千葉県│梨沢 石田村の巨石群 - 前編
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 梨沢 石田村の巨石群(大字相川石田村/大字梨沢石田村/梨沢常代城址)
「何か山ん中に巨石がゴロゴロしてる奇景が房総にあるんだって」
「へぇー、巨石言うてもヒメマルカツオブシムシ位やろ」
そう、私達は甘く見ていたのです。
世相と時事に翻弄されて上へ下への右往左往、現代社会の闇をバッサリ切り捨てる事でお馴染みの「行ってみた。」ですが今回は房総半島有数の絶景地「梨沢(の山の中)」で御座います。当ブログでは度々来訪してきたので聞き覚えのある方も居るだろうと思います、ロケーションの美しさは元より周辺の地域民俗学に関するネタが尽きない懐の深さにスッカリと惚れ込んでしまった事も要因と言えるでしょうねぇ。
とは言っても流石にしゃぶり尽くしたであろうと思っていたこの梨沢、地域産業(※1)と隣接する廃村(※2)の調査を進める過程で住民から得た情報が新たな謎をよび込んだ。その後多くの関連機関に協力を仰ぐ事に成るわ、行政も把握していない事実が出てくるわで実はまだ調査が終わってなかったりします。
※1:REPORT - 0916│七ッ釜渓谷 梨沢不動滝 再訪 → 旧梨沢村の製炭業についてのレポート
※2:REPORT - 0923│梨沢 釜ノ台集落 → 周辺地域の民俗学についてレポート
その場所は「城址関連の遺物が発見された歴史ある土地」だったり、「まるで富士の樹海の様で気味が悪くて昔から地元の人間でも近付かない」だったり、「森林地帯に巨石群があると言われている」だったり色々と出てくるものの…総合的には大昔から「忌避地」として有名だった様だ。
地図からは既にその名を消されていて知る者も地元民の年配の方だけとなった謎多き山林地帯、今回は付随する言い伝えを検証しつつ「巨石群」をメインに見聞探索へ。
やや引っ張り気味のその地とは
梨沢の石田村
過去にそう呼称された房総の山にひっそりと残る土地。久々に唸る物件が我らがホームの房総半島とは嬉しい限りではありませんか、それでは今回の物件「石田村」を知るキッカケから少しづつレポートを進めていくとしましょうか。
朝6時に出発し、いつもお世話に成っている梨沢地区の寺院「妙蔵寺」さんに到着したのが8時前。このお寺の駐車場をお借りして準備を進める、住職さんともすっかり顔馴染みに成りました。当日は寺院内の剪定を行う様で高所作業車や林業関係者が既に沢山いらっしゃっていました、中にはこの梨沢出身の方も居て折角の機会なので色々と質問したり子供の頃の話を聞かせて頂いたり。
真言宗智山派 妙蔵寺
http://hasunoha.jp/temples/43350
そう、思えば2年前。梨沢の沢歩きの新しいルートを開拓する最中で発見した廃牧場、その牧場を調べる為に地域の方を接点を持った事で土地の古い歴史を知る人物として件の妙蔵寺の住職さんを紹介されたのでした。
実はその時に全くと気にもしなかった住職さんの「こっち(相川を挟んだ対岸の山を指して)にも地元じゃいわくつきの場所がある」という言葉頂いていて、メモには残したものの当時の興味は廃牧場(※3)とその後調べるつもりでいた限界集落(後の廃村)についてばかり。
※3:この廃牧場についても新たな事実を知る事が出来ました、後述します。
それから2年が経過してトビ岩(リンク参照)のついで物件として先程の廃村の調査を行い、その現地調査としてお話を聞く事に。諸事情あってその廃村についての詳細レポートは公開出来ない状態だけれど住職さんから2年振りに再び聞いた「裏の山にも昔から伝え聞く言い伝えが…」
ああ!それ聞きましたよ随分以前に、詳しく教えて下さいっ!
