千葉県│七ッ釜渓谷 梨沢不動滝 再訪
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 七ッ釜渓谷(梨沢 七ッ釜渓谷/梨沢不動滝/大滝/天神山不動滝)
良い目覚めは心穏やかで爽やかな音楽と共に。
右の耳にはテスタメントの「First Strike Is Deadly」、左の耳にはインぺリテリの「The Future Is Black」、トドメにお尻の穴にはペンデュラムの「Self Vs Self」でお腹のビフィズス菌もすっかりハッピーに。うーん、マッシュアッパーモーニン(そんな英単語はない)っ。
おはようございます、「行ってみた」のお時間ですよ。
毎年の恒例行事として「行ってみた」では房総の梨沢へ赴きます、この場所はその年に加入したメンバーの新人研修の場としても活用させて頂いていて房総では稀な素晴らしい景観を残す自然溢れる地域。シーズン到来で折角の陽気…ですがワタクシの現状はオロローンな感じでして。
この様な事態により、予てより進めていた「岩塔ヶ原」とGW恒例の「霧降の滝/岩屋不動(※1)」の調査が停滞してしまいまして。本当に申し訳ない想いで御座いますです、病状は固定して保存治療+リハビリへ移行してるので今後は後発に任せて極力指導の方へ力を入れようと考えて
ねぇです、やります。
※1:史跡調査で両岸の内左岸の石像は発見(先に地元調査隊が発見しています)、現在は2年掛けて右岸を調査中です。
正直なところ左上腕と指2本は以前の様に動かんけどどうにかなるっしょ、たぶん。
さて、まずは今迄の梨沢に関するエントリーを。
今年で5年目、流石に余裕を持って歩けます。ただ気に成るのは2014年の豪雪と2015年の連続台風で途中大きく崩落した滝までのアプローチ数か所。有志による倒木の解体や七ツ釜の掘り起し作業のお蔭で少しづつではあるけれど以前の梨沢の姿を取り戻しつつある様です。
で、今回。
新人のメニュー構成は去年と大体同じで、
・基本的なワープワークの講習(※2)
・倍力システムの理解と実践(これは時間がなくて出来ませんでした)
・シャワークライムの基礎知識
・20メートル以上のラペリング
※2:安全確保に必要な最重要ロープの使用方法とセルフビレイの実演
大切なこの4点。重点的に新人に覚えて貰うのはこの位、次に付加要素として期待出来るのは2012年以降雨量が少ない時期にしか来訪してない所為か全くシャワークライムの実演を新人メンバーに見せる事が出来なかった点。しかし今年は違う、昨夜まで結構ガッツリと雨が降っておりましてねぇ。
梨沢不動滝の本当の姿とシャワークライムの楽しさも是非知って欲しい、どうせ半年もすれば100メートル近い滝に挑戦して貰うんだ、ふひ。
それと滝上部左岸で昨年発見した「捨て炭」に関しては行政(富津市教育委員会生涯学習課/環境保全課)さんの協力を得て資料を提供して頂き、その資料を元に現地調査した内容も一緒にご紹介したいと思う。
※ 今回は富津市のみならず地元商工会や相川地区・梨沢地区にお住まいの住民の方への聞き取り内容も反映した内容と成ります、以前「エコー牧場」でお世話に成ったSさんやKさんも有難う御座いました。おまた、お茶飲みに行きます(子供の相手はもう勘弁して下さい…元気すぎ)。
それではレポート開始としましょうか。
入渓して直ぐに解る、今年は水位が高い。
沢歩きのちょっとしたスパイスに成る話をしながら歩を進めて貰います、水位の高い低いの見極めを周囲の状況から判断する方法やガレの種類、砂利の大きさで沢の総長とどの位の位置にいるか、河童の頭の皿は濱田庄司(※3)が手掛けていると言う以外な事実などだ。
うーん、きゅうかんばー!
