千葉県│湊川水系支流高宕川 高宕川の滝
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 湊川水系支流高宕川 高宕川の滝
※ 2013年4月以降、アプローチルート(未舗装)最後の分岐に「車両進入禁止」の柵が設置されました。地元民への聞取り調査で不法侵入や手前空地での不法駐車は即通報との事です。
3夜連続でT秘境の魅力に迫る「湊川水系支流 T秘境」第2夜、本日はこの付近を代表する滝を幾つかご紹介しようと思います。
1888年に造成が開始され、その後牧場経営開始と共に運用され始めた川廻し。この一帯が100年の後に「秘境」として語られる遥か以前の歴史なのだけれどその辺の詳しい話は最終夜の明日にでも、今回は造成開始の1888年から牧場廃業の1910年頃までの間にその役目を果たしたT秘境の滝達を語っていこう。
このT秘境(もう名前バレ同然だけれども)、この一帯に点在するその殆どの滝が既述の通り川廻し造成によって作られた人工滝。大きく分けると本流から分岐した2つの川廻しで造られた滝が訪れた者を楽しませてくれます、その内の1つはシャワークライムも出来るけど遡行には経験が必要な物も。
関連エントリーは以下より。
昨夜までの関連エントリーは以下から。
T秘境の入口、素掘随道から300メートル程進むと最初の滝が見えてくる。ここに訪れた誰もがこの滝と対面した事だろう、勿論人工の滝。
場所はこの辺り、丁度遡行を始めて最初の分岐と成る高低差2メートル弱の滝だ。名前を「黒滝」と言う、人工と言っても完全な人工滝ではなくて川廻し造成時に高低差を流れを変えた半人工滝と記録に残っている。
5月~6月、10月~12月の増水時にはこの様に迫力在る姿を見る事が出来る。その他の時期だと枯渇期なので台風一過直後でないと水量は極端に少ない、オススメは新緑の6月頃だろうか。
手前には沢山のポットホールが存在している、水量から推測すれば今後大きなポットホールの成長や増加は考えにくいけど遡行時は注意して欲しい。
ここを境に第1夜で紹介した「右俣支流」と造成前は本流だった「左俣支流」に分かれる事に成る、本日は先に「左俣支流」を遡行するとしよう。
左俣支流に入って20メートル程歩くと高低差2メートル程の小さな滝が姿を現す、造成時に便宜上使われた名前は在った様だけど現在では「無名の滝」と成っている。
一帯には実に沢山の「無名の滝」が存在する為にこの滝を「左俣支流第一滝」と呼称する。
ゴルジュの様に入り組んだ場所に出た、「右俣支流」に比べて両岸壁の侵食高が在るのは本流だった頃の名残。つまりは侵食高の高さまで昔は水量が在った事を示す、現在は増水時でも30センチが限界だ。
photograph:saorigraph 場所は黒滝から真っ直ぐ進んだ「左俣支流」の途中だ、先程の「左俣支流第一滝」からは50メートル位の距離。
この先に更に川廻しの名残が在るのだけど…
ゴルジュ入口から右へ折れて数メートル、水量が極端に少ない滝が現れた。これが「宮内滝」だ、宮内滝は変則段階状の滝で3段階の高低差を繰り返している5メートル程の三段瀑布。
壁質はナメで滝壺は70センチ程と浅いがロープ+アイゼングローブが欲しいシャワークライム覚悟の滝、増水時にアタックしたら面白そうだ。
さて、この先には川廻しの跡が残るのだけど本流だったこの流れが支流としてもその存在意義が殆ど無いまでに衰退した理由を。
この地図は明治初期のこの一帯を表している、点線が本来の流れだった事を考慮して見て欲しい。「左俣支流」が本流だった頃は更に上流と成る支流が存在した、つまりは二つの流れが合流して宮内滝に降り注いでいた事に成る。
それが川廻しによって流れの余り無い支流だけと成り、付近の山岳開発によって更に地盤に含有されている水量が減った事でその殆どの水流を奪われた事が解る。
この滝も実は半分は自然で高低差の調節と水量の調節の為に変造された滝だ、なので黒滝同様に川廻し以前より滝に名前がついていた。
「左俣支流」はここで終点なので合流地点に戻り、「右俣支流」を遡行しよう。
右俣支流を遡行すると30センチ~50センチ程しかない高低差の滝が3つ程在る、これは滝と言って良いのか川底の削岩跡と言って良いのか。
この場所には無いのだけど場合によっては水流の勢いを殺す為に川の流れと逆の傾斜を造る事も在る。
