福島県│被災地取材 福島県帰還困難区域① 双葉町
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 福島県帰還困難区域① 双葉町
震災から5年、すっかり日常を取り戻した揺れに揺れた東日本ではありますが…しかし震源から近かった東北の被災地や二次災害(福島第一原発)では今も尚復興する事が叶わない福島など、終わりの見えない現実に直面している地域はまだまだ”今”の問題として眼前に存在しています。
特殊報道として震災当時は翌日に現地入りして取材撮影(これは本業の方で)に追われていた記憶を呼び戻します、あの時は崩壊した高速道路を警察車両や自衛隊車両と共に東北まで走り、夜が明けた現地は宛ら戦場かと思う無残な街景で非常に驚いたものでした。
世界的にも稀なこの大規模地震の被災地となった日本、今回はその二次災害(福島第一原発)に現在も悩まされている福島県に来訪、特別な許可を得て立入禁止区域(※1)を撮影した。またこの撮影に至るまでの経緯も含め、震災5年目の福島の今をお伝え出来ればと思います。
※1:警戒区域や帰還困難区域など立入禁止区域への立入には許可が必要です、今回私達は公益目的立入の許可を得て正規立入ゲートから入っています。
まずは今回の取材撮影に至るまでの経緯をお話しましょうか、この福島入りは2016年の春先に頂いた1通のメールから始まります。
そのメールの送信者はトルコ語通訳を生業とされる方でして。内容は、
「スウェーデンやトルコのメディア協力の下、トルコ人のドキュメンタリーフォトグラファーが世界中の産業遺構を撮影する国際プロジェクトを進めている。日本においては軍艦島や福島の被災地に興味を持っており、日本国内における撮影に関するオーガナイズをお願い出来ないか」
と言うもの。紆余曲折あり軍艦島や根岸競馬場(※2)、東北の鉱山跡(※3)などを絡めたプランを製作。メインに福島の取材を据え、ドライバーから宿泊施設の予約など出国までの全てをロケーションコーディネータばりに同行すると言う内容だ。通訳には元外務省勤務の非常に忙しいトルコ語通訳者が着いてくれた、日本ではニッチな需要(トルコ語通訳)な為に同行中にもバンバン仕事の依頼が携帯に入る非常に優秀な方でした。
※2:軍艦島に関しては長崎市観光推進課、根岸競馬場に関しては横浜市環境創造局施設管理部管財課の各担当者さんが親切に対応してくれました。
※3:田老鉱山や松尾鉱山など
8月後半の来日までにも実に沢山の人が協力してくれ、どうにか無事取材を終える事は出来たが兎に角色々と立入が厳しい福島。各行政の広報課や秘書課の担当者さんにも随分と便宜を図って頂いた、今回とは別件で「行ってみた」としても再訪予定なのでその時は行政同行者や現地の方の話を交えてレポートしたいと思う。
が、今回はドキュメンタリーフォトグラファーの意向を中心に行動したのでいつものレポートとは少々毛色が違うかもしれませんね。
それではプロジェクトの内容や件のフォトグラファーさんの紹介を交えながら福島での取材撮影、その模様を書き綴ると致しましょう。この福島レポートは全3回を予定、それぞれ「双葉町」・「浪江町」・「大熊町」とエリアを分けてエントリーします。
最初のエントリーは「双葉町」、余り知られていませんが津波被害がとても大きかった地域です。
掲載写真について
全3回の福島取材撮影レポート内の写真はスゴログで撮影したものです、また行政より許可を得て撮影していますが特に現在進行形で問題を抱える地域や場所、施設の写真は掲載を見送りました。各行政、出版社との取り決めもありますのでご了承下さい。
撮影箇所の地図リンクがありますが一般立入が可能な場所とそうでない場所があります、防護服などを着用して映っている箇所は特に被爆の可能性の高い地域ですので安易に来訪しようと思わない様、お願い致します。
写真説明:津波被災地域である双葉町、特に海岸沿いは大きなダメージを受けた。
今回のクライアントであるトルコ人のドキュメンタリーフォトグラファー、名前をエミン・アルタンさんと言います。本国では成功されている写真家の1人でウェブサイトから過去の作品を見る事も出来ますので興味のある方は以下より。
簡単に氏を説明すると、
トルコ国内・ギリシャ・ルーマニアでの個展開催、撮影プロジェクト「Narcissus Once Upon a Time」などにもリスト入りしている写真家でトルコ写真協会IFSAK・写真基金の運営メンバーでもあります。
現在はイスタンブールに在住、スウェーデン人写真家Anderes Petersen(※4)氏に師事。 2012年よりスウェーデン国籍の写真家ハリル・コユテュルク氏と共に、世界各国の産業廃墟をテーマにした撮影プロジェクトを開始。その流れで今回日本に来日し、私達がその滞在中のオーガナイズをしたと言う事なのです。