※3:日本を代表する人間国宝の陶芸家、他の陶芸家にも多大な影響を与えたが今回のレポートと一切関係はない。
滝までのアプローチ中間地点に到着、此処までユックリ歩いて20分位。うん、今年も綺麗ですわ。
暖冬だった所為もあるのか水位が高い事も相俟って普段より魚影が多い、この辺には小ぶりのアユやウグイが泳いでいて手掴み(追込み漁)で捕まえる事も出来る。
傾向として滝より下流はアユ、上流はウグイが多い。味は勿論アユの方が上だけど上流のウグイは丸々と太っていて食い応えもそこそこ、沢歩きの醍醐味の一つとして山菜や果実を採取してその場で食べる事が挙げられるのだけれど魚も処理と調理法を知っていれば更に楽しい。
小魚に限ればその処理方法は簡単で、
① エラ処理して肛門から切れ込みを顎下まで入れる
② 内臓を取り出して背骨付近の血合いを取り除く
③ 表皮を軽くナイフの刃を立てて滑り取り(本当は最初に塩で処理するけれど自然の中なので)
④ 川で洗っていざ調理
って流れでお昼ごはんもアリです。大自然のクックも慣れ次第では色々と捗る場面が出てきます、ペンロッドさえ要らない原始漁もたまには楽しいものです。
※ 魚では余り留意しませんが山菜や果実には非常に似通った姿で毒性の高い種類も多数存在します、不慣れな方は手を出さずに持参した食料と飲料を利用して下さい。
photograph:U川
今年の新人さん1号W見さん、去年新人だったU川君は指導する立場に成りました。
因みにこのポイントのちょっと手前でU川君が化石だ化石だ騒いで石を見せてきました、うん…そう見えなくも無いけれどキッパリ「違うよ」と言うとションボリ。教えるの忘れてたけどそれは「はみあと(食み跡)」って言うんだ、アユなどが石に付着した藻(珪藻類)を食べた後に出来る跡なんよ。
見ようによっちゃ化石に見えん事もないけんどなぁ、海外放浪中のメンバーK田君が帰国したら一緒に釣りやろう。
※ K田君は元テレビマンさんで釣りの番組を担当していました
あっち剥いて(向いて)4ねぇぇええの掛け声と共にデュエル(講習)開始。
流れも緩やか、水位も股下、そして適度なガレ。そんなレクチャーポイントにはウッテツケのこの場所で簡単なムーブを覚えて貰います、如何に体重を別の角度に拡散して楽にクリアするか(サイドプルやバイトポイントのアンダーなども結構重要です)、3点支持による安定性はどの様なものかなどを中心に予想されるトラブルも説明。
今後は指を痛めた場合や腕、脚など部分的なダメージを負った場合の身体に動かし方や道具での補助、セルフレスキュー(緊急簡易治療)などの知識も得て頂きましょう。冬山に参加して貰う様に成ったら更に厳しい訓練が待ってますよー、んだどもその前に夏場の野営ですかねぇ。
photograph:U川
何度か繰り返してパーミングや身体全体を預ける事の意味やズリ上がりの動きも簡易説明、こうして少しづつ自然との対話を覚えて貰います。
photograph:U川
動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、動画の手振れ酔いにはお気をつけてご覧下さい。
ここも埋没の恐れがある場所、2012年までは水流も水位も高くて遊べるガレポイントでしたが近年ではスッカリと流木倒木&土砂でダム化してしまいました。
この梨沢を元の姿に戻そうとしている有志(NPO)が数団体あるそうですがどの団体が実質作業を行っているのかは行政も把握していません、ご存知の方は是非お知らせ下さい。
※:近年の作業は「行ってみた」が把握している団体とは別の様です。
梨沢の絶景ポイントがココ、ゴルジュ帯~梨沢大滝(梨沢不動滝)が連なるこの場面が何とも素敵でして。やはり今回はこのゴルジュ帯も水位が高い…うん、こりゃつまり「滝」が見れるってこった。
うっひゃー、やttぐぇほげほ…うう(喜んで大きな声出そうとしたらゑづいた)
お久し振りです、思えば4年振りのジャバジャバな不動滝さん。これを見たかったしウチのメンバーに見せたかったんでげほぇ…げふぉ。
この大自然のマイナスイオンはアタシの肺には負担が大きい…やはり水と油は相容れないと言う事か…心の汚いおっさんは来るなと言う事なのか、ここに来て気管支炎トーマスとは…(これが言いたかった)。
