栃木県│加蘇鉱山
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 加蘇鉱山(加蘇第一抗口/加蘇鉱山本抗)
以前より興味が在った石裂集落、その机上調査過程でチラチラと目に入る鉱山物件が在った。その鉱山はどうやら石裂集落への道すがら立ち寄る事が出来る場所に在ってしかも素敵な地下鉱山の姿を魅せてくれるのだとか、うーん気に成りまっ。
更に調査を進めると第一抗口(大切坑)より規模は劣るものの川を挟んだ対岸には2つの抗口(第二抗口(第二鉱床・水抜抗)/第三鉱床抗口)まで在るっちゅーじゃないですか、こりゃー滾り(?)ますよー。
※ 第一抗口(大切坑)と同じ斜面にも3つ程の小さな抗口が在りましたが現在埋没しています
他にも少し離れた場所に通道坑(鉱山大通道坑)が在りました、此方に関しては一番最後に別途説明しようかと。まずは今回の物件を楽しめる「第一抗口(大切坑)」からレポートを始めましょう。
石屋(鉱物が大好b…)にゃ有名なこの物件、お邪魔したのは石裂集落への一本道と成る県道240号線沿いに残る「加蘇鉱山」です。中でも一番規模が大きな「加蘇第一抗口(以下”大切坑”と呼称)」へ、アタシら確かに穴屋(ケイビング)もやるけれど坑道って余り好き好んで入らんですなぁ。まぁ物は試しや、どないなモンか検めさせて頂きましょか。
※ 穴屋はこんな場所が好きなんです
鹿沼市街を裂く国道121号線、そこから細く長い県道240号線と言う古民家が多い枝に折れる。その間々進めば石裂集落なのだけれど今回は少々手前の上久我(馬返)地区で車をデポ、車を停めた県道沿いから目線を上げれば既に見えているでは在りませんか。
そう、県道から注意して目を凝らせばコンクリート製の建造物が見付かるのですよ。
ストリートビューでもバキっと見付ける事が出来ます、まずは目印と成る「鉱山大通道坑」さんから。車で走ってると意外と通り過ぎるので注意、そして小さい。
コンクリート製の建造物が山中から見え隠れしてますねぇ、まあこうして県道から発見出来るのは10月~5月迄で夏季とも成れば盛緑に阻まれて中々と判別出来ないのです。
http://goo.gl/maps/t4vt9
この物件は行政の公開資料にも掲載されているし石屋さんの間では本当に有名物件でネットをりょっとウロウロすれば石レポートがワンサカと出てくる、この地域の鉱床調査レポート(※1)がPDFで落ちていたのでリンクしておこう。
独立行政法人産業技術総合研究所 - 栃木県鹿沼地方マンガン鉱床調査報告
https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/05-04_02.pdf
※1 報告書の製作が古く、調査は1953年に行われた内容です
この加蘇鉱山、付近には色々と残置遺構が在って来訪者を楽しませてくれる。今回は少しづつその魅力をお伝え出来ればと考えています。
因みにこの鉱山、発見はエラク古いと聞いておりますが明治後期からちょいちょいと名前が出てきます。大正初期から本格的な採掘が開始され、最盛期の1916年~1917年には良質な二酸化マンガン鉱を月産100~300トンも産出していたとか。この量は当時の日本一を誇り、また質がとても良かった事で産業的に躍進した時期でも在ったのです。
しかし戦後に成って急速に産出量が減少(自然備蓄量が限界に達した)して閉山、肝心の閉山時期はハッキリとしないけれど戦後10年の内にはその役目を終えたとも。
ここで採取出来た主要な鉱物はロードナイト(通称・バラ輝石)、ガーネット(マンガン柘榴石)など。隣接する高平鉱山でも似た様な鉱物が採取出来たと記録に残されているがやはり質はコチラが良かった様だ。
さて、それでは調査に入りましょうか。
まずはご立派なコンクリート製の遺構から覗いてみましょ、外観的には一番目立つしこの鉱山のランドマークでも在る訳で。
