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REPORT - 0904│嶺崎医院(怪獣病院/龍の砦/龍の籠)

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6frogs 廃墟 嶺崎医院 怪獣病院 龍の砦


静岡県│嶺崎医院③ 歴史検証 / 解説編


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 嶺崎医院(怪獣病院/龍の砦/龍の籠)


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※ 上のバナーをクリックすると追加情報の場所(ページ内アンカーリンク)に移動します


怪獣病院の通称で知られ、日本建築界では龍の砦として歴史的価値の高い建造物の一つに数えられるこの嶺崎医院。当ブログでは2013年の内部初公開から更に詳細を追い続け、今回の追跡調査でやっとこさで全貌を見る事が出来た。


その一片をシリーズでエントリーして今回で3回目、レポートは核心と成る「歴史検証」とこれまでの調査内容から公開出来る新事実の「解説」へ移ろうと思う。今までのエントリーを未見の方は是非以下のバナーから順を追ってご覧頂きたい。


6frogs 廃墟 嶺崎医院 怪獣病院 龍の砦


6frogs 廃墟 嶺崎医院 怪獣病院 龍の砦


これまでに嶺崎医院、嶺崎邸とこの建築物の造形と内部意匠の素晴らしさをお伝えしたと思うのだけれど本日の内容は冒頭の通りこの嶺崎医院そのものの歴史だ。複雑な経緯で現在に至るこの建造物を重要な部分を抜粋して解り易く説明出来れば…と思うのだけどちょっと難しいかもしれない。


それだけ歴史が刻まれた価値の在る、そして意味の深い建物なのだと了承して欲しい。それでは早速とレポートを進めていこう。


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さて、まずはこの建造物の成り立ちのエピソードを絡めながら建築に至った経緯や何故渡邉洋治氏がデザインするに事に成ったのかなどを説明していこう。その中で中心人物と成る嶺崎氏、鏑木氏、そして関係する人達の歴史を垣間見るとしましょうか。


6frogs 廃墟 嶺崎医院 怪獣病院 龍の砦


この地へ訪れた事がある者なら知っている筈、入口脇に設置された銘板に「鏑木 1968」と刻まれている事を。しかし待って欲しい、近所の方からは通称「怪獣病院」と呼ばれ、建築界では「龍の砦」と知られてはいるけれど物件名称は「嶺崎医院」で間違いない(※1)。


※1:三一書房 現代日本建築家全集参照


写真解説:2013年の夏に撮影した銘板


6frogs 廃墟 嶺崎医院 怪獣病院 龍の砦


2014年に再訪した際の銘板を再度見て頂こう、こちらの方が解り易いと思うけれど刻まれているのは、


鏑木
1968
設計 渡邉建築事務所
施行 石井肇建設株式会社(※2


この4行だ。嶺崎医院(嶺崎邸)なのに何故「鏑木」の名が刻まれているのか、まあ順を追って記載はしていくので一先ずこの銘板から読み取れる情報を説明していこうか。


鏑木」とは実は2代目の所有者名で嶺崎家から住宅として譲り受けている、年号はこの嶺崎邸が竣工した年で建築自体は前年の1967年から行われていた様だ。設計は勿論の事「渡邉洋治」氏、施工を行ったのは「石井肇建設株式会社」だと読み取れるが今は現存しない建設業者の様で詳細な情報が得られなかった。


それではこの嶺崎邸が建設に至るまでのエピソードを書いていこう。


※2:本来「施工」と在るべき表記を誤字で「施行」と刻まれている


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1967年 渡邉洋治氏に設計を依頼


戦後復興から20余年、嶺崎氏の両親は静岡県伊東市に居を構えていた。海を一望出来る高台の土地を購入、現在の嶺崎邸からやや高い場所に旧邸宅が建設されていた(現在は別の所有者だけれど当初は庭の一部だった)、そこへ嶺崎氏が新しい病院権兼住宅(両親との同居の為2世帯住宅)を建設しようとしたのだ(※3)。家長であった嶺崎は戦中軍医だった事もあって元陸軍船舶兵だった同じく軍出身だった渡邉洋治氏に設計を依頼、既に国内では一定の知名度が在った事も踏まえて設計の全てを任せた。


