SCENERY - 182 │ 懐かしのホテル柏「六本指」看板
SCENERY - 183 │ 紅葉の霧降の滝
PR: THE ALL-NEW VOLVO V40 デビュー
SCENERY - 184 │ 湯野上温泉駅の囲炉裏
SCENERY - 185 │ 小湊鉄道飯給駅
SCENERY - 186 │ もうおこったぞう
SCENERY - 187 │ 親子熊岩
SCENERY - 188 │ パンダ愛してる
ジウジアーロが好きだ、初めて車検を通すまで乗り続けたパンダは元より2台乗り継いだ初代ゴルフも先生の作品。スタジオで使用しているニコンのD3やD4も先生の作品、工業デザイナーでは一番好きな人。
いや、個人的にはパンダのデザインが正義だから他は別に良いのだけど。
うーん眩暈しそうだー、狂おしい程好きだー。
4駆パンダも良いけど高回転が唸って煩い1000のパンダがヤハリ好き、運転中は会話不可能な所もグッド。フロントバスケットにはフィリップスの純正スピーカー、とても聴けたもんじゃないけれどそこは大人のご都合主義。申し訳程度にイタリアンジャズでも流しておけばおk、そうね「ギド・ディ・レオーネ」辺りでどうだろう。
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SCENERY - 189 │ 船橋の路地
SCENERY - 190 │ 燈篭坂の大迫力隧道
SCENERY - 191 │ 残像だ。
SCENERY - 192 │ 箱崎ジャンクションさん
都内のジャンクションで夜撮するって言ったらココ、皆大好き「箱崎ジャンクション」さん。ずっと動画専用機だったNEX-5にコンバーター通してタムロンの広角、フランジバックの問題は完全には解決出来ないけれどまあそこそこは撮れる。
本来ニコン派だけどセンサーはソニーだし、うん…NEXはアリだ。スタジオでの動画撮影は完全に5DmarkⅢに移行したし色々とNEXをカスタムして遊んでみようと思う、安いフライカムとガンマイクも買ったし後はウルトラワイドコンバーターかなぁ。
話は戻ってジャンクション、実は余り興味が御座いません。それにしても最近のミラーレスは良く写りますねぇ、フルサイズも出てる様だし本格的に仕事でも使ってみようかなぁ。
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REPORT - 205 │ 葛飾区立石の呑んべ横丁
東京都│葛飾区立石の呑んべ横丁
ナントモゆるいレポートだけれど我慢して欲しい、本日は酒好きにも写真好きにも有名な葛飾区は立石の「呑んべ横丁」をご紹介したいと思う。場所は京成線立石駅から直ぐと言う立地、2010年までは急行列車も止まる駅だったが現在は各駅停車の普通列車が止まるのみと成った下町ローカルな駅。周辺地域は風情溢れる店構えの古めかしい商いが並び、夜には地元客がふらりと寄れる呑み屋街の行灯が燈る。
昭和の匂いが未だ漂うこの「呑んべ横丁」を再開発問題と絡めてレポートしてみます。
この「呑んべ横丁」を語る上でどうしても外せないのが京成線立石駅とその周辺地域の再開発問題だ、立石駅を連ねる京成電鉄押上線は京成本線、北総線、都営浅草線、それぞれ直通列車が走る事でも知られている。よってラッシュ時にはそれぞれの利用客がこの押上線沿線駅に集まり、元々下町開発だった昭和期から離脱出来ない住民の保守的な地元意識も相まって近代開発からは数歩下がった立ち位置だった。
立石駅も然り、朝夕は開かずの踏切として交通の不便を余儀なくされ、複雑なダイヤ改正に取り残されて現在は各駅停車の普通列車が止まるのみと成った。それでいて京成線の全69駅の中では1日平均乗降人員が上位となる10位、なかなかにしてアンバランスな存在と成っている。
この様に駅としても周辺の交通の利便性としても、また兼ねてから取り残されていた都市開発の一環としてもこの立石駅周辺の再開発は何れ免れない状況だった事は誰の目にも明らかだった事だろう。
そして現在、「京成押上線連続立体交差事業」と言う名の下に駅と道路をアンダーパスで立体化して交通渋滞を無くす計画が進められている。この計画の中には地域の活性化事業も含まれる様で安全基準を満たしていない古い建築物や消防法で特別措置を受けている長期間営業されている商店などを一貫して再開発に盛り込んで刷新しようと行政が動いている、そして今回の「呑んべ横丁」だ。
葛飾区役所では凡そ30年前より再開発の話が出ていて最近に成って土地買収が済んだ場所からセットバック工事が行われている、南側の仲見世商店街も計画事項に含まれてはいないものの再開発の恩恵を受けようと地元主導の事業計画が進められているそうだ。
実際に最近では下北沢(緊急対策踏切リスト掲載案件)が同様の理由で立体交差工事が完了し、2013年3月23日からは駅舎が地下化されている。
ともすれば。
この風情溢れる「呑んべ横丁」の姿も時機に見られなく成るだろう事は明白、近年テレビや映画、出版物で何かと名前を目にする事が多い「立石」ブームなるものも開発の波にのみ込まれるのは寂しい事です。
それでは北側の雄、「呑んべ横丁」を歩いて見ましょうか。
閑散としていますがアチコチからお客さんの笑い声や話し声が聞こえます、それなりに賑わってはいる様です。それにしても凄い、何が凄いってこの作り。古めかしい素敵な雰囲気とも言えますが何より建造物の老朽化が、うん。
再開発の計画書には「京成押上線連続立体交差事業」がメインに据えられていますが事細かに読み進めると防災街区整備地区計画、密集住宅市街地区整備促進事業なども組み込まれています。東京都が定める建物倒壊危険度ではどうどうの「危険度5」、都内5073町丁目中で32番目の危険度と認定されているのも頷ける様相です。
1954年からスタートしたこの一角の歴史、付近には町工場が軒を連ねていた為に当初の雑多な商店区画から呑み屋街へと変貌するのだけれど当時の「立石デパート商会」としての残留物も多く、服飾、糸、飲食物の店が存在した事を感じる事も出来る。
駅周辺の商店は当初屋根を持たない闇市場的な個人商が発祥とされていて戦後の混乱期に盛況だったとも記録に残っている、また「立石駅北口交番の裏が風俗街」だった事とも古くから住む人達には知られていてるそう。売春防止法が施行される1956年~売春廃止法が施行される1958年の流れまでは娼婦達が練り歩く姿も見掛けたとか。
少し路地を歩くと成る程、これは昭和臭が濃霧の如く漂う雰囲気では在りませぬか。地域行政や地元商工会の方でも建物倒壊危険度の問題は十分に把握していて再開発を進めて行きたいと考えている…の、だけれど。それでもこの情景は残して欲しいとも思う、それは不意に訪れた方や地元の方も含めて「懐かしい」と思える情緒的な場所が少なくなっているからだろう。
昼間でも陽の差す所が少ない薄暗い「呑んべ横丁」、夜に成ればこの通り廃な「画」が撮り放題に。
さてさて、如何でしたでしょうか。近い将来消えてしまう事が決まっているこの「立石」の呑み屋街に少しは興味が沸きました?常連客ばかりで初めての入店には気後れするお店が多いですが是非とも知らないおっちゃん連中と仲良く酒を酌み交わしてみて欲しいと思います、以外と若い人にも気さくに話しかけてくれますよ。
そうそう、こんな企画も定期的に行われています。
立石のスナック街「呑んべ横丁」巡るツアー開催
http://katsushika.keizai.biz/headline/785/
因みに地名の「立石」ですが葛飾区の公式サイトの記載によると「この地に”立石様”と称する奇石から起こった地名で、すでに室町時代の古文書にその地名が記載されています」との事。随分と古くから地名が残っているんですねぇ。
アプローチ
京成電鉄押上線立石駅下車直ぐ、ホントに直ぐ解ります。
地図リンク
http://yahoo.jp/gRt1Uw
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REPORT - 206 │ 小櫃川水系七里川支流 キンダン川
千葉県│小櫃川水系七里川支流 キンダン川
