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東京都│府中米軍基地跡(旧帝国陸軍燃料廠)
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 米空軍横田基地所属府中通信所 - アメリカ合衆国空軍府中通信基地
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2012.06.05 - この物件の追加調査をまとめた廃虚本が完成しました。
追加調査完了しました、その調査内容は6FROGSが手掛ける廃墟本の第1弾として皆様にお届けしたいと思います。未公開写真と詳しい解説、エントリーの時点では判明しなかった情報が盛り込まれた充実の内容と成っております、是非ご覧下さい。
※ 滅びの美学シリーズ①「府中米軍基地跡」は2000部完売致しました、有難う御座いました。
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東京都は府中の街中に不自然に広がる深い森、そして私道や県道から覗く不気味な廃墟群。遠目には巨大なパラボラアンテナが在り、新しい地域住民はこの不可解な区画がとても不思議で気持ちの悪い雰囲気が漂うと感じるだろう。
この区画の正体、それは通称・府中米軍基地跡 と呼ばれる軍事施設跡。多くの廃カーさん達にしてみれば実に魅力的に映る事だろう。廃カーの中でも猛者の方達は奥深くまで侵入し、帰る頃には洩れなくその美しさに魅了されている筈だ。
この魅力的な廃墟群にスッカリと魅了され、2010年7月 には小雨の降る中で居住区の廃墟群に挑んだ エントリーは記憶に新しいと思う。未見の方は此方からどうぞ。
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この時は深いブッシュに阻まれ、藪漕ぎ不可能と判断 して途中撤退を余儀なくされた。エントリー最後でも再訪を誓い、今回事前調査を十分に行った上で再度この府中米軍基地跡を訪れた。敷地内マップと各施設の用途をまとめた資料を手に、この余りに美しい廃墟を撮影したいと思う。
アタックは11月の中旬だったのだけど紅葉が綺麗 でホント当たり だった、気に入った物件だったし夜間の高速なら1時間も掛からないって事で何度か撮影に行っていたのだけど今回でこの物件は満足したなぁ。
この府中米軍基地跡、とんでもなく広い。本当に広い。まずは航空写真を見てもらおう、グーグルさん素敵。
Image may be NSFW. Clik here to view. 住宅街に不自然に広がる森がお解かり頂けるだろう、中央にコンクリート製の建造物が在るがココはウェブ上で現役施設だとも既に廃棄施設だとも言われている。調査の結果、ここは廃棄施設 と成っていた。しかし現在でも人の出入りは確かに在る 、何より今回の撮影の際に施設内の照明が着いて おり、人も数人居るのを確認 した。
Image may be NSFW. Clik here to view. 敷地内はこの様な道が整備されていて一部自然に飲み込まれた場所を例外として使用出来る状態だ、新しい車の轍も確認したのでやはり人の出入りは在る様だ。と、言うかこの轍の正体 は事前調査で知っていた。これについては後程語るとしよう。
さて、まずは前回もお邪魔した居住区のアパートメントの廃墟群から撮影を開始する。ここってばとても綺麗でどうしてももう一度撮影したかった。
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場所はココ、住宅街の裏手だ。おっかねぇ。
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生まれる前から好きでしたーっ てダイブしそうな位美しいです、丁度紅葉の季節と重なったのが良かった。夜明けの空と所々に変色した葉の色が何とも写欲をソソルじゃありませんか、廃墟と紅葉が一度に味わえた今回、出だしは好調です。
じっくりたっぷりねっとりしっぽり 楽しむとしましょうか。
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入口、此方も絵画の様な紅葉を見せる。
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周囲を包む美しい紅葉と打って変わって無機質な空間が広がっている、夏に訪れた時と殆ど変わっていない。前回は付近の犬(板橋区のひとみちゃん )に随分と吼えられたが今回は本当に静かだ、”ひとみフジサキ号 ”で何処かに出掛けているのだろう 。
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共同バスの部屋からも紅葉が覗く。
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じゅるり 。 紅葉の廃墟は実は初めてだった、もう好きにして 。
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玄関、夏に訪れた時に変化を楽しむ為の仕掛けをしておいた。その間々に成っていて訪問者が気付かなかったのか、誰も来ていないのか…まあ入ろうと思う人もそうは居ないと思いますが。