※3:嶺崎邸完成後はご両親と同居されています


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1968年 嶺崎医院「龍の砦」竣工


起工は1967年と見られているが資料が発見出来なかった、登記を見るとそれまで森林区域扱いだったこの土地(旧邸宅の庭部分)が1961年に宅地として造成。その後嶺崎氏が邸宅建設を予定して1969年4月に登記を完了(※4)している、この間1年(1968年の完成から)の開きが在るが不動産登記法では「新築した建物又は区分建物以外の表題登記がない建物の所有権を取得した者は、その所有権の取得の日から一月以内に、表題登記を申請しなければならない。」とあります。


これは推測の域を出ないのだけれど「設計依頼が1968年で完成が1969年」の可能性も在るかも知れないと言う事。


※4:登記には1969年2月15日新築と記載されている



※ オンマウス(ロールオーバーで画像が切り替わります)


登記内容では1969年に「医院兼住宅」と種別されていて登記で見ればやはり調査内容の1967年→1968年が1年ズレて1968年→1969年の可能性も出てくる、しかし建築関連資料では「龍の砦1968年竣工」とも在る。


まだまだ大らかな時代だったので登記を1年遅れで行った可能性も否定出来ないが当ブログでは今までの通り1967年→1968年(同年完成)を正史としたい、資料の記録や銘板などの現存物の表記を優先させた結果と思って頂ければ…と。


因みに構造項ではシッカリと「鉄筋コンクリート(RC)」と記載されている、面白いのは便宜上「二階」とされている点。しかし実際の内部を見た物にとって「二階」とは果たしてどの部分なのか…法律が当時の建築デザインに追いついていなかった事を物語る資料でも在る。


1978年 所有権が鏑木氏に


さあ、ここで歴史検証上最大の誤解を生んでしまった「鏑木 1968」と刻まれた銘板を製作した2代目の所有者「鏑木」氏が登場する。


嶺崎家の家長だった嶺崎氏が死去し、転居するにあたって鏑木氏にこの「龍の砦」を移権。登記では1978年11月から翌月12月までに売買契約が成立し晴れて鏑木氏がこの建造物の所有者と成る、この「龍の砦」をいたく気に入った事もあって竣工年を記載した銘板を製作。そこに新たな所有者と成った自らの名を刻んだ…が。


これが後の調査や関係者を惑わす結果と成った。


この「龍の砦」が1968年に竣工した事は事実だ、しかし本来ならば「嶺崎 1968」と在れば誰も勘違いはしなかった。この銘板を製作したのが2代目所有者の鏑木氏だった為、建造物竣工(1968年)と所有権獲得(1978年)で10年の開きを生んでしまう。


すると建築関係者達は1968年に鏑木氏がこの「龍の砦」を建築したのだと思ってしまう事も頷ける、しかし作品名には「嶺崎邸」とあるから周辺事情に詳しい者が約10年間「嶺崎医院」を開業していた事を把握しており、結果竣工がマイナス10年の1958年で1968年に移権。その時に銘板を製作して設置したと認知されてしまったが故に架空の10年間を生み出してしまったのだ。2013年来訪時の管理人さんもこの勘違いをしており、当ブログでも検証せずに掲載した事で建築関係者さんから幾つか問い合わせが在った事を記しておこう。


尊敬の念を掲げた鏑木氏の心意気が多くの誤解を生んでしまったが事実を知れば成る程、エピソードに添う形で偽りの無い表記だった事が解る。


移権後、嶺崎氏とは住宅のみと言うスタイルでは在ったが周辺の住民はそのデザインと以前の医院時代の名残から「怪獣病院」と呼び続けていた、とは言っても当時軽蔑される様な事は全くなくて地元密着の内科として親しまれていた。


その後1990年代初頭まで鏑木家はこの地に、転居後は別の地でご家族が現在でも別の病院を運営されています。長い廃墟時代を経過して時は流れて2014年、現所有者と成るYさんがこの物件を購入。現在に至る、と言う流れだ。


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紆余曲折あって最終的に住友不動産販売(熱海営業センター)が委託管理を任された時点でこの「龍の砦」はゆっくりとその腐食を進めていった無人に成ってから約20年の月日が経過していたのでは仕方がない事だろう。不動産関係者が「この家を人が住める様に改修するにはもう一つの家が建ってしまう」と証言する程の痛み様、それだけの時間人が離れていたのだから仕方ない。

