、相場は¥30000位の様だ。

 

 

写真引用:昭和的心の遺産を求めて(blogs.yahoo.co.jp/naohiro064)

 

余りに売れた為に他社から類似品も販売され、一時期は似た様なデザインのペダルカーが氾濫する事態に。結局造型精度の緻密さが勝っていたモーリ社が覇権を維持した様ではあるのだが。

 

写真は競合とも言えないパクリ他社”Nobu Cut”社のペダルカー(車名不明)、モーリ社のスモールバードは販売終了までの10年強の間に年間1万台を継続的に売り上げて最終的には累計台数10万台以上のペダルカー(スモールバード以外のペダルカーも含む)を売り上げたと言う。

 

 

これはモーリ社のスモールバードでないペダルカー、4輪化されてより安定性が増している。車名は「マイクロレディ」、名前から察するに女の子向けのペダルカーだった様だ。

 

知ってる人は知っている、そんなペダルカー「スモールバード」。随分昔に北原照久さんの著書か何かで偶々知る機会があって覚えていたんだけれどまさか廃村を調査していてペダルカーに行き着くとは夢にも思わず、いえいえ…これも廃墟物件の楽しみの一つと言える筈です。

 

本日は以上です、ほな。

 

協力(電話取材又は資料提供)
埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県飯能市上

 

参考文献
あなたの知らない埼玉県の歴史/著・山本博文
地名でたどる 埼玉県謎解き散歩/著・宮内正勝、加藤隆榮、千田文彦
埼玉県の歴史/著・田代脩、重田正夫、森田武、塩野博
さいたま市の歴史と文化を知る本/著・青木義脩

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
旧JFEミネラル武蔵野鉱業所脇のハイキングコースから鳥首峠へ向かう途中に下白岩集落と上白岩集落が点在している。

 

地図リンク
https://goo.gl/maps/F4VUAJqLder

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1012│冠岩集落

$
0
0

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

埼玉県│冠岩集落

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 冠岩集落

 

虫の居所をどうにか掴みたい、そんな愉快な仲間が集まる残虐ファイター集団「行ってみた」が今回お邪魔するのは数ある伝説を擁する「冠岩集落」さんです。

 

今更ながらの秩父廃村群、前回は有名物件の白岩集落についてレポートしましたが今回は双子集落としてしられるこの「冠岩集落」を皆さんにご紹介しようと思います。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

冠岩集落、白岩集落とは鳥首峠を挟んで西東の関係にありまして。立地や隣接集落としてもその関係性は密接な物でした、なのでお時間がある方は是非前回の白岩集落に目を通して頂いてから此方をお読み下さればと。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 白岩集落

 

冠岩集落は将門の残党が追ってから逃れる為に身を潜めた(※1)と言い伝えが残る他、「首無武者の伝説※2)」など将門に関する伝記が残されています。

 

それは即ちこの地の歴史が非常に古い事、そしてそれらを言い伝えるだけの長きに渡り人が定住していた事を証明しています。

 

立地としては白岩集落の様に急斜面に点在する様な事はなく、山間部の比較的平地が広がる場所に住居が集中する様に構成されています。大正時代以降昭和初期までの地図では5軒(※3)の家屋が残っており、その後2軒が自然倒壊して現在では3軒の家屋が残っています。

 

その内2軒は廃屋化、残りの1軒は林業の作業小屋として利用されてきましたが現在では随分と手入れをされていない状況が続いています。

 

ですが施錠され内部は恐らく比較的綺麗に保たれているだろうと予想出来るだけの状態を保っている点と野外の水道が生きている点でまだまだ人の気配を感じる生きた廃村とも言えるでしょう、その他には倉庫と厠が見てとれました。

 

※1:後程詳しく説明します
※2:旧名栗村に残る伝説で剣ヶ峰で将門と秀郷が勝負を行い(後に勝負平と呼ばれる地名になる由来でもあります)、首を取られた将門が首無武者と成って名栗村に逃げ込んだと言う物。またその時に名栗村の村人達に「追っ手に言うべからず」と箝口令を敷いたが村人が口を滑らせてしまい、この一体の人々に代々に渡り癩の呪いを掛けた、そんな内容の物語が残されています(首から上の無い将門がどう箝口令を敷いたのかは秘密です)。

 

※3:大久根茂・著「峠 秩父への道」によれば往時に6軒の家屋がと記載あり

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

広河原逆川線へ至る道すがら、上名栗への車両進入禁止の枝道へ。ハイキングコースを暫く歩くと登りの折り返し途中に廃村への入口が現れます、冠岩はその昔カムリイワと呼ばれており、この読みに至った経緯(※4)も少しばかり判明しているのですが余りに説明が長くなりそう…しかも更に「ウノタワ伝説」などの地場伝説も絡んでくるので興味のある方は是非各々で調べてみて下さい。

 

因みに「ウノタワ伝説」、そう遠くない内に別途調査しようかなぁと思っています。

 

※4:ハイキングコースか少し入った場所に冠岩と呼ばれる岩がありましたが林道整備時に撤去されました、これとは別に幾つか地名由来の伝説があります。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

離村時期は白岩集落より10年程早い1980年代、しかし先の説明の通り近年(2000年代)までは作業小屋の管理で人の行き来が頻繁にあった為に新しい残留物も意外と残っている。これにより来訪者が物を移動したりと諸々の介入もあって1990年代に離村したと言う説や実は限界集落じゃないか、なんて話まで。

 

いえいえ、そんな事は地域の住民推移の資料を見れば解ります。が、解らないのはこの地にどれだけの人が住んでいたのか、って事。実はこの冠岩集落、定住しない林業従事者が出入りしていたと言う資料なんかもありましてねぇ。

 

まあそれが白岩集落の住人じゃないかって話もチラホラ。

 

いや、ね…この辺を調べている最中に白岩集落の最盛期の家屋数と恐らく住んでいたであろう人間の数字が合わない(どうしても溢れてしまう)と悩んでいたのです。そこへ関連性の深い双子集落の冠岩集落の存在、そして同じ山岳産業の林業で生計を立てているとあらば邪推も強ち無理な考えでもないなぁと、国民全員に番号がふられる以前の時代ですからねぇ。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

こちらは現在も人の手が入っている(だろうと思われる)家屋、窓の破損もなく施錠されていて内部を窺い知る事は出来ない。因みに庭の水道は地下水汲み上げで井戸が併設されていた、今でも十分な水圧を確保出来ている事から潤沢な地下水源があるのだろう。

 

さて、ここでこの家の家主に関する重要な事をお話しようと思う。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

今回諸事情あって写真には収めなかったけれどこの冠岩集落には来訪者が必ず出会う「冠岩の板碑」があります。

 

以前は社の中に板碑と地蔵が大切に保管されていましたが自然災害(詳細な内容と時期は不明ですが2007~2012年頃の台風に因るものだと思われます)で社が崩壊、現在は屋根が転がるのみとなりました。

 

これは「青石塔婆」と呼ばれ、非常に古い石の塔婆。秩父で産出した緑泥偏岩に文字が彫られており、1403年(応永10年)の物や1475年9月29日(文明7年)の年号が現在判別可能な状態と成っている。室町期の青石塔婆で鎌倉時代から戦国時代までの間で一般化した石塔婆だ、しかし江戸時代に入ると「異端の教えからなる悪しき慣わし」と弾劾され、この青石塔婆は世から姿を消します。

 

そんな歴史の長いこの青石塔婆、なんと管理をこの家屋のご主人が担当されていたと言う。現在ではどの様な状況が判断出来ないのだけれど少なくとも近年までは掃除など手入れが行き届いていたのは確かだ。

 

余談だがこの青石塔婆、一体誰の物なのかを少しだけ。

 

この冠岩に「将門の残党が追ってから逃れる為に身を潜めた※1:参照)」と書いたがその残党の方達が村人に感謝(匿ってもらった)の気持ちを込めて御堂を建立しようとした、が完成間近に成って追っ手によって惨殺されてしまう。

 

哀れに思った村人達が供養の為に立てた…そんな言い伝えが残ってはいるのですが。板碑に刻まれている通り1403年や1475年などそれぞれの塔婆には開きがあり、恐らくは集落の住民の物だろうと推測されています。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

こちらは作業小屋、1960年以降に建てられた物です。

 

この一体は戦前から大量の植林が行われており、林業衰退後(小屋はギリギリ衰退前に建造されたと思われます)は全くと手付かずの状態が続いています。故に枝払いもされておらず、集落一体は昼間でも陽が照る事は殆どありません。

 

その為か植林された樹木以外の植物は背が低く、地面は絶えずジメっとしている。過剰に植林された樹木は十分に根を張る事も出来ず、近年の集中豪雨などの災害がこの地を襲うと大規模な土砂崩れを発生させる可能性も懸念されています。

 

実際にこの一帯の山間部では小規模な崩落が見て取れます。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

吐血しそうやで、なんてフォトジェニックなんざんしょ。

 

山中で見つけた素敵な廃要素はホンダのC100、簡単に説明すると昔のカブです。シート下のタンクマークがネジ留めではないのでどうやら1960年以降のモデル、テールも鷲鼻ではなくて大型化された物(マウント)が着いていたのでほぼ間違いなし。

 

このモデルと時を同じくして北米仕様として製作されていたCAシリーズなんか涎物でしてね、特にCA100ロードスターなんて現物見たら目ん玉破裂するんじゃないかと。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

うーん、ゲボい(吐くほど美しい)

 

そう言えば同じ秩父廃村群の山掴み集落にもホンダのC72が転がってた筈、アレも良いねぇ…神社仏閣だよなぁやっぱり。

 

って、そうそう。このカブちゃん、実は以前は倒壊した家屋に潰されておりました。そこへやって来た若者が居たんですねぇ、ええ。

 

リベンジ!廃集落と山歩き。白岩-鳥首峠-冠岩
http://archive.is/WisWu

 

※ アーカイブ化してリンクしました

 

この邂逅から既に6年、改変された廃美の歴史は既に正史と成りつつあるようです。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

うーん、ゲb…( ゚д゚)、ペッ

 

洗濯機などにゲボ程の興味もないわ、いや綺麗ですけどね…ええ。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

えっと、冠岩集落…実はこんな感じでレポート終了です。意外と書く事沢山あるんですよ、この集落の歴史に関して。が、どうにも「伝説」とか「言い伝え」とかが多くてそれらを全て検証するとちょっともう、なんか…ねぇ。なのでその辺はまあ、アレで。

 

真面目な話、産業に関しては白岩集落とほぼ同じ様な形態と歴史的背景を辿っています。それでは何故冠岩集落の方が離村が早くて白岩集落ほど語られる事が少ないかと言えば、それは単に他の集落や主要産業地との距離と位置関係と言えるでしょう。

 

白岩集落は林業での商品化された物を比較的楽に取引場所まで運ぶ事が出来ました、しかし冠岩はダムが出来る以前は本当に山奥に存在しており、その交通手段も限られていたのです。

 

そんな立地問題も”近しい関係にあって終末期を違えた双子集落の歴史”が物語る面白い一面と言えるでしょう。

 

次回は栗山集落へお邪魔します、本日は以上です。

 

協力(電話取材又は資料提供)
埼玉県立歴史と民俗の博物館

 

参考文献
あなたの知らない埼玉県の歴史/著・山本博文
地名でたどる 埼玉県謎解き散歩/著・宮内正勝、加藤隆榮、千田文彦
埼玉県の歴史/著・田代脩、重田正夫、森田武、塩野博
さいたま市の歴史と文化を知る本/著・青木義脩

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
浦山ダムを抜けて県道73号線進み、浅見キャンプ場先のT字路を左折。県道の終点地点から始まるハイキングコースを歩くと程なくして冠岩集落の入口と出会う。

 

地図リンク

https://goo.gl/maps/tPV4pzv3n8H2

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1013│栗山集落

$
0
0

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

埼玉県│栗山集落

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 栗山集落

 

古賀竜一郎博士によって組織された我々「行ってみた」一同、怒りと感情が最高潮に達する素晴らしき廃村を求めて遠路遥々「栗山集落」へやって来たぞ。雄闘バーロック※1)が幼少期を過ごしたと噂されるこの集落は一体どんな闇を抱えていたのだろうか、期待と不安を胸に秘めいざ推し参る。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

※1:第8話にして傑作回、主人公クラスです。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

さて、秩父廃村群三回目のエントリーは「栗山集落」です。前回の「冠岩集落」より少々移動して離れた場所と成りますが同じ名栗・浦山エリアの廃村群の一部となります、浦山ダム建設(※2)によって消滅の危機にさらされた時期もありましたが細い山道を挟んで便宜呼称「上栗山」と「下栗山」に分かれる形で現存しています。

 

※2:最後尾にて詳しく説明します

 

上栗山には5軒の家屋と農耕地跡(現在は確認出来ず)、下栗山には4軒の家屋と林業用作業小屋と倉庫が見て取れます。地図上では小さく見えますが実は結構な広さの集落でして、斜面にへばり付く様に家屋が密集する様に形成されていて他の廃村群とも良く似ています。

 

また名栗・浦山エリアの廃村と同様に主要産業は山岳産業(林業)で、それに加えて上栗山には既述の通り斜面を利用した平地での田畑運用が行われていました。この栗山集落の田畑は小規模ながら比較的広い面積を確保出来ていたの自活農業としては廃村群で一番の大きさだったと言えるでしょう。

 

この一帯は他にも有名どころで「岳集落」・「茶平集落」・「細久保集落」・「山掴集落」なども、どれも浦山ダム建設に際して語るストーリーがあるのだけれど後ほど簡単に説明したいと思う。特筆すべき伝記や歴史は無いものの、とあるゲームのロケ地※3)としても知られたこの地域の廃村取材の話なども絡めながらご紹介していくとしよう。

 

※3:後程詳しく説明します

 

- - - - -

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

この集落の特色として上栗山は主に農業を主とする世帯が、下栗山には林業を主とする世帯が道を隔てて軒を連ねていた。

 

当初はそうでなかったかもしれない、しかし長い年月の中で合理化を進めていった結果が現在の形成状態なのだと言える。

 

この栗山集落、その地名の所以となるのは裏手に聳える標高813.9メートルの栗山だ。対岸にも796メートルの山が存在するが此方は囲む様に「山掴」・「茶平」・「武士平」・「大神楽」と4つの集落を擁していたが栗山集落はこの集落だけで栗山の潤沢な林業資源を使用出来た事は立地上の幸運と言える。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

この家屋は下栗山の一番の見所と言える家屋だ、2013年位までは玄関の扉も綺麗に残っていて内部も殆ど荒らされる事は無かった。転機は2014年、その年に関東を襲った記録的な豪雪(※4)によって奥の別棟が地盤ごと崩落。

 

※4:平成26年豪雪→https://goo.gl/iR4ndy

 

何故か時を同じくしてその年からウェブ上のレポートでは扉が開いた状態の写真を多く見掛ける様に成った、現在内部は動物にも人間にも物色されてしまい当初の人の気配などは微塵も感じない廃屋と化してしまった様だ。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

上下に分離している栗山集落だけれど離村時期が大きく異なっている、どちらかと言うと下栗山の方が主要道路にアクセスも容易なのだけれど驚く事に上栗山には2000年の新聞が残されていた。正確な離村時期は判明しなかったけれど2001年辺りに最後の住民が山を下りたそう、主要道路からは100メートル程急な斜面を登らないと一番上の家屋へは届かない。

 

一方、下栗山の方は1970代後半には離村(道路沿いの家屋のカレンダーは1977年05月で止まっている)。この開きはどうやら高度成長期の製炭産業衰退に因ると思われる、この地域に限らず林業(特に製炭などの山岳産業)は1970年代に急激な衰退傾向を見せている。

 

山により近く、そして運よく平面に農業用地を確保出来た上栗山は細々ながら生き長らえたと考えられないだろうか。この件に関しては資料もなく、行政も詳細を把握していなかった。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

先程の立派な家屋の内部はこんな感じ、此方のお宅のカレンダーは1986年で止まっていた。正月飾りが残されているので年が明けて間もない時期に急を要する状況で離村したと思われる、兎に角と生活観が色濃く残っていてまるで夜逃げの様な体。

 

まあそんな謎を残した様相が企画と合致したのだろう、ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパンが発売したホラーゲーム「サイレン※5)」のロケーション取材地の一つだったりする。とても知れた話なのでご存知の方も多いだろう、元々はアメリカの地方都市での物語がベースと成っていたがシナリオライターの佐藤直子さんが廃村の民間研究者である浅原昭生さん(※6)と知人だった為にジャパンテイストを取り入れる為に相談、結果取材地に秩父の廃村群が選出された経緯がある。