photograph:U川
動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、動画の手振れ酔いにはお気をつけてご覧下さい。
動画でも確認出来ると思うけれど結構な水量で嬉しい限り、去年のチョロチョロ滝を体験しているU川君は興奮してカメラで黙々と撮影中でした。
ただこの位の流れなら身体を浮かせて殆ど濡れずに登る事も可能、時間も数秒だ。それが意識せずに出来る様になればムーズのルートも増えるし判断する時間も増える事に成る。結果、更に難しい場所での安心感や手足の負担の軽減に繋がるのです。
photograph:U川
リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロールでグリグリして下さい。モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます、通常モードでグリグリ、360°ビュー(一眼/二眼)でなら更にうひゃひゃな感じです。VRガジェットで立体視も面白いですよ、ハコスコさんとか安いので是非お試しを。
※ 疑似HDRと着色補正をしています
それでは肝心のロープワークレクチャー開始です、これ覚えんと死ぬんやで。
「行ってみた」では極力ガチャガチャ(登攀器具)を使用しない軽量化したスタイルで山に入ります、と言ってもメインロープの他にもラダーやワークベンチなどの装備が増えると結構な重さに成ります。そこでクライムギアを除外してロープワークで出来る限りラぺリングと自力登攀(垂直単独登攀と自力脱出用の空中登攀)、様々なセルフビレイ方法とセーフティに関する知識を覚えて貰っています。
※ 自力登攀にはボディハーネス(簡易的にナイロンスリング+ヌンチャクで構築する事も)でボディ+チェストでマッシャー確保、フットテープ側でもう1ヶ所マッシャー確保で登り返しを覚えて頂いています。エイト環やATCを利用した+ガルダーヒッチの登攀技術は今後取り入れていく方針ですが最終的にはクライムギアに収束させる予定です。
どうしても一度に覚えるのは難しく、何度かの現地実施と反芻練習、そして低い場所(20メートル以下)での実技研修をしてから危険な場所へお誘いします。ガチャガチャは故障や落下、そして何より重量増加が懸念材料でして、なので最初の内はロープワークのみで出来る範囲を全てマスターして頂く方針を取っています。
古い考えですがこれらの知識が有ってこそのクライムギアかなぁと、マッシャー用の細ロープとフットテープ、ヌンチャクが2本有ればまずは脱出が可能な場面が実に多いのです。降りたら登る、登ったら降りる…この2つがどれだけ技術的に熟成しているのか、安全面は疎かに出来ません。
※ 「行ってみた」ではプルージック否定派です
一通り低地講習が終了したら次は実技です、アプローチの斜面10メートル+際場5メートル+ハング壁15メートルの複合壁面をセルフビレイとセーフティを駆使して降下作業に落とし込んでいきます。慣れると50メートル以下の壁は低く感じますが新人さんにはたった20メートルそこそこの壁面がとても高く感じる筈です、今後は日常で体験出来ない解放感を味わって泥沼にハマって頂くとしましょうか。
※ 左側下方に見えるのが梨沢不動滝、真下は滝壺です。
しかしたった1日でここまでの行程を実施したのは実はウチのメンバーでは初めての事、いつもは別途講習を2回位経て現地実技へ…と言う流れですがワタクシが麻痺の病気でポンコツ化したのでレクチャー時間が限られてしまいまして。
動画はモバイルやウェアブルなどの機材を組み合わせて色々と試行錯誤中です、動画の手振れ酔いにはお気をつけてご覧下さい。
全員で降下して再度滝を登ります、これを数回繰り返してラぺリングとその時に必要な安全確保作業、そしてシャワークライムでのムーブ(水飛沫で壁面が見えない場合の身体の動かし方とバイト+ステップの確保)をシッカリと覚えて貰いました。
何れ相棒(サブリーダー)さんにボルダリングで辛い扱きに合う事でしょう。
例年通りの美しさ、そして多様な地形のお蔭で十二分に楽しめた房総半島の梨沢。個人的には流石にもう良いかなぁって気がしてきています、今後は後発のメンバーさんが独自に他のメンバーと交流+講習する場として、そして野営の練習場として来訪して貰えればと考えています。