何度かこの梨沢に足を運ぶ度に新しい事実と深まる謎と、全国に類似する言伝えなんかを加味しながら各方面に調査の協力を仰ぐ。…が、この地に関する調査団体は幾つかあれどその殆どが製炭に関する歴史検証ばかり。
解っている事と言えば「石田村」と呼ばれていた事と忌避地としての伝承、石田村としての情報源は行政に残る幾ばくかの記録とこの地に農業体験で頻繁に研修に来る東京大学の学生(※4)。後はその学生に協力している地元の谷田皿引農地水保全会の方々だろうか。
※4:東京大学の学生による農業農村支援を目的としたサークル(東大むら塾)
うん、行政に関しては富津市教育委員会が協力してくれるだろう。地元の住民の方々にも随分と伝が出来たので妙蔵寺さん経由で聞き取りも可能だ、となれば後は東京大学さん。こりゃどうにか成りそうだ、調査日までに出来る限りの机上調査内容を携えていざ行かん。
待ってんさいよー、石田村ー。
妙蔵寺の住職さんや林業関係者さん、造園業者さんのお話を聞いていたら当初の入山予定より30分も押してしまってはいましたが貴重な情報を沢山得る事が出来たので良しとしましょう。
さて、今回謎多き山林地帯の石田村に挑むわけですが来訪時点では「石田村」と言う地名が実在するかも判明していない状態でした。地元の方達もそう呼ばれていた事を知るだけで行った事がない方、噂しか知らない方、子供の頃に入ったが大人に止められてそれ以降行かなくなった方など確証性が薄いか僅かな体験談ばかりなのだ。
どうしてだ、距離としてはほんの少しだし山の傾斜もそこまで酷くも無い。開発だってアプローチルート途中までは1960年代に田畑として運用した過去もある、それがどうだ…「忌避地」としなければならない「理由」があるのだろうか。
事前情報で得た内容を簡易的に航空写真に充て込んでみる、妙蔵寺からはほぼ東側直線状に調査対象の物件が並んでいる。この一帯の歴史を辿る過程でその存在を知った「常代城址」、これはアプローチルートに含まれているので追加調査するとして目的は房総の樹海と言われる「樹海エリア」と「巨石群」。
※ オンマウス(ロールオーバーで画像が切り替わります)
1960年代、妙蔵寺裏側の斜面を切り開いて田畑が整備されている。これは調査当日お会いした林業関係者さんの証言とも一致する、「昔、そうだね…50年位前はそこの山は農地としてよく入っていた」とお聞きしていた。
と、言ってもやはり入り乱れるピークの手前までで峰越えはした事がないと言う。地図で言う所の盆地の様な地形で「樹海エリア」とされている場所だ。
※ オンマウス(ロールオーバーで画像が切り替わります)
1970年代後半に成ると廃田廃畑となり、少しづつだが自然に帰りつつある事が解る。因みに城址北西側の平地はその後植林され、現在では自然自生植物と植林で非常に雑多な自然形成地と成ってしまった。
航空写真や地図では予想する事は非常に難しいが現地に行くとまずその元平地部分の場所で迷う事に成る、その後はピーク沿いを歩くので問題はないが樹海エリアは更に酷いものだった(地形の複雑さと地面の歩き辛さ)。まあその辺も後程説明するとしてまずは出発だ、最初の写真はその荒れた元平地を抜けたピークの登り始めから。
国土地理院の地図には点線が描かれているが通る者が殆ど居ないのだろう、道筋は薄く辿れる程度で廃道(旧作業道)に近い。写真で言えば眼前10メートル先は大きく落ち込んでいて20メートルは在るだろう高低差、言わば小規模な盆地を形成していた。これは地図には描かれていない、と言うかこの辺の地形はちょっと辺だ。
何と表現すればいいのか…兎に角「房総っぽく」ない。そしては奥に進むにつれて更に如実に感じる事に成る、何かあるなぁこの一帯は。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差10m