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 小櫃川水系キンダン川(七里川渓谷/キンダン川の川廻し/緑の回廊)
今年もやって来ました山の季節、去年は同じ房総半島で七ッ釜渓谷の梨沢不動滝をこの時期にレポートした。県下の沢では別格に美しい七ッ釜渓谷だったけれど今回のレポートで取上げる小櫃川水系七里川支流のキンダン川もそりゃーもう。
房総半島を縦に横にと蛇行する小櫃川、千葉県では利根川に次いで二番目の長さを誇る88キロの2級河川。特に詳細を記す川でも無いけど一応下記参照。
ウィキペディア - 小櫃川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%b0%8f%e6%ab%83%e5%b7%9d
キンダン川は清澄山を源流として小櫃川の支流である七里川、そのまた支流となる細く流れの薄い川だ。川廻しに利用されるだけあって過去には山間部の農業開拓に色々と人の手が入っている、と言うか房総半島自体(上総一帯)が川廻しでの独自農工が発展した土地なのだから殆どの川が川廻しに利用されていると考えて間違いない。
なので沢屋としては純粋な自然造形物ではないけれど「川廻しの隧道」をアチラコチラで散見出来るのは嬉しい限りだったりする、今回のキンダン川もそりゃー綺麗な川廻し隧道ともっさもさの自然、そしてゴルジュを堪能出来る素敵な場所なのです。
房総の沢屋には有名過ぎるこのキンダン川、まだ知らない人も含めてその美しさを知って頂くとしましょうか。
キンダン川の出合から入系、場所はココだ。この場所はキンダン川は元よりずっと昔にレポートした千葉県では珍しい廃村「湯ヶ滝集落跡」へ向う為のスタート地点でも在る、今回の遡行でついでにと湯ヶ滝にも寄ったけれどその模様は新規レポートとして公開しようと思う。
それでは歩き始めるとしましょうか。
キンダン川は比較的ガレも少なく、浮岩も大きく無いので歩く事に集中しなくても遡行に不安はないのが嬉しいポイント。つまりは周囲の風景を楽しめる余裕を持てるって事だから撮影しながらの沢歩きにはウッテツケ、沢の難易度としても5段階評価で1レベル。正直初めての沢歩き(ガイドレス)でも殆ど問題なく在る事が出来るビギナーにも楽しいコースだ、出口と成る「池ノ沢歩道」からも少し歩けば県道に出れるし出口付近には「西原バス停」も在るので交通も便利。何よりデバイスレスで歩けるから気軽ってのが一番。
しかしそうは言ってもやはり自然、装備と道具は準備して歩いて貰いたい。
入系すると房総半島ではお馴染みのナメの波床が姿を現した、所々にポットホールが在るので注意して歩く。
(photograph : +10)
本流からキンダン川出合、支流と成るキンダン川へ入ります。入って直ぐは浮きゴロで足を取られ易い、ソールの薄いブーツやシューズだとちょっと痛いかも。
(photograph : +10)
出合いの入口部分には以前では無かった「キンダン川」と書かれた簡易標識、ホームセンターのバーコードが貼られた間々ってのも素敵。この先は多少のナメですが特に問題視する様な場所は在りません、ジャバジャバしながら進みましょう。
いやぁ房総とはいえヤハリこのキンダン川も美しい、昔から比べればガレが進んできてはいるけれど初心者でも踏破出来る貴重な沢だ。
水量が増えて来た、この辺から覚悟を決めて足を浸ける。ルーファン次第では腰まで浸かるスリットやポットホールも散見、ガレも大きく成って来る。アタックでハイドレーション関係だけなら良いけどパッキングされている方はポール持参の方が安心かもです。
湯ヶ滝集落跡へ続く山道前、ココには白岩館の温泉の汲み取り施設が小さく音を立てていた。足元には旧道から集落へ続く橋が掛けられていたのだけど現在はこの通り、細く痩せた橋梁柱の跡。
実はこの後に湯ヶ滝集落跡にも再訪している、冒頭でも書いたけれど新規エントリーでその時の模様を記載するので興味のある方は予習として是非下記リンクより以前のレポートを。
(photograph : +10)
怪しく成って来た、近年の土砂崩れで途中埋没箇所や酷い倒木ゾーンが在るとは聞いてはいたけれど。コリャ結構なお手前が予想される感じ。
ボルタリングの練習中に負傷した相棒が顔に手を当てて
くっこのプレッシャー
とか言ってる、つまりは足が痛いらしい。
こいつぁやべぇ。
普段なら素敵な天然ジャングルジムを楽しむのだけれど負傷してる相棒はそうはイカのキンタマよ、つるっと滑ろう物なら帰りはピックアップってな事に成りかねない。
「行けそうか?大丈夫?」
「最強です」
そうすか。
おい、何時まで続くのこの倒木ゾーン。倒木自体はガバカチだけど面倒臭ぇよ、こうなって来るとトレッキングステッキが邪魔に成って来る。ヤハリ人間は手足が最強のツールなのです。
「そうだろ、相棒」
「最強です」
そう…す…か。
レベルとしては蚊が刺した程度の難易度、ただ面倒なだけの倒木ゾーンを抜けた。コレで少しは遡行速度も上がるだ…ろう?
あれ、またか。またなのかっ。
まただった。
しかしここも「最強」の言霊で乗り切る事にしよう。
「最強さん、最強ですかー」
「あ、ちょっと足痛いです。もう帰りましょう」
ヒヨった。
もぉういやぁあああ
さて、本日メインの撮影ポイント「キンダン川の川廻し隧道」へ。
ここ数年で随分と崩壊が進んだのか、昔に来た時は立派だったのにこんな姿に成ってしまったとは…ヨヨヨ。まあでも折角来たのだからアングル決めてかっちょええの1枚撮ろうさね。
と、言っても。土砂がどしゃってるので大して迫力ある「画」は撮れなかった。また川廻しの所為で元流は涸沢化している、現在の本流も大分水量が少ない。
川廻し上部から、向こう左折れで沢が続く。撮影中も岩が大きく崩れてその音に驚いた、ちょびっと漏れた。(帰りには尿漏れパンツを購入しよう)
今回の目的はこの川廻し、それから七ッ釜渓谷には及ばないものの素敵なゴルジュを撮影したく思いまして。房総のゴルジュは狭くて迫力には欠けるけれど何と言いますか、こう歩いていてテンションが揚がると申しましょうか。退屈な沢歩きから突然現れる事が多いから余計に綺麗に見えるのですわ。
過去には同じ房総半島でこんなゴルジュへも。
ああ、「間滝」はホントに辛かったなぁ…もう2度といかねぇ。
現在地はココ、まだスタートしたばかり。ココからは暫く退屈な沢歩きが続きます、いやホントに何も無いの。
川廻し隧道を降りて相棒の足の状態をチェックする、やはり本当に痛い様で無理はさせられない。何よりは翌週に以前敗退したケイブアタックが控えている、と言う事で。
今回はこの短い区間だけでUターン決定、帰り掛けに湯ヶ滝集落跡に寄って本日は終了です。近日中に「緑の回廊」と呼ばれるキンダン川のゴルジュへ再訪してきます、このエントリーに追加するので暫くお待ち下さい。
アプローチ
千葉方面からだと国道465号線から養老渓谷入口、県道81号線へ。安房天津方面からも同様で国道128号線から同県道(清澄養老ライン)へ、県道上の温泉施設「白岩館」を目印に。入渓ポイントは付近に3箇所、札郷トンネル脇の階段か白岩館付近の急カーブのエスケープゾーン。または白岩館付近の橋脇から沢への踏み後が在ります。
地図リンク
http://yahoo.jp/zTLgJL
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REPORT - 207 │ 旧国道410号線の豊英廃道区間
千葉県│旧国道410号線の豊英廃道区間
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 旧国道410号線の豊英廃道区間
昔のモタード仲間から「廃道在るから行って来い、そして○ね」と心温まる情報を頂きました。愛媛県生まれの彼には、
と感謝の言葉、それと赤穂の天然塩を贈ります(ホッコリ
さて、彼からの情報によると房総の縦断路である国道410号線沿いに廃道が残されており、素敵なブッシュとガレがお出迎えしてくれるのだとか。ロスカットで爆死した経験を持つ彼、此方も友情カットでレバります。