この施設は選鉱場、貯鉱所(ホッパー)、少し離れた場所に鉱山軌道用の台貫(トロッコスケース)が上から順に設置されている。
斜面を駆け上がると最初に迎えてくれる選鉱場と貯鉱所、下方の貯鉱所は鉱山軌道用のホッパーが併設されていて既に剥がされてしまった軌道レールの道が台貫へと延びていた。
手前のコンクリートで嵩上げされた場所は積み込みを待つトロッコ用荷台が並べられていた。
photograph:koichiro
冬季ならまだしも夏季だと幾ら県道沿いから近いとは言えちょっと見つけられないなぁ、それに羽虫とか蜂とか凄いもの…夏の来訪はオススメ出来ませんです。
初夏だと言うのにホッパーは既に緑に覆われてしまい写真では確認出来ませんですねぇ、一段上の貯鉱所には鉱物を破砕して品質をチェックする部屋も在りました。選鉱場から流れて来た鉱物を更に手作業でチェックするなんて、まあ日本人っぽいっちゃーぽいですわ。
photograph:+10
選鉱場から貯鉱所を経てホッパーからトロッコの荷台へ、出荷作業は鉱山軌道へその場を移します。ホッパー側の山中斜面(恐らくガリー)を迂回してトロッコレールは台貫へ。
ホッパーからスタートするトロッコレール跡、グルっと迂回して下方の台貫へ向かっています。ここで荷台に載せられた鉱物とその重さをチェックして必要書類に記載、チェックした内容の写しをトロッコへ残して本書類は台貫のポストへ投函すると言う簡素なシステムが採用されていました。
皆さんこの台貫をトイレだとか詰め所だとか色々と不思議に思われている様で、レールも無いしまさかトロッコスケールだとは思いもしない筈だ。
photograph:+10
出荷口の跡地を後にして貯鉱所脇の石階段を登って行きます、途中鉱物を破砕して品質をチェックする部屋も在りましたが現在は何も残されている訳も無く。ささっと倒木を越えて選鉱場を過ぎるとお目当ての「穴」が見えてきました。
photograph:+10
photograph:koichiro
大切坑です、2014年に大規模な土砂崩れが周辺を襲って入口周辺にも堆積した土砂や倒木が。まあそれでも人が入る分にはどうにか成る状態、いや良かった。折角来たんだから入りたいもの、坑道ってにも初めてだしねぇ。
因みにこの「大切坑」、元々はもっと大きな抗口で放水時には全開放しておりました。通常稼動時は勿論人道口(写真の様な状態)として運用、それにしても放水時って何…?って思う方、そう、大切坑ってのは坑内排水を目的とした坑道なのです。しかし最盛期にはこの大切坑も「本抗口」として使用され、閉山期には本来の放水としての役目は果たせていませんでした(※2)。
※2 行政から提供された非公開資料の内容です、詳細を記載しない約束で説明しております。
photograph:koichiro
おじゃまー。
支柱がもう腐っちゃって腐っちゃって、どげんするとー。入口から数十メートルはコンクリートで壁面工事がされているけれどそこから先はこんな感じ、これは本来ずっと素掘り抗道だったものが鉱山の最盛期以降の後期に成って安全面での基準が明確化、その為に遅過ぎる壁面整成工事を行ったと言う訳。まあそもそもは排水路だったのだから当然か、人が通る事をメインで考えるならやはり安全対策は必要ですよねぇ。
途中坑道内の鉱山軌道の入れ替え場所が、写真左側にもう一部屋在るのだけれどそれが車両の保管や入れ替え場所(スイッチポイント)として機能(※3)していた。
※3 トロッコの荷台を洗う場所も併設されていたとの記述も在りますがハッキリしません。
photograph:koichiro
ここから迷路が始まる、入坑して最初の分岐地点。簡単に説明すると
右側(軌道抗):中後期:斜坑/地下にホッパー施設が在ったが埋没して閉塞
中央(人道抗):最古期:斜坑+縦立抗/現在は埋没して閉塞、枝穴の数は未確認
左側(軌道抗):最盛期:本抗/素晴らしい程に上下左右に枝が伸びる迷宮坑道(今回の調査物件)
