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REPORT - 0815│霧降の滝 滝壺

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秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


栃木県│霧降の滝 滝壺

滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 霧降の滝 滝壺(岩屋不動/大師の石造/名称不明の石仏)


霧降の滝と出会ったのは随分と前だ、世界放浪の旅から帰国して国内を廻っている最中に少しだけ奥日光で働いた事が在った。その時に日光や霧降、川俣の辺りをブラついたのがキッカケで魅せられたのが「霧降の滝」だったりする。


当時は1キロ近く離れた対岸の観瀑台から眺めていただけだったけれど2度ほど地元のマタギの方に滝壺付近や霧降の裏手の山に連れて行って貰った事が在った、その時に聞いた


・滝壺へ至る道が昔は3本程在った(1本は完全に崩落、2本は踏破可能)
・滝中段への旧作業道が今でも踏跡として残っている
・ずっと昔は滝口へ行く道も在ったが今は誰も知らないし危なくて行けない


この話がずっと頭から離れず、何時かは行ってやろうと思って焦がれて早十数年。幸い沢屋と岩屋が揃っている現在なら多少危なくても”ナントカなるっしょや”と積年の片思いに決着をつけるべく計画、約1年を掛けて周辺の地形や歴史を調査。やっとこさで新人さんも加わり行ってきました霧降高原、しかしコレが上手く行かないったらねぇですか。


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今回の目的は主に2つ。


・滝壺付近に残るとされる400年前に寄贈された史跡の石仏を発見する
・前人未踏の霧降上段の滝の滝口で全裸放尿する


滝壺へ至る道はマタギの方に連れて行って貰ったのとは別のルートを既に把握していたので計画的には無理も無かった、しかし問題は貴重な史跡とされている石仏の場所。日光観光協会も把握してない石仏で国立図書館に所蔵されている文献に更に古い伝記が記されている、この辺は話すと長くなるので詳しく知りたい方は各々調べてみて欲しい。


で。


この石仏に関してはやはり同様に興味を持った方が居てしかも行政プロジェクトとして調査を行ったチームが存在する、しかもチームリーダーは海外の名峰を軒並み踏破しているプロだ。幾ら沢屋だ岩屋だって言ったってオマンマ喰ってるプロには適わない、そんな強豪チームの史跡発掘プロジェクトは以下リンクよりどうぞ。


日光霧降高原 史跡発掘プロジェクト
http://fifabakutyouou.cocolog-nifty.com/nikkousannsou/2011/11/post-0ec9.html


oioi、先にやられとるやないか。2番煎じかいな…いやいや早まる事無かれ、彼らも肝心の石仏を探し出せておらんのですよ。そうとなりゃウチらが発掘してやらん事も無きにしろ非ずの心、ありがた迷惑千万な押し付け調査を慣行するので在りますのですわ。


まずは滝壺周辺の史跡に焦点を当てて


・岩屋不動
・大師の石造
・名称不明の石像(4体+1体)


このありがた~い石仏さんを拝みにレッツダンス


※ 滝壺への道は現在封鎖中です、無許可での立ち入りは出来ません。
※ 滝壺からの岩壁登攀は熟練した登攀技術とクライミングギアが必須です。


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観光気分で霧降の滝の観瀑台へ向かう大勢の人の中に異質な者達が姿を現す、言うに及ばず我々の一団で御座います。フルギアの格好で一服していると周辺からは


「仕事ですか、何かの撮影ですか」
「今の派閥政治をどう思いますか」
「密輸入して飼っていたオウギタイランチョウが逃げた、一緒に探して欲しい」


など方々から声が掛かる、取り敢えず「声優の握手会が滝壺でありましてね…」。汚物を見る様な視線で蜘蛛の子を散らした様に人が離れたのを見計らい、滝壺への道へ入った。


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霧降の滝レストハウス”山のレストラン”」の従業員の方に軽く挨拶して裏手の崩落した道へ、この道は現在封鎖されている滝壺への山道で一番新しい物だが閉鎖されて数十年が経過している。最初の内こそ石段が顔を覗かせているが直ぐに崩落地点を向かえ、道は消滅する。


回り込む様に九十九折れの轍が残るがそれも左岸からのガリー(※1)で消滅、仕方ないのでこのガリーを左右に振れながら降下する事にした。


※1 流水などで岩壁が浸食されてできたV字状の溝。


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傾斜がキツく成るにつれ、地面は浮きガレ(※2)と倒木ステージへ変化する。既に地図上に残る旧道(点線山道)は姿を完全に消し、GPSに表示された等高線と地形とは異なる表情に。


実は行政が砂防ダムの確認の為に定期的に倒木や通行に邪魔に成る木々を合法伐採している事は事前調査で知っていたのだけれどどうも最近はご無沙汰らしい、スッカリと伸びた枝がウェアやギア、バックパックに絡みついて非常に歩き辛い。


※2 不揃いの小さな石や岩が重なり、足元が安定しないガレ場の事。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


左右の絶壁に阻まれて大きな岩場をボルダーにクリアする場面が幾つか在る、と言ってもカチガバ+ステップも十分なので危なげなく降下する事が出来た。


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ガレの上に堆積したガリーの土砂と覆い被さる様に進路を邪魔する倒木とその枝、こりゃ思ったより面倒臭ぇなどと思っていると下方から水流の音が聞こえる。


顔を上げると目的の霧降の滝滝壺が薄っすらと姿を現した、近くに見えるがもう少し降下しないと駄目の様だ。


この辺は両岸がナメで足元はガレ、時々大ガレ。難しい地形じゃないから滑落や転ぶ事はなくても非常に歩き辛い、兎に角歩き辛い。


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最後のガレ場に出た、ここからは視界が良好で眼前には霧降の滝の滝壺部分がハッキリと確認出来た。

因みにこの旧山道の他にも観瀑台への道の途中にガレを降下する旧観瀑処(明治時代には茶屋も存在したと言う)への旧道が存在する、此方は正直かなりボルダーチックな行程。滑ると死んじゃうですよ、ホント。


そして最後の1本(既に消滅している旧作業道)はその道筋も発見出来ていないけれど江戸時代には人が通行した記録が残っている、無名の絵師達が挙って滝壺へ下ったと書かれた文献も在る事から場所さえ解れば意外と道としてはハッキリしているのかも…と思ってはみたものの消滅済みと銘打たれているので探索はしない予定。


因みにこの消滅した道を通過した絵師で有名な方が1人いらっしゃる、その名も「葛飾北斎」その人でこの際に描かれた画(※3)も現存している。


※3 葛飾北斎「下野黒髪山きりふりの滝」


葛飾北斎 諸国滝廻り - 下野黒髪山きりふりの滝
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai083/


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


最後のガレを降りて滝壺の眼前から今きたガリーを見上げる、一見緩やかな斜面だが途中途中牙を向く油断なら無い行程だった。一先ずは滝壺を拝見させて頂き、本来の目的で在る史跡の探索に移ろう。


photograph:koichiro


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霧降の滝の下段の滝、写真で見える滝口は上段と下段の間に在る中段テラスでこのテラスに至る道も冒頭の通り存在する。こちらは既に道も知っているので次の機会にでも歩いてみようと思う、写真で見えているこの中段テラスから下段の滝壺までの高低差は26メートルと資料に在る。


それでは早速史跡の石仏さんを探すとしましょうか。


photograph:koichiro


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先人達と成る「日光霧降高原 史跡発掘プロジェクト」さんが発見した当初予定に無かった名称不明の石仏から探す事にする、何せ場所が解っているし実際に行った人が居れば僕らだって行けない事はない。


降ったり登ったりとウロウロする、簡易双眼鏡など持参していないのでカメラのズーム機能を利用して怪しい場所をライブビューから探し出そうと試みるが中々上手く行かない。また晴れ間だと太陽の光が強過ぎて新緑の木々達の明暗が散って余計解り辛い、そうこうしている内に一瞬太陽が雲に隠れた所でどうにか場所を発見した。


photograph:+10


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


これからアタックしようとする場所、それがココだ。下段の滝で言えば丁度中間の辺りだろうか、高低差で言えば13~15メートル。完全に岸壁と変化していて400年前の道を辿る事は不可能だろう、ともすればやはり岸壁登攀によって石仏へ至るしかあるまいて。


これから拝見と試みる石仏は2011年に新たに発見された史跡で以前から4体ほどの石仏が在ると噂されていた物だ、この時の調査で更にもう1体非常に古い(400年以上前)の石仏も発見されている。つまりこれから向かう場所には合計5体の石仏が待っている事に成る、まあノーロープでまずは行ける所まで行ってみますか。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


おい、どうする?結構高いし場所的に面倒臭くねぇ?
「か~っぱかっぱ♪かっぱのまーくの、k」


ちょっとその歌やめて


どうしたの突然
「足元ナメてますね…気をつけないと」


え、ああ。うん、そうね。…んんん?