 

SCE - サイレン
https://goo.gl/5crzfd

 

その取材の模様も浅原昭生氏のウェブサイト「HEYANEKOのホームページ」で一部だが確認出来るので是非見て欲しい、該当ページでは取材地は「栗山」・「」・「茶平」・「武士平」・「大神楽」・「山掴」の各集落との事。

 

山の斜面にある暮らし - あった暮らし 平成14年春
https://goo.gl/RqkfBp

 

このゲーム関するロケ地に関してはウェブ上に諸説語れているが資料として文献や写真は参考にしてもモデルと成ったのはこの地域のみ、よく奥多摩地区の倉沢集落なども語られるがどうやら間違いの様だ。

 

また特定の集落を指して「ここがモデルと成った廃村だ」などと書かれたサイトも見掛けるが記述の通り、この一帯の廃村を統合的に具現化したもの、それがこの取材背景なのだとお解かり頂けるだろう。

 

※5:参考(ウィキペディア)→https://goo.gl/XEqG7N
※6:ウェブ上ではHEYANEKOと言うHNで知られている廃村研究家

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

集落として伝える事が少なかったのでどうしても周辺の歴史や全く別のアプローチでご紹介した「栗山集落」、最後に浦山ダムの建設に際してダム湖に沈む可能性もあった事をお伝えして終わりにしようと思う。

 

冒頭でも少し書いたがこの集落、ダム建設によって消滅の危機にあった。それはまだ人が住んでいいた1947年、戦後間もないこの一帯の山間部で治水の為に建設された「二瀬ダム」まで時間を遡る事になる。

 

二瀬ダム - ウィキペディア
https://goo.gl/YyVL9i

 

その後の経緯は再度「浦山ダム」のウィキペディアを参照して欲しい。

 

浦山ダム - ウィキペディア
https://goo.gl/HQ57KR

 

1972年の着工後、やはりと言うべきか…周辺住民への理解はそれほど進んではいなかった様で幾つもの集落と建設反対問題で衝突する事になる、金銭的解決で自主的に離村した集落はダム湖の底に沈んでいたりダム施設用の敷地として再整備されたりと現在でも跡地を見る事が出来る場所はチラホラ。

 

着工2年後の1974年の航空写真では現在と大きく異なる地形が容易に見て取れるだろう。

 

https://goo.gl/bqPz93

 

現在では以下の様に大きく変化した。

 

 

栗山集落では最後の離村が2001年頃だと推測されている、ダムの完成が1998年で即時運用が開始されている事から少なくとも完成後2年以上は住み続けた様だ。これは他の同一廃村群では断トツで遅く、不便を感じながらも建設中の20年以上の歳月をこの地で過ごした事に他ならない。

 

そう、この集落にはまだ解明しなければ成らない謎が残っている。それは近年まで住民が残り、そしてどの様に去っていったのかだ。栗山集落内では生活観が残された家屋が多い中、1軒だけ長期在住した理由や他の村内住民の様子を知る事が出来る重要な鍵にも成り得る。

 

が、それも既に15年以上の歳月(2017年現在)が経過している事を鑑みれば…少々遅過ぎたのかもしれない。どちらにせよ、この廃村群の中で唯一継続調査物件として資料精査を行っていきたいと思う。何か情報があれば是非お寄せ頂きたい、追加エントリーがいつになるか確約は出来ないけれどこれらの謎を解明してみたい…そう思える廃村でした。

 

本日は以上です。

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
浦山ダムを抜けて県道73号線進み、浅見キャンプ場先のT字路を左折。途中細い枝道から山間部へ入ると道路沿いに廃屋が見える。

 

地図リンク

https://goo.gl/maps/8uvtLwybKSw

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1014│茶平集落

$
0
0

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 茶平集落

 

埼玉県│茶平集落

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 茶平集落

 

熱い心を強い意志で包んだ人間たち※1)」でお馴染みの我々「行ってみた」メンバー、菊池俊輔作曲のテーマ曲をパワープレイで気分は既に最高潮。

 

※1:原田大二郎を降板させた事は絶対に許さないぞ

 

今回の廃村群来訪ではその荒ぶる調査意欲を惜しみなく注いで来たわけですが一先ずこのレポートで最終回、まずは前回までの

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 白岩集落

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 冠岩集落

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 栗山集落

 

を是非読んで頂きたい。そして最後の秩父廃村群は「茶平集落」と成ります、それぞれが特有の文化形態と長い歴史を持っていたこの地域。まだまだ語り尽くせないけれど、もしこの地域の歴史に少しでも興味を持って頂けたなら本当に嬉しい。

 

それでは「茶平集落(チャデーラ)」のレポートを始めましょうか。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

茶平集落は旧主要道路から作業道を上り詰め、斜面に開けた少ない平地を利用して集落を構築していた。良く大げさに険しい山道を登り~なんて表現をしたレポートも見るけれどサンダルで行けるレベルなので比較的来訪する敷居は高く無いだろう。

 

また別のサイトでは「集落の外れにあった石灯籠」やら「集団で離村したようなので、その際にお墓もきちんと移動」などと根拠の無い解説をしていたけれど現地で確認するにどう見ても「石祠(せきし)」だ、小祠や小堂とも呼ばれていて墓石との関連性も非常に深い(※2)。つまり祠を残して墓石を移動する事は通常有り得ないのだ、まあ結論を言えばこの集落にも墓地跡※3があるのだけれど。

 

※2:茶平集落の石祠は「平入り」と「流造り」でした
※3:個人墓地が2箇所、集団墓地が2箇所と合計4箇所の墓地跡があります

 

※ [墓地について] この集落には上林姓と浅見姓が確認出来るけれど浅見姓の墓地はとても新しく、どうやら造られたのは80年代の様だ。細かく調査していないが恐らく他にも個人墓地が存在していると思われる。

 

こちらのレポート(ブログ)で墓地跡の写真が確認できますhttps://goo.gl/D1Vn2K

 

更に後述するけれど茶平集落、「集団で離村した」などの事実も無くて家屋毎の離村時期は非常に長く離れている。これは栗山集落でも説明したがダム建設と山岳産業衰退に起因しているのだが併せて説明しよう。

 

他にも茶平集落は上方地と下方地に分かれていて白岩集落や栗山集落同様、収入源となる生業や離村時期も分かれていた。軒数は上下併せて11軒、これに作業小屋などが3~5軒あったとされている。

 

この様な歴史的一致は秩父は廃村群に共通する一つの特徴と言える、集落生成時期は違えど類似する環境で同一の時代を生き、更に似た様な衰退傾向を辿ったこの一帯の着目すべき調査対象だろう。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 茶平集落

 

こちらは上方地の倒壊間近と思われる家屋、内部は非常に荒れていて見るべき残留物も余りない。どういった理由からかは判明しなかったけれど2011年以降から急激に家屋の倒壊や内部の荒廃が進んだとの記載をネット上で見掛ける、家屋倒壊に関しては例の記録的豪雪(2014年)だろうと思うけれど…。

 

そう、この茶平集落において一軒だけ現在も管理されている綺麗な家屋がある。しっかり施錠されていて内部も綺麗な状態を維持している様だ、今回調査した一帯の廃村群では非常に珍しい。

 

聞いた話によると以前は廃墟同然の管理状態だったが来訪者が内部を荒らすばかりか家財道具や残留物(現役)を持ち去る事案が頻発、地元警察の指導もあって全ての窓や扉部分を施錠してトタンなどで閉鎖したそうだ。

 

※ 白岩集落にも似た様な対策をした家屋が確かあったな様な…。

 

推測の域を出ないが恐らく下方地の家屋(新しい残留物が残された家屋がある)か施錠されている上方地の家屋のどちらかが最後の離村家族と思われる、残留物から双方平成になってから…それも2000年前後と思われるつい最近まで生活していた痕跡を見て取る事が出来た。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 茶平集落

 

2012年までまだ辛うじて建っていたこの家屋もここ数年で倒壊してしまった、この様に自然の力によって少しづつ廃村としての景観は失われていく。

 

そもそもこの浦山地区、1800年代には記録されているだけで17集落(実際に2軒~3軒の小規模集落も確認されていて20集落以上の集落群が形成されていた)、200を超える軒数を誇っていた。その後戦後復興の中で高度成長期を迎えると山岳産業が衰退し、減村したのは秩父廃村群のレポートで既にお伝えした通りだ。

 

現存している廃村はつまり、産業衰退の残骸かダム建設時に標高的な立地条件から難を免れた運の良かった集落と言う事になる。それもインフラが整いきらなかった現状を鑑みれば廃村化した事は当然の成り行きと言えるだろう。

 

ダム湖(秩父さくら湖)に現在水没している、若しくは撤去され整地された村は「道明(道明石と表記しているサイトが多数あるが間違い)」・「寄国土」・「森河原」・「寄国土」・「大岩下」・「土庄」から47軒が水没、これに加えて現在地名が残っていない2つの小規模集落が飲み込まれてしまった。

 

詳細に記載するとかなり長くなるので更に知識を深めたい場合は「浦山ダム水源地域整備計画図」や行政記録、また下記の書籍を参考にすると良いだろう。

 

過疎辺地地域問題調査報告書/過疎地域問題調査会(1983)
秩父浦山ぐらし/黒倉正雄(2005)
村とダム 水没する秩父の暮らし/山口美智子(1997)

 

※ これらの歴史検証に際し、ウェブ上の記載はコピペが溢れかえっている為に誤表記や歴史の検証ミスなどをその間々掲載している箇所を多く確認した。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 茶平集落

 

さて、気に成る離村時期だが記述した新しい家屋は2000年前後なのは間違いないだろう。村内の離村自体は上方地と下方地でやはり別れていて多くの家屋は1960~70年代に上方地で、その後1980年代には殆どの家屋から住人は移動した様だが下方地の家屋からは新しい家具や雑誌も散見出来る。

 

兎に角手掛かりがバラバラで正確な離村と言うか廃村化の時期特定は出来なかった、下方地には古い生簀(池ではなくて生簀的な物と思われます)やちょっと変わった残留物もあるのだけど色々と確認が取れなかったので名言は避けよう。

 

関連性がある作業小屋として北東と東側にそれぞれ1軒づつ家屋跡が見て取れる、しかし資料を見る限り「茶平集落」としての軒数に数えられてはいない。

 

スゴログ 行ってみた 廃村 廃墟 茶平集落

 

以上で「茶平集落」のレポートは終了だ、どうしても当初の「白岩集落」や「冠岩集落」に比べると情報量が少ないがそれは別に歴史や文化、独自産業の差ではなくて地域差が少ない為に補足説明する部分が減ったに過ぎない。

 

この廃村群一帯でみれば「浦山地区」の”浦山”とは武甲山の裏手の山間部だから「裏山」、それが転じてこの一帯を「浦山」と呼称した…と言った全体像を構成する要素の一つだと思って頂ければ間違いない。それぞれが独自の特色を保持しつつも一帯の廃村群は極めて深い関係性と類似する環境下であったと、それ故にそれぞれが魅力ある廃村として現代においても来訪者を尽きさせない理由でもある訳だ。

 

しかしダム建設に関する移転問題は既に解決され、補償も終了している。よって現存する廃村群は今後自然の力によって消滅する事が決まっている期間限定の”ナマモノ”なのだろう、この素晴らしくも美しい廃村群が楽しめる残された幾ばくかの時間、歴史や受け継がれた物語に着目して造詣をより深めるのも良いだろう。

 

本日は以上です。

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
浦山ダムを抜けて県道73号線進み、寄国土トンネルを抜けて直ぐの脇道へ。途中細い枝道(二股)から左側山間部へ入ると道路沿いに廃屋が見える、右側山間部にも関連する廃屋が残る。因みにこの寄国土トンネルの名称はダム建設で消滅した「寄国土」と言う地名が残ったもの。

 

地図リンク

https://goo.gl/maps/qk3Ji9TTq4A2

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1015│白雲瀧 再訪

$
0
0

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

栃木県│白雲瀧

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 白雲瀧(白雲の滝/華厳渓谷/鵲橋/五郎平茶屋滝壺道/華厳瀧壺道)

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査終わりました

 

※ 2014年に中宮祠下水処理センターの排水口付近の崩落とアプローチルート壁面の崩落が発生した為に来訪は非常に危険です。またこの崩落箇所の上部壁面が新たな崩落を予測される横亀裂を起こしています、絶対に類似行動は控えて下さい。

 

※ 2017年08月、アプローチルートは崩落が進んで非常に危険な状態です。

 

約6年間に渡り、現地調査してきた「白雲瀧」。その大部分は白雲瀧の周辺の地形や地質、そして五郎平茶屋滝壺道を経て鵲橋へ至るまでの厳しい廃道状況の報告を行ってきた。

 

前回(2016年)は恐らく未踏の地であった念願の白雲瀧の対岸へ赴き、その危険な地形をお見せ出来たと自負しているのだけれど今回はスッカリと行く事のなくなった鵲橋へ再び行ってみようと言う事に。

 

5年間行かずの廃橋へ、現在の鵲橋は一体どうなっているのだろう。果たして橋へ辿り着く事が出来たのか、白雲瀧再訪レポートの最終回となる「白雲瀧」3回目のエントリーを早速始めましょう。

 

過去2回のエントリー(来訪は毎年なので追加エントリーが複数有り)

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

※ 説明簡略化の為、上記レポート(初来訪以降のエントリー)を読んだ上でお楽しみ下さい。

 

破線

 

今回は「行ってみた」のメンバーがかなり揃いました、海外組と仕事組を除き総勢6名でのアタックは同行人数としては過去最高です。それ故に危険な現地での移動時間は予想を大きく上回り、安全対策もそれだけ慎重にならざるを得ません。

 

今回で白雲瀧は最後の来訪となる予定です(別の華厳渓谷来訪で同じルートを通りますが単発物件としては最後と成ります)、なのでまだ連れて来た事の無いメンバーに是非この美しい風景を見せたかったと言う思いもありました。

 

しかし大人数ってのは予定を合わせるのが大変でして、当日は7名の予定が仕事で1人減っての6人に。それでも既述の通りの過去最高参加人数、忘年会位ですよ…全員揃うのは。

 

 

時間:0750
標高:1214m
天温:曇/14℃

 

※ オンマウス(ロールオーバーで画像が切り替わります)

 

アプローチを割愛してサクッと最初にして最大の核心部分、下水処理場から放出される処理水の滝を降下します。この場所、震災後の2011年、2012年と来訪に問題は無かったのですが2013年頃から処理水出口のパイプ付近が徐々に崩落。しかもその周辺も規模は小さいものの土砂崩れをを起こしてしまい危険な状態に成りました、更に悪い事は続くもので2014年の記録的豪雪時にはこの一体が大きく崩落。そしてトドメは翌年2015年の連続台風による大規模土砂崩れでした、下方は120メートルの断崖絶壁

 

(この状況を写真をオンマウスにして再度確認して下さい)

 

岩肌は水流によって滑り易く、そもそも脆い岩質でバイトできる場所も意外と少ない。と、言うのもこの辺の岩は板状の崩落岩が重なる様に堆積していて何処も彼処もグラグラと動く。結果、身体を預ける事が出来るホールドが大して無い中で移動しなくては成らない。

 

斜め下に下る様なトラバース、そして崩落しそうな場所赤円)も注意深く観察しながら互いに声を掛けながら進む。トップはロープを固定出来る箇所を幾つか見つけ、そして後続は無線連絡でその状況を判断。

 

上級者が初心者を挟む様にゆっくりと進むので通常は5分程で通過する所を30分以上掛けて進むのだ。

 

注意点:岩に身体を預けず、足場を確保してゆっくり進む。
注意点:ノーロープはリスクが大きいので”行ける”と思っても必ず設置する

 

photograph:+10

 

 

時間:0830
標高:1199m
天温:曇/14℃

 

※ オンマウス(ロールオーバーで画像が切り替わります)

 

写真には5人が連なっている事が解るだろう、最初の写真の一番奥の箇所から写真を撮影しているのだけれどこの場所。

 

実は草木で隠れているが近年大規模な崩落が発生した所、その為根の張った樹木や茎の太い雑草は殆どないので慎重に進まなければ成らない。

 

ズリっと行くとゴロっと逝く。

 

オンマウスだと解り易いだろう、この様なルートを最初に設置したロープを頼りに手前方向へ降下する。山経験の少ない者はルーファン次第では「」もあり得るのだ、これは大袈裟でもない表現でもしそれでも現地に赴きたい方は熟練者同伴の下で潤沢な装備を用意して頂きたい。