まずはアプローチルートの途中に残ると言う城址の調査に入る、この一帯は実は多くの城址が残っており(在ったと確認されていた物を含む)、詳細な調査を行うと富津~君津の歴史を紐解く事になりそう。今回のメインはあくまで「石田村の存在の確認と巨石群」、通りすがらの物件として興味が出るかは現地次第と言ったところ。
名称を「梨沢常代城址」と言い、散在する周辺城址と共に地域防衛の拠点のひとつとされている。ざっくりとだが周辺の築城に関する記述を見つけたので引用させて頂こう。
○ 天神山城跡
富津市海良にある。標高は100m前後の山城で、手前は湊川である。『君津郡誌』によると、文明年間の築城らしい。初めは真里谷氏が在城、後に里見氏の武将戸崎玄蕃頭勝久の居城となったという。『富津市史』では、城域に天神社があることや、近くに妙見社があることから、千葉市一族の天羽氏が築城した可能性を指摘している。
※他に、常城砦跡(関尻字常城)、東大和田城山砦跡(東大和田字堀切)、服部館跡(相川字柳糸、『富津市史』では「正木館」としている)、天羽城跡(相川字天羽城)、鳥海館跡(梨沢字小向)、君ヶ谷城跡(竹岡字二又山)、城山砦跡(金谷字大久保)、岩富城跡(亀沢字岩富山)、北上砦跡(亀沢字座房)、旗本山砦跡(相野谷字辻畑)、虚空蔵山城砦跡(障子谷字堀ノ内)、梨沢常代城跡(梨沢字常代越・相川字古屋敷)、不入斗常代城跡(不入斗字常代)があり、合計で18ヶ所確認されているが、湊川流域や佐貫、三舟山周辺に集中している。同地域が、安房里見氏と真里谷武田氏、後に北条氏による攻防の境界であったことを示しているといえよう。なお、上記の旗本山砦は、『君津市の歴史』「小糸川流域の中世城郭」では、「八幡の森」としてその写真を掲載している。「旗本山」は、「八幡の森」ともいうらしい。
引用先:君津地方歴史情報館 - 久留里歴史散歩Ⅱ
http://www.geocities.jp/marusyou03/sub7.htm
この地域には複数の城址がある事の理由がお解かり頂けるだろう、ただ私達が来訪した梨沢常代城址に関しては幾つかの説があり、周辺の歴史と現地の地形などを考慮して総合的に判断すると正確には城址ではないとの見方が大きい。
参考:千葉県内の城館主氏名
http://members2.jcom.home.ne.jp/sengokubusyou/futtusi.htm
富津の城に関する資料サイトにも記載が。
http://members2.jcom.home.ne.jp/sengokubusyou/futtusi.htm
ふさの国文化財ナビゲーションにおいても「富津市梨沢」×「梨沢常代城址」で検索をすると関連資料を閲覧する事が可能だ。
http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbbunkazai/index.html
跡名:梨沢常代城跡
読み:ナシザワトコシロ
所在:富津市梨沢字常代越・相川字古屋敷
種別:城館跡
時代:中近世
立地:丘陵・山林
遺構:曲輪・腰曲輪・土橋・櫓台・井戸
作図:日本史学者(城郭研究)- 村田修三
参考として見て欲しい。山間部の城址で曲輪が現存する例として上の図解の様な区画分けが見て取れるのだけれどこの梨沢常代城周辺には何も…いや、見つけられないだけなのか。
次回探索時には是非この遺構も発見したいところだ。
手前が城址側で左側は盆地で落込んでおり、前方はピークが続く。周辺は帯状の小規模丘陵がある為、この地形を利用して築城したと思われるが石垣などは全く残ってはいない。恐らく岩上に見張り小屋の様な簡易建造物が在った位だろうが出土品が城址のそれであり、正確な判断が出来ない状況が続いている。
また妙蔵寺に付随する有名なやぐら群「相川石見堂と窟堂」は富津市指定史跡として詳細な調査が過去に行われている、これらのやぐら群とこの梨沢常代城が深い関係に在ったと思われる為に城址ではないが別の重要な信仰対象としての建造物が在ったとの見解も有る様だ。
