福島県│被災地取材 福島県帰還困難区域② 浪江町
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 福島県帰還困難区域② 浪江町
前回、原発から程近い「双葉町」をレポートしました。現地では至る所で検問、バリケード、進入制限ゲートが散見。震災後5年と言う時間は実はまだまだ傷を癒すには短過ぎる、そんな現実に直面した来訪でる事をお伝えしました。
既にご存知の方もいらっしゃると思いますがこのエントリーが初めての「行ってみた」閲覧者である事も考慮して前回の冒頭部分をコピペ、何故私達が福島へ来訪したのかを知って頂ければ幸いです。
まずは今回の取材撮影に至るまでの経緯をお話しましょうか、この福島入りは2016年の春先に頂いた1通のメールから始まります。
そのメールの送信者はトルコ語通訳を生業とされる方でして。内容は、
「スウェーデンやトルコのメディア協力の下、トルコ人のドキュメンタリーフォトグラファーが世界中の産業遺構を撮影する国際プロジェクトを進めている。日本においては軍艦島や福島の被災地に興味を持っており、日本国内における撮影に関するオーガナイズをお願い出来ないか」
と言うもの。紆余曲折あり軍艦島や根岸競馬場(※2)、東北の鉱山跡(※3)などを絡めたプランを製作。メインに福島の取材を据え、ドライバーから宿泊施設の予約など出国までの全てをロケーションコーディネータばりに同行すると言う内容だ。通訳には元外務省勤務の非常に忙しいトルコ語通訳者が着いてくれた、日本ではニッチな需要(トルコ語通訳)な為に同行中にもバンバン仕事の依頼が携帯に入る非常に優秀な方でした。
※2:軍艦島に関しては長崎市観光推進課、根岸競馬場に関しては横浜市環境創造局施設管理部管財課の各担当者さんが親切に対応してくれました。
※3:田老鉱山や松尾鉱山など
8月後半の来日までにも実に沢山の人が協力してくれ、どうにか無事取材を終える事は出来たが兎に角色々と立入が厳しい福島。各行政の広報課や秘書課の担当者さんにも随分と便宜を図って頂いた、今回とは別件で「行ってみた」としても再訪予定なのでその時は行政同行者や現地の方の話を交えてレポートしたいと思う。
が、今回はドキュメンタリーフォトグラファーの意向を中心に行動したのでいつものレポートとは少々毛色が違うかもしれませんね。
それではプロジェクトの内容や件のフォトグラファーさんの紹介を交えながら福島での取材撮影、その模様を書き綴ると致しましょう。この福島レポートは全3回を予定、それぞれ「双葉町」・「浪江町」・「大熊町」とエリアを分けてエントリーします。
今回はその2回目、「浪江町」です。福島県警の方の話では
「震災後、この地域には全国から泥棒が集まった。兎に角対応に追われ、今では全国の県警関係者が集う特別な警戒地域に成っている」
と悲痛なお話も。
行政さんに関しては福島滞在期間で一番お世話に成った「浪江町」、その現状を少しでも知って頂ける様にレポートを進めたいと思います。
掲載写真について
全3回の福島取材撮影レポート内の写真はスゴログで撮影したものです、また行政より許可を得て撮影していますが特に現在進行形で問題を抱える地域や場所、施設の写真は掲載を見送りました。各行政、出版社との取り決めもありますのでご了承下さい。
撮影箇所の地図リンクがありますが一般立入が可能な場所とそうでない場所があります、防護服などを着用して映っている箇所は特に被爆の可能性の高い地域ですので安易に来訪しようと思わない様、お願い致します。
浪江町の滞在期間は2日間、その中でエミンさんとハリルさんは各々「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)」に対する想いをファインダー越しに写し取っていました。
東日本大震災 - ウィキペディア
https://goo.gl/W955z7
東北地方太平洋沖地震
https://goo.gl/zI5Gkq
浪江町の東側(海側)は今でこそ人が往来し、復興作業員の進捗状況が如実に解る景観と成りましたがほんの少し前は悲観的な地域として知られていました。
原発事故で放棄された「浪江町」のゴーストタウン化した悲惨な現状 - NAVER
https://goo.gl/jHra6s
※ アーカイブ:https://goo.gl/mKA0ck
浪江町「見なければいけない風景」被災地ルポ - 毎日新聞
https://goo.gl/nsIW0J