と、こんな感じ。まずはメインと成る本抗に入るとしましょうか。
※ 坑道表を入手中です、鉱山研究のNPO団体が所有しておりました。公開まで少々お待ちを。
photograph:koichiro
ハッキリとした鉱山軌道が確認出来るのは本抗最初のT字路まで、そこからは埋没したりまた現れたり。たまに水没してたり完全に朽ちていたり、途中再度ハッキリする場所も在るけれど湿度の所為かな…奥に行く程その状態は悪く成っていった。
最初のT字路で左側に曲がる、後程戻って右側に行くのだけれどお目当ての斜坑はその先に。
photograph:koichiro
古い採掘口が在った縦抗、1970年以前の地殻変動で水没。稼動当時は水位がもっと低かったと記録にある、その当時にあって時々水没する事が在った様だけれど現在の様に完全に水没は無かったろう。
この縦抗、水没以前は更に先の縦抗と地下で繋がっていてやはりと言うか…向こう側の縦抗も同様に水没している。
photograph:koichiro
水没坑道、ここは縦抗だった訳ではなくて隣の縦抗崩落と共に陥没してしまった場所。水没した先程の縦抗とも枝で繋がっている、坑道自体はこの先で左右2方向に別れる。
その2つの坑道も人道掘削道としてそれぞれ5方向位に分かれているけれど時代毎に掘削坑道が異なるので正確な枝の数は恐らく行政資料でも把握しきれていない、この鉱山ってば実はとても広いのですわ。途中数本の竪坑も確認出来るが昇降具が無いので外気の取り入れ口だったのかも。
photograph:koichiro
一番最初のT字路まで戻り、ここから複雑に枝分かれした坑道を一つづつ確認。幾つかのホッパー跡、縦抗(閉塞、埋没、水没)を確認。閉塞抗の上部に立抗も在ったが崩落が心配され、少し進んで戻る事が2度程在った。
それぞれを細かく説明するととても長いエントリーに成るのでメインの斜坑に移動しよう。
photograph:koichiro
立体的な抗口が魅力なこの縦抗、と言うか斜坑。これを見にこの加蘇鉱山へ来た様なものだ、足場がすこぶる悪いがとても面白い構造で向こう側に回り込んだり覗き込んだり撮影場所を色々と思案。
この斜坑には水没した下部終着部分に斜坑用トロッコが残されている、上部にはテンショナーと中間プーリー、動力元のシャフトに設置されている主軸用プーリーがそれぞれライトの光で確認出来た。と、言っても鉱山の知識には疎い者ばかりで基本構造的な要点しか判別は出来ないのが何とも悔しい。
色々と残置物が在るのだけれどその設置理由や使用方法は…うん、御免なさい。解りませんです。
photograph:koichiro
どひゃー、結構高いんじゃないれすかー。
つっても斜坑、ロープを引っ張り出せば降れない難易度じゃない。んだども車まで戻ってロープ持って来るのも手間だしこの場所で使用したら多分廃棄だろうなぁ、ってか水没抗口でしょココ。降りてもどの道水没してるのだったら降る意味も無いや、以上言い訳よ。
photograph:koichiro
中間プーリーが見えますねぇ、それと気成るのは木製の梯子。触れただけで取れるんですよ、足場がポロっとね。
そしてこの斜坑、驚く事に別の地下坑道と繋がっておりまして。勿論水没しているけれどココからしか行けない人道掘削抗が2本程延びている筈なのですわ、流石に確認出来ませんが。
それにしても坑道内に足跡が多い事、どれだけ人が入ってるのかって言うね。これ以外と大切な事だけれど単純な分岐を繰り返す坑道でも一歩間違えると迷子に成りますですよ、穴屋はこう言う時にマーキングカードなるアイテムを使用しますが坑道の場合は記録に坑道図が残されている場合も多いと聞きます。
もし坑道に入る場合は複数で経由ポイントの確認を行うか坑道図を持参して入坑して欲しいです、単独潜入とか以ての外。勿論この坑道も然り、意外と規模の大きな鉱山ですよ。
photograph:koichiro
