栃木県 │ 神子内小学校(足尾小学校神子内分校)
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 神子内小学校
足尾銅山の関連遺構群から目と鼻の先なのに全く取り上げられない物件が在る、日光から足尾を結ぶ国道122号線沿いにひっそりと残る廃校「神子内(みこうち)小学校」を紹介したいと思う。
この学校はとても歴史の古い学校なのですが何度も起こった洪水の所為で校舎をその都度建替えてきました、この学校が安住の地として付近より高台に建設されたのが昭和中期。しかし折角手に入れた定住地も足尾銅山の閉山に伴い現在では休校扱い、この辺の詳しい歴史は何時も通り最後に記載したいと思います。
廃校ではなくて休校扱いの物件、だけども2度と復校する事の無い「神子内小学校」をご覧下さい。
近年、恐らくは2007年位までは内部に残留物は殆ど無くて綺麗に保存されていました。時折行われる区域内での催し物や集会で使用されては居た様だけど管理物件として地元住民に大切に保存されていました。
教室内もとても綺麗です。
しかしここ数年、地元住民とは全く関係ない自称[禁止事項です]な人達が…おっとこれ以上は。
因みに地元の方に後日聞き込みをした所「なんやら良く解らん事をやっていて大変迷惑した」とか「段取りも片付けも現地任せで勘弁してもらいたい」とか…結構愚痴の多い内容でした、これはあくまで現地からの情報で内容に責任は持てないので悪しからず、です。
一番写真栄えする校舎中央の教室、概観を含めてまだまだ使用出来そうな校舎ですねぇ。この学校の卒業生の中にはやはり復校を望む方達も居る様で現地に足を運ばれる事も在る様です。
狭い廊下には沢山の催し物の残留物が、出来る限り写らない様に撮影してもどうしても入り込むですよ。裏手は山の斜面、夏場は熊も出没するそうで学校の敷地内で発見された事も在るのだとか。
昇降口左側の部屋、教室…じゃないよなぁ…。札を撮ってくるのを忘れてしまった為に各部屋の役割が解らずジマイです、申し訳ない。
と、まあ小さな校舎な物でこの位しかお見せする写真がないのです。しかし綺麗なんですよ、この学校校舎。特に夏場はもう緑に囲まれてホント美しい、概観だけでもオススメ出来る物件なのです。
神子内小学校
神子内小学校は創立が1875年に足尾小学校の分校として設置されました、当時足尾銅山の労働者達が近隣に増えて行き、人口増加に伴って分校としての歴史をスタートさせます。当時は「足尾小学校神子内分校」と呼ばれ、1911年には76名の児童を抱える最盛期を迎えます。
道路を挟んだ神子内川の氾濫洪水の為に幾度と無く校舎の移動を余儀無くされ、1958年に現在の高台に移設されるまで自然の脅威と隣り合わせの学び舎だった様です。
1916年の児童数60名から以降、次第にその数は減り続け銅山閉鎖もその減少に拍車を掛けました。1984年、児童数4名を残す形で休校。以降は廃校にも成らず、休校扱いで現在でも校舎が残されています、歴史としては109年を数え、決して多くは無い児童数では在った様ですが地元民から愛された学校だったと記録に記されています。
敷地内には教員用の臨時宿舎も残されています、遊具も少ないですが幾つか残っていますが錆びだらけの状態…廃校の雰囲気を纏っていますが今後も「休校」扱いとして地元の方達に管理されて行くのでしょう。
※ 内部見学は行政・自治体の許可が必要です、通常は施錠されているので概観のみの見学と成ります。
最初のエントリーは2011年4月、とは言っても豪雪地帯の日光やら足尾ですから景色は丸っと枯葉模様。その後同年の夏季に再訪して通り掛けの撮影、丁度お祭りの準備をしていました。
月日は流れて3年後、2014年の5月半ばでしたが新緑とヤマツツジに彩られとても綺麗でした。
盛緑の深いグリーンも良いけれど新緑の青臭いグリーンもまた良いもの也、そしてヤマツツジが本当に映えるのですよ。
アプローチ
国道122号線沿い、最寄り駅は間藤駅。最寄り駅側からだと日光方面へ向い、右手に足商生コンクリートを見て過ぎ直ぐ。左側に高台へ登る枝道が在るので登りきった所で車を止めると良いでしょう、国道からは意外と見つけ辛い位置に在ります。
地図リンク
http://goo.gl/maps/qaujQ
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