それでは昨年からの疑問点だった「捨て炭」に関して、ジックリとはいきませんが歴史を紐解いてみましょうか。
・山中で発見した捨て炭は本当に「炭」なのか
2015年にたまたま発見した梨沢不動滝の上流左岸の黒い物体、現地で触ったりする限りどう見ても「炭」である事に間違いはない。ならば何故こんな山奥に「炭」が残されているのか、
・登山者が焚火をした跡
・野営者が此処で幕営した時の名残
・山火事の跡
などが先ずは頭を過る。が、この短い沢として初心者にも愛されている梨沢で焚火を必要とする登山者や野営者が居るかは疑問が残る。山火事に関しても限定的な場所に散見する炭の他には見当たらない、って事は房総では各所小規模で行われていた製炭産業の名残であると結論付けるのが最も正解に近いのではないか。
写真説明:昨年発見した梨沢不動滝上部左岸の捨て炭
そうは思ってみてもやはり色々と疑問は残る、まずは製炭の窯場として何故こんな不便な場所を選出したのかと言う事。ここで製炭したと言う事は「炭」を市場に出す為に町まで運ばなければ成らない、似た様な樹木が原生する梨沢においてこの滝上部を選ぶ理由が思い当たらないのだ。
って事で行政さんにお伺いを立てる事にしました、スッカリと富津市さんには馴染みに成ってきておりますが今回協力頂いたのは富津市教育委員会生涯学習課さんと環境保全課さんです。特に生涯学習課のHさんには資料の提供などもして頂いて本当に感謝しております、それではその資料なども織り交ぜてこの梨沢地区の山岳産業などの歴史をご紹介しましょう。
・旧梨沢村地区における製炭産業
江戸時代、全国的に林業は盛んで建築用材や薪炭(製炭)産業は房総半島の低い山々でも勿論行われていた。森林伐採を規制する「御留山(※4)」の指定はこの地区には無かった事で山岳産業自体は比較的自由に行われていた様だ、この辺に関しては行政が保管している「富津市史」に詳しく記載されているが今回は割愛する。
※4:江戸時代、各地の森林管理が幕藩領主に任されており「保護林」や「占有林」の広用汎称として「御林(他にも幾つか呼称名がある)」と言う代名詞が使用されていた。御林は幕府の直轄林で諸国御林帳に登録された保護林の事を指すが藩の資源保護制度として伐採を規制した地域を「御留山」と呼び、産業林としての伐採を禁止・規制した。
旧梨沢村(現在の梨沢地区)では農業と共に特に製炭業が盛んであったと記録に残されています、この記録は梨沢地区の鳥海家文書(※5)や金谷地区の鈴木家文書(※6)にもそれぞれ記載されており、特産物としても有名だったともあります。
※5:鳥海家文書は梨沢地区に居館があった鳥海家が残した古文書、文化年間に改姓するまでは吉原性でこの地の豪族。元は戦国時代に「峰上城の尾崎曲輪二十二人衆」として名を連ねた吉原玄蕃助に連なる家系で「千葉県史料」の中世編諸家文書にもその記載を見る事が出来る。
因みにその居は梨沢公民館の向かいの台地で現在でも土塁が残されている、また公民館の敷地内にも関連する石碑が建てられている。
因みにこの古文書は袂を分かれた相続者(東京都大田区)から1986年に里見氏関係文書(館山市有形文化財)として館山市立博物館に寄贈され、現在も収蔵されています。
※6:鈴木家文書は金谷地区に今でも第16代目(現当主)として残る鈴木家に残されている古文書、元々は石材業者(金谷石や房州石として知られる国内でも有名な石を取り扱う)として既に広く知られる家柄だった鈴木家には周辺地域の歴史を記した古い記録が残されていてこれを鈴木家文書と呼ぶ。
鈴木家の居は現在、国の登録文化財と成っていてその歴史の長さも伺える。
請取証文等も残されていてその確証性は非常に高い、つまりこの梨沢地区では特産となる程の製炭が産業として成り立ち、その記録も史実としてシッカリと残っていると言う訳だ。この梨沢を含む天神地区には「かじ」や「かじや」と言った屋号が今でも残っていて(勿論運営はされていない)鍛冶業も行われていた事が判明、成程…鍛冶炭の原料としても使われていたのか。
炭薪生産と共に鍛冶業も行われていた事の証明として梨沢地区より東の峯上地区では1706年(宝永3年)に鍛冶炭の原料について訴訟が在ったと古い記録も出てきています(行政資料から)。