「あー久し振り、この間はメール有難う。それと○ね」
「いいよ、いいよ。それよりもう行って来た?それとも○んだ?」
「いやさ、”国道410号線沿い”ってだけじゃ解らんくて。場所教えてくれない?後、お前が○ね」
「ああ、そっか。んじゃ後で地図のリンク送るよ、メールで。って言うか○んで」
「んじゃ待ってるわ、2度○ね」
「来世でもs
そっと通話終了ボタンを押して彼からのメールを待つ事2分、地図リンクが貼られたメールがPCへ送られてきた。口は悪いが根心は優しい男なのだ。赤穂の天然塩をもう一袋贈らねば成りますまい。
メールを開いてリンクを確認、リンクされた地図は彼のアパートを示していた。口も悪いが性根もとことん腐った糞野郎の様だ。
結局自力で見つける事が出来たので素敵な廃道へいざ、それて彼には○を。
場所はココ、このS字に引かれた点線が廃道区間と成っている。今回は上部の荒廃具合が酷い区間を歩く事にした、とても短い距離だけれど廃カーさんにはとても楽しめる「道」がのこされていた。崩落も進んでいて廃撮には素晴らしいロケーション、三島隧道と一緒に是非。
あんまり○ね○ね言ってるとウェブリテラシーに反するのでこの辺で、兎にも角にも房総物件を回っている最中に良く通る国道410号線。これは「ついで物件」としても美味しそうだ、走り慣れたこの道でしかも三島隧道の近く。うん、これは迷わずに行けそう。
キンダン川遡行を終え、君津エースでラペの練習でもしに行くかと思案していた所で今回のレポート物件「旧国道410号線豊英廃道区間」の入口へ到着した。
写真左側は現国道410号線(鴨川方面)の尾崎橋、橋って事で目下には川が流れていた。今回の廃道区間はこの川へ崩落が起きた事で廃道化したとの情報を事前に入手していたのでどんな物かと期待していたけど大して深くも無い、いや普通に高さは在るのだけれど割橋ストには物足りない高さなのだ。
割橋とは?と言う方には是非下記リンクを踏み躙ってほしい。
それでは早速お邪魔致しましょうか。
入って直ぐに廃道の臭いが強く成った、残されたアスファルト極僅かで流れ落ちた土砂で覆われた地面はここが国道だった事を全く感じさせない姿だ。
この廃道区間に関する詳細はいつもの様に最後尾に記載したい、まずは歩いてこの廃道を楽しむとしようか。
現在の場所はココ。
封鎖ゲートを越えると薄っすらとアスファルトが顔を出した、左側はコンクリートで落石対策工が施されているのだけれど現在は放置された期間が長い所為か石コロさんが散見している。
ガードレールがココが道だった事を如実にアピール、がしかし。この細いワインディングが本当に国道だったのか?と思う狭さ。ホントに狭い。
廃道と成ってから約25年と言う月日が経過した、侵食した自然の力が押し寄せる風景が何とも美しいので在ります。何度も言うのだけれどホントに狭い、その辺の1車線私道と同じ位の道幅しか無いし。
現在の場所はココ、最大規模の崩落現場だ。
国道を沿っていたガードレールは谷底へ、この崩落に関する資料を見つける事が出来んかったので詳細はお伝え出来ないのがちょっと残念。
山側から大量に流れ込んだ(滑り落ちた)土砂は道路だった箇所を覆っている、崩落場所は大きなガリーと成って恒常的に雨水の流れを作っている様だ。
15メートル~20メートル位の高さだろうか、谷底に土砂が現在でも流れ落ち続けている。ノーロープの素手でも降りる事は出来るけど絶対に止めて下さい、廃道だけに助けは絶望的ですから何か在ったらホント。
少し歩いて小さな尾根を越えると先程と同じ様に土砂崩れ状態の道が続く、コチラは全体的に斜面化して少々危なっかしい。
だが、しかし。
こういう所が大好きなワレワレです、降りない訳には行きますまい。丁度土砂崩れ途中にガチ場が残されているので行ける所まで降りてみよう。
あーん、しびれるー。
ガードレールが彼方下方に落ちている…見に行きたいなぁ。
最後のガバ、周囲を確認しても…うーん、マッシブ。
きちゃった☆
しかしヒデーな、最初の土砂崩れの時に結構デカめの岩が落ちて来た様だ。谷底には車のパーツ、廃材、生活用品のゴミなど様々な不法投棄の後が見受けられた。
沢自体は浅くておもんない。 現在地はココ、道路からは勿論外れている。
現国道方面(この先数メートルの上部に国道が通る)へ少し歩くと浮き砂利状態の涸沢が続く、水量も少ない。
旧国道(廃道)に復帰して直ぐ、この様な斜面で来訪者を迎えてくれる。素敵、素敵よ。
この辺から大きくS字を描いて元の国道へ向う。山道ではなくてただの廃道、だけれどたった400mm程のこの道の風景は見慣れた山道のそれだ。
この廃道も終盤を迎える。一気に開けた新緑のアーチを抜けると現在の国道410号線へ、アスファルトも顔を出してガードレールも綺麗に残っている事が写真で解ると思う。
山間部を少々抉る様に作られた旧国道410号線、この廃道区間に関して少し書き添えよう。
旧国道410号線 廃道区間
まずは簡単なこの道の概要をウィキペディアさんから引用しよう。
国道410号とは、千葉県館山市を起点とし、千葉県木更津市を終点とする一般国道である。 1981年4月30日政令第153号により、1982年4月1日付で一般国道410号(千葉県館山市~千葉県木更津市)が制定施行された。房総半島の背骨の道とも称され、海岸沿いから山間部を縦貫する。一部狭隘な区間が多い。
山間部などでは、道が狭く、沿線住民の生活道路および林業者の通勤道路として機能している。
つまりこの廃道区間は1982年に国道昇格と成った、国道の路線改修と共に山間部を抉る廃道区間が通行禁止に。S字のワインディングから直線の新国道区間を整備して沢には新たに「尾崎橋」が架けられる。
新国道区間の整備が1987年の2月に終了しているので国道としては約5年間、410号線の役目を果たした訳だ。
廃道のハイライトである点在する崩落箇所、これが新国道区間の整備に繋がったのか、それとも崩落に関係なく整備されて廃道化してから崩落が起こったのかは確認出来なかった。この区間は興味深い事に付近に類似する廃道区間が幾つか在って今回のレポート内容と同様に歩く事が可能だ、何れもう少し調査を進めても面白いかもしれない。
写真は直ぐ近くの類似する廃道区間(地図にも記されていない)、こんな誰の目にも止まる事が無い旧国道がちょいちょいと現国道に鼻先を覗かせている。
特筆する様な廃道物件では無いけど全行程が短く、それでいて見所の多い旧国道410号線廃道区間。ついでに寄ったにしては十分楽しめたのが嬉しい誤算でした、と言ってヤハリ廃道。
もし行かれる時は複数での来訪をオススメします。
今回はこの辺で。
アプローチ
国道410号線清和県民の森と君鴨トンネルの中間に位置する、特に目印はないけが通行止めの車止めが在るので迷う事はない。
地図リンク
http://yahoo.jp/0L3X35
photograph - nee
REPORT - 208 │ 渋峠 大字入山原野
群馬県│横手山芳ヶ平間 大字入山原野
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 横手山芳ヶ平間 大字入山原野
ゴールデンウェーク前半、もう直ぐ5月に成ろうかと言う時期。都内では20℃後半の気温を記録し、この時期ならと以前より考えていた長野群馬遠征へ。二県を跨いで廃校や廃墟、そして小串鉱山などを回る予定だった。
そういう予定の筈だった、しかし。
本当に酷い目に在ったんだっ!
4月の25日に開通した山間部の県道や国道は軒並み季節外れの積雪で再閉鎖、迂回路で何回国道292号線をあっちゃこっちゃした事か。こうなりゃヤケのヤンパチよ、栃木に抜けてボロ宿にでも泊まってネタレポートでも…だがしかし。
だが、しか→し。
渋峠でやっぱり閉鎖、草津にも抜けれない。もうやだ、帰ろう。だって出発時の千葉県は25℃前後の初夏を思わせる陽気なのにここ渋峠ったらさ、
マイナス3℃
アホか、もう5月よ5月。なんでスキー場やってんの、なに普通にスノボ滑ってんの、こっちゃTシャツなのになんで皆ぶ厚いダウンジャケット着込んでんのっつってんの、ああぁ↑?
