千葉県│国立療養所晴嵐荘病院
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 国立療養所晴嵐荘病院(独立行政法人国立病院機構茨城東病院/財団法人村松晴嵐荘/晴嵐荘看護学校)
この廃病院を知ったのは随分と前、廃墟を撮影対象にしてから直ぐの事だった。茨城県に大規模かつ見応えのある病院の廃虚群が残っている、そんな話を出入している出版社の方から聞いた事が切っ掛けだった。
今思えばその時に「関係者伝に聞いた話だともう直ぐ解体作業が始まるらしいよ」とのアドバイスをして頂いた記憶も薄っすら在る様な無い様な、そしてそれから数年後。別物件も引っ提げて茨城県の廃墟を数物件取材訪問した際にこの廃病院の廃墟群へも赴いた。
しかし…。
残念な事にその廃墟群のメインと成る看護学校棟の解体作業真っ最中(※1)、折角来たのだからと広い敷地内に残る数多くの廃墟を見て回った。メイン物件が見れなかったのは残念だけどそれでも噂通りの見応えで迎えてくれた今回の物件、
国立療養所晴嵐荘病院
この廃病院と関連廃墟群についてのレポートをエントリーしたいと思う、調べると何かと話題に事欠かない物件だったけれど簡単にまとめてみたので是非ご覧頂きたい。
K療養所S荘とか看護学校の廃虚とか色々と別称は在るけれど関連出版物まで世に出ている事、解体作業が始まった事を考慮して正式名称でのご紹介としよう。
※1:解体中の建造物内部の撮影は許可が下りませんでした
取材の舞台と成るのはこの広大な敷地だ、現在は独立行政法人国立病院機構茨城東病院として運営されている余剰敷地(過去の院内敷地)に廃虚群が残る。場所は1999年に日本を騒がせた茨城県東海村、今でも「東海村JCO臨界事故」が記憶に新しい筈だ。
東海村 - ウィキペディア
https://goo.gl/Wx2iye
それと此方もリンクしておこう。
東海村JCO臨界事故 - ウィキペディア
https://goo.gl/WlHbw0
それでは地図を見て頂こうか、現在鬱蒼と広がる余剰敷地に残る廃墟群はこの様な位置関係で風化の一途を辿っている。全敷地の4分の3を占めるこの廃墟群が残る部分をさて、どう回ろうか。
航空写真から地図に切り替えて説明していこう、位置関係はこの様に成っている。メイン物件は敷地内最上部の「看護学校校舎跡」だ、期待ワキワキで向ったが数十分後に驚愕の事実を知る事に成る。
それでは少しづつ敷地内の物件を見ていこう。
管理棟及び宿直棟
入口は今回のエントリー最初の写真、概観からして既に倒壊しそうだが中に入ると成る程、既にこの有様だった。以前この廃墟群にて撮影を行った出版関係の方から話を聞き、写真を比べるとある時期を境に急激な崩壊倒壊が見て取れた。
お気付きだと思うが2011年3月に襲った大震災「東日本大震災大地震」だ、この地震によってどうにか建物として現存していた物件の内の数棟が甚大な被害を被った様だ(※2)。
※2:震災以降は新聞社などの大手メディア以外の撮影許可は殆ど降りない様です
この建物は元々この様な倒壊具合だったが地震の影響で更にその進行が早められたみたい、以前の写真と比べると所々崩壊が進んでいる。
この連続棟は管理棟と宿直棟を兼ねていて写真正面が宿直室、裏側が管理棟と資料倉庫を兼ねていた。何故か農耕機具まで収納されている、旧字体の資料もチラホラ。
※ 大切な資料は新しい病院の建設時に持ち出されたと聞きましたが意外と色々な使用が残っていました
先ほどの場所を別角度から、向って左側が宿直室。廃屋内には新しい足跡が数種類見受けられたので随分と招かざる訪問者が居るのだと解る。
資料保管倉庫、今と成っては何をどの様に保管していたかも解らない。が、驚く事に2005年以降の廃棄物が幾つか残されていた。最近だと2010年の家電だ、関係者なのか不法投棄なのか、不法投棄だとしてもココまで持って来たとは流石に思えない。
※ 国道245号線側の樹林地帯には監視カメラも設置されています
標語板が今も残っていた、この様な物は解体時に是非歴史資料として保管して欲しいものだ。地元のNPO団体にも確認を取ったけれど資料性の高い残留物を残そうとする動きも以前は在った様だ、しかし病院側に断られたとお聞きしました。
管理棟入口、此方は幾分見れる状態で残っていた。建造が1935年なので今から77年前(2012年現在)と成る、そしていよいよ解体の足音が近付いて来た。
それでは道路を挟んだ機械室が残る機材倉庫へ向うとしよう。
資材倉庫及び備品倉庫
管理棟眼前の道路を挟んで少々のブッシュを漕ぐと右側に資材倉庫が見える、機材倉庫の前に少々寄るとしようか。
この棟は比較的完全な状態で残っている、手前には体重計。
資材倉庫は横長に外部屋1、内部屋5の合計6部屋から成る。それぞれ特に分別された様子の無い看護学校関係の資材や教材、学校家具が残されている。また旧学生宿舎から新しい学生宿舎に移行する際に不要に成った物が残されている。
特に見る物も無いのでお隣の機材倉庫へ移ろう。
機械室及び機材倉庫
この機材倉庫は敷地内の建造物の中でも初期に建設された物だ、殆どの木造建造物が1935年に建てられているがここは建設段階で初期建設されたと聞く。確かに機械関係の建造物を最初に立てるのは理に適ってはいる、しかし概観は廃校だなこりゃ。
ここで有名だけれど少し面白い話をしよう、いや皆さんご存知だとは思いますが。この国立病院機構茨城東病院、以前は国立療養所晴嵐荘病院として運営されていた。その時代、もう少し的を絞って1970年代後半~1990年。ある人物がこの病院に勤めていた、その人物の名は「林 郁夫」。父親が医師、母親が薬剤師の開業医の家に生まれ、慶應義塾大学医学部を卒業後に自らも医師と成ったエリート。ホーリーネームはボーディサットヴァ・クリシュナナンダ、そう…彼は元オウム真理教幹部であり、地下鉄サリン事件の実行犯の1人。
そして4人の実行犯で在りながらただ1人死刑を免れた人物でもある、その彼がこの病院に長い間(一時退職期間アリ)勤めていた事でも有名だ。リンクを貼っておこう。
林郁夫 - ウィキペディア
https://goo.gl/V8YcUi
地下鉄サリン事件 - ウィキペディア
https://goo.gl/KAl4MN
機材倉庫と言っても当時の機材が残っている事はなく、その後別倉庫と使用されてしまった為に現在残るのは1970年代後半~1983年までの比較的新しい物ばかりだ。
と言っても1983年だ、既に30年前と言う事に成るのか。
この棟も解体を待たずに倒壊しそうな勢いだ、やはり地震の影響も大きいのだろう。ささっと撮影して2本の煙突が目印と成るお隣の機械室へ移る。しかし此方は建物の半分が倒壊し、また見る物も少なかったので資料写真を数枚撮影して外へ。
そしてココから旧学生宿舎を通り過ぎて学生宿舎とメイン物件の看護学校へと目を向ける、が。暫く考えて理解した、あのグチャグチャに解体された木片達が数ヶ月前まで茨城県内最大かつ魅力溢れる廃病院(看護学校)跡の廃墟で在った事を。
それでもと思い、工事の邪魔に成らない様に休憩時間まで待たせて頂いて資料写真を数枚。どうやら解体作業の真っ最中(※3)らしく、解体機器も傍らに置かれていた。ああ、遅かったんだ。愕然としてプリントアウトして来た敷地内のマップと資料に目を向ける、残るは旧診療棟だけか…。
少々離れているが最後に見て帰ろうと診療棟へ向った。
※3:実際に重機で解体作業が行われていました、と言うか関係者が敷地内に沢山います。
診察診療棟
敷地内を大きく横断してやって来たのは廃墟群最後の棟、診察診療棟。崩壊具合が結構な物でして、中は真っ暗だし特に撮影する物も無い…でも折角なので。診察棟の中もご覧通り、床は抜け落ちただの倉庫と化していた。廃病院としての美しさは既に失われていた。雰囲気は岐阜県の廃病院の雄「洲原村診療所」と若干似ていたけどコッチはもう廃美成分が薄くなり過ぎて撮影意欲は低下気味に。
裏手もご覧の感じで倒壊していた、約1時間程の短い撮影時間(本来は看護学校でもう1時間撮影する筈だった)でこの廃墟群を後にした。遅過ぎた訪問の後悔がジワジワ、だけれどもチラホラと見え隠れした廃墟美に無理矢理自分を納得して次の物件に向ったのでした。
最後にこの病院の現在のウィキペディア情報を引用転載してエントリーを終えるとしよう。
独立行政法人国立病院機構茨城東病院
独立行政法人国立病院機構茨城東病院(いばらきひがしびょういん)は、茨城県那珂郡東海村にある医療機関。独立行政法人国立病院機構が運営する病院である。旧国立療養所晴嵐荘病院。政策医療分野における循環器病、呼吸器疾患(結核を含む)、重症心身障害の専門医療施設である。地域医療支援病院の承認を受ける。
1935年 - 除役結核軍人療養施設、財団法人村松晴嵐荘として創設
1937年 - 国立結核療養所官制公布により内務省移管
1938年 - 厚生省移管
1942年 - 傷痍軍人療養所村松晴嵐荘となる
1945年 - 国立療養所村松晴嵐荘となる
1976年 - 国立療養所晴嵐荘病院と改称
2001年 - 厚生労働省移管
2004年 - 独立行政法人化により国立病院機構茨城東病院となる
2007年 - 地域医療支援病院の承認を受ける。
独立行政法人国立病院機構茨城東病院 - ウィキペディア
https://goo.gl/H1FAEs
独立行政法人国立病院機構茨城東病院
http://www.hosp.go.jp/~ibaraki/
関連書籍
晴嵐荘看護学校48年のあゆみ - amazon
http://goo.gl/EMd1jN
晴嵐荘看護学校48年のあゆみ - 国立国会図書館
http://goo.gl/dkvlLn
アプローチ
茨城県那珂郡東海村、国道245号線沿いの原子力機構前交差点手前。茨城東病院の公式サイト内のアクセスマップでも参照出来る、現在廃墟群解体作業につき訪問時は注意。
地図リンク
https://goo.gl/maps/A2VwHoVNRiG2
写真撮影:6Frogs Design Works
ここから下はブログ内容と一切関係ないブログサービスの広告スペースです、誤ったクリックなどにご注意下さい