 

※ 何度も書きますがこのルートを通過するのはオススメ出来ません。

 

注意点:ここでもロープは必須
注意点:冬季は地面が見えているが下記は草木で見えないので留意して降下する
注意点:親綱にはスリング+フリクションノットでセルフビレイを徹底

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:0850
標高:1184m
天温:晴/17℃

 

核心部分は抜けて一安心、ここからは若干緩くはありますがギリギリ2本足で降下出来る斜面を一気に下ります。

この場所も以前はもう少し緩やかな傾斜だったのだけれど上部の土砂崩れと時を同じくして2015年位からキツク成って来た、そう遠くない未来にロープで降下する時が来るだろう。

 

因みに20メートル程降下して左へ大きく迂回すると以前までは鵲橋へ至る獣道が薄っすらと残っていた、今回確認したがその形跡は途中から崩落の為に消滅しており、別ルートを開拓しなければ成らなかった。

 

やや右方向へ下るとお目当ての白雲瀧だ。

 

注意点:前傾姿勢を避けて斜めのスタンスを維持する

 

photograph:+10

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:0910
標高:1170m
天温:晴/18℃

 

白雲瀧が初めてのメンバーも含めて全員で一休み、ここまでで既に1時間。これが2011年であれば10~15分で単独踏破出来た(※1)、それだけ短時間で地形の変化が大きかったと言う事だ。

 

しかし美しい、この場所は本当に美しいのだ。

 

※1:白雲瀧最初のエントリー(https://ameblo.jp/6blogs/entry-10967902432.html)参照

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:0950
標高:1170m
天温:晴/19℃

 

一折この絶景を楽しんで頂けた様だ、それでは本日もう一つの目的地である「鵲橋」へ向かう事にしよう。

 

先行隊には緊急時用のロープと登攀器具、そして通常のロープをパッキング。この様に状況に応じて共有アイテムを現地でリパッキングする事も度々ある、マッシャー用のショートロープと安全確保用のスリング、そして要救助者引き上げ時必要な倍力システムのお浚い…足場が悪くて危険な斜面では必要とされる道具と知識は多い。

 

注意点:以降、要救助者への救護措置の知識と救助行動の知識が必須と成ります。

 

 

時間:1020
標高:1177m
天温:晴/19℃

 

以前までは鼻歌交じりに踏破出来た獣道(旧・五郎平茶屋滝壺道+1980年代に釣人が開拓した華厳渓谷への複合道)、現在はこの様にキツイ斜面が広がっていた。オンマウスでなら確認出来るが薄っすらと道筋を辿る事も可能だが途中でガリーに突き当たり、結局その地点(ポイントアイコン)からロープで降下する事にした。

 

※ 赤丸は先行者がロープで降下しているところ

 

この道筋は本来なら「五郎平茶屋滝壺道」と呼ばれた華厳の滝へ至る野良の観光道だった、華厳の滝の観瀑エレベーターは1930年に完成しているので滝壺手前で1937年まで営業していた五郎平茶屋へは既にこの道ではなくてエレベーターを利用していた筈。

 

そう考えるなら90年近くの間””として残っていた事に成る、ならばこの状況は意外と酷くは無いのだろう…か。

 

この辺に関しては過去2回のエントリーを参照して欲しい。

 

しかし一世紀前にはこの道を通って華厳の滝の滝壺へ行けて、しかも滝壺前に茶屋が在ったとか…現在からはどうにも想像出来ないなぁ。

 

注意点:下方は樹木が多いので滑落しても下までは落ちないが傾斜はキツイ

 

photograph:+10

 

 

時間:1100
標高:1163m
天温:曇/21℃

 

この写真、なーんかオカシクないですかオンマウスで本来の状況へ)。

 

そう、降下途中で小さな平地(幅30センチ程)を見付けたので皆(後発隊)で休憩中なのです。先発隊は華厳渓谷まで降下するも鵲橋までの道筋が見付けられず上り返しの最中だったりします、この辺りは倒木も多くてバイト出来る岩も少なく、斜面はズルズルで本当に苦労します。

 

暫くして先発隊と合流、新たにルーファンしてガリーを越えた場所に降下出来そうな場所を発見しました。

 

いよいよ6年振りの鵲橋さんです。

 

photograph:+10

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:1140
標高:1151m
天温:曇/21℃

 

30メートル+20メートルのロープを使って約40メートルの斜面を降下します、2011年頃はまではこの少し手前から岩場を利用して下まで行けたのですが現在は崩落の為に敢えて堆積物の少ないガリーを降下する事を選んだのでした。

 

注意点:浮ガレなので下方に人が居ない事を無線で確認しながら降下
注意点:上り返しを考慮して降下ルートを決定

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:1140
標高:1142m
天温:曇/21℃

 

到着やー

 

いやぁ大変だったけどやっとこ来れたよ鵲橋さん年齢の所為なのかビビりに成ったのか、本当に崩落が進んだのか…様々な不安要素を乗り越えて本当に苦労して辿り着いたですよ。

 

橋自体の劣化はそこまで進んでないけれど人が渡らない(※2)この廃橋は今や自然造形の一つとさえ見えてくる、そんじゃ記念撮影するですよー。

 

※2:実際は河川管理の為に日光土木事務所と古河日光発電馬道発電所の各職員が往来する

 

photograph:+10

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:1210
標高:1138m
天温:曇/22℃

 

リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。

 

恐らくは近年で鵲橋に一番人が滞留(6人)していると思われる写真、賑やかです。

 

さて、ここで本日の今後の行動について考える。時間的にこの人数で対岸へアプローチするのは少々危険だ、なので少しでもその雰囲気を楽しんで貰う為に白雲瀧の渡河だけでもやってみようか。幸い水量が多くても最上流の中島は足場がシッカリしている、ロープさえ設置すれば滑落の心配は無いだろう。

 

十分な休憩と撮影時間を取り、パッキングを済ませて上り返しの準備を進める。

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:1230
標高:1129m
天温:曇/21℃

 

一方撮影班は華厳渓谷まで至らずとも鵲橋の下方まで降りてカメラを構えていた、しかし昼前から急激に天候が悪くなって来ており、偶に小雨がパラつく天候状況では折角の美しいこの風景が綺麗に切り取れない様だ。

 

集合を掛けて橋まで戻って貰い、上り返しを開始。

 

注意点:ロープ回収は危険を伴うので同伴を1人つける
注意点:水に濡れたロープは重いので複数人で分担してパッキング

 

破線

 

2018年の計画になるがここから更に華厳渓谷を下り、ちょっとアレしてきます。本当は2017年09月に計画してたんだけれども天候が芳しくなくて延期になりました。

 

photograph:+10

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:1320
標高:1163m
天温:曇/19℃

 

戻ってきましたやで。

 

いつも通りの行程だけれど初めて組にはこの降下は中々迫力があると思う、滝壺に向かってギリギリまで攻める事が出来るこの場所は白雲瀧にあっても非常に特別な風景を見せてくれるのです。

 

小雨が降った所為か午前中より若干水量が増えています、と言う事は地下で繋がる最上流部の男体山ではもう少し激しい雨が降っているのかもしれないな…これは余り長居せずに早めに切り上げた方が良さそうだ。

 

安全を考慮して3人づつ降下、2人入れ替えを繰り返して最後に上級者がロープを回収した。

 

注意点:目の前が段瀑の最高低差の場所なので水流に注意する
注意点:崩落箇所が点在するので足元に注して歩く

 

photograph:+10

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道

 

時間:1400
標高:1163m
天温:曇/19℃

 

今回で最後とした白雲瀧、その理由は最初の来訪時の感動を余り薄めたくないと言う気持ちと単純に年々来訪が難しくなって来た崩落に起因している。そして「行ってみた」としても知りたい事は十分知れたし現地で楽しむ事も出来た事で満足していると言うのが特に大きな思いだ。

 

今後、どうにか安全が確保出来る状況でこの先の華厳渓谷へ何度か来訪する事に成るけれど白雲瀧では是非足を止めてご挨拶位はしたいと思う。

 

6年に及ぶ調査で廃道の歴史と現在の状況、そして白雲瀧発見へ至るプロセス、美しい自然との邂逅…それぞれが本当に山屋を楽しませてくれる要素で一杯だった。こんな綺麗な場所が日本に在ったんだと、何度も再確認させてくれた思い出の場所にも成りました。

 

恐らく、このレポートを読んでも「それでも白雲瀧に行ってみたい」とおっしゃる方は沢山居ると思う。エントリーの中で鬱陶しい位に危険を促してきたけれど一度啓発された気持ちは中々と治まりが効かないものだ、であるならば。

 

どうか安全に関しては十二分な準備を、そしてどうか熟練者の同伴を。

 

行った結果それが簡単だと思えても天候一つで、注意不足一つで美しい自然はガラっとその表情を変えてきます。コレが本当に怖い、こんな事ばかり書いてはいるけれど約束出来る事もあります。

 

この場所は本当に綺麗で、そして美しいです。

 

破線

 

 

これにて白雲瀧のレポートは終了です、今度は華厳渓谷のレポートでちょっとだけお目に掛かるかもしれません。その時はほんの少しですが白雲瀧さんをお見せ出来ればと思います。

 

本日は以上です。

 

スゴログ 行ってみたら 華厳渓谷 白雲瀧


調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
中禅寺湖T字路から国道120号線下り方面(いろは下り)のみとなる分岐部分、手前のガソリンスタンドが目印。石碑は道路から比較的発見し易いので入口は間違わないと思います。

 

地図リンク
http://goo.gl/maps/CuZ18

 

写真撮影:6Frogs Design Works


廃墟写真


近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

行ってみたからスゴログへ、今年の夏以降にリニューアルします。

$
0
0

 

 

 

長らくと皆さんと一緒に調査や探検を進めてきた「行ってみたら凄かった。」ですがこの度、運営形態を運営母体の傘下として正式に移行する事に決定しました。長らくと私設チームとして活動してきましたが今後は業務として調査を請けたり企業として探検の場へ赴いたりと活動の幅を広げる事に成りました。

全国の行政さんと協力して行政広報に貢献出来るコンテンツ製作、日本で展開しているアウトドアブランドと提携して新しい商品を実際に活動の場で使用してレビューしたり色々とやりたかった事を実現していこうと決めたからです、まだ立ち上げ段階ですが夏を過ぎた頃にはどうにかカタチに成ると思います。

それまでにヒッソリと活動は続けてレポートの貯金もしようかと、しかも続々とメンバーも増えてよりマッソーな人達がフィジカルの限界に挑戦(嘘)していく事でしょう。

 

破線


 

実は別運営でクラフトビール作りにも協力しています、今後はそのビールの原材料を日本各地で採取許可地で果実や野菜などを狩ってきます)。それを実際に醸造採用してビールに、完成したビールを採取の様子を撮影したムービーと共に実店舗で提供する…そんな構想もあります。

これらを実現する為、私達は私人から企業として形態を変え、制限も増えますが出来る事の幅を増やして行こうと思っています。今後はYouTubeでも色々と動画を公開していく予定なので是非ご覧頂ければと。

 

※ 最新の動画です、ええ…去年のですけど。

 

 

一番最後のエントリーは以下より、ええ…去年のですけどー。

 

6FROGS スゴログ 華厳渓谷 白雲瀧 廃道


それから、それから。

イベントもやります、音楽フェスや飲食のイベント、ミニマムな店舗での何やかんやでアレがナニする感じですがこれも現段階で構想状態。準備は少しづつ出来てるのでアナウンス出来る日もそう遠くないと思います。
 

破線


そんな感じで私達は「スゴログ」として生まれ変わります、多分。既存のレポートは少々手を加えてアーカイブ化、これからは別途準備中のウェブサイトで公開する事に成るでしょう。

まだまだ先の話なので暫くは皆様とお別れです、新しいサイトが完成しましたら此方のブログでアナウンス致します。取り敢えず半年、ちょっとだけ時間を下さい。

それでは、また。

 

調査レポートメンバー 6FROGS 2016


廃墟写真


近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点


REPORT - 0213│小浦海岸

$
0
0

6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

 

千葉県│小浦海岸

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 小浦海岸

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- コンデジ撮影画質

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 追加更新

 

2016.05.15 - 周辺海岸も含めて久し振りの再訪

 

小浦海岸を含め、隣接する「長浜海岸」や「釣師海岸」へ7年振りの再訪。大きな景観変化は在りませんでしたが釣師海岸に関しては壁面の崩落が進んでいました、再訪の模様は上記更新バナーをクリックして下さい。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

房総半島にはプライベートビーチと呼ぶに相応しい海岸が幾つか存在する、しかしそのどれもが簡単に行く事を許さずにお手軽に訪問する事が出来ない。

 

例えば絶壁を昇降する、深いブッシュを藪漕ぎする、車はおろかバイクでもアクセス出来ない…そんな非日常を乗り越えてのやっとこさでその素晴らしい風景に出会えるのは本当に楽しい。

 

今回のレポートでは比較的マイナーな海岸を紹介したい、まあ実は釣り好きの方には有名な場所で4輪駆動車や軽トラなら辛うじて進入出来るのだけど基本はオフ車徒歩でのアクセスをオススメする。

 

場所は房総半島、御宿。御宿付近の海岸線には幾つもの浜辺が在り、そのどれもが人気が無くて落ち着く風景を見せてくれる。

 

それでは面倒だけど行けば納得の「小浦海岸」へいらっさいませ。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

地図で確認すると解るのだけど直ぐ近くに海洋生物環境研究所が在る、その対面に小さな獣道が海岸への入口と成る。

 

初っ端からきついダートを走る事に成るけどオフ車なら楽々クリア出来る、暫く走ると素彫りの隧道が。意外と大きくて迫力満点ですよ、そして結構長いので徒歩の方はお気をつけて。

 

この隧道には幾つかの横穴が在るのだけれどこれはその昔、海女さんが海岸へ出る為に掘削された物で現在では使用されていない。時期によっては埋没しているので乾季なら確認出来るだろう、んで潜ってみるのも一興かも。

 

このブログでも何回か触れたけど房総半島には川廻しと言う河川改造工事が盛んで川のバイパスを作って農業に適用させた歴史が在る、今回の隧道は全く関係ないのだけど素彫りのトンネルって房総半島に限り川廻しと関連を疑っちゃうのです。


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

 

薄く残る轍、コレは地元のサーファーさんや釣好きさんが作ったもの。一般の方はまず来ない場所なんだけど最近は花火の跡とかBBQの跡とか増えて来た、そろそろこの場所も潮時かも。

 

道はフラットに見えて傾斜が在り、浮き砂利とマディの複合オフロードコース。また道幅も狭いので運転に自信の無い方は絶対に進入しないで下さいませ。


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

 

3分程の道のり(車での走行時間)をゴトゴト走ると車が数台止められそうなスペースに出ます、ココで道は終了。


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

駐車スペースの直ぐ脇に海岸へ下りるトトロのトンネル様な入口を発見出来る筈、蜂やヘビが居るのでココでも注意深く進んで下さい。写真では大きく見えるけど腰をかがめて通るのがやっとな高さしか在りません、滑落も注意です。


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

 

下に降りるとそれはそれは絶景さん、誰も居ない小さな海岸を独り占め出来ます。裏側が直ぐ山な為に野生の動物も結構います、豊富な自然が感じられる貴重な場所でも在るんですよ。

 

この場所に限らず気をつけて欲しいのは干潮時か干潮時付近を狙って行く事です、満潮時には降りた直ぐ手前まで波が来ます。写真に写っている砂浜も荒れている時や満潮時は無くなってしまう位です。


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

 

写真の反対側、この岸壁の向こう側にも海岸が在るのですが名前は無いようです。因みにこの一体の海岸線には歴史的にちょっとしたエピソードも在るので興味の在る方は調べてみて下さい、まあ地図を見たら答えが載っているのですが。


6frogs 廃墟 廃村 廃道 秘境 小浦海岸 長浜海岸 釣師海岸

 

同行者を撮影、夏いぜ。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

付近の海岸で過去に取り上げたものが在りました、場所は本当に近くてハシゴも出来ますが結構危険な所なので自己責任で。

 

千葉県いすみ市 - 長浜海岸(釣師海岸)
http://goo.gl/maps/TrcTO

 

※ 小浦海岸から長浜海岸まで崖上の山中を歩くコースが在ります、地元のトレッキングクラブやNPO団体の活動でこの隠れた山道が今でもハッキリと残っているので体力に自信の在る方は是非どうぞ。詳細は省きますがウェブ上でも直ぐに解る事でしょう。