ちょっと聞いてよ奥さん、僕の背より道路両脇の雪が高いんすよ。よりに寄って久し振りに廃墟に振った遠征で山装備なんてしてねぇよ、怒チクショウ。
んだどもそうそう簡単に引き下がる訳にもいかんでしょ、ってんで渋峠から見下ろせる横手山~芳ヶ平間の大字入山原野に単独入山、廃仲間は車でお留守番です。山ナビのGPSも生きてるし等高線見ても迷いそうな地形でもなさそう、地図や山案内にも記されていないこの「大字入山原野」を適当に歩いて見る事にしました。
国道292号線を長野県側から走り、志賀高原に入った。この辺から実に多くのスキーやスノボのお客さんが目に入る、リフトもバンバン稼動中。アタシここに何しに来たんだっけか、思いながらコレから歩く山々を撮影。
周囲は皆さんダウンだけど場違いなアタシは空気を読んでTシャツ全力です。
渋峠に到着、この写真は既に閉鎖区間の中。ここはまだ積雪が低い方で高い方では数メートルに及ぶ、黒部のアルペンルートを思い出すなぁ。
それでは早速入山します、何も無いけれどアタシは元気です。
※ ルートが存在しない為入山ポイントなどの地図リンクは今回在りません。
比較的積雪の少ない場所から雪尾根を2つ程越えて原野に入る、今回一番苦労したのがスノーシューが無い事。雪にトレッキングスニーカーのフルテンション、何度胸まで雪ズボしたかっつーの。ゲイター無いし靴下ズブだっつーの、兎に角寒いっつーの。
雪深く成って来た、勿論足跡なんて一つもない。そもそも夏場でも人が入らない様な場所だ、こんな雪深い場所にこの時期で人が入る訳が無い。僕以外。
通常ならスノーウェアにトレッキングギア各種で挑む雪山アタックだけれど今回はそこまで深入りするつもりは無かったので山岳会を除名される様な格好でこんな場所に来てしまった、皆さんも雪解け時期の冬山は入念に計画してから入山して下さいませ。
…。
こりゃースゲーや、ホントに美しいですよ。来て良かった、重曹でも激落ち君でも落ちる事が無かった僕の心も洗われていきます。
はぁ、Sigur Rós聴きてぇ。
いよいよ普通の装備じゃ歩けなくなった、歩く度に腰の辺りまで雪ズボする様に成って来て歩き進むのがホントにしんどい。この辺を撮影ポイントとして何枚かの絶景さんを頂きます、残さず頂きたい所ですがそれはまたの機会に。
本日はこの辺で帰路に致しましょう。
雪風が当らないとこんな感じで緑が顔を出す、戦闘妖精じゃないんよ。「せっぷう」よ、B-503じゃないんだからね。
さて、このマッシブさんを素手で登ります。グローブ忘れたんだよ、チッ。
やってもた、迷った。なんか沢に出てるし、水冷たいし。外気温マイナス3℃やし、どないしよ。
水の流れの方向と枝の伸び方向で方角の確認、GPSと照らし合わせて復帰路を模索する。ガレ具合から考えて夏場でも水量は少ない沢だろう事も解る、少し沢沿いに歩くか。
影は雪の斜面、日照りは緑と余り見ないコントラストだ。ガチ場のフックが増え始めたのでそろそろ登る場所を決めようか、そうこうしてると丁度大きなステップを発見。ココから復帰しよう。
少し登って歩くと別の沢に合流した、風景が高原の原野らしく成って来た。どうやら復帰出来そうなルートを開拓出来そうだ、後はGPSちゃんに頼るしかない。
だんだんと雪深く成って来た、実はこれが正解で入山地点より少々西側に出口を設定した為に丁度積雪の多い低い谷の部分に出れれば良かったのだ。なのでココから少しづつ雪原を登る感じで雪景色が一層白く成ってくれれば一安心。
途中でみた雪原風景と同様の地形に成って来た、ココまでくればハナクソ穿ってたって脱出出来る。出来るのだけどグローブ忘れたから凍えて指動かんよ、鼻が穿れないじゃないか。
っと、実の無い雪山登山を終えて無事国道292号線に復帰出来ました。閉鎖区間を少し歩いて車のデポ地に到着、廃仲間も直ぐ見付かってやっとこ本当の帰路に入る事が出来た。
帰りの高速でウニモグ見たりジュリアのGTSとおっかけっこしたり最後まで楽しめた遠征だった、だったけど当初の予定は一つ(長野の廃校)しか消化出来なかったのが心残り。初夏の頃にでも今回の予定をもう一度回ろう、流石に閉鎖道路もなかろうて。
雪山登山に関しての注意点
登山経験豊富な者でも雪山と成ると話は全くと別に成る、まずはウェアや装備。雪山は本来の地形とは全く別の「雪原風景」を構築する、と言うのも地形通りに積雪する訳では無くて風や気温に因って様々なイレギュラーマップを作り出してしまうからだ。
例えばピークを歩いていても本来より風に押された場所に”ピークに見える雪の尾根”が形成され、地面と勘違いして歩いたらその間々滑落する様な事故も実に多いと聞く。また通常のトレッキングギアでは使用しないスノーギア(スノーシューや防寒ウェア)も必要で歩き方にも独特の知識と経験を要する場合が在る。
この様に同じ場所、同じ天候でも現場が雪化粧しているだけで行動規制が実に沢山発生し、そして何より危険度が急激に上昇する事を良く理解して欲しい。
もし雪山登山に興味が在るならば北横岳の様にヒュッテまでロープウェイで行けて比較的歩いている人間が多い場所から始めて欲しい、個人的に冬季オンシーズンの北横岳は景色も手軽さもオススメで是非歩いて欲しい所でも在ります。
アプローチ
国道292号線渋峠、本来今回のレポートの登山ルートと言うルートが存在しない為に同様のルートでのアプローチは推奨出来ない。付近には別途行政が定めたルートが幾つか存在する為、そちらを登山関連書籍などを参照して歩いて欲しい。
地図リンク
http://yahoo.jp/0-CZhI
photograph - nee
REPORT - 209 │ 狩倉岳 石舟沢鍾乳洞
埼玉県 │ 狩倉岳 石舟沢鍾乳洞
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 狩倉岳 石舟沢鍾乳洞
やって来ました、やっとこでやって来ましたよ石舟さん。前回土砂没で入洞出来なかった石舟沢鍾乳洞、その後に入林許可などを取って石舟沢とケイブの美しさを再確認して来ました、リベンジケイビング「狩倉岳石舟沢鍾乳洞」のレポートを皆様にお届けしたいと思います。
おおっと、その前に前回も記載した注意点を。
この場所、勿論一般入洞は出来ない、入洞するには入洞届けと県有林内の入林届けを提出して許可が降りてからとなる。基本的にケイビングの経験が無い者には許可が降りづらく、ケイビング団体単位での認可と成る。
なので有名では在るけれど地図リンクは無い事を予め了承願いたい、と言うか今後ケイビング関連のエントリーは地図リンクは記載しないのでどうしても行ってみたい方は既述の通りケイビング団体に所属するか体験ケイビングに申し込んだ上で行って欲しい。
と、こんなくだりを前回の訪問レポート冒頭で書いた。
しかし現在はこの鍾乳洞を擁する石舟沢は入林も入洞も許可されていない。入洞自体はPCC(パイオニアケイビングクラブ)、そして山間部は秩父市(秩父農林振興センター林業部)が管理していた。