突発的な発作に驚いたがいつもの事だ、気を取り直して軽くルーファン。凡そ2ルートを設定、まずは最短距離だけれど結構危ない傾斜登攀を試してみましょうか。


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


カメラの望遠でまずは押さえの1枚、確かにいらっしゃいますねぇ。今から行きます、逢いに行きます。今すぐキスミー、その素敵なご尊顔を上右斜め45度で撮影致します。


photograph:+10


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


無理をおっしゃる。


このナメをノボレと、ニイタカヤマじゃないんだからさー。しかし火蓋は切って落とされたんだ、開戦じゃーおりゃー。


あー、簡易アイゼン持ってくれば良かった…。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


つるツルTSURUしやがって怒チクショウっ、滑るったらないなこの壁ぇ。経読みの頭かってーの、この生臭坊主がぁああ。


どうやらこのルート、晴れが何日か続いて地盤が乾燥していないと直登は難しい様だ。更に上に移動してみたが次の垂直壁がナメでビレイ無しでは危険と判断、ロープを取りに下まで戻るなら多少巻いてももう一つのルートでアタックした方が良さそうだ。


って事でずる~んと降下。


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


今度はロープを2本(各自1本づつ)持って手前のガリーから直登開始、ある程度の高さを稼いだらトラバースで岸壁の窪みをクリアしようと試みる。


写真では解り辛いけれど手前が若干下で奥の方が高度が高い。


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


10メートル程登って途中の横に伸びた樹木の上でインターバル、この間に最初の確保ポイントを設置してまずは自分のセーフティ。次にロープを直接ダブルエイトで結束、先行した相棒に渡してトラバース用の親綱を張る。


下の方には撮影担当の新人Koichiroさんが待機中。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


場所はこの辺、最初の直登ポイントからは距離が離れているがトラバースが容易なのと石仏が途中から確認出来るのでどうにか到達出来そうだ。しかしこのルート、上手くルーファンすればその間々中間テラスに出れそうだ。


まあ別途中間テラスに出る道は在るから無理しなくても良いのだけれど…面白そうなルート発見すると悪い虫が疼くのは宜しく無い癖で在ります。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


上手く撮れた写真が無いので先述のプロジェクトからお借りしたがこの様に3年前と変わらないお姿が、この石仏に関しては当ブログでも独自調査して先のプロジェクトに合流したいなぁとか考えておりまする。しかしこれだけの石仏が2011年まで発見されてなかったってのは驚きだ、寄贈時代も判明してないし更にもう1体に関しては全く解らないと来ている。


この地域に詳しい地域民俗学の教授さんでも探すしか手はないか…。


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さて、次は予定通りに


・岩屋不動
・大師の石造


だがこれが全くと見つからない、って事でこの滝壺の史跡物件は「継続調査物件」として年内に再度アタックする予定だ。6月を過ぎるとブッシュが酷く成るのでそれまでに行ければ良いけれどその6月には恒例の鍾乳洞アタックが控えているしなぁ、最悪草刈しながら薮漕ぎ覚悟で真夏に行くか。


石仏の正体を含め、その他の石仏も追加エントリーで明らかにする予定です。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 石仏


さて、滝壺の史跡確認はどうにか出来たので移動しますか。ええ、行きますよ…この一番上の場所に。次に目指すは近代史においては正確な記録が残っていない前人未踏(かもしれない)の霧降の滝上段の滝、その滝口なのです。


沢屋のレポートでもこの滝壺や中間テラスは良く見る(あくまで沢屋界隈での話)、しかし全くと道も無くて険しく危ない行程が予想される滝口のレポート記録は本当に見当たらない(2014年05月現在)。正確な測量もしたい所だけれどまずは行けるかどうかが気に成るっつー事で行ってみようじゃありませんか、次回「霧降の滝 滝口から全裸で放尿編」でお逢いしましょう。


photograph:koichiro


アプローチルートは一般立入禁止な区域なので地図リンクは不掲載です。


アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。


地図リンク
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。


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REPORT - 0206│寂光の滝/若子神社

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6Frogs Photograph Blog-寂光の滝 若子神社 日光 神社 寺


廃墟 寂光の滝 若子神社 日光


栃木県│寂光の滝/若子神社


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 寂光の滝/若子神社


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日光には何度も訪れている、日本1周の旅の最中には奥日光の湯元温泉や霧降高原などで働いた事も在った。そんな馴染み深い地でも知らない場所は結構在ったりする、ネット上で知り合った滝フリークの方からの強い薦めも在ってやっとこ訪れた場所、それが寂光の滝でした。


日光には言わずと知れた「華厳の滝」や「竜頭の滝」、「湯滝」など有名な滝が数多く存在する。迫力では華厳にも負けない「霧降の滝」が個人的にはお薦め、たっぷりと1日使って「日光七十二滝」を廻るのも日光の楽しみの一つかなぁ。


そんなメジャーな滝を抑えて(実は有名瀑布なのだけど)滝フリークさんがたはこう言います、「この滝はロケーションも含めて日光で上位に入る素晴らしい滝」なんだと。何でも由緒正しい神社の裏手に在り、人も殆ど来ないのでユックリと滝を眺める事が出来る素晴らしい場所らしい。


感想としては「何故もっと早くからこの場所に来なかったのか…」と後悔する位綺麗で荘厳な所でした、お薦め物件です。いや、ホントに。


6Frogs Photograph Blog-寂光の滝 若子神社 日光 神社 寺


滝を見に行った先で出会ったのは立派な鳥居、この鳥居の脇にシッカリとした案内板が立てられている。内容は、


「弘仁11年(820年)日光を訪れた弘法大師空海は、滝尾神社を開き、次いでこの奥の寂光の滝で修行した。夢の中で女神のお告げを受け、ここに祠を建てたと伝えられる。室町時代には、寂光寺の七堂伽藍が立ち並び、釘念仏道場として繁栄した。釘念仏のお札は、現在も輪王寺で受けることができる。


明治以降「若子神社」と改められた。祭神は下照姫命(したてるひめのみこと)。祭日は、10月30日。」


と、掲示されていた。あらやだ、随分と古くて長い歴史をお持ちなのねぇ。ちょっと興味が出てきちゃいましたよ、個人的に辿れるだけお勉強してみましょうか。


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鳥居をくぐり、石造に挨拶しをし終えて石階段を登る。階段半ばで神社に向かう為の登り階段と左側に滝の下方に出る細い道(※1)とに分かれる、今回は滝をメインにやって来たので左にそれて滝へ向かう。


※1 一部崩壊していて危ない場所も含みます、来訪時は足元にお気をつけ下さい。


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滝の前に紹介しておこう、此方が若子神社。一時はとても繁栄した寂光寺として祭られ、現在は改名された若子神社としてヒッソリと鎮座されている。冬場の写真を見たがこれまた美しく、次回は是非冬季の訪問をしたいと考えている。


…って、んんん?