 

他にもラペリングで降下するポイントが幾つか、こちらはそのポイントに行く迄でも非常危険な行程なので経験者のみ挑戦して下さい。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 追加更新

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

年月とともに表情を失い(?)、気付けば最後の来訪から7年。当時外房の複雑に入り組んだ海岸線に惚れ込み、特に小浦海岸・長浜海岸・釣師海岸は幾度となく通ったものだった。その後地元のトレッキングサークルとご一緒したり地質調査の企業さんと同行して途中で皆で転んだりと楽しい思い出を残してくれた、そして2017年。

 

行ってみた」のメンバーも増えて初期の活動範囲での風景をレポートでしか知らない者も出てきた、そこでついで物件として幾つかの海岸を再訪しようと決定。同日のトビ岩キャンプ※1)の前菜として大波月海岸を含めた同地域の海岸を訪れた、随分と変化した様な当時と変わっていない様な。

 

自然の力己の老化(記憶的な)か解らない水面下の戦いがはじまる。

 

 

※1:当日は午後からトビ岩キャンプを計画しておりました

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

朝一で大波月海岸をサクっと撮影して懐かしの小浦海岸へ、10年位前は車でギリギリ突入出来たけど流石に今はどうだろう…と進入口から最初の素彫りトンネルまで車を走らせる。うん、一応SUVだし行けそうな雰囲気(根拠なし)だ。

 

復権の時が来たんだー

 

心の叫びと共にアクセル全開、勿論ギアはバックにアイムレディうひょー。

 

好天が続いたドライな路面に救われた我々は晴れて車で小浦海岸直前の駐車スペースへ、以前より自然に侵食されて旋回するのが非常に面倒だったが久方振りの小浦海岸に心が急く。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

あら^~

 

満潮に向かう時間帯なので海岸線は長い事歩けないが少々の探索は出来そうだ、しかし記憶の中の小浦海岸と相変わらず美しい場所だ。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

裏手に廻ってお決まりのアングルからも数枚、因みにココから釣り(満潮時)したり海にアプローチする方もいらっしゃるとか。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

こんな感じで海岸線の壁面には幾つものアプローチホールが口を開けている、開口時期やその理由には諸説あるが地元漁師の方の中には海女さんがココからI can flyしていたと言う昔話を語る人も。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

裏手は完全に山岳地帯の様だ、ふと空を見上げるとつば九郎が気持ち良さそうに旋回していた。来期契約では継続してヤクルト飲み放題を願うばかりだ。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

満潮が近づいて来た、急いで戻ろう。しかし約7年振りの小浦海岸だったけれどやっぱり素敵だったしこれからも残って欲しい本当に美しい場所だった。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

ここでこの小浦海岸について昔話を2つ程。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

10年以上前にこの小浦海岸に興味を持ったのは海岸に接する自然のトンネルを写した1枚の写真だった、現在その写真はネットから姿を消してアーカイブサイトでも見付ける事が出来なかった(※2)。

 

写真の左側の岩場と右側の海岸壁面が繋がっていた様子を撮影した美しいカラー写真だった。

 

※2:写真が小さいですが当時の様子を掲載したサイトはあります(https://goo.gl/RSXMc3

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

丁度こんな感じだった、しかしその当時は砂浜がここまで堆積しておらず、トンネルは干潮時に人がくぐれる程の高さを誇っていた。地元の方の聞き取りでは2007年頃に崩落してしまったと聞く、その当時に是非来訪したかったなぁ。

 

この崩落について読者さんから以前ネット上で保存した画像(トンネルが残っている状態の小浦海岸)があるので提供させて下さいと1枚の写真を頂いた、保存時期は崩落が囁かれている2007年付近だと言う。私達も後2~3年早くこの場所へ至っていれば見れたのか…。

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

恐らく隣接する長浜海岸から撮影された物と思われる、と言うのも撮影されたと思われる場所が以前小浦海岸と長浜海岸を繋いでいたトンネルと思われるからだ。そう、以前はこの二つの海岸は干潮時に行き来出来たのだ(現在でも行こうと思えば行けます)。

しかし2011年の地震で崩落、現在はこの場所からの撮影が不可能なので古い写真だとは判別できる…のだけれど2007年の写真かどうかは解りませんでした。

 

さて、もう一つ。

 

この小浦海岸に接する小浦地区にはキツネのお話が残されています。

 

小浦のきつね
https://goo.gl/WJCp6c

 

話単体では意味が解りませんが地方特有の抑制型(子供の悪戯や犯罪など)の比喩した伝承なのかもしれません、それにしても世界的にキツネとタヌキがこの手(人を騙す)のキャラクターとして描かれるは珍しいそうですよ。

 

 

さて、ここに来たならお隣の長浜海岸にもお邪魔しようか。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

やばすぎるだろ

 

この美しさはやばすぎるだろっつってんのああ↑?(喜びの怒り)ひょうたん池からのアプローチは何時もながら泣かされるけれど長浜海岸も変わらず素晴らしいプライベートビーチだ、色々と変な噂が付き纏うのがアレだけどねぇ。

 

10年位前は更に隣の釣師海岸とよく勘違いされていたけれど現在はシッカリと認知されている様だ、驚く事にグーグルマップさんにも正しく表記されている。いつの間にかメジャーな海岸に成ったんだ、人なんか滅多に来ないのに。

 

 

※ アプローチが非常に危険な場所なので一人では行かないで下さい

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS スゴログ 小浦海岸 釣師 長浜

 

こちらは素敵海岸三兄弟の長男と言うべき釣師海岸(つるしかいがん)、この海岸に至るには概ね3ルートあるのだけれど全てのルートが現在では危険と言える。

 

① ゲートで封鎖されている正規ルートも崩落の為に進入困難
② 崖上部からラペリングでアプローチ→ラペスキルと装備が必要
③ トラバースで下る地元専用ルート→崩落の為一部の足場が消失

 

って事でこの海岸に行くのは非常に困難だ、まあ他にもあるにはあるけれどやっぱり危険なんですよねぇ。だけれどラペの場合は斜面がシッカリしてるので比較的楽です、高さもあって楽しいし。

 

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

2017.05.15 - 小浦・長浜・釣師海岸の穴について

 

何か最近このエントリーのアクセス数が増加していて検索ワードに「釣師 穴」みたいな岸壁の穴を調べている様子が伺える来訪者がいます。何故今になって釣師海岸が出てくるのか解りませんが10年程前、現地の人と測量会社さんの方にお話を伺った事があります。

 

岸壁に開いた穴は昔の漁業で使用した作業道だそうで海女さんが利用したのも同じ穴の様です、また余り一般に知られていませんが漁業道具置場の様な大きめの穴なども数箇所あります。

 

釣師海岸の斜坑(の様な掘削路)ですがあれも漁業関係だと思われます、よく水路だと言われてますが50年以上前は階段状に成っており、照明器具も設置されていたとの事。しかも現在埋没してしまいましたが類似する掘削路が2本ほど存在したとか、此方は未確認ですが地元漁師の方がおっしゃっておりました。

 

追加エントリーとして小浦海岸のついでに三兄弟の長浜海岸・釣師海岸とご紹介しました、オススメは面倒だけど安全な小浦海岸です。他の海岸はちょっとオススメ出来ない危険な行程を必要とするのでどうしてもと言う方は自己責任で。

 

外房にはこの他にも立入が困難な海岸が複数存在します、その内思い出した様にエントリーしたいと思いますが何せ10年以上前の記憶を頼りに行くのでお時間を頂きたく。

 

本日は以上となります。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー

 

アプローチ
国道128号線の御宿駅前交差路からメキシコ記念塔や海洋生物環境研究所へ道なりに進みます、丁度海洋生物環境研究所の対面に小さな枝路が見て取れるのでその場所が入口です。

 

地図リンク

http://goo.gl/maps/SRSqK

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-ブログ村 ランキング 廃墟写真


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録02

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 0916│トビ岩

$
0
0

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

千葉県│トビ岩山 山頂トビ岩

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - トビ岩

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- コンデジ撮影画質

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 追加更新

 

2017.05.20 - トビ岩でのキャンプの模様を追加エントリーしました

 

やろうやろうと思っていたトビ岩でのキャンプ、本当は気象用気球飛ばそうと四方八方尽力しましたが書類の不備で今回は断念。次回こそはドローンに負けない高高度撮影を敢行したいと思っています。今回の野営に関する追加エントリーは上記更新バナーをクリックして下さい。

 

FUTTSU(富津)のレジェンド伝説として語られる以前より気に成っていた場所がある、と言っても対象と成るポイント周辺に連なる山々は既に10年以上前に踏破しており、更には近年「エコー牧場」の調査や沢歩きの新人教育の場として欠かせない「七ツ釜渓谷」の梨沢大滝来訪などでお世話に成っている地域だ。

 

そう、「行ってみた」ではお馴染みのFUTTSU市梨沢地区である。その梨沢地区からちょいと歩いた山中に爆発エクスプロージョンな絶景が存在すると言うではないか、新緑のライムグリーンともなれば何ともKAWASAKIの血(?)が騒ぐ。

 

房総 秘境 相川 梨沢 不動滝

 

歴史的な興味も尽きない地ではあるけれどやはり山間部とくれば盛緑の絶景さん、梨沢の沢歩き道程においては房総イチの美しさと以前ご紹介したけれどこの地区には今回の来訪地と成る素晴らしい景観が望める場所が在る事は知ってはいました。

 

それが今回のエントリー、トビ岩さんです。

 

地元相川地区~梨沢地区の方は皆さんには勿論ご存知の景勝地ですが現在は諸事情あって気軽に行ける場所では無いんですよね。その理由の一つはこの地域における平均年齢、現在この地域には定住者として子供がおらず、その殆どが高齢の方達※1)。

 

※1:妙蔵時住職の聞き取りから

 

トビ岩はアプローチを含めて難しいルートや登山技術は必要としないものの、やはり高齢には少々辛いコースと成る。地元の方の話では「昔は行ったけど今は、ねぇ…」と言う状態だ。

 

それに加え、直接的なアプローチルートだった相川からの開発道が「エコー牧場」閉鎖に伴って立入禁止に成った事にも起因する。そうは言っても勿論許可を得て入山する事は可能だ、相川地区・梨沢地区共々この地域の方々はとても優しい、「行ってみた」でも毎度お世話(休憩や準備、駐車場)に成る妙蔵寺の住職さんとその奥さんや開発道入口のご家族(昔の話を色々としてくれました)、特に妙蔵寺さんは土産を持って行くと逆にそれ以上のお返しを頂く事もあって今後も新人含めてお付き合いして行く事に成る素敵な地元民。

 

※ 開発道(エコー牧場入口)は現在立入禁止です、実質的な土地の所有権は都内の土地開発業者が保持しています。現地管理は相川地区の方が委任されて行っております、入山許可は相川地区の方に申し出た方が良いでしょう。入山には事前に許可を申請する必要があります、当日は恐らく無理かと思われますが連絡先は記載致しません。連絡先や連絡方法は各々で調べて頂くよう、宜しくお願い致します。

 

房総 相川 梨沢 廃牧場 エコー牧場

 

房総 相川 梨沢 廃牧場 エコー牧場

 

と、この様な理由によって現在のトビ岩は地元付き合いがあるか利権者に許可を取るなどのプロセスを介するか別途残されている登山道を利用して迂回来訪する事に成るワケです。

 

事前連絡とか面倒じゃオラァな体力自慢の皆様におかれましてはやはり登山道ルートもご紹介せねばなりますまい、って事で呼吸は寝起きのそれぞれ1回づつと言うマックスパワーなブラザー達は秘めたる力を開放しつつ以下参照。

 

一般的なアプローチルートは北側の旧別荘地からの東電の作業道(巡視路)経て枝尾根から主尾根を経由するルート、

 

https://goo.gl/mv0tgt

 

南側の物見塚山から入山して稜線沿いに北上するルート

 

https://goo.gl/maps/M6BRsEtiaBP2

 

西側から旧登山道の入口、上白狐登山口から北上するこれら3つのルートだ。どれもそれぞれが起伏に富んだライトな登山が楽しめる、ロープレスだし基本体にピーク沿いを歩くので踏破技術を特別必要としないのが嬉しい所。

 

https://goo.gl/JPx8Z6

 

ただ、ツマラナイのは覚悟。これらの一般ルートはウェブ上に沢山のレポートが散見出来るしヤマレコなんかはGPXファイル付でエントリーが公開されているのでモバイルや手持ちのGPS機器と組み合わせてみて欲しい。

 

そして今回自分も被害にあったのだけれど5月~9月は非常に毛虫が多い点は留意願いたい、中でもチャドクガの幼虫黄色い毛虫)の毒毛…正に諸行無常。「チャドクガ 虫刺され」なんて感じでグーグル先生にお伺いを立てると

 

うっ。

 

※ 数日経っても広範囲で刺痕と強い痒みが残ります

 

まあ山やってればヒルだの毛虫だのには多少耐性(気に成らなくなる)が付くので大丈夫な方は盛緑期に是非挑戦して下さい、また自ら刺されに行くと言う希有なプレイスタイルも有りでしょう。敬虔な虫信者でなくとも新緑~盛緑の時期の山ってのは本当に美しいのです。

 

対応策としてはピンチ缶の中にエタノール、抗ヒスタミン剤、ハッカ油なんかを忍ばせておく位。服(タイツなど)上からでも関係なく刺されます、と言うか毛虫自体が居なくても葉に付着している毛や空中に舞っている毛でも同様の症状が。

 

チャドクガの症状と画像と刺された際の応急処置や市販薬について

 

http://rarara-ran.com/790.html

 

上記リンクは参考程度にどうぞ、山屋さんはまた別の対応策などを持っているので興味の在る方は色々と検索してみて下さい。

 

既に全体のテキストの30%を消費してしまいましたがトビ岩のレポート、開始です。

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

殆どの方は一般的な入山ルートに成るのでその分岐点からスタート、現在地はこの辺です。

 

https://goo.gl/maps/MnQxZ6fsP5H2

 

古くは製炭の作業道として何本も枝が伸びる旧山道の一つ、その殆ど自然に還ってしまったけれどピークに出る道はハッキリと辿る事が可能だ。

 

並行する様に獣道と薄いガリーがあるので間違えない様に、と言っても何処でも直登出来るレベルなので問題は特に無いですよ。因みに直進すると風早山に、風早山から更に南北に旧登山道と西側に細く薄い枝が延びる。

 

※ 東側には牧場跡の管理道が在りますが通常の登山ルートから入山した場合は進入禁止です、そして意外と敷地内が広くてブッシュで迷う事もありますよ(以前GPS持ってるのに迷った経験あり)。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

風早山からの分岐でピークに登る場所だ、下方には馬頭観音と壁龕石碑が残されている。この道を下ってトラバース気味に延びる登山道からトビ岩へ直登も可能、ただ登った感じだと多少ボルダーなムーブを必要とされるので岩経験が無い方は避けた方が良いだろう、この辺りで怪我したら単独の場合一大事になり兼ねないです。

 

無難に行くならピークを選択、楽ちんですよ。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

今回はこの岩根に延びる下方の道を歩いてみよう。

 

地盤が岩の為に傾斜にしろ地面にしろ樹木の根が広がる様に伸びている、この様に植物と地形を観察する事でこの場所の地質やある程度の地形的な歴史を想像する事が可能だ。整合性は机上調査に、現地では現場の状況から判断を迫られる場面が多々発生する事も肝に銘じておこう。

 

※ どのルートを選択しても特殊なムーブやロープは必要ありません。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

こちらが件の馬頭観音壁龕石碑。有名なので詳細は割愛、馬頭観音に関しては以下参照。

 

馬頭観音 - ウィキペディア

https://goo.gl/ZZmnxK

 

因みにこの付近では他にも「磨崖仏」などをはじめ殆どウェブ上に挙がる事のないマイナーな石仏(※2)などが残されています、それぞれ設置時代が違っていてその文化的重要度も多岐に渡るのですがそれはまた別の機会に。

 

※2:物見塚山からのアプローチで幾つかの枝が薄っすらと発見出来る筈です、その中には行政が把握していない石仏が残されておりこの地域の歴史においても大変古いと思われる磨崖仏などもあります。現在写真を専門機関(と言っても知り合いの大学研究室だけれど)に提出、周辺地域の地域民俗学の書籍などとも照らし合わせて調査中です。判明次第追加エントリーで記載したいと思います。

 

製炭の歴史検証を行った時に行政から頂いた資料、そして独自に調査した内容を加味するとこの相川・梨沢地区は非常に面白い歴史を内包した地域と言えます。

 

愛宕神社清遵法師入定塚、相川を挟んで対丘には巨岩群城址※3)、梨沢大滝不動など山岳信仰と土着の神の信仰が折り重なった宗教的な重要地域だった歴史も見て取れます。この辺に関しては上記の馬頭観音などを交えて何れご紹介しようと思っています。

 

※3:巨岩群(旧梨澤村)に関しては別途調査の上単独エントリーを予定、この巨岩と関連する山中の常代城跡も同様にその時に記載したいと思う。常代城の「トコシロ」は房総半島において古い城に命名される事が多かったと富津の郷土資料にも記載があり、(梨沢字常代越・相川字古屋敷)に在るとされるが現地にその面影は一切ない。その城址と巨岩群の関連性を示す資料も発見されていて非常に興味深い地域でもある、また特殊な地形な為に学術的にも今後調査が待たれる地域で在る事も記載しておこう。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

カッとなって直登した場所、後悔どころか意外と両足片手でも登れるもんだと人間の凄さを実感。

 

今後ウチのボルダー担当にはバイノーラルマイク+360°アクションカム装着で色々やらそうと画策中、今回はそのテストも兼ねて音声の入り具合なんてのもチェックしてました。

 

おっさんボディを気遣いつつ登りきるとそこには…うん、成程。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

( ˘•ω•˘ ) こりゃすげぇなぁ。

 

さんざんと周辺を歩いて来たけどトビ岩に来たのはHAJIMETEでして、こんなにも絶景さんならもっと早くに来るんだったですよ。

 

 

リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロールでグリグリして下さい。モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます、通常モードでグリグリ、360°ビュー(一眼/二眼)でなら更にうひゃひゃな感じです。VRガジェットで立体視も面白いですよ、ハコスコさんとか安いので是非お試しを。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

いいじゃんココ。

 

アタシ、ココが気に入りました。房総の某岩場も中々の素敵ロックだったけれども此処も中々どうしてウットリロックじゃねぇですかぁ。

 

眼前に広がるブロッコリーも彩鮮やかって言うね、やはり虫と藪漕ぎさえ我慢出来ればこの時期の山は最高ですわ。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

周囲はこんな感じ、兎に角ブロッコリー。見た感じこの場所が一番高く感じるけれど良く見れば北東側の風早山が標高192メートル、トビ岩は152メートルなのでやや低い。南側には228メートルの物見塚山が、それでもその眺望は素晴らしい。

 

 

360°動画です、モバイルならジャイロが捗ります。PCならマウスでグリグリして雰囲気を少しでも感じて頂ければ。動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、動画の手振れ酔いにはお気をつけてご覧下さい。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

折角来たので色々と周辺の地形調査とラぺ可能ポイントを探してみます、今回の同行人のU田川君を少々離れた場所に移動させて簡易セーフティ後にフィクス出出来そうな場所を確認。

 

向こう側は足場が悪いので結局トビ岩の裏斜面からロープを取る事にしました、今回は20メートルの簡易ロープ(アプローチロープ)なので無茶はせずに撮影アングルを確保するだけとします。因みに左側の窪地は此処から60メートル程の高低差、このトビ岩自体は下方地面まで15メートル位で意外と大した高さはありません。

 

※ 安全対策を行った上での壁面行動を行っています、ハーネスの装着と最低限のロープワークの知識が無い場合は類似する行為はオススメ出来ませんので御注意下さい。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

チェストハーネスを持参してないので即席でナイロンスリングで代用、左腕が麻痺しているので上部でガルダーヒッチを利用した簡易倍力システムを応用したロープワークで降下。

 

まあ親ロープにマッシャーで確保してるので落ちる事は無いですが。

 

6FROGS 行ってみた 房総 相川 トビ岩

 

左手に関しては殆ど握力の無い状態ですがちょっとだけトラバース、こりゃ気持ちがいいや。

 

すっかりとお気に入りと成ったこのトビ岩、折角なのでこれだけでは勿体ないと思いまして別途来訪日を設ける事に。その時には色々と用意して皆さんに楽しんで頂こうかなぁって企画も用意している最中です、恐らく秋頃ですが追加エントリーなどでご報告させて頂こうと思います。

 

暫く千葉から離れたエントリーもボチボチと、廃村なんかもストックしているので調査が終わり次第エントリーしようと思っています。

 

本日は以上です。

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 追加更新

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

来訪の約束から約1年ええ…1年ですよ。色々とね、企画的なね、準備をね、していた様なそうでない様なね。結局そんな企画はボツにしてね、ええ…普通にキャンプして来ただけっていうね。

 

ちゃうねん

 

国土交通省航空局に提出したNOTAMにダメだしされたり土地利権者と上手く交渉が進まなかったり予想以上に資金繰りが難航したりもうね、だからちょっとやり方変えて違う方向性の企画を考え中です。

 

まあ何れ。

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

さて今回は代替案としてトビ岩さんでキャンプして来たんですよ、春の天の川でも夜中に見ようかなぁって。うん、まあ結果的に天の川は見れたけれど暴風が続くわテントが狭くて結局外でシュラフに包まれるわで寝れませんでした。

 

だけど素敵よ、いいですわゾ^~ここ。

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

キャンプ当日、昼間は穏やかに晴れ渡りまして。が、トビ岩へ向かう途中…なにやら周囲の様子がオカシイ。草木が揺れ、太めの樹木も大きく振れている。確かに天気予報では午後から風が強いと出ていたがそれにしても強過ぎる、もはや暴風レベル

 

風の通りが良過ぎて強風×強風の乱暴な風の中でテントを設営。U田川君もテントも風でパンパンです。

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

荷物に対してテントが非常に小さく、寝床が確保出来ないのでトビ岩の上にグランドシートを敷いてその上に銀マットを重ねシュラフに潜る。多少の寒さはあっても見上げた空には天の川が、ゆっくりと回る星空を見ながらこりゃ贅沢だなーと。

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

結局寝れなかった翌朝、ロープを垂らして一応お約束のラペ。持参したフットアッセンダーの調子が悪くて登攀の練習は出来なかったけど朝4時から壁の昇降は身体に堪えますねぇ。

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

トビ岩へのアプローチ途中で発見した別の岩場での衝撃風景、これ岩場の上に根を伸ばしていた数本の樹木が強風で剥れ上がっていたのです。どうやら昨日の強風に寄るモノでは無さそうだけど自然の力には毎度驚かされますわ。

 

 

風が強くなる前と収まった夜間、そして翌日の帰路での風景をまとめてあります。ジンバルがたまに変な挙動をしますがお気に為さらずに。

 

6FROGS スゴログ トビ岩 梨沢

 

GoogleのCardboardなどに対応した360°動画、PC上ならマウスでグリグリ、モバイルならVRヘッドセットなどでお楽しみ頂けます。

 

しかしやはり解像度が…何か別のカメラを用意(現状はTHETA S)しないと実用性は皆無ですねぇ。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2015

 

アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。(と、言いながらも本文参照

 

地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。(と、言いながらも本文参照

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録09

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1008│天津滑山 大山祇神社 確認再訪

$
0
0

廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

千葉県│天津滑山 大山祇神社

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 神道教派 御嶽滑山大山祇教会

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- コンデジ撮影画質

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

がおー

 

今年も初詣にやってきましたよ、2017年の大山祇神社さんです。ところで狛犬なのに「がおー」とは是如何に、いえいえ…””じゃないんですよ「狛犬」は。勿論ご存知の方も沢山いらっしゃると思いますが狛犬さんってその起源は「おはようからおやすみまで」ストーキンな生活を応援する猫科動物のライオンがモデルだったりするのです、日本的に言えば「獅子」ですね。

 

レガシーな歴史的起源の諸説を語るとテキスト量が大変な事に成りそうなので興味のある方は各々調べて頂きたい、狛犬のパラダイムシフトを解き明かすのは貴方だっ!

 

過去のエントリーは以下の連載ページより、鴨川市教育委員会さんにも協力頂いて解き明かしたこの廃神社の過去を是非ご覧下さい。

 

6FROGS 廃墟 天津滑山 大山祇神社

 

いやしかし2011年より経過観察(初詣)を開始して早6年、当初は案外崩落は秒読みかと思われたが中々どうして神様の威光は失われてはいない様だ。因みに6年189216000秒なんだって、数字が多過ぎて読めねぇや。

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

あー、駄目ですねコレ。

 

向かって左側の主柱が完全に失われて倒壊寸前です、建造物って基本となる力の分散基点(構造力学)のバランスが崩れると意外と早期に崩落すると言われています。

 

狛犬同様、日本の古来建築法に関する構造力学なんて小難しい話は出来ないので興味のある方は各々調べて頂きたい。三田のサグラダファミリアを完成させるのは貴方だっ!

 

んじゃちょっと中を覗いてみましょうか。

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

右方の神棚は滑山大明神の奉る場所だったが2013年にはこの状態に、前方の御嶽大神にはまだ目新しい奉物が。それにしても凄い、この何時崩落するとも解らない屋内に掃除と奉物を届けに入ると言うのか…信仰は尊いものなのだろうとは思うけれど、アタシは怖い。

 

天井裏に隠されていた色々な関連神具も殆どが持ち去られてしまった、残念ながら2014年辺りから地元の参拝者も来なくなった様で現在の微々たる変化は遠方の方の様だ。

 

まあ元々地元の方は山岳信仰の延長線で滑山大明神を信仰していた筈、その神は既に山に帰ったのだから当然と言えば当然なのだろう。

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

昨年までは残っていた主柱が1本消え、家屋は更に大きく傾いた。

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

ふと足元を確認すると折れた主柱が横たわっていた、木材の状態を確認すると経年劣化とは他に外気に晒された事による急速な腐食が確認出来た。

 

良く見れば外壁も剥がれ落ち、畳は自然に還ろうとしている。裏手の主柱も折れ掛けていて、寧ろよく建っていると関心する程だ。

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

埋もれてから長い年月が経過したであろう庭先の井戸、水場にも神が宿ると言うがしかし…ここも既に立ち去られた後だろう。

 

来訪時期はGWだったがこの場所もじきにヤマビル天国と化す、次回の来訪は彼らの活動が収束する冬の始まり辺りにしようか。

 

6FROGS 行ってみた スゴログ 大山祇神社

 

しかし草木が生い茂ったなぁ、撮影のアングルも大分限られてきた。狛犬さんもこれから訪れる夏季の暑さにはさぞ唸るのだろう。

 

がおー

 

6Frogs - 行ってみたら    凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。

 

地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた

 


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

 

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

 

REPORT - 1006│磯根崎砲台管理道

$
0
0

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

千葉県│磯根崎海岸砲台管理道

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 磯根崎砲台管理道(磯根崎未成道/磯根崎海岸道路/磯根崎軍需整備道路)

 

嗚呼、SCC音源の何と素晴らしい音色かな…上原和彦はホンマ神様やで。

 

竹村延和からスイサイダル・テンデンシーズまで何でも食べる雑食性の高い「行ってみた」のメンバーがポルカドットフライングVを背負って房総半島の廃道へ、実は以前エントリーした「REPORT - 0712│磯根崎未成道」の補完レポートと成ります。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

※ 統合した為にジャンプページに成っております

 

前回のエントリーが2013年なので随分と期間が開きましたが今回無事完結出来る運びと成りました、既に詳細なレポートを掲載したブログやサイトが幾つか見受けられますが新事実などを踏まえて「この道」って結局なんだったの?って疑問に終止符を打とうと思います、いやね…タイトルでネタバレしてるんですけどね、ええ。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-破線

 

時は満ちたっ!

 

忘れていたワケじゃないんですよ、ただ面倒臭かっただけなんですよ。行こう行こうとは思ってたんですよ、でも何か面倒臭かったんですよっ(重複表現)。そんな感じで放置してたら東京湾観音周辺で民間企業が開発始めちゃいましてね、こりゃ早く行かんと廃道が無くなっちゃうってんで仕方なく行って来たんですよ。

 

房総半島には結構な数の廃道さんが残るのだけれどもこの「磯根崎海岸道路(仮称)」はトレッキングコースにも利用される位ちょろい行程でして。疲れますよ、そりゃ。辛いですよ、それなりに。んだどもこう「地球終了じゃん」的な?そんな一瞬で腋毛が5センチ位伸びる様なアプローチの難易度は在りません、んじゃ何故行くんだと問われると。

 

うーん、仕方なく。(本音)

 

ああ、この廃道。仮称名の名付け親でも在る廃道系サイトの大御所「山さ行がねが」の廃道レポートにもリストされております。詳細はこの際そちらでお願いします、アレコレやってると必ず先人の素晴らしいレポートを見つけます。皆頑張ってるんだなぁ。

 

山さ行がねが - 磯根崎海岸道路(仮)
http://yamaiga.com/road/isone/main.html

 

予備知識として上記のサイトの内容を読んだ上でこのエントリーをご覧下さい、又はこの廃道をある程度ご存知だとより美味しくお読み頂けます。

 

※ 今回のエントリーで色々と新事実の追加記載があるので是非最後までご覧下さい。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-破線

 

※ ご注意 ※

 

通常の導入説明と随分と違うので戸惑われている方も居るかと思います、このエントリーは約4年前に全行程の半分程をレポートした後に追加エントリーを放置された掘り起こし企画です。

 

今回のその残りの部分を踏破して上で机上調査を行い、この廃道の全容を明らかにすると言うのが当エントリーの目的です。ですが物件が余りに有名になり過ぎてしまい、地元トレッキング系サークルなどで散歩レベルのコースとして利用されている事も踏まえ、予備知識を前提とした構成と成っています。

 

初めてこの廃道を知る方は廃道系の大御所サイトである「山さ行がねが」の対象エントリーをお読み頂いた上でこのエントリーをご覧下さいますとより深く理解が進むかと思います。また参考サイトの「山さ行がねが」とは調査内容とその結果が少々異なっております、予めご了承下さい。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-破線

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

今回は再編集と再訪にあたり、前回とは間逆の東京湾観音側からアプローチ。3月も中盤に差し掛かるとは言えまだまだ寒い早朝から入山と成ります、今回は海岸線も歩く予定なので結構行程的には時間がギリギリなんですよね。

 

入山地点はこの辺。

 

 

この辺は東京湾観音の建設時に作業道として使用された「磯根崎海岸道路(仮称)」とは全く関係の無い道でして、この道とは別に海岸沿いに整備予定だった道路(※1)が外側に在ったのですが海岸線崩落の為に物理的に無くなってしまったので現在はこの道が廃道直通のアプローチルートと成っています。

 

※1:東京湾観音の周辺散策を目的とした観光用遊歩道(富津市/都市づくりの方針)

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

暫く歩くと海岸側にガードレールが見えた、こんな山中に何故ガードレールがと思われるが答えを言ってしまえば車両通行を想定した道路整備が計画※2)されており、実際に2つの区間で舗装開通した記録があるのだ。

 

実のところ未整備区間を合わせれば全線開通していたりする、これは行政記録にも残っており、実際に走行された方の写真(※3)なども現存している。

 

更にこの車道から更に海岸側には木製階段簡易木道整備で人が歩く為の遊歩道※4)も用意されており、こちらも実際に人が通行した記録が残っている。

 

※2:富津市/都市づくりの方針の予想図に”臨海縦貫道”と記載あり
※3:行政広報に開通時の記録が現存
※4:富津市亀田地区にお住まいの方で実際に写真が残っています(所有者希望により写真は不掲載)

 

この辺は後程詳しく語るとしよう。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

廃道と海岸の距離が近いとこんな風景が木々の合間から見える、これは岸壁ギリギリに道路が整備されたのではなくて時間の経過と共に海岸線が侵食されていき、この様な接近する位置関係と成った。

 

いずれこの場所も崩落の危険にさらされる事になろう。

 

※ 崩落の報告記録も行政と地元警察に残っています

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

道路脇には舗装されていた当時の路面が崩壊して転がっている、これは舗装区間に関して言えばアチコチと散見出来るて側溝の未使用パーツなんかも集積されていたりする。

 

道路整備計画では全線舗装が計画されていたけれど建設時から地盤の弱さと崩落が危惧されていて実際に工事中に海岸線の崩落事故も起きている、先程記載した遊歩道も現在ではその殆どを見る事が出来ず、半分は崩落してしまった。

 

ここで一つ面白いエピソードをご紹介しよう。

 

この道路の整備には都市計画の一環として観光道整備が行われた過去がある、実はその計画は一本化されておらず東京湾観音周辺整備と道路自体をバイパスとして海岸線に伸ばす行政主導整備と土地権利者の思惑が入り乱れた不協和音が目立つ計画だったと言われている。これは行政資料と地元建設会社及び地元住民からのヒアリングで解った事だ。

 

その中で東京湾観音側の観光道(遊歩道)を含む業者名簿(非公開資料)に見覚えのある業者名を見つけた、

 

山口総合建設株式会社

 

うーん…あっ!

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

あの牧場で放置されていた建設会社のトラック、そのドアパネルに記載されていた業者名じゃないか。まさかこの道路の整備にも関わっていた…いや、まぁあの車両だって盗難車の可能性もあるワケだから色々と繋がりの確証性は薄いけれど…。

 

※ 非公開資料は入手ではなく、日本建設業連合会に所属する地元組合から特別に見せて頂いた物です。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

 

緩急のあった上り返し区間を過ぎると急に開けた、この場所は大正時代後期に海外敵勢力(仮想防衛)の内湾拠点として監視及び初期攻撃設備が設置された場所だ。明治時代までは周辺と同じ海岸線を含んだ起伏の富んだ山間部だったが防備施設設置に伴って簡易整備(平野化)された数箇所の内の一つでもある、その後は富津拠点と平行して軍需防備施設が幾つか設置されていく事に。

 

※ 江戸時代から防衛拠点として使用されていましたが土地整備は大正時代に入ってからとなります

 

つまりはこの廃道の初期整備の目的は軍需と言う事になる、各記録から考察するならば第一次世界大戦後と成るが個人的な推察は大正初期にはすでに軍備の一環として設置計画があったのではないか…そう思えて成らない。

 

その後第二次世界大戦時に再度軍需利用され、この「磯根崎海岸道路(仮称)」上のこの場所には斜面の上部から

 

・軍需施設送電用発電所
・帝国陸軍駐屯兵兵舎
・帝国陸軍冨津岬砲台試験場(磯根着弾観測所)
・帝国陸軍富津機関銃座
・帝国陸軍策敵探照灯

 

と順に設置されていた。現在でも幾つかの建築遺構を探し出す事は可能だが非常にブッシュが深くて実質的にはその姿を確認するのは不可能に近い。まあ、見れたとしても基礎部分位なものだけど…。

 

この廃道の成立ちに関する一つの答えとして少々早いがまず結論付けられる事実、それは第一次世界大戦後の軍需設備の為の軍用道として整備された道だったと言う事だ。幾つかの資料を考慮して推論を重ねた結果その整備時期は1915年~1919年だと思われる、設備の内容を考えるなら正に対戦中にガッツリと活躍した軍用道だ。

 

※ 資料の確証性が乏しく、行政にも正確な記録が残っていません。聞き取り調査と幾つかの風土資料を元に推察推論した結果なので正史回答ではない事をご了承願います。

 

ただ確信的な地域の歴史も風土資料から見て取れる。

 

この場所からやや南下した場所には1810年以降、江戸防衛拠点の重要箇所として沿岸防備の地として運用された記録が複数の書籍から確認出来た。つまりは江戸の時代から軍需施設が設置され続けた防衛拠点だったと言える、近代道路整備で言えば大正時代に入ってからだが歴史は更に古いのだと言えよう。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

送電柱が海岸線に幾つか残されている、これは今迄の説明にあった軍需施設の遺構ではなくて戦後の観光利用を目的とした観光道整備の為に設置された物。そう、この道…江戸時代から軍需として利用されて来たが1950年代後半になってやっと復興の名の下に一般利用を目的とした道路整備へと姿を変える事になるのだ。

 

さて、ここらでこの道路の歴史を一先ず纏めておこうか。

 

磯根崎海岸道路(仮称)としてネット上で知られるこの廃道、正式には「道路名が存在しない」が正しい。軍需として使用されていた当時(1915年以降)は「磯根崎砲台管理道」と呼ばれていた、しかしこれも正確は判別するに十分な資料は存在しておらず、しかも現代において言えば

 

「元・磯根崎砲台管理道」

 

と言う呼称が正しいと言える。それも1956年から計画が開始された東京湾観音の建設に伴う観光道路整備計画で呼称を失い、1973年の千葉県幹線道路整備計画発表に伴って富津市が用意した都市づくりの方針と道路整備を調整し「臨海縦貫道」と名を変え現在に至る様だ。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

写真説明:工事が中止された直後の1974年の航空写真

 

道路整備に関する正式な計画発表は1973年だったものの以前より富津市独自の都市計画は進められており、また観光道として重要性を見出していた行政は東京湾観音完成直後の1961年からこの道路の整備を進めていました。本格的に道路整備が開始されたのが1963年頃、1966年以降どのタイミングかは判明しませんでしたが一度磯根崎~亀田間で道路が開通。小久保地区から舗装区間が前後に延びるも度重なる崩落によって翌年には道路工事が中断、工事自体は1973年は完全ストップした様です。

 

奇しくもその同年に千葉県幹線道路整備計画が発表された事になります、しかしその後20年は道路として使用された形跡があります。正確な廃道化は解りませんがやはりバブル崩壊前後の1992~1993年辺りが妥当と言えるでしょう。

 

※ 最後尾にて年表を記載しますのでそちらも合わせてご覧下さい

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

魚つき保安林、なんでしょうねぇコレ。

 

魚つき林 - ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E3%81%A4%E3%81%8D%E6%9E%97

 

へー、山やっててもこんなん知らへんかったわ。それより調べてて驚いたのは海の無い埼玉県にも「魚つき保安林」が在るって事、不思議が一杯やで。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

ウィンチェスターの猟銃用薬莢、この中に沢山のツブツブが入っております。海外に居た時はイノシシや鹿撃ったり捌いたりしてましたねぇ…そう言えば。最近「猟師」の資格を本格的に取りたく成って来たのでそろそろ勉強しないなぁ、ってかこの辺って猟区なの?

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

 

場所はこの辺、丁度この場所の上部斜面に防衛拠点と成った幾つかの建造物が在った筈だ。現在はすっかりと解体されてその姿は見る事が出来ない、その代わりこの素晴らしい景観を見る事が出来た。

 

崖っぷちギリギリまで降りたU田川君が名言を残した場所でもある、

 

「俺これ以上降りたら昇っちゃいます」

 

以降、この様な場所で幾度と無く語られる名言にして至言と成るだろう。

 

 

一度谷へ降りて北側の丘陵へも登ってみた、こちらも本当に素晴らしい景観だ。因みに此方は海岸から50メートル程の高さとなる。

 

リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

さてさて、前半部分で随分と歴史検証にテキスト量を費やしたので後半はもう少し緩く行きましょうか。

 

休憩の為に後方の山間部を少し昇り返して再び海岸線の道路へ出ます、すると2013年に歩いた廃道と繋がりました、ここからは前回のエントリーを再構築してレポートを進めて行きましょう。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

小久保地区からアスファルト舗装の為に大型車両がこの谷間を幾度と無く走行した場所、現在は目新しい重機が置かれ何かしらのアクションが期待出来る…かも。

 

しかし道路整備ではなさそうですねぇ…。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

よく見ると綺麗に整地されている事が解るだろう、写真右側が大坪山になるので富津市が過去計画していた「大坪山リゾート」がいよいよ開発開始…とは成りません。ちょっと調べましたがどうやら全く関係ない建築関係の倉庫を作る計画があるみたいですね、それも周辺の住民の聞き取りからの情報なので定かではありませんが。

 

と、言うのもこの一帯の土地が国有林、県有林、個人所有と未だバラバラに管理されておりまして。その所為で一元化した開発や整備が行えないのが現実なのです。

 

これは1950年代から続く道路整備の時にも問題になった様でした。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

軽く背を超えるブッシュの中、大坪山に入ります。

 

たった5分で景観変わり過ぎぃ。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

女子力高ぇ。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

大坪山は円錐状の山と言うより複数の円錐が連なった大型の丘陵って感じ、なので気に成った斜面を少し登るとこの様にピークへは直ぐに出る事が出来た。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

この辺は車が走れた道路だったと如実に解る数少ない場所だ、平面で直線的な以前整備されたであろう事がハッキリ解る。と、言う事はこの廃道の探索も終わりに近づいているのだろう。道路整備においてのその先端部分は綺麗に残っている事が多い、それが廃道であるならば尚更だ。

 

歴史検証と共に意外と楽しめたこの廃道、成程…トレッキングなどのコースとして利用されるのも頷ける、景観も見事だし何より歩き易い。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

途中大きく円を描く場所が在る、これは進入口手前の「浅間神社の鳥居」の参道入口と成る本当の鳥居。手前の鳥居(※5)はこの廃道が新設された事によって新たに設けられた仮設置の様な鳥居なのだ、昔は別の参道が在って現在も実はその道を歩く事が出来る(もう道とは言えない状態だけれど)。最初は里宮と奥宮かなぁとも思ったのだけれど設置された経緯を調べるとやはり道路工事に関係しての新設された鳥居と本来の山宮と言う関係っぽい。

 

※5:この廃道の進入口(磯根崎側)にも鳥居が設置されている

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

磯根崎浅間神社。

 

設置にあたっては諸説語られている、が…道路を作るとなれば山神社の様な役割(地の厄を沈める)を果たしたのだろう。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

 

地図上ではこの辺、ループ橋から山中へ延びる短い直線部分だ。ここまで来るとこの廃道が実際に車道として使われていたのだと実感出来る、この道路整備計画がもう少し内陸側だったら現役の道路として利用されていた可能性もある。

 

そんな思いを馳せながら、我々は最終到達地点へ。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

磯根崎側の廃道進入口、ループ橋へ到着。さて、ここで先程お約束したこの道路の年表を記載しよう。

 

1915年 磯根崎砲台管理道の整備開始(推測)
1919年 磯根崎砲台管理道の利用開始(推測)
1956年 東京湾観音建設計画が発表される
1961年 東京湾観音が完成、それに伴い周辺観光道整備計画が本格化
1963年 磯根崎海岸道路(仮称)の道路整備が開始
1966年 磯根崎海岸道路(仮称)磯根崎~亀田間で開通
1973年 この道路を含む千葉県幹線道路整備計画が発表される
1973年 道路整備に関する工事が完全中止へ

 

※ 工事が中止さえても車両の往来は1980年代後半までは頻繁にあった様です

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

写真説明:観光道整備が開始された1961年の航空写真

 

これより以前の江戸時代に関する防衛拠点までの交通として利用された旧人道は敢えて排除、近代利用の歴史として整備された海岸線道路の年表と成っています。

 

呼称としては

 

1915年~1945年 磯根崎砲台管理道
1945年~1956年 名称なし
1956年~1973年 磯根崎海岸道路(仮称)
1973年~1992年 臨海縦貫道(※6
1992年~現在迄 名称なし(計画資料には臨海縦貫道が残る)/廃道化

 

※6:バブル崩壊によりリゾート開発(大坪山リゾート)が中止、それに伴い周辺道路開発も中止された。

 

と、こんな感じかと思われます。富津市の建設経済部(都市政策)としてはこの道路を再利用または再開発の計画は今の所ないとの事でした、「山さ行がねが」さんでは東京湾口道路との関連性も指摘されていましたが千葉県及び富津市共にお聞きしました結果「その様な関連性は無い」との事で「未成道は、まだ死んでいなかったのである。」との〆言葉に関しても

 

「現在の都市計画にこの区間の道路整備は残念ながら含まれて居ない」

 

との回答を頂きました。うーん、これはとても残念だ。ロケーションも素晴らしいからせめて人道としてトレッキングコースの整備でもして頂ければ幾ばくかの観光資源に成りそうではあるけれど…と言うわけでこの廃道に関するレポートは以上と成ります。

 

因みに年表以前の関しては以下の資料を参考にされるとその歴史が多少垣間見れます。

 

研究紀要 第28号 - 千葉県教育振興財団
http://www.echiba.org/pdf/kiyo/kiyo_divi/kd028/kiyo_028_p3.pdf

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

写真説明:ハッキリと道筋が辿れた1981年の航空写真、この頃はまだ廃道化していない。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-破線

 

折角なので廃道から回り込んで海岸線に出てみる事に、この日は偶然にも大潮で更に来訪時間が丁度低潮だったので安心して汗顔沿いと歩く事が可能だった。

 

※ 満潮時は水没して歩けないので潮位に留意して下さい

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

完全な低潮まではもう少し時間があるが他の予定も詰まっていたので気にせず進む事に、この辺はハマヒルガオ群落の復元活動が行われていて5月半ばになればその素晴らしい群生を見る事が可能だ。

 

今回はまだ時期が早かった為にその姿を見る事が出来なかったが時期を見て再訪したいと思う、このレポートに追加エントリーするので是非ご覧下さい。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

 

磯根崎先端部分、奇岩として話題に成るが防波堤の一部が崩落して残った部分がこの様な姿に成った。この防波堤の意味に関しは色々と説明したいのだけど今回の趣旨から外れるので割愛、潮流の関係とかちょっと面白いエピソードが垣間見れるので気になる方は各々調べてみて下さい。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

この海岸線は潮位の関係上来れない場合が多いので大坪山の廃道から更に獣道を辿って海岸線に出れる様に釣り師の方が開拓した釣師道、崖部分には虎ロープが設置されていた。

 

こんな迂回路を作ってまで釣りに来るとは…いや、ご苦労様です。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

こちらも潮位の関係上、プライベートビーチ化する磯根崎からアプローチする海岸線。

 

 

リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。

 

6FROGS スゴログ 行ってみた 磯根崎 東京湾観音

 

磯根崎から車を回して亀田地区までやって来ました、本来ならココまで通過して川を挟んだ新舞子海岸まで道路が延びていた筈だった。と、言うか実はここまで廃道の軌跡が地図では見て取れるのです。

 

いやぁ、そりゃ無理でしょって位の場所を林道扱いで記載されていますけど…うん、もはや人間が通れる道は残っておりませんでした。

 

意外と長いレポートに成りましたが個人的には現場・机上調査共に楽しめた物件でした、本日は以上です。

 

情報提供協力

 

・富津市教育委員会 生涯学習課

・千葉県教育振興財団

・日本建設業連合会(所属組合名は諸事情により不記載)

 

※ 富津市にはいつも無理難題に対して対応頂き、大変感謝しております。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-破線

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
この廃道のアプローチには全工程を通してのスタート地点と後半の海岸部区間から歩く途中エントリーのスタート地点が在ります。今回は山間部区間を歩く全工程を通してのスタート地点にてご説明します。

 

目指すは大貫中央海水浴場や大貫漁港を擁する磯根崎、国道465号線から川端鮮魚店から漁港方面へ折れます。漁港入口の偏差路で磯根崎へ方面へ折れると突当たり(アスファルト舗装道路の)から更に砂利道が続きます、その砂利道を更に直進すると車両通行止めの簡易ゲートが在ります。その地点から廃道スタートと成ります。

 

地図リンク
http://goo.gl/maps/kPAFV

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1004│あぶくま高原ホテル

$
0
0

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

岡山県│あぶくま高原ホテル 大越温泉健康ランド

 

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - あぶくま高原ホテル(大越温泉健康ランド)

 

廃墟好きさんには幾つかの種類があるようでして、それは退廃的な雰囲気美しさに感銘を受けたり、それは廃墟と言う存在自体に魅力を感じていたり、そして私の様にバックストーリーを中心に周囲の歴史を掘り越したり。

 

それらが独立した趣向ではないので複数の目的があったり全く別の魅力を感じたりする方もいらっしゃるでしょう、んで今回の物件なんですが福島では相当に有名な様でして廃墟さんの他には心霊さんサバゲーさんもご贔屓にさているのだとか。

 

何より驚くのはそんな特殊な趣味趣向ではない一般の方も来訪されると言う事、これどういう事かと思われるでしょうが実は登山道の入口と言う立地の所為で登山者の駐車場としても機能しているのです。

 

今回ご紹介する物件「あぶくま高原ホテル」は山間部に突如運営を開始した大型総合レジャー施設でもありました、付近には大越登山口鬼五郎渓谷の入渓箇所が幾つかあるので現在でも趣味人の他に一般の登山客にも知られていると言う経緯があるのです。

 

それにしてもこの施設、兎に角その規模が凄い。

 

ファミリータウンあぶくまと総称され、あぶくま高原ホテル(大越温泉健康ランド)・キャンプ場・BBQ場・エテルナ教会(簡易式場)・釣堀(鬼の宿)などを擁していた。周囲の観光が若干弱い(と言うより立地的に何もない)事が災いしてか登山客や近圏の温泉客しかリピーターが居なかったと聞く。

 

この付近には1998年辺りから観光地化の開発が進められ、このファミリータウンあぶくまもその中核を担う存在となる筈だった。しかし山を切り開いていざ運営してみると閑古鳥の有様、2004年には運営が本格的に厳しくなり2005年には営業が停止、その後2006年に正式に閉館が決定してその後放置されている状態だ。

 

個人的に歴史が薄く、語る事が少ない上に廃美が皆無な物件なので興味はゼロに等しい。が、折角立ち寄ったので調査出来た範囲内でレポートを進めるとしよう。

 


 

サポーターリンク

 

感動の温泉宿100 (文春新書)

 


 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

正式な閉館が決まった2006年以降、管理は完全にストップしてアスファルトの切れ目からは飛散した種子を根付かせた植物が顔をだしていた。

 

駐車場の半分は登山客サバゲーさんが頻繁に使用している様で比較的草木は根付いてないが建造物方面の半分はかなりの範囲でモッサモサ。

 

そして内部はここから見ても酷い状況が解る、ガラスというガラスが殆ど割られているからだ。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

この付近は元々「大越温泉」と呼ばれてはいたけれど単純泉※1)の上かなり薄くかった様だ、このホテルでは泉質よりも多様性で勝負を掛けた様で露天風呂・泡風呂・薬草風呂・真菰湯・サウナなどを展開して登山客に喜んで貰う為の四苦八苦が伺える。

 

※1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E7%B4%94%E6%B8%A9%E6%B3%89

 

それでは内部にお邪魔しよう。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

なんだろう…早くも帰りたく成って来た。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

破壊の限りを尽くされている、本当にどうしてそんなもんまでってレベルで殆どの設備がこの状態。内部外部に関係なくBB弾だらけ、こりゃ駄目だ…ぐるっと一回りしたら撤収しよう。

 

そうそう、なんでここまで荒れ果てているのか。

 

営業期間が少ない為、閉館時点ではとても綺麗な建造物で全てが現役で使用出来る状態で売りに出されていた。税収に繋げたい地元行政や田村市大越町観光協会もこの施設の即時売却や再運営には乗り気だったと聞く。

 

が、現在に至るまでその買い手は…。

 

これは根本的には既述の通り立地が悪い、ここまで細い道と山間部の特有の枝分かれが多い為に交通の便が悪かったのだ。施設運営で送迎バス(※2)も試みたがやはり駄目だったよう、そして買い手としての問題点が幾つか有った。

 

それは維持費だ。

 

冬季とも成ればこの一体は氷点下、しかもマイナス10℃以下と言うから福島にしては結構寒い。そこでまず問題に成るのは光熱費、これが非常にコストを圧迫する。また途中からこの施設位しかアクセスの用途がない道を通る為に降雪時の除雪整備にもコストが掛かる、山間部の為に除雪業者を低地から呼ぶにしても常駐させるにしても高額な予算を必要とされる。

 

他にも幾つかの要因が重なり、現状の廃墟という状態を長く継続してしまっている。

 

※2:全く関連性は無いけれど同型同色の廃バスを青森の旅館廃墟でも見ましたなぁ

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

和室タイプの客室、少々狭いが悪くはない。野良人が住み着いた形跡も散見出来たが今と成っては布団なども使用出来る状態に無い、畳も腐りかけていた。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

後方に見えるのは大滝根山、山頂付近には大滝根山分屯基地(航空自衛隊のレーダー施設)がある為に山頂へは基地への申請としないと登頂出来ない。

 

航空自衛隊 - 大滝根山分屯基地
http://www.mod.go.jp/asdf/ohtakine

 

大滝根山 - ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BB%9D%E6%A0%B9%E5%B1%B1

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

殆どのガラスが割られている為に内部には雨風が入り込み、通路も客室同様にこの有様。この状態の建造物を解体するにも運営していた企業には既に体力は無い筈…と思って調べてみたら管理者が田村市の建設課に成ってるではありませんか。

 

え?どゆこと?

 

と思いまして更に調べようとも思いましたがどうやら色々と面倒そう、少し現地の関連法人に聞き取りしたらバラバラの回答ってのもありまして今回は詳細調査はしませんでした。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

この廃墟唯一の綺麗な状態を保ったボイラー室機械室、流石に大規模な施設を担当するだけあって大きな別棟内に設置されていました。

 

電気関係はまた別でこのボイラー室でメインの屋内温泉を沸かしていた様です。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

調理室の機器は全て撤去されていました、閉館当時に換金出来る物を売却したのだとしたら他にも売れる物は沢山有った筈。同業間ではこの手の倒産話は直ぐに足が着くので必ず叩いて買い取る専門の業者や関連施設企業が処理に手を挙げます。

 

しかし施設内には既に破壊された大型の冷蔵庫やエアコン類、リネンや布団類、電気機器が沢山残されています。現地来訪時、この点に疑問を感じましたが…うん、まあもういいや。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

受付からロビー、宴会場に至るこの一体はとてもかび臭く(施設内の風呂場が最悪でしたが)て破壊され様も酷い感じでした。

 

まあ入口ですし。

 

さぁて、ぐるっと周り終わっても感想は変わる事無く。営業期間も10年以下で周囲に関連する歴史もないので今回のレポートは終了です、何か特別な温泉だったり歴史があったりと調査欲が掻き立てられれば話は別なんですけどねぇ。

 

スゴログ 6FROGS 廃墟 あぶくま高原ホテル

 

過去、行ってみたの紹介物件の中でも最低と思われる興味の無さで紹介するかも悩みましたが意外な事にこの「あぶくま高原ホテル」を扱ったサイトが殆どありません(2017年現在)。有名ではありますが登山者のブログや心霊さんの書き込みに反応する程度、でもその理由も現地に赴いて理解出来たなぁと。

 

ええ、ここツマラナイです本当に。

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
どの様なルートかで大きくアプローチが変化する面倒な立地です、地図リンクを参照して頂ければ幸いです。

 

地図リンク
https://goo.gl/maps/6KJBmDoHvyE2

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

廃墟の歩き方 探索編

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - RR14│正木温泉

$
0
0

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

千葉県│正木温泉(正木まるに温泉)

 

風力発電の風車って電気で回してるんだってよ…。

 

衝撃的な事実を前に力なく地に伏せた我々が心身の癒しに訪れたのは房総半島は館山の正木温泉、温泉地って以前はバイクで行ってたのですが文明の利器に溺れ年齢も重ねる寝るだけでも疲れる程に。ともなればバイクの運転はもとより車でさえ断腸の思いで乗り込む訳でして、そんな自宅においてもパーフェクト帰りたい状態の行ってみた一同が感動したこの温泉を少しばかりですがご紹介させて頂きましょう。

 


 

サポーターリンク

 

Casa BRUTUS特別編集 温泉150 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS)

 


 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

早朝登山から下山し、遅い昼食を「ばんや」を仕掛けた保田漁港の元組合長が2014年にオープンしたと言う「栄丸」で食し、海老の天ぷらを食べながら「これは蟹かもわからんね」などと

 

はい。

 

来訪したのは房総半島でも優れた泉質として知られる正木温泉だ。実は個人的には以前にも来た事があるのだけれど行ってみたとしては初めて。相変わらずの大音量で来る者を驚かすテレビ音声と耳が少々(凄く)遠いおじいちゃんは健在でした、それにしても猫が一杯。

 

さて。

 

正木温泉は半世紀前にこのおじいちゃんが源泉地を発見した事から歴史は始まります、その後個人的に温泉を経営してましたが約45年程前(2017年現在)に正式な温泉として行政に登録する為に泉質調査などを行い、その後1年程掛けて認可が降りました。

 

当初は個人宅への温泉の配送販売も行っていましたが2年と経たずに中止して現在の家屋を改造した寄り湯へ一本化し、温泉フリークの方々の口コミで認知度が拡散していきました。雑誌やウェブ媒体、テレビなどでも紹介されているのでご存知の方も多いかもしれません。

 

因みに定期的な泉質調査も行っていて一番新しい調査は2015、有効含有物質の大きな増減は確認できないので安定した湧出地と言えよう。因みに今回この湧出地にもお邪魔したのでその現場は後程写真でお見せしたいと思う。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

世界観が独特過ぎる

 

一歩中へ足を踏み入れると初めての人には驚く事が多いと思う、よく見て欲しい。左の壁も右の壁も、そうなのだ…外壁なんです。つまり、今僕らが歩いているのは家と家の間の””だった場所。これ、正面左側のトイレゾーンも含めると3棟の家屋を波板とトタンで無理矢理結合したちょっとしたトンデモ建造物だったりします。

 

開業当時はここまで酷く(ユーザビリティに配慮した)はなかったのだけど年々増改築を進める内に現在の形状に収まった様だ、しかし意外と用意するものはシッカリと用意した様で看板や配達用のトラックの塗装、地区内の案内図設置、行政関連施設へプリントの配布など”認可を取得したのならば温泉施設として広く知ってもらいたい”と広報活動も活発に行ったと聞いた。

 

が、近年はスッカリと客足は減少。農業も年齢的にキツイそうでどうにか温泉施設としてのメジャー化を図りたいとお話されていました。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

正木温泉の特徴としてまず目に付くのがこの手書きの注意書き、至る所に設置されていて全部を読もうと思うと明らかに入浴時間より長くなりそうです。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

この正木温泉、実は公式な温泉の届けを出す為に泉質調査を行ったものの詳細な泉質分析は近年まで行っておらず、「どんなモンが入ってるか良く解らんが兎に角効く」と噂されていた。定期的な泉質調査はあくまで衛生上の調査であった為に細かな成分分析は2006年までは行われていなかったのだ。

 

分析を担当したのは「千葉県衛生研究所」、行政内部署ですね。

 

千葉県衛生研究所
https://www.pref.chiba.lg.jp/eiken/

 

千葉県衛生研究所の温泉分析書によれば主成分は

 

・含硫黄
・ナトリウム炭酸水素塩泉
・塩化物泉

 

冷鉱泉(源泉温度は17℃前後)で淡黄褐色澄明の無臭とある。温泉に興味がない人には蛇足なのだけれど房総半島にはこの泉質に酷似した泉質を持つ温泉が散見出来る。有名な所では養老渓谷や成田近郊の温泉だろう、因みにこの茶褐色の色の原因…皆さんご存知だろうか。

 

有色温泉で濃茶褐色(温泉的には黒色と表現される)の場合、その源泉は浅い場合が多い。山中の地下より湧出する温泉は多分の腐葉土を含んでいて地上に達するまでの間に自然のフィルターで濾過される事になるのだけど湧出場所が地上から浅いと濾過する距離が短くなり、結果として腐葉土などの濾過仕切れなかった色が残ってしまうと言う訳だ。

 

一応誤解が無い様に追記するけれど腐葉土とは便宜上の言葉で正確には腐植質の地層の地中成分、そして色を決定付けるのは含有成分のフミン酸のコロイド粒子の量や大きさだ。更に含鉄泉なんかの話を織り交ぜると長くなるので興味がある方は各々調べて頂きたい。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

この素敵な正木温泉において一つだけ気になる事がある、それは殺菌方法だ。

 

施設内の注意書きには「60℃~70℃の高温で殺菌している」との一文が見て取れる、が。不特定多数の人が入浴する温泉において高温殺菌は90℃以上でないと本質的な意味がない、また通常の塩素系薬剤による殺菌もフミン酸が多く含まれている事が伺えるこの淡黄褐色の湯質には不向きだ(フミン酸が多い場合は結合塩素が生成され、殺菌効果が減少する )。

 

確かに1999年に制定された感染症新法の方針書には「加熱殺菌法」として「循環する浴槽水を60度以上に加熱して殺菌する」と有るが正木温泉は3日に一度湯を交換する汲み置きだ、それに泉質の分析書を見てもph値は僅かな上下はあるものの7なので丁度中性であり、草津温泉の様な強い酸性による殺菌は望めない。循環であれば70℃は十分な殺菌効果を謳えるが汲み置きの場合は更に20度以上の高温が必要とされる、雰囲気はその間々に安全性を向上しなければ更なる集客は現代において難しいのかもしれない。

 

ともなれば。

 

この温泉に必要な殺菌方法は「銀イオン」による還元性殺菌位だろう、濃い有色湯なので紫外線殺菌も無理なのが残念な所だ。

 

銀イオン殺菌装置
http://www.japan-ion.com/silver/bath.html

 

是非この手の殺菌装置を導入してほしいところ、先程さらっと書いたが3日に一度の湯交換はやはりちょっと怖いですよねぇ…いや、正直な話。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

少々ネガティブな要素を書き連ねたけれどあくまで好きの裏返し、この温泉の素晴らしさはやはり建造物を含めたその温泉そのものにあります。

 

建物置くの浴室に入ると湯が冷めない様に対策がされている事が解ります、また汲み置きの為に掛け湯も禁止で水などで薄める事も禁じ手です。シャワーで十分に身体の汗を流してから浸かりましょう。

 

それにしてもこの淫靡な雰囲気がソソリますねぇ、光の取り入れ口となる窓はその昔おじいちゃんが自作した物で施設内の改造もアーキテクトとして尽力された様です。

 

 

浴室内はこんな感じです、今度は夜に来たくなる雰囲気。

 

リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

全員が別々に湯を楽しんだ後、縁側にて雑談してこの温泉に関する歴史や経緯、周辺の移り変わりなどの話を聞かせて頂きました。途中からおばあちゃんも加わり、過去にテレビ取材を受けた時の写真を見せて貰ったりと楽しい一時を過ごしてそろそろ帰ろうかと言う時間。

 

「あのー、源泉湧出地を見たいのですが」

 

北海道や離島では温泉に行くと必ず湧出地も見聞してたので駄目元でお伺いをたてると…

 

「こっから1キロ先の山の中、行ってきな(そんなん見たいんか、変なヤツ…)」
「マジかジジイ、ええヤツやな(有難う御座います!)」

 

と快諾。興奮の余り建前と本音が逆になったが耳が遠い事が幸いし、場所を公開しない約束で正木温泉の源泉湧出地を見せて頂きました。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

地味だった。

 

車でノロノロと山道を走り、少しばかり歩くとそこには温泉ステーションが。ここへ3日に一度タンクに温泉を汲みに来ているのだと言う。写真奥が旧汲み上げポンプとホース、手前の屋根付きが現在使用している新しいモーターを利用した汲み上げポンプだ。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

1973年、この認可を取るのに随分と苦労したそうだ。申請時に行政の方と大喧嘩したとも聞いた、現在では歴史を語るに等しい年月を経た温泉の源泉湧出地と成った。

 

余談だけど泉質調査はこの源泉と運営されている家屋の2箇所でそれぞれ行われている、温泉法で取り決めで汲み置きの温泉や源泉から遠方の場合は少々認可まで難儀するとの事だ。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

小型のモーターを利用した汲み上げポンプ、塩ビパイプや掃除機用のジャバラホースなどアットホーム(?)な風体だ。

 

そうそう、良くこの正木温泉が紹介される時にみる家屋正面入口の写真でも目立つマーク「マルニ」ロゴ・この写真でも「正木(マルニ)温泉」と確認出来るだろう。これ、ピンと来る方も居る筈…そうです、引両紋で御座います。

 

引両紋 - ウィキペディア
https://goo.gl/6B2MCa

 

中でも「丸に二つ引」と呼ばれる家紋でしてご存知の方も当然多い筈、そんな足利将軍家の家紋と正木温泉の以外な関係性…

 

は特にありません。

 

おじいちゃんに、

 

「あの家紋を掲示しているのはどの様な意味があるんですか?」
「あー↑?ありゃウチの猫じゃねぇ」

 

謎は謎の間々の方がお宜しいのかもしれません、歴史の禁忌に触れたい気もしますがもう少しだけ人生を楽しみたいので

 

「ああそうなんですか、かわいいですね」

 

と大人の対応で質疑終了と成りました。

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

新しいポンプ、毎秒3トン※1)を汲み上げるのだとか。

 

※1:だったらいいなぁ(遠い眼)

 

スゴログ 行ってみたら凄かった 6FROGS 正木温泉

 

掘削機がマントル遷移層に達した※2)事で使用が禁じられた初号機、HAARP試作機との噂も。

 

※2:だったらいいなぁあっ(半ギレ)

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

正木温泉

 

正式名称は「まさきまるにおんせん」、正木温泉は源泉名で施設としての名称は正木まるに温泉です。とても素敵で行けば必ず魅了されるこの温泉、是非一度は浸かって頂きたいオススメの湯です。