この城址に関しては帰宅後に興味が沸いたので追加調査の対象として別途そのレポートをご紹介しようと思う、現段階では既述の内容が限界だった。午前中には巨石群での資料用動画撮影を終えたかったので先を急ぐ、また改めて足を留める機会をつくりましょう。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差20m
現在地:https://goo.gl/dHdS2x
起伏が激しい為に短い距離でも結構疲労が蓄積する、うーんおいちゃん疲れたなぁ。
さて、後はルート的にピーク沿いを通って部分的に緩やかな等高線部分から盆地内部(樹海エリア)へ入れれば御の字だ。しかし11月(来訪時)だと言うのに房総の山々は緑が多い、常緑種が多い事と温暖な気候がそうさせているとは思うけれど流石に最近は寒いんだけどなぁ。
っと、この辺で今回の調査目的をリストしておこう(城址関係は除外)。
① 房総に富士の樹海の様な景観は存在するのか
② 巨石群は存在するのか
③ 石田村と言う地域は本当に存在したのか(その場所は何処か)
④ 忌避地とされる理由は現地で発見出来るか
これらに加えて地元の造園業者さんと林業関係者さんから妙蔵寺で情報提供された、
昔からの言い伝え①
石田村には悪さをする子供や若者を閉じ込めた「穴」があり、その穴がある岩には「南無妙法蓮華経(※5)」と刻まれている。一度その穴に落とされると二度と出て来れない。
昔からの言い伝え②
石田村には金谷へ抜ける穴が開いていて猟師の犬が入り込んだ事があった、その後金谷方面の海近くの横穴から出てきた。
昔からの言い伝え③
誰も住んでいない(相川・梨沢地区の住人は知らない)のに昔から「村」があると聞いていた、山仕事の人間も気味が悪いと言って誰も近付かなかった(数世代に渡ってそう言い聞かせられてきた)。
などの昔話に出てきそうなエピソードも調査対象とした、特に「穴」に関しては全国に類似する伝承が残っていてそれぞれ信仰的意味を持っている事も多い。山岳信仰に関する忌避地は今でも国内に沢山あってその様な意味がこの場所にも在るならば「いわれ」の物的証拠も掴みたいところだ。
以降、これらの謎解きに軸を置いて話を進めていく。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差10m
現在地:https://goo.gl/THi52V
ピークを登り詰めると右側が随分と開けた、GPSをヘッドアップで表示させると東側だ。部分的に眼下を確認出来る絶壁が見えてはいたがここは人が3人位並ぶ事が出来る眺望ポイントの様だ、ロープを垂らそうとも思ったけれどこれからの行程が不明だし先を急ごうか。
暫くピーク沿いを下ると行く手左側(GPS上で北側)に緩やかな斜面が姿を現した、ずっと急斜面か岩場だったのでここから樹海エリアに入る事にする。元々等高線の流れでアタリを付けていた地点とも合致するし往路の確保も容易に見える、何よりこの地点で気に成る景観的変化も目に入っていた。
「ちょいちょい岩が散見してる」
うん、ちょっと異質だ。房総半島でこんな風景は見た事ないぞ、しかも結構な大きさの岩がアチコチに見える。こりゃ「巨石群」っての本当に在るのかもですなー。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差10m
現在地:https://goo.gl/XHn0NM
あ、来たかもコレ。
ああ、これ変だわ。確かに巨石がゴロゴロしてる、しかも斜面や平地に関わらず形も様々で統一感が全く無い。うん、やっぱりオカシイ。
上から転がってきたとも思えない、隆起している方向もバラバラだし…かと言って人が運んだ様にも見えない。写真じゃ解り辛いけれど現地はそうとう不思議な景観を見せてくれていた。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差10m
現在地:https://goo.gl/xj4yKr
リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。