当時最先端の建築技術を詰め込んだこの嶺崎医院も2014年(調査時)においてはその当時を知るだけの姿をギリギリ保っている様な状態だった、しかし建築史に在ってその価値は知られるところであり、現所有者Yさんの理解もあってこの建造物の保存が決まる。


そう、この怪獣病院こと「嶺崎医院」はまだ終らないのだ。現在改修工事中だが2015年の春の完成を目途にその作業が進められている、そう遠くない時期に改修後の姿を皆さんにお届け出来る事に成るだろう。


と、まずは簡単に所有者と建造物の歴史を辿ってみたのだけれど…どうも複雑でしかも文章下手な所為も拍車掛け、内容を把握出来たか若干心配でもあります。


って、事で次に建築家「渡邉洋治」氏の詳細と当時の「龍の砦」の扱いについて話を進めていくとしましょうか。


写真説明:初期設計図「嶺崎医院」の概観、貯水タンクはまだ描かれていない。


6frogs 廃墟 嶺崎医院 怪獣病院 龍の砦


既に氏の略歴をリンクで記載しているけれど再度。


渡邉洋治 - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%8A%E6%B4%8B%E6%B2%BB


この記載でも解る通り渡邉洋治氏は1958年に自らの建築事務所「渡邉建築事務所」を東京都千代田区に開所している、代表作に「新潟労災病院(1958年)」や「糸魚川善導寺(1961年)」などが並べられているけれどこの「龍の砦(1968年)」もその代表作の一つに数えられている。


しかし「龍の砦」を見る限り、その本流は自らの事務所である「渡邉建築事務所ビル(1962年)」に見て取れるだろう。このビルの造形は紛れも無く「龍の砦」その物で実物を見れば必ず納得頂ける筈だ、2015年現在でも親族が管理している。外壁は諸問題故か塗装されてしまった。


現在の渡邉建築事務所ビル(グーグルマップ2014年04月撮影)
http://goo.gl/maps/nSzvv


一貫したデザインを貫き通した渡邉節はこの時点で開花しており、「龍の砦」にも大きく反映されている。ほんの少しだがオリジナルの設計図をご覧に入れよう。


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その後の氏の動向は皆さんの知る所だ、有名な軍艦マンション(旧第3スカイビル)などの作品(※5)は今でも見る事が出来る。


※5:2011年に渡邉洋治の設計美を全く理解出来ていない形でリノベーションされました、現住マンションですが中身はただの集合住宅に成りました。


日本を代表する建築家「吉阪隆正※6)」氏に師事し、久米建築事務所で腕を磨いた渡邉洋治氏。自らの建築事務所でも師同様に日本の建築史に名を残す作品を数多く残した、1980年に師が亡くなりってから3年後の1983年。日本大学駿河台病院にて死去、享年61年とまだ若かった。当時の訃報は東京文化財研究所の項を参照し、転載する。


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渡辺洋治(没年月日:1983年11月02日)


渡辺建築事務所所長の建築家渡辺洋治は、11月2日午前9時18分、クモ膜下出血のため、東京都千代田区の日大駿河台病院で死去した。享年60。大正13(1924)年6月14日、新潟県直江津市に生れる。昭和16年同県立高田工業学校を卒業し、22年まで日本ステンレス株式会社に勤務、同19年より船舶兵として従軍する。同22年久米建築事務所へ移り、同30年より33年まで早稲田大学理工学部建築学科吉阪(隆正)研究室助手を務め、同33年渡辺建築事務所を開設する。この間同27年、一級建築士の資格を取得。同34年より没年まで早稲田大学講師を務めた。代表作には糸魚川市善導寺をはじめ常識破りの鉄の造形で国際的にも注目された東京新宿の第3スカイビル、龍の砦などがあり、最高裁判所庁舎設計コンペで第2位(優秀賞)、万国博覧会本部ビル設計コンペで第2位、北海道百年記念塔競技設計で佳作を受賞している。「反乱を試みる異色の建築家」と呼ばれた。


出典:日本美術年鑑昭和59年版(318頁)
転載:http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9901.html


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※6:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%98%AA%E9%9A%86%E6%AD%A3