※ アーカイブ:https://goo.gl/spWrk3
津波の被害に関してはどうしても海岸沿いに集中する為、当時のメディアも取材のポイントを海岸沿いに絞っていた事はどうしても否めない。
福島原発・警戒区域内ヘリ映像 浪江町(12/02/28)
しかし人為的被害に限って言えば。
その殆どは山間部である西側に集中していたと言っても過言ではない、それは窃盗行為然り、汚染被害然り…浪江町は色々な複合的被害に兎に角悩んだ地域でもありました。
近年やっとの思いで開通したライフラインである国道6号線、そこから浪江町の山間部へは国道114号線を利用する事になる。
ゲートで取材用のパスを提示して尚、車両のナンバー紹介・役所の許可証・免許証及び同乗者のパスポート・そして口頭での進入目的の伝達…それを通過しても特別警戒区域と言う事で度々ロケバンが警察車両に止められてしまう。
神経質に成らざるを得ない、そんな緊迫した場所なのだと。同乗者含めて全員がこの浪江町に対する気持ちを改めた機会でもありました、うん…福島はまだまだ課題が山積しているんだ。
写真説明:浪江町市外から20キロ弱、人の気配は全くない。
撮影箇所:https://goo.gl/F793gH
この地点は海側から山沿いに入って初めて幾つかの大規模な枝道に分岐する所で牧場や畑、民家などそれぞれの道が重要な役割を果たしている。
因みにこの周辺の分岐から一本入って走り続けると全く別の場所へ至る事に成るので道の生成として随分と古い筈だ。
写真説明:商業的な面影はあの日で止まっている
撮影箇所:https://goo.gl/RizdQu
神社も手入れされる事が無くなりました、信仰が途絶えた神社はいずれ。
写真説明:山津見神社の「やまづみ」は「大山祇」、房総半島のあの廃神社と同じ神様です。
撮影箇所:https://goo.gl/66LFH6
私達がこの区域で行動する為に行政から推奨された「防護服」と「マスク」、「ブーツカバー」に「フィールドグローブ」。この辺りは線量が低いからこの程度だけれど「空間放射線量予測」で完全な進入制限が実施されている箇所だと高額な装備で身を固める必要がある。
浪江町の放射能汚染状況
http://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/attachment/921.pdf
この帰還困難区域から住居制限区域や避難指示解除準備区域に入る場合は事前の予約したスクリーニング場で汚染濃度の検査と汚染された防護服などの廃棄などが義務付けられている、また公益目的の一時立入だとしてもその取材ルート、どの時間帯にどのエリアに居るかなど細かな詳細な取材行程を提出しなければ成らない。
因みに今回お世話に成ったスクリーニング場は主にこの2箇所、最終日には既に馴染みの顔に。
http://www.tomioka-town.jp/living/cat25/2014/11/002003.html
写真説明:多国籍でこの格好は非常に怪しい
撮影箇所:https://goo.gl/0xXD4F
随分と山間部を走ってきたけれどこの辺は人の気配と言うか、出入りが頻繁にあるのだろうなと思わせるこの日最初の場所だった。
周囲には保育園・小学校・中学校・高校と揃っている事から人口も多かった筈、子供が多かったと推測されるけれどこの学校の通学生はどうしたのだろうか。
浪江町立津島小学校 - 震災・原発事故後の学校の状況
http://www.namie-es.jp/about/#after2011
やはりそうですよね、そうなりますよね…っとここで面白い記事を見つけた。
http://inforanger.tasukeaijapan.jp/report/20140331f-4/
確かに珍しい状況だ、さて中学校は…と。
浪江町立浪江中学校オフィシャルサイト
http://namiejhs.seesaa.net/
状況云々よりも気になったのがこのサイト、ブログ…。教育機関として公式のサイトがブログなのは何か理由があるのだろうか。
福島県立浪江高等学校津島校
http://www.namie-h-tsushima.fks.ed.jp/
残念ながらウェブサイトからその状況を図り知る事は出来なかったが震災後のアナウンスがPDFでリンクされていたのでご参考までに。
http://www.namie-h-tsushima.fks.ed.jp/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=306