奥秩父の洞穴の入洞規制について - パイオニアケイビングクラブ
http://www.verte.co.jp/pcc/txt/news/kenyurin.htm
しかし2012年の登山事故によって入山環境は一変する。
秩父市埼玉県の県有林内鍾乳洞立入禁止 - 東西トレック
http://www.tozai-trek.com/ja/2012/07/chichibu-caves-off-limits/
県営林からのお知らせ - 埼玉県
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/ringyo/keneirin.html
この事故によって中津川周辺の県有林内の鍾乳洞への入洞を全面的に禁止。対象洞穴には石舟沢鍾乳洞、仏石山鍾乳洞、藤十郎沢鍾乳洞を含む林道も入林禁止に。ケイビング初心者や登山と言うスポーツを理解していない登山者によって素敵な自然環境を楽しむ機会が減ってしまったと言う訳だ、本当に残念で成らない。
ケイビングは元よりクライミングなどの一般的ではない登山は山岳会の入会、登山保険、装備や知識、そして経験が必ず必要に成って来る。これらを端折ると事故や自然災害に見舞われた時に大怪我や最悪死亡事故、それらに伴いう保証関係の金銭面で痛い目に合う。なのでもしクライミングやケイビングに興味が沸いたなら是非とも必要な装備や知識を用意して挑んで欲しい、美しい自然と向き合う最低限の準備を行った上で楽しんで欲しいスポーツだと解って頂ければ幸いだ。
今回もワタクシが沢と山の知識を担当し、相棒がボルダリングと生岩の実践経験を担当。同行の初心者2名をサポートしながらの訪問と成った、装備もいつもの登山より多め。スポーツケイバーは全国でも2000人程と少ないジャンルだ、今後ケイビング人口が増えて欲しいと思うとても楽しいスポーツだけれども「危険」が隣合わせだと心掛けて欲しいハイリスクな面を理解した上で今回のレポートを読んで頂ければ、そう思います。
冒頭から堅苦しく成って本当申し訳ない、それではレポート開始です。
石舟沢の登山道入口は現在廃道の途中に御座いまして、なので車のデポ地で準備を整えて出発します。今回の参加人数は全部で4名、実はこの4人は2012年のメインレポートだった房総の秘瀑「間滝」のメンバーでも在りました。
後にあの滝を越る仲間達だ、今回だって美味しく頂こうじゃありませんか。いくぞーっ。
石舟沢の登山口、ココから暫く辛い登りが続くのです。
前回間違えたトウタロウ沢と石舟沢の分岐、今回はスンナリ。
中盤見所の石舟沢の大ガレ場、殆どがガチ場なので遡行に問題は無い。
そうそう、今回はロープを2種類用意した。簡単な場所や練習用に良く使用するナイロンやPPのスリースランド(クロスも偶に使用)、これは水にも強いし何より軽い事が嬉しい。
んでクライミングで常用するのがカーンマントルロープ、まあザイルです。ラペリングやリペリング、山岳救助でも使用されています。
他にもストランドやダブルブレイドも有名ですが今回は紹介した2種類を選択しました。
石舟沢鍾乳洞の洞口に到着、気温は外気温で20℃程だったけれど約1時間の登山で随分と暑く感じた。一方鍾乳洞の洞口からは10℃前後の冷たい風が、汗を乾かして体感温度の温度差を少なくする為に暫く休憩する事に。
おい弟子(2*歳♀)、トイレットペーパー持って何処へ行こうと言うのだ。貴様、まさかこの雄大な自然の中で…いや、そんな事はないか。しかし…。
「えーとですね、どちらに…その、えーと」
「琵琶湖は”川”なんですよ」
「へー、そうなんだ。勉強に成ります。ところで今から、どちr」
「特技はイオナズンです」
マジか。
彼女の足は止まらない。
「おい、その白くて薄い紙をロール状にした物を一体何の目的にt」
( ^ν^)「amazonで買った!」
え?
( ^ν^)「amazonで買ったっ!!」
いや、お前さっき高速のSAでパクってきt
無事洞口へ到着し、これと言ったトラブルも無く、実にスムーズに入洞を開始した我々だった。何も無かった、何事も無かった(2回目)、少なくとも記憶にはない(確認)。
そうそう、石舟沢鍾乳洞の洞口はとても狭い。500mm程の洞口で下へ潜る様に匍匐で前進、その後45度身体を屈伸させて体の幅ギリギリの狭い斜面をトラバースして移動する。実は最初のアプローチが結構な難関だったりします、何せ荷物や機材をバケツリレーで流す必要が在るので本当に面倒クサイのですわ。
※ この辺はクロサンショウウオが結構な数でモサモサしてるので気を着けて。
入洞して5分程でホールに出る、石舟沢に幾つかの大きなホールが在るのだけれどこのホールが一番大きい。ここから右奥へ上ルートと下ルートで分岐、と言っても着く所は同じなので比較的安全な下ルートを選択。
ケイビングは初体験の間滝メンバー、この美しいケイブホールで悠久の造形美を想うのだろう。
(´-`).。oO(今週のジャンプって合併号じゃん…)
そんなことはなかった。
更に進む、ココまでは複雑な分岐も無くてケイブ初心者2人をサポートしても問題無かった。予定ではそろそろ洞内滝「白龍の滝」が姿を現す頃だ、水が流れる音も聞こえるので付近までは来ている筈。
美しき石舟沢鍾乳洞、実はここからが本番だ。
第2ホールに到着、そして正面に洞内滝「白龍の滝」を確認。ケイブでシャワークライム、うーん素敵。コレがヤリたくてココまで来た様なもんだしなー。
周囲を確認するとビレイ用に打込されたアンカーが数箇所見受けられた、シャワークライムの難易度から考えてもフリーで十分、寧ろリードが邪魔に成る様な場所。初心者2人の降りは多少不安だけれどまぁ取り合えずはフリーで登りましょうか。
トップはいつもの相棒、週4ボルダリングの経験値はダテではなくてサクサク登攀していく。今回インナータイツを着用していない彼は出来る限り濡れない様に多少無理な体勢だ、その位の余裕は十分に残せる難易度で安心した。
※ 洞内で川や滝が在る場合の装備
これは一概には言えないのだけれど洞内に川や滝が在り、シャワークライムや地底湖ダイブが必要な場合はドライスーツやドライタイツが必要です。外気温と関係なく鍾乳洞などの洞窟内は通年10℃程の気温、寒さ対策と水に濡れた時の揮発熱に因る体温低下は自覚出来ない程の危険性を秘めています。石舟沢鍾乳洞の場合、中級者以上ならば殆ど濡れずに全ての行程を終える事が可能ですが万が一を考慮して是非ドライスーツなどの対策を行って欲しいところです。
水量はそこまで無いのだけれど水圧と言うか、勢いが在って飛散した水で濡れるのが少々嫌だったかなぁ。兎に角洞内は寒いので体温は出来る限り下げたく無いのです。
弟子(2*歳♀)が相棒の様子伺う、撮影の邪魔だから入ってくんな。シャワークライムは以前房総の「田代滝」で経験させているから大丈夫かな…どうだ、弟子。行けそうか?
