岡山県│竜山鉱山
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 竜山鉱山(宇都宮鉱業所/昭和鉱業/亀山鉱山/神目鉱山)
岡山県の山中に今も残る鉱山跡が良く知られている、廃墟好きの方などは随分と以前からこの鉱山跡に来訪している様でウェブ上には検索すると実に沢山のレポートが散見出来た。折角近くまで来たのだから少々覗いて行こうとやって来たのは有名物件とされる「竜山鉱山」、しかし腑に落ちないのは皆さんがレポート中に必ず注釈する「この鉱山の歴史は詳細不明」の文字。
ふむ。
現代において名称や場所が判明しており、これだけ大規模な鉱山跡の詳細が不明な道理は無い。って事で何時も通りですが色々と調査してみました、行政協力(※1)の下で聞き取り調査(※2)も行った竜山鉱山の歴史を少しづつ紐解いていきましょうか。
※1:最後尾に協力一覧にて記載してあります
※2:個別の聞き取り内容の記載は掲載しておりません
この鉱山に興味を持ったのは冒頭の通り、あちらこちらで眼にする「この鉱山の歴史は詳細不明」と言う言葉。絶対にそんな事はないのです、近代日本において産業史に名の残らない小規模な採石現場なら兎も角。それは現地に立っても同じ思いと成ります、いやだって
「これだけデカけりゃ資料は必ず残ってるだろ」
と。いや、まずは現地調査と簡単な地形の把握。そして残留物からヒントになる物をメモして机上調査に繋げるとしよう、が…。
アブ多いな、怒ちくしょう。
まずはこの竜山鉱山の簡易マップを見てもらおう、鉱山発見初期の鉱山口は流石に記録に無かったが周囲殆どの山々から採石は行っていた事が解っている。最後尾に補足説明するがこの付近には3つの鉱山が連なっており、昭和中期まではそれぞれが稼動していた様だ。
写真は稼動が既に中止している1974年(05月)の航空写真、この時点で既に色々な建造物が解体されています。鉱山の稼動中止が1961年なので13年も経過している写真と成りますが…そう、随分と綺麗ですよね。
その辺も含めてご説明していきましょう。
まずは鉱山事務所(※3)からお邪魔します、受付をしないと…です。
※3:ウェブ上で良く記載される「住宅跡」や「兼役員住宅」を便宜上表記しておりますが実際は鉱山事務所です、後の運用で住宅利用されていますが誤解が無い様に。
よく「住宅跡」などと表記される事が多いこの建物、まあ冷静に考えれば立地と内部設計を見れば解ります。居住の痕跡が見れるので住宅と思われがちですが正解は「鉱山事務所」です、鉱山閉鎖後に別会社の管理人(売却先企業の関係者)が常駐していた事から残留物が生活観に溢れ、結果住宅と勘違いされた様です。
※ 鉱山運営は関係なく、閉鎖後の在駐管理人の事です。(詳細後述)
数年前までは形を残していた2階への階段部分、現在でもアプローチの方法はあるのですが…うん、止めましょう。ちょっと危険なんですよ、現在において2階へ上がるのは。
少なくとも5年程前までは上がれた筈なんですよねぇ、資料や貴重なヒントが残される事が多い鉱山事務所。残念ながら机上調査を中心に進めていくしか無いようです、と言うか実はこの時点で行政には幾つかの協力要請をしているので結果待ちでもあった訳です。
この布団などの残留物が沢山の人に誤解を与えました、言ってしまえば「住宅」は別の場所に在ったんです。解体済みではありますがその名残としてバス停にも「住宅前」と名前が冠された場所があります。
https://goo.gl/maps/Np7afk9PAwm
ちょっと車が邪魔ですが右側に見えるバス停、これが「住宅前」です。
https://goo.gl/maps/6kvPudkhHCH2
そしてこの分岐を右側に下りていくと沢向こう右側に住宅群が在りました、そりゃそうですよ…これだけ大きな鉱山です。あんな家屋一つで賄える人員数ではありません、場所に関してはマップを参照下さい。
このバス停の東側にはマップ上の住宅群ポイントまでズラリと平屋鉱山夫の住宅群が広がっていたと資料に記載されています、松尾鉱山や田老鉱山と比較すると小規模に見えますがあれらが特殊であってこの竜山鉱山は当時で考えれば十二分に大規模な鉱山運営だったと言えます。
※ 閉山後1~2年で撤去された様です
この写真の状況、ワタクシ個人としてはとても違和感があります。元々は鉱山事務所だったこの家屋、どうしてこの様な生活観溢れる状態で残っているのでしょうか。
そして何故閉鎖後に発売されたであろうボックス型の冷蔵庫が…いや現場に残されている家電が妙に新しいのは一体どう言う事なのか、大きな疑問が残ります。
そもそもこの竜山鉱山、岡山県と旧久米郡教育会(現・久米南町教育委員会)によれば最初期の発見は1830年代で本格稼動したのは記録としては1869年から。当初は「宇都宮鉱業所」の竜山選鉱所として運用が開始され、少しづつその生産量を拡大していきます。
現在の木造廃墟群は全盛期の1935年からこの鉱山を運営した昭和鉱山(現・昭和KED)が事業拡大の為に整備した名残り、つまり現存するのは1935年~1936年辺りに建造された昭和初期(昭和10年頃)の物と成ります。
さて、そこで先程の違和感です。
その後1961年まで実質稼動するこの鉱山、30余年の経過を考慮しても残されている家電が余りにも近代的(1970年代~1980年代)過ぎます。ではこれらの家電はどの様に持ち込まれ、誰が利用していたのか。
その答えは簡単です、鉱山閉鎖後も人が居たんですね…この竜山鉱山にたった1人だけ。その管理人は山深い鉱山跡でその後20年以上を過ごす事に成ります、これらに関しても後程「年表」を交えて説明しましょう。
場所を選鉱所に変え、少々内部を見てみましょう。
選鉱所も既に崩落の末期を迎えていていつ潰れてしまうか解らない状況だ、鉱山の廃墟として廃美は極僅かで興味の矛先はどうしてもこの鉱山の歴史とその残留物の発見だ。
先程「当時で考えれば十二分に大規模な鉱山運営」と書いたけれど、うーむ。比較対象がアレらに成ると…どうしても、ねぇ。
この年代なら世界的に見てもこいつらはバケモノ過ぎる…。
この竜山鉱山は斜面にへばり付く様に建設されていて三層の平地を整備して上物が残されていた、中段階を含めると五階分の部屋が用意されていて木造建築の自由さを生かしたデザインに成っている。
あれ、何か過去に似た様な…ブッシュで斜面で…ああ、アレだ。「峰之沢鉱山住宅」、あそこは酷かった。あの鉱山住宅と立地条件が似てるなぁって、いや関連性はゼロなんですけどねぇ。
※ この選鉱所は基礎設計が古いので土台部分に石垣が使用されています
絶景ではありますが真夏に行く場所ではありません、虫注意の物件です。
2層3階中段、ここより更に1層上階(実質2階)が残る。竜山鉱山の設計図が入手出来なかったので何とも言えないけれど通常の鉱山と同様の内部構造だと解る、選鉱所に隣接する様に別棟ホッパーが幾つか残されていたり対岸にも鉱山口が今だに口を開けていたり排水溝沿いに鉱山軌道と別に運搬用トロッコレールが残されていたり…うん、こちらは実に沢山の残留物で溢れている。
これなら行政から届く資料と既に入手した関連資料(提供書籍)、それから聞き取りと合致する部分を抽出していけばかなりの歴史と運営状態が把握出来るだろう。
因みにこの様な資料も現存する。
岡山県竜山鉱山および鉱床
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I9049366-00
内部はこの様に床が抜けている箇所が多数見受けられる、本当に時間の問題だろう…旬は棟に過ぎた廃墟だが歴史的な価値は高いと思われるこの鉱山跡。
現在の所有者を含めて、少々面倒な問題も残されている(総括時に後述)。
さて、それではこれまでの現地調査での残留物や検証に値するヒント。それから少々の聞き取りと幾ばくかのネットからの情報、それに今入手できる資料や書籍を行政から提供された情報と吟味して年表と共に推察、史実を記載するとしよう。
まずは年表ですね、一般的な運用開始から少しだけ遡る事30年程。鉱山の初期発見からご説明致します。
183*年 久米南町地区に複数の鉱山が発見される
1869年 宇都宮鉱業所が管理を開始して「竜山鉱山」として運用スタート
1935年 昭和鉱業(現・昭和KED)が買収して運営が切り替わる
1948年 採石量の減少により採掘を終了、選鉱所としては継続運用
1957年 選鉱所の稼動限界を超えた為に設備を増設拡張
1961年 需要が著しく減少した為に閉山、選鉱所も休止
1962年 昭和鉱業が鉱山を売却(売却部分以外は撤退開始)
1962年 中本商事が鉱区のみを購入、管理人1人を常駐させる
1984年 管理人死去の為に鉱山事務所を閉鎖
発見から150年余、その長い歴史の中で運営やその形態が変化し続けたこの竜山鉱山。歴史的に面白いポイントはやはり1948年以降からです、と言うのも採石量が減少した為に採掘は終了したのにその後施設の増設や人員増加を行っています。
これは周辺の鉱山がまだ採石量が十分だった事を意味します、そもそもこの地区だけで「竜山鉱山」、「神目鉱山」、「亀山鉱山」と3つの鉱山が存在しており、特に竜山鉱山と神目鉱山はズリが重複する様な隣接する鉱山でした。
が、採掘される石は同地区ながら様々です。
竜山鉱山:黄銅鉱・銅
神目鉱山:カオリナイト
亀山鉱山:黄銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱・石英
黄銅鉱 - ウィキペディア
http://goo.gl/gJs8aU
銅 - ウィキペディア
http://goo.gl/mmKTT2
カオリナイト - ウィキペディア
http://goo.gl/G9cxcK
方鉛鉱 - ウィキペディア
http://goo.gl/mGf0Nm
閃亜鉛鉱 - ウィキペディア
http://goo.gl/JgzXiw
石英 - ウィキペディア
http://goo.gl/iYNyPI
※ この地方の山間部は主に銅の産出量が多いが上記記載鉱物も比較的安定して採石されていた、今回の紹介物件の竜山鉱山は主に「銅」を採石。後に選鉱所のみの運用時は多様な鉱物を処理してた。
この様に付近の鉱山施設から委託され選鉱所を稼動させた事も予想でき、運営母体の「昭和鉱業」が竜山鉱山の他に4つの鉱山(睦合鉱山・鰐淵鉱山・大久喜鉱山・三永鉱山)を運営しており、そこからの鉱物を処理していたとの記録が残っています。
また別の提供資料には旧勝田町(現・美作市)の八幡銅山から委託を受けて産出した銅を処理していた事も記されています。これらに加え、事業拡大の為に「三井金属鉱業株式会社」から精錬を受注(委託精錬)する事に成功して元々の選鉱所の稼動限界を突破します。
しかしこれは寧ろ嬉しい悲鳴で通常末路へ一本道な採掘終了→閉山の流れを委託精錬で全盛期を超える売り上げを記録するまでにした稀有な例でもあります、この辺りが歴史的に非常に面白い異例の鉱山と言える企業努力の成功例です。
三井金属鉱業日比製煉所
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/company/c_kyoten/c_kyoten09/
※ 現在でも運営されています
同じ岡山県だけに受注もし易く、また地方鉱山としては規模が比較的大きかった事も寄与した要因だった様です。まさか採掘終了後に新しい鉱山夫住宅の建設や設備投資するとは、業界内でも余り聞かない事例だったと予想出来ます。
しかし1961年、とうとう竜山鉱山も終焉を迎えます。同時期、国内の鉱山業界は近代化の流れに右往左往しており、1970年代初頭には殆どの大規模鉱山が姿を消します。この鉱山も等しく、その流れに身を任せる事に成りました。
その後鉱山業とは関連性の低い「中本商事」が中央鉱区を中心に買収、その他は各々別に売却されていきます。他の関連施設が解体されて残されていないのはこの為で中本商事が購入した部分だけが現在廃墟として残っていると言う訳です。
因みに皆さんに良く知られている選鉱所の付近にはズリ山へ続く鉱山軌道が2本、火薬庫、鉱山間作業道(山中車道)が今でも残っています。
1961年の閉山後、中本商事がどのタイミングで管理人を置いたのかは定かではありませんが複数の聞き取り調査では1960年代には確実にこの鉱山事務所を住宅代わりに居住していたとの事。その後は如何なる再利用を構想したのか、しかしその構想も実現する事無く閉山後23年で管理人は亡くなります。
現在の中央鉱区は中本商事の手を離れていますが運用に関しての模索も無く、ただ荒廃が進む鉱山廃墟と成っています。今後、行政主導での解体事業は計画されておらず、あくまで現所有者の判断に任される所ですが恐らくは。
ただ危惧されるのはどの鉱山でも抱える事業後処理、鉱山廃水や流出する鉱毒を含む土壌や湧出水など。竜山鉱山にはこう言った問題が一切表面化していない、それは情報として無いだけなのか、それとも別の理由があるのか(足尾銅山の様な)。
足尾鉱毒事件 - ウィキペディア
http://goo.gl/Ams1mv
新たな山間部開発が計画されない限りこの間々なのかもしれません、中々と取り上げれる事の少ないこの竜山鉱山の歴史は如何だったでしょうか。確かに調べづらく、情報の少ない鉱山跡でした。成程、詳細不明と散見出来る筈だと納得した物件でもありましたね。
以上で竜山鉱山のレポートは終了と成ります。
簡易マップに記載した関連施設のグーグルマップリンク(ストリートビュー)を記載します、現在は何も無い所もあります。
・重機倉庫
https://goo.gl/maps/VGFWNau2Bd92
・倉庫
https://goo.gl/maps/9k6N1A9asYU2
・後期ズリ山
https://goo.gl/maps/ew5BojTUNWv
・鉱山夫連棟住宅群
https://goo.gl/maps/rjgDUJZ7PJA2
協力(電話取材と資料提供)
岡山県教育委員会
岡山県久米南町
岡山県美作市
参考文献
久米南町誌/著・久米南町誌編纂委員会
久米南町50年のあゆみ 町制施行50周年記念誌/著・久米南町誌編纂委員会
籾村風土記/著・石田農夫男
籾村よもやま話/著・石田農夫男
勝田郡公文村誌/著・石田 清
勝田町誌/著・勝田町誌編纂委員会
美作町の歴史と現在 岡山県美作町/著・岡山大学教育学部社会科教室内地域研究会
アプローチ
国道53号線から有名な上籾棚田へ至る山道を北上、県道375号線への枝道が二手に分かれるが更に細い山道を走ると間もなく右側に選鉱所跡が姿を見せます。北側からのアプローチも含めて非常に解り辛い場所にありますのでご注意下さい。
地図リンク
https://goo.gl/maps/ah6Gx7n6pZF2
写真撮影:6Frogs Design Works
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