寺だったのか、ここ。寺から神社に成った…の…?え、ここお墓だったんすか?あれ、そんな形跡ないけれど、うーん。駄目だ、やっぱりこの場所気に成るから納得出来る調査を改めてした方がいいな。気に成る事実などが判明した場合は追加エントリーにて必ずご報告致します、多分。


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登りTEEEEEEEEよぉおおお


本命の寂光の滝、実際に目にしたら滝フリークさんが言う事がとても良く解る本当に美しい滝でした。大きいとは言えない小ぶりな滝筋だけど何と言うか流れ落ちるラインとかバランスとか、そんな感覚的なモノが直接見る者を虜にする魅力を放っていた。


因みに神社上部からこの滝に出る道も在る、水量が多い時は滝の中腹で道が分断されるのでこの2つの道は便利だ。水量が余り無い時は足が濡れる事無く2つの道を行き来出来る。


シャワークライムも可能な滝でバイトするポイントも多いしステップも良い角度で足つきも悪くない、ただ傾斜が緩いからそこまで面白くはないけれど初心者さんには十分その魅力を体験して貰えるポイントだとも言えるかな。水量も少ないので難易度は低め、んだどもやはり神社の裏手という事も在るので出来れば沢登りの過程として楽しむ程度に留めてほしい。


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寂光の滝


高さは50メートル、幅は6メートル、7段から成る滝。マイナー滝として思われがちだけど昔から名瀑として知られている様で「布引の滝」や「七滝」などの別称も。「寂光瀑布」として「日光八景」の1つに数えられている。


寂光の滝の寂光とは寂しい光、つまりは生い茂った森の中の薄暗気な事を指している訳ではなく、仏語で「安らかで、静かな光」と言う意味。


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若子神社


若子神社は寂光寺とともに弘仁11年(820)弘法大師の開基と伝えられる。明治の神仏分離で若子神社と改められたが元は若子権現といった。いまは二荒山神社の摂社で祭神は下照姫命(しもてるひめのみこと)。明治10年の大火は免れたが明治17年に焼け明治20年に再建されている。


神仏混合の時代には寂光寺境内には弘法自作の不動尊を祀るという不動堂(寂光寺)寂光権現堂(若子神社)鳥居 求聞持堂 三十番神堂 常念仏堂とあり多くの信徒で賑わったという。当時は恵心僧都の作と称する阿弥陀如来を本尊とする念仏堂より「釘念仏札」を出していた。


縁起は文明年間(15世紀後半)に寂光寺の僧であった覚源上人があの世へ行き 閻魔大王に会い地獄を見てきた「地獄に落ちた者は49日間毎日一本ずつ釘を体に打たれるが娑婆にいるうちに49万遍の念仏を唱えればそれを許される」と言われこの世に戻るとと手に49個の釘穴のついた木札を握っていた。


その木札と同型名札を梓の木で刻み紙に刷って念仏堂から人々に授けた。それを「釘念仏縁起」としてまとめ「釘念靴のお札」を持ってあの世へ行けば極楽往生できるとしたもの。今は寂光寺は無いので輪王寺でお札を授けてくれる。広く東北、九州地方まで伝わったと言う。今でも日光では仏事の際に黒地に白抜きになっている49の丸い穴を近親者が塗りつぶして納棺している。


覚源上人の墓と常念仏堂跡の礎石は川を渡った山の中腹にある。また今は杉林になっている所も昔の堂宇の跡であろう。


足利幕府後半のこの時期 世は戦国時代に入っていく頃だが 日光は最も栄えた時期。瀧尾 寂光 清滝そして中禅寺は繁栄の中心地であったという。僧坊の数も500を数えたと言う。


若子神社 毎月10日に月次祭(つきなみさい) 10月30日には例祭が行われる。


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実は嬉しい誤算が在った、コレだけ十分過ぎる光景なので満足してこの地を後にしたのだけど山男として痛恨の失敗をしてしまった。帰宅後に調べたらこの若子神社の裏手から更に女峰山へと続く山道が在り、しかも枝が何本か薄っすらと踏み跡として残っていると言う。


画像も地図も入手して調べたが比較的楽な行程で滝の源流まで行けそうだ、紅葉時に挑戦しようと思う。コレでこの場所には秋と冬と行かなくては成らなくなった。


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再訪しました、その時に何枚か以前撮り忘れたアングルが在ったので掲載しておきます。


寂光の滝 若子神社 日光 神社 寺


寂光の滝 若子神社 日光 神社 寺


寂光の滝 若子神社 日光 神社 寺


アプローチ
田母沢御用邸正面のT字路入口に「寂光の滝」へのアナウンスボードあり。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.761981671781925&lon=139.56909806557576&z=19&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.719905335699&hlon=139.69827861615&layout=&ei=utf-8&p =


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【風俗店員が教える出会い系サイト攻略編】

REPORT - 0816│霧降の滝 上段の滝(滝口)

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秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


栃木県│霧降の滝 上段の滝(滝口)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 霧降の滝 滝口(上段の滝/滝口)


前回もお伝えした霧降の滝、そのレポートの中で滝壺へのアプローチ約400年前に寄贈されたとされる石仏発見までを史跡調査としてエントリーした。しかし結果は詳細不明の石仏群を発見するも本来の目的、文献に残る寄贈石仏は発見出来ずじまい。追加調査として物件を保留して一先ずは撤退と言う事に、そして同日近所


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本当はこの物件をメインとして据えていた霧降の滝の「滝口」の調査へ、そう…あの雄大な霧降の滝のはじまりを見に行こうと言う計画だ。この計画にも史跡発見の為のプロセスと同じ様に1年近くを要し、綿密に地形図と睨み合いを重ねて来たのだ。


まずはこの霧降の滝がどういったモノかを知って頂こう。


日光観光協会が発行する観光案内のパンフレットにはこう書かれている。


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古くから華厳ノ滝、裏見ノ滝とともに日光三名瀑の一つに数えられている。霧降川にかかる滝は上下2段になっていて、上段が25メートル、下段が26メートル、高さは75メートルある。下段の滝が、まるで霧を降らせるかのように水が岩に当たり、飛び散って流れ落ちる。その様子から、この名がついたといわれる。


滝の正面に観瀑台があり、そこから全容を眺められ、その全景は圧巻である。周囲の景観と溶け合った滝の姿は新緑から紅葉まで楽しめるが、とりわけ10月中旬~下旬の紅葉の時期がすばらしい。


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霧降の滝は板穴川の支流からの合流で流れ込む霧降川の途中に在る、霧降川は先の通り板穴川の支流で名称が無い細い河川2本と板穴川が合流する事で太く勢いの在る川が出来上がり、その先で更に支流化する事で霧降川が成立している。


何より調べてみて驚いたのがこの河川に属する全ての川が「利根川水系」だと言う事、河川の流路地図を確認すると確かに利根川へ至っている。これには何故か驚いて色々と関係ない事まで調査してしまったが今回のレポートには特筆する事が無いので割愛しよう。この霧降川自体も国土地理院の地図に掲載されていない細い沢の出合いを繰り返す事でその流れを太く確かな物にしているのも面白い所、いや川って意外と興味深いですわ。沢屋としてでなく、地理の基本的な知識と好奇心が今後の沢歩きに大きく作用しそうです。


実際今回の調査で数本の細い沢を発見(勿論地図には記載が無い)し、更にその出合いも幾つか通り過ぎる形で歩き進めた過程が在った。まあそれらは後程語るとしよう。


ウィキペディア - 霧降の滝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e9%9c%a7%e9%99%8d%e3%81%ae%e6%bb%9d