「大丈夫だ、問題ない」
妙に男っぽい声で返答、どうやら進研ゼミの予習が効いてる様だ。
実はこの後更に奥まで進み、アレコレと見聞したのだけれど夢中で遊んでしまい撮影レス。間滝メンバーの彼は昇りではでは無くて帰路で降っている最中の模様です。
因みに弟子(2*歳♀)は初めてずくめのケイブで腕の筋肉がパンプしてしまい、誰ぞが打ち込んだラペリング用のアンカーを使用させて頂きました。上下の九の字(プーリーレスで人間がプーリーの代わりに成る)でビレイを取ると言う狭くて変則的なラペサポートで弟子を降下させる事に成功、これも良い経験です。
それと実は途中復帰路が解らなくて40分位迷ったのは内緒ですよ、ええ。
外に脱出出来て一安心、不要な装備をパッキングして付近の探索+撮影開始。予定通り14時に洞内から出る事が出来たのでユックリと帰る事にします。
この場所、夏に来ると本当に茂々しくて美しいんだよなぁ。盛緑期まではもう少し掛かりそうだ。
大自然すなぁ。
石舟沢鍾乳洞を要する中津川水系の石舟沢、藤十郎沢も同様に沢のアップダウン、涸れ、ナメ、ガレと実に起伏に富んだ沢歩きを楽しめる。前半は崖横の斜面を緩い地面で横断したり信用出来ない木道を歩いたり、後半は沢を出たり入ったりガレ越えしたりと本当に面白い。
中津川右俣右沢は八丁峠へ至る行程としても良いし右俣左沢は狩倉岳へのアプローチとしても沢山の絶景ポイントを提供してくれる、入林規制が解けたら是非歩いて欲しいコースだ。
ちょ、ステップエイダーが垂れてますよ。
それでは帰路にて撮影した石舟沢のダイジェストイメージを数枚、危険な場所(冒頭の入林規制の発端と成った事故現場含む)も在りますが何処も大変美しいので在ります。
鍾乳洞も美しいのだけれど登山と沢歩きとしても大変魅力的な石舟沢、如何だったでしょうか。リベンジケイビングとして再訪した「石舟沢鍾乳洞」、再訪者の僕らでさえ新しい発見が在ったし規制解除の一報が入れば是非とも訪れたい場所と成りました。
暫くは埼玉県の行政もリスクカットの為に林道整備などは行わない様ですが出来る限り早期の規制解除を願わずには居られません、また行くぞー石舟沢ぁー。
とても疲れた方々の図、この後大渋滞に巻き込まれて帰路の予定が5時間も押すとは微塵も思ってない方々の図でも在ります。
本当の地獄はこれからだ。
弟子(2*歳♀)ではなく、弟子の足跡はちょっとかわええと思ってしまった。
ウロチョロし過ぎ。
石舟沢鍾乳洞
中津川水系の石舟沢右俣に小さく口を開く鍾乳洞、しかしその実態は蟻の巣の様な構成を要する迷路状の中規模鍾乳洞。埼玉県有林内は「石舟沢鍾乳洞」、「藤十郎沢鍾乳洞」、「仏石山の竪穴」それぞれを入林許可制(+入洞許可制)にて管理(一部PCC/パイオニアケイビングクラブが管理)していましたが2012年に発生した石舟沢の登山道滑落事故をうけて中津川水系全ての森林道(登山道、木道、旧道)を進入禁止に。同時期に周辺一体の鍾乳洞も全て入洞禁止としました。
複数の入口が存在しメジャーな入洞口は石舟全面の2箇所、それと迂回した上部の竪穴。上部はリペやチムニーの技術が若干必要な場合が在る、また洞内には埋没した箇所も在ってディギングしないと進めないかなり薄いルートも存在している。難易度としては、
行程:★☆☆☆☆
入洞:★★☆☆☆
洞内:★★★☆☆
総合:★★☆☆☆
この様な感じだろうか。登山に慣れ親しんでいれば行程は楽、入洞時に若干の狭さを感じさせるものの撮影機材などが無ければ問題なし。洞内は複数の分岐が存在して初心者は若干迷う可能性在り、また白龍の滝でバーチカルな登攀が在るので留意して欲しい。
総合的には初心者でも経験者(ケイバー)が同伴すれば難しい事はないしスリング程度でロープは必要無い、しかし準備と装備は必ず行って欲しい地形では在ります。
最後に。この石舟沢鍾乳洞は観光地化された鍾乳洞では在りません、観光気分で来訪してもルーファン次第では脱出出来ない事も考えられます。また登攀技術が無い場合、記述した「白龍の滝」や第2洞口で滑落する可能性も否めません。
ケイビングは総合登山です、トレッキング、クライミング、ダイビング。それぞれの技術が合要して初めて楽しいスポーツと成る事を念頭において行って頂ければ幸いです。
因みにこの後以前歩いた西沢渓谷横目に山梨県経由で帰宅する事に、と言うのもこの「西沢渓谷」の帰りに食べたほうとうの味が忘れられず、わざわざ遠回りして食べに行ったのだ。
まずは軽くジャブとして馬刺しと山芋の刺身、旨い。
アッパーカットのほうとう定食、旨さ爆発。まさに無慈悲、非常に無慈悲な美味であります。
山梨県で食べるほうとうはまあ何処でも美味しいけどココはオススメですよ。
富士見茶屋いろり
http://www.d2.dion.ne.jp/~irori140/
郵便:404-0012
住所:山梨県山梨市牧丘町室伏2361-3
電話:0553-35-2176
入林規制(入洞禁止)区域なので地図リンクは不掲載です。
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
※ ケイビングはとても危険ですが楽しいスポーツです、興味が在る方は御連絡下さい。簡単なレクチャーの上、初心者物件をご紹介致します、また同行されても結構です。
※ ケイビング団体は国内幾つか存在します、その中でもイチからレクチャーしてくれる団体も在る様です。探して問い合わせ、ショップや団体単位でケイビングを勉強するのも良いと思います。
photograph - nee
REPORT - 210 │ 黄和田畑 旧(字/あざ)湯ヶ滝
千葉県│君津市黄和田畑 旧(字/あざ)湯ヶ滝 再訪
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 千葉県 湯ヶ滝廃屋 再訪
本当に廃村物件が無い房総半島、その理由もこの「湯ヶ滝」の以前のエントリー冒頭でご説明した。色々と興味を持ってはいたのだけれど機会が無くて再訪はして居なかった、今回「キンダン川」遡行の為に同区にお邪魔したので寄ってみた。
以前のエントリーは以下よりどうぞ。
ほんの少ししか追記する情報がないけれどレポートをお届けしたいと思う。
キンダン川に残る「キンダン川の川廻し」を見て引換えし、川の途中に薄っすらと残る旧道へ。2年半振りの湯ヶ滝集落跡へ向う、道中の山道は以前以上に荒廃していたけれど記憶を辿ってどうにか例の廃屋まで来る事が出来た。
当然と言えばそうだけど若干の崩落を除いて大きな変化は無い、勿論人の入った形跡もほぼ見る事は無かった。
裏手に回ると壁が大分崩れ落ちていた、釜の煙突も外れて壁の腐りも進行している様だ。反比例する様に周辺の樹木は大きく成長していて何れ自然に飲み込まれるのかなぁと、まあ柱はまだシッカリとしていたから崩壊は無さそうだけど。
いやでもこの場所も地震で揺れたのだからそれなりにはダメージを受けてはいるのだろうなぁ。
以前撮影したアングルと同じ様に撮ってみる、下の写真は以前(2010年1月)に撮影した物だ。
季節と天候が違うので写り方に若干の違いは在るけれど殆ど同じアングル、ベニヤ板や土壁の崩落、その他にも細かく見るとやはり崩落が進んでいる事が解る。
内部を見ると本当に以前から位置関係が変わってない、座布団は獣が荒らした状態でその間々。しかも綿の位置も大して変化してないって言う、風だって吹き込むのになぁ…。
障子紙も変化なし、紙って以外と強い。
兎に角暗い、磯爆上げで手持ち1/4でもやっぱり暗い。そしてブレる。
炊事場に回る、コチラも以前と変わりない…いや、何かオカシイ。物が減って…いる…?ここの写真が無くて(以前の訪問時に撮影しなかった)確証は持てないけど確かに以前より物が少ない、誰か来たのか…こんな場所に。しかも持っていく物なんて無いだろうに…うーんなんだろ。
裏手の壁が崩壊していた、そして気付いた。中に在った物が幾つか外に出されている、と。風呂関係の部品なども外に転がっていたので確証に変わった、誰か解らんが人の手でほんの少しだけど荒らされた形跡が。
素敵サンダル、こいつはずっとこの間々。
(photograph : +10)
裏手から少しだけ歩くとこの集落の集合墓地が残されている、以前調査した時に「元住民が手入れに訪れる」と聞き込み調査で判明したのだけれどその形跡は無い。手前の覆いかぶさる2本の折木が奥に移動した位かな。
さて、ここからは前回より少々突っ込んだ内容をお伝えしよう。
前回のレポートではこの「湯ヶ滝集落跡」をこの様に説明した(前回訪問した時のレポートから文章を抜粋)。
山の斜面下側にはこの家屋の他にも家が建っていた事が解る基礎が幾つか発見出来た、この場所に関しての資料は房総史と市歴に幾つか記述が在って多い時で6軒の家が立ち並んでいたそうだ。主な収入は山岳集落では多い炭焼き、周囲の斜面には炭窯跡も残っていて集合墓地も苔むして並んでいる。
現在のアプローチルートと昔のアプローチルートは違っていて昔は橋が架かっていた為に今よりは多少楽な山道が存在した、今でも踏み後はシッカリ残っていて道祖神や石仏が。
その後の調査で詳細が判明した。
まずは軒数、以前同様最大軒数は6軒。だけれど生活されていた世帯数は4世帯だった、残りの2軒は物置や作業小屋の様な建物が在ったそうだ。
主要な産業はやはり炭焼きだった様だけれどそれより以前には畑や田んぼを作って農業をされていたとの事、そうか…札郷の川廻しを利用したのかもしれないしその支流(川廻しから更に細い枝が数本残っている)を使った可能性も在る。
また炭焼きに移行した後もこの湯ヶ滝集落を含む複数の周辺集落が共同で農耕をしていた事も地元住民の聞き込みで判明している、町歴などにも残されていない事実だ。
1963年迄には2軒が対岸へ移転しており、残す世帯数は2世帯と成っていた。1軒の世帯1963年に対岸の千石代へ移転、1966年までに残りの1世帯がやはり対岸の札郷へ。
送電や通電などのインフラも1970年までには打ち切られて完全な廃屋化…と成る予定だった。しかし。
どうやらそうでは無かった様だ。
ここから更に調査を進めた切っ掛けが実はこの再訪時に在ったのだ、それは炊事場でふと目が移った残された調味料の賞味期限だった。
最初に気付いたのは「ごま油」だった、印字された賞味期限の年度を見てちょっとだけ驚いた。
1989年9月15日
んんん?
