埼玉県│日窒診療所(日窒鉱山病院) 再訪
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 日窒診療所
※ 2014年2月の記録的な大雪(※1)で日窒鉱山社宅の大部分が圧壊しました、また関連する鉱山施設においても現役・廃墟問わず数棟が崩壊した事を確認しました。日窒鉱山病院に至っては現在崩壊の恐れがある為に注意が必要です。
※1:以下参照 - ウィキペディア 平成26年豪雪
http:// ja.wikipedia.org/wiki/%e5%b9%b3%e6%88%9026%e5%b9%b4%e8%b1%aa%e9%9b%aa
数度目の日窒鉱山へやって来た、いつもは夏の日差しが力強く照らす緑の濃い季節だったけれど今回は桜が咲き始めた初春の訪問。今迄のメイン物件だった小倉沢小中学校は今回パスして関連施設を中心に周ろう計画してやって来たのだ。
今更ニッチツについて語るのもどうかと思うので説明は無し、余りに有名物件だし。以前のエントリーに簡単にまとめてあるので参考程度にどうぞ。
いやぁ今回のニッチツ、ホント勘弁して下さいって状況だった。ニッチツには合計3本ほどのルートが在るのだけど当初の予定と次候補のルートが尽く通行不可能(残雪と凍結の為)、道路は震災後という事もあってアチコチで工事中。結局は一番無難なルートが普通に走れた訳だけど通常の2倍は時間が掛かってしまった、4月でも奥秩父はまだまだ冬を強く意識させる場所でした。
お久し振りです、この診療所も今回で3度目。しかし少しづつ倒壊と崩壊が進んでいます。しかも明らかに人の手での破壊行為や悪戯書きが増えていてとっても残念、数年前までは良物件だったけどそろそろ潮時かもしれないです。
いつも時間を掛けて撮影する部屋、来る時期や時間帯で廃墟屋内の表情は猫の目の様にコロコロと変化します。
この部屋も本の散乱の仕方やレントゲンの位置やらが来る度に変わってる、ココに訪れる撮影者達のディレクションが在ったのだろうか。
診療所入口から内部、本当に崩壊が進んでる。もう駄目かもわからんね。
約3000人を擁し、一つの町単位で鉱山を形成していた秩父鉱山。鉄や亜鉛を主力として一時代を築き、現在でも一部稼動するこの地域。当時は今ほど交通の便も良くなく、この診療所は町と企業の2つの命を一手に引き受けてきた。
この診療所に興味を持って個人的に色々と調べてみたのだけれどネット上には意外と情報が少なかった、近々更に詳しく資料を集めて調査結果をご覧に入れたい。ちょっと面白い歴史が垣間見れましたよ、ここ。
企業サイドから解体の話がずっと提案されている、まだ大丈夫って言われてきたのだけど実は最近になって事件が起きた。
今回はパスした小倉沢小中学校でバカちんが怪我をして救急車を呼んだのだ、この話は秩父鉱山の担当現場責任者の方から事務所でお聞きした話。
今迄は無断訪問の場合は口頭注意、また事前許可を取れば概観は自由撮影、内部は職員付き添いの上撮影を許可されて来た。しかし今回の怪我に到る事件から完全に訪問をシャットアウトに切り替えたとか、東京都に本社があるのだけど本社指示で今後も撮影や訪問はお断りの様だ。
また告知して欲しいとお願いされた内容を書いておこうか。
侵入は如何なる場合も禁止、発見時は理由を聞く事無く通報だそうです。また今回の訪問で実感したのは警備が多くなった事、意外と人多いです。今後はプレスや出版関係のコネが無いとユックリ安全に確実な撮影は難しいだろうなぁと、また今回の事件を受けて周辺の関連廃墟の解体を本気で視野に入れているそうです。
勿体無ぇ。
騒ぎの在った小倉沢小中学校、以前エントリーしてたり。
手術台と手術用照明が在った頃は最高に輝いていた部屋だったんだけどなぁ…、後あの悪戯書き勘弁して頂戴です。
さて、今回で最後の訪問に成りそうなニッチツですが悔いの残らない様に色々と周りました。次回はお隣の講堂「赤岩文化会館」のレポートです、ここも少々崩壊が進んでおりました。
アプローチ
秩父市外から国道140号線から県道へ。県道は210号線をひたすら群馬方面へ、雁掛トンネルを抜ければ秩父鉱山です。
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