当時のこの地域における製炭を記した別の資料には「富津南部の木炭は品質も良い」との記載が残されていて遠方にも運ばれたそう、ただの製炭に留まらず鍛冶炭の原料としても使用される位に人気があった梨沢の特産炭。
するとあの窯場からどの様に運んで各方面に物流して行ったのだろうか。
・梨沢の窯場は無数に存在した
先程説明した通り、梨沢の豪族であった鳥海家。なんとその鳥海家の周囲(特に梨沢公民館の敷地内)には現在でも解る窯場跡が残されていると言う、これは富津市の教育委員会から齎された情報で現地で確認は出来なかったが記録としてそう記載されている様だ。
その後の現地の方への聞き取りでは確かに「昔は窯場跡らしき物があった」との証言を得る事が出来たが…うん、ちょっと現実味が有り過ぎて夢が無いけどその後は、
・何の穴か解らず埋めた
・ゴミを燃やす為に今も使っている
・整地してプレハブを建てた
など…、まあそうなりますよね。ええ。因みに金谷との関係性も教えて頂きまして、殆どの窯は現地の石で造られた様だけど一部の窯は金谷石が使われていたらしいとの発言も。ただ確証は得られないしその窯がどれでその石を調べる事も出来なかったので一証言として記載しておくに留めておこう。
写真説明:崩落してしまった山中の製炭用窯場
場所を戻して梨沢不動滝上部の左岸、元々は滝壺左岸の絶壁を降下したくてそのルートを探している最中に見つけたのがキッカケ。
そしてその行動はもう一つの発見を僕らに与えてくれた。
そう、それは山中に廻った獣道だ。左岸平地からピークへ上り詰める道や崖上を舐める様に続く薄い踏み跡、恐らくは何十年も人が通った事がないと思われる残路を複数発見出来た。そうか、これなら解る。GPSで確認するとこの道の先には鋸山の作業道を経て金谷港に向かっている、そして対岸には相川地区へ向かう山中の道も薄っすらと見て取れる。
つまり。
産業として山中から少しづつ居住区に窯の位置は移動して行った、しかし物流路とし滝の上から運んだ方が早い山中の窯場にもそれなりの需要があった…そして開発が活発化した居住区の窯場は姿を消し、人が往来しないこの場所(他にも山中には数か所あります)に窯場が残ったと。
そしてその予想を証明するかの様に房総の製炭に関する資料の一節を発見した、そこには意訳するとこう書かれている。
「梨沢地区の製炭産業は一般利用と公利用とに分別されており、その製炭場所も分かれていた」
この文面には更に幾つかの要素が付随するのだけど最盛期にはこの様に分製される様に窯が設けられ、衰退と共に居住区へ数を減らしながら移動して行った様だ。山中と居住区のどちらが公用かは判明しなかったけどより精密な管理はやはり居住区の方だったと予想される、こればかり思いを馳せるしか他にないけれど。
写真説明:明らかに金谷石ではなく、周囲の岩から切り出した物だった。
写真説明:窯場の土台として石垣が積まれている
美しい風景に誘われて初めて来訪したのが2012年、それからは新人研修の場として毎年遡行する様に成って去年(2015年)には捨て炭を見付けて。小さな疑問だけれど行政さんは一緒に成って市歴を漁ってくれました、お蔭で知る事の無かった沢山の地域民俗学における歴史を辿る事が出来ました、これ…ホントに嬉しい事です。
歩いて気持ちよく、知って楽しい。
そんな場所が全国にきっと沢山在る、とは思うけれど。大好きな房総半島の沢でこんな調査欲を掻き立てられる要素に出会う事が出来るなんて思ってもみなかった、いやぁ山歩きは本当に面白いです。
って事で今回は終了です、この周辺地区に関してはもう調べる事は無いかもだけれど新しい史実が解ったら追加エントリーとしてご紹介したいと思います。
今回のレポート製作でご協力頂きました、本当に有難う御座いました。
・富津市教育委員会生涯学習課(担当Hさん)
・富津市環境保全課
・梨沢地区の住民の方々
※ 諸事情を考慮して実名は伏せて記載しました
アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
写真撮影:6Frogs Design Works
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