1989年だと?確かに食用油が腐る事は無い、空気や光、熱などで酸化や劣化が進んで風味が落ちる事は在っても使えなく成る事はない。食用油の中でも一番劣化し辛いと言われる「ごま油」なので10年先20年先の賞味期限(消費期限)が記載されていてもオカシクは…いやオカシイな、やっぱり。
なので農林水産省が定める「賞味期限」についてちょっと調べてみた。
農林水産省 - 消費期限と賞味期限の違いは?
http://www.maff.go.jp/j/fs/f_label/f_processed/limit.html
リンク内を参照して頂いた上で国内と食品メーカーが共同で遵守している賞味期限の長さを見て頂こう。(ごま油限定)
缶製品:平均2年6ヶ月
瓶製品:平均2年1ヶ月
PP品:平均1年8ヶ月
油の容器は材質によって光の透過度、空気の通気性が異なり、油の賞味期限は容器の材質によって異なる。上記の平均期間が全てだとしなくても約2年程前に購入された物だと予想出来る。
他にも炭酸飲料や沢山の食料品のパッケージが残されていた、それら(他の賞味期限や消費期限の印字)を考慮すると1988年までは人が住んで居た事に成る。聞き込みやインフラの断絶を考えると1966年~1970年には完全に無人化している筈なのだ。
因みに飲み水は廃屋から10メートル程離れた所に石で出来た水瓶が在り、溜め口を確認すると湧水していた。後の調査でも廃屋脇の井戸と繋がっており、汲み上げ用の電気ポンプも現地に残されていた。つまり「水」だけは困らなかった事に成る(電気が断絶しても常に湧水しているので)。
どちらにせよ、だ。
1970年以降、人が住むには少々困難な状態と成っていた訳だ。しかし凡そ20年間、もしくは一部期間、ここには確かに人が住んで居た事に成る。こりゃー面白く成って来た、もう少し突っ込んで調べてみるか…そう思ったのが再訪した次の日。
で、どうしたかと言うと。
本人に聞いてみた。
そう、この廃屋の元家主(と、言うか関係者)さんだ。実はこの辺の歴史を調べている段階でこの廃屋の持ち主は判明していた(とても珍しい苗字なのでグレーの状態から凄く気に成っていた)、なので直接話を聞いてみようと。
要約すると。
・随分前(1966年~1967年)に引っ越した
・暫くは無人ながら管理訪問はしていた
・1980年位から人に貸していた
なにぃぃいいっ?
人に貸していたんですか、そうかーってアレ?電気とかガスとかは?まさかその間々貸していたんですか、この場所を。
「その間々貸してた」
おおう。
昔の人は凄ぇですわ、何と言うかいい意味で大味と申しましょうか。他にも色々と周辺の方の聞き込みで判明した事が在った、
・旧道沿いに残るヌタ場が実は田んぼだった(廃田)
・家主さんは炭焼き業から会社員にジョブチェンジ
・キンダン川からと七里川以外にもアクセスルート在り
などなど、色々と。
プライベート満載でココでは書けない内容もチラホラ、それでもこの場所がどんな所でどんな生活だったのか。残された物にはやはり歴史が付いて来てそれを調べると付随する文化や物語が掘り起こされてくる、とても勉強に成る物件でした。
と、言う事でこの物件に関する調査は今回で終了。恐らく行く事ももう無いかなぁ、最後に気に成る事が一つだけ。
この湯ヶ滝集落に向う道すがら巨木の根城が目を引くお地蔵様が居たのだけど。何故か屋根部分のトタンがとっちらかって肝心のお地蔵様も居なかった、これは本当に気に成ったのでご存知の方は是非教えて欲しいと思います。
今回は以上です。
アプローチ
秘境及び危険物件は自然保護と建造物保護、安全確保の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び危険物件は自然保護と建造物保護、安全確保の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
photograph - nee
REPORT - 211 │ 佛石山 仏石山鍾乳洞
埼玉県 │ 佛石山 仏石山鍾乳洞
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 佛石山(ヤジカタ山)仏石山鍾乳洞
旧漢字で佛石山、現在では仏石山と呼ばれるガレが厳しい山が埼玉県に在る。県道からアクセスは比較的容易で所要時間も少ない良物件、しかし仏石山鍾乳洞付近のガリーは恐ろしく急斜面で水準器で計測すると場所によっては70度を超える。
ってな感じで前回の導入部分を丸っとコピペ、今回のエントリーは既にリベンジを果たした「石舟沢鍾乳洞」のついで物件として再訪した時の模様です。
上記のリンク先レポートでも記載しましたがこちらの鍾乳洞も現在「入洞禁止」と成ってしまいました、この仏石山鍾乳洞へ至る登山道も同様に入林禁止です。詳細は以下よりご確認下さい、注意点に関しては石舟沢鍾乳洞のエントリーと同様の記載内容と成っています。
現在はこの鍾乳洞を擁する中津川水系は入林も入洞も許可されていない。入洞自体はPCC(パイオニアケイビングクラブ)、そして山間部は秩父市(秩父農林振興センター林業部)が管理していた。
奥秩父の洞穴の入洞規制について - パイオニアケイビングクラブ
http://www.verte.co.jp/pcc/txt/news/kenyurin.htm
しかし2012年の登山事故によって入山環境は一変する。
秩父市埼玉県の県有林内鍾乳洞立入禁止 - 東西トレック
http://www.tozai-trek.com/ja/2012/07/chichibu-caves-off-limits/
県営林からのお知らせ - 埼玉県
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/ringyo/keneirin.html
この事故によって中津川周辺の県有林内の鍾乳洞への入洞を全面的に禁止。対象洞穴には石舟沢鍾乳洞、仏石山鍾乳洞、藤十郎沢鍾乳洞を含む林道も入林禁止に。ケイビング初心者や登山と言うスポーツを理解していない登山者によって素敵な自然環境を楽しむ機会が減ってしまったと言う訳だ、本当に残念で成らない。
ケイビングは元よりクライミングなどの一般的ではない登山は山岳会の入会、登山保険、装備や知識、そして経験が必ず必要に成って来る。これらを端折ると事故や自然災害に見舞われた時に大怪我や最悪死亡事故、それらに伴いう保証関係の金銭面で痛い目に合う。なのでもしクライミングやケイビングに興味が沸いたなら是非とも必要な装備や知識を用意して挑んで欲しい、美しい自然と向き合う最低限の準備を行った上で楽しんで欲しいスポーツだと解って頂ければ幸いだ。
今回もワタクシが沢と山の知識を担当し、相棒がボルダリングと生岩の実践経験を担当。同行の初心者2名をサポートしながらの訪問と成った、装備もいつもの登山より多め。スポーツケイバーは全国でも2000人程と少ないジャンルだ、今後ケイビング人口が増えて欲しいと思うとても楽しいスポーツだけれども「危険」が隣合わせだと心掛けて欲しいハイリスクな面を理解した上で今回のレポートを読んで頂ければ、そう思います。
と、ココまでが石舟沢鍾乳洞のエントリーと同様の注意点の記載と成る。しつこい様に注意書きをするのはとても楽しい反面、本当に死亡する可能性を秘めたスポーツだと言う事良く解って頂く為。重ねて堅苦しい導入部で本当に申し訳無い。
さて、それではそろそろついで物件と言うには勿体無い「仏石山鍾乳洞」の再訪レポートを開始したいと思います。