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移動します。次は此方のアパートメント、前回はこの場所で沢山写真を撮りました。この米軍基地跡における居住区は1965年、代々木の米軍住宅を東京オリンピックの選手村 などに使用する為、府中基地や関東村に米軍住宅が移転しなければならず建設されました。
居住区画建設にあたり、関係インフラを整えた結果、沖縄の様に米軍関係者による犯罪が増えたのは有名な話。1972年には数回に渡り基地返還の陳情を行い、通信施設を除く基地返還が1973年に完了 しました。
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実は今回の調査では撮影と現地検分の他に「建造物の状態」、「土壌の採取」があった。この辺に関する内情は後述するのだけれど普通の廃墟探索とは少々赴きが違うって事で同行人の方達も多少緊張しているよう。
行政からの情報ひとつ取っても興味深い顔を幾つも持っているこの廃墟群、近々控える大きな動きを前に余りに静かだ。今後の机上調査も含めて追って行きたい物件、今回の撮影で判明している分に関してはこのエントリーで明かしていこう。
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女子力高ぇな! (意味深)
相変わらずのお姿に御手てのシワとシワを合わせました、府中トロポサイトはホントいつ見ても素晴らしいです。うっとりです。
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隣接するアパートメントへ移動です。
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ここは裏手が慈恵院と言うお寺で朝早くから人の出入りが多いです、ちょっとブッシュの薄い所に出ると丸見えなので注意が必要です。
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落書きなのかアートなのか、当時の物なのか朽ちてからの物なのか。何部屋かに別々の落書きが在ります、壁ごと腐食しているのは当時物でしょうか。
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こ れ は っ
これは初見です、一番奥の部屋に宴会の跡が…もしくは野良さんが暫く住んでたのか?転がる空き缶や空き瓶、スナックフードの袋が色々と教えてくれます。
ビールの缶は一番絞りとラガー、どちらも現在販売されている商品だ。スナックは数袋在ったがリバイバル販売された物も含んでおり、時代を調べる事が出来そうなのはカルビーの「焼もろこし」が妥当の様だ。カルビーのサイトで確認するとこのパッケージは1990年~の物だった、更に調べる。カクテルの空き瓶が転がっているので見てみると「ザ・カクテルバー」の様だ、その手の殆どが缶に移行した現在、ウッテツケの素材の発見だ。
此方も調べてみると1993年のパッケージ、どうやらこの宴会の開催主は1993年にこの場所を選んで執り行った様だ。
1993年と言えば大好きなポストウォーター がまだ飲めた時代、あのフラスコ瓶はいまだにパッケージデザインの専門誌などでも取り上げられる程斬新だったし何より旨かった。アタクシの飲料史ではサスケ 、維力 と共に現在でも味が忘れられない思い出ドリンクだったりします。
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出ます。
角を曲がると慈恵院の事務所 でした、照明着いてるし人も居るしビックラこいたさ。
Image may be NSFW. Clik here to view. ささ、逢いに着ましたよ。地図では解り辛いかもしれませんがこの場所こそあの巨大なパラボラアンテナの直下に成るのです。
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でかい。
Image may be NSFW. Clik here to view. ここから本格的な探索です、場所は半稼動施設の直ぐ脇に成る所で有名なオブジェ が鎮座する廃墟が在ります。どうしても撮りたかったんですよ、それ。
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天井の抜けた自然のライティング、それはきっとこのオブジェ の為に在るのでしょう。
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どうなってんの。 これ。
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このオブジェは施設内の廃棄物やゴミを積み上げて製作されています、この場所に来た方は解ると思いますがどうにも不可解な積み上げ方でどうやって作ったのか?何の為に作ったのか?もう色々と疑問に映る筈です。
最初にウェブ上にアップされたのが2003年 頃、この写真をアップしたサイトは既に削除されています。その後このオブジェの追跡調査をされた方が2004年 にレポートを書いていたのですがその内容は「結局よくわかりませんでした、すまんかった。」と成っており、詳細は解らずじまい。