1971年11月発行の「室内」203号に渡邉洋治氏の自説が掲載されていた、これも当時の氏を知り理解する上で貴重な資料と成ると思うので掲載する。


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自説によって「軍艦」への拘りのその後のモチーフとして多用された執着点が垣間見れると思う、幾つか当時の関連誌で渡邉洋治氏のインタビューを散見出来るけれどこの「室内」の自説が一番解り易く、そして面白いと感じた。


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この建築家にしてこの作品あり、そう数々の自出の建築物を表されて来た渡邉洋治氏だけれど「龍の砦」は当時でもやはり建築美とは別の「特異」な表現として脚光を浴びた様だ。現代でも突出した意匠の塊に見える作品群、勿論当時にしてみれば意外性も意外性だったに違いない。

建造物と所有者の歴史、建築家の歴史と辿ってきたが今度はこの建造物が当時どの様な評価を得て世間に公開されたかを少しだけ覗いてみよう。


写真解説:完成間もない頃の嶺崎邸正面、樹木がない所為か随分とその姿が大きく見える。


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業界誌ではその概観ばかりが取り上げられていたが同業者の建築士はやはり屋内の設計に注目していた様でして、その中で上田秋男著のムックで取り上げられた内容を見てみよう。


南山堂から1973年に発刊された建築業界でも珍しい病院の設計に関する本「これからの医院建築」と言うかなりニッチなタイトルが付けられた紙面に「嶺崎医院」として紹介されている(※7)、着目点が”合理性を理解した「見た目だけでない」設計”で在る事を伝える内容と言える。


※7:渡邉洋治建築設計事務所と記載されているが正しくは「渡邉建築事務所」


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近代建築社から1969年に発刊された「近代建築23号(3月号)」では建設後間もない「嶺崎医院」が”反角円派の砦”とのキャプションで掲載されている、この時点で既に「龍の砦」の名称が作品名として付けられていたので編集者独自の視点から付け加えられた副称と思われる。


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構造に関する説明もされているが当時の業界誌ではこの手の検証を数多く行った形跡が見られ、「室内」、「近代建築」、「建築界」などでは度々この「」を解剖する様な特集が組まれていた。


因みにだがこれだけ手の込んだ設計だ、一体どれだけの金額が掛かったのか興味は無いだろうか。近縁者からの聞き取り調査で判明したその価格は、


¥15000000(1968年当時)


消費者物価指数から換算すると現在の5倍以上の金額と成ります。つまり現代においては「¥7500万~¥8000万」と言う事に…そりゃアレだけの建造物が建つ訳です。ただ金銭の時代別による換算方法は幾つか基準が在りまして、元の指数算出を経済成長率初任給換算で行うと別の金額が見えてきます。まあ参考程度に、と言う事で。


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最後に現所有者のYさんと2代目所有者「鏑木」家と親しかった地元の方との対談風景を少しだけ書こう、Yさんは2014年7月の購入後に自らの手で保存に向けた改修工事を行っている。取材の時点(2014年9月下旬)で薮は掃われ、水道電気は通るまでに成っていた。

概観だけでなく、この「龍の砦」の歴史的魅力にスッカリと取り込まれ独自の調査も行われている。保存が決まっただけで今後の運営方針はまだ未定だがきっと日本の建築業界にとっては貴重な財産と成る事だろう。


そんな独自の調査の中で現地の聞き取りから”鏑木家時代に親しかった方が直ぐ近くに住まわれている”との情報を得て撮影後に向う、これがその時の一幕だ。


内容は検証が済んでいないので対談内容は何れ近い内に追加エントリーで掲載したいと思う、掘り返せばまだまだ新しい事実が出て来そうな期待を擁する不思議な廃墟だった「怪獣病院」。今は既に廃墟では無くなったが概観や設計理念に魅入られた人々にとってはまだまだ追求する事象が多い事だろう。


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嶺崎医院には一台のカメラが残されていた、「コニカオートS※8)」だ。カメラを元の持ち主で在った鏑木氏は当時何を思って残していったのだろうか。


沢山の物語を秘めていた「嶺崎医院」の最後の住人を家族の下へ、実現出来ればその時こそ全ての”歴史”が引き継がれた事に成るなぁと思いながら今回のレポートを終えるとしよう。


