埼玉県│新井さんの家(神泉村矢納集落跡)
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 新井さんの家(神泉村矢納集落跡/矢納西部地区)
※ 2011年12月に解体工事が始まり、2012年1月現在では「物置小屋」以外の建造物は解体されました。道路沿い斜面に建っていた母屋も例に漏れず解体済み、解体理由に関しては調査していないので記載しておりません。ご了承下さい。
夏に成ると思い出す、いや沸いて出る…心霊さんが過去に大挙して押し寄せた有名物件「新井さんの家」です。心霊さんって何故か解らんけど勝手に凄惨な事件をでっち上げてひたすら「一家心中」とか「自殺」とか物騒な言葉を並べたがる。しかしその根拠を聞くと「噂だから…」とか「そう言われている…」とか途端に歯切れが悪くなる。
心霊さんへ
もうホント早く精[禁止事項です]院に入ってシッカリ治療して下さい、知能が[禁止事項です]りないのか元々無いのか毎日階段から転げ落ちて意識が混濁してるのか…一般人からするとトッテモ危ない人です。
で。
ココにも凄く凄惨で悲しい事件が有り、訪れた者には様々な厄が在るのだとか。
…。
調べると結構沢山のサイトで紹介されていてぎゃーぎゃー[禁止事項です]みたいに騒いでる、あーゆー人達って手遅れなのかなぁ…。結論から言うと何も事件は無いし歴史を掘り下げれば自然とその真相は見えてくる、ってか普通にネットで調べられるのだけど探した限りこの場所の真相を書いたサイトは無い。
って事で廃墟としても心霊スポットとしてもとっくに旬を過ぎてしまったけど何故か気に成る「新井さんの家」をレポートしたいと思います。
この廃墟、結構凄い所に在ります。埼玉県と群馬県の県境に位置する神流湖、その湖から程近い山道沿いに新井さんの家は在ります。場所はこの辺。
北東には下久保ダムが在り、ダムを含む神流湖全体が釣の名所として良く知られている。休日には沢山の釣り人が集まる、しかしそんな釣り人達も殆ど遠らない山道が神流湖付近には何本か存在していて県道331号線もマイナーロードの一つ。
県道331号線中腹にその廃墟は顔を出す、場所はここ。
県道から獣道が山中にも延び、その奥には幾つかの廃屋が確認出来るだろう。余りに古い造りの為、また場所が山中で他に建造物が無い為に心霊スポット化したのかもしれない。
そう言えば結構昔だけど探偵ファイルさんが心霊スポット化の仮設を立てていた、結構信憑性高いかもしれない。
探偵ファイル - スパイ日記シリーズ 特捜班心霊紀行「新井さんの家」
http://www.tanteifile.com/diary/2008/08/17_01/index2.html
そもそも何故「新井さん」の家なのか、実はこの周辺には集落が形成されていた過去が有り、集落内で「新井姓」が多かった事に起因している。付近には新井姓の集合墓地が幾つか有ってその裏づけにも成っており、昭和40年~50年の地域地図を確認すると確かにこの廃屋の持ち主が「新井」で在った事も確認出来た。
この家は間違いなく「新井さんの家」だった。
敷地内に入ると崩壊しそうな朽ちた物置小屋が姿を現す、右側には家屋跡。その他には倒壊してしまった風呂小屋と傾いた作業小屋が残っている。
しかし何故こんな場所にポツンと家が建っているのか…それが結構不気味に思えて心霊さんが喜んじゃった感も否めない。んだども先程既に書いた通り、新井さんの家は単棟家屋では無い。集落跡の名残として最後の一棟が現存しているだけなのだ、つまりは集落跡。
規模は小さいけど「廃村」、なんです。
新井邸の裏手の山中斜面にはその集落が在った事を確認出来る様々な残留物を見る事が出来る、しかも結構上部の方まで野面積みで作られた石垣が並び、家屋基礎の跡、墓地跡などが点在していた。ダム建設と関係在りそうだが山中で集落が交わる矢納西部地区を除いてこの辺はダムとは大きな接点が無く、直接的な転居理由では無さそうだ。
と、言うのも離村時期が世帯によって大きな幅を見せ、またダム建設より以前に転居した家屋も在った事で現在その正確な理由を調べる事が殆ど無理だった事が「無さそうだ」の理由とさせて頂きたい。
この区域は旧神泉村矢納集落で現在の矢納集落とは距離が在る、因みに未確認ながらこの新井さんの家の家族は現矢納集落で生活されているとの事でましてや一家惨殺や一家心中などはこの土地で起こった事実は無い。
倒壊してしまった風呂小屋、近年までは頑張って残っていたのだけどなぁ。しかし意外と残留物が多くて昭和30年代~40年代の新聞や雑誌、家庭用品などが当時を語る証人として訪れる人に沢山の事を教えてくれる。