その後、独自にこのオブジェの製作者を調査しましたが僕も解りませんでした。すまんかった。
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実はこの場所、特筆すべき事件が起きているのだけど諸事情により割愛。申し訳ない、探せば事件のソースが残っている筈です。
この廃墟は崩壊具合が良い感じで半分が崩れ落ちて半壊状態、侵入者の足跡も多い 場所でした。
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概観はこんな感じ、どこぞの廃村かと。
Image may be NSFW. Clik here to view. そろそろ脱出します、帰路の途中に先程のパラボラアンテナまで戻るので再度周辺の探索を行うとしましょう。
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アンテナ直下の施設内、この場所も結構と廃墟さんがレポートしてますね。
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放置して良いのかなーって書類もチラホラ。
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通信施設にありがちな計器類が在りました、在る程度の知識が在る方なら処狭しと貼られているデンジャーアナウンスのステッカーが然程意味が無い事が解ります。
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さて、そろそろとこの米軍基地跡から撤収するとしましょう。
この他にも数箇所の見所が残るのですが写真的に似たり寄ったりなので端折ります、まあ実際大した見所もこの後(一部の物好きには例外ですが)には在りません。
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1976年に撮影された府中米軍基地跡上空、変換後間もなくの姿で国会では三分割有償払下げ方式を提案。土地の後利用で揉めている最中での廃墟と成る前を収めた貴重な写真です、実は個人の方から当時の内部の写真をお借り出来たのですが諸事情の為掲載を見送っております。
その内公開出来たらなぁと思っております。
全体的に大変大規模な施設跡ですが色々と再開発で揉めている場所でも在ります、今までの歴史とこれからの再利用をまとめましたので興味が在る方は読み進めて下さい。
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府中米軍基地跡(旧帝国陸軍燃料廠)
前回のエントリーから引用します、まずはお読み下さい。
1939年に旧帝国陸軍燃料廠として設置、日中戦争の戦時中の航空燃料や自動車燃料の備蓄基地として表向き(詳細は後述)は建設されました。石油燃料を海外に頼っていたのは当時も今も同様で、関連研究もここで行われています。終戦後は戦勝国の米軍管理下に置かれ、極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が設置されました。
隣接する航空自衛隊府中基地は航空自衛隊が発足した事を受け、指揮系統の一元化の為も合わせて一部の敷地を米軍から返還され、航空自衛隊航空総隊司令部として稼動。国内全ての航空自衛隊戦闘部隊を指揮する部署でも在ります、航空自衛隊府中基地は現在でも稼動中でフェンス越しに戦闘機なども見れます。
1965年に開催された東京オリンピックでは選手用住宅(選手村)としてこの米軍基地を利用する為に元々代々木に在った米軍関係者住宅を移設、府中米軍基地と2キロほど離れた関東村にそれぞれ集合住宅を建設した。
1973年、以前より議論されていた関東地域における米軍基地の整理統合計画、「関東計画」が全面的に押し出された形に成り、米軍府中基地は通信施設を除き全面返還されました。
2001年の同時多発テロを受け、その後3年間程は警察などの警備が強化されました。丁度この時期にアタックした廃墟さんは逮捕、拘留された様で数件の類似事件が今でも進入する際の注意事項として残っています。2001年当時は残された通信施設が生涯学習センター北側で稼動していた事も在り警備されました現在はその役目も終わり、正直な所を書きますと警備はされていません、ただ周囲の巡回は勿論、元通信施設の関係者さんの出入りもある事から進入は避けた方が無難でしょう。
1976年、1978年に跡地利用で国、都、市で使用権を分割する話し合いが数回行われましたが合意内容は色々と問題も山積していた様で一部の計画が完成したものの現在の廃墟群を残す形に成っています。
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今回エントリーするにあたって再度この施設を調査しました、そこから解った事やこれからのこの土地の再利用、また政権交代によって宙に浮いた企画などをお伝えしたいと思います。
まずは前回の宿題と成った都市伝説的な眉唾情報から。
旧帝国陸軍燃料廠としての本来の機能
全くの別件でこの区画の話が話題に上った事が在りました、その時にこの施設の元関係者から聞いた話、
「この施設が建設された当時、施設の運営内容とは全く関係ない機材や人材がこの場所に集められた」
と言う、実に胡散臭い話。これを前回のエントリーで宿題としました。その後独自調査で色々と解りましたので報告いたしましょう。
結果、関係の無い機材や人材が集められたのはどうやら本当の事でした。しかし時系列が違っていた様です、この施設は当初「帝国陸軍燃料廠」として建設されました。その後米軍下に置かれる事に成るのですが先程の眉唾エピソード、東京オリンピックの関連施設を建設する為のインフラ設置人員と機材だった事が判明しました。
その工事に携わった方の関係者さんからもお話を聞く事が出来て(全くの偶然で)確信が持てました、どうやら旧帝国とその後の増設利用の話が混濁して出来上がった噂話だった様です。
つまりは帝国陸軍燃料廠としての機能をしっかりと全うし、後の再利用の際の工事に関係する諸事と話がくっ付いた形に成った訳ですね。
この件に関してはスッキリと解決。
三分割有償払下げ方式
1972年の基地返還の陳情を受け翌年の1973年、関東地域の米軍施設を集約する「関東計画」が発表され、米軍府中基地は通信施設を除き全面返還されることになりました。この際残された通信施設は、生涯学習センター北側で稼動していましたが現在では停止されており(極々正確に言えば一部稼動してます)、関係者が諸事にて訪れるのみと成りました。
4年後の1976年に国は国内審議会で米軍基地跡地利用について三分割有償払下げ方式を提案、国、都、市で使用権を分割するもので、その際、市が利用する用地は国から有償で払い受けるというもので府中市が当初予定した独自の再開発は企画倒れと成ります。
当初の目論見が上手くいかず、府中市は「三分割有償払下げ」方式反対を表明、署名を集め、国会に請願しましたが審議未了で廃案となり、この方式が確定します。
跡地利用は問題山積
米軍基地跡地の利用について、府中市は「平和の森基本構想」を発案。内容は航空自衛隊基地を含めて全体を公園化し、その中に小・中学校、都立高校、市民斎場、博物館・美術館などを建設すると言う大変大規模且つ諸問題を抱える物でした。
1976年の三分割有償払下げ方式を提案を受け反発し府中市、しかしその後の議会で三分割有償払下げ方式での再開発が決定し、都は都立公園の建設を、府中市は小・中学校と斎場を建設する方針が決まります。
この当時の再開発に関して良く調べた方がいます、そのレポートから引用して記載します。
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1981年当時、近隣の府中三中は生徒数が極端に増え、校舎に収容できずにプレハブ校舎を建設して対応していました。このプレハブ校舎の解消は緊急課題のひとつとされ、基地跡地利用ではまず中学校用地を先行取得することが決まり、11982年4月、浅間中学校が開校しました。
一方、府中市は小学校の建設も計画していました。ベビーブームの後ということで近隣学区の小学校はどこも飽和状態にあり、また、近隣の三本木地区の区画整理事業が完成すると人口が急増する可能性があったからです。1983年2月、府中市は国と小学校用地の売払い契約を締結します。
しかし、全国的に児童・生徒数は急激に減少しはじめ、予想に反して三本木地区の住宅建設は進まず、想定される学区内の児童発生率は極端に低いものとなりました。
そこで府中市は翌1984年9月、事業計画を変更し、小学校用地を野球場・少年サッカー場としたい旨を国に要望しました。しかし国は、隣接する都立公園内に野球場・サッカー場が建設されることから認めず、再検討するよう回答しました。
1985年、国の回答を受け、府中市は文化ホール建設を計画、国の了承を受けましたが、再度の用途変更がないよう、2年の猶予を与えて具体案を要求し、1987年、用地売払いの契約が成立、1991年、府中の森芸術劇場が開館しました。
この経緯を考えると、府中の森芸術劇場は本来計画されなかった、不要施設という見方もできるわけで、府中市政の体質を伺うことができるエピソードともいえます。
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ここまでをまとめよう、府中市がこの様な計画を立てて国と話し合いをする。この事実から誰もが完全返還と理解出来る。しかし未だにシッカリと調査をしない輩がこの場所を「米軍管轄」と表現する、情弱の極み。
この区画は米空軍の横田への本拠移転にともない土地が完全返還されている、関東財務局の管理地として現在廃墟に成っている居住区画や通信施設跡が残っている。僕も前回のエントリーの際に大手の廃墟サイトの管理者から「ここは米軍管轄だ!」とメールを貰ったので、
「ここは現在財務省所管 なんですよ」
と防衛省のサイトをリンクしてレスポンスしてあげました、その後その管理者さんから連絡は在りません。勿論の事ですがパラボラアンテナを含む一部通信施設は未返還で在る事は注釈付きで返答しました。更に言えばアメリカ合衆国空軍(USAF)、アメリカ第5空軍(Fifth Air Force)の管理下で在る事は明記しました。
気に成ってこの辺の事を書いたサイト探してみたら同じ様な記載の在るブログを発見、やはり調べる方は居るのだな。
先程「極々正確に言えば一部稼動してます」と書いたのは今までの様に(2009年まで)積極的稼動状況ではない事、大和田通信所の鉄塔撤去で府中向けのマイクロ回線が無くなった事を指して記載しました。
跡地はどうなる?府中の模索
府中市は2008年、「2011年度までには、屋外広告や宅地開発(開発行為)に関するガイドライン(指針)の作成」を発表。自然と調和のとれた街づくりを推進する方針を打ち出した。
これは跡地利用に色々と問題を残す形だ。
現在跡地には小・中学校、集合住宅、ショッピングモールの建設が計画されている。更には近年に成って決定したある施設の移転問題で揺れているのだ。
まずは2008年のニュースソース(東京新聞)を見てもらおう。
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府中市内に国が所有する米軍の基地跡地「府中基地跡地留保地」と「調布基地跡地都市整備用地」の2カ所に、国家公務員宿舎が建設される見通しとなった。計画戸数は合計約700戸で、地元の府中市が受け入れを前提とする利用計画をまとめ、10月31日、府中基地跡地留保地の利用計画を財務省に提出した。調布基地跡地都市整備用地についても近く利用計画を提出する構え。今後は市と国による本格的な協議や、市による地区計画の都市計画手続きなどによって、宿舎を含む施設の建設条件が整うことになる。
府中基地跡地 国家公務員宿舎を建設 府中市近く利用計画提出へ
東京都府中市に新たな国家公務員宿舎を建設する方向で、財務省と府中市による話し合いがまとまった。これまで同市は公務員宿舎の建設に難色を示していたが、調布、府中の両基地跡地の一部に建設する計画で両者が合意した。市は地区計画の変更などを都と調整した後、今月上旬にも財務省に両基地跡地の新たな土地利用計画を提出する方針だ。
同市は調布基地跡地で業務機能を誘導する都市整備用地(同市朝日町3-8、10)の敷地4haのうち、府3・4・26号線を挟んだ北側の地域の東南側の敷地と同線南側の敷地0.4ha、府中基地跡地(同市浅間町1丁目)の住宅用地約5haの3カ所で公務員宿舎を受け入れる。財務省関東財務局は、単身タイプとファミリータイプの宿舎を合計で約700戸整備する方針だ。
当初建設反対、4ヶ月遅れで受入れへ
関東財務局は、調布基地跡地の都市整備用地に同宿舎の建設を希望していたが、市は人口増により保育園や小、中学校の機能が限界に達しているため、建設に反対する意向を表明していた。このため公務員宿舎の整備は6月に提出した土地利用計画には含めなかった。しかし、財務省側の施設分散といった譲歩を受け、公務員宿舎を導入する新たな土地利用計画を策定した。
府中基地跡地の敷地14.5haでは、跡地中央にRC造地下1階地上5階建て延べ3万5686m2の国立医薬品食品衛生研究所の移転が計画されている。移転用地に隣接する住宅用地を公務員宿舎の建設地に充てる。
このほか、調布基地跡地の病院用地(同市朝日町3-16)2.3haで同局が要請している警視庁第七機動隊(調布市)、軽自動車検査協会多摩支所(国立市)の移転も受け入れる方針だ。第七機動隊は、地下1階地上5階建て延べ約1万m2の事務庁舎、延べ約6000㎡の単身者待機寮、延べ約1500㎡の車庫棟の建設を計画している。
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この件に関してあるブロガーが意見を述べている。
府中市は国に対して粘った
朝霞市はあっさりと5月に国に利用計画書を提出した。国から同じ指示を受けていた府中市は粘り腰を発揮して提出期限を4ヶ月過ぎて米軍基地跡地に国家公務員宿舎受入れを認めた。とても交渉上手です。
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同意見だ、一方キャンプドレイクは国主導の再利用計画を飲む事に成る。府中市はこの時点では事を上手く運ぼうとしていたのだ。
政権交代による問題点
実は今まで記載した企画とは別に大規模な施設の移転問題が在った、「国立医薬品食品衛生研究所移転」の計画だ。
この問題は実に面白い、土地の再利用の問題だけでなくて土壌調査の結果と政権交代による計画頓挫の危機に面しているからだ。
http://www.nihs.go.jp/aboutnihs/itenkeikaku/index.html
まあぶっちゃけると当初の計画を大幅に変更、跡地の大凡をこの「国立医薬品食品衛生研究所」が掌握し、残りを公園と集合住宅にすると言う計画だった。
これは仕分け事業と土壌調査の結果が芳しく無かった為に計画が大幅に遅れている。
どうして残るの?通信施設
更に面白い事実が在る、以下のPDFリンクを踏んで欲しい。
http://www.nihs.go.jp/aboutnihs/itenkeikaku/080327_2.pdf#page=9
例によってあの声で脳内再生をお願いする、「お解かり頂けただろうか」。
不自然に抜けた「通信施設」の区画、何故残すのか。理由は簡単で一つしかなく、その言い訳は複雑でここで述べるのは余りに多過ぎる。
土壌調査での問題点
答え言いますね、ココってば「放射線汚染」が…おっと、こんな時間に誰か来ty
2010年、しかもつい最近(このレポートは11月後半に書いてます)に地質調査が行われている。国立医薬品食品衛生研究所移転に関係する調査でその結果が随分と酷いものだったと聞く、しかも先程述べた様に放射線おsbg;はtgろ
げふん、げふん。えーと、後は各々調べて下さい。
で、どうなのよ?
結果から言えば当初予定されていた計画の殆どが保留と成っています、国立医薬品食品衛生研究所の移転問題と同時進行中だった集合住宅、市立公園の建設が宙に浮いた状態と思って頂きたい。
つまり、現時点で言えば2014年(2010年現在での状況)まではこの廃墟を楽しむ事が出来ると言う事。しかし。
2010年9月以降、各事業の調査が頻繁に入っています。言ってみれば2001年の同時多発テロ以降の厳重警備解除後にして初の「入り難い状況」と言えます。再開発自体は決定事項です、その時期に関しての問題が山積しているのでこの後も沢山の調査で人が入る事でしょう。
もしこの府中米軍基地跡の美しい廃墟に魅了されているのならば…早い段階での撮影慣行を進言します(廃墟探索を奨励はしませんが)。計画の見直し、突然の政権交代が在ればこの跡地再利用の方向性や時期も大きく変動する筈です。
これにてこの施設のレポートは終了です、お楽しみ頂けたでしょうか。
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施設名説明
府中米軍基地跡
現在この廃墟を説明するのに使用されている俗称です。
旧帝国陸軍燃料廠
この施設が建設された当初の利用目的施設名です、戦中建設されました。
米空軍横田基地所属府中通信所
アメリカ合衆国空軍府中通信基地の正式日本語表記名です、戦後米軍に管轄委譲した際に通信施設として利用されました。
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最後に有名な「遺構調査機構 」さんがレポートした内容が大変興味深かったのでURLを記載しておきます、恐らく一般人初で最後の詳細レポートです。
http://ruin-explorer.com/fucyu/futyu.htm
注意:文字コードがJISに成ってます、ブラウザによっては文字化けするかもしれません。
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2012.09.13 - 国立医薬品食品衛生研究所の移転中止へ
このエントリーをまとめた廃墟本「滅びの美学 - 府中米軍基地跡」発行後に実は移転問題について動きが在った。兼ねてより嘆願書と住民運動で移転中止を推進していた周辺に居住する市民と中止の活動をされていた「衛生研問題を考える会」の意向に沿う内容で一応の決着が付いたのだ。
国立医薬品食品衛生研究所の移転中止へ
そう、土壌問題やその運営内容で危険視されていたこの移転問題。とうとう計画を白紙に戻す事で再度土地再利用計画が見直される事に、因みに先に名前が出た「衛生研問題を考える会」。2010年には市長に署名を提出していた、以下のリンクにて確認出来る。
府中市長と面談し「衛生研移転計画中止を求める1万人署名」を提出
http://hmw.or.jp/~eiseikenmondai/mendan201011.html
この署名や地域住民の移転中止を叫ぶ活動が実ったのかこの程中止のニュースが流れた、以下のリンクから読売新聞の記事を参照して欲しい。
東京・府中市への移転は中止…国立衛研 - 読売新聞
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=64862
この記事内にも在る様に移転中止は決定事項の様だ、しかし問題自体が解決した訳ではない。そもそもの懸念はこの米軍基地跡の土地利用とその運営方法に在る。今後どの様な動きを見せるのか、そして国や地域行政、住民との相互理解を得られる結果を生み出す事が出来るのか。
更に動きが在れば追加エントリーしていきたいと思う。
アプローチ
国道20号からだと都道15号線が一番解りやすい枝に成る、都道248号線でもわかり易い。府中美術館、もしくは航空自衛隊府中基地へ向かえばこの基地跡が見えてくる。
地図リンク
http://yahoo.jp/SrsmP9
photograph - nee
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