まあ主要素で言えばこんな所でしょうか、記録では数字的にも色々と出ていますが今回の調査で”記録”とは随分と違った”事実”が色々と在りました。その辺も併せて今回のレポートでお伝えする予定です、それではレポートを始めましょうか。


ただ単純に霧降の滝の滝口を見に行くだけのお話ですが。


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秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口 つい先程「滝壺」から戻り、車のデポ地で思案した内容。


それはここから「霧降高原大山ハイキングコース」の登山道を経由して山中に入るか、それとも一度車で霧降高原道路へ迂回してデポ場所を探し、「霧降高原大山ハイキングコース」の途中から登山道へ。そして第1案と同じ様に地形を見定めて山中へ入るか、どちらにせよ途中から山中に入るが退屈な登山道を長く歩くかショートカットするかの違いだ。加えて言うなれば帰路の疲労がどの程度かで車での距離がどう影響するか位だろう。
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車のデポ地(滝壺調査時)である「山のレストラン」付近の霧降高原大山ハイキングコースはこんな感じ、これを見る限りやはり道路(車の駐車場所)から距離の短い霧降高原道路を経由した方が良さそうだ。
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現在滝の直上へ出れそうな道は何れも廃道、滝壺から経由する道など崩落で消滅しているし登山道からの分岐は既に自然に還ってしまっている。そもそも地図と実際の地形が現地に行くとかなり違っている

事に気付く、どちらにせよ等高線の集中しない場所を手探りで進んで行かなくては成らないだろう。
秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口

また最悪山中を抜ける事が出来なくてもハイキングコースの丸太橋(経由ポイント)から沢に降りて遡行しても良い、これは行けるか解らないけれど川底がどれだけ深いかってのが問題だな。


結論。


この滝口調査は身体的な疲労が予想され、また全くと道が無い事で精神的にも辛い行程が予想される。


ならば高原道路に車をデポして登山道に入る後者の方が良さそうだと判断。よって車で5分程移動して「霧降高原大山ハイキングコース」のつつじヶ丘バス停付近から登山道へ入る事にした、結果的にはこの判断が大正解(帰路では本当に疲れ果てていた)だったが休日は車が多いので季節や曜日を選びそう。GPSのデータはつつじヶ丘バス停付近、ロガーはこの辺から開始。道路にはヤマツツジが一面を覆う様に咲き乱れ、所々に覗かせるシロヤシオがまた良いアクセントだった。


距離:426メートル(滝口までの直線距離)
標高:794メートル


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最初にお断りしておくが今回のルート、本当に危険な場所を何度も通過する。軽装な者は論外として経験者がこのレポートを参考に行くとしても完全な自己責任で山行して欲しい、因みにGPSの地形表示と実際の地形が所々大きく相違していた事も付け加えておく。一応GPSロガーで軌跡は残して在るが上記の理由から公開はしない事に、場所の特定は出来ない様にレポートを構成したがもし写真と同じ場所に至っても無理は絶対にしないで欲しい。


うるさく感じられるかもしれないけどコレだけは事前に了承した上で読み進めて頂ければ幸いだ。


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霧降高原大山ハイキングコース」から事前調査した地形とGPSを頼りに斜面を降下する、この降下だけで随分と高度を下げている(短距離間でGPS上では57メートル高度を下げている)。谷間に落ちると地図には記載されていない細い沢が姿を現した、降雨量で出現する様な物ではなくて確かに流れ続けている確実な沢だ。


山を歩いているとこの様な地図には描かれていない地形に出会う事は少なくない。沢の広さは幅が30センチ~1メートル位で蛇行しながら霧降川へ向かっている様だ、発見時「この沢を下って行けば簡単に行けるんじゃね?」とか思ったのだけれど(実際降ってみた)現実は甘くなく、直ぐに垂直に切り立った崖から流れ落ちて行った。


距離:195メートル(滝口までの直線距離)
標高:737メートル


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谷に降りると深いブッシュが出迎えてくれた、全く人が来た気配がしない美しい自然が残る場所だ。更に緩やかな傾斜が続いていて下方を見ると先程の沢が顔を覗かせている、いやぁこりゃ本当に先人達が歩いていない未踏区域に降り立ったかもしれませんですなー。


距離:180メートル(滝口までの直線距離)
標高:734メートル


photograph:koichiro


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写真で解る通り細い沢の流れ、そこに右側から更に細い流れが合流している。緩やかな斜面は画面の中央の沢の見切りで丁度終わりを告げ、そこから数段の小滝を経て下方数十メートルへ流れ落ちていた。霧降の滝が何故「霧降の滝」と呼ばれるか、それは流れが途中に突き出した壁面に当たり四方に霧散するからだと伝えられている。


が。


実際は霧散する程ではなく、この様な岸壁から流れ落ちる無数の無名河川が流れ落ちる事で「霧散した様に見える」からかもしれないと思った。実際滝口に進むにつれこの様な壁中霧散型の落ち込みを沢山見掛ける事に成る。


周辺には背の低い笹と時折顔を出すオオカメノキ、最初ドクダミかと思ったら良い匂いで間違えちった。


距離:180メートル(滝口までの直線距離)
標高:734メートル


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


ちびるで。


この谷はちょっと良いですわ、何と言うか自然が”深い”感じ。付近に現道も旧道も全くない獣しか通らない山中、足跡は鹿しか確認出来なかったけれど沢山の動物がこの場所を歩く筈だ。


流石にカスミザクラには間に合わなかった様で見える色と言えば緑ばかり、遠くではシジュウカラとホオジロが競演して耳を楽しませてくれた。ここは本当に良い。


GPSを確認すると滝口までの距離が200メートルを切っている、しかしそれはあくまで直線距離であって地形を考慮すると2倍以上は歩く事に成るだろう。読めない地形と危険な行程、そして足場が悪い事を加えて考えるとこの数百メートルがとても長く感じる。


距離:175メートル(滝口までの直線距離)
標高:724メートル


photograph:+10


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新人のKoichiroさんもこの谷間を気に入ったのか忙しなくシャッターを切る、しかしこのKoichiroさん。最初の入渓が房総の「間滝」で同日に「梨沢七ッ釜渓谷」、そして2回目の入渓がこの霧降川ってんだから辛い目に在っておられますなぁ。ウチなんかに参加したばかりに可哀相な…しかし本人はとても楽しそうで何より。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


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さてさて、休憩はこの辺で辛い生き地獄の続きに戻りましょうか。


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事前調査で持参したデータだとココから再度ピークを目指して高度を稼ぐ様に歩かなくて成りません、ずるっと落ちたらまあアレです、死んじゃいますね…えへへ。


この場所は写真で言えば左手に滝の落ち込みが在る位置関係、しかし滝まで距離があるのかまだその音は聞こえませんなー。まずはピークを目指して兎に角登ります、うーん…


強いられているんだッ!(集中線)


距離:105メートル(滝口までの直線距離)
標高:741メートル


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ヘルニアが爆発しそうなピークに到達、そしてそのピークの突端にて大きな樹木が素敵にVの字開脚
先程から更に高度を稼いで標高は746メートル、ここまで来てやっとこ滝の落ちる音は聞こえても草木や葉に邪魔されてその姿を見る事が出来ませんです。コマドリの声が聞こえるから近くには来てるとは思うのよね(霧降高原ではコマドリは滝周辺にしか生息してない)、GPS上では眼前に滝が見える筈なんだけどなぁ…。


樹上に立つのはいつもの相棒、眼下を確認しても何も見えないとは本人の談。


距離:72メートル(滝口までの直線距離)
標高:746メートル


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ピークから若干マディな急斜面をトラバース、周辺の地形がいよいよGPSと全く違う姿を現したので現地判断でラペで降下する事にした。残るロープ2本でギリギリ降れるかどうかの目測距離、危険がどうか判断する為にまずは先行して降下開始


途中どうしても長さが足りないので太い樹木を経由してジョイント処理、もう1本垂らすと地面までとは行かないまでもどうにか降下出来そうな場所に行けそうだ。いざと成ったら全員のナイロンスリングを繋げれば間に合うだろう、ココまで来たんだ…まずは降り切ろうじゃないか。


距離:96メートル(滝口までの直線距離)
標高:739メートル


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


おまたせしたかしらっ


とうとう来た、この沢は間違いなく霧降川だ。そして目的はこの時既に果たされていた、顔を少しだけ右に向けると目的の「滝口」が見えているのだ。


後は数十メートル歩けば念願の「滝口」、逸る気持ちを抑えて慎重に向かおう。


距離:75メートル(滝口までの直線距離)
標高:673メートル


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


ゴツゴツとした大きな岩が転がる滝上部の流れ、途中堰き止められた場所も在るが本流自体は非常に強い流れを維持している。そりゃそうだ、そうじゃ無ければアレだけの落ち込みの勢いは生まれない。


目に見えている地形に若干の違和感を覚えつつ滝口へまた一歩近づく、滝口付近には満開のヤマツツジが見え隠れ。


距離:51メートル(滝口までの直線距離)
標高:672メートル


photograph:+10


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


おっさん大勝利


来たぜ、来てやったったですぜ。あーん嬉しいー、嬉ションしそーう。そうだ、そう言えばそうだった、アタイらってばココで全裸放尿しにきたんだったわ。


やったるぞー、出し切るぞー。


と罰当たりな事を叫んでみたのだけれど、うーん…先程から続くこの違和感は何だろうか。いや、そうか…そういう事か。地形だ、この地形が違和感の正体なんだ。


眼前に広がるこの滝口、公式資料では落口(滝口)は幅3メートルと記載されている。しかし実際はどうだ、10メートルは在ろうかと思える大きな滝口じゃないですか。


そもそも対岸の観瀑台から見ても幅3メートルじゃない事は明らかだ、これはシッカリと測量しなくちゃですねぇ。次回までに測量の道具揃えてこの付近の調査を改めてやりましょうか、うん…そうしましょう


距離:0メートル(滝口までの直線距離)
標高:650メートル


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振り返ると今歩いて来た霧降川がやはり美しい、滝の上部はこの様に薄い連瀑と成っていて更に手前にはもう少し大きな滝も存在している。これらの滝も次回の詳細調査で明らかにしていこうと思う、右岸も左岸もピークに近い事で高さは無いけれど結構な傾斜で直登は難しそう。更に上に行きたかったけれどねぇ…。


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


痛っ、アタシ虫に刺されたっぽい
「エタノールなら在りますよ」


こんなもんは木工用ボンドでも塗っときゃいいんだよ
「ガチョン太朗(※1)ですね、わかります」


綺麗だなー、ここ。


※1 「虫さされに木工用ボンド」なんてきっと誰も知らない、知らなくて良い。


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


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晴れが続いたので水量は少ない筈、それでもこの滝口幅だ。しかも滝口の両端を見ると明らかに更に水が流れた跡が残っている、ナメ沢なのでこれ以上は滝口に近づけないけれど確かに3メートル以上の幅は確認出来た。


さて、取り敢えずココまで来る事は出来た。全裸放尿はしないまでも残された数本のスリングとセーフティ用のショートロープ(※2)で降下出来る所までは行ってみましょうか、右岸側からどうにか降りれそうだし。


※2 セルフビレイやロープワーク用に短く切断し、フィッシャーマンズノットで円状にしたロープ。


photograph:koichiro


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


ここに居ます、ここから向かって右側を降下出来れば…と。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


やべぇぇえええ


絶景だー下降りてぇええって事で降下する為にセルフビレイ※3)が取れる場所を探す。写真は任せた、アタシは兎に角下に降りたいのよ。


確保出来そうなのは写真左下の大きな岩、それと画角外の太い樹木か。しかしココからだとスリングの長さが足りなくて大して降下出来ないだろうな、うむ…ある程度フリーで降りて更に下方の樹木で確保するか。(絶対に真似せんといて下さい、ツルっとイクと亡骸の回収も出来ませんってな場所です。)


※3 自己確保の事、ビレイヤーを介さず自分でセーフティを構築する。


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降下開始、この辺まではカチガバのポイントが沢山在るし足場も枯葉で浮いているけれど慎重に踏めば滑落はしないだろう。滝の形状の問題(中間フロアが広い)で滝壺は見えないけれど上段の滝全体は見渡せる、因みに写真で見えているのは上段の滝の半分位。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


おい随分でかいドリンクバーだな、垂れ流しかよ


滝壺から約75メートル、霧降の滝最上部はこんな感じだ。写真右側のボルダーな岩場をスルスルっと降下してまずはセルフビレイの確保場所を探す、丁度良い感じにビレイに耐えうる樹木が在ったのでスリングを掛ける。さて、ここからどれだけ降れるか…ロープが残っていればまだまだ降下出来るのにぃ。


photograph:+10


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


足場がズルっと滑ってこれ以上は無理ってな場所まで降りた、それでも上段の滝の下方を撮影する事が出来ない。実際の現場では見えているのだけれどどうにも写真に上手く写りこまないもどかしさったらもう、右岸のみで言えば意外と岩が脆くて浮いているのが怖かった。つまり掴んだ岩がフルテンションじゃなくてもポロっと、これは本当に怖いのですよ。


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


こんなもんしか降れてないのです、いやお恥ずかしい。いや、次回は数本持ってきますからねロープちゃん。しかもココだけの話、この上段の滝右岸のどこかに石仏が在るとかないとか。


周辺調査は次回に持ち越し、今回はここまでのルートを開拓出来たって事で満足しましょう。


ほいじゃ戻るでー。


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今回の来訪で判明した事、それは


・滝周辺の地形が地形図とは大幅に異なる
・滝自体の測量資料と実際の大きさが違う(総長も幅も全て違う)
・複数の無名河川(沢)が存在して霧降川に合流している
・複数の無名河川(沢)が直接滝に合流している
・滝上流に更に滝(別支流の新滝)が存在している
・やろうと思えば全裸放尿が出来る


わあ適当


秘境 廃道 旧道 霧降 滝 滝壺 遺跡 滝口 落口


適当に巻いたチェーンノットが見苦しいがそこは勘弁願いたい、面倒臭ぇんだもの。それと言いたい事は解りますよ、そのカラビナの使い方はオカシイだろっと。ええ、解りますよ…だけど面倒臭ぇんですよ。もうビール呑みたくてホントに、ねぇ?


いや、本当はプルージックなりマッシャーなりでエイト環に接続するかATCでテンション掛けながら登攀するのが正解です、解ってます。だけど…ねぇ?


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いや、楽しかったです。そして何より美しかった、大満足の滝口調査でしたです。持ち越し案件が結構在りますが行政さんと測量会社さんに更なる資料を提供して貰って資料写真(写真提供用)もバッチリ撮ってきます、恐らくは今夏ですね。


と、帰宅後に我々は残念な知らせを聞く事に成る。情報提供者は地元の登山愛好家で過去に一緒に沢を歩いた事も在る人物だ、霧降に関して何かと詳しいが今回の連絡までスッカリとその存在を忘れていた(ごめんね)。


「マタギの間じゃもっと楽なルートが在るんよ、しかも登山ルートからちょろっと歩けば霧降川に出られるお手軽なルートが」


えええええっ?


アタシらの苦労は…い、一体…


いや、ちょっと待って。んじゃ滝口って結構人が来てるの?ええ?聞く所によると砂防ダムの造成職人さんや沢屋さんはたまに入る事も在るのだとか、と言っても数年に一度位の頻度だと言う。そうか…そりゃそうよね…、シャワークライムの人だって居るしさ。


それと「アンタ深酒と夏場のアタックなんてやめなはれ」と。何でも房総ではお馴染みのうにょうにょする憎いヤツがこの滝周辺にも居るのだとか、そうか…ヤツが居るのか。皆大好き、ヤマビルさんです。余り気にしないけど出来ればご遠慮願いたいなぁ、今月中に再度行くしか無いのかなぁ…。


まあ今回のルート、人の気配が全く無かったのは当然でして。情報提供者曰く今回の踏破区域は「熊さんの生活圏やで」だそうで山菜やキノコを採る方も入らないのだとか、成程ね…もう色々と調査不足だったのか(ふええ)。しかも滝口に至っては全然未踏じゃないじゃーん、前人未踏(らしき)のルートを開発はしたけれど…。


やしいぃいい、ぃいいいいっ。


こう成ったら滝壺からカムやらハーケン使って登攀してやるぅう、ってコレはシャワークライムでやってる人が既に居るからなぁ…。


本日は以上、久し振りに長いエントリーでしがお楽しみ頂けたら幸いです。


アプローチルートは危険区域なので地図リンクは不掲載です。


アプローチ
秘境及び廃墟物件は自然保護と建造物保護の為に不掲載としています、申し訳御座いません。


地図リンク
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REPORT - RR05│釈迦堂

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6Frogs Photograph Blog-栃木 日光 東照宮 釈迦堂


栃木県│釈迦堂


デザインリニューアルに伴い、2010年08月20日にエントリーした内容を再掲載しました。


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大好きな日光・霧降、20代には本当に良く通った。日本一週の旅の最中には奥日光で働いた程だ、そんな日光で東照宮などの有名な観光スポットに影を潜める素敵な場所が在る。


釈迦堂」だ。


田母沢御用邸記念公園の目の前に在りながら中々行く事も無かったのだけど苔の生し具合も最高で写真栄えする、小さな敷地に沢山の歴史を詰め込んだ釈迦堂を知って欲しい。


6Frogs Photograph Blog-栃木 日光 東照宮 釈迦堂


同敷地内には徳川初代将軍家康・二代将軍秀忠を支えた家臣19名三代将軍家光の死に関して殉死したとされる側近5名の墓碑、言うなれば徳川譜代家臣の墓が鎮座する。


歴史を語ると長くなるので省略するのだけど朱塗りの釈迦堂がそんな小難しい事を抜きにして静かな安息の時間を提供してくれる、興味の在る方は調べてみるのもいい。


6Frogs Photograph Blog-栃木 日光 東照宮 釈迦堂


歴史と言うか時間を感じさせてくれる、行くなら夏がオススメ。東照宮の裏手に在ってその存在を知る者は多くは無い、だけどマイナーでもなくて微妙な立ち居地なのだけども行って損はない素敵な場所なのです。


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再訪しました、その時に何枚か以前撮り忘れたアングルが在ったので掲載しておきます。


栃木 日光 東照宮 釈迦堂

栃木 日光 東照宮 釈迦堂


アプローチ

田母沢御用邸記念公園の目の前です。


地図リンク

http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.75365249188458&lon=139.59007830448832&z=18&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.719905335699&hlon=139.69827861615&layout=&ei=utf-8&p =


photograph - nee


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REPORT - 0817│足尾銅山 本山鉱山神社

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廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


栃木県 │ 本山鉱山神社(杉菜畑鉱山神社)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 本山鉱山神社(杉菜畑鉱山神社)


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


足尾銅山地域で最古の山神社として知られている足尾銅山関連遺構の一つ、「本山鉱山神社」を今回ご紹介しようと思う。この神社、来訪した人は数多く居るけれども何故か途中で道を見失う方が多い。まあコレには理由があって別におっかない事は何一つないのだけれど、そんな些細な事を気にしない廃墟好きさんでも足尾銅山に残る沢山の遺構には足を運んでもこの神社には中々焦点を当てない様でして。


個人的にはロケーションも良いし何より雰囲気が在るし、調べれば色々とエピソードに事欠かない神社でもあるのでレポートとしてまとめてみた。


photograph:koichiro


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本山鉱山神社として広く知られているけれど正式名称は「杉菜畑鉱山神社」と言う、これ以外と知られて無いのだけれど余りに通称が認知されてしまったのでこのエントリーでも”本山鉱山神社”と言う通称名で話を進めていこう。


で、この本山鉱山神社。冒頭でも書いたけれど足尾銅山を擁する足尾地域において最古の神社(山神社)です。


1889年に当時の坑長(古河鉱業所長)木村長七が中心と成り、本山抗口眼前の山に鉱山夫の安全と企業繁栄を祈願して神社を建立。本山で就労していた坑夫からの寄進も併付して”有木抗夫宿舎(杉菜畑職員住宅)”の上部に位置する形で置かれました、建立から暫くはこの神社を中心に銅山の繁栄を願って山神祭が行われましたが銅山に関する諸問題(※1)と主要エネルギーの転換期(※2)を迎えて祭事も行われなく成りました。


※1 足尾銅山鉱毒事件を中心として公害問題の事、実は現在でもその被害問題は続いている。
※2 俗に言われる「エネルギー革命」意向の産業形態の変化


ウィキペディア - 足尾鉱毒事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6


ウィキペディア - エネルギー革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


最初の石段を登って見えるのは”一の鳥居”、この神社には合計2本の鳥居3箇所の灯篭門(最初の灯篭門は崩壊して殆ど消滅)が残されています。


そうそう、勘違いしている方が本当に多いけれど正確に言えば足尾地域最古の”神社”では無いのですよ。足尾地域では他にもっと古い神社が幾つか存在します、この神社は”足尾銅山地域”で最古の神社なのです。でも良く目にしますよね、”足尾地域で最古の山神社”ってフレーズ。


そう、”山神社”では確かに最古なのですわ。


山神社とは銅山や鉱山の関連諸事にて建立された神社の事、つまり祈願の内容は通常の神社と変わりなくとも山産業に関係して置かれた神様の社(やしろ)に関しては「山神社」と呼称しているのです。なので足尾銅山地域は元より”足尾地域”においても最古の”山神社”として有名なのです。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


有木抗夫宿舎だった頃の形跡が参道の両脇(特に右側)に多く残されています、宿舎跡は残念ながら木造だった為に殆どが崩落して消滅したけれどポンプや電装の処理の為に置かれていたコンクリート製の建造物はまだその名残を見る事が出来たりします。


一の鳥居付近には共同浴場跡(本山共同風呂)が残されていますが参道の石段を登るにつれて住宅跡が、この形跡は中腹まで続いています。この辺の歴史に関しては太田貞祐著「続足尾銅山の社会史」に多くの実話と共に記録が残されています。


photograph:koichiro


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


参道では一際目立つこの廃墟、宿舎の管理棟でしたが現在はこの様な姿。2005年位まではどうには建造物の姿を残していた様です、そしてこの場所で皆さん道を外されていきます。


簡単にその理由を説明して行きましょう。


まず位置関係、この神社は精錬所手前の舟石林道沿いに在ります。ご存知の古河橋や鉄架空索道などを潜り、左手に選鉱所、医局、火力発電所、小学校、プール、スケート場跡地を越えると神社に関する看板が新設されて来訪者を迎えてくれる…のですが。


そう、場所自体は特に問題なく判明する。因みに航空写真でも鳥居から真っ直ぐ登った山間部中腹にその姿を捉える事が出来る。それなのに、何故迷う方が多いのか。


photograph:koichiro
廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社

現在地の管理棟の倒壊場所から多少道が不鮮明だが真っ直ぐ(延びている様に)見える筈だ、しかしコレが落とし穴。この場所から直線に延びる道は過去現在を通して開かれた事は1度も無い、つまり道では無いのだ。ただ自然の造形が直線の1本道に見えるだけで作業道が多少左側に折れて残ってはいる物の既に薮の中、冬季においてもその正確な辿りは確認出来ない。


ではどの様な道が造成されていたのかを見ていこう。
廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社

実はこう成っていた、現在地から大きく左側を迂回する様グラウンド跡を経由して更に回り込む。現在地の道を潜る様に見える太い線は生活用造成河川(生活用水路)、現在は枯渇しているけれど道ではない。


当時はこの場所から子持沢へ抜ける生活道路が在ったとの情報も在るかが公式資料に道の造成記録が無い、等高線を見るとちょっとした集中区域で崖だけれど地元の人ならサクっと歩けたのかもなぁ。
廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社

現在の地図はこの様に描かれている、既に道は描かれていないので廃道化って事で認識しても良さそうだ。廃墟さんは神社で引き返すけれど廃道さんにはまだ楽しみが在りまして、これ資料が無いから正確には書けないのだけれど神社裏から製錬所を迂回してズリ山の方へ抜ける”抗夫用”の抜け道が在るのだとか。残念ながら現地でそれっぽい踏み跡を探し当てる事は出来なかった、もう見付けられないのかなぁ。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


倒壊した管理棟前の折れ込んだ道上に灯篭跡が残されていた、これが3箇所在る内の最初の灯篭(だった物)でここから石階段を登る毎に異なる灯篭が姿を現す。


先程説明した生活用水路を越える橋が在ったのだけれど現在は完全崩落し、残るはその脇を通る用水管跡だけだ。まあコレのお陰で砂防ダムへ迂回しなくても渡れるのだけれど。


2006年までは踏板が残っていて渡れた様だ、ネット上でも写真も確認した。その後2007年の姿では中程の板が抜け落ち、2009年では骨組みだけと成っている。正確には解らないけれど2010年には現在の様な完全な崩落を迎えたのでは無いかと思う、アチコチのレポートを見ると恐らくその辺りの時期かと。


photograph:+10


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


2箇所目の灯篭門、参道は荒れまくっているがそれがまた良い雰囲気。興味の無い方には全くと蛇足な話だけれど灯篭って国内の神社や岬に残っている物で約30型120種類(近代創作種を除く)もの形が確認されている、構成はどれも5段式6段式。それぞれに石材種火袋の種類で凡その形を分けるのだけれどこの本山鉱山神社は6段式。


神社仏閣においてはその殆どが「春日型」で”宝珠”、”笠”、”火袋”、”受鉢(中台)”、”竿(柱)”、”地輪(基礎)”の6つのパーツで構成されています。


灯篭 - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AF%E7%B1%A0


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


話を戻して地図で言う所のグランド入口部分、左端に成ると思う。ここに3箇所目と成る灯篭門賽銭箱が残されていた、建立当時はここにも小さな社が在った様だが現在その姿を確認する事は出来ない。


右手には有名な石造ローラーが今でも残っている、グランド跡とは成っているけれどその形跡は全くと確認出来ない。明るい町編集部著「町民がつづる足尾の百年/第2部・銅山に生きた人々の歴史」にはこのグランドでの利用模様がしるされている、当時は野球などの球技の練習に使用され、子供のちょっとした遊び場でも在った様だ。下方の住宅側には低いバックネットを越えて何度もボールが落ちてしまい、拾い上げるまで往復で20分近く掛かったエピソードなどが掲載されている。


因みにローラーの他にもフェンス(バックネット)の骨組みが残されていた様だが近年に成って朽ちてしまい現在は確認出来ない。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


最後の石段、これがまた凄い薮ってる。山での薮漕ぎは慣れているけれど廃物件でのブッシュはまた何と言うか、気持ちの作り方が違うと言いますか。まあ出来れば避けたいっちゃー避けたい。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


奉納碑、やはり「山神社」と書かれている。ところでこの神社建立には当時で「3279円53銭」と言う金額が運用されたと言う。現在(2014年)との貨幣価値の差は約7000倍、だとすると


22960000円…


ええぇぇえええっ、2300万も掛けて造ったんかいなー。しかしこの金額が高いか安いか、ちょっと換算してみましょうか。現在同様の規模を建立すると成ると土地代を除外して檀家さんや氏子さんを抗夫(現代の工場作業員)に置き換えて…えっと物価やら資材費、人件費をほにゃほにゃすると


恐らく1億6千万位…だと思う、多分よ。うーん、結構掛かるなぁ…。


これ、坑夫からの寄進も併付って資料に在るけれど1体どれだけ徴収したんだろうか。それでも貨幣価値を同等に計算しても建立費は7分の1か…。


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廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


セルセタの花(※3)が見付かりそうな参道を歩き続け到着した本山鉱山神社最後の鳥居二の鳥居だ。同様に3箇所目の灯篭門でも在るこの場所を抜けると拝殿本殿が見える筈だ、いやぁ凄い所に在るですよ。


因みに拝殿と本殿を理解していない人が良く”依り代の場”が拝殿に在ると勘違いしている、って言うより拝殿と本殿の違いを良く解っていない方が多いので簡単に説明しておこう。


神社仏閣において参拝者が最初に見る社は”拝殿”だ、拝殿は大きくて人が沢山入る事が出来る様に造られていてつまりは参拝者用社殿。その奥に祭られている神様が居る(依り代と成る木造や石造など)場所が本殿だ、本殿は神様用の神殿なので必要以上な大きさは無くて凡そ拝殿より小さい。


なので拝殿には入っても良いけれど本殿には神主さんの許可や氏子さんでなければ易々と入る事はさけた方が良い、本山鉱山神社は廃神社では在るけれどいまだ神様は鎮座されていると地元の人間は考えていて日光市でもこの社殿の保存に関しては検討中だったりする。


※3 ロダの実とセットで何かの病気を治す薬が出来るんですよ


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


お初にお目に掛かります、こんな夕暮れ時に少々失礼させて頂きますよ。


やって参りました、本山鉱山神社さんです。この社殿は先程の説明の中で在った”拝殿”に辺り、運営当時は多くの人がこの拝殿にあがった用です。現在は施錠されて中を確認する事は出来ません、しかしなんと立派な事か。


日光市は近年に成って足尾銅山遺構を産業遺産(足尾銅山近代化産業遺産)として保存して行こうと色々と計画を練っておりまして、行く行くは世界遺産だとか息巻いておりますがまあそれは別のお話。で、この本山鉱山神社もその保存対象として名を連ねています。余談ですが別途行政として市有形文化財に指定してされてたりします。


いや、綺麗にして頂ければさぞ神様をお喜び成る事でしょうなぁ。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


さて、折角ここまで来たのだから本殿を拝見しなくては意味が御座りませぬ。拝殿の脇を抜けると崩れた手洗い場が見えます、そして眼前には最後の石段。これを登ればお目当ての本殿で在ります、うひょー。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


あふぅ。


これは本物の匂ひがしますね(何が)。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


本山鉱山神社、正式名称「杉菜畑鉱山神社」の本殿で御座いまする。かっけー、そして何より美しいであります。


この神社に祀られている神様は「大山祗命」、「金山彦命」、「金山姫命」の御3神。大山祗命は言わずと知れた山の神様、実は当ブログでも房総の廃神社に祀られている「大山祗命」を追いかけている。


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


大山祗命 - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%9F


金山彦命、金山姫命は鉱山の神様、祀られている神様が山の神様と鉱山の神様ってそりゃ鉄板も鉄板のド鉄板。


金山彦命 - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E7%A5%9E


本殿は倒壊の恐れが年々増していて現在は日光市の足尾銅山近代化産業遺産計画の方達によって補強工事などが計画されている、現在は簡易では在るけれどラッシングとストランドワイヤーで牽引補強して現状維持。今後近い内に、出来れば早い段階で工事が施工されればこの本殿も暫くは安泰だろう。ただこの神社の素晴らしい点の一つとして「宮大工」が挙げられる、これも知らない方が多いので記載するけれどこの本山鉱山神社、釘が全くと使用されていない旧式建築。補強工事で「」が入らない事を切に願いたい所。鉄産業を見守る神様の社が鉄を使わない旧建築とは何とも皮肉なモノですねぇ。


因みに本殿の造り形式は「流造」、何故か昔から人気の高い造り種の様で国内の神社では一番メジャーな形式に成っていたりする。


さて、小難しい開設を織り交ぜながらこの本山鉱山神社をご紹介してきましたがそろそろ主たるネタは切れて参りました。出典を借りればまだまだ書ききれないエピソードが在りますが一先ずはこの辺で、今までより少しだけこの神社を知って頂けたと思います。


最後に当時のこの職員住宅群と神社の位置関係が良く解る写真を一枚掲載して終わりにしましょう。


photograph:koichiro


廃墟 神社 足尾銅山 廃道 本山鉱山神社


写真提供:日光市/足尾銅山近代化産業遺産


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アプローチ

足尾銅山の本山へ向かう県道250号線を本山まで辿る、本山手前のT字路を左折して暫く走ると右側に本山鉱山神社のアナウンスボードが見える。


地図リンク

http://goo.gl/maps/dNkbT


photograph - nee


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REPORT - 0818│加蘇鉱山

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栃木県│加蘇鉱山


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 加蘇鉱山(加蘇第一抗口/加蘇鉱山本抗)


以前より興味が在った石裂集落、その机上調査過程でチラチラと目に入る鉱山物件が在った。その鉱山はどうやら石裂集落への道すがら立ち寄る事が出来る場所に在ってしかも素敵な地下鉱山の姿を魅せてくれるのだとか、うーん気に成りまっ。


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


更に調査を進めると第一抗口(大切坑)より規模は劣るものの川を挟んだ対岸には2つの抗口(第二抗口(第二鉱床・水抜抗)/第三鉱床抗口)まで在るっちゅーじゃないですか、こりゃー滾り(?)ますよー。


※ 第一抗口(大切坑)と同じ斜面にも3つ程の小さな抗口が在りましたが現在埋没しています


他にも少し離れた場所に通道坑(鉱山大通道坑)が在りました、此方に関しては一番最後に別途説明しようかと。まずは今回の物件を楽しめる「第一抗口(大切坑)」からレポートを始めましょう。


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石屋(鉱物が大好b…)にゃ有名なこの物件、お邪魔したのは石裂集落への一本道と成る県道240号線沿いに残る「加蘇鉱山」です。中でも一番規模が大きな「加蘇第一抗口(以下”大切坑”と呼称)」へ、アタシら確かに穴屋(ケイビング)もやるけれど坑道って余り好き好んで入らんですなぁ。まぁ物は試しや、どないなモンか検めさせて頂きましょか。


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


※ 穴屋はこんな場所が好きなんです
廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞
鹿沼市街を裂く国道121号線、そこから細く長い県道240号線と言う古民家が多い枝に折れる。その間々進めば石裂集落なのだけれど今回は少々手前の上久我(馬返)地区で車をデポ、車を停めた県道沿いから目線を上げれば既に見えているでは在りませんか。


そう、県道から注意して目を凝らせばコンクリート製の建造物が見付かるのですよ。


ストリートビューでもバキっと見付ける事が出来ます、まずは目印と成る「鉱山大通道坑」さんから。車で走ってると意外と通り過ぎるので注意、そして小さい。


http://goo.gl/maps/2v12a


コンクリート製の建造物が山中から見え隠れしてますねぇ、まあこうして県道から発見出来るのは10月~5月迄で夏季とも成れば盛緑に阻まれて中々と判別出来ないのです。


http://goo.gl/maps/t4vt9
廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞
この物件は行政の公開資料にも掲載されているし石屋さんの間では本当に有名物件でネットをりょっとウロウロすれば石レポートがワンサカと出てくる、この地域の鉱床調査レポート※1)がPDFで落ちていたのでリンクしておこう。


独立行政法人産業技術総合研究所 - 栃木県鹿沼地方マンガン鉱床調査報告
https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/05-04_02.pdf


※1 報告書の製作が古く、調査は1953年に行われた内容です
廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞
この加蘇鉱山、付近には色々と残置遺構が在って来訪者を楽しませてくれる。今回は少しづつその魅力をお伝え出来ればと考えています。


因みにこの鉱山、発見はエラク古いと聞いておりますが明治後期からちょいちょいと名前が出てきます。大正初期から本格的な採掘が開始され、最盛期の1916年~1917年には良質な二酸化マンガン鉱を月産100~300トンも産出していたとか。この量は当時の日本一を誇り、また質がとても良かった事で産業的に躍進した時期でも在ったのです。


しかし戦後に成って急速に産出量が減少(自然備蓄量が限界に達した)して閉山、肝心の閉山時期はハッキリとしないけれど戦後10年の内にはその役目を終えたとも。


ここで採取出来た主要な鉱物はロードナイト(通称・バラ輝石)、ガーネット(マンガン柘榴石)など。隣接する高平鉱山でも似た様な鉱物が採取出来たと記録に残されているがやはり質はコチラが良かった様だ。


さて、それでは調査に入りましょうか。
廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞 まずはご立派なコンクリート製の遺構から覗いてみましょ、外観的には一番目立つしこの鉱山のランドマークでも在る訳で。


この施設は選鉱場貯鉱所(ホッパー)、少し離れた場所に鉱山軌道用の台貫(トロッコスケース)が上から順に設置されている。


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


斜面を駆け上がると最初に迎えてくれる選鉱場と貯鉱所、下方の貯鉱所は鉱山軌道用のホッパーが併設されていて既に剥がされてしまった軌道レールの道が台貫へと延びていた。


手前のコンクリートで嵩上げされた場所は積み込みを待つトロッコ用荷台が並べられていた。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


冬季ならまだしも夏季だと幾ら県道沿いから近いとは言えちょっと見つけられないなぁ、それに羽虫とか蜂とか凄いもの…夏の来訪はオススメ出来ませんです。


初夏だと言うのにホッパーは既に緑に覆われてしまい写真では確認出来ませんですねぇ、一段上の貯鉱所には鉱物を破砕して品質をチェックする部屋も在りました。選鉱場から流れて来た鉱物を更に手作業でチェックするなんて、まあ日本人っぽいっちゃーぽいですわ。


photograph:+10
廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞
選鉱場から貯鉱所を経てホッパーからトロッコの荷台へ、出荷作業は鉱山軌道へその場を移します。ホッパー側の山中斜面(恐らくガリー)を迂回してトロッコレールは台貫へ。


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


ホッパーからスタートするトロッコレール跡、グルっと迂回して下方の台貫へ向かっています。ここで荷台に載せられた鉱物とその重さをチェックして必要書類に記載、チェックした内容の写しをトロッコへ残して本書類は台貫のポストへ投函すると言う簡素なシステムが採用されていました。


皆さんこの台貫をトイレだとか詰め所だとか色々と不思議に思われている様で、レールも無いしまさかトロッコスケールだとは思いもしない筈だ。


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廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


出荷口の跡地を後にして貯鉱所脇の石階段を登って行きます、途中鉱物を破砕して品質をチェックする部屋も在りましたが現在は何も残されている訳も無く。ささっと倒木を越えて選鉱場を過ぎるとお目当ての「」が見えてきました。


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photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


大切坑です、2014年に大規模な土砂崩れが周辺を襲って入口周辺にも堆積した土砂や倒木が。まあそれでも人が入る分にはどうにか成る状態、いや良かった。折角来たんだから入りたいもの、坑道ってにも初めてだしねぇ。


因みにこの「大切坑」、元々はもっと大きな抗口で放水時には全開放しