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REPORT - 0218│熊本県 旧上色見小学校

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-旧上色見小学校


旧上色見小学校 阿蘇フォークスクール


熊本県│旧上色見小学校(阿蘇フォークスクール)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 -熊本県 旧上色見小学校


熊本県阿蘇郡高森町、九州上陸の予定が入る前まではこれっぱかしも知る事が無かった地名。仕事でこの地に来る事が決まってから自由な日程を組む為に1週間分の自宅作業を3日で終わらせて色々と撮影したい場所の候補地を探していた、そんな中で特に無理して行こうとまでは思わなかったけども気に成っていた物件が在った。


九州は阿蘇の廃校、近年はテレビのCMでも使用された抜群のロケーション。当初のルートでは行く事はないかなぁ…そう思っていたのだけど。朝の高千穂での悲運で時間の余裕からココまで足を伸ばす事にしたのが意外と良い結果に転んだのかもしれない、この廃校とっても素敵です。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-旧上色見小学校


付近の道路も綺麗に紅葉していました、全国の紅葉マップを携帯で確認すると関東よりも九州の山間部の方が紅葉が早い事が解り、こりゃ紅葉写真も一緒に撮れるかなぁと期待していました。うーん、大正解。


先ほどの写真同様、後方にそびえるは阿蘇五岳の一つ、根子岳。木造校舎の廃校はもう大好物なのですがこの校舎は色々と再利用の為に手が入っています、中は自由見学可能ですが普通に管理されていて当時を偲ぶ”廃”成分は低いので今回は概観だけの掲載とします。


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旧上色見小学校(阿蘇フォークスクール)

1889年12月に4つの学問所を合併して上色見簡易学校として中原に開校、翌年の1890年4月に上色見小学校へ改称し創立。1910年に現在地に移転、1951年3月に現校舎が新築されました。過疎化の為、2003年3月をもって統廃合により廃校、113年の歴史に幕を下ろしました。


その後地元卒業生が中心となり、体験学習の拠点として阿蘇フォークスクール2004年6月に開設。現在ではNPO団体として運営されています。


2007年6月には条件付きですが旧上色見小学校の木造校舎をNPO法人阿蘇フォークスクールに無償譲渡する議案が可決、現在も多様な生涯学習の場として利用されています。


先ほども書きましたがこの場所、ロケーションが素晴らしくてCMの他にも映画やTVロケに使用される事が多いのだとか。TV見ないから解らんのだけど…確かにとっても綺麗な場所でしたよ。


見つけられた素材はコレだけだったけど貼っておきます。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート-熊本県 旧上色見小学校 阿蘇フォークスクール


NPO法人阿蘇フォークスクール
〒869-160
熊本県阿蘇郡高森町上色見1390-1
0967-62-0027
aso-folkschool@cotton.ocn.ne.jp
http//asofolkschool.eco.to/
水曜日休校


アプローチ
一見解りやすい様で見つけ難い所に在ります、国道265号線沿いのに見える郵便局を見印に付近の「阿蘇フォークスクール」の看板を追って下さい。地図に表示されていない細い路地も多く、目の前まで行かないとこの廃校を目にする事が出来ないので注意して見付けて下さい。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=32.857588080000006&lon=131.15344061999997&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=32.85758808&hlon=131.15344062&layout=&ei=utf-8&p=%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E9%98%BF%E8%98%87%E9%83%A1%E9%AB%98%E6%A3%AE%E7%94%BA%E4%B8%8A%E8%89%B2%E8%A6%8B1390-1


photograph - nee


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6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-廃墟 廃村 廃校 廃道 廃橋 遺構 探訪目録02

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REPORT - 0219│長崎県 片島魚雷発射試験場跡 - 魚雷収蔵施設

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


廃墟 片島魚雷発射試験場跡 魚雷収蔵施設


長崎県│片島魚雷発射試験場跡 - 魚雷収蔵施設 


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 片島魚雷発射試験場跡 - 魚雷収蔵施設


廃墟 片島魚雷発射試験場跡 魚雷収蔵施設


画像を追加しました、何度か訪問しているこの施設跡だけれど日中の写真を今回は掲載。「片島魚雷発射試験場跡」は見所が多くて毎回訪問が楽しみです。最後尾に画像とテキストを追加エントリーしているので是非。


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どうしても来て見たかった九州の物件の一つ、それがこの片島に今でも大きな存在感と共に残る魚雷発射試験場跡。うーん、軍事遺構としても歴史的にとても貴重な存在だったと言えます。


九州への仕事なんて滅多に無い、だから見ておきたい物件に関しては大幅な時間をさいておいた。その結果この魚雷発射試験場跡には3時間程撮影で滞在する事に、それでも足りない位見所が多くて周れない場所も随分と残った事が悔やまれる良物件でしたよ。


この場所は釣りの人気スポットで連日天候を問わず釣り○チさんが訪れます、しかも県外や九州以外からも来る様でこの日沢山の釣り○チさんが。事情を話してモデルに成ってもらったり荷物ごと移動してもらったりと協力的な方たちで3時間退屈せずに撮影出来た事も幸運でした、いやぁ北海道でのツーリングを思い出すなぁ。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


廃墟系のサイトではこの片島をまとめて紹介する事が多いですがそれぞれ役目が違い、その内容も記載しておこうと思います。


最初に撮影を始めたのがこの魚雷収蔵施設


川棚町教育委員会による案内板には、


佐世保湾北岸の海軍工廠で製造された魚雷を試験するために、大正7年、ここ片島に魚雷発射試験場を設置。そして昭和17年に川棚に海軍工廠が設置されたことに伴い施設を拡張。その際に片島は海峡が埋められ陸続きになった。


と歴史が要約されていて訪れる方達にその片鱗を感じさせてくれます。「片島」なのに陸続き、その由来は軍事設備の為に埋め立てられた事による人口半島だったと言う訳ですね。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


正面から、この施設では名前の通り魚雷収蔵を主として時には発射実験の魚雷の整備調整が行われた様です。まず面白いのは建物の上部と下部で石の積み方、そして素材が違う事。


下部に関しては良く解らないのだけど石垣っぽい装飾、切込接(きりこみはぎ)と言うお城の石垣の積み方に似てるなぁ。石垣に関しては全く興味が無かったのだけど廃村を巡る内に野面積(のづらづみ)から入り、今では随分と積み方の種類が解る様に成りました。


そして上部、これレンガなんですが九州の軍事遺構や炭鉱遺構ってイギリス式が多い。一段筒縦と横を交互に組み合わせる積み方なのだけど今回の九州の遺構でレンガの積み方が全てイギリス式だったのは興味深い事の一つでした。


日本にもちょっと似た様な積み方で整層積ってのが在ります。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


入口から内部を除く、うーん美しいです。モニター越しに見た風景が今眼前に、日差しも良い感じに傾いてきた…いや、実は待ってたのだけど1時間位。


外壁の作りはシッカリしていて直ぐに崩壊する様な事は無さそう、機会が在ればまた訪れたい場所だけに下手な再開発の的に成らない事を切に願う。


そう言えばGWに行って来た足尾銅山関連遺構の宇津野火薬庫跡に似てるなぁと思った。


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6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場

ぎゃーす。


うんまそー、こりゃ大好物の類ですわ。屋根が無いのも素敵、結婚して下さい。ツタの絡まり具合もエロくて大変お宜しい、けしからん程お宜しいですー。


見れば見るほど足尾の宇津野火薬庫跡の作りに似てる、そして朽ち方もソックリ。屋根から朽ちるのはまあ解る、理由は沢山在るのだけどこの時代の建築方法やある種の施設に関して言えば調べれば直ぐに解る答えが在ります、興味が在りましたらグーグル先生に聞いてみよう。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


施設内の部屋は2分割されており、恐らくは魚雷収蔵と魚雷調整の目的別に使い分けられていたのだろう。


自然に侵食された廃墟は本当に美しくて北海道で飽きる程見た炭坑遺構に通じるものが在る、紅葉の季節の炭坑遺構なんて正に眼球破裂覚悟の美しさ。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


綺麗だなー、実に綺麗だ。月明かりなんかに照らされたらもっと綺麗なんだろうなぁ。F値爆光で広角のレンズって幾ら位するんだろうなー、高いんだろうなー、持病のヘルニアが爆発する位高いんだろうなー。


さて、撮影してる時に少々気がついた。写真を見てもらうと解るのだけど時代的にどうなの?ってタイルが敷かれて居る。他にも気に成った廃の人が居る様で僕も調べてみたのだけどこの施設の建設資料は見つける事が出来なかった、追って調査したい。


ってか、違和感仕事しろ。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


総じて素晴らしかった、満足のいく物件だった。この後にこの片島魚雷発射試験場跡シンボル発射台監視塔の撮影に移ります。


因みに今回は時間の問題で行く事が出来なかったが(と、言うか帰り際までスッカリ忘れていた)裏手の丘の上にも小さな廃墟が残っている、この施設とセットで良く紹介されているけど使用用途が余り知られていない。


この魚雷収蔵施設から内湾に延びるトロッコレールは勿論この魚雷収蔵施設から魚雷を運ぶ為に在ったもの、そして次回ご紹介する発射台から魚雷が試験発射されるのだけど発射台脇の監視塔と同様に丘の上から試射された魚雷の軌道を観測、監視する役目を負ったのがその小さな廃墟という訳だ。


夏場は茂ってしまって見つけ辛いかも。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


さて、片島魚雷発射試験場跡その2な次回は先程も書いた様に発射台監視塔の紹介です。此方も大変お宜しい物件でして撮影中はずっとオシリから血が止まりませんでした。


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追加調査+追加写真│追加レポート 2012.02.25


九州遠征物件の中で良物件だった「片島魚雷発射試験場跡」、先に追加写真を公開した「監視所」と共に此方もご紹介しておこう。


片島魚雷発射試験場跡関連施設は3つのブロックに別ける事が出来、それぞれ「魚雷収蔵施設」、「監視所」、「発射台と監視塔」と区分される。


前回の追加分では「監視所」を、今回は「魚雷収蔵施設」の写真を追加掲載した。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-九州 廃墟 片島 魚雷 監視所 収蔵施設


6Frogs - 毎日をデザインで考える-九州 廃墟 片島 魚雷 監視所 収蔵施設


どうしても冬季より映える絵と成るのは盛緑の成せる業だろうか、青空の下生い茂る緑が実に廃墟と似合うではありませぬか。


因みにこの「片島魚雷発射試験場跡関連施設」には後方の山中にも関連施設が御座いまして、斜面途中や頂上部には現存する遺構が発見出来る筈です。


そして更にはまだ廃墟サイトなどで取上げられる事がない関連施設が片島には在ります、それも追々ご紹介出来れば…そう考えております。


アプローチ
長崎自動車道東そのぎICをおりて国道205号線を川棚町方面へ向います、時間に関係なく日中は結構渋滞が激しい主要道路なので時間には注意しましょう。片島へ続く道路には県道指定も無いので地図を確認しながら大きなT字路を曲がって下さい、片島半島内は意外と広く、また路地が多いので此方も注意しましょう。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.04899473852818&lon=129.8425914302418&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=32.85758808&hlon=131.15344062&layout=&ei=utf-8&p=%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E9%98%BF%E8%98%87%E9%83%A1%E9%AB%98%E6%A3%AE%E7%94%BA%E4%B8%8A%E8%89%B2%E8%A6%8B1390-1


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REPORT - 0220│長崎県 片島魚雷発射試験場跡 - 発射台と監視塔

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


廃墟 片島魚雷発射試験場跡 発射台 監視塔


長崎県│片島魚雷発射試験場跡 - 発射台と監視塔 


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 片島魚雷発射試験場跡 - 発射台と監視塔


小さな軍事遺構を残す半島、長崎県片島。実はこの片島を擁する川棚町にはこの軍事遺構に関連した施設跡が沢山在って意外と知られてなかったりする、今回は行く事が出来なかったけど興味の在る方は是非1日掛けて一緒に周ってみてはどうだろう。


さて、その関連施設の中で一際異彩を放つのが今回紹介する魚雷発射試験場跡の発射台監視塔だ。


この施設の詳しい説明は前回のエントリーからどうぞ。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-片島魚雷発射試験場跡 発射台 監視塔


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


魚雷収蔵施設から真っ直ぐ伸びるこのトロッコレールを敷いた桟橋は眼鏡橋の様な綺麗なアーチを描いて作られている、しかし経年による劣化は酷くて所々が崩壊している様だ。


レール跡は写真の通り二手に別れ、正面は発射台へ、右に曲がったレール跡は監視塔へ延びている。


この桟橋を支えるコンクリートも精製技術が現在と随分と違い、粗砂利を多く含む長期間の使用を見据えての作りではない物。しかも魚雷を運ぶ事を大前提に敷かれていた為、現在多くの釣り人が訪れるこの場所は実は全くと言って良いほど安全ではない。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


沢山の素晴らしい写真を生んだこの片島のシンボル、魚雷発射試験場の監視塔。実は隣に同様の監視塔がもう一棟建っていたのだけど経年劣化の為に崩壊してしまっている、残骸も残っているけど土台部分からの崩壊だったらしく見る影もない。


概観を見る限り建設は同様の業者が行った様だ、レンガもイギリス式の積み方だった。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


監視塔の中から上部を見上げてみる、うーん綺麗だ。この監視塔、当時の内部構造はどうだったのだろうと思って関連資料を漁ってみたのだけど調べ方が悪いのか見つける事は叶わなかった。


年代的にそう違わない物件でこの様なものが在る、こちらはあくまで建築的な類似点で在って軍需遺構としては全く無関係だ。


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6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


レンガの朽ちる姿って何か個人的にツボなんです、廃村好きなんで勿論旧木造建築の廃も大好物なのだけれど…何て言えば良いのだろう。英語と漢字って言えば良いのかなぁ、レンガには記号文字的な美しさ、木造には造形文字的な美しさがそれぞれ廃を際立たせていると言うか。


そうそう、実はこの監視塔を含めた片島魚雷発射試験場跡を全て取り壊す案が2005年頃から出始めています。地元の方は全くご存じ無かった様で驚いていました、勿体無い勿体無い。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


監視塔から監視所を除く、アレの写真も今から撮らなぁ。ぐへへ、引ん剥いて丸裸にしてやんぜ。


あ、混乱しない様に。今いる場所は監視塔で向こうは監視所、向こうの監視所でも別途魚雷の試射が行われていました。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


ああ、美しきかな。夕日に染まるお姿は実に美しく、そしてエロい。なんだかハァハァしてきました、そうです、持病の胃痙攣です。


それにしてもエロい、思わず生唾を飲みます。ついでに胃痙攣の薬も飲みました。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


次はいよいよ大本命の監視所の写真撮影、片島軍事遺構の撮影はクライマクソゥを迎えます。そして僕の胃痙攣もいよいよ嘔吐へと向うのです。


アプローチ
長崎自動車道東そのぎICをおりて国道205号線を川棚町方面へ向います、時間に関係なく日中は結構渋滞が激しい主要道路なので時間には注意しましょう。片島へ続く道路には県道指定も無いので地図を確認しながら大きなT字路を曲がって下さい、片島半島内は意外と広く、また路地が多いので此方も注意しましょう。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.04899473852818&lon=129.8425914302418&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=32.85758808&hlon=131.15344062&layout=&ei=utf-8&p=%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E9%98%BF%E8%98%87%E9%83%A1%E9%AB%98%E6%A3%AE%E7%94%BA%E4%B8%8A%E8%89%B2%E8%A6%8B1390-1


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REPORT - 0221│長崎県 片島魚雷発射試験場跡 - 監視所

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


廃墟 片島魚雷発射試験場跡 監視所


長崎県│片島魚雷発射試験場跡 - 監視所 


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2012.02.24 - 追記エントリーを記載しました、最後尾をご確認下さい。


画像を追加しました、前回は夕方の監視所を撮影しましたが今回は日中の写真を掲載。最後尾に画像と共に少々のテキストを、数日間九州再訪の追加エントリーを行います。


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とても小さな範囲だけれどもとても大きな存在感、そのどれもが本当に廃墟として美しかった片島の軍事遺構。コレまで、


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-片島魚雷発射試験場跡 発射台と監視塔 廃墟


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と見てきた訳だけど僕がこの片島で一番楽しみにしてたのは海に浮かぶ監視所の廃墟だった、何時だった解らない位以前に廃墟とは全く関係ないサイトでこの監視所を知った。そしてこの監視所がイコール魚雷発射試験場跡と記憶されていて他の遺構はその後の廃墟系サイトで知る事と成った。


僕が魚雷発射試験場跡を知るキッカケとなった監視所の目の前に、やっとこさで撮影に入った。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


魚雷収蔵施設、監視塔と発射台をそれぞれ見て50メートル程離れた監視所まで歩く。この岸壁のコンクリート歩道、年々崩壊が進んで僕が最初にウェブ上で見た時よりも崩壊具合が進んでおりました。


地元の方は軍事遺構として歴史文化遺産の価値よりここでの安全性を危惧されていて取り壊しの案が年を追う毎に多くなっていると言っていました、まあそれはそうですよ。地元の方の生活環境が何より優先されるべきだと僕も思います、もう二度と見る事が出来ないかもしれない。


廃墟好きからしてみれば耳の痛い話だなー。


前回の発射台と監視塔を紹介した時にも書いたけどこの場所、監視塔としてのみではなくて別途として魚雷の試射が行われていたそうだ。関連資料には用途のみの記載で突っ込んだ内容は見つける事が出来なかった。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


稼動当時はシッカリと橋が架かって居たのだけど他の遺構同様に劣化が進み、現在では海にぽつんと浮かぶ廃墟と化してしまった。まあ数メートル程の距離しかないから泳いだってゴムボートだって行く事は可能、実際この廃墟に上陸している廃の人も居た位だ。


随分前にこの施設の中から撮影した写真が在ったのだけどグーグル先生の画像検索ではヒットしなかったのが残念。


ついでに書いておこう。


この片島魚雷発射試験場跡の付近には関連遺構が実は結構な数で存在する、全てが軍事遺構だけど保存されているものや既に見付けるのが難しい物まで様々。その中で現在も見に行ける物件を幾つかピックアップしておこう。


