千葉県│梨沢 石田村の巨石群 - 後編
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 梨沢 石田村の巨石群(大字相川石田村/大字梨沢石田村/梨沢常代城址)
訓読みの「訓」は音読みなんですよ、こんばんわ「行ってみた」のお時間です。昨日に引き続き今回の素敵物件「石田村」に関するレポートの後半エントリーです。
大きな物から小さな物まで働く力と闇の力が交差する時、その強大な敵の前では人類は塵に等しい存在だったかは解りませんが大晦日イブですよ。前半は以下よりどうぞ、それでは後編スタートです、荒ぶる心は過積載ディゼェルウ(白煙)。
ちょっとこれは異常だぞ。
先程の岩の群れをすっかりと「巨石群」と勘違いしていた、いやね…こりゃ凄いですわ、本当に本当の「巨石群」が確かに在りました。
大小様々な岩が確かに群れておられます。
いやホントにちょっと房総っぽくないぞ、久し振りに千葉県の底力を見た様な気がする。こんな衝撃は「本村川源流帯」以来だろうか。
※ 房総半島ナンバーワンの奇形絶景、そして素晴らしい秘境感。
何よりデカイ、そうなんです。岩が本当にデカイんですよ、この辺。エル・ヒガンテ兄貴でも恐らく持ち上げるのが無理って岩が小石レベルでゴロゴロ、こりゃあバーガ293で薙ぎ払う他あるまいて。
② 巨石群は存在するのか
房総の巨石群、ヒメマルカツオブシムシにあらずぅぅううわああっ。(存在しました)
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差20m(時々圏外表示)
現在地:https://goo.gl/RzBzuC
リコーのシータアップロードサイトへ移動(ブランク)します、PCからならマウスのジェスチャーコントロール、モバイルの方も同様ですがVR系アプリがインストールされている場合はジャイロが良い働きをしてくれます。
今回「樹海エリア」に余り焦点を当ててませんがこのエリア、隅々まで歩くと色々と発見があります。勿論「巨石群」はインパクトがあるし樹海っぽさを十二分に感じさせる「密集群生樹木」としての美しさも実感出来た。
しかしですね、恐らく。
この「石田村」と目されるこの場所、その魅力の根源は「樹海」でも「巨石群」でも無いのだ。ここには人が住める環境を想像させない自然の深さを感じるが目にするヒントがどうにもね、
「人臭い」
んですよ、ええ。まあこれも次回来訪の課題でもあるのだけれど…兎に角、もし「石田村」が公式に存在したならば。そこには「村」としての意味が必ずあった筈、ビンビンに感じるんだよなぁ…ここが村で在ったんだ、と。
※ 解説フェーズで説明
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差10m
現在地:https://goo.gl/ggUJip
成程、”房総の樹海”とは上手く表現したものだ。確かに四方八方がこの様な景観で埋め尽くされている。まあ本物の樹海に関しては少々感じ方と言うか雰囲気が違うのだけれど、それでもこれだけ鬱蒼としてるのは房総の山々を歩いていても見掛けない光景である事は確かだ。
岩のそれぞれが確かに大きくて「巨石」と人目で解る物から一枚岩か判断し辛い「超でっけぇ岩」など、小さくても3メートル級~って感じで10メートル級もチラホラ。
さてさて、無線でやり取りしながら随分と離れてしまった今回の相棒U田川君にコールする。
「何か穴的で伝承的なアレとか見つけた?」
「竹薮が凄いですね」
「竹薮凄いよね、こっちもホント厄介な程の竹薮。で、何か」
「ええ、そうですね…竹薮が凄いです」
そう、竹薮が凄くてもうね。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:圏外
位置補足:圏外
現在地:https://goo.gl/fSEki0
竹薮ぅぅうう(ツルハシ+!?)