物置小屋もそろそろ寿命が、そう遠くない内に倒壊する恐れが在る。この物置小屋は特に残留物が多いのだけど悪戯も同等に多くて一瞬疑問に思ってしまう物もチラホラ、土壁は特に劣化が進んでいて朽ちる寸前だった。
こちらは母屋となる家屋棟、斜面に建設されていて写真の1階部分が事実上の2階の高さに成っている。内部には殆ど残留物は無く、こちらも劣化が進んでいて崩壊するのも時間の問題だろう。
さて、結局少々調べただけでもこの「新井さんの家」がただの転居後の廃墟で在る事は解ったのだけど裏手の集落に関する詳しい情報が全く無い。そこで下久保ダムに関する資料から幾つか気に成る記述を抜粋しよう。
埼玉県立久喜図書館が事例製作を行った資料の一部がネットに掲載されていた、資料が製作されたのは2009年(9月6日)の様だ。
管理番号:埼浦-2009-046
質問内容:以下記述
埼玉県内の山間部などで、どの集落がなくなったかをまとめた報告書はあるか。過疎化やダム建設、農林業の不振等でなくなった集落は多いのではないか。
回答内容:以下記述
埼玉県農林部農地活用推進課、埼玉県企画財政部地域政策課に問い合わせたが、どの集落がなくなったかをまとめた報告書は刊行しておらず、なくなった集落もわからないとの回答を得る(2009/05)。
なくなった集落を網羅的に把握することは困難なため、一部該当する記述のあった資料、および参考として以下の資料を紹介した。
上記の資料から更に下久保ダムに関する事項を探すと以下を見付ける事が出来た。
③下久保ダム
『下久保ダムの記録』(下久保ダム連合対策委員会 1970)
記録写真集。参考になる情報としては、「補償要求計画書」、巻末に「下久保ダム連合対策委員会交渉の経過(「下久保ダム工事誌」より抜粋)」が掲載されている。ただし「下久保ダム工事誌」は未所蔵のため確認できず。
『下久保ダム周辺の環境整備事業』(玉田享 〔埼玉県立浦和図書館(製作)〕〔1981〕)
p3「下久保ダムの概要」に水没補償関係として、水没戸数の記述がある。
『神泉村過疎地域振興計画』(神泉村 〔1974〕)
p1「昭和44年完成した下久保ダム建設により、矢納の通称西部地区の約60戸が転出」
『下久保ダム水没地の民俗 群馬県民俗調査報告書 7』(群馬県教育委員会 1965)
p148-152「水没する部落とその概要」には、群馬県域の記述のみ。埼玉県の水没地域については、p145に「神泉村矢納、吉田町太田部」とあるのみ。
ここにも「矢納西部地区」が顔を覗かせるもハッキリと区域の指定と集落名が記されていない、どうやら集落が形成された当時の資料自体が無い様だ。これではどうしようも無い、最後の家屋「新井邸」が昭和40年前後までは人の手で管理されていた当時でさえ明確化出来ない程資料が残されていないのだろうか…。
因みに「新井」さんはここを定住地としていた訳では無いらしく、現矢納集落に元々本邸が在った上で別邸としての利用を目的としていたらしいとの情報も在る。って事は旧集落の住人では無かった…?うーむ。
下久保ダムに関しては下記よりどうぞ。
ウィキペディア - 下久保ダム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e4%b8%8b%e4%b9%85%e4%bf%9d%e3%83%80%e3%83%a0
明確に言えるのは心霊さんの言う「噂」は事実として一つも存在していない事、新井邸が本当に「新井」さんの所有だった事位。集落の形成時期や離村理由、ダム建設の関係もハッキリさせたかったけど行政で解決出来ない事を個人で調べるには時間と予算と個人的興味力が足りない。
個人的には納得した物件だったしそこ迄して調査したい歴史でも無かったのでレポートはこの辺で終わりたいと思います、ただこの県道331号線沿いにはこの「新井邸」の様な廃屋が残っていない集落跡が幾つか存在している可能性が在ると予見出来ます。
廃道さんや興味の湧いた方は個人的に調べてみるのも面白いかもしれません。
本日は以上なり。
アプローチ
国道462号線沿いの道の駅「上州おにし」を神流湖方面へ少し走ると県道の分岐が在ります、その分岐が県道331号線の入口。城峯キャンプ場を過ぎ暫く走ると左手に廃屋が見えます、廃屋手前に敷地内に入る獣道が見て取れるのでそこが入口と成ります。
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