福島の被災地取材最後は大熊町、と言っても見るべき所が余り無かったので広範囲(別の地区)に足を伸ばしてしまったので撮影地はアチラコチラと飛んでいますがご勘弁を。前回までのエントリーは以下よりどうぞ。
既にご存知の方もいらっしゃると思いますがこのエントリーが初めての「行ってみた」閲覧者である事も考慮して前回の冒頭部分をコピペ、何故私達が福島へ来訪したのかを知って頂ければ幸いです。
まずは今回の取材撮影に至るまでの経緯をお話しましょうか、この福島入りは2016年の春先に頂いた1通のメールから始まります。
そのメールの送信者はトルコ語通訳を生業とされる方でして。内容は、
「スウェーデンやトルコのメディア協力の下、トルコ人のドキュメンタリーフォトグラファーが世界中の産業遺構を撮影する国際プロジェクトを進めている。日本においては軍艦島や福島の被災地に興味を持っており、日本国内における撮影に関するオーガナイズをお願い出来ないか」
と言うもの。紆余曲折あり軍艦島や根岸競馬場(※1)、東北の鉱山跡(※2)などを絡めたプランを製作。メインに福島の取材を据え、ドライバーから宿泊施設の予約など出国までの全てをロケーションコーディネータばりに同行すると言う内容だ。通訳には元外務省勤務の非常に忙しいトルコ語通訳者が着いてくれた、日本ではニッチな需要(トルコ語通訳)な為に同行中にもバンバン仕事の依頼が携帯に入る非常に優秀な方でした。
※1:軍艦島に関しては長崎市観光推進課、根岸競馬場に関しては横浜市環境創造局施設管理部管財課の各担当者さんが親切に対応してくれました。
※2:田老鉱山や松尾鉱山など
8月後半の来日までにも実に沢山の人が協力してくれ、どうにか無事取材を終える事は出来たが兎に角色々と立入が厳しい福島。各行政の広報課や秘書課の担当者さんにも随分と便宜を図って頂いた、今回とは別件で「行ってみた」としても再訪予定なのでその時は行政同行者や現地の方の話を交えてレポートしたいと思う。
が、今回はドキュメンタリーフォトグラファーの意向を中心に行動したのでいつものレポートとは少々毛色が違うかもしれませんね。
それではプロジェクトの内容や件のフォトグラファーさんの紹介を交えながら福島での取材撮影、その模様を書き綴ると致しましょう。この福島レポートは全3回を予定、それぞれ「双葉町」・「浪江町」・「大熊町」とエリアを分けてエントリーします。
大熊町は震災後に印象深い写真によって風評被害を被った地域でもありました、その問題も取り上げながら最後の福島レポートを進めたいと思います。
掲載写真について
全3回の福島取材撮影レポート内の写真はスゴログで撮影したものです、また行政より許可を得て撮影していますが特に現在進行形で問題を抱える地域や場所、施設の写真は掲載を見送りました。各行政、出版社との取り決めもありますのでご了承下さい。
撮影箇所の地図リンクがありますが一般立入が可能な場所とそうでない場所があります、防護服などを着用して映っている箇所は特に被爆の可能性の高い地域ですので安易に来訪しようと思わない様、お願い致します。
フレコンバッグの山が見慣れた福島滞在4日目、最終日は大熊町の予定だった。が、行政の方と話した結果撮影コンセプトと合致する場所は更に特別な許可が必要との事で今回は諦める事に。現在の通行許可証で入れる地域と現地で気に成る場所を無作為に撮影していくスタイルへ変更した、なので撮影場所を記載したグーグルマップのリンクは必ずしも大熊町では無い事を予めご了承願いたい。
それではこの福島レポート最後のエントリーを始めよう。
帰還困難区域の道路は何処も彼処も草茫々、走れるだけまだ幸運な方だ。クライアントからこの日はどうしても見たい場所があると指定されていたので途中気に成った場所に立ち寄りながら希望の物件へ向かう事にした。
閉鎖された工場と隣接するビニールハウス農業地、どちらも広大な敷地だったが勿論人の姿は無い。因みにこの時点までGPSロガーをオンにするのをスッカリと忘れており、場所のリンクが記載出来ない事をお詫びする。
さて、そろそろお目当ての場所の付近。
ここだ、うーん…解り辛いだろうか。それならば。
https://goo.gl/maps/ZdiWoqmoe5r
これならどうだろう、この場所…写真で見た事がないだろうか。
https://goo.gl/714CDV
https://goo.gl/kZf8It
https://goo.gl/IokNXu
実はここ、冒頭で記載した問題の場所でもある。
この様な感じでこの場所を取り上げたブログやメディアのソースが一時期溢れた事があった、その大元は「デイズジャパン」の記事。
http://www.j-cast.com/2016/02/02257343.html
嘘がバレて直ぐに訂正文を掲載するもこれまた嘘を掲載。
https://www.facebook.com/daysjapan.net/posts/1017124921660027
デイズジャパンはわざと解り辛く”「人々が乗り捨てて逃げた車」とあるのは誤りで、正しくは「投棄された車」でした。”と訂正したがこれでは結局「原発事故で投棄した」と誤解を招く表現を敢えてしている様にも思える、その後も批判は集中したが現在においてこれ以上の訂正は行われていない。
グーグルアースで過去の航空写真を確認すると2004年までは何もないけれどハッキリ映し出される(廃車が並ぶ)のは2009年、因みに地震前の2011年3月に撮影された震災直前の写真にもシッカリとこの車たちが映し出されている。
元々は車のリサイクル業者のストックヤード的な使用で置かれていた場所、これを想像でバックストーリーをでっち上げてまで”印象操作”するのは一体何処の誰で何を意味するのだろう。
http://www.minyu-net.com/news/sinsai/michishirube/FM20160207-048190.php
別メディアなどでも幾つか後日談を取り上げているけれど結局再取材などの約束は果たされていない。そんなこの場所の現状を確かめに行きましたが、ええ。
撤去されてました。
ものの見事にキレイさっぱりと、誤解された間々の方達やウェブメディアに疎い方達への対処としては有効な措置かと思われます。私達が来訪したのは2016年の8月でしたがどうやらその2ヶ月前の6月頃に作業が行われた様です、ドローン飛ばして類似の写真を撮りたかったのですが残念。
取材班は地元の温泉組合の方をアドバイザーに迎え、何処か取材場所として適した場所はないかを伺うと「放棄された窯元の小さな町が在るからそこはどうか」と提案され向かう事に。
社の無い鳥居(※3)が迎えてくれた窯元集落、帰還困難区域の為に現在も無人の場所だ。この一体は相馬焼きで有名で全国にもリピーターが数多く居る有名な窯元が集う地域。
http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/7/334.html
※3:その後斜面上部に社を確認しましたが神社の名称は不明な間々でした。
写真説明:緑に覆われた鳥居
撮影箇所:https://goo.gl/xZkLz0
警察車両がやけに多く巡回している地域で少々緊張したが震災後に陶器の窃盗が頻発して特に警戒しているのだとか、建物の中を首を伸ばして覗き込むと未だに製作中の物や売り物だった陶器が残されていた。
写真説明:この窯元は幸運にも別の地で営業を再開する事が出来た様だ
撮影箇所:https://goo.gl/ASCfPs
南相馬のホテルへ帰る途中に海岸沿いを走ると解体されていない崩落建造物が眼に入った、この手の建造物は直ぐに解体されるのだけれど何故残っているのだろう…車を停めてみて見る事にしよう。
特別変わった施設では無いだろうと思うけれど…工事関係者に伺ったが建造物の用途は不明との事、因みに近い内に解体される様だ。
写真説明:海岸沿いの建造物の殆どは解体されている
撮影箇所:https://goo.gl/wtdTkh
ロガーの不調で撮影場所が解らない写真も数枚。
福島第一原発は双葉町と大熊町に挟まれる様に位置している為、今回の大熊町も震災時には実に高い線量を記録した。今回取材した「双葉町」・「浪江町」・「大熊町」はそれぞれが数ある理由と立地条件によって大きな被害を余儀なくされた地域だ。
それは現場に立つ事でペーパーメディアやウェブでの情報以上に色々な事を教えてくれます、例えばですが。
この様な動画が大げさなのか、本当なのか、表現は適切なのか、線量計を映さない事に意味はあるのか、公開時期が2012年にしては内容と閲覧数が不自然ではないかなど疑問が出て来るのは当然だと言えます。それが事実なのかどうか、それを確かめる為には報道される内容を元に現地で実際に体験するしか方法はないでしょう。
今回の取材でこんな基本的な事を改めて気付かせて頂いたトルコとスエーデンのカメラマンさんには本当に感謝です、日本人なのに福島(や東北)の震災時と現状をもう忘れ掛けているのですから。
最後に大熊町でのニュースでずっと気に成っていた事がありました、同行取材が決まってから知って経過が語られて無かった行方不明者のお話なのですが。
