福岡県│三井三池炭鉱三川坑 - 坑外職場棟
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 三井三池炭鉱坑外職場棟
日本の大規模炭鉱企業の一つに三井財閥、三井系の炭鉱は独自の発展を遂げた北海道を覗き、過去全国に散らばっていた。今回はその中でも比較的有名物件として知られる三井三池炭鉱三川坑を取り上げたい、しかもご紹介するのは人気の正面口からの守衛室や事務所ではなく(まあ此方にもお邪魔はしましたが)、殆ど取上げられない坑外職場棟をご紹介したいと思う。
この場所の撮影訪問に関しては許可が非常に取れ難いのだが色々な偶然と幸運が重なり、なんともまぁ嬉しい事に大手を振っての撮影許可を得ての見聞なのですよ。やったー。
まずは正面口と守衛室、事務所と見るも他のサイトで散々紹介されているので省略する。この辺は大規模な有明沿岸道路拡張工事の予定敷地内を掠めるように隣接している、旧三井港倶楽部の裏側に成ります。
裏門の方まで続く道なりには幾つかの木造建築が残っていてそれぞれが炭鉱関係者の集合住居として機能していた、九州の廃墟探索では有名な「九州ヘリテージ」さんが詳しくレポートしているのでリンクを置いておこう。
九州ヘリテージ
http://kyushu-heritage.jp/
工事車両の運搬道路の入口からお邪魔します、数分と歩くと事前調査には無い建造物が在りました、木造で位置関係的には今回の本丸「坑外職場棟」のちょい手前です。
軽く見た感じ特に撮影するほどでもないなーと思い数枚撮って本丸に向う。
殆どの関連施設が解体された今、ポツンと残るこの坑外職場棟は非常に目立つ。本来ならもっと沢山の炭鉱遺構が残されている筈だったのに…余りの怒りに開脚前転で内部に入る。
三川坑跡地に残された工場棟は数少ない、その中でもこの物件はどうしても見ておきたかった。うひょー、こいつぁなかなかの良物件さんよー。
昭和15年に有明海底採炭をメインに開抗した三川坑、海底掘削は最深部で500メートル以上にも。この三川坑では実に沢山の歴史的な事が在った、広く知られているのはやはり沢山の犠牲者を出したこの事故だろう。
死者458名、一酸化炭素中毒患者839名と言う炭坑事故でも大規模なものだ。その事故の3年前にはこれまた有名な三井三池争議が起きている。
三井三池争議
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e4%b8%89%e4%ba%95%e4%b8%89%e6%b1%a0%e4%ba%89%e8%ad%b0
細かく語ればまだまだ沢山の問題が在ったこの三川坑、日本の三大財閥に連なる産業企業の三井といえど時代と技術に翻弄された一遍この場所が語る。
内部には実に沢山の関係工具や工事施設の機械が残されている、1997年の閉山からまだ10年程(レポート掲載時は2010年)しか経過してない新しい閉山遺構だからだろうか。
流石にこの場所には余り人が来ないのかなぁ…工事関係者が沢山居るし警備員も常駐してるし。全く荒らされてないし積もったホコリに足跡もない様子、しかしココも何れは解体される運命だ。
廃墟って「慣れ」が在る、何度も似た様な物件を周ると建造物に対する概観美にも歴史的背景にも興味が薄れて来てしまう。
建物って自然と違って撮影構図が似てくる、狭いから広角使っても他の人が撮影した写真と似てきたり。実際こんな問題も起きてるし。
個人の撮影にしたって構図の「慣れ」、侵入する際の「慣れ」、歴史に対する興味の「慣れ」。一番怖いんですよ、この「慣れ」ってヤツは。
自分が感動しないと撮影してても楽しくないですし、廃墟って言う位だからその建造物自体は死んでしまっている…だから廃墟で生きた写真って難しいって思います。
個人的に廃墟の撮影時にはその物件の歴史を勉強する様にしています、そうする事によって人が介した「気配」とか「雰囲気」とかを切り取りたいからなのだけど皆さんはどうですか?
三井三池炭鉱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e4%b8%89%e4%ba%95%e4%b8%89%e6%b1%a0%e7%82%ad%e9%89%b1
アプローチ
大牟田駅を掠める国道209号線から国道389号線へ、新港町へ向うと三井港倶楽部が見えます。その裏手がメインゲート、三池港へ更に向うと現在道路工事中の工事車両入口が在ります。今回の物件はその工事敷地内ですが通常許可は降りないと思いますので撮影希望の方は各自自己責任にて。
photograph - nee
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