 

・源泉名称:正木温泉
・施設名称:正木まるに温泉
・所在住所:千葉県館山市正木3027(0470-27-4614)
・入浴料金:650円~
・営業時間:09:00~21:00(年中無休)

 

この正木温泉にとても類似した温泉が東京湾の対岸にありました、その名を「星山温泉」。恐らく”廃度”は星山温泉の方が上ですが残念な事に近年閉鎖されてしまいました、最後にもう一度行くべき温泉だったのに…参考サイトは以下よりどうぞ。

 

迷走局 - 廃墟のような貸切温泉!星山温泉に入浴
https://www.wander-dept.net/article/15_hoshiyama_spa/hoshiyama_spa.html

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

 

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

アプローチ
国道127号線から正木地区への枝は数本、田園地区ゆえにどの道も正規ルートと言える物は無いので地図を参考に現地へ赴いて欲しい。

 

地図リンク
https://goo.gl/maps/dfqUhcD21CJ2

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

一度は入りたい秘湯・古湯100選 (旅の手帖MOOK)

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい

REPORT - 1003│福島県帰還困難区域③ 大熊町

$
0
0

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

福島の被災地取材最後は大熊町、と言っても見るべき所が余り無かったので広範囲(別の地区)に足を伸ばしてしまったので撮影地はアチラコチラと飛んでいますがご勘弁を。前回までのエントリーは以下よりどうぞ。

 

6frogs 福島 帰還困難区域 双葉町 廃墟

 

6FROGS スゴログ 福島 廃墟 帰還困難区域 浪江町

 

既にご存知の方もいらっしゃると思いますがこのエントリーが初めての「行ってみた」閲覧者である事も考慮して前回の冒頭部分をコピペ、何故私達が福島へ来訪したのかを知って頂ければ幸いです。

 


 

サポーターリンク

 

防災セット 地震対策30点避難セット 避難生活で必要な防災グッズをセットした非常持出袋

 


 

まずは今回の取材撮影に至るまでの経緯をお話しましょうか、この福島入りは2016年の春先に頂いた1通のメールから始まります。


そのメールの送信者はトルコ語通訳を生業とされる方でして。内容は、


スウェーデンやトルコのメディア協力の下、トルコ人のドキュメンタリーフォトグラファーが世界中の産業遺構を撮影する国際プロジェクトを進めている。日本においては軍艦島や福島の被災地に興味を持っており、日本国内における撮影に関するオーガナイズをお願い出来ないか


と言うもの。紆余曲折あり軍艦島根岸競馬場※1)、東北の鉱山跡(※2)などを絡めたプランを製作。メインに福島の取材を据え、ドライバーから宿泊施設の予約など出国までの全てをロケーションコーディネータばりに同行すると言う内容だ。通訳には元外務省勤務の非常に忙しいトルコ語通訳者が着いてくれた、日本ではニッチな需要(トルコ語通訳)な為に同行中にもバンバン仕事の依頼が携帯に入る非常に優秀な方でした。


※1:軍艦島に関しては長崎市観光推進課、根岸競馬場に関しては横浜市環境創造局施設管理部管財課の各担当者さんが親切に対応してくれました。


※2:田老鉱山や松尾鉱山など


8月後半の来日までにも実に沢山の人が協力してくれ、どうにか無事取材を終える事は出来たが兎に角色々と立入が厳しい福島。各行政の広報課や秘書課の担当者さんにも随分と便宜を図って頂いた、今回とは別件で「行ってみた」としても再訪予定なのでその時は行政同行者や現地の方の話を交えてレポートしたいと思う。

 

が、今回はドキュメンタリーフォトグラファーの意向を中心に行動したのでいつものレポートとは少々毛色が違うかもしれませんね。

 

それではプロジェクトの内容や件のフォトグラファーさんの紹介を交えながら福島での取材撮影、その模様を書き綴ると致しましょう。この福島レポートは全3回を予定、それぞれ「双葉町」・「浪江町」・「大熊町」とエリアを分けてエントリーします。

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

大熊町は震災後に印象深い写真によって風評被害を被った地域でもありました、その問題も取り上げながら最後の福島レポートを進めたいと思います。

 

掲載写真について

全3回の福島取材撮影レポート内の写真はスゴログで撮影したものです、また行政より許可を得て撮影していますが特に現在進行形で問題を抱える地域や場所、施設の写真は掲載を見送りました。各行政、出版社との取り決めもありますのでご了承下さい。

 

撮影箇所の地図リンクがありますが一般立入が可能な場所とそうでない場所があります、防護服などを着用して映っている箇所は特に被爆の可能性の高い地域ですので安易に来訪しようと思わない様、お願い致します。

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

フレコンバッグの山が見慣れた福島滞在4日目、最終日は大熊町の予定だった。が、行政の方と話した結果撮影コンセプトと合致する場所は更に特別な許可が必要との事で今回は諦める事に。現在の通行許可証で入れる地域と現地で気に成る場所を無作為に撮影していくスタイルへ変更した、なので撮影場所を記載したグーグルマップのリンクは必ずしも大熊町では無い事を予めご了承願いたい。

 

それではこの福島レポート最後のエントリーを始めよう。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

帰還困難区域の道路は何処も彼処も草茫々、走れるだけまだ幸運な方だ。クライアントからこの日はどうしても見たい場所があると指定されていたので途中気に成った場所に立ち寄りながら希望の物件へ向かう事にした。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

閉鎖された工場と隣接するビニールハウス農業地、どちらも広大な敷地だったが勿論人の姿は無い。因みにこの時点までGPSロガーをオンにするのをスッカリと忘れており、場所のリンクが記載出来ない事をお詫びする。

 

さて、そろそろお目当ての場所の付近。

 

https://goo.gl/pHXEsV

 

ここだ、うーん…解り辛いだろうか。それならば。

 

https://goo.gl/maps/ZdiWoqmoe5r

 

これならどうだろう、この場所…写真で見た事がないだろうか。

 

https://goo.gl/714CDV
https://goo.gl/kZf8It
https://goo.gl/IokNXu

 

実はここ、冒頭で記載した問題の場所でもある。

 

https://goo.gl/0BftU0

 

この様な感じでこの場所を取り上げたブログやメディアのソースが一時期溢れた事があった、その大元は「デイズジャパン」の記事。

 

http://www.j-cast.com/2016/02/02257343.html

 

嘘がバレて直ぐに訂正文を掲載するもこれまた嘘を掲載。

 

https://www.facebook.com/daysjapan.net/posts/1017124921660027

 

デイズジャパンはわざと解り辛く”「人々が乗り捨てて逃げた車」とあるのは誤りで、正しくは「投棄された車」でした。”と訂正したがこれでは結局「原発事故で投棄した」と誤解を招く表現を敢えてしている様にも思える、その後も批判は集中したが現在においてこれ以上の訂正は行われていない。

 

グーグルアースで過去の航空写真を確認すると2004年までは何もないけれどハッキリ映し出される(廃車が並ぶ)のは2009年、因みに地震前の2011年3月に撮影された震災直前の写真にもシッカリとこの車たちが映し出されている。

 

元々は車のリサイクル業者のストックヤード的な使用で置かれていた場所、これを想像でバックストーリーをでっち上げてまで”印象操作”するのは一体何処の誰で何を意味するのだろう。

 

http://www.minyu-net.com/news/sinsai/michishirube/FM20160207-048190.php

 

別メディアなどでも幾つか後日談を取り上げているけれど結局再取材などの約束は果たされていない。そんなこの場所の現状を確かめに行きましたが、ええ。

 

撤去されてました。

 

ものの見事にキレイさっぱりと、誤解された間々の方達やウェブメディアに疎い方達への対処としては有効な措置かと思われます。私達が来訪したのは2016年の8月でしたがどうやらその2ヶ月前の6月頃に作業が行われた様です、ドローン飛ばして類似の写真を撮りたかったのですが残念。

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

取材班は地元の温泉組合の方をアドバイザーに迎え、何処か取材場所として適した場所はないかを伺うと「放棄された窯元の小さな町が在るからそこはどうか」と提案され向かう事に。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

社の無い鳥居(※3)が迎えてくれた窯元集落、帰還困難区域の為に現在も無人の場所だ。この一体は相馬焼きで有名で全国にもリピーターが数多く居る有名な窯元が集う地域。

 

http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/7/334.html

 

※3:その後斜面上部に社を確認しましたが神社の名称は不明な間々でした。

 

写真説明:緑に覆われた鳥居
撮影箇所:https://goo.gl/xZkLz0

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

警察車両がやけに多く巡回している地域で少々緊張したが震災後に陶器の窃盗が頻発して特に警戒しているのだとか、建物の中を首を伸ばして覗き込むと未だに製作中の物や売り物だった陶器が残されていた。

 

写真説明:この窯元は幸運にも別の地で営業を再開する事が出来た様だ
撮影箇所:https://goo.gl/ASCfPs

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

南相馬のホテルへ帰る途中に海岸沿いを走ると解体されていない崩落建造物が眼に入った、この手の建造物は直ぐに解体されるのだけれど何故残っているのだろう…車を停めてみて見る事にしよう。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

特別変わった施設では無いだろうと思うけれど…工事関係者に伺ったが建造物の用途は不明との事、因みに近い内に解体される様だ。

 

写真説明:海岸沿いの建造物の殆どは解体されている
撮影箇所:https://goo.gl/wtdTkh

 

ロガーの不調で撮影場所が解らない写真も数枚。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

福島第一原発は双葉町と大熊町に挟まれる様に位置している為、今回の大熊町も震災時には実に高い線量を記録した。今回取材した「双葉町」・「浪江町」・「大熊町」はそれぞれが数ある理由と立地条件によって大きな被害を余儀なくされた地域だ。

 

それは現場に立つ事でペーパーメディアやウェブでの情報以上に色々な事を教えてくれます、例えばですが。

 

 

この様な動画が大げさなのか、本当なのか、表現は適切なのか、線量計を映さない事に意味はあるのか、公開時期が2012年にしては内容と閲覧数が不自然ではないかなど疑問が出て来るのは当然だと言えます。それが事実なのかどうか、それを確かめる為には報道される内容を元に現地で実際に体験するしか方法はないでしょう。

 

今回の取材でこんな基本的な事を改めて気付かせて頂いたトルコとスエーデンのカメラマンさんには本当に感謝です、日本人なのに福島(や東北)の震災時と現状をもう忘れ掛けているのですから。

 

最後に大熊町でのニュースでずっと気に成っていた事がありました、同行取材が決まってから知って経過が語られて無かった行方不明者のお話なのですが。

 

 

こんな事もあるのだと、そう思いながらも。未だ発見される事のない行方不明者が数多く居る事も忘れてはいけない事実なのでしょう。

 

東日本大震災における死者・行方不明者の推移
https://goo.gl/nQLat1

 

東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率
https://goo.gl/gbiqr3

 

氏名の推測ができない(身元不明)犠牲者の方々
https://goo.gl/egmHCj

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

福島での滞在を終えて私達は東北へ、震災の爪痕をより色濃く残す地域で写欲が掻き立てられたのかクライアントの強い要望もあって追加で東北の鉱山施設跡の撮影も行う事に。東北の鉱山跡と言えば「田老鉱山」・「松尾鉱山」・「尾去沢鉱山」の3箇所、スケジュール的問題もあって立ち寄ったのは田老と松尾でした。

 

海外の産業遺構を数多く見てきたトルコ人カメラマンのエミン氏、その彼をもってしてもこれ等の廃墟と化した鉱山跡は非常に興味深く映った様でした。

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-廃墟 田老鉱山 ラサ鉱業

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-田老鉱業事務所

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-田老鉱山 田老町立田老第二小学校

 

6Frogs - 毎日をデザインで考える-田老鉱山竪抗巻上施設

 

福島から移動して最初の産業遺構は田老鉱山、クライアントもこの日本が誇る美しき廃墟には満足した様子で撮影を終えた。その日のスケジュールで時間的な余裕が少々あったのでちょっと変わった奇景があるので行ってみないかと提案、場所は程近い浄土ヶ浜だ。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

宮古観光文化交流協会の計らいで時間外の「宮古市公園内道路車両通行許可証」を発行して貰い、夕暮れの浄土ヶ浜へロケ車で横付けする事が出来た。更に「トルコ人とスエーデン人が鯨が食べたいと暴れている」と伝えると缶詰を出してくれ、しかも良く合う日本酒や地ビールも提示してくれた。

 

主任の○田さん、どうもすみません。

 

写真説明:夕暮れの浄土ヶ浜
撮影箇所:https://goo.gl/HQHcEz

 

※ 震災後、別途で来訪した時はレストハウスは無残に破壊されて道路は凸凹でしたが数年振りに来訪した浄土ヶ浜は観光化整備が進み、見事に復興していました。

 

浄土ヶ浜からその日の宿泊地だった花巻市に向う道すがら、記憶に残る風景があった。遠野の山々は本当に美しいのだけれど思わず車を止めた場所、それが新田牧場だ。

 

新田牧場はその景観が美しいだけではなくて歴史も長く、そしてその奥地にあたる長者森には「長者森金山」が在った事で地域産業史もおいてもその重要性は高い。

 

ネット上にその情報は多く無いけれど興味がある方は是非調べてみてほしい。

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

新田牧場を後にして立丸峠を下り、遠野市街地へ車を走らせているとこれまた素晴らしい景観に出くわした。地元では話題に全く成らない様だけどこの直線は結構凄いと思いますよ、いや…北海道の国道12号直線に比べれば微々たるものではありますが。

 

写真説明:国道340号線の直線区間
撮影箇所:https://goo.gl/U0AkX9

 

スゴログ 6FROGS 帰還困難区域 福島第一原発 廃墟

 

日本の滞在期間最後の撮影対象物件は「松尾鉱山」、この松尾も随分と久し振りに来た。「荒廃した撮影対象物には深い曇空が合う」とは氏の言葉、成程…どうにか晴天に成らないかと気を揉んだが要らぬ心配だった様だ。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-松尾鉱業株式会社 松尾鉱山アパート群

 

真説明:松尾鉱山で撮影中のエミン氏
撮影箇所:https://goo.gl/RBUaif

 

今回の仕事で学んだ一番の重要点、それは共通言語は「英語」じゃないとちょっとしたコミュニケーションもとても大変だという事でした。

 

スケジュール管理でも運転でも取材交渉でもなくて、そう…やっぱり言葉なんですよ。トルコ語難しいんです。

 

いや、ホントにね。

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

スゴログ 福島 廃墟 帰還困難区域

 

誤解が無い様に記載しますが重ねてお伝えしている通り、今回は以下の様な各行政から発行される許可証を取得して現地取材に同行しています。かなり面倒ですが個人でも取得は可能だと思います…が、メディア関連でもパトロール車両に何度も止められます。

 

総じて個人での帰還困難区域への来訪は敷居が高い段階と言えます。

 

スゴログ 福島 廃墟 帰還困難区域

 

スゴログ 福島 廃墟 帰還困難区域

 

スゴログ 福島 廃墟 帰還困難区域

 

覚える事も結構多く、また基本的に行政関係者が同行します。ルートは事前に提出してスクリーニング場などの予約線量計の用意防護服やマスクなどの準備も必要です。ゲートでは毎度身分証明と行政発行の書類乗車名簿を提示しなければなりません、予定外ルートや時間の遅延、予定外のゲート出入りなどは現地で管轄する役所と連絡を取り始めて通行が許可されます。

 

しかしそれだけこの地域の安全対策に力を入れてるって事でもあります、身体への影響や防犯対策を含めて行政が弛まぬ努力をしているワケです。

 

震災後の福島、その5年後をレポートしました。今回ウチはあくまでオーガナイズの為の脇役でその片手間で撮影した写真を中心にまとめはしましたが…いや、何とも情報不足は否めませんです。今年(2017年)に再度来訪を予定していますが次回は少々趣が異なる内容に成ると予想されます、それでは本日はこれにて。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポートメンバー 6FROGS 2016

 

写真撮影:6Frogs Design Works


6FROGS 行ってみたら凄かった ブログ村 ランキング 廃墟写真


6FROGS 行ってみたら凄かった 人気ブログ ランキング 近代化遺産

 

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録10

6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構

 

6frogs twitter 行ってみた


6FROGS 行ってみたら凄かった 廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 注意点

 

66FROGS 行ってみたら凄かった 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山 鍾乳洞 ケイビング キャニオニング トレッキング クライミング 破線

 

被災ママ812人が作った 子連れ防災手帖

 

ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい


Viewing all 455 articles
Browse latest View live