登山道入口、良く晴れた朝は非常に寒い。インナータイツとツナギ、それにレインウェアを着込んでアプローチ開始。今回のパーティは石舟沢鍾乳洞の時と同様に房総半島の秘瀑を制した間滝メンバーの4人、ケイビング初参加の2人をサポートしつつ入山します。
朝っぱらからキッついさー、見た目以上の傾斜で早くも息が切れ切れっすー。
「あたしゃもう駄目だよ、後は…た…のん…」♪I know, I know I've let you down
♪I've been a fool to myself
♪I thought that I could
♪live fo「やめてー、溶けちゃうー」
危うく補完される所だった。
何気に難関40度の斜面の落ち葉地帯、これ余裕は余裕なのですがウッカリするとうおっほいな事に成りかねる場所だったります。
以前より少々崩落が進んだと思える仏石山鍾乳洞の洞口に到着、左手には前回同様に九十九折扇状にパースが効いたガリーが出迎えてくれる。因みにこのガリーから洞口の岩肌上部へアクセスする事も可能だ。
ご無沙汰しておりました、またやって参りましたよ仏石さん。
仏石山鍾乳洞の洞口はとてもデカイ、奥秩父の名だたる鍾乳洞の中でも一番大きいんじゃないかってレベルでデカイ。帰宅後に前回の訪問時(311前)の写真と比べて見たけど大きな崩落などは無さそうだ、奥秩父の岩質は泥岩と凝固灰の混合岩が多く、とても崩れ易い。そんな岩質で地震に耐えたのだから取り合えずは入洞に問題は無さそう。
入洞の準備に取り掛かる。
ハーネスやクライミングギアの確認と撮影機材のパッキング、それと簡単な洞内の状況説明をして登山で上昇した体温を平常に戻します。外気温と洞内の体感温度差を出来る限り少なくする事もとても重要なのです、と言っても仏石山鍾乳洞の洞内はそんなに寒くは無いのですが。
洞口直ぐ脇のエントランス、以外とココが見所だったりします。
仏石山鍾乳洞の洞内は基本1本道なので迷う事も無く、洞内気温も高めです。匍匐やチムニーも小規模区間しか無いので初心者のケイビング練習には本当に最適なのです、それだけに現在の入洞禁止措置はとても残念なのです。
(´・ω・) < それじゃー行くぞー はーいっ > (・ω・`)
素直な良い子達だ、後でファミチキとパップラドンカルメ買ってあげよう。ラチャードールに成る為に猛練習を積んでいた相棒も本日ばかりは久方のケイブで興奮気味、トベデレバルサの失敗で命を落さん様にな。
入洞開始。
斜面に切り立った岩肌の内部から今歩いて来た場所を振り返る、丁度大きなガリーの脇にポッカリと口を空けているので必要以上に傾斜がキツク見える。
後程またお逢いましょう。
入って数分で洞内滝が落ちる小さなホールに出る、上中下の三段複合ホールで分岐と思いきやその実抜けは一箇所だけ。この仏石山鍾乳洞は枝は多いのにその殆どが閉塞しているのも特徴の一つだ、なので基本道に迷う事はないのが初心者に優しい一番の理由。
弟子が何かを心配して、
「ココってネズミとか居ないですよね…」
ハハッ
おい、今何か声が聞こえなかったか?日本で一番相手取っちゃマズイヤツを敵に回すような発言は控えてくれよ…。
弟子(2*歳♀)が下の閉塞区画に降る様だ、一人で登って来れるよな?
お前ら全員で引き上げろ、糞が >(´-`).。oO(大丈夫ですよぉ)
本音と建前が逆だぞ☆
更に匍匐で進み、以前のディギングすれば姿を現すトレンチ状洞道を探…そうと思ったけど面倒臭いので帰る事にした。フォールディングスコップも意図的に車に残して来たしな、元々行く気も無かったしな、何かちょっと霧っぽくて怖いしな。
「これはBDが楽しみですね」とは後の相棒談。
※BD版でも霧は晴れません、BDも出ません。
「ちょっと寝ます」
そう言って彼は20時間振りの眠りにつく、2分程経過しただろうか。
「なんだ、ディアゴスティーニか…」
と、珍妙な寝言と共に目を覚ました。どうした、世界が歪んだか。
ほいじゃ帰りますか。そう言えば弟子が降った間々で一向に登って来ない事に気が付いた、おーい帰るぞー。
だからお前ら全員で引き上げろっつってんだろ >(´-`).。oO(つってんだろ)
本音と建前がgy…え?
( ・ω・)チッ
一人で登ってきた彼女が僕とのすれ違いざまに、そう確かに。
チッって。
洞内に滞在してる内に陽が登って来たのだろうか、外が妙に紅い。
うひょー、こりゃあ綺麗さー。
花咲Gのラッパ呑みでも取れなかった心の錆が今、宿便と共に剥がれ落ちる…。
若者勢は脱出後直ぐに携帯のメールチェック、ノーモバイルノーライフ。しかしな、入らんのだよ。電電公社だろうが日本移動通信だろうがレッツ東京デジタルフォンだろうがなぁあっ!
その時である、ばっちゃの言葉がリフレイン。
「その昔、サノバピッチと呼ばれたPHS回線が「よーし、車に戻ろっかー」」
レポート冒頭の洞口脇のエントランスで最後の撮影。
無事帰路に着く事に、ケイビングは毎回この「外に出る事が出来た」と言う安心感が同時に疲労感を実感させる。観光地化されていない自然の造形美には常に危険が隣り合わせ、まあそれが最大の魅力でも在るのですけど。
見上げているのは以前行ったラペの練習場所。
初回の訪問でも気に成った大規模ガリー、ここは以前より更にガレていた。登るのは本当にキツそうだ、当日は他にも鍾乳洞の訪問予定が詰まっていた為にガリー巻きはパス。入林規制が解除されたら挑戦させて頂きましょうか。
中津川水系の入林規制、入洞禁止措置は暫く解かれそうに無い。年齢的に無理が利く間に解除されれば是非再訪したい所で在りまする、って事で今年(2013年)は関西の鍾乳洞に初挑戦する予定です。
仏石山鍾乳洞
埼玉県奥秩父に残る幾つかのケイブシステムの一つ、車道からは15分程で到着出来るアクセスの良さと迷宮化されていない洞内の為にケイビング初心者のケイブトレーニングの場としてもケイバーに人気が在った。
洞内の総延長は115メートル(予測値)、ガリー脇の洞口からはディギングしないと最奥地までは到達不可能。初心者はこのトレンチ状の洞道で行き止まりと成るが洞口上部にはリペリングで降下する別の洞口が口を空けている為、上級者でも楽しめる。
洞内の岩質は中津川水系でよく見かける接触変成岩をベースに幾つかの岩質を持ち、何層か岩質で石灰岩の部分が侵食して鍾乳洞を形成している物と考えられている。洞内正面奥に鍾乳石と石筍を見る事が出来、小さいながらも洞内滝も存在している。滝からの支流は2系統、片方の支流は全てを辿る事が出来ない。枝道は複数確認されており、メインは1本。その殆どが埋没しているがトレンチ状洞道でもう1本通しの道が在ると考えられており、行政としては調査は全て終了していないという立場を保持している。
本日はこの辺で。
入林規制(入洞禁止)区域なので地図リンクは不掲載です。
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
※ ケイビングはとても危険ですが楽しいスポーツです、興味が在る方は御連絡下さい。簡単なレクチャーの上、初心者物件をご紹介致します、また同行されても結構です。
※ ケイビング団体は国内幾つか存在します、その中でもイチからレクチャーしてくれる団体も在る様です。探して問い合わせ、ショップや団体単位でケイビングを勉強するのも良いと思います。
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