※4:http://www.anderspetersen.se
写真説明:周囲は田園地区だが津波の塩害で今後どの様に再利用するかなど問題は山積
海岸から300メートル程の中野(宮ノ脇・竹の花)地区、押し寄せる波に飲まれたはしたが崩壊した漂流物が殆どない(海から近過ぎた為)事と周囲が田園地域だった事で家屋自体は形を残している。
流石に道路も車が通行出来る状態には成っているが漂着した車や船の残骸が痛々しく積まれた状態が続いている、畑や田んぼは機能していない。福島第一原発から僅か4キロ、南方にはその姿を肉眼でも捉える事も出来る距離と言うのも要因の一つだろう。
写真説明:津波被害では幸運な方、もう少し内陸に位置する家などはバラバラになり流された。
幸いこの地区の方達は非難する事が出来た、が2階建ての家屋を超える津波で家全体が大きく損壊。形は残れど居住する事は出来ない、これら被災家屋の解体や土地の利権なども復興の問題点の一つ。
写真説明:大きく段差が開いたアスファルトの道路、被災地はこの様な道路が多い。
撮影箇所:https://goo.gl/maps/36CWTsYDoHN2
これでも状態は良い方、静かな海岸沿いの道路に見えるが復興関係の工事車両が絶え間なく往来している。その車両の1台に声を掛けて周囲の状態や復興状態の話を少しだけ聞く事が出来た、
「ここ2年ほどで残っていた損壊家屋の殆どを解体した、今残る行政関係の建造物も近い内に解体する。大規模な工事が開始されればこの様な道路も優先的に整備される、2020年のオリンピックまでに加速度的に再開発が進む筈」
…成程。国内においても海外からの人やメディアに対しても災害状況をビジーにしておくのはイメージ的にも悪いと、そのお陰で復興が進むなら良しとする所だけど根本的に東北や福島に至っては現住されている方の為に再開発を進めて欲しいと思うのだけれどなぁ。
まあ建前も必要ですか。
写真説明:海岸沿いの施設とその内部、グーグルマップで確認出来た関連施設は解体されていた。
撮影箇所:https://goo.gl/maps/vpQfxyfFmiy
震災直後の映像があったのでリンクします。
この街道から一本中へ入ると今回私達が走った海岸沿いの道となります、映像を見ると現在の状態でさえ随分と片付いているのだと解りますね…。
双葉町はこの様に海岸沿いを中心に大きな被害を受けており、隣接する浪江町と共に解体作業が進められています。本当は双葉町の現状を沢山ご紹介したいのですが諸事情ありまして、なので直ぐお隣の浪江町の有名な学校へお邪魔した模様をお伝えしたいと思います。
※ 住所的には本当に直ぐの場所です。
写真説明:崩落している外階段を登り詰めると眼下にはプール、その先には海が見えた。
撮影箇所:https://goo.gl/maps/PzPxcnn1zWG2
皆さんは「請戸小学校の黒板」をご存知だろうか、先程の中浜通りから少し北へ移動するとこの震災においては奇跡的な犠牲者ゼロと言う避難を成し遂げ、今も尚「震災時における避難成功例」として語られる事が多い浪江町立請戸小学校。その2階部分のある教室は運よく大規模な被害から免れた、当時捜索活動の拠点となった事で捜索関係者や避難で立ち寄った方々によって黒板に沢山のメッセージが書き込まれた。
津波被害の小学校の「黒板」のメッセージが物議を醸している
http://matome.naver.jp/odai/2143762713147112901
請戸小学校の黒板について
http://blogos.com/article/124646/
折角通りすがりなのでこの学校も見ておきたかった、エミン氏に同意を求めると興味を示したので短い時間だけれど内部を撮影させて貰う事にした(※5)。
グーグルマップの360度ビューでも周囲を一望出来る写真が確認出来た。
※5:エントリーの時点では恐らく周囲は絶賛大規模作業中です、また土壌の除染土を集積しているので近付く事はオススメしません。
写真説明:内部はこのやられよう、とてもカビ臭い。
地震発生時間は午後の授業のが終わろうかと言う14時46分、校内にはまだ沢山の生徒が残っており、当時の在校生と81人(1年生は既に下校していたので実質2年生~6年生までの77人)と教職員13人は突然の大きな揺れに驚いた筈だ。
地震から40分後に津波警報(津波情報は地震発生後10分程で学校に伝達されています)が響き渡ると避難場所に指定されている西側約2キロ先の大平山へほうほうのていで避難、職員の運転する車や徒歩、通りがっかった民間人や工事関係者のトラックなど様々なルートにも関わらず全員が避難に成功している。
