長崎県 │ 池島 - 池島発電所
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 池島 旧松島炭鉱 池島発電所
池島炭鉱跡、近代炭鉱にして九州地方にて最後まで操業した松島炭鉱を発端とする炭鉱遺構だ。前回のエントリーをコピペしてもう一度復習してみよう。
池島(池島炭鉱)は、長崎県西彼杵半島にある外海町の西7キロの海上、角力灘に浮かぶ、東西1.5キロ・南北1キロ・周囲4キロ・面積が約0.9平方キロの小さな島。炭鉱としては実は九州地方で一番最後まで操業した炭鉱で1959年の操業開始から近年となる2001年まで池島の産業を支えたのでした。
この池島の産業を支えたのが池島炭鉱、それまでの島内人口350人程を7500人程までに押し上げた一大島内産業だった。2001年の閉山後は産業関係者の人口が大量に流失した為に激減し、現在では島内企業関係者や海外から研修生を含めても1000年程度。それも公の発表であって現地に着けば解る事だけどずっと少ない、ホントに人が居ない島に成ってしまった。
前回までのエントリーはそんな池島の産業をささえた人達が住んでいた居住区の廃墟、放置された巨大アパートをレポートした。
前回のレポートは此方かどうぞ。
今回はこの池島でのメイン物件、「池島発電所」をレポートする。池島の炭鉱産業を支えたこの施設の歴史と噂を出来る限り探ってみた。
池島発電所の入口に立てられた看板、裸の角材に板とボード。それをガムテープで固定している、なんとも素っ気無いけどそれで十分な役割を果たしているのだろう。
つまり人が居ない、そして来ない。
島民自体は枯れた産業遺構に興味は無い、幾ら廃墟好きでもココまで遠方の大きくも無い廃墟の為にそうそう海を渡って来ないだろう。
入口から入ると左斜めに道が延びて車が数台停める事が出来そうな広場に出る、手間に小さな事務所が幾つか建っていて残されている重機や機材などが見え隠れする。
そもそも2002年の閉鎖からそんなに時間が経過してない事からも廃墟としての魅力より工場好きの方にこそ需要が在りそう。
かつては火力発電所として機能し、選炭時に出る微粉炭を燃やして発電していた様だ。島の重要なライフラインとして炭鉱操業の電力と島内の一般使用電力を賄い、海水から真水に変換する海水淡水化装置なども所有していました。
しかし炭鉱操業時から海水淡水化装置よりダムなどに見られる人口降雨装置の方が良いとの意見も在ったようです、まあ九州地方や沖縄地方の様に慢性的に水不足で四苦八苦する地域では海水淡水化装置が大活躍してるのですが。
因みにこの炭鉱も三井系で親会社は三井松島産業資本の松島炭鉱です、1959年に出炭開始し1985年では年間153万トンを出炭。鉱区は600メートルの地下で海底に広がり理論可採埋炭量は17億トンと考えられていました、低価格の外国炭が需要を伸ばし、不況の中で操業合理化を進めて耐え忍びましたが先に述べた様に2001年に閉山と成ります。
この発電所はその翌年と成る2002年に閉鎖しました。
なかなか取り上げられる事の少ない池島、そしてその産業遺構達。それでも九州地方の廃墟好きや工場好き建ち、歴史好きな方達が多くは無いけれどウェブ上でレポートなどを公開している。
そのレポートの中で特に多い写真の建物がこの先に在る、今回もその建物が楽しみでココまで来たのだ。
と言っても既に見たと思う、最初の写真がそうなのだ。
内部では選炭時に出る微粉炭の更なる選別や発電施設、火力のコントロール室などが在る筈だ。
外階段を登ると…早速微粉炭とご対面。
工場の廃墟は個人的に好きなのだけど何かこの場所は新しいと言うか、人の気配がすると言うか。何か落ち着かなかった。
そして写真の脇の階段を登って戦慄する事に成る。
本当に肝を冷やした直後の写真、最上階に近い場所から建物内を見下ろしている状態だ。
実はこの施設、一部稼動中…そんな「府中米軍基地跡」の様な噂が在った。現地に着いてそんな噂がカスリもしない静けさだったのだけど中に入ると何か人の気配が…。
そんな時、在るフロアで煌々と照る一室を発見。恐る恐る覗くと…。
何故か内側から机でバリケードされたコントロールルームの様な場所が通電している、人は居ない。工場内に1人も関係者は居ないのだけどこの部屋だけが蛍光灯を光らせていた、未だに謎なのですよ。
一端外に出た、最初の地点から別の侵入経路で色々と周る。
この池島だが炭鉱産業が終焉してから一つの代替産業の候補が持ち上がった、RDF発電所だ。RDFとはごみ固形燃料の事で池島の振興や廃棄物の有効活用を目的に電源開発(東京)が提案。
長崎市と周辺9町から出る一般廃棄物をRDF化し、専用船で池島まで海上輸送する方向で関係自治体などが協議、しかし、従来型のごみ処理施設よりコストがかかることと、三重県でRDF発電所事故が起き安全対策が確立されていないなどの理由で建設が断念された。
2004年の事だ、それから7年が過ぎた現在(2011年)。発表されている1000人弱の登録人口は名ばかりで400人弱の推定人口がひっそりと生活する島に成ってしまった。
ここは最後に回ろうと思っていた最初の広場の直ぐ左側に在る大きな倉庫の中、これこそ工場の廃墟と胸を張って言える素晴らしい「絵」が広がっていた。
池島について、池島炭鉱について色々と調べてみたけどココには諸事情で書けない厄介な歴史も在った。現地の人の話ではもう池島が昔の様な活気を取り戻すのは無理だろうと語り暗い顔で釣り糸を垂らしていたのが印象的だった。
池島
池島炭鉱で一時代を築いた産業で活発化した小さな島、閉山時に水流活性のスクリューも停止した為に黒い原石が混ざる岸壁では釣りも楽しめなく成って来ている様だ。
この池島、その名通り昔は大きな池を擁する島だった。島の名前の由来と成った池は一体何処へ…?
池はその昔、神巧皇后が容姿を映したという伝説から「鏡ヶ池」と呼ばれ、この伝説から池のある島「池島」と成ったと言われています。
現在鏡ケ池は炭鉱の開発にともない切り開かれ、人工港の池島港になっています。
昔の池島はこんな姿をしていました。
現在の池島の姿(ヤフーマップやグーグルマップの航空写真)と比較してみて下さい、変貌が見て取れると思います。
池島の簡単な歴史はウィキからどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%b1%a0%e5%b3%b6%e7%82%ad%e9%89%b1
これにて池島のレポートは終了です、なかなか行く機会の無い島だとは思いますが興味が出て来たのなら…九州旅行のついでに少々見聞しに渡航してみては如何でしょうか。
アプローチ
国道202号線から大瀬戸町の瀬戸港へ、瀬戸港から定期便のフェリーが運航しています。池島内は初めてでも迷い様が無い小さな島なので徒歩以外なら比較的楽に周る事が出来ると思います。
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