分割エントリーで長い上にテキストリッチ、いやぁ最後までお付き合い頂いて有難う御座いました。新しい情報などは既述の通り追加エントリーでアナウンス予定です、それではまた。


※8:コニカの高級写真レンズに用いられた名称、オートSはF1.9と大変明るいレンズだった。


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現在この怪獣病院(嶺崎医院)保存の為の改修工事を行っております、保存プロジェクトでは今後の継続的な維持と円滑な保存の為に様々な広報や実質活動を予定しています。詳細は是非「嶺崎医院¦保存プロジェクト」の公式ウェブサイトよりご確認下さい。


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※ 不法侵入が頻発した為に敷地内警備を強化致しました、無許可の撮影や進入はご遠慮下さい。
※ 取材(報道及び大学関係者)・撮影の申請などは今後公開予定のプロジェクトサイトをご覧下さい。


協力

現所有者様
嶺崎家近縁者様一同
一般社団法人日本建築学会
静岡県伊東市
株式会社近代建築社



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長きに渡って調査してきた嶺崎医院、実は今回をもって最期の報告としたい。多方面から取材や見学の依頼が来るもののその準備が整わず、また一般住宅と成った現在ではその調整も厳しい現状で一先ずはレポートを完了させようと結論付けた。


今回の内容も半年以上前に判明していた事だが追記としてご紹介したいと思う、結構驚きの事実だったりします。


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これ、何だか解ります?実は第2回目のレポートでも取り上げた草刈の後から顔出した庭の池のポンプなのです、何故ポンプかと言いますと。


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この池、ただの池では無くて小さいながらも噴水が設置して在ったのです。一般住宅に噴水ですか、しかも1960年代に…ハイカラさんですね洋治先生。


本当に拘りぬいた設計ですよ、当時出来る技術とアイディアを注ぎ込んで完璧に近い作品を残したかったのでしょう。


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当然の事ながら配水パイプ(圧縮パイプ)を追いかけて行くと庭の池へ伸びています、当然の事ながら整備をすれば…


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この通りです。


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しかし驚くのはコレでは在りません、決定的な事実と衝撃の画像をお見せしましょう。そしてこの資料的価値の大きい1枚の写真でこの建造物の歴史が確定します。


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次代の所有者であった鏑木氏の名前が刻まれた入口脇の銘板、そこには確かに「鏑木 1968」と見てとれました。これが歴史検証に大きな誤解を生む要因だったのですが石垣と埋め困れたコンクリートの状態がどうにも時代的な相違を思わせまして…現所有者さんがやってくれました、やはりそうだったのか…。


1978年に次代所有者と成った鏑木氏、しかし銘板には「1968」の文字。実は建造年を重要視した鏑木氏が自分の名前と建造された1968年の文字を併記した事で色々な思惑が飛び交ったのです。この写真によって建造年は間違いなく1968年、スッキリと確定です。


元々は嶺崎氏が銘板を埋め込んだ事で歴史検証するまでも無く公表されていたのですが鏑木氏の2世代目の銘板と嶺崎氏への思い入れがこの様な事態を生成した様です、元の銘板には


「嶺崎医院 1968」


としっかりと刻まれていました。


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ただの廃墟探訪から日本建築学会や所有者家族、そして現所有者と周囲の住民を巻き込んだ一大歴史発掘プロジェクトは終焉を迎えました。時代の時系列、そして所有者の確認。その全てが1本の道筋で繋がった事で気持ち良くこのレポートも終える事が出来そうです。


え?


修復した現在の嶺崎医院はどうなったかって?まあ、それ含めて何れご報告出来れば…と考えていますがあくまで廃墟は終焉を迎えて現在は一般住宅です。出来ればそっとして頂いてどうしても知りたいって方はこのブログでのご報告をお待ち頂く…って事でどうにか納得して頂ければ。


それでは数年に渡る調査レポート、ここに完結です。


アプローチ
国道135号線から県道108号線を伊東線宇佐美駅方面へ。そこから私道を2本経由して川を越えた住宅地に在ります。


地図リンク
http://goo.gl/maps/Wx1I2


photograph - koichiro(FUJIOKAPIX)/ 6FROGS DESIGN WORKS


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