しかしまだ樹海エリアに入ったばかりなのにこの有様か…こりゃ期待出来そうな雰囲気じゃねぇですか、まずは周辺を探索して地形などの把握に努めると致しましょう。
っと、一つは検証出来たな。
① 房総に富士の樹海の様な景観は存在するのか
「後編」最後尾に掲載した動画を是非見て欲しいけれど確かに樹海っぽい(重要)場所は在った、房総とは思えない入り組んだ地形と雑多に自生した樹木や植物。うん、これは樹海っぽいわ。ただ竹が、ねぇ…竹って自然界でもかなり繁殖強者なんだけれど結構侵食して来てるんですよね、この辺。その所為で恐らくは確かに「樹海」であったのでしょう、しかし現在に置いてはちょっとだけその雰囲気は削がれたのかもしれません。
巨石群に関してはまだ何とも、確かに密集して巨石がゴロゴロしてますが「群」とまで言えないんだよなぁ…これで終わりじゃないですよね?石田村さん。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差20m(時々圏外表示)
現在地:https://goo.gl/Vbeuc2
更に進むと岩と岩の間にクラックホールの様な竪穴を見つけた、これってば穴と言うより岩と岩の隙間かな。残念ながらそこそこの深さを感じさせたものの見える範囲は3メートル位、その先はどうにも窺い知れず…人が入り込むには少々狭過ぎる様だ。
※ それぞれの岩が結構大きく、洞窟や穴で無い事は判断出来るがたまたまクラックホールの下方に自然の穴が存在する可能性も考慮。今後の課題としてひとつひとつ確認して行こうと考えています、しかし残念ながら地質や周囲環境で判断する限りこの場所に洞窟的な穴は存在しないと…いえ、個人的な見解なんですけどね。
うーむ、しかしこの周辺は学術的に考えてもどうも腑に落ちない。
詳細は控える(面倒)けれど資料は添付しておこう、以下PDFを時間が有れば参考程度に見て欲しい。簡単に要約するとこの辺の岩質が過去の房総半島の地質調査を合致しないって事、ただ下記の資料はこの場所からやや離れた場所なのでご留意を。
地域地質研究報告 - 那古地域の地質
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_08094_1990_D.pdf
こちらも併せて見て頂けたらと思う。
地質学会 - 千葉県房総半島にみられる特定の凝灰岩単層のみを石材として利用した石蔵
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2015/0/2015_375/_pdf
凝灰岩層で知られるこの地域の地層だが隆起(若しくは何か別の理由で落下してきた)している岩は明らかに隣接地域の岩質と異なる。「名草の巨石群」と言う有名な天然記念物が在るのだけれどそれに近い、地層地質的には関連性は無いけれどどうも他から落下(転落)して来た様に見えない事で個人的には地層に隠れていた岩が隆起した結果じゃないかと思えて仕方が無い。
いや、そもそも新しく落下(転落)したと思われる石や岩が見当たらない。眼前の巨岩の殆どは苔生す間この状況を維持している訳でして、うん…多分「元々存在した」巨石群なんだろうな、ここは。
そしていよいよ核心部へ、結論…在りましたよ本当の「巨石群」。いや、ね。ここは凄く凄いですよ、確かに「群」でしたよ、ええ。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差20m(時々圏外表示)
現在地:https://goo.gl/e7iCSU
イイトコロ切りで前半終了、資料を外部から引っ張って来ても引っ掛かりましたアメブロのテキスト24キロバイト規制。って事で後半は以下よりどうぞ。
※ エントリーは2日間に分けて行っております、後半は明日(161230/2000)に更新致します。
写真撮影:6Frogs Design Works
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