写真説明:人の気配はあれど姿を見る事はない
撮影箇所:https://goo.gl/wDg8xc
ストリートビューと比較しても少しづつ崩壊進んでいるのが解る
写真説明:崩落寸前だが解体工事も間々成らない建造物が散見していた
撮影箇所:https://goo.gl/Egtkve
そして私達は核心部へ。
打ち捨てられた山村、南津島。ここは良くも悪くもこの震災の色々な面を凝縮していた、圧縮濃度の高い被害状況が印象的なこのエリアが元の姿に戻る事は当分先の事に成るだろう。
富岡街道、国道114号線からこの南津島に入る私道からして既に凄惨さが滲み出ていた。当時、本当に車が通れるのか不安に成ったほど生い茂った草木が道路を約半分までに狭めていたからだ。
写真説明:道路は地震の影響か凹凸が目立った
撮影箇所:https://goo.gl/yglzbM
既に幾つかの家屋は自然の侵食に身を委ね、細い私道はアスファルトが見えない箇所も多々あった。この一体は敷地にフェンスなどが一切されておらず、緊急性の高い避難が行われた事を如実に示唆している状況だ。
警察からは「右を見ても左を見ても泥棒だらけ、全国から集まって空き巣の見本市だった」と言わしめた一帯でもある。震災直後からの1年間、それは酷い荒らされ様だった様だ。
関係者の聞き取りでは既に家屋も残した物全てを放棄して新たしい生活を初めていて、この地域には二度と帰りたくないと話していた。それは震災と汚染除去が進まない現状と、人為的な被害(窃盗など)でこの地に嫌気がさした結果なのだと言う。
写真説明:人工物が自然に飲み込まれる瞬間を見ている気がした
撮影箇所:https://goo.gl/IqytxO
ふたば広域ライブカメラ - 津島支所付近
https://goo.gl/vGZC45
写真説明:窃盗被害は役場までに及んだ
撮影箇所:https://goo.gl/pqhEQq
この地区のある意味凄い所は震災によって道路や家屋の被害と言うより放射能汚染や窃盗被害の為に移住を迫られ、その事後処理と除染作業が上手く進められていない事に集約される。簡単な確認しかしていないけれど多くの家屋が戸締りもせずに放置していて窓が開き放しの家も在った、街中なのに野鳥やイノシシ、狸など様々な動物が往来して全く人の関与から外された世界が形成されていたのも驚いた点の一つ。
そんな事もあってかライブカメラの設置台数が多い、と言うより集中しているのもその被害の名残なのかもしれない。
情報公開も限られているので口惜しくはあるけれどとてもこれだけでは説明が終わらない、そんなエリアだった。
写真説明:直ぐそばでは倒壊した家屋も
撮影箇所:https://goo.gl/ftiO3o
因みにここから程近い場所に日本テレビの番組「鉄腕Dash」で企画運営されていた「Dash村」が在ります、現在は既に移転していますが企画段階から震災までの間はこの場所で撮影がされていました。火災事故などで住所が判明してからもずっとこの場所だったそうで、皆さんご存知かと思いますが一応。
Dash村 - グーグルマップ
https://goo.gl/oCzGuV
震災直後は上の動画の様な線量だった様で、これでは当然撮影続行は無理と移転を決めた筈です。2016年(エントリー時)の時点で帰還困難区域が続いているので運営陣は良判断だったと言えます。
最後の取材先へ向う道すがら、立派な古民家を見つけた。ストリートビューと比較するとたった2~3年でこれ程までに茂るのかと言う位緑に覆われていた、そう…一見自然が生い茂る豊かな山間部に思えるけれど実は原発付近より線量は高い。
これは地形的問題と風向きなどが関係している、現在は3~4μSv/hで安定しているが一時期は20μSv/h以上の場所も在った。
都市部より山間部の線量が多い要因は他にもあって単純に「土」の量に比例しているとの話も聞いた、余りに広大な山間部の汚染土は除染に膨大な時間が掛かる為に今だ放置状態…それがこの現状を生んでいるのだろう。
写真説明:年々線量は降下しているが…
撮影箇所:https://goo.gl/8q5VjI
ここからは同行カメラマンの意向ではなくて「行ってみた」の取材目的だったとある採石場に伺う、記憶の留めてる方もいらっしゃるかもしれないけれどこのニュースを覚えているだろうか。
染コンクリで建築福島と二本松 マンションから高線量 - Everyone says I love you !