立派なトサカはインパルスのエキゾーストノートと共に、しかしここは”B”突堤に非ず…もうやめて、これ以上は進めないよ。
冗談でなくて本当に少し進むだけでも結構な時間を浪費させられる、これは調査の時間の無駄遣いだ。よって詳細な調査は次回に持ち越すとして現状効率良く歩く事が出来る範囲で宿題を進める事にしよう。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:圏外
位置補足:圏外
現在地:https://goo.gl/oupm3b
人が入れそうな岩の隙間やクラックホールを探す、この岩は周辺では一番大きいと思われる外周20メートル程の巨石。その下方に隙間が在ったので確認はしたものの…うん、ただの埋没。
こんな類似する環境が本当に多くて、なのに穴や洞窟なんて見つからない。いや、山やってる人間なら本当は気付いてもおかしくないのだけれどね…この石田村と呼ばれる地形環境でまず洞窟は在りえないんだよねぇ。
洞窟 - ウィキペディア
https://goo.gl/omDJo3
「生成作用による分類」を見て頂ければお解かり頂けると思う、その殆どがこの場所の地質と合致しない生成条件なのだ。唯一、発見当初に予測したクラックホールが「集積作用」にあたる。
集積作用
巨岩塊が積み重なった隙間がつくる擬似洞窟
が、集積作用による生成条件が整った場合は閉塞・埋没と言った小規模な洞窟しか存在しない。ましては語り継がれる様な
昔からの言い伝え①
石田村には悪さをする子供や若者を閉じ込めた「穴」があり、その穴がある岩には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。一度その穴に落とされると二度と出て来れない。
昔からの言い伝え②
石田村には金谷へ抜ける穴が開いていて猟師の犬が入り込んだ事があった、その後金谷方面の海近くの横穴から出てきた。
昔からの言い伝え③
誰も住んでいない(相川・梨沢地区の住人は知らない)のに昔から「村」があると聞いていた、山仕事の人間も気味が悪いと言って誰も近付かなかった(数世代に渡ってそう言い聞かせられてきた)。
の様な穴は可能性がゼロなのだ、でなければとうに発見されて調査もされている事だろう。国内で未発見、若しくは公式な確認がされていない洞窟や鍾乳洞は特殊な環境を覗きほぼ記録が残っている物だった(信仰対象や地域沿革など)し開発が進めばその過程で発見された事もあっただろう。
地質や岩質、そして歴史がこの場所には大規模な穴は無いと理論的に告げている。勿論探してはみましたよ、でも結論としては
危険な場所に子供を近付けさせない大人の知恵、そこから時間が経過して真偽不明な言い伝えが残り続けてしまった。故に大人も半信半疑ながらその言い伝えを信用して付近には出入りしなかった…
これが古い伝承と「忌避地」としての真実だったのではないでしょうか。
④ 忌避地とされる理由は現地で発見出来るか
確証は全く無しの個人的見解だけれど状況がそうだと、伝承に繋がる証拠は無いけれど伝承内容と幾ばくか類似する環境が実際に存在しただけに現在(伝え聞く内容)に至ったのではないかと。
ただ「昔からの言い伝え③」の「誰も住んでいないのに”村”」とはどういう事なのだろうか、これも子供を怖がらせるブラフの一つだったのだろうか。これは検証目的としてあげた「③ 石田村と言う地域は本当に存在したのか(その場所は何処か)」と共に机上調査を織り交ぜて詳しく解読していくとしよう。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:||||||||||
位置補足:誤差10m
現在地:https://goo.gl/fo7ko3
