栃木県│寂光の滝/若子神社
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 寂光の滝/若子神社
日光には何度も訪れている、日本1周の旅の最中には奥日光の湯元温泉や霧降高原などで働いた事も在った。そんな馴染み深い地でも知らない場所は結構在ったりする、ネット上で知り合った滝フリークの方からの強い薦めも在ってやっとこ訪れた場所、それが寂光の滝でした。
日光には言わずと知れた「華厳の滝」や「竜頭の滝」、「湯滝」など有名な滝が数多く存在する。迫力では華厳にも負けない「霧降の滝」が個人的にはお薦め、たっぷりと1日使って「日光七十二滝」を廻るのも日光の楽しみの一つかなぁ。
そんなメジャーな滝を抑えて(実は有名瀑布なのだけど)滝フリークさんがたはこう言います、「この滝はロケーションも含めて日光で上位に入る素晴らしい滝」なんだと。何でも由緒正しい神社の裏手に在り、人も殆ど来ないのでユックリと滝を眺める事が出来る素晴らしい場所らしい。
感想としては「何故もっと早くからこの場所に来なかったのか…」と後悔する位綺麗で荘厳な所でした、お薦め物件です。いや、ホントに。
滝を見に行った先で出会ったのは立派な鳥居、この鳥居の脇にシッカリとした案内板が立てられている。内容は、
「弘仁11年(820年)日光を訪れた弘法大師空海は、滝尾神社を開き、次いでこの奥の寂光の滝で修行した。夢の中で女神のお告げを受け、ここに祠を建てたと伝えられる。室町時代には、寂光寺の七堂伽藍が立ち並び、釘念仏道場として繁栄した。釘念仏のお札は、現在も輪王寺で受けることができる。
明治以降「若子神社」と改められた。祭神は下照姫命(したてるひめのみこと)。祭日は、10月30日。」
と、掲示されていた。あらやだ、随分と古くて長い歴史をお持ちなのねぇ。ちょっと興味が出てきちゃいましたよ、個人的に辿れるだけお勉強してみましょうか。
鳥居をくぐり、石造に挨拶しをし終えて石階段を登る。階段半ばで神社に向かう為の登り階段と左側に滝の下方に出る細い道(※1)とに分かれる、今回は滝をメインにやって来たので左にそれて滝へ向かう。
※1 一部崩壊していて危ない場所も含みます、来訪時は足元にお気をつけ下さい。
滝の前に紹介しておこう、此方が若子神社。一時はとても繁栄した寂光寺として祭られ、現在は改名された若子神社としてヒッソリと鎮座されている。冬場の写真を見たがこれまた美しく、次回は是非冬季の訪問をしたいと考えている。
…って、んんん?
寺だったのか、ここ。寺から神社に成った…の…?え、ここお墓だったんすか?あれ、そんな形跡ないけれど、うーん。駄目だ、やっぱりこの場所気に成るから納得出来る調査を改めてした方がいいな。気に成る事実などが判明した場合は追加エントリーにて必ずご報告致します、多分。
登りTEEEEEEEEよぉおおお
本命の寂光の滝、実際に目にしたら滝フリークさんが言う事がとても良く解る本当に美しい滝でした。大きいとは言えない小ぶりな滝筋だけど何と言うか流れ落ちるラインとかバランスとか、そんな感覚的なモノが直接見る者を虜にする魅力を放っていた。
因みに神社上部からこの滝に出る道も在る、水量が多い時は滝の中腹で道が分断されるのでこの2つの道は便利だ。水量が余り無い時は足が濡れる事無く2つの道を行き来出来る。
シャワークライムも可能な滝でバイトするポイントも多いしステップも良い角度で足つきも悪くない、ただ傾斜が緩いからそこまで面白くはないけれど初心者さんには十分その魅力を体験して貰えるポイントだとも言えるかな。水量も少ないので難易度は低め、んだどもやはり神社の裏手という事も在るので出来れば沢登りの過程として楽しむ程度に留めてほしい。
寂光の滝
高さは50メートル、幅は6メートル、7段から成る滝。マイナー滝として思われがちだけど昔から名瀑として知られている様で「布引の滝」や「七滝」などの別称も。「寂光瀑布」として「日光八景」の1つに数えられている。
寂光の滝の寂光とは寂しい光、つまりは生い茂った森の中の薄暗気な事を指している訳ではなく、仏語で「安らかで、静かな光」と言う意味。
若子神社
若子神社は寂光寺とともに弘仁11年(820)弘法大師の開基と伝えられる。明治の神仏分離で若子神社と改められたが元は若子権現といった。いまは二荒山神社の摂社で祭神は下照姫命(しもてるひめのみこと)。明治10年の大火は免れたが明治17年に焼け明治20年に再建されている。
神仏混合の時代には寂光寺境内には弘法自作の不動尊を祀るという不動堂(寂光寺)寂光権現堂(若子神社)鳥居 求聞持堂 三十番神堂 常念仏堂とあり多くの信徒で賑わったという。当時は恵心僧都の作と称する阿弥陀如来を本尊とする念仏堂より「釘念仏札」を出していた。
縁起は文明年間(15世紀後半)に寂光寺の僧であった覚源上人があの世へ行き 閻魔大王に会い地獄を見てきた「地獄に落ちた者は49日間毎日一本ずつ釘を体に打たれるが娑婆にいるうちに49万遍の念仏を唱えればそれを許される」と言われこの世に戻るとと手に49個の釘穴のついた木札を握っていた。
その木札と同型名札を梓の木で刻み紙に刷って念仏堂から人々に授けた。それを「釘念仏縁起」としてまとめ「釘念靴のお札」を持ってあの世へ行けば極楽往生できるとしたもの。今は寂光寺は無いので輪王寺でお札を授けてくれる。広く東北、九州地方まで伝わったと言う。今でも日光では仏事の際に黒地に白抜きになっている49の丸い穴を近親者が塗りつぶして納棺している。
覚源上人の墓と常念仏堂跡の礎石は川を渡った山の中腹にある。また今は杉林になっている所も昔の堂宇の跡であろう。
足利幕府後半のこの時期 世は戦国時代に入っていく頃だが 日光は最も栄えた時期。瀧尾 寂光 清滝そして中禅寺は繁栄の中心地であったという。僧坊の数も500を数えたと言う。
若子神社 毎月10日に月次祭(つきなみさい) 10月30日には例祭が行われる。
実は嬉しい誤算が在った、コレだけ十分過ぎる光景なので満足してこの地を後にしたのだけど山男として痛恨の失敗をしてしまった。帰宅後に調べたらこの若子神社の裏手から更に女峰山へと続く山道が在り、しかも枝が何本か薄っすらと踏み跡として残っていると言う。
画像も地図も入手して調べたが比較的楽な行程で滝の源流まで行けそうだ、紅葉時に挑戦しようと思う。コレでこの場所には秋と冬と行かなくては成らなくなった。
アプローチ
田母沢御用邸正面のT字路入口に「寂光の滝」へのアナウンスボードあり。
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