さて、帰ります。最初の3方向分岐の場所まで戻って中央の閉塞坑道を少々調査、特に記載する様な物もなくて終了。最後に埋没斜坑へちょっとだけお邪魔します。
photograph:koichiro
この斜坑は地下に採掘用の小ホールが在りまして、また坑道外へ通じる通道坑と連結する枝も在ります。本来レールはその通道坑へ繋がっている筈なんだけど…土砂っててちょいと判別出来ませんでした。
斜坑入口にはプーリー(巻上げ滑車)も残されています。
photograph:koichiro
下から一枚、更に降ると埋没の為に閉塞している坑道と水没している坑道、それと縦抗とは別に竪坑も残されていました。記録に無い坑道も在りますが中期に埋められてしまった坑道も在るのでこちらもその正確な枝や坑道数を確認する事は適いませんでした。
photograph:koichiro
急ぎ足で廻った加蘇鉱山の地下坑道、閉塞や水没が多くて予定していた3時間を大幅に下回る1時間半で帰路に。入口付近の支柱崩落箇所を抜ければ近代壁面工事が施された坑道が目に入ります、ああ…もう終わりかぁ。
若干の物足りなさを感じながら大切坑を後にしました、だけれど外に出るとやっぱり安心しますわ。これはケイビングの時にも毎回思うのだけれど遊んでる最中は穴にずっと居たいなぁと、だけれど外に出ると何故か妙な安心感が身体を包むんですよねぇ。
photograph:koichiro
選鉱場の屋上部分、早く出て来たからと言って山中の斜面を駆け上がる様な事はしない。発見出来るかハッキリしない複数の抗口やズリ山なんてコレっぱかしの興味もねぇですよ、あたしゃ早くビールが呑みたいのっ。
photograph:koichiro
photograph:+10
未踏区間が多く残った物件では在りましたが通常の石屋さんや鉱山好きさんよりは歩いたかなぁと、もしこれから入坑しようと思う奇特な方が居るならば最低でもゴムウェーダーが無いと水没区間はどうにも成りません。出来ればドライスーツ素材のウェーダー、贅沢を言えばドライスーツでしょうか。ただ水没区間の”水”が意外と問題でどんな有害成分が含有しているか解らないって事は肝に銘じておいて下さい、鉱毒問題ってのは公表されていない鉱山や採掘現場が多数存在します(特に古い鉱山)。
僕らは…うーんもう一度位入っても良いかなぁ程度、面白くは在ったけれどどちらかと言えば正統派な穴屋の遊びがしたいのです。鍾乳洞って素敵なのよねぇ…、年内にはPCC(パイオニアケイビングクラブ)の一員としても何かエントリー出来ると思いますよ。
ふいー、ちょっと疲れましたな。最後に道路沿いに目立つ鉱山遺構「加蘇鉱山大通洞」を改めて見に行きますか。
入坑した大切坑とは随分と雰囲気が違う加蘇鉱山大通洞、所謂「通洞坑」ってヤツでして坑口から水平に掘られた主要な運搬坑道の事。最後の斜坑の先とココが繋がっているって解ると上部の大切坑から随分と高度を下げているのが良く解る、水没しているけれど勿論鉱山軌道のトロッコレールが残っている筈だ。
この加蘇鉱山大通洞の脇には稼動当時トラックの積み下ろし場所が在った様だけれど県道整備の工事で現在はその姿は消滅している、っとそろそろ〆に入る訳ですが。
この鉱山の魅力を伝えるにはちょっとコンテンツの調査不足は否めないなぁ…いや言い訳させて頂戴、ホント資料が少なくてね。行政の記録も非公開資料だしNPO団体さんも一生懸命当時の記録を探してくれてはいるのだけれど。古い鉱山ってレポート書くのが本当に難しいですわ、はいまた言い訳ね。
photograph:+10
本日は以上です、坑道レポートなんて2度と書くかぁー。
アプローチ
鹿沼からだと国道121号線から県道へ。県道は14号線と240号線をハシゴして上久我方面へ、石裂集落までは国道から30分程。
地図リンク
http://goo.gl/maps/mkzv1
photograph - nee
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