確かにバーチカルな穴は見つけましたよ、でもコレだもの。長辺30センチ、深さ1メートル未満じゃ大人はもとより子供だって入れない。
迷い易い、起伏が激しく転落事故などを起こしたら自力で帰路につけない、ピーク沿いに至っては即死級の高低差。山に慣れていない大人なら十分に危険とされる条件が揃っている、ならばやはり子供同様に大人が伝承を信じてしまった事は致し方ないのだと言えるだろう。
[ GPSの感度の位置補足の精度を記載しています ]
電波感度:圏外
位置補足:圏外
現在地:https://goo.gl/Ii7JyN
実はこの時、無線でお互い連絡を取りながらほぼ同時に別々の場所で「ある物」を発見していた。凡そ人が定住する様な場所でない事は探索当初から気付いていたので「村」とされた別の証拠を探していたのだ。
そしてここは距離は離れていても「梨沢」だったのだ、ならばその可能性は予見出来た筈だったのだけれど伝承や「樹海」・「巨石群」などの魅力溢れる言葉に盲目に成っていたのかもしれない。
人工的に同じ様なサイズにカットされた黒い物体、梨沢遡行中に発見した「アレ」と同じ物だ。そう、「製炭産業の形跡」だ。
向こうは捨て炭ばかりだったが此方は商品だったのか随分と形が良い、そして部分的に集まって残っている。
成程。
豊富な岩場、それに伴うクラックホール、密集する樹木…これは製炭に適した環境と言えるのではないか。記録には残っていないこの場所での製炭産業の形跡、昔から忌避地とされた本当の理由、定住者が居ない「村」と言う記号。
見えて来た、うっすらと見えて来たんじゃないか。
離れた場所でもU田川君が発見していた。
次回来訪時にはマップ上に捨て炭の発見場所をマーキングしようと思う、勿論「窯」が発見出来れば言う事はない。一先ず現地で得る事が出来た情報と机上調査の内容を刷り合せる事が先決だと判断、少し早めの撤収を決めた。
その後、僕らはいつも通りに「ばんや」へ行く。疲れた身体を新鮮な魚介類が癒してくれる山と海の架け橋と言えよう。
漁協直営食堂
http://www.banya-grp.jp
「このオススメのタコ旨いですね」
「そうか、これはタコ…つまりお墨付きって事か」
\\ꐕ ꐕ ꐕ//
「こっちのイカも旨いでぐぇぇえ=3」
「そうか、これはイカ…つまりお墨tゲップしてんじゃねぇ」
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検証と解説 - 石田村は実在したのか
これまでの現地検証での結果をまとめよう。
① 房総に富士の樹海の様な景観は存在するのか
確かに存在した、それも結構本格的な景観を見せてくれる程に。
② 巨石群は存在するのか
これまた存在した、しかも地質学的に色々な謎を残しつつ。
④ 忌避地とされる理由は現地で発見出来るか+各昔からの言い伝え
危険な地形や状況を考慮して推測、リスク回避の為に忌避地とされ…たのかもしれないけれど幾つか検証しなければ成らない事実を発見。
そして最後に、
③ 石田村と言う地域は本当に存在したのか(その場所は何処か)
である。それでは③と④を平行して解説して行く事にしよう。
当初我々は石田村と言う地名は存在はせずに地元の方が昔から便宜上根付けたローカル呼称の一つだと考えていた、しかも樹海エリアの中の巨石群のエリアをそう呼んだのだと思い込んでいた。
これは単純に石田村の「石」と巨石群の「石」を並列に考えた実に安直な考えだった。
恐らくはこんな感じだと、なのでそんな自作推測マップを元に現地を探索していたのだ。しかし行政にお願いしていたこの地の資料提供が私達の考えが大幅に違っていた事を明らかにしたのでした、何ともお恥ずかしい。
見て欲しい、これが行政が把握してる「石田村」の地域区画分けの図だ。ん…、おいおい。って事は、だ。
石田村って正式にあるって事?