校内の殆どの時計は津波到達時間と予測された15時38分で止まっていた、僅差10分が生死の明暗を分けた事に成る。
リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。
写真説明:1階部部の崩壊は凄まじい
以下のブログエントリー内に当時を伝える新聞の記事と避難経路などの位置関係が掲載されているので参照頂きたい、立地的にも運が良かったと言えるが原発から10キロも離れておらず、しかも目の前が海と言う今回の地震ではムリゲーマップだった事は明らかだ。だからこそ「奇跡」と謳われ、その成功例として評されるのだと。
福島県浪江町の請戸小学校の津波避難成功例
http://blog.goo.ne.jp/jp280/e/13e06de298af287252766d48fbf60379
写真説明:こちらも有名な写真構図と一緒なので見覚えがある方も居る筈
福島県浪江町の請戸小、「激励の黒板」があった最後の姿
http://www.huffingtonpost.jp/takeshi-inomoto/ukedo_b_9520730.html
学校の津波対応「運が良かっただけ...」間一髪、課題残す
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/11/post_2582.html
しかし賛辞ばかりでは無い様で、危機的な現場に直面したからこそ今後の課題も多いと専門家や行政自身がこの学校の成功例を生かそうと動いている様だ。
以下、非常に資料性の高いこの学校を取材した映像です。
写真説明:卒業式を次の日に控えていた体育館
ここは何故か大量(100羽以上)のツバメが死んでおり、そして何よりそのツバメの糞が堆積していて臭かった。幕などはカビていて兎に角衛生状況が非常に悪い場所、そうそうに立ち去りました。
ここもグーグルマップの360度ビューで確認出来る、ウチでも数枚同様のカメラで撮影した。
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写真説明:請戸地区北側最後の大きな十字路付近、現在も周囲の解体作業は続いている。
撮影箇所:https://goo.gl/maps/iTZbEFMbuCT2
学校から少し北へ移動すると周囲全体を絶賛解体中の区域に入った、この一体は請戸地区で漁港を要する漁村だった場所。
周囲は消波ブロックや防波堤の残骸がゴロゴロしています、3トン~10トン位の大きさまと様々で津波と一緒に流れてくれば家屋も容易崩壊するでしょう。請戸地区の家屋の殆どが基礎を残して倒壊した事を考えるとこれだけ形が残っているのは稀と言えます。
写真説明:1階部分のみが残ったYさん宅(詳細はリンクのブログを参照)
撮影箇所:https://goo.gl/maps/qhwH2PcoHzj
取材当時も印象深かったこの家屋、地方紙媒体メディアから少しばかりの情報を手掛かりに検索すると非常に興味深いブログがヒットした。
東日本大震災・浪江町請戸の災害者応援Blog
http://blog.livedoor.jp/ukedo311/archives/2969616.html
このブログのコメント欄で度々出てくる消防団の方は後に葬儀が新聞に取り上げられる程の避難誘導活動に尽力された方だと知る、その行動力で実に沢山の方が助かったのだとか。
以下の動画リンクを参照、震災直後の付近はこの様な状態だった様だ。
写真説明:解体待ちの家屋内部を見せて頂いた、外観は残れど内部は酷い有様だった。
写真説明:坊さんがこの場所で祈る模様がテレビで放映されたのでピンと来る方も居る筈
撮影箇所:https://goo.gl/maps/3sVmHLu5XiS2
写真説明:徒歩でさえこの私道を歩くのは容易ではない、それ程草木が乱立している。
撮影箇所:https://goo.gl/maps/K4acdik7pR42
少し離れて高台を走ると以前通りの町並みを見る事が出来る、それがほんの少し坂を下って海岸に近付くと。
付近の建造物の解体が終われば基礎部分も掘り起こして土壌の除染作業が行われる、除染と言っても建造物の洗浄と土壌入替が基本。簡単な作業に思われるかもしれないが数が多く、そして何より対称区域が東北地方の海岸沿いの殆ど+福一から指定距離内の山間部に至る為まだまだ終わる気配はないのが現状です。
一時期市街地で動物が闊歩する姿や農場の動物などが話題に成りましたが流石に今は、それでも当時の映像を見るとこの災害の一面を垣間見れる気がします。