場所はT秘境最大の川廻し手前より30メートル程、この両岸には人工的に造られた削岩水溝が多数発見出来る。
この一帯最大の川廻しの入口、右俣支流と高宕川本流の合流地点と言う3つ巴の複雑な地形だ。 両岸の地形も実に起伏に富んでいて緩斜面と急斜面、自然の侵食と削岩による水路が集中しているT秘境一番の見所だ。
急駟滝。
急傾斜の人工瀑で高低差は約30メートル、緩やかな傾斜の所為で解り辛いけど造成時に掘られた素掘随道までの高さは迫力が在る。T秘境での川廻し第1号であり最大の高低差を規模を持つ滝だ。
この急駟滝が造られた事によって本流の流れが大きく変動し、既に紹介した「宮内滝」に流れ込む水量が激減。現在では「右俣支流」が高宕川本流としてその役目を果たしている、更にはこの「高宕川本流」には同水系の支流が流れ込んでいる事、それに付け加え沢山の削岩水溝が湧水地から流れ込んでいるので水量も枯渇期にしては確保されている様だ。
急駟滝の右岸を登る事が出来る、沢屋にしてみれば斜面としては見れない程のレベル。増水時だとしてもシャワークライムとは程遠いただの遡行、道具も根性も必要ない。
90年代後半に張られた古いロープが現在も残っている、数年毎に新しいロープや付け足しが行われているが必要ない程。
この地理を詳しく紹介しているサイトが在る、沢屋には大変在りがたいサイトで房総の河川や滝の遡行に役立っている。
○ 滝を観る
http://chibataki.poo.gs/index.html
このサイト内にこの「急駟滝」を詳しく説明している一文が在る。
1995年にこの地域で、千葉県教育委員会発行の「高宕山ニホンザル綜合調査」報告書が刊行されているが、滝の記載はなく、川廻しとも認識していなかった様で、急駟滝下流の支流流路を高宕川の本流とする図と成っている。
滝として最初の発見者は、君島安正氏と思われ、1980年頃から氏によって所在が知られる様に成った。
名称も当然記録が無く、地元の郷土史家、故菱田忠義先生の教示による。人工の滝であるので、本来名称が無かったと思われ、謂れなどは明らかでない。漢学の素養がないととても付けられない名前で、菱田先生が故あって命名されたのではないかと想像しているが、確かめようもない。
尚、1993年刊行の、「続・千葉県地学のガイド」のP119~124、14.高宕川の上流にこの滝の地質が紹介されているのが、最初の文章記録である。ただ、この紹介では滝を自然の滝と誤認した文章となっている。
この滝に関する更に詳しい説明は明日の「最終夜」でご紹介しよう。
撮影班の一人「saorigraph」の中の人、弟子なのにたまに師匠より素晴らしい写真を撮る。学生時代からの付き合いだが現在26歳のBBAである。口癖は
「あたし日本語話せます」
首に掛けたタオルが実に男らしい、林業の方ですか。
以前常駐先の社長さんに50年を呑ませて頂いた事が在る、あれはもう一生口に出来ない味だった。シングルモルトが好きな僕としては忘れられない思い出、こいつは1ヶ月前には無かったので熟成されてなかったが素敵だったので撮影。
犯人は誰よ。
急駟滝上部の素掘随道、高さ6メートルも掘ってある。これは川底の高低差を考慮しての造成だった様だけどそれにしても掘り過ぎだ、房総の川廻しはたまに大規模な造成が見て取れるけど理由がイマイチ解らない物に出会う。
高宕川の滝
T秘境の点在する川廻しによって造成された人工滝、無名の削岩滝を含めると20近くの滝が存在する。とても造成数年で造られたとは思えない規模だ、造成理由も房総で唯一の「牧場」の為の川廻しで地形の起伏も含めてとても珍しい物。
地元の方でも今で知られていない滝が大小幾つか存在すると考えられていて物好きの沢屋や測量屋さん、ゼンリン関係者さんや行政が発見する事も在りえる様だ。
第2夜「高宕川の滝」はこれには終了です、最終夜と成る明日は「T秘境高宕山牧舎跡」を予定。T秘境の歴史と現在の状態などを今までのエントリーと絡めてご紹介します、余り語られる事の無かったこの一帯の過去と現在を知って頂こうかと思います。
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
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