・魚雷監視所(軌道監視所)
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.04881815263641&lon=129.84330388374977&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


・川棚海軍工廠 石木疎開工場 - 川棚海軍工廠総本部
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.08115095927073&lon=129.872014249044&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


・川棚防空監視所
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.064644369722686&lon=129.8636457569174&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


・川棚魚雷艇特攻隊 - 特攻殉國の碑
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.06838469621141&lon=129.82390614815242&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


・川棚魚雷艇特攻隊 - 烹炊所と防空壕跡
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.068168912465936&lon=129.8252794391681&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


・高角砲陣地 - 弾薬倉庫
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.05263109234206&lon=129.84394761391198&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


6Frogs - 毎日をデザインで考える-片島魚雷発射試験場


さて、本格的に暗くなって来たので本日の宿に移動です。福岡小倉、高千穂峡と来て当日は伊万里まで走った所で泊まろうと思っていました。途中に寄った御船山楽園は閉園時間丁度に到着し、車を降りるその瞬間に門が閉められました。


明日は早朝からこの九州撮影の大本命、通称・伊万里造船所へ。


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ええーと個人的にこの片島、もう文句が無い位満足したのだけど一つだけ気に成った事が。


丁度この魚雷発射試験場跡の対岸、大崎半島に成ると思うのだけど鳥居が見えるのですよ。


望遠が無かったので参考写真のURLをば。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/bf/d27f00e1ee652b101d0a65d975bf26aa.jpg


うーむ。あの場所までどうやって行くのだろうか…釣り○チさんに聞いても解らず、地元の漁師さんに聞いてみた。要約するとこうだ。


昔からあの鳥居は在って自分が子供の頃は歩いて行ける道が在った、今は岸壁工事が入ったり道路の敷き直し事業やらで徒歩で行くのは難しいのでは…との事。


この時点でかなり興味が湧き、帰宅後の宿題とした。


どうやら看板に気付かなかった様でこの鳥居に関する行政が立てた看板も在る様だ、下記のサイトからこの鳥居の正体を知る事が出来た。抜粋して転載します。


http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/61ebea0e5689d0a6ef716a22a9953c5e


漁港の小さな湾越しに対岸を見ると、せり出した崖の海岸線に鳥居がみえます。


いわくありげな岩窟神社は海神神社。元禄時代、筑前藩主が大村湾を渡っていた時に嵐にあい、無事を海神様にお祈りしたところ、無事渡る事が出来た事から創建された、八大竜王をまつった神社だそうです。


周囲の状況から、船でしか行けないのかと思いましたが、引き潮になると海岸線づたいに行けるそうです。


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そうなのかー。


激しく納得して口から唾の弾幕が。


更に調べていると海岸沿いに陸路でこの海神神社まで歩いた方を発見、引き潮じゃないとオッカナイですな。この鳥居に接近撮影もしているブログエントリーは下記URLから。


http://blogs.yahoo.co.jp/suidouya0113/2490518.html


素敵だった。


以上で片島魚雷発射試験場跡は終了です、少々の間を頂いて伊万里での撮影を追ってご紹介したいと思います。


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追加調査+追加写真│追加レポート 2012.02.22


九州遠征を行ったのが2010年11月、もう直ぐ本格的な冬が始まろうかと言う季節だった。いくら国内でも南に位置していても薄ら寒い絵に成りがちだった。


今回は最初の訪問の翌年と成る2011年夏季に再訪した時の写真を2枚追加掲載した、やはり此方の写真の方が映りが良いと思う。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-九州 廃墟 片島 魚雷 監視所


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次回の訪問時には秘密兵器親潮艦隊所属・白鳥座1号ゴムボート)」を出艇して内部の写真を撮りたいと思う、因みに白鳥座1号ヤフオク2300円で落札した物である。


親潮艦隊所属の白鳥座1号は房総半島の亀山湖で静かに息を引き取りました、退艦理由は浅瀬での立ち枯れの枝との接触でした。これにより親潮艦隊は解体、新たにサルガッソ艦隊を新設。最新艦である白鳥座1号改(ゴムボート)を入手、白鳥座1号改はヤフオクで4015円(送料別)で落札した物である。


アプローチ
長崎自動車道東そのぎICをおりて国道205号線を川棚町方面へ向います、時間に関係なく日中は結構渋滞が激しい主要道路なので時間には注意しましょう。片島へ続く道路には県道指定も無いので地図を確認しながら大きなT字路を曲がって下さい、片島半島内は意外と広く、また路地が多いので此方も注意しましょう。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.04899473852818&lon=129.8425914302418&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=32.85758808&hlon=131.15344062&layout=&ei=utf-8&p=%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E9%98%BF%E8%98%87%E9%83%A1%E9%AB%98%E6%A3%AE%E7%94%BA%E4%B8%8A%E8%89%B2%E8%A6%8B1390-1


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REPORT - 0223│佐賀県 向山炭鉱跡

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佐賀県│向山炭鉱跡 


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 樋口工業株式会社 向山炭鉱跡


2012.02.26 - 追記エントリーをしました、最後尾をご確認下さい。


画像を追加しました、伊万里の川南造船所が解体された今と成っては関連施設で唯一残る軍需遺構。現在のところこの向山炭鉱跡が解体される事は無い様ですが気に成る方は早めの訪問をオススメ致します。追加された画像とテキストは最後尾に。


2012.03.24 - 追記エントリーをしました、最後尾をご確認下さい。


画像を追加しました、伊万里の川南造船所跡(解体済み)東数百メートル先の海岸に残る向山炭鉱跡の写真です。今回は干潮時の訪問と在ってウェブ上でも珍しい遺構の直前撮影、余り見ない向山炭鉱跡を最後尾(スクロールして下さい)にてどうぞ。


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幾つかの廃系サイトで見ていたこの場所、向山炭坑跡。歴史は古く1912年に向山炭坑はスタートした、隣接する川南工業浦之崎造船所跡を擁した川南工業株式会社がこの向山炭坑を一時経営下においたのは有名な話。この辺の歴史に関しては後ほど語る。


伊万里造船所を後にしてやって来た向山炭鉱の姿は日の出前とあって少し神秘的だった、それでは早朝の向山炭坑跡の散策を早速はじめようか。


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海岸には無数の石炭関連の廃石や鉱物が転がる、当時掘り出した石炭を石炭と石炭以外の鉱物で選別し、それから捨てると言うプロセスを行っていた。軍需炭坑として稼動した際に軍部から「鉱滓(こうさい/俗に言うスラグ)は海にでも捨ててしまえ」との命令でこの向山炭坑跡の海岸と海にはこの様な状態で鉱滓だらけの風景と成ってしまった。


九州では「ぼた」と言うそうで1950年代中盤時期には同地区内で10社程在った炭鉱の中で一番汚い炭鉱場と評されていた様だ。


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雨が混ざる早朝、予定していた写真が撮れない事にガッカリしてしまい殆ど写真を撮らなかった。朝陽を取り入れた写真が撮りたかったのに…しかも時間が早過ぎて光量が足らなかった。完全なる失策…と、言う事で後のレポートの為に色々と海岸を調べてみた。


満ち潮の時は随分と陸地付近に波が達する事は容易に予想出来た。植物の成長と岩の侵食を見ればどの程度まで海が迫るかは簡単に知る事が出来る。今回は引き潮の様だった、引き潮の時でさえ海の中を見つめると随分と鉱滓が沈んでいるのが解る。この分ではどの位の距離まで鉱滓を海に捨てたのかが気に成るところだ。


因みに伊万里市は伊万里焼の窯業で有名だけど炭鉱産業でも一時代を築いた地域だ、19世紀始めには炭鉱産業が開始されていた事からも潤沢な石炭資源が在った事に成る。


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陽が昇り、随分と明るくなって来た。薄暗くて形が良く解らなかったコンクリート製の遺構もハッキリと解る明るさだ。この遺構は積込用桟橋の一部が残ったもの、形状から巻座も在った様に見える。


この様に海岸沿いに炭鉱施設が在るのは当時では珍しく、僕も余り知識が無いのだけれど大好きな北海道の産業遺構の本を読んでいる時に知った白糠炭砿が海上炭鉱なので当時の海岸、海上炭鉱の技術を再度調べてみたいと思う。


最後にこの向山炭鉱について少々歴史を語ろう。


そもそもは西分炭鉱を経営する金桝宮次郎が1911年までこの場所で炭鉱業を行っていた、しかし減産の為に同年に大阪の炭鉱会社がこの炭鉱を買収。


この炭鉱場を買収した人物は石炭商社として大きく成功していた村井吉兵衛、同時期にこの鉱山場を含め、住ノ谷炭鉱と八幡山炭鉱を買収。八幡山炭鉱を本部としてこの伊万里の地で経営に着手した。1912年に西分炭鉱で新鉱を開坑、ようやく「向山炭鉱」と言う名称が誕生する。


1937年、川南工業株式会社が村井吉兵衛よりこの向山炭鉱を譲り受け、「川南工業株式会社向山炭鉱」と成る。


1951年には独立した炭鉱会社として運営し、新規事業(石炭鉄道輸送)に着手。1953年には炭鉱業の拡大を図り、立岩、追崎第五場開発に着手した。この炭鉱業拡大が災いしたのかは不明だが翌年の1954年、向山鉱山株式会社は向山炭鉱を閉山した。


翌年の1954年、樋口工業株式会社が新向山炭坑に着手。新西坑開発、一枚坑開発を経て炭鉱経営を模索したが1963年、長い歴史を刻んだ向山炭鉱は完全な閉山と成った。


その後は50年近く放置され、造船所とセットで廃墟見学の人気スポットと成った。しかし造船所とは違い、地味な概観と「道路から見えるけど行き方が解らない」といった理由から廃墟人気が一段落下した最近では行く者が少ない。


ここ、本当に面白いです。綺麗だし史実が興味深い。関連する歴史を知れば尚面白い、それに写真には撮ってませんが関連遺構がまだまだ在るのですよ。気に成る方は是非調べて実際に発見する楽しみに触れて欲しいと思います。


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追加調査+追加写真│追加レポート 2012.02.26


絶賛解体中川南造船所跡関連物件としてご一緒する事の多い向山炭鉱跡、解体で揉めた造船所跡と違いこちらの物件は余り語られる事が少ない。


今回の解体予算の中にはこの向山炭鉱は含まれて居なかった様だけど今後、この遺構がどの様な運命を辿るのか。興味深く追って行きたいと思う。


さて今回は。


以前の訪問時は天候に恵まれなかったので再訪の際に撮影された同時刻の美しい朝焼けを4枚追加掲載した、やはり雨天とは全く違う表情を見せてくれる。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-向山炭鉱 川南造船所 解体 廃墟


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お隣の造船所跡はウェブ上でも現場でも大騒ぎだった、一方此方の向山炭鉱は麦茶にメントス。別段何も変わらない廃墟美をいまだ見せてくれていた。


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追加調査+追加写真│追加レポート 2012.03.24


とうとう解体された川南造船所跡、その関連遺構として取上げられる事の多いこの向山炭鉱跡は朝焼けの美しさで定評が在ります。なので来訪時はいつも決まって早朝だった訳ですが今回は偶然にも干潮時、つまり遺構のギリギリまで近づけるのですよ。


いや、寧ろオサワリおっけー。


6Frogs - 毎日をデザインで考える > 別館-佐賀 伊万里 廃墟 向山炭鉱 川南造船所


ぎゃーす、こりゃ見た事ないぞ。いや、そうなのか…ココまで近づける物件だったんだ。なーんて思ってたらドイツ人の廃カーさんがずっと前に撮ってるじゃーん。


Abandoned Kansai - Mukaiyama Mine
http://abandonedkansai.wordpress.com/2011/06/30/mukaiyama-mine -向山炭鉱/


6Frogs - 毎日をデザインで考える > 別館-佐賀 伊万里 廃墟 向山炭鉱 川南造船所


NU☆KA★ってる。


6Frogs - 毎日をデザインで考える > 別館-佐賀 伊万里 廃墟 向山炭鉱 川南造船所


正直に言えば造船所のついで物件だっただけに今後この向山炭鉱に行く事は2度とないと思う、欲しい写真も撮影済みだし近くに良物件が在る訳でもないですし。


解体予定は噂さえ出てないこの物件、まだ行った事の無い廃カーさんは早朝の朝焼けがオススメです。しかし造船所跡の緑地公園化が終了したら既存の道なんかはどうなるんだろう…。


アプローチ
国道204号線沿い、松浦西九州線浦ノ崎駅から徒歩5分~10分の距離に在ります。川南工業浦之崎造船所跡が道路沿いなので直ぐに解り、向山炭鉱へは進入ルート途中の分岐で左に折れれば簡単に解ると思います。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.332054719600336&lon=129.80284884832486&z=18&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.318168464944&hlon=129.89230588339&layout=&ei=utf-8&p =


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REPORT - 0222│佐賀県 川南工業浦之崎造船所跡

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


廃墟 川南工業浦之崎造船所 伊万里


佐賀県│川南工業浦之崎造船所跡(伊万里川南造船所/伊万里造船所) 


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 川南工業浦之崎造船所跡(伊万里川南造船所/伊万里造船所)


※ 2011年11月から解体作業が開始され、翌年2012年の3月に更地と成りました。



※ 解体の模様を更地に成るまで追跡レポートしました、貴重な途中経過の様子をご確認下さい。


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今回の九州への仕事、この場所へ来る為の口実でした。気軽に行ける距離じゃないこの場所へどうしても来たかった、来なくては成らなかった。廃墟系のサイトでこの物件を知ったのは随分と昔、ずっと恋焦がれてきた憧れの廃美物件へ行くどー。


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通称・伊万里造船所として廃墟好きの方には良く知られている、この廃墟のバックストーリーは酷く泥臭いものなのだけれどそんな事はお構い無しに兎に角美しい。最後にこの廃墟の詳細を記載するので興味の在る方は是非読んで欲しい。


前日に場所だけ確認し、早朝にアタック。一緒に撮影する予定だった向山炭坑跡へ向う為の下調べで周囲の道も現地で迷う事なく敷地内を闊歩出来た。ここまで来たんだ、どうせならシャブリ尽くしてやんよ。


ほんじゃ行きますか。


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こいつは、ふ る え る ぜ


この概観を目にした時点で既に心拍数は上昇し、眉毛は2、3本を残し全て抜け落ちた。スッカリとのぼせあがったボーイスカウトみたいな状態に成ってしまったが、奇しくも同時期に実センセイが九州公演(※1)に訪れていたのは鳥肌ものの偶然だろう。


※1 ホップステップ玉砕Tシャツ買いそびれました。


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造船所跡を回り込む様に裏手へ歩く、この場所も写真で何度も見ていたしグーグルアースなどで何本かの経路を予想していたから迷う事無く進む。
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航空写真を見て頂こう、廃墟から海側に何本ものコンクリート製の支柱が伸びている。現在この柱が海側に突出した位置に居る訳だ、ココからもう少し大きく回り込んで造船所内へ入る事にした。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


何本も伸びるコンクリート製の支柱下に幾つか人が踏み均した道の様な物が見て取れる、コレも事前に知っていた。釣り人がこの道を抜けて海釣りへ向う為のものだ、その中から1本の道を選びモジャモジャの藪漕ぎが始まる。


しかし。こりゃスゲーな、ちょっと言葉に詰まる風景だわ。


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ゴクリ…


こいつぁ上玉だぁ、緊張してきたぜぇ。川口隊長(田中信夫さんのナレーション込み)、僕に力を貸して下さい。


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み・な・ぎ・っ・て・き・た


流石に軍需産業を支えた建築物だ、未だに根幹の部分は崩壊する様な感じは見受けられない。外壁の劣化は確認出来るけど人為的な解体作業を行わなければ問題ない強度だろう、工場などのコンクリート寿命は凡そ45年~50年と言われてるから建築技術的な観点で言えばそろそろ…ではある。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


口からなんか出た。モツ(内臓)かな、モツ(内臓)だったら嫌だな。


こんな美しい廃墟、勿体無いよ壊すなんて。


そう、そうなんですよ、ココってば取り壊しが決定しちゃったのです。2010年2月23日、新聞各社にて報道された内容によると、


人間魚雷製造の川南造船所跡、伊万里市が撤去へ


戦時中に特攻兵器の「人間魚雷」を製造、廃虚となって残る伊万里市山代町の「川南工業浦之崎造船所」の建物が撤去される見通しとなった。市が緑地公園として整備するため、建物の買収費用などを新年度当初予算案に計上した。公園化計画を歓迎する声がある一方、昭和の歴史を刻む戦争遺跡として建物の保存・活用を望む意見もある。


川南工業は、富山県出身の実業家・川南豊作氏が創設。長崎県の香焼島(現在は長崎市)を拠点に造船会社などを経営した。


市教委発行の「伊万里ふるさと読本」によると、浦之崎造船所は1943年に軍需工場の指定を受け、輸送船や海防艦などを製造、火薬を積んで敵艦に体当たりするベニヤ板製の特攻艇もつくった。多いときは約2500人が働き、女子生徒や朝鮮半島出身者も動員した。


戦後も社名を変えて船の建造・修理を続けたが、55年に閉鎖。以後、ごみの不法投棄などが絶えず、地元の山代町開発促進協議会と同町区長会が昨年6月、跡地を緑地公園にするよう知事に要望していた。


造船所跡は約3万3000平方メートル、建物は鉄筋コンクリート2階建て約3100平方メートル。読本には「戦争に関係のあるものをつくっていたので米軍の攻撃目標になり機銃掃射を受けた。壁には弾の跡が生々しく残る」と記され、近年は「廃虚探訪マニア」の人気の場所になっている。


市は県の補助を受け、2010年度に現在の持ち主から建物を買い取り、11年度に撤去する方針。事業費は2か年度で計約2億1000万円。


地元からは「危険だし風紀上も問題」「地域衰退の象徴となっている」との声が上がるが、「貴重な戦争遺跡であると同時に近代産業遺産」「子どもたちが現代史を学ぶ場になる。平和教育の場としての活用も考えてほしい」と撤去を惜しむ意見もある。


川南氏は、61年の元軍人らによるクーデター計画「三無事件」の首謀者として逮捕された。同事件は破壊活動防止法が初めて適用されたことで知られる。


…などと報道された。


その後沢山の廃墟系サイトやブログでこのニュースは取り上げられ、「伊万里造船所終了のお知らせ」は多くの廃カーを震撼させた。僕自身もこのニュースが無ければ無理してでも来ようとはやはり考えなかった筈だ。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


陽が昇って来たのだろうか、内部も幾分明るくなってきた様だ。これでやっとこさ光量を気にせず撮影に没頭出来る。


と、その時。歴史は動かずとも人影が動いた。


「誰かいるのー?」


おばちゃんの声が響く、僕は「誰も居ないでゲソ」とイカのフリをしてやりすごそうと思ったが観念し、


「ああ、写真撮ってるんですよ」


と、声の方へ返答する。藪の隙間から顔を出したおばちゃんは近所の方で心配そうに、


「危ないから早く出ておいでー、40秒で出ておいでー」


とナイスアドバイス。


お断りします。


少々お話を伺うと最近ココで楽器演奏したり夜中に騒ぐ輩が居るのだとか、そう言えば先程発見した焚き火跡と何か関係が在るのかも。


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再び静寂が訪れ、改めて写真を撮り始める。小鳥の囀りとシャッター音の競演。僕は小鳥に「ちょっと黙って、気が散る」と注意した。


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けしからん、どうかしてる。


個人的に廃墟って写真も撮るけれどその歴史とか関わった人達の逸話とか、そう言う部分に惹かれて興味を持ったのだけれどこの造船所跡はちょっとアレだな。美し過ぎる、御託無しにかっけーです。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


見上げると青空が覗く、鬱蒼とした木々の合間から国道204号線を走る車が見える。道路を挟んだ松浦鉄道も既に何本かの電車が通り過ぎた。


直ぐそこには地元の人にとって何時もと変わらない日常が在る筈、しかしたかが数メートルの距離と半世紀以上以前の鉄筋コンクリートを隔てた世界には日常なんて言葉は存在しない。灰色と緑色が織り成すハーモニーはまるでリンゴと蜂蜜の様だった。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


そう言えば以前この伊万里造船所を調べた時に2階から撮影された写真が在った事を思い出す、登ってみるとこれはまた下から撮るのとは別の素晴らしさが。


概観からこの廃墟を取り巻く状況の話へちょいとシフト。伊万里市は焼き物で有名ですね、そう伊万里焼。でも軍事関連遺構も実は結構な数残されていて文化財的な扱いが民間でされている物さえ存在する。この九州と言う土地は軍事遺構や産業遺構を共有文化財として保護、保存すると言う考えが実に上手く寝着き、機能している。


それは電波塔だったり島丸ごと炭坑跡だったり、そういった物を保存する素晴らしい考え方が民間と行政のどちらにも定着しているは全国でも珍しい筈だ。伊万里市は民間から挙がってきた「伊万里造船所保護の声」を検討しているのだとか、伊万里焼きの他にも有名な物が近々出来るかもしれません。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


6Frogs - 毎日をデザインで考える-川南工業浦之崎造船所 伊万里川南造船所


2回フロア部分、本来ならもう少しエクステンションされていた筈、階段やサルハシゴは既に無いので自力で上がるしか無いのだけれどこれから撮影に行かれるとしたら是非登って欲しいと思います。


そう言えばどっかのサイトで見た上に登る為のロープはあの樹に無かったですよ。


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正直来た時期は正解だった、夏場ならモスキート地獄だったろうに。蚊なんて一匹も居なかったしそれなりに緑が残っていてくれてたし、それに所々紅葉しているのがまた何とも美しかった。


随分長い時間を掛けてキャッキャウフフした所為か足腰が痛い、ホント持病のヘルニアには早々に爆発して欲しい。


帰宅するまですっかり忘れていたのだけどこの場所、1988年10月号のアウトライダーに載っていた物件なのですよ。この廃墟を知るもっとずっと以前のお話、バイクに乗らない方、もしくはツーリングはしないライダーさんには馴染みが薄い雑誌、アウトライダー。休刊したり季刊に成ったり紆余曲折あって現在は隔月間として続いているバイク雑誌だ、そのアウトライダーに九州特集記事「黙示録 - 九州」が掲載されていてこの廃墟も取り上げられていたのだ。


そう言えば以前、このアウトライダー誌の伊万里造船所の記事について全く同じ事が書かれたサイトを見た事が在る、今回見つける事は出来なかったけど…。


機会が在れば是非、因みにアマゾンでもヤフオクでもこの号は見つける事が出来なかったですよ。


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さて、実はこの伊万里造船所ですが。撮影は2回行っております、光量の問題で途中に抜け出してお隣の向山炭坑跡に一回浮気しました。


なので次回は向山炭坑跡をご紹介するのですがその前に、このとっても魅力的な廃墟のバックストーリーや現在に到るまでの歴史をお話したいと思います。興味の無い方は無理をせずに飛ばしておっけー、ココからがちょっと長いですから。


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取り壊し決定の報道


エントリー途中でも書きましたが2010年2月23日、この川南工業株式会社浦之崎造船所跡の取り壊し撤去が決定したとの報道が流れました。報道の内容は「治安維持、安全不安、地域衰退の象徴」などこの廃墟の負のイメージを払拭したい地域住民の意見を反映したものでした。


YOMIURI ONKINE│読売新聞
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/saga/20100304-OYS1T00181.htm


2010年3月4日報道


確かにこの廃墟の歴史は美しくは在りません、軍需遺構である事、またその内容が人権を無視した物で在った事…それらを知る地域住民がこの廃墟の存在を良しとしないのは当然の事でしょう。


実際今までも何度かこの廃墟の取り壊し計画は在ったのだ、では何故半世紀以上もこの間々の状態で放置されていたのか。それには簡単には説明出来ない、複雑な歴史が在ったのです。


川南工業株式会社浦之崎造船所跡の立地問題


この廃墟、退かそうにも簡単に退かせない理由が在った。その最大の理由とは立地と利権だ。この廃墟が在る土地、実は正確に言うと登記義務の無い土砂を含む広大な土地の上に建設されている。


元々土地ではない場所に堆積した土砂(本来埋め立てに使用する為の土砂でもない)に対して埋め立て許可が降りている土地を含む場所がこの問題を複雑なものにしている、埋立免許失効地の為に買収も出来ずにいた行政の苦悩を含めて説明しよう。
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写真の中央付近、割合にして約9分の1程の土地が川南工業株式会社が買収した土地となる。ここでこの土地の利権が複雑化して行く事に成る、まず元々ガラス製造工場だった土地を買収したのだけど造船に必要な広さを確保する為、周囲の土地も一緒に購入。


しかし埋め立て候補地と既に埋め立てられた土地、土砂の廃棄までの間で仮置きしていた土地、流出した土砂によって一部陸地化した土地、この複数の土地がまたがる様に造成されてしまったのだ。この内「土砂が仮置きされた」部分、土砂流出による「陸地化した部分」は登記義務が無かった為に利権問題として後々尾を引く事に成る。


そもそも法律上、流出した土砂は陸地ではないので同様な利権問題が当時あったのかが疑問だ。この辺は調べたのだけどこの土地に関する詳細なデータは見つける事が出来なかった。


また埋め立て候補地と埋立地の権利者が一部の部分で重複したり違ったりした為に曖昧な間々時間が経過し、元々登記義務の無かった土地の所為で取り壊し計画が何度か頓挫する内に登記義務のあった土地部分の利権者と連絡が着かなくなったり亡くなってしまったりと行政も今回の決定に到るまで苦労した様だ。


その後利権問題に関して佐賀県の協力で伊万里市が決着を着け、土地買収に関しての問題はクリア。現在の問題点としてはこの土地の再利用なのだ、しかしコレがまた面倒くさい事態と成る。


この土地、先程も記述した通り複数の条件が重なって出来た土地だ。元々陸地でなかった場所さえ在る、しかもこの土地の向こう側には近年に成って埋め立てされた土地や防波路などが設備され、それらと共有出来る施設を建設しなければならない。限られたカテゴリでの施設立案、土地の安全性問題、地元民との折り合い(治安や渋滞など生活に関する問題)をまとめるのは伊万里市なのだ。


成る程、半世紀以上放置されるのも無理も無い話しかもしれない。関連する内容でちょっと面白いページ(※2)を見つけたのでURLを置いておく。


http://www.scs.kyushu-u.ac.jp/~hatt/report05/imari/kawanami.htm


※2 リンク先のテキストは保存しておく事をオススメします、貴重な内容です。


川南工業株式会社とはどんな会社だったか


川南工業株式会社はウィキにも掲載されている地元では有名な会社だった、と言うか戦争時中は当時民間大手だった三菱重工業長崎造船所に匹敵する建造量を誇る造船会社だったのだ。戦争関連の造船の他に有名な船として南極観測船「宗谷」を建造した事でも知られている。


南極観測船 - 宗谷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%ae%97%e8%b0%b7_%28%e8%88%b9%29


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20年程で大きく社革が変動した川南工業、株式会社として上場もするもその歴史は短く、軍需は大きな成功の元だった当時の経済と適合したかに見えたが早すぎる成長はまた、急速な衰退への始まりだった。


株式上場


東証
1949年5月16日 - 新規上場
1954年4月1日 - 上場廃止(銀行取引停止、契約違反)


大証
1949年5月16日 - 新規上場
1955年9月16日 - 上場廃止(破産宣告)


川南工業ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%b7%9d%e5%8d%97%e5%b7%a5%e6%a5%ad


朝鮮半島での製缶工場で財を成した川南豊作が社長と成って設立され、造船技術より財政操作の上手さによって発展した会社だ。太平洋戦争が始まると軍需造船所として機能し始め、悪名高い人間魚雷「回天」など特攻兵器の製造にも着手。「回天」は、「天を回らし戦局を逆転させる」との意味。必死必殺の救国兵器として考案された。


数日前にエントリーしたこの廃墟を覚えている筈だ。


REPORT - 066 │ 長崎県 片島魚雷発射試験場跡 - 監視所

http://ameblo.jp/6blogs/entry-10719261141.html


この魚雷発射試験場と今回の「回天」とは関係ないがエントリーの一部に関連施設を紹介したのにお気付きだろうか。


・川棚魚雷艇特攻隊 - 特攻殉國の碑
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.06838469621141&lon=129.82390614815242&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.07270026&hlon=129.86527654&layout=&ei=utf-8&p=%E5%B7%9D%E6%A3%9A%E7%94%BA


この「特攻殉國の碑」にはこう書かれている。


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昭和十九年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため日本海軍は臨時魚雷艇訓練所を横須賀からこの地長崎県川棚町小串郷に移し魚雷艇隊の訓練を行った。


魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇で、ペリリユー島の攻撃硫黄島最期の撤収作戦など太平洋印度洋において活躍した。更にこの訓練所は急迫した戦局に処して全国から自ら志願して集まった数万の若人を訓練して震洋特別攻撃隊伏竜特別攻撃隊を編成し、また回天、蛟竜などの特別攻撃隊の練成を行った。震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に体当たりする木造の小型高速艇で七千隻が西太平洋全域に配置され比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃沈したほか沖縄でも最も困難な状況のもとに敵の厳重なる警戒を突破して特攻攻撃を敢行した。


伏竜特別攻撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊でこの地で訓練に励んだ。


今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我らは景仰する。


ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて、ゆかりのこの地に特攻殉国の碑を建立し遠く南海の果てに若き生命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる偉業をとこしえに顕彰する。


昭和四十三年五月二十七日


有志一同
元隊員一同 


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軍需造船企業として一時代を極め、香焼島造船所、香焼島造船所川内分工場、深堀造船所、深堀造船所徳島分工場、そしてこの廃墟で在る浦崎造船所と多くの場所で沢山の軍需製品を製造した。


戦後も暫く戦時標準船を新造していたが艦船の設計能力に乏しく休眠状態になる。1950年に破産の申し立てをし、1955年に倒産した。


ついでだけど次のエントリーで紹介する向山炭坑跡、この施設も川南豊作が買い取って運営していました。


川南豊作と言う人物


川南工業株式会を設立した川南豊作は富山県出身、朝鮮半島での製缶工場で在る程度の資金を確保した後に造船会社、川南工業株式会を起こす。国家主義者だった川南豊作は軍部とズブの関係と成ってからは太平洋戦争での軍需から戦争成金と呼ばれる様になる。


情報が錯綜してるけど東条英機の娘と結婚してたってのはどうなの、東条英機の家族構成に川南豊作の名前は無いし良く解らない。息子が三菱重工な訳だし家族内で敵対させるのも何かオカシイ気がする、東条英機に認められたって言うエピソードが一人歩きしたのかも。


その後は産業界で大きく躍進する事に成るのだけど破防法での国内初と成る適用事件「三無事件」の首謀者として有罪判決が下された。三無事件は1961年12月12日、旧日本軍の元将校らが画策したクーデター未遂で現在でも公表されていない内容が在ったりする国を揺るがす大きな事件だった。


因みに現在「長崎総合科学大学」の元と成る「川南高等造船学校(長崎造船短期大学)」の設立者でも在る。


長崎総合科学大学
http://www.nias.ac.jp/index.html


廃墟の緑地公園化計画案


先程も少し書きましたがこの廃墟の撤去計画は今迄にも数度と在りました、しかしそこには長々と説明した数多の問題点が山積しており、実現は難しいと思われていました。


しかしこの程佐賀県と伊万里市が協力し合い、この廃墟の取り壊し計画へ着手したのは長年の問題を解決出来る素晴らしい機会に恵まれたと言えるでしょう。


なのだけど…。


やはり軍事遺構や廃墟などが好きな方からは惜しむ声が出るのは当然、正当性は取り壊し案に在りるのは十分に解ります。地元の方のお気持ちも諸々と在るでしょう、なのだけど…。


そんな中、この場所をどうにか過去と現在の価値観を共有して残せないかと模索し始めた方達がいました。


川南造船所全国同盟
http://www.geocities.jp/imari_kawanami/


この方達はこの美しい川南工業浦崎造船所を文化遺産として残し、過去を知ってもらう機会にならないかと保存の動きへ活動されています(※3)。ウェブサイト冒頭ではこの様な挨拶がされています。


伊万里市の浦ノ崎地区に、一つの遺構があります。


それは、伊万里造船所とも川南造船所とも呼ばれる戦時中の造船所跡であり、正式名称を川南工業浦崎造船所と言いました。戦時中は二等輸送艦や「人間魚雷」回天等を多数製造したと言われており、戦争遺産・産業遺産として、その歴史的価値は極めて高いものと、私は思います。
   
この遺産は平成23年度、伊万里市による完全解体が予定されております。私は解体計画の見直しを要望し、造船所跡の維持・保存、そして平和教育のための利用を要望するものです。伊万里市民ではない自分が差し出がましいことを言うようですが、この遺産は次世代に受け継ぐべき伊万里市の宝ではないでしょうか。
   
跡地の緑地公園整備計画策定は平成22年度中に行なわれることから、意見提言を行いたいなら今が最後のチャンスです。そこで、私はこのたび伊万里市・川南造船所の活用による地域振興策を考える会「川南同盟」なる有志組織を立ち上げ、募金・署名等の活動を通じて、解体計画の見直しを要望していきたいと考えております。
   
皆様のご協力、心よりお待ちしております。
   
川南造船所全国同盟 代表 梅津 知弘


※3 解体を前に活動をお止めに成られた様です、サイトは放置されています。


しかもこの様なコンサルプランも用意し、市へとお願いにも行ってる様です。本気か…こう言う行動力って尊敬しますよ、対象が廃墟だけに批判も結構在る筈なのに…。
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またオンラインでこの様な署名運動もされた様です。


伊万里市・川南造船所遺構解体撤去の見直しを求める署名運動
http://www.shomei.tv/project-1519.html


以前の佐賀県の動きとしては…


現場からお伝えします


平成21年6月16日(火)「川南造船所跡地」問題の解決に向けて
http://www.saga-chiji.jp/genba/2009/09-6/09-6-16/index.html


この様な話し合いの場も設けられていました。


2010年の8月の報道では…


「川南造船所跡」解体か保存か 10月にも有識者委



伊万里市は27日、市内の「川南(かわなみ)造船所跡」の活用策を話し合う有識者による検討委員会を10月にも立ち上げる方針を決めた。委員謝礼などを盛り込んだ今年度一般会計補正予算案を9月議会に提案する。この問題を巡っては「解体か保存か」の議論が起きており、塚部芳和市長は「全部解体か一部保存かなどは検討委で今年度中に方向性を決めたい」と述べた。


戦時中、「人間魚雷」と呼ばれる特殊潜航艇なども製造したといわれる造船所跡地は、現在廃虚になっている。地元住民が昨年6月、建物の解体撤去と緑地公園化を古川康知事に要望し、県は建物の取得費などを県費で工面すると決定。これを受けて現在、撤去に向けた手続きが市によって進められている。


ところが、「戦争遺産として平和教育などへの活用」を求める千葉県柏市の会社員梅津知弘さん(31)は「川南造船所全国同盟」を結成、インターネットを通じて署名を集めるなど保存運動を展開。今月9日には、伊万里市役所を訪れて、「遺構を生かした公園化」のための私案のパネルを提出しようとしたが、市は受け取りを拒否した。


市によると、検討委は、大学教授、地域代表、建築家、教育関係者ら5人で構成。委員の要望があれば、梅津さんのパネル提出を求めることもあり得るとしている。塚部市長は「旧造船所の建物の撤去を求める地元と、全国の保存運動をどう整合させていくかが課題だ」と述べた。(2010年8月28日報道)


…と在る。現在は11月、この検討によって何か新しい動きがあったのか…現時点では新情報はまだ無い。


土地の時代背景や地域住民の意見が最重要視されなければ成らない、それは大前提として僕個人としてはこの動きに協力したいと考えています。


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佐賀新聞 2010年11月27日更新


川南造船所跡を公園に 伊万里市が取得で仮契約


伊万里市は26日、緑地公園化整備計画を進めている同市山代町の川南造船所跡について、建物所有者と権利取得の仮契約を結んだことを明らかにした。取得予定価格は4615万円で、12月定例議会で承認を得て、具体的な公園化案を検討する。

 

川南造船所は、戦時中に特攻兵器を製造したとされる。市は、建物が老朽化して倒壊の危険性があるため解体撤去して公園化を計画したが、戦争遺跡としての保存を求める声が上がり、整備検討委員会を組織して、解体・保存を含めて検討することになっている。

 

委員会は12月中に開催する方向で、現在、メンバーを選定している。


http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1773111.article.html


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asahi.com 2011年01月14日更新


旧川南造船所跡整備 私も一案


伊万里市の旧川南造船所跡の建物を撤去して一帯を公園化する方針を決めている市は25日に、整備のあり方を話し合う検討委員会を開催する。冒頭に「建物の保存と歴史教育への活用」などを求める人たちの声を聞く予定だが、約30分間の発言時間枠に対して13日までに12人の申し込みがあった。1人当たりの発言時間は3分間を切る状況で、「十分な発言ができないのではないか」と懸念する声も出ている。(田中良和)


川南造船所跡地の活用については、塚部芳和市長が昨年の9月議会で、「検討委員会の冒頭に全国の人からいろいろな声を聴きたい」と発言。これを受けて市は、「広報伊万里」の今月号やホームページを通じて、発言者を募集してきた。


当初の計画では、市は申込者が5~6人程度と想定し、30分間でも1人当たり5分程度の発言時間を確保できると見ていた。ところが、14日の締め切りを前に、予想の2倍の申し込みがあった。


建物の撤去反対を訴えて「川南造船所全国同盟」を結成、インターネットなどを通じて署名運動をしてきた千葉県柏市の会社員梅津知弘さん(31)も意見発表を申し込んだ1人。


梅津さんは昨年8月、持参した「遺構を生かした公園化計画」のパネルの受け取りを市に拒否されている。今回はこれを再び持参して、「歴史教育への活用」などの持論を述べる予定だが、「発言時間が10分間くらいあれば、もっと突っ込んだ発言ができるのに」と残念がる。


これに対して、市は「検討委の議事の進め方はまだ、はっきり決まっておらず、30分間という発言時間も状況を見て判断したい」と話している。


http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000001101130001


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撤去の反対賛成、内外からの意見…多岐に渡る検証を以ってしてもやはり「撤去」の決定は限りなく覆らないだろうと思う。しかし過去にはこの様な状態から復権した遺構が在る、日本人なら皆が知る「原爆ドーム」だ。そんな過去の例に幾ばくか期待と想いを込め、「川南造船所全国同盟」は今も活動しています。


川南造船所全国同盟

http://www.geocities.jp/imari_kawanami/


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西日本新聞 - 2011.04.15 更新


「全面保存できず」 川南造船所遺構 伊万里市の検討委


伊万里市山代町の旧軍需工場「川南造船所」の遺構を解体し跡地を公園とする計画の検討委員会(委員長・三島伸雄佐賀大准教授)は14日、市内で第3回会合を開き、「遺構の全面保存はできない」との認識で一致した。今後、部分的な保存が可能か検討するという。


会合では、三島委員長が、建物への耐震補強工事について「膨大な費用や時間がかかる上、建物の価値を損ねる可能性がある」として否定的な見解を表明。ほかの選択肢として、建物を外側から見学するためだけの“オブジェ”として保存する▽建物を解体した後、公園のデザインを工夫することで地域の歴史を伝える-などの案を示した。


佐賀大教授の青木歳幸委員は「遺構は全国的にも数少ない造船軍需工場で、歴史的価値が極めて高い」として、一帯を平和公園とするよう提案。しかし、地元住民の委員からは遺構の早期解体を求める声が相次ぎ、委員間の温度差があらためて浮き彫りになった。


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この写真は1977年に撮影された航空写真だ、40年近い以前の姿だけに解体される直近とは大きく違う様相に少々驚く。まだ廃墟歴としては浅い頃、それでも倒産から既に20年は経過している。関連遺構も残るのは向山炭坑位でその向山炭坑も今後解体する様な話を聞く。


黙して実に多くの事を語ったこの遺構、写真に収める事が出来たのはとても幸運な事だった。


※ 解体レポートの連載を終えてから新たに航空写真を追加掲載しました


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アプローチ
国道204号線沿い、松浦西九州線浦ノ崎駅から徒歩5分~10分の距離に在ります。本当に道路沿いなので直ぐに解ります、夜間では街灯が無い為に解り辛いかもしれません。


地図リンク
http://yahoo.jp/rc2Q3O


photograph - nee


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REPORT - 0514│開墾場の滝

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廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


千葉県│小糸川水系三間川 奥米の滝(開墾場の滝)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 小糸川水系三間川 奥米の滝(開墾場の滝)


何度も紹介した房総半島の素敵スポット、今回は同じ県内の割橋企画で付近を通過する事も在ってこの滝もプランに詰め込んだ、しかもただ写真を写すだけじゃ物足りない…んじゃ昇降しましょうかって具合に滝とその付近の斜面を登ったり降りたりして遊んできたんですよ。


一応有名な場所ですがオススメです。房総半島の川廻し遺構ですが今までエントリーしたものとちょっと種類が違います、今までの川廻し関連のエントリーは以下。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


沢やシャワーラペの練習にも丁度良い物件(超初心者地形)なので気軽に遊べます、ロープワークだけも十分な場所だけど折角なのでハーネスも使用して安全に。それでは早速レポートを始めましょう。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


道路から沢へ降りる枝(作業要路)を見つけて降り始めた、滑るってレベルじゃねーぞココ。ズルんズルんだ、やっとこ獣道っぽくなって楽出来るなーと思ったのも束の間…左側の斜面は10メートル程の崖でした。外道がぁっ(字面的な意味で


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


以前来た時は沢の下流から攻めて辿り着いたのだけど今回は上流の川廻しで出来た隧道直下に出るルート、全く濡れる事が無いので装備は普段着でOKです。


途中に大小の切り株や倒木が在るので気を付けてくださいませ、あー因みに時期が時期だとヤマビル天国※1)でスネーク天国です。


※1 沢歩きでヒルに気を取られない様に、あんなモン慣れです。見た目がアレなだけで別に毒が在る訳でもないのである程度ひっ付いたらエタノールやハッカ油で落せば良いでしょう。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


ハラショー!


そう、コレが見たかった。この場所って実は滝に成っていて隧道の向こうは落差8メートルの滝壺、以前はこの滝の下に出るルートだったのでこの風景が見れてとっても嬉しい。


今回は水量が少なくて歩き易い、夏場も水量が少ないですが前日の天候次第で結構荒れます。川廻しの隧道としては結構大きい方、ココから下へ簡単に降りる事が出来ますが自信の無い方は絶対にやったら駄目ですよ。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


明治後期に整河された新しい川廻しで雨量が多い時は古川(旧河川)も流れが在る、流石に下記は枯渇していて草木が生い茂っていた。


滝自体(河川も含め)の水流は極僅かで滝としての迫力は無かったけど人口の山岳整地としては一級の美しさ、県内でも珍しい「林業型川廻し」で古川の両岸は植林地として過去に使われていた様だ。


ダイナミック大工さん、頑張り過ぎぃ。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


この場所へのアプローチ、本来なら下流側から沢を登って滝を見上げるルートが個人的にはオススメ、ですが沢歩きは知識も経験も必要とするので今回のルートを最後に記載します。


ですが注意して下さい、今回のルートも滑って転ぼうものなら崖から落ちる事に成る意外と油断ならない山道です。進入路初っ端から滑落の危険が在るので現地で駄目そうだなぁと思ったら無理をせずに。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


滝はこんな感じ、上からの写真なんで伝わり辛いですなー。この場所をとても詳しく説明されているサイトが在ります、勉強に成りますので興味がありましたら是非一読して下さい。


http://chibataki.poo.gs/takicard/koitogawa/sangengawa/kaikonbaf.htm


最初に言いましたが数ある川廻しの中でもこの場所が他と種類が違う理由が在ります、川廻しは基本的に水田の水の引き込み田畑の水源確保などに利用されます。しかしこの開墾場の滝に関する造成理由は農業でなく林業


植林の植林地確保とその水源の為に作られた川廻し、それが他と違う最も大きい違いです。滅多に人も来ないので夏場なら新緑を、秋なら紅葉をユックリと楽しめます、ホントにオススメ。


※ 滝壺は3メートルほど在ります、泳ぎに自信が在れば大丈夫ですが滝壺の水流は海や川、ましてやプールなんかとは比べ物に成らない程複雑です。水遊びには十分注意して下さい。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


それでは早速ラペの練習を兼ねて降りるとしましょうか、相棒が先に滝を、僕が脇の急斜面をそれぞれ降り始めます。


今回は9mmロープとカラビナ、ハーネスでディッセン・アッセンは無し。正直腕力だけで昇降出来るレベルですが一応それなりに高さも在るので保険として使用しました。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


インとバックアップのダブルロープ、しかし1本で十分。


ただ滝の斜面が若干ナメなので踏ん張らないと滑るって点だけは注意したい、10メートルそこそこの高さで怪我とか馬鹿らしいですし。


そうだ、僕も早く降りないと。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


滝の途中で相棒を待たせました、写真の右側がブッシュと樹木の急斜面で降りるのに手間取りましたがその間ずっとこの体勢で待機してくれた様で。


辛かった様で嗚咽の様な「ぎぎぎ


ぎぎぎやめぇいっ


後でフェリックスガムアタリ紙あげよう。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


パーフェクトだブラザー


無事降りて来たな、良くやった。後でモロッコヨーグルアタリ蓋をあげよう。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


地理的に上流方面と思われるが行程差の関係で下流方面、三島湖へ続く。小さなポットホールが点在しているけど比較的歩き易い、流れも通年穏やかなので沢歩きの入門コースとしては最適だ。


沢の道中は山間部からのアクセスポイントが数多く在るので挑戦してみるのも楽しみの一つ。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


朝っぱらから元気に遊んでしまった開墾場の滝、これから三島湖まで移動して廃橋の割橋です。この日は総物件数7件と相手が自然のわりには随分と無茶をした1日でした、この時点で既に3件目。深夜1時から起きっ放しのトレッキング、登山、沢歩き、滝登りのフルコース。加えて廃道と廃橋×割橋と帰宅時はクタクタ、若さがどうにも足りません


さて、帰路は相棒と僕が逆のコースで復帰。ロープを回収して次の物件に向いました、時間はまだ午前9時…しかし行動を始めてからは既に8時間が経過していて眠い眠い…。


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小糸川水系三間川 奥米の滝(開墾場の滝)


既に記載した通りこの滝は人口の滝、房総半島特有の農耕方「川廻し」の一環で作られた典型的な川廻しの隧道滝。発見は近年ですが詳細はハッキリしていません、メディアに紹介されたのは1978年の東京新聞8月14日号。


エントリーの途中でもご紹介したサイトがとても解り易く解説されています。


滝を観る
http://chibataki.poo.gs/takicard/koitogawa/sangengawa/kaikonbaf.htm


見頃は6月~8月の盛緑期、11月後半~12月前半の紅葉期。春先は落葉が多く、また葉の付きが遅いので冬場と大して変わりません、しかし房総では珍しい雪化粧をしたこの場所は大変美しく、僕も一度で良いので撮影したいと考えています。


※ 2014年02月23日:エントリーを2つ統合した上で再編集しました。


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アプローチ

国道410号線から三島ダムへの小道に入ります、その後三島湖の湖上を抜ける道を南下、短いトンネルが2本、その後長いトンネルを抜けた最初のカーブに沢へ降りる枝(作業要路)が在ります。非常に見つけ辛いです、事前に情報を収集するか知っている方に伴われて行かれる事をオススメします。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.19221503089378&lon=140.03691110680967&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=35.264565795187&hlon=140.0006690986&layout=&ei=utf-8&p =


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REPORT - 0224│開墾場の滝

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廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


千葉県│小糸川水系三間川 奥米の滝(開墾場の滝)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 小糸川水系三間川 奥米の滝(開墾場の滝)


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再訪エントリーと記事を統合し、再編集した上でリンク先のページへ掲載しました。下方のバナーより統合したページへ移動してご覧下さい。


廃道 廃村 川廻し 開墾場の滝 奥米の滝


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REPORT - 0301│府中米軍基地跡

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6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査終わりました


廃墟 府中米軍基地 帝国陸軍燃料廠 遺構


東京都│府中米軍基地跡(旧帝国陸軍燃料廠)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 米空軍横田基地所属府中通信所 - アメリカ合衆国空軍府中通信基地

6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査終わりました


2012.06.05 - この物件の追加調査をまとめた廃虚本が完成しました。


追加調査完了しました、その調査内容は6FROGSが手掛ける廃墟本の第1弾として皆様にお届けしたいと思います。未公開写真と詳しい解説、エントリーの時点では判明しなかった情報が盛り込まれた充実の内容と成っております、是非ご覧下さい。


※ 滅びの美学シリーズ①「府中米軍基地跡」は2000部完売致しました、有難う御座いました。


廃墟 府中米軍基地 帝国陸軍燃料廠 遺構


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東京都は府中の街中に不自然に広がる深い森、そして私道や県道から覗く不気味な廃墟群。遠目には巨大なパラボラアンテナが在り、新しい地域住民はこの不可解な区画がとても不思議で気持ちの悪い雰囲気が漂うと感じるだろう。


この区画の正体、それは通称・府中米軍基地跡と呼ばれる軍事施設跡。多くの廃カーさん達にしてみれば実に魅力的に映る事だろう。廃カーの中でも猛者の方達は奥深くまで侵入し、帰る頃には洩れなくその美しさに魅了されている筈だ。


この魅力的な廃墟群にスッカリと魅了され、2010年7月には小雨の降る中で居住区の廃墟群に挑んだエントリーは記憶に新しいと思う。未見の方は此方からどうぞ。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート-府中米軍基地 旧帝国陸軍燃料廠 廃墟


この時は深いブッシュに阻まれ、藪漕ぎ不可能と判断して途中撤退を余儀なくされた。エントリー最後でも再訪を誓い、今回事前調査を十分に行った上で再度この府中米軍基地跡を訪れた。敷地内マップと各施設の用途をまとめた資料を手に、この余りに美しい廃墟を撮影したいと思う。


アタックは11月の中旬だったのだけど紅葉が綺麗でホント当たりだった、気に入った物件だったし夜間の高速なら1時間も掛からないって事で何度か撮影に行っていたのだけど今回でこの物件は満足したなぁ。


この府中米軍基地跡、とんでもなく広い。本当に広い。まずは航空写真を見てもらおう、グーグルさん素敵。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-府中米軍基地跡 旧帝国陸軍燃料廠 住宅街に不自然に広がる森がお解かり頂けるだろう、中央にコンクリート製の建造物が在るがココはウェブ上で現役施設だとも既に廃棄施設だとも言われている。調査の結果、ここは廃棄施設と成っていた。しかし現在でも人の出入りは確かに在る、何より今回の撮影の際に施設内の照明が着いており、人も数人居るのを確認した。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-府中米軍基地跡 旧帝国陸軍燃料廠 敷地内はこの様な道が整備されていて一部自然に飲み込まれた場所を例外として使用出来る状態だ、新しい車の轍も確認したのでやはり人の出入りは在る様だ。と、言うかこの轍の正体は事前調査で知っていた。これについては後程語るとしよう。


さて、まずは前回もお邪魔した居住区のアパートメントの廃墟群から撮影を開始する。ここってばとても綺麗でどうしてももう一度撮影したかった。


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場所はココ、住宅街の裏手だ。おっかねぇ。


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生まれる前から好きでしたーってダイブしそうな位美しいです、丁度紅葉の季節と重なったのが良かった。夜明けの空と所々に変色した葉の色が何とも写欲をソソルじゃありませんか、廃墟と紅葉が一度に味わえた今回、出だしは好調です。


じっくりたっぷりねっとりしっぽり楽しむとしましょうか。


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入口、此方も絵画の様な紅葉を見せる。


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周囲を包む美しい紅葉と打って変わって無機質な空間が広がっている、夏に訪れた時と殆ど変わっていない。前回は付近の犬(板橋区のひとみちゃん)に随分と吼えられたが今回は本当に静かだ、”ひとみフジサキ号”で何処かに出掛けているのだろう


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共同バスの部屋からも紅葉が覗く。


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じゅるり紅葉の廃墟は実は初めてだった、もう好きにして


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玄関、夏に訪れた時に変化を楽しむ為の仕掛けをしておいた。その間々に成っていて訪問者が気付かなかったのか、誰も来ていないのか…まあ入ろうと思う人もそうは居ないと思いますが。


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移動します。次は此方のアパートメント、前回はこの場所で沢山写真を撮りました。この米軍基地跡における居住区は1965年、代々木の米軍住宅を東京オリンピックの選手村などに使用する為、府中基地や関東村に米軍住宅が移転しなければならず建設されました。


居住区画建設にあたり、関係インフラを整えた結果、沖縄の様に米軍関係者による犯罪が増えたのは有名な話。1972年には数回に渡り基地返還の陳情を行い、通信施設を除く基地返還が1973年に完了しました。


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実は今回の調査では撮影と現地検分の他に「建造物の状態」、「土壌の採取」があった。この辺に関する内情は後述するのだけれど普通の廃墟探索とは少々赴きが違うって事で同行人の方達も多少緊張しているよう。


行政からの情報ひとつ取っても興味深い顔を幾つも持っているこの廃墟群、近々控える大きな動きを前に余りに静かだ。今後の机上調査も含めて追って行きたい物件、今回の撮影で判明している分に関してはこのエントリーで明かしていこう。


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女子力高ぇな!(意味深)


相変わらずのお姿に御手てのシワとシワを合わせました、府中トロポサイトはホントいつ見ても素晴らしいです。うっとりです。


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隣接するアパートメントへ移動です。


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ここは裏手が慈恵院と言うお寺で朝早くから人の出入りが多いです、ちょっとブッシュの薄い所に出ると丸見えなので注意が必要です。


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落書きなのかアートなのか、当時の物なのか朽ちてからの物なのか。何部屋かに別々の落書きが在ります、壁ごと腐食しているのは当時物でしょうか。