ええ、在りました。現在の富津市梨沢の山間部に確かに石田村は存在しました、1971年3月10日に製図(市町村合併前)の土地法典には上記マップの大字大字相川及び大字梨沢(※5)それぞれの箇所に載っており、存在した事は確かな様です。
※5:大字大字相川石田村と大字梨沢石田村
これは隣接する様に石田村が2つ在った事をしまします、ならば地元の住民は一体どちらを指して「石田村」と呼称したのでしょうか。
これも推測ですが恐らくは梨沢石田村を「石田村」と呼称していたのではないか、と。その後住民の方へ確認を取りましたが「2つの石田村が在った」事をしる人は1人もおらず、総じて巨石群の辺りを石田村と呼んでいたとおっしゃっていました。
しかし、何故隣通しで同じ地名を付けたのかなぁ。
当初は左側をベースに現地を探索、しかし実際には右側の様な区画分けがされていました。偶然にもその探索エリアの殆どが
石田村じゃない
ってのがまた、ねぇ。
ああ、因みにこれ以上古い記録は提供されていないのだけれどこの2つの石田村…元々は1つの石田村だった可能性(別途取材にて)が出てきました。これも今後の課題(宿題)とさせて下さい、現在も調査中(※6)なのですよ。
※6:石田村の名称の由来、これにも巨石群が関係している様でして。
これでやっとこ片付きましたね、最後の
③ 石田村と言う地域は本当に存在したのか(その場所は何処か)
石田村はちゃーんと在りました。
うん…記録が残ってて良かった。
しかも驚く事に行政からの回答にはこの様な一文があった。
「また、課税用の資料等でも両大字において石田村という地名が使われており、石田村という地名は今でも”存在する”と言えるかと思います。」
なんですぅえってぇえ?
「人臭い」、私達は現地でそう感じていた。人が住んでないのに、だ。しかし確実に人が入っていた証拠「捨て炭」なども発見している、課税用の資料として「石田村」の地名が使われている…これは。
公式記録として残っているのは沢沿いの製炭産業だ、この石田村には製炭の記録はない。伝承で隔離された忌避地としての本当の理由…。
ここで製炭集落に関する資料をリンクしよう。
製炭集落の諸類型(1962) - 国立情報学研究所
https://goo.gl/fo3JDL
※ 類似資料として「わが国における製炭時期の諸型式の分布 (1956) 」
この資料では戦後まとめられた製炭集落に関するレポートが記載されている、この資料を読むとですね…うん。年代的にも形態的にも、石田村ってば”そう”だった可能性がある訳ですよ。
確証が持てないけれどどうしても予想しちゃうよねぇ、何かアレ的な。なのでもう少し調査を進めます。富津市役所にも直接乗り込んで色々と聞いてきますよ、そして多方面に協力をお願いした結果も次回にまとめようと思っています。
行政から提供された簡易的な石田村の区分け、梨沢については緑色・相川は紫色で着色されている。って、あれ?
ちょっと待ってくれ
常代越は地名的にその間々の由来で解りやすい、「常代」を越えた地なので「常代越」なのだと解る。気に成ったのは2つの石田村に挟まれた場所に記載されている
「大穴」
あれ、もしかしてこの辺にあるの?この辺に行けば「穴」あるですか?なんかその辺も歩いた気がするけれどもう一度挑戦しなくちゃ駄目ですか、そうですか。
あー、もう。
ここ面白過ぎ、新人研修してた梨沢大滝から程近いこんな場所で住民の記憶も行政の記録も定かではない…だけれど現場の状況が何かを語ろうとしている、そんな物件に出会えるなんてなぁ。
兎に角だ、不確定要素をリストして潰していこう。その過程で解る事実もある筈だ、答えの直ぐそこまでは近付いている気がするんだよねぇ。
解った事もあった、解らなかった事もあった、何より新しい謎も出てきてしまった。これらをやっつける為にこの「梨沢」と言う地を根本から調べ直す必要性も感じた今回のエントリー、中途経過としてのレポートに成りましたが房総半島の魅力の一端を感じて頂けたら幸いです。
次回、私達は更なる発見をします。
協力(資料提供と聞取見聞)
富津市教育委員会
真言宗智山派 妙蔵寺
※ 他、梨沢地区及び相川地区にお住まいの協力者の皆様
アプローチ
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地図リンク
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写真撮影:6Frogs Design Works
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