こんな事もあるのだと、そう思いながらも。未だ発見される事のない行方不明者が数多く居る事も忘れてはいけない事実なのでしょう。
東日本大震災における死者・行方不明者の推移
https://goo.gl/nQLat1
東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率
https://goo.gl/gbiqr3
氏名の推測ができない(身元不明)犠牲者の方々
https://goo.gl/egmHCj
福島での滞在を終えて私達は東北へ、震災の爪痕をより色濃く残す地域で写欲が掻き立てられたのかクライアントの強い要望もあって追加で東北の鉱山施設跡の撮影も行う事に。東北の鉱山跡と言えば「田老鉱山」・「松尾鉱山」・「尾去沢鉱山」の3箇所、スケジュール的問題もあって立ち寄ったのは田老と松尾でした。
海外の産業遺構を数多く見てきたトルコ人カメラマンのエミン氏、その彼をもってしてもこれ等の廃墟と化した鉱山跡は非常に興味深く映った様でした。
福島から移動して最初の産業遺構は田老鉱山、クライアントもこの日本が誇る美しき廃墟には満足した様子で撮影を終えた。その日のスケジュールで時間的な余裕が少々あったのでちょっと変わった奇景があるので行ってみないかと提案、場所は程近い浄土ヶ浜だ。
宮古観光文化交流協会の計らいで時間外の「宮古市公園内道路車両通行許可証」を発行して貰い、夕暮れの浄土ヶ浜へロケ車で横付けする事が出来た。更に「トルコ人とスエーデン人が鯨が食べたいと暴れている」と伝えると缶詰を出してくれ、しかも良く合う日本酒や地ビールも提示してくれた。
主任の○田さん、どうもすみません。
写真説明:夕暮れの浄土ヶ浜
撮影箇所:https://goo.gl/HQHcEz
※ 震災後、別途で来訪した時はレストハウスは無残に破壊されて道路は凸凹でしたが数年振りに来訪した浄土ヶ浜は観光化整備が進み、見事に復興していました。
浄土ヶ浜からその日の宿泊地だった花巻市に向う道すがら、記憶に残る風景があった。遠野の山々は本当に美しいのだけれど思わず車を止めた場所、それが新田牧場だ。
新田牧場はその景観が美しいだけではなくて歴史も長く、そしてその奥地にあたる長者森には「長者森金山」が在った事で地域産業史もおいてもその重要性は高い。
ネット上にその情報は多く無いけれど興味がある方は是非調べてみてほしい。
新田牧場を後にして立丸峠を下り、遠野市街地へ車を走らせているとこれまた素晴らしい景観に出くわした。地元では話題に全く成らない様だけどこの直線は結構凄いと思いますよ、いや…北海道の国道12号直線に比べれば微々たるものではありますが。
写真説明:国道340号線の直線区間
撮影箇所:https://goo.gl/U0AkX9
日本の滞在期間最後の撮影対象物件は「松尾鉱山」、この松尾も随分と久し振りに来た。「荒廃した撮影対象物には深い曇空が合う」とは氏の言葉、成程…どうにか晴天に成らないかと気を揉んだが要らぬ心配だった様だ。
写真説明:松尾鉱山で撮影中のエミン氏
撮影箇所:https://goo.gl/RBUaif
今回の仕事で学んだ一番の重要点、それは共通言語は「英語」じゃないとちょっとしたコミュニケーションもとても大変だという事でした。
スケジュール管理でも運転でも取材交渉でもなくて、そう…やっぱり言葉なんですよ。トルコ語難しいんです。
いや、ホントにね。
誤解が無い様に記載しますが重ねてお伝えしている通り、今回は以下の様な各行政から発行される許可証を取得して現地取材に同行しています。かなり面倒ですが個人でも取得は可能だと思います…が、メディア関連でもパトロール車両に何度も止められます。
総じて個人での帰還困難区域への来訪は敷居が高い段階と言えます。
覚える事も結構多く、また基本的に行政関係者が同行します。ルートは事前に提出してスクリーニング場などの予約や線量計の用意、防護服やマスクなどの準備も必要です。ゲートでは毎度身分証明と行政発行の書類、乗車名簿を提示しなければなりません、予定外ルートや時間の遅延、予定外のゲート出入りなどは現地で管轄する役所と連絡を取り始めて通行が許可されます。
しかしそれだけこの地域の安全対策に力を入れてるって事でもあります、身体への影響や防犯対策を含めて行政が弛まぬ努力をしているワケです。
震災後の福島、その5年後をレポートしました。今回ウチはあくまでオーガナイズの為の脇役でその片手間で撮影した写真を中心にまとめはしましたが…いや、何とも情報不足は否めませんです。今年(2017年)に再度来訪を予定していますが次回は少々趣が異なる内容に成ると予想されます、それでは本日はこれにて。