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こ れ は っ


これは初見です、一番奥の部屋に宴会の跡が…もしくは野良さんが暫く住んでたのか?転がる空き缶や空き瓶、スナックフードの袋が色々と教えてくれます。


ビールの缶は一番絞りとラガー、どちらも現在販売されている商品だ。スナックは数袋在ったがリバイバル販売された物も含んでおり、時代を調べる事が出来そうなのはカルビーの「焼もろこし」が妥当の様だ。カルビーのサイトで確認するとこのパッケージは1990年~の物だった、更に調べる。カクテルの空き瓶が転がっているので見てみると「ザ・カクテルバー」の様だ、その手の殆どが缶に移行した現在、ウッテツケの素材の発見だ。


此方も調べてみると1993年のパッケージ、どうやらこの宴会の開催主は1993年にこの場所を選んで執り行った様だ。


1993年と言えば大好きなポストウォーターがまだ飲めた時代、あのフラスコ瓶はいまだにパッケージデザインの専門誌などでも取り上げられる程斬新だったし何より旨かった。アタクシの飲料史ではサスケ維力と共に現在でも味が忘れられない思い出ドリンクだったりします。


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出ます。


角を曲がると慈恵院の事務所でした、照明着いてるし人も居るしビックラこいたさ。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-府中米軍基地跡 旧帝国陸軍燃料廠 ささ、逢いに着ましたよ。地図では解り辛いかもしれませんがこの場所こそあの巨大なパラボラアンテナの直下に成るのです。


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でかい。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-府中米軍基地跡 旧帝国陸軍燃料廠 ここから本格的な探索です、場所は半稼動施設の直ぐ脇に成る所で有名なオブジェが鎮座する廃墟が在ります。どうしても撮りたかったんですよ、それ。


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天井の抜けた自然のライティング、それはきっとこのオブジェの為に在るのでしょう。


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どうなってんの。これ。


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このオブジェは施設内の廃棄物やゴミを積み上げて製作されています、この場所に来た方は解ると思いますがどうにも不可解な積み上げ方でどうやって作ったのか?何の為に作ったのか?もう色々と疑問に映る筈です。


最初にウェブ上にアップされたのが2003年頃、この写真をアップしたサイトは既に削除されています。その後このオブジェの追跡調査をされた方が2004年にレポートを書いていたのですがその内容は「結局よくわかりませんでした、すまんかった。」と成っており、詳細は解らずじまい。


その後、独自にこのオブジェの製作者を調査しましたが僕も解りませんでした。すまんかった。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-府中米軍基地跡 旧帝国陸軍燃料廠 更に移動。


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実はこの場所、特筆すべき事件が起きているのだけど諸事情により割愛。申し訳ない、探せば事件のソースが残っている筈です。


この廃墟は崩壊具合が良い感じで半分が崩れ落ちて半壊状態、侵入者の足跡も多い場所でした。


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概観はこんな感じ、どこぞの廃村かと。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-府中米軍基地跡 旧帝国陸軍燃料廠 そろそろ脱出します、帰路の途中に先程のパラボラアンテナまで戻るので再度周辺の探索を行うとしましょう。


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アンテナ直下の施設内、この場所も結構と廃墟さんがレポートしてますね。


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放置して良いのかなーって書類もチラホラ。


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通信施設にありがちな計器類が在りました、在る程度の知識が在る方なら処狭しと貼られているデンジャーアナウンスのステッカーが然程意味が無い事が解ります。


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さて、そろそろとこの米軍基地跡から撤収するとしましょう。


この他にも数箇所の見所が残るのですが写真的に似たり寄ったりなので端折ります、まあ実際大した見所もこの後(一部の物好きには例外ですが)には在りません。

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1976年に撮影された府中米軍基地跡上空、変換後間もなくの姿で国会では三分割有償払下げ方式を提案。土地の後利用で揉めている最中での廃墟と成る前を収めた貴重な写真です、実は個人の方から当時の内部の写真をお借り出来たのですが諸事情の為掲載を見送っております。


その内公開出来たらなぁと思っております。


全体的に大変大規模な施設跡ですが色々と再開発で揉めている場所でも在ります、今までの歴史とこれからの再利用をまとめましたので興味が在る方は読み進めて下さい。


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府中米軍基地跡(旧帝国陸軍燃料廠)


前回のエントリーから引用します、まずはお読み下さい。


1939年に旧帝国陸軍燃料廠として設置、日中戦争の戦時中の航空燃料や自動車燃料の備蓄基地として表向き(詳細は後述)は建設されました。石油燃料を海外に頼っていたのは当時も今も同様で、関連研究もここで行われています。終戦後は戦勝国の米軍管理下に置かれ、極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が設置されました。


隣接する航空自衛隊府中基地は航空自衛隊が発足した事を受け、指揮系統の一元化の為も合わせて一部の敷地を米軍から返還され、航空自衛隊航空総隊司令部として稼動。国内全ての航空自衛隊戦闘部隊を指揮する部署でも在ります、航空自衛隊府中基地は現在でも稼動中でフェンス越しに戦闘機なども見れます。


1965年に開催された東京オリンピックでは選手用住宅(選手村)としてこの米軍基地を利用する為に元々代々木に在った米軍関係者住宅を移設、府中米軍基地と2キロほど離れた関東村にそれぞれ集合住宅を建設した。

1973年、以前より議論されていた関東地域における米軍基地の整理統合計画、「関東計画」が全面的に押し出された形に成り、米軍府中基地は通信施設を除き全面返還されました。


2001年の同時多発テロを受け、その後3年間程は警察などの警備が強化されました。丁度この時期にアタックした廃墟さんは逮捕、拘留された様で数件の類似事件が今でも進入する際の注意事項として残っています。2001年当時は残された通信施設が生涯学習センター北側で稼動していた事も在り警備されました現在はその役目も終わり、正直な所を書きますと警備はされていません、ただ周囲の巡回は勿論、元通信施設の関係者さんの出入りもある事から進入は避けた方が無難でしょう。


1976年、1978年に跡地利用で国、都、市で使用権を分割する話し合いが数回行われましたが合意内容は色々と問題も山積していた様で一部の計画が完成したものの現在の廃墟群を残す形に成っています。


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今回エントリーするにあたって再度この施設を調査しました、そこから解った事やこれからのこの土地の再利用、また政権交代によって宙に浮いた企画などをお伝えしたいと思います。


まずは前回の宿題と成った都市伝説的な眉唾情報から。


旧帝国陸軍燃料廠としての本来の機能


全くの別件でこの区画の話が話題に上った事が在りました、その時にこの施設の元関係者から聞いた話、


「この施設が建設された当時、施設の運営内容とは全く関係ない機材や人材がこの場所に集められた」


と言う、実に胡散臭い話。これを前回のエントリーで宿題としました。その後独自調査で色々と解りましたので報告いたしましょう。


結果、関係の無い機材や人材が集められたのはどうやら本当の事でした。しかし時系列が違っていた様です、この施設は当初「帝国陸軍燃料廠」として建設されました。その後米軍下に置かれる事に成るのですが先程の眉唾エピソード、東京オリンピックの関連施設を建設する為のインフラ設置人員と機材だった事が判明しました。


その工事に携わった方の関係者さんからもお話を聞く事が出来て(全くの偶然で)確信が持てました、どうやら旧帝国とその後の増設利用の話が混濁して出来上がった噂話だった様です。


つまりは帝国陸軍燃料廠としての機能をしっかりと全うし、後の再利用の際の工事に関係する諸事と話がくっ付いた形に成った訳ですね。


この件に関してはスッキリと解決。


三分割有償払下げ方式


1972年の基地返還の陳情を受け翌年の1973年、関東地域の米軍施設を集約する「関東計画」が発表され、米軍府中基地は通信施設を除き全面返還されることになりました。この際残された通信施設は、生涯学習センター北側で稼動していましたが現在では停止されており(極々正確に言えば一部稼動してます)、関係者が諸事にて訪れるのみと成りました。


4年後の1976年に国は国内審議会で米軍基地跡地利用について三分割有償払下げ方式を提案、国、都、市で使用権を分割するもので、その際、市が利用する用地は国から有償で払い受けるというもので府中市が当初予定した独自の再開発は企画倒れと成ります。


当初の目論見が上手くいかず、府中市は「三分割有償払下げ」方式反対を表明、署名を集め、国会に請願しましたが審議未了で廃案となり、この方式が確定します。


跡地利用は問題山積


米軍基地跡地の利用について、府中市は「平和の森基本構想」を発案。内容は航空自衛隊基地を含めて全体を公園化し、その中に小・中学校、都立高校、市民斎場、博物館・美術館などを建設すると言う大変大規模且つ諸問題を抱える物でした。


1976年の三分割有償払下げ方式を提案を受け反発し府中市、しかしその後の議会で三分割有償払下げ方式での再開発が決定し、都は都立公園の建設を、府中市は小・中学校と斎場を建設する方針が決まります。


この当時の再開発に関して良く調べた方がいます、そのレポートから引用して記載します。


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1981年当時、近隣の府中三中は生徒数が極端に増え、校舎に収容できずにプレハブ校舎を建設して対応していました。このプレハブ校舎の解消は緊急課題のひとつとされ、基地跡地利用ではまず中学校用地を先行取得することが決まり、11982年4月、浅間中学校が開校しました。


一方、府中市は小学校の建設も計画していました。ベビーブームの後ということで近隣学区の小学校はどこも飽和状態にあり、また、近隣の三本木地区の区画整理事業が完成すると人口が急増する可能性があったからです。1983年2月、府中市は国と小学校用地の売払い契約を締結します。


しかし、全国的に児童・生徒数は急激に減少しはじめ、予想に反して三本木地区の住宅建設は進まず、想定される学区内の児童発生率は極端に低いものとなりました。


そこで府中市は翌1984年9月、事業計画を変更し、小学校用地を野球場・少年サッカー場としたい旨を国に要望しました。しかし国は、隣接する都立公園内に野球場・サッカー場が建設されることから認めず、再検討するよう回答しました。


1985年、国の回答を受け、府中市は文化ホール建設を計画、国の了承を受けましたが、再度の用途変更がないよう、2年の猶予を与えて具体案を要求し、1987年、用地売払いの契約が成立、1991年、府中の森芸術劇場が開館しました。


この経緯を考えると、府中の森芸術劇場は本来計画されなかった、不要施設という見方もできるわけで、府中市政の体質を伺うことができるエピソードともいえます。


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ここまでをまとめよう、府中市がこの様な計画を立てて国と話し合いをする。この事実から誰もが完全返還と理解出来る。しかし未だにシッカリと調査をしない輩がこの場所を「米軍管轄」と表現する、情弱の極み。


この区画は米空軍の横田への本拠移転にともない土地が完全返還されている、関東財務局の管理地として現在廃墟に成っている居住区画や通信施設跡が残っている。僕も前回のエントリーの際に大手の廃墟サイトの管理者から「ここは米軍管轄だ!」とメールを貰ったので、


「ここは現在財務省所管なんですよ」


と防衛省のサイトをリンクしてレスポンスしてあげました、その後その管理者さんから連絡は在りません。勿論の事ですがパラボラアンテナを含む一部通信施設は未返還で在る事は注釈付きで返答しました。更に言えばアメリカ合衆国空軍(USAF)、アメリカ第5空軍(Fifth Air Force)の管理下で在る事は明記しました。


気に成ってこの辺の事を書いたサイト探してみたら同じ様な記載の在るブログを発見、やはり調べる方は居るのだな。


先程「極々正確に言えば一部稼動してます」と書いたのは今までの様に(2009年まで)積極的稼動状況ではない事、大和田通信所の鉄塔撤去で府中向けのマイクロ回線が無くなった事を指して記載しました。


跡地はどうなる?府中の模索


府中市は2008年、「2011年度までには、屋外広告や宅地開発(開発行為)に関するガイドライン(指針)の作成」を発表。自然と調和のとれた街づくりを推進する方針を打ち出した。


これは跡地利用に色々と問題を残す形だ。


現在跡地には小・中学校、集合住宅、ショッピングモールの建設が計画されている。更には近年に成って決定したある施設の移転問題で揺れているのだ。


まずは2008年のニュースソース(東京新聞)を見てもらおう。


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府中市内に国が所有する米軍の基地跡地「府中基地跡地留保地」と「調布基地跡地都市整備用地」の2カ所に、国家公務員宿舎が建設される見通しとなった。計画戸数は合計約700戸で、地元の府中市が受け入れを前提とする利用計画をまとめ、10月31日、府中基地跡地留保地の利用計画を財務省に提出した。調布基地跡地都市整備用地についても近く利用計画を提出する構え。今後は市と国による本格的な協議や、市による地区計画の都市計画手続きなどによって、宿舎を含む施設の建設条件が整うことになる。


府中基地跡地 国家公務員宿舎を建設 府中市近く利用計画提出へ


東京都府中市に新たな国家公務員宿舎を建設する方向で、財務省と府中市による話し合いがまとまった。これまで同市は公務員宿舎の建設に難色を示していたが、調布、府中の両基地跡地の一部に建設する計画で両者が合意した。市は地区計画の変更などを都と調整した後、今月上旬にも財務省に両基地跡地の新たな土地利用計画を提出する方針だ。


同市は調布基地跡地で業務機能を誘導する都市整備用地(同市朝日町3-8、10)の敷地4haのうち、府3・4・26号線を挟んだ北側の地域の東南側の敷地と同線南側の敷地0.4ha、府中基地跡地(同市浅間町1丁目)の住宅用地約5haの3カ所で公務員宿舎を受け入れる。財務省関東財務局は、単身タイプとファミリータイプの宿舎を合計で約700戸整備する方針だ。


当初建設反対、4ヶ月遅れで受入れへ


関東財務局は、調布基地跡地の都市整備用地に同宿舎の建設を希望していたが、市は人口増により保育園や小、中学校の機能が限界に達しているため、建設に反対する意向を表明していた。このため公務員宿舎の整備は6月に提出した土地利用計画には含めなかった。しかし、財務省側の施設分散といった譲歩を受け、公務員宿舎を導入する新たな土地利用計画を策定した。


府中基地跡地の敷地14.5haでは、跡地中央にRC造地下1階地上5階建て延べ3万5686m2の国立医薬品食品衛生研究所の移転が計画されている。移転用地に隣接する住宅用地を公務員宿舎の建設地に充てる。


このほか、調布基地跡地の病院用地(同市朝日町3-16)2.3haで同局が要請している警視庁第七機動隊(調布市)、軽自動車検査協会多摩支所(国立市)の移転も受け入れる方針だ。第七機動隊は、地下1階地上5階建て延べ約1万m2の事務庁舎、延べ約6000㎡の単身者待機寮、延べ約1500㎡の車庫棟の建設を計画している。


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この件に関してあるブロガーが意見を述べている。


府中市は国に対して粘った


朝霞市はあっさりと5月に国に利用計画書を提出した。国から同じ指示を受けていた府中市は粘り腰を発揮して提出期限を4ヶ月過ぎて米軍基地跡地に国家公務員宿舎受入れを認めた。とても交渉上手です。


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同意見だ、一方キャンプドレイクは国主導の再利用計画を飲む事に成る。府中市はこの時点では事を上手く運ぼうとしていたのだ。


政権交代による問題点


実は今まで記載した企画とは別に大規模な施設の移転問題が在った、「国立医薬品食品衛生研究所移転」の計画だ。


この問題は実に面白い、土地の再利用の問題だけでなくて土壌調査の結果と政権交代による計画頓挫の危機に面しているからだ。


http://www.nihs.go.jp/aboutnihs/itenkeikaku/index.html


まあぶっちゃけると当初の計画を大幅に変更、跡地の大凡をこの「国立医薬品食品衛生研究所」が掌握し、残りを公園と集合住宅にすると言う計画だった。


これは仕分け事業と土壌調査の結果が芳しく無かった為に計画が大幅に遅れている。


どうして残るの?通信施設


更に面白い事実が在る、以下のPDFリンクを踏んで欲しい。


http://www.nihs.go.jp/aboutnihs/itenkeikaku/080327_2.pdf#page=9


例によってあの声で脳内再生をお願いする、「お解かり頂けただろうか」。


不自然に抜けた「通信施設」の区画、何故残すのか。理由は簡単で一つしかなく、その言い訳は複雑でここで述べるのは余りに多過ぎる。


土壌調査での問題点


答え言いますね、ココってば「放射線汚染」が…おっと、こんな時間に誰か来ty


2010年、しかもつい最近(このレポートは11月後半に書いてます)に地質調査が行われている。国立医薬品食品衛生研究所移転に関係する調査でその結果が随分と酷いものだったと聞く、しかも先程述べた様に放射線おsbg;はtgろ


げふん、げふん。えーと、後は各々調べて下さい。


で、どうなのよ?


結果から言えば当初予定されていた計画の殆どが保留と成っています、国立医薬品食品衛生研究所の移転問題と同時進行中だった集合住宅、市立公園の建設が宙に浮いた状態と思って頂きたい。


つまり、現時点で言えば2014年(2010年現在での状況)まではこの廃墟を楽しむ事が出来ると言う事。しかし。


2010年9月以降、各事業の調査が頻繁に入っています。言ってみれば2001年の同時多発テロ以降の厳重警備解除後にして初の「入り難い状況」と言えます。再開発自体は決定事項です、その時期に関しての問題が山積しているのでこの後も沢山の調査で人が入る事でしょう。


もしこの府中米軍基地跡の美しい廃墟に魅了されているのならば…早い段階での撮影慣行を進言します(廃墟探索を奨励はしませんが)。計画の見直し、突然の政権交代が在ればこの跡地再利用の方向性や時期も大きく変動する筈です。


これにてこの施設のレポートは終了です、お楽しみ頂けたでしょうか。


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施設名説明


府中米軍基地跡
現在この廃墟を説明するのに使用されている俗称です。


旧帝国陸軍燃料廠
この施設が建設された当初の利用目的施設名です、戦中建設されました。


米空軍横田基地所属府中通信所
アメリカ合衆国空軍府中通信基地の正式日本語表記名です、戦後米軍に管轄委譲した際に通信施設として利用されました。


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最後に有名な「遺構調査機構」さんがレポートした内容が大変興味深かったのでURLを記載しておきます、恐らく一般人初で最後の詳細レポートです。


http://ruin-explorer.com/fucyu/futyu.htm

注意:文字コードがJISに成ってます、ブラウザによっては文字化けするかもしれません。


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2012.09.13 - 国立医薬品食品衛生研究所の移転中止へ


このエントリーをまとめた廃墟本「滅びの美学 - 府中米軍基地跡」発行後に実は移転問題について動きが在った。兼ねてより嘆願書と住民運動で移転中止を推進していた周辺に居住する市民と中止の活動をされていた「衛生研問題を考える会」の意向に沿う内容で一応の決着が付いたのだ。


国立医薬品食品衛生研究所の移転中止へ


そう、土壌問題やその運営内容で危険視されていたこの移転問題。とうとう計画を白紙に戻す事で再度土地再利用計画が見直される事に、因みに先に名前が出た「衛生研問題を考える会」。2010年には市長に署名を提出していた、以下のリンクにて確認出来る。


府中市長と面談し「衛生研移転計画中止を求める1万人署名」を提出

http://hmw.or.jp/~eiseikenmondai/mendan201011.html


この署名や地域住民の移転中止を叫ぶ活動が実ったのかこの程中止のニュースが流れた、以下のリンクから読売新聞の記事を参照して欲しい。


東京・府中市への移転は中止…国立衛研 - 読売新聞

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=64862


この記事内にも在る様に移転中止は決定事項の様だ、しかし問題自体が解決した訳ではない。そもそもの懸念はこの米軍基地跡の土地利用とその運営方法に在る。今後どの様な動きを見せるのか、そして国や地域行政、住民との相互理解を得られる結果を生み出す事が出来るのか。


更に動きが在れば追加エントリーしていきたいと思う。


アプローチ
国道20号からだと都道15号線が一番解りやすい枝に成る、都道248号線でもわかり易い。府中美術館、もしくは航空自衛隊府中基地へ向かえばこの基地跡が見えてくる。


地図リンク
http://yahoo.jp/SrsmP9


photograph - nee


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REPORT - 0302│山本園大谷グランドセンター

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廃墟 山本園大谷グランドセンター 摩耶観光ホテル


栃木県│山本園大谷グランドセンター


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 山本園大谷グランドセンター


写真の整理で出て来た過去物件、余りにも印象に無くてスッカリと忘れておりました。廃墟物件としては有名過ぎる程で心霊さん(※1)のお気に入りの場所でも在るらしいですね。


※1 肝試しが好きな人や脳みそが半分位ないちょっと病気の人達の事


廃墟としても魅力が薄くてガッカリ、もう1年以上前の写真ですが覚書としてレポートしたいと思います。本当に正直な感想として行っても面白くも美しくも在りません、崩壊が進み、汚いだけです。また近年に成って悪戯書きが急増して写真栄えしないのも負の要因、良くウェブ上で聞く…


関東の摩耶観光ホテル


なんてとんでもない。もし行くのであれば…


大谷資料館(イメージ検索)
http://www.google.com/images?hl=ja&safe=off&client=opera&hs=P0a&rls=ja&q=%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi


ついでとかに行くのはアリかと。


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大広間の廊下、宴会場だった場所。自然崩壊と人為的に破壊された物とが混在してます、サバゲーの人が一時期よく来てたそうでBB弾やガスの空き缶やらゴロゴロしてますねぇ。


この廃墟は現在で言う「総合スパ施設」で昭和30年代に創業、開業後何度かの経営の方向転換が在った様だけど後継者問題と行政との癒着が問題視されたり諸々の事情で閉店倒産。


その後は管理される事もなく廃墟化しているのだけど近年中に解体するって情報もチラホラ、管財人はハッキリしてる様だけどこの廃墟って元々の所有者が複数居たって聞いてるので揉めるのかなぁ…。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-山本園大谷グランドセンター


もう酷い状態でした、ステージのバックには大きく悪戯書きもされていて写真を撮るアングルにかなりの制限が出てくる。ホントにガッカリ物件、侵入者もそこそこ居るのか人の気配と言うか、頻繁に人の出入りを感じさせる雰囲気でした。


この物件でよく言われるセキュリティの話、この件については別方面から明記をしないように言われているので割愛。ただサバゲーの人や廃カーさんの出入りが多くなり、また近年ボヤ騒ぎが在った事で警察が定期巡回してるのは確かです。


捕まってしまった(逮捕じゃない)もウェブ上で幾つか見つけたので進入する場合はお気をつけて、そこまでして行く廃墟じゃないのだけどなぁ…。


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この廃墟、実は結構大きくて3棟に分かれてます。それに同敷地内にスナックだった小物件も在ったり関連する小屋が在ったりもします、どれも見聞可能ですがどれも荒らされていて本当に汚いだけです。


最後に心霊さんが語り継ぐ惨殺事件ですがこの地区における公開記録には該当事件や事故は在りません、屋上の水溜りに触れると死ぬらしいですが私は元気です。


って事で大谷グランドセンターは終わりです、いつもは廃墟の歴史やバックストーリーを追うのだけどこの物件に関しては興味も湧かず、しかも調べても大して面白いエピソードも出て来なかったのが短いエントリリーと成りました。


因みに一応「宇都宮市総合政策部広報広聴課」さんからもお話をお聞きしたのだけれど未だに民間企業がこの土地を所有管理している為に行政として詳細な情報は保持していないとの事、映画の撮影に使用されている事から詳細な情報(過去の利権者から詳細な情報が聞き出せれば最高なんですが)のアプローチは可能そうだ。気が向いたら(思い出したら)マスコミ関係の伝手を辿って話を聞いてみても良いかも。現在の利権者さんの情報などは諸事情で公開は出来ません、申し訳ない(撮影許可の問い合わせとかが面倒みたいですよ)。


実はこの付近には小規模ながら廃墟や廃屋物件がゴロゴロしてます、そちらを探索された方が素敵な「」に出会える筈です。


アプローチ
高速からだと東北自動車道宇都宮ICを降り国道293号まで出ます、そこからは大谷観音方面へ10キロ程走ると県道188号線沿いに大谷観音が見えます。大谷観音の斜向かい上に大谷グランドセンターが見えます、周囲は人が多いので駐車や進入は事前に土地情報を調べた方が良いでしょう。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.59672708890146&lon=139.81826204305895&z=18&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.60177453&hlon=139.82294518&layout=&ei=utf-8&p=%E6%A0%83%E6%9C%A8%E7%9C%8C%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%B8%82%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E7%94%BA909


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REPORT - 0303│旧房総自然博物館 - 廃屋(台倉集落)

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千葉県 │ 旧房総自然博物館 - 廃屋(台倉集落)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 旧房総自然博物館 - 廃屋(台倉集落)


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- コンデジ撮影画質


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査終わりました


2012.12.29 - この廃村に関する詳細を当時を知る方に教えて頂きました


丁度2年前(偶然にも日にちまで同じ)にエントリーしたこの台倉集落、廃村に至る経緯から房総自然博物館設立。そしてどの様な方達が手掛けて来たのかなど貴重な情報を提供して頂きました、一応机上調査は修了ですが今後も情報提供が予想されるので判明次第追加エントリーをしていきます。今回の追加情報は最後尾に、是非お読み下さい。


毎度お得意の房総半島、秘境っぽい所や無名の滝、廃集落跡などをちょいちょい行くのだけど土地柄か気候か…大規模な物はどうしても見付からない。廃道と隧道に関しては房総はパラダイスでその手の方面からは大いに好評な地域なのだけどやっぱり廃墟撮りたいなぁって思ってしまう。


本来沢屋なのだけど沢歩きの途中に自然では出来難い枝(獣道や農林作業要路)っぽいのを見付けると浮気して入ってみる事もしばしば在る訳で。


沢屋の本領を発揮すべく挑戦した房総の廃屋廃道レポートを2回に渡ってお伝えしたい、まあ分ける程でも無いのだけどジャンルが違うので別途レポートとした。


まずは最初の物件、現在では廃屋化してますが現役の施設…と言っておきましょう。施設名は「房総自然博物館」、比較的近年の物件だけど歴史もそこそこと在って面白そうだったのでアタックの計画を以前から立てていた。他の物件を探索する予定と合わせ、やっとこさで撮影に挑む事に。登山と沢歩きが大好きなのに薮漕ぎが大嫌いでヘルニアが年々悪化する重い身体にムチを打ち、いざ参らん。


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実を言うとここ自体が目的では無いのですよ。この物件自体は廃墟を撮り始めた頃に山歩き系のサイトで知り、撮ってみたいなぁとは思って居たのですがその後大型物件に心を奪われてからスッカリ忘却の彼方へ、脳の老化はまっこと恐ろしい事よ。


さて、その後の経緯ですが。


知り合いの林道ライダーさんからたまたま今回の物件の近くを通る林道の件でご一緒した時の会話で、


「廃墟とか写真撮ってたよねぇ?」
「ああ、撮りますね」


「この近くに廃屋って言うのかな、ずっと使われてない施設跡が在るよ」
「ほう、興味深いですな」


「行っとく?」
「ええ、是非行きましょう。直ぐ行きましょう」


「行かねぇよ、面倒くせぇ」
「ちょっと表出ようか」


既に表なのはスルー、山奥で激しい殴り合いをした後に帰宅しても気成っていたのでちょいと調べてみた。調べた結果、確かに廃屋を確認。更に暴行罪で立件出来る様なので相手に早速電話。


「例の廃屋行きませんか?」
「霊の廃屋?おっかねぇよ、それよりラーメンでも食いに…」


※ 結局この林道ライダーさんとは行きませんでした。クソが。


そこから計画を立てる過程で面白い事実を知る。


どうやらこの施設から廃道に成った道が数キロ離れた集落まで延びていると言う事、既に地図からは抹消されている事、何人かが挑戦してまだ道が見付かって居ない事など…これは面白そうだ。


廃屋と廃道、一度にペロっと呑み込んでやんよ。


しかし、僕の脳は老化していて1ヶ月も経つとスッカリとこの物件の事を忘れていた。まっこと恐ろしい事よ。

既にレポートしたこのエントリー、


廃墟 廃道 廃村 台倉 房総 房総自然博物館


この物件の別ルートを探している時に物語りは再び始まった、たまたま航空写真でウロウロしている時だった。


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んんー?なんか居るな。


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確実になんか居るなココ、なんだろコレ。ってかココまでの道あるのかなぁ。


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うむ、コレは廃屋臭ぇ。匂うぜ、こりゃいつもの国土地図サービスで確認だ。


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ビンゴー、3棟の建造物が確認出来た。ってあれ?この場所って確か…


ここで脳内MMX133がようやくカリカリと動き出す、不良セクタだらけの脳に鞭打って記憶を洗い出す。そうだ、この場所ってあの時の話で出て来た所じゃないですかー。


そこからは早かった、場所とルートが解れば廃屋の正体や現在の所有者なんかは数分で判明する。どうやらNPO法人の物らしい、調べてみた。


房総自然博物館


名称:特定非営利活動法人房総自然博物館
所轄:千葉県
所在:富津市宇藤原316番地
代表:直井洋司
目的:千葉県房総地域でサルの生態調査


※ 現在の住所は今回の物件とは違います、旧施設が今回の物件で新しくNPO法人登録する時に事務所が移動し、上記の住所に成りました。


元々は別の施設(後程詳細を説明)だったのだけど現在はこの団体が地域の自然との共存を模索し広く理解してもらう為に用意した施設の様だ、2004年にNPO法人の認可を受け、2005年頃まではウェブやテレビでの活動も在ったのだけど現在は休止中の様だ。


兎に角現地に行ってみたい、廃屋の事前調査は後々でも可能なので一度現地に行って廃道の調査をしたい気持ちが大きかった。


それでは前置きが長く成りましたがレポートのスタートです、房総半島ってやっぱり面白いですわ。


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どうやらココが入り口の様だ、ここから更に深まる謎解きが始まる。このレポートを書いている時点ではまだ全てを調べ切れていないので今後も追跡調査する事に成るのだけどちょっと複雑な経緯が在りそうだ。


photograph:ohwashi


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山中を歩き始めると人の交通道路としては脆弱だけど山屋さんにはとても楽な道が延びていた、一定区間毎に電柱(傾いていたり倒れていたり折れていたり)が。電線は既に切断されていて切っただけの物がアチコチに放置されている。


photograph:ohwashi


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何度か川を越える、ずっと昔には橋が掛けられていた痕跡も在る。


photograph:ohwashi


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歩いている途中で何度も川廻しの雰囲気を感じていたのだけど決定的な人口水路を見つけた、川廻しには農業用、牧場用、生活用水用と色々と種類が在るのだけどこの規模だと生活用水用かなぁ。


photograph:ohwashi


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次第に道が川から離れていく、持ってきた等高線が描かれた地図を見る。道は房総半島にしては荒れて行く、持病のヘルニアが「引き返せ」と警鐘を鳴らし始めた。


こんな事なら風呂の中でコイた屁の気泡を数えていた方が良かったのか。


photograph:ohwashi


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等高線を見ていて嫌な気配は感じていた、川沿いに旧道が書かれているのだけど途中から川から離れて山中に伸びていた。しかも等高線が丘陵を登る形だ、そしていざその場所に着くとヌカヌカの九十九折、普通のブーツで着ちゃったよ。ここまで酷いなら登山用履いてくれば良かった、足元泥だらけ。


で。


どうにか着きましたよ、廃屋の裏手に出た様だ。


photograph:ohwashi


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脇に人の轍が在るので通ると竹薮のトンネルに成っていた、左手に航空写真で見た廃屋が見えた。


photograph:ohwashi


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この建物は房総自然博物館、福岡出身の直井洋司さんと言う方が房総の山中であるこの台倉に個人的に発足、建造物は活動ベースとして利用していた様だ。サルと人と環境を考える場を提供する為に旧家屋を借りて1970年代~1980年代半ば迄この場所で活動していた。


元々は3軒の旧家が存在した小さな集落、現在は2軒の廃屋と物置小屋2軒(内一軒は風呂とトイレの名残アリ)。


1970年代までは半住居として集落の人が居た様だ、その後房総自然博物館として先の方が借り上げて研究と調査のベースに。1980年代には自然体験などのイベントの場としても使用され、簡易宿泊施設としても機能した。


1980年代中盤から一山越えた宇藤原へベースを移して活動を継続、それが2004年にNPO団体として認可されて現在に到るのだけど最近は大きなイベントも無い様だ(1998年位までは頻繁に人の出入りが在った事が卓上調査で判明)。


photograph:ohwashi


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付近には畑の跡や井戸、墓地などが点在している。今回山中に入る為に平田側からの道を歩いたのだけど途中途中の電柱から引かれた電線は既に切断されている。


その代り関東ふれあいの道から新しい電柱が何本か設置されて電線も屋中に延びている、通電はして無い様だが廃屋の玄関口で面白い物を発見した。


photograph:ohwashi


6Frogs - 毎日をデザインで考える-房総自然博物館 台倉 宇藤原 廃道


東京電力の領収証だ、この発見から卓上調査の限界が顕著に成ってくる。実はこの廃屋の元々の居住者姓は「河野」と言うのだが1970年代には先の説明通り房総自然博物館の代表である直井洋司さんが借りていた。


宇藤原にそのベースを移ったのが1980年代中期、調べた結果どうやら1984年から1986年の間に移動した様だ。


しかし。


photograph:ohwashi


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領収証には「コウノ***」と在る、何故に元々の集落の居住者の名前で請求書が届いているのか。しかも一番新しい請求書は2010年08月の物…


???


契約者は直井洋司さんじゃないの?そもそもベースが移ってから約30年間ずっと?そして東電の職員さんは毎月この場所まで歩いて領収証を届けに来ているの?


少なくとも1年間程の領収書が挟まれていた事からこの期間に関係者が訪れては居ない、中の様子を見て2007年に関係者が沢山来た事は解ったのだけど。


もう一つ、この場所には現在も住所が振られている。どうやらこの場所は…


千葉県君津市西日笠477


と言う場所。あれれ?事前に調べた住所は「千葉県君津市平田***」なのだけど違うのか…解らない事が沢山出て来た。


photograph:ohwashi


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柱に打たれた旧電話認識プレートには「西日笠」と在る、旧住所の清和村の物だけどこの当時は「台倉」じゃないの…?


幾つもの疑問が、これは追跡調査で自己納得の為に是非解き明かしたい。


photograph:ohwashi


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物置小屋です、中には畑仕事に必要な道具や機械が朽ち錆びていました。


photograph:ohwashi


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中の様子はこんな感じ。


photograph:ohwashi


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手前左側は風呂付の納屋、こちらも中は道具で一杯だったけどしっかりと部屋として作られて痕跡が。


photograph:ohwashi


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中は物置に成ってるけど離れ的な使われ方でもされたのかなぁ。


photograph:ohwashi


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先程の場所から30メートル程離れた所に立派な廃屋が在った、此方も随分と朽ちていたけど屋内は30年以上の時を隔てても生活感が感じ取れた。


そして更に謎が生まれる事に成る。


実は当初この集落まで歩いた道(平田~台倉)は生活道路ではなくて作業用道路として集落発生以降随分と経過してから作られたと事前調査で結論付けていた。


つまりはこの後に探索する「旧廃道・台倉~宇藤原間の旧台倉宇藤原道」が植畑からの道以外でこの集落に達する唯一の初期道路だと思っていた、しかし探索後に宇藤原の住民(78歳のおばあちゃん)から聞いた話とは一致しない。


色々と調査不足と現地での発見が混乱を招く物件だ、先述の通りこの廃屋に関して随分と消化不良で追跡調査する予定。


photograph:ohwashi


それでは次回は今回と合わせて行った廃道、旧台倉宇藤原道の探索と結果をレポートしたい。


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2012.12.29 - 旧房総自然博物館(台倉集落)に関する追加情報を掲載


当時を知る方から大変貴重な情報を得る事が出来ました、設立当初から房総自然博物館の活動へ参加していた方で当時の話を色々と聞かせて頂きました。以下追加記載の情報です。


この台倉集落の一角を占める敷地の残されている旧房総自然博物館、これはこの地で農業で生計を立てて生活されていた河野さん(エントリー内で電気の請求書に在る「コウノ」さんと同一人物)が離村され、残された農家を再利用する所から話は始まります。


1974年以前、既に離村が進んで廃村同然(1976年まで河野さんが住んでいました)と成っていたこの農家を「天然記念物ニホンザルの生息地保護管理調査団のベースキャンプ」として家屋と同様に作業小屋なども借り上げて小規模で運営されていました。その活動は人伝いに広がり、1974年に房総自然博物館が発足しました。

当初は自然観察や田んぼ、畑などの農耕を中心に設立のトリガーで在った記述の「天然記念物ニホンザルの生息地保護管理調査団のベースキャンプ」活動を地道に行っていました。


博物館の設立宣言に「博物館を囲む自然そのものが展示物である」、「価値を見ない人の活動により自然が失われようとする時代にあって、物言わぬ自然の代弁者たらん。」と言う言葉を信条に活動は続きましたが1980年代末、細々と活動していたメンバーも年を取り、忙しくも成って少しづつ足が遠のきます。また林道も度重なる台風で崩落が進み、通行が難しく成った事も要因の一つだった様です。


驚いた事に一時はトタン屋根のこの家屋に参加者が屋根材(かや、萱、ススキ、チガヤなど)を荷揚げし、茅葺屋根にすべく人海戦術で葺いたとの事。それほどこの「房総自然博物館」に思い入れが在ったのでしょう。


初代館長は渡辺隆一さん、研究分野は環境教育学で信州大学の先生です(当時はまだ先生では在りませんでした)。2代目は動物学者(類人猿学者)である島泰三さん、NGO日本アイアイ・ファンド代表を務め現在も精力的に活動されている方だ。


そして驚くべき事に今年(2012年)に無くなってしまった千石先生(千石正一)も関わっていた事、千石先生は動物学者としてだけでなく、古くは「わくわく動物ランド」や「どうぶつ奇想天外」などの解説やコーナーの担当を勤めて広く認知されている名物学者さんだった。


現在はメンバーだった直井洋司さんが設立宣言の意思を継ぎ、2005年にNPO団体「特定非営利活動法人房総自然博物館」を新たに設立。こうして今回のエントリーの内容へ収束して行きます。


つまりはこの集落が完全に廃村に成ったのは正確には河野さんが離村した1976年という事に成る、この台倉には3軒の家屋が在り(一つは房総自然博物館が一時無活動化した時に崩壊しました)、現在残るのは2軒。内一つが博物館として、残りの家屋が旧河野家として今でも見る事が出来る。


河野さんの他には別姓で高梨さんと言う方が古くは住まわれていたとか、丁度崩壊した中央の家屋に住んでいた様です。高梨姓に関する情報は乏しく、詳細は解りませんでした。現在でも通電しているのは「関東ふれあいの道」整備時に新たに電柱を設置しなおして電気供給を接続した為、これは新設置時に家屋と東京電力の契約が切れていなかった事で行われた様です。


以前は平田側から残る馬車道(旧道)沿いに電柱が並んでいて現在でも木製の電柱が見て取れます(何本かは電線の着いた状態で残っています)。


実はまだまだ公開出来る情報は在るのですが纏めたのはココまで、何れ(近い内に)更に追加情報を公開しようと思っております。そして実は地味ーに下記リンク「旧台倉宇藤原道」も2012年12月15日に追加情報をエントリーしております。宜しければご一緒にお読み頂ければと。


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連続エントリーの「旧台倉宇藤原道」は以下のリンクからどうぞ。


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アプローチ
国道465号線から植畑集落へ入ります、左右数えて5本目の交差路を右折。支道を進み、2本目のY字路を左折(道なりです)。途中から川沿いを走り、最初の小さな橋手前から台倉へ向う山道が延びています。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.22606504306894&lon=139.9882182843547&z=19&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=35.264565795187&hlon=140.0006690986&layout=&ei=utf-8&p =


photograph - nee


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REPORT - 0304│旧台倉宇藤原道

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廃墟 廃道 廃村 台倉 房総 房総自然博物館


千葉県 │ 旧房総自然博物館 - 旧台倉宇藤原道


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 旧房総自然博物館 - 旧台倉宇藤原道


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6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査終わりました


2012.12.16 - この旧道(廃道)に関する詳細を現地聞取調査しました


2年前にエントリーしたこの廃道「旧台倉宇藤原道」ですがその後の現地の聞き取り調査と数少ない当時資料、それと提供された写真から人々が往来していた頃の様子が判明しました。写真に関してはその場で返却したので公開出来ませんが興味深いお話を聞く事が出来たのは大収穫です。最後尾にて追加エントリー、興味の在る方は最初からお読み下さい。


昨日のエントリーの続きに成ります。廃道探索は前回のラスト、台倉集落・河野邸から。この場所から関東ふれあいの道に出る事に成ります、廃屋からは20メートル程。それでは早速…の前に前回のエントリーをおさらいしましょうか。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-台倉宇藤原道 廃道 6Frogs - 毎日をデザインで考える-房総自然博物館 台倉 宇藤原 廃道

地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.220753764477&lon=139.98052034448023&z=18&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=35.264565795187&hlon=140.0006690986&layout=&ei=utf-8&p =


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房総の本当に山深い場所に廃屋が在ってそれは千葉県では珍しい廃集落らしい、そんな話を聞いて探索に出掛けたレポートを前回のエントリーでご紹介した。そのエントリーでも記載したのあけど色々と不完全燃焼で追跡調査が必要と判断、卓上調査と再度訪問した上で現地調査を充実させたいと考えている。


さて。


房総には廃村はない、それは恵まれた気候的な問題や地形、産業などに因るところが大きい。それでも小さな規模で近代化の波に飲み込まれて千葉県内の離村した集落を過去にエントリーした。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-台倉宇藤原道 廃道


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-台倉宇藤原道 廃道


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そして前回の台倉集落、実はもう少し幾つかの廃集落が存在するのだけど既に殆どが建物も残骸物も残っていなくてレポートする内容が少ない。


計画中の房総の地域文化に関する物件がストックされているので時間をおいて紹介したいと思っている。


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今回の内容は廃道探し、だ。廃道といっても今回の廃道は一山越えた宇藤原と言う集落からこの台倉を結んでいた旧道で実は現在も宇藤原の方が極稀に歩く事が在るらしい。初期の調査段階ではもう数十年誰も歩いてないだろうと思っていただけに探索後の卓上調査で判明したこの事実は実に残念なものだった。


しかし。


なぜこの道が廃道と成ったか、それは宇藤原に到着する事で判明する。正に衝撃のラストを迎えるのだけどそれは最後に。


この道に興味を持った事から話そう。実は2006年頃まではこの道が地図やヤフーマップなどに記載されていた、しかし2008年には削除され、出版されている地図にも既にその道を見る事は出来ない。


そもそも地図に記載されている当時から一般的な山歩きの方のレポートに「道が無い」、「仲間内でもその道を知っている者が居ない」、「その道を歩いたという方の話も聞かない」などなかなか謎めいた不思議道だった様だ。


台倉の廃屋を調査する過程で知り、大いに興味を持った身としては行かずにはいられない。って事で少なくとも近年では誰も通っていない(筈だった)廃道「旧台倉宇藤原道」をご紹介したい。


現在位置と到達予定位置はココだ。
6Frogs - 毎日をデザインで考える-房総自然博物館 旧台倉宇藤原道 廃道 旧道

この何も道路が描かれていない2つの点の間に廃道と旧道が存在する筈。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-房総自然博物館 旧台倉宇藤原道 廃道 旧道


この辺りは関東ふれあいの道「ニホンザルと出会うみちコース」と「九十九谷をたどるみちコース」が混在する、「九十九谷をたどるみちコース」でならこの台倉までは比較的楽に来る事が出来る。


等高線が描かれた地図を事前に良く見ていた、現地に到着してからその地図と現地の地形を照らし合わせていく。うーん、どうやらピークから下る様に道として通せそうな場所は幾つか在るけど…


「道が無い」、「仲間内でもその道を知っている者が居ない」、「その道を歩いたという方の話も聞かない」


…なんて噂の旧道だ、入口さえもう判別不可能な位に埋没したか崩落したのか。この日、実はもう一つメインのご馳走物件を残していたので早めに踏破しなければ時間的にマズイ。


こりゃ参ったな…と、その時


!!!


photograph:ohwashi


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ふと関東ふれあいの道から少しそれた場所に薄い轍を見つけた、入り込んで直ぐに木の板が転がっていたので起こしてみると…


この先通行不可


うわあっぽい! けど全力で騙されたままで居たい! ふしぎ!!


場所は枝から直ぐだ、大体この辺かな。
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これか…これなのか?時間的余裕もない、うむ。これ見よがしなこの看板に掛けよう。実は関東ふれあいの道上には宇藤原に向いそうな枝を数本発見した、それは崩落場所から少々離れて道筋が出来ていたり地元の集落の方の山菜取りと予想される物も含めて3本程。


その内の1本にコレ、よし…騙されてみるか。(写真・ohwashi)


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あ、予想以上に道っぽい。てか道、これだけシッカリとしてれば普通に地図に載せても良いだろうに。何故地図から削除したのだろう?


っと思っていた。


photograph:ohwashi


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あっるぇー?


道どこいった?やりやがったな、房総の低身長の山の癖に。しかも進むと更に轍は薄く成るわ崖っぺりだわ、うん危ないなこりゃ。


在るのは鹿の足跡位、途中で鹿の糞を見つけたので木の枝でつついてみる。まだ柔らかくて裂いて中身を確認すると特に特別な物は食べていない様だった、流石常緑種の多い房総半島だ、食う物には困らないのね。(写真・ohwashi)


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行程差も出てくる、落葉で滑りやすい。風景同じ、うーん面倒スメル。しかし宇藤原に近づくと轍の力強さが増してくるではないか、明らかに人が踏み締めている。距離的にはとても短い廃道だ、山中で発見した古いお墓が関係しているのだろうか。


多分この辺、距離はとても短いのだから。
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宇藤原からのアクセスは確実に在るのだ、お墓参りや山菜取りなど理由はハッキリしないけどゴール間近な筈だ。


photograph:ohwashi


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え。


深い山中どうから川を越え、一気に道が開けた。そしてコレが出口を塞いでいた、コレは沢屋さんならショッチュウ見る対害獣用のビリビリバリアじゃないですか。


しかもご丁寧に廃道出口から左右に向こう側の畑を囲む様に隙間無く設置されている、全力で行くか…。


びりびりびりびりびり


正に衝撃のラスト、ですよねー。通電してますよねー、電通怖いですよねー。過去、電通の仕事内容にも衝撃を受けたが通電した防護柵にも衝撃を受ける事に成るとは…。


通過した柵を前に、「ワクワクさん…あんた何て物を作ったんだ…」。


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無事?宇藤原に着いた、柵を前に呆けていると先程必死の柵越えをした旧道方面の柵内におばあちゃんが歩いていた。その姿に2度目の衝撃が全身を疾走する、失禁はしない。


photograph:ohwashi


「解せぬ…」


このおばあちゃんは宇藤原の最端にお住まいの方でした、しかも自宅の裏から旧道側に入れるのだとか。

ここからはおばあちゃんに聞いた話を幾つかご紹介。まず旧道について聞いてみた、色々と解った事がある。


・今は一般の通行はない
・昔は台倉を通り、親戚の家が在る平田までよく歩いた(※重要)
・ずっと昔は台倉以外にも小さな集落が山中にあった
・お墓は誰のか解らない
・平田以外に抜ける道が数本在るけど忘れた(※重要)
・30年位前は房総自然博物館で働いていた(!!!)


なにーっ!房総自然博物館で働いていた…だと…?


なんとこのおばあちゃんの家の隣が移設先の房総自然博物館だった、びりびり柵から歩いて1分。宇藤原に引越した房総自然博物館がそこには在った。ここ最近は殆ど人が来ないし責任者の方は木更津に居ると教えてくれた、台倉からこの場所に引っ越してきた理由は良く解らない、時期も30年位前って事位しか思い出せないとの事。


それと気に成った事、台倉を通って平田まで~の話。どうやら良く聞くと作業道路としても使用されていたけどそのずっと以前から人の通行が在った様だ、川廻しの歴史から考えてもその方が辻褄が合う。


次に確認したかった点、「平田以外に抜ける道が数本在るけど忘れた」。これ、だ。この旧台倉宇藤原道を探索するはじめに見つけた幾つかの枝の確信に変わる証言が取れた事に成る、危ない枝も在ったけど何れ歩いてみたい。


話をまとめよう。


この道、旧台倉宇藤原道は過去沢山の人が通行した。しかし宇藤原側の山道入口は個人所有の敷地内で問題も在った、歩く人が少なくなって道が荒れた為にお年寄りは通行しなくなった。


この道をメインに使っていたのはお年寄りだったので現在は全くの荒れ放題でもう歩けないとの事だった、しかも国道が整備され、県道も便利に敷かれた現在ではこの旧道を使う者は皆無で廃道化した様だ。


現在でも宇藤原からは地元の方が山中に入る事が在り、理由は色々だけども山菜取りなどで外部の人間が来る事も珍しくないらしい。しかしこの道を台倉宇藤原間として考えると意外と近年まで人の出入りが在った訳で現在も地元の方が短距離間で使用すると成ると廃道?とは言えないのかもしれない。


だけども今回のこのおばあちゃんの証言でこの廃道は台倉~宇藤原を繋いだ道ではなくて「宇藤原~平田」を繋いだ道だと判明した。その中間を関東ふれあいの道が交差する様に伸び、それぞれが人の出入りが今でも在る事が解った。


個々では現役、一本では廃道。なんとも面白い物件に当たった物だ、こうして噂されていた道を見つけて地元の方の話も聞けた。うん、満足。


解説マップを製作しようとも思いました、だけど宇藤原側が私有敷地内だしと途中途中の道が結構危ないので今回は見送ります。


これでこの廃道レポートは終了です。


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2012.12.15 - 追加 「旧台倉宇藤原道」に関する追加エントリーを掲載


公開済みだったこのエントリーの中で幾つか疑問点が残っていた、と言うか全体的に謎の多い道だったので行政にも協力をお願いしたのだけど往来当時の資料は残されておらず。語り部と成る当時を知る人も今では70歳後半~90歳台と記憶も曖昧、そもそも現地のこの道を歩いた事が在るという方が数人しか居ない。それも30年以上昔の事でその時でさえ既に廃道の様相だったと言う。


国立図書館にも関連資料が無いか房総の歴史を扱った書籍を幾つか目を通してみた、しかしそれでも目ぼしい記録などを見つける事は出来なかった。が、在るお宅で往来当時のこの道で写真を撮っている方宇藤原に居て色々とお話も聞く事が出来た。しかも70歳代のその方が更に両親から受け継いだと言う古い文献にこの道(と言うか、一体の山道)に関する記録が残されていた。問答形式で判明した内容を公開したいと思う、恐らくこの内容は行政どころか房総の歴史学者さんも知らない話かもしれない。


「まず、この道を往来していたのは何時頃でしょうか」

「最後に通ったのは30年以上前、台倉には3軒の家が在って近くに作業小屋みたいな物もあった。行き先は平田ではなく、高宕の方」


!!!


ちょっと待った、初っ端から驚いた、この道は宇藤原と平田を台倉集落を経由して繋いだ道だった筈。それなのに方向としては随分南東よりの高宕(怒田沢)に抜けていたと言うのか…いや、取り合えず話を進めて後程この事を質問しなおそう。


「それまでは山菜取りや行商で平田に抜ける為に夜歩いた事も在った、子供でも2~3時間で平田には着いた。若い時(聞くのを忘れたけど恐らく30歳代位の時)は結構な人が歩いていた。製炭の釜も道の途中に沢山在った筈」


うん、これは何となく解る。そもそもこの道が出来たの何時なのか正直解らない、随分と昔から在ったに違いないけど元々は生活道路と言うよりは商道として山を切り開いた可能性も在る。その証拠に山中では無く、山道沿いに炭窯が在ったと言う証言、道の高低差を考えると寧ろ釜の傍に道を作ったのかもしれない。


「何時頃から道が在ったか解りますか」

「子供の頃には既に在った、いまは柵で通れなくしてるが昔は山道への入口が3つ位在って別々の所に行けた。その内の二つは途中台倉に出た」


やはり…。実は台倉には道を思しき筋跡がガリーの様に数本残っていた、アレはガリーではなくてやはり道の名残だったと考えられる。そしてこの”旧台倉宇藤原道”の他にも幾つもの道が山中を走って居た事に成る、これ…もしかしたら誰からも忘れられた集落跡とか無縁仏と化した墓石なんてのも山中に残されている可能性が出てきた。


「台倉の他にも集落って在りましたか、例えば先程出て来た高宕への道中などで」

「ああ、定住ではないけれど小屋は何件も在った。作業小屋だったり製炭の間だけ泊まるような家も覚えている、井戸なんかも在ったし戦争が終わってから自転車で走った事もある」


!!!!!


ちょっと待ってくれ、自転車?あの廃道と成った道で?自転車が走ったのか?そうそう、実はこの時点でこの家の残されている紐で綴られた古い文献を見せて頂いていた。山中での製炭に関する文献でその中には細い沢を馬で荷を運んだなどの記述が残されていた、しかし幾ら昭和中期とはいえ自転車で走ったとは驚きだ。


「その小屋などは今でも残されていますか、行く事は可能でしょうか」

「小さな小屋は幾つかバラバラにして釜で燃やした、同じ場所で長い事製炭すると質が落ちるって聞かされていて数年毎に別の場所で小屋を立てて仕事をしていた。今でも残ってる小屋も在るとは思うが場所までは解らない」


ああ、成る程。同じ場所云々に関しては別の資料で見た事が在る、炭の質では無くて元を辿れば山岳信仰の言い伝えの一つに木と火を題材にした物で似た様な一節を思い出した。まあこの話は掘下げる必要は無いか、今は”道”に関する事とその歴史が重要だ。


「先程聞いた幾つかの入口からその場所へ行けますか」

「恐らく行けない、小屋が在った場所は道から少し逸れていて当時も解る人しか見つけられない状態だった」


コレも思い当たる節が在る、実は房総の製炭はどの地域も規模が小さい。しかも製炭を行っていたのは古くから定住する生粋の上総の人々、移住組みは製炭を生業として居なかった歴史が在る(全てじゃないのだけれど)。これは今後見つけるのは難しそうだ、話題を変えよう。


「途中お墓が在りましたがあれは誰の物でしょうか」

「お墓は沢山在るからどれの事か解らない、宇藤原の人間の墓ではない」


え?


沢山在るの?もう…次から次へと新事実ばかりで頭が上手く回らんですよ。


「以前この宇藤原の方で房総自然博物館で働いていたという方に合いました、丁度入口付近に畑の柵を作られている土地の方で」

「ああ、○○さんとこ」


「そう、その○○さんの柵の所が旧台倉宇藤原道の入口で良いんですよね」

「ああ、あれじゃない。もう少し先(畑の)に昔は開けた場所が在って直ぐ下の川に降りれた、その川を渡った所が本来の道の入口。馬もそこから入ったと聞いた事が在る」


ぇぇえ違うのぉぉおお?


あれ、ちょっと待って。僕の話している道と今聞いている道ってホントに同じ道の事なのか、いやいや途中まで話が共通点で合致してたから大丈夫な筈、いや…しかし。


「実は廃道で写真を撮ってきたのですが何処か解りますか」

「ああ、何番目かの坂登った所。昔はもっと歩きやすかった、小さな砂利だった」


ああ、やっぱり解ってるんだ。それにしても凄い記憶力だ、よくこの写真で解るなぁってえ?何ですか、今何て言いました?


「うちにも写真在るよ」


なんですと?


「ええ…っと、見せて頂けますか(今すぐ見せろ、今直ぐにだ!)」

「これ、これしかないけど」


うわわあああああっ


道だ、ちゃんとした道だこれー!凄い、この写真凄いよ。白黒かぁ、年代的に仕方ないかぁ…っと待てよ。家にはカラポジ用(仕事でたまに使用します)にフィルムスキャナーが在った筈。ネガからデータ越せば補正も色々と楽だ。


「ネガって残ってますか」

「ないねぇ」


ですよね↓


さて、こんなやり取りが数時間続きました。この「旧台倉宇藤原道」に関してまとめましょうか。この道の成り立ちはどうやらとても古く、また山岳信仰の言い伝えによって幾つかの枝(支線)が生まれては消え生まれては消えと繰り返した様です。本道は現在解っているだけで3本、その内の1本がこの「旧台倉宇藤原道」だと判明。


製炭などで使用していた商道を中心とした半生活道路で使用したのは宇藤原、平田、怒田沢の人々。山中に見つけた墓地は宇藤原の人の物ではなくて別の地域の人達の物だと言う事。30年前には辛うじて通常往来出来る状態だった事、台倉から更に分岐する支線が存在する事などが解った。


他にも興味深い話は聞けたのだけれど要所を纏めると以上の事がハッキリと判明した位で逆に謎と言うか未確認なポイントが逆に増えてしまった。不明点の再調査は予定に無いけど付近の沢を歩く事はきっと在るだろう、そのついでに何か発見したら追加で更に何かお伝え出来ればと考えています。


追加エントリーは以上と成ります。


アプローチ
旧台倉集落より関東ふれあいの道へ、芹集落へ向い数十メートルで枝が発見出来る筈。枝を少し進むと倒れた看板が朽ちる寸前で発見出来るのでその間々ピーク伝いに歩くと踏破出きる道が在る筈。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.21881672654298&lon=139.9764326579419&z=17&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=35.264565795187&hlon=140.0006690986&layout=&ei=utf-8&p =


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REPORT - 0305│池島 - 池島炭鉱居住区

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-池島 三井 松島炭鉱 軍艦島 端島


廃墟 池島炭鉱 発電所 三井松島


長崎県 │ 池島 - 池島炭鉱居住区


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 池島 旧松島炭鉱 就労者居住区


廃墟好きが何故か神聖視する軍艦島、観光地化されて興味の欠片も無くなった身としては不自然な環境整備を行われた場所より時間の経過が作り上げた「滅び」の場所が良い。


今回は九州の産業遺構ではインパクトの大きい端島に隠れて余り脚光を浴びない「池島」を紹介したいと思う、九州には沢山の産業遺構が残されていてその中でも炭鉱産業の残骸廃墟は数多い。端島の様に島単位の産業遺構は有名所でも数箇所在って今回のエントリーで取り上げる池島もその一つだ。


池島(池島炭鉱)は、長崎県西彼杵半島にある外海町の西7キロの海上、角力灘に浮かぶ、東西1.5キロ・南北1キロ・周囲4キロ・面積が約0.9平方キロの小さな島。炭鉱としては実は九州地方で一番最後まで操業した炭鉱で1959年の操業開始から近年となる2001年まで池島の産業を支えたのでした。


本日と明日の2回に分けてエントリーする池島のレポート、端島の様な迫力は無いけど衰退する一産業を垣間見るキッカケに成れば幸いです。


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池島にはフェリーで渡航する、出航する九州本土側の港でその航路や価格は異なるが一番の注意点は車を一緒に運んでくれるフェリーと運んでくれないフェリーが在ると言う事。殆どのフェリー会社は車も一緒に積んでくれるけど稀にそうではない会社も在るので注意しよう。


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瀬戸港を出発すると間もなく左手に今まで居た九州本土(向島)、右手に松島が見える。ゆっくりと進むフェリーは1時間ほどで目的地の池島に人と車を落としてくれた、さて…車で1周するのに15分と言う小さな島。産業遺構としてどれだけのモノを見せてくれるのかぁ。


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まず向ったのは島の東側に位置する炭鉱職員住居跡、池島に来た目的の一つがこの場所です。


捕ん鯨ぇぇえええ


平日の昼間に誰一人として居ないこの場所、実は他の区域にはまだ人が住んでたりするのだけどこの区域は全くの無人。


池島の人口は炭鉱産業によって爆発的に増加したのだけど元々は農業と漁業の小さな島の普通のあり方だった、1959年の炭鉱操業開始までは350人程の人口が1971年には7500人程までに増加した。


2001年の閉山後は産業関係者の人口が大量に流失し、現在では1000人に満たない数と成ってしまった。


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どの廃墟でも言える事だけど人が介さない建造物は圧倒的な速さで朽ちる、この居住区も同じ様で建物自体はシッカリしてるようで鉄骨の痛みやコンクリートの崩壊が進んでいる様だ。


この居住区の集合住宅は8階建てでエレベーターは無し、8階建てでベーター無しはちょっと酷いなぁと思うかもしれないけど斜面下部のメイン道路からは1階から4回まで、斜面上部の区域内道路からは5階から8階にアクセス出来る様に成っている。


勿論集合住宅内で1階から8階まで行く事が出来る階段も用意されている。


多くが廃墟化している集合住宅だけど他の区域には市営住宅として現在も運営されている棟が結構在って実際に人も住んでたりする。


その多くが単身赴任の臨時住宅や海外から研修生住宅として使用されていて島民自体は住んで居ないとの事。


島民の話では2LDK~3LKの物件が家賃1万程度で貸し出されているとか、ビックリだなチクショウ。


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早速居住区の廃墟に入ってみた、うーん…これはその…どうだろう。写真としては、いや「絵」としては全く面白いモノじゃないなぁ。


部屋の中も拝見したけど、他のフロアや棟にも行ったけど…写真としての面白いさは無い…様ですねぇ。


本来はもっと早い段階で取り壊しが在っても良かったのだけどこの廃墟群を解体する理由と資金が長崎市には無い様だ、企業が新しく再利用するなり国が新しく産業地として再整備するなら兎も角、だ。壊す為の資金を用意または工面するだけの理由と根拠が現在の池島には無い、よって廃墟が残っている様だ。


因みに重い腰を上げた長崎市が池島に補助金を出し始めた事によって少しずつ解体は開始されている、近くはないいずれの時に解体される事に成るだろう。


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この区域には人が住んでいた、ちょっとビックリ。


閉山後、NEDO(技術開発機構)が計画を進め、三井松島リソーシズ石炭エネルギーセンターを設立。中国、インドネシア、ベトナムなど海外からの炭鉱技術者用に研修を行っています。


この様な方たちの為に現在でも稼動する棟が在ります、しかし店が無いのが本当に困る事だと思うのですよ。


軒並みシャッターが降りた商店、それも筈。長崎市に合併されると間もなく長崎中心部の都心部家賃と不公平を無くす為に島内家賃としては3倍にも成る長崎市のテナント家賃と同額に再設定されたのです。


当時の池島のテナント料金が格安だったのも在りますがそれは島事情を反映しての物、ただでさえ需要と供給のバランスがギリギリで成立している立地において島外の基準を採用した行政の無能を顕著に表すのが無商店化したこの区域なのです。


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次の物件、「池島発電所」へ向う道すがら素敵な子猫に出会った。車を道のど真ん中に停めてカメラを急いで用意する。


うまそーである(娘的な意味で)


「おいで。怖くない。怖くない。」


噛んでもいいよ。だからおいで、来いっつってんだろオラー。


あら、後ろにもうまそー(娘的な意味で)な子が。こりゃ名前はソドムゴモラで決まりだな、神の光で一緒に人間を滅ぼそう


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少々時間を飛ばして帰りのフェリーを待つ車内にて、フェリーターミナルには沢山の猫が居る。その中でも一番人懐っこい子を見つけた、うまそーである(娘的な意味で)


車を降りて匍匐前進で猫に近づき、ズームレンズの先が猫の鼻っ先に届くギリギリの距離まで行く事に成功。よし、しとめるぜ(シャッター的な意味で)。


フェリーの待合室から人が出て来た、猫にフォロー懇願の眼差しでうつ伏せにてカメラを向ける僕を見て氷点下の眼差し。


「きょ、今日は冷えますね…」
「…」


何も言わず人は去り、ふと視線を戻すと猫も去っていた。僕はあの猫ってばちゃんと息してたんだなーとか思いながら、ちょっと泣いた。


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次回は池島訪問のメイン物件「池島発電所」のエントリーです、池島発電所は池島炭鉱閉山後の翌年に歴史の幕を落とすのですが実は現在でも稼動しているとの噂もチラホラ。廃墟にアリガチな噂話と池島の炭鉱産業を支えた遺構への期待を胸に、以下次回。


アプローチ
国道202号線から大瀬戸町の瀬戸港へ、瀬戸港から定期便のフェリーが運航しています。池島内は初めてでも迷い様が無い小さな島なので徒歩以外なら比較的楽に周る事が出来ると思います。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=32.88394303295348&lon=129.59743894950893&z=13&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=32.744939549738&hlon=129.87347044365&layout=&ei=utf-8&p =


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REPORT - 0306│池島 - 池島発電所

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長崎県 │ 池島 - 池島発電所


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池島炭鉱跡、近代炭鉱にして九州地方にて最後まで操業した松島炭鉱を発端とする炭鉱遺構だ。前回のエントリーをコピペしてもう一度復習してみよう。


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池島(池島炭鉱)は、長崎県西彼杵半島にある外海町の西7キロの海上、角力灘に浮かぶ、東西1.5キロ・南北1キロ・周囲4キロ・面積が約0.9平方キロの小さな島。炭鉱としては実は九州地方で一番最後まで操業した炭鉱で1959年の操業開始から近年となる2001年まで池島の産業を支えたのでした。


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この池島の産業を支えたのが池島炭鉱、それまでの島内人口350人程を7500人程までに押し上げた一大島内産業だった。2001年の閉山後は産業関係者の人口が大量に流失した為に激減し、現在では島内企業関係者や海外から研修生を含めても1000年程度。それも公の発表であって現地に着けば解る事だけどずっと少ない、ホントに人が居ない島に成ってしまった。


前回までのエントリーはそんな池島の産業をささえた人達が住んでいた居住区の廃墟、放置された巨大アパートをレポートした。


前回のレポートは此方かどうぞ。


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今回はこの池島でのメイン物件、「池島発電所」をレポートする。池島の炭鉱産業を支えたこの施設の歴史と噂を出来る限り探ってみた。


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池島発電所の入口に立てられた看板、裸の角材に板とボード。それをガムテープで固定している、なんとも素っ気無いけどそれで十分な役割を果たしているのだろう。


つまり人が居ない、そして来ない。


島民自体は枯れた産業遺構に興味は無い、幾ら廃墟好きでもココまで遠方の大きくも無い廃墟の為にそうそう海を渡って来ないだろう。


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入口から入ると左斜めに道が延びて車が数台停める事が出来そうな広場に出る、手間に小さな事務所が幾つか建っていて残されている重機や機材などが見え隠れする。


そもそも2002年の閉鎖からそんなに時間が経過してない事からも廃墟としての魅力より工場好きの方にこそ需要が在りそう。


かつては火力発電所として機能し、選炭時に出る微粉炭を燃やして発電していた様だ。島の重要なライフラインとして炭鉱操業の電力と島内の一般使用電力を賄い、海水から真水に変換する海水淡水化装置なども所有していました。


しかし炭鉱操業時から海水淡水化装置よりダムなどに見られる人口降雨装置の方が良いとの意見も在ったようです、まあ九州地方や沖縄地方の様に慢性的に水不足で四苦八苦する地域では海水淡水化装置が大活躍してるのですが。


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因みにこの炭鉱も三井系で親会社は三井松島産業資本の松島炭鉱です、1959年に出炭開始し1985年では年間153万トンを出炭。鉱区は600メートルの地下で海底に広がり理論可採埋炭量は17億トンと考えられていました、低価格の外国炭が需要を伸ばし、不況の中で操業合理化を進めて耐え忍びましたが先に述べた様に2001年に閉山と成ります。


この発電所はその翌年と成る2002年に閉鎖しました。


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なかなか取り上げられる事の少ない池島、そしてその産業遺構達。それでも九州地方の廃墟好きや工場好き建ち、歴史好きな方達が多くは無いけれどウェブ上でレポートなどを公開している。


そのレポートの中で特に多い写真の建物がこの先に在る、今回もその建物が楽しみでココまで来たのだ。


と言っても既に見たと思う、最初の写真がそうなのだ。


内部では選炭時に出る微粉炭の更なる選別や発電施設、火力のコントロール室などが在る筈だ。


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外階段を登ると…早速微粉炭とご対面。


工場の廃墟は個人的に好きなのだけど何かこの場所は新しいと言うか、人の気配がすると言うか。何か落ち着かなかった。


そして写真の脇の階段を登って戦慄する事に成る。


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本当に肝を冷やした直後の写真、最上階に近い場所から建物内を見下ろしている状態だ。


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実はこの施設、一部稼動中…そんな「府中米軍基地跡」の様なが在った。現地に着いてそんな噂がカスリもしない静けさだったのだけど中に入ると何か人の気配が…。


そんな時、在るフロアで煌々と照る一室を発見。恐る恐る覗くと…。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-廃墟 池島 ruins 写真


何故か内側から机でバリケードされたコントロールルームの様な場所が通電している、人は居ない。工場内に1人も関係者は居ないのだけどこの部屋だけが蛍光灯を光らせていた、未だに謎なのですよ。


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一端外に出た、最初の地点から別の侵入経路で色々と周る。


この池島だが炭鉱産業が終焉してから一つの代替産業の候補が持ち上がった、RDF発電所だ。RDFとはごみ固形燃料の事で池島の振興や廃棄物の有効活用を目的に電源開発(東京)が提案。


長崎市と周辺9町から出る一般廃棄物をRDF化し、専用船で池島まで海上輸送する方向で関係自治体などが協議、しかし、従来型のごみ処理施設よりコストがかかることと、三重県でRDF発電所事故が起き安全対策が確立されていないなどの理由で建設が断念された。


2004年の事だ、それから7年が過ぎた現在(2011年)。発表されている1000人弱の登録人口は名ばかりで400人弱の推定人口がひっそりと生活する島に成ってしまった。


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ここは最後に回ろうと思っていた最初の広場の直ぐ左側に在る大きな倉庫の中、これこそ工場の廃墟と胸を張って言える素晴らしい「絵」が広がっていた。


池島について、池島炭鉱について色々と調べてみたけどココには諸事情で書けない厄介な歴史も在った。現地の人の話ではもう池島が昔の様な活気を取り戻すのは無理だろうと語り暗い顔で釣り糸を垂らしていたのが印象的だった。

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池島


池島炭鉱で一時代を築いた産業で活発化した小さな島、閉山時に水流活性のスクリューも停止した為に黒い原石が混ざる岸壁では釣りも楽しめなく成って来ている様だ。


この池島、その名通り昔は大きな池を擁する島だった。島の名前の由来と成った池は一体何処へ…?


池はその昔、神巧皇后が容姿を映したという伝説から「鏡ヶ池」と呼ばれ、この伝説から池のある島「池島」と成ったと言われています。


現在鏡ケ池は炭鉱の開発にともない切り開かれ、人工港の池島港になっています。


昔の池島はこんな姿をしていました。


http://8509161697748581501-a-1802744773732722657-s-sites.googlegroups.com/site/ikeshima20/about-ikeshima/ike1956.jpg?attachauth=ANoY7cryfIhic3Al7Dolp52fX8Sbrkf96OwLZpSeFA5Ctrm8ws9Tnzc5jYx74p4YleU1BO7i5GiM-7j-mi-WupeNwmnegyE2Zaqf2vn2lUJGjS7IRXjNT1QxRbrw5YzZTpVYyLlNQfZm1L85-aJLlLhgSptsQrkiANS57Y3lI2XNrdOo-0v7Gt4rLZcMA_XPZNEWiqlRRPQnSmpf11sqVeCTeHW9_wzT7g%3D%3D&attredirects=0


現在の池島の姿(ヤフーマップやグーグルマップの航空写真)と比較してみて下さい、変貌が見て取れると思います。


池島の簡単な歴史はウィキからどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%b1%a0%e5%b3%b6%e7%82%ad%e9%89%b1


これにて池島のレポートは終了です、なかなか行く機会の無い島だとは思いますが興味が出て来たのなら…九州旅行のついでに少々見聞しに渡航してみては如何でしょうか。


アプローチ
国道202号線から大瀬戸町の瀬戸港へ、瀬戸港から定期便のフェリーが運航しています。池島内は初めてでも迷い様が無い小さな島なので徒歩以外なら比較的楽に周る事が出来ると思います。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=32.88394303295348&lon=129.59743894950893&z=13&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=32.744939549738&hlon=129.87347044365&layout=&ei=utf-8&p =


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