写真説明:在庫を抱えた間々の状態で残された中古車ショップの車たち
撮影箇所:https://goo.gl/maps/JZiMpRbPAr52
車関連で言えばこの写真、何処かで見た事ありませんか。
http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/b98f158dbe2f84b222f88a795972bb6b
この記事の冒頭の空撮写真、どの様な経緯か解らないけれど脳味噌がアレな人を中心に「人々が乗り捨てて逃げた車が、4年半の歳月を経て草に覆われていた。ここは現在でも毎時6~7マイクロシーベルトほどの放射線量が記録されている」等と紹介されたりしている。
グーグルマップではここ、ええ…私も実際に見てきましたよ(既に撤去済/2016年3月に撤去)。
https://goo.gl/maps/bHsWk3C7KGG2
乗り捨てたとか…ねぇ。ここ道路じゃないんですが、そもそも自動車整備工場が借りていた土地に不動車を置いていただけの場所。それを面白可笑しくフィクションで塗り固めて雑誌やテレビまで釣られたって言うから余りに滑稽、福島に限らず被災地のこういったデマは実に多い。
因みにこの場所、6~7マイクロシーベルトパーアワーと書かれているが大嘘。震災直後でもそんな数値は無いですし記事が書かれた2015年も現在の2016年も1マイクロシーベルトパーアワー以下です(現地計測)。
写真説明:一見綺麗だが既に5年以上稼動していない
撮影箇所:https://goo.gl/maps/Ji4x4MnkaHH2
2015年までは分断が続いた国道6号線、現在通過が可能とは成ったがそれは道路のみで道路沿いの殆どの区域は依然として帰還困難区域に指定されている場所が多い。
常磐道富岡ICから国道6号線に向かい、5年振りに福島入りして驚いたのはその徹底した封鎖状況だった。以下のストリートビューのリンクを見て頂きたい、
https://goo.gl/maps/53PQRTm3v2C2
この様に家屋から私道に至るまで国道からアクセス出来る箇所は全てゲートで封鎖されていた。震災直後はこんな対策はされていなかったので正直驚いた、行政や国がどれだけ本気でこの地域(原発付近の被災地)の危険性を把握しているのかが如実に解るだろう。
震災直後のビデオニュースドットコムさんの取材映像、最終的には100マイクロシーベルトパーアワーを超える場面で終了になるが現在は同じ場所でもそこまで上がらない。しかし危険性は一緒、その理由については次回語るとしてこの震災が如何に異常だったかを再度以下リンクから認識して欲しい。
東日本大震災 - ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
メディアで取り上げられるのは東北が殆どだけれど福島も福一だけではなく、津波被害が非常に多かった地域だ。そしてその原発事故問題で復興進まない地域としても知られる様に成った、恐らくは数十年では解決出来ない規模だと現地の住民は元より来訪した人間は誰でも思う筈だ。
さてさて、今回は双葉町とタイトルに表記していながら諸事情で隣接する浪江町や大熊町などの状況も掲載した。次回は浪江町、その山間部に焦点を当ててみたいと思う。原発から近い場所は人の往来があって活気を取り戻しつつあるのに何故か20キロも離れた山中は依然除染作業が進まず…それにはやはり理由がありました。
誤解が無い様に記載しますが重ねてお伝えしている通り、今回は以下の様な各行政から発行される許可証を取得して現地取材に同行しています。かなり面倒ですが個人でも取得は可能だと思います…が、メディア関連でもパトロール車両に何度も止められます。
総じて個人での帰還困難区域への来訪は敷居が高い段階と言えます。
覚える事も結構多く、また基本的に行政関係者が同行します。ルートは事前に提出してスクリーニング場などの予約や線量計の用意、防護服やマスクなどの準備も必要です。ゲートでは毎度身分証明と行政発行の書類、乗車名簿を提示しなければなりません、予定外ルートや時間の遅延、予定外のゲート出入りなどは現地で管轄する役所と連絡を取り始めて通行が許可されます。
いや、本当に面倒ですねぇ。
今回の双葉町に関しては以下に「一時立入」に関しての一覧があるので参考に、双葉町が公表している「双葉町内の環境放射線量率の測定結果」も是非参照下さい。
http://www.town.fukushima-futaba.lg.jp/2760.htm
写真撮影:6Frogs Design Works
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