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/25d8c4eaa7d2b5ea361631fe4da36ca0
※ 殆どのニュースソースが消失している為、記事にしている個人ブログをリンクしました。
辛うじて残っていて取扱ニュース(ブログ引用)記事
http://blogos.com/article/29537/
この場所へやっと行く事が出来た、まずは現地の様子はどうだろう。
この採石場、管理は「双葉砕石工業」と言う採石業者。当時の記憶を併せて考えると国が指示している手順に沿って行われていた工事の様だけれどその管理基準の正しい指針がどうにもあやふやだ。
どの段階で検査すべきか、また責任はどの段階の担当者が追うのか。それ以前の問題だったと、そんな大元と成る場所をこの眼で確かめたかったのだ。
写真説明:双葉砕石工業の南津島採石場入口
撮影箇所:https://goo.gl/MZ2xsZ
驚く事にこの場所の線量は付近の道路などより高い数値を示した、最高値では6μSv/hを超えていたが平均的には4μSv/h。それでも少々高いだろう、やはり鉱物や土には滞留し易いと言うのは本当の様だ。
震災から翌年、先程は少々高いと書いたけれど…いやはやとんでもない。当時はこんなモノでは無かった用でして、それにしても凄い数値です(下記リンク先の内容を参照)。
双葉砕石工業の採石場付近の放射線量 - ぽこ&けんいち通信
http://blogs.yahoo.co.jp/pocoyuko2006/54379098.html
※ 個人ブログのエントリーをリンクしています
この件に関してはニュートラルな取扱が少なく、当時の偏った情報がメディアの風に乗って流布されてしまったと言う経緯があります。心象問題もありますが一応メディアのソースも一つだけ。
汚染砕石どこに 県民不安、業界怒り「対策どうする」「風評心配」- 福島民報
https://goo.gl/P89lFS
写真説明:浪江町が公益目的での一時立入者に貸出す線量メーター
撮影箇所:https://goo.gl/maps/ewHNauHViiH2
震災後も稼動してた様だがこの問題が発覚しての前後で操業はストップ、現在はこの様な廃墟状態が続いている。しかし早々に帰還困難区域に指定された場所ゆえに規制後にどの様なプロセスを経て操業していたのかは判明しなかった、それだけが少々心残りだ。
この件に関してまとめページを発見したけれどどのURLもアーカイブ化されてない生アドレスだった為に殆どがリンク切れだった、とても残念。
東日本大震災でやらかした人まとめWiki - 双葉砕石工業
https://goo.gl/fGHSof
少しばかりの月日が経過した後、この問題に対しての調査結果(福島県災害対策本部原子力班発表)が公表された。さて、これはどう判断すれば良いのだろう…。
双葉砕石工業(株)阿武隈事業所における保管砕石の核種分析結果等について
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec_file/monitoring/etc/monitoring.saiseki120215-1.pdf
この他にも地元癒着企業と原発の問題など、この地域を舞台とした解決していない山積している諸事は尽きません。
浪江町・帰還困難区域の桜 - 津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに
https://goo.gl/wggIsn
故郷も自宅も山の幸も奪われた浪江町民の叫び - 民の声新聞
https://goo.gl/DTayA4
帰還困難区域のゲートを再び通り、避難指示解除準備区域に戻ってきた。浪江町役場の周辺だと思って頂ければ良いだろう、それでも巡回する警察車両の数は多い。
当時衝撃的な「画」で各メディアに取り上げられた浪江駅前の大通り、今では復興の兆しが見えたかの様な復旧具合ですがほんの少し…10分程離れるとまだまだ震災の傷跡は大きく残っています。
本当に時間が止まってしまった様な、ただ増え続ける草木だけがその経過を現実として認識させてくれます。国道6号線沿いはもとよりこんな街中でさえ、あちらこちらにフレコンバッグが山積みにされているのです。
除染作業で出た放射性廃棄物、行政は一時的保管の中間貯蔵施設だと繰り返し広報していますがその受け入れ先や最終処分場の目処は立っていません。つまり、これはきっと。
除染で取り除いた土壌等の管理 - 環境省
http://josen.env.go.jp/soil/index.html
理想と現実、福島のこれからはどうなるのか本当に解らない現状なのです。
写真説明:街中のアパートでさえこの状態だった
撮影箇所:https://goo.gl/ZMwkK1
大型重機が除染作業を行う眼前の民家、鬱蒼と茂った草木に飲み込まれる寸前で外国人カメラマンは言葉少なげに撮影していました。
写真説明:駅から程近い立地でも自然の力は押し寄せる
撮影箇所:https://goo.gl/BgzIVb
浪江町役場から徒歩5分程の位置、この旧町営住宅区画は周囲と少々雰囲気が違いました。こういった場所まで除染は進んでいません、メインの住宅街から近い遠いかではなくてその場所に予算を充てる価値があるかどうか。それ故に除染が進まない地域が国道から直ぐと言うロケーションでも多数残っています、これは復興に紐付く重要な問題です。
写真説明:古い町営住宅区画
撮影箇所:https://goo.gl/BeZTD2
さて、今回の福島での取材でメインだった浪江町。その姿は予想以上に厳しい問題と隣り合わせの、未だ緊張感溢れる現場でした。
環境省は除染した汚染土を3年間保管、その後減容化して更に20年~30年貯蔵した上で県外に搬出するとしています。しかしその除染期間は何年掛るのか、安全だと明言された「汚染土」はどの様に何処へ処分されるのか。安全ならば県外へ搬出する必要がないのではないか、そんな声がずっと続いています。
それもその筈、このロードマップ自体がまだ確証性の無い導の無い道だからでしょう。計画が順調に進めば福島が元の姿に戻るまで数十年だと言う説があります、しかし現実はそんな机上論を一蹴する事実ばかり…浪江町はそんな一端を様々と見せてくれた地域でした。
来年(2017年)、今回とは別口で再訪予定です。今度は原発の中へ、その時が来たらエントリーさせて頂きますね。
誤解が無い様に記載しますが重ねてお伝えしている通り、今回は以下の様な各行政から発行される許可証を取得して現地取材に同行しています。かなり面倒ですが個人でも取得は可能だと思います…が、メディア関連でもパトロール車両に何度も止められます。
総じて個人での帰還困難区域への来訪は敷居が高い段階と言えます。
覚える事も結構多く、また基本的に行政関係者が同行します。ルートは事前に提出してスクリーニング場などの予約や線量計の用意、防護服やマスクなどの準備も必要です。ゲートでは毎度身分証明と行政発行の書類、乗車名簿を提示しなければなりません、予定外ルートや時間の遅延、予定外のゲート出入りなどは現地で管轄する役所と連絡を取り始めて通行が許可されます。
しかしそれだけこの地域の安全対策に力を入れてるって事でもあります、身体への影響や防犯対策を含めて行政が弛まぬ努力をしているワケです。
前回の双葉町に引き続き震災後の福島、その5年後をレポートしていますが次回は最終回「大熊町」です。と言っても初回の双葉町同様にアチコチと飛び地取材しているので便宜上その地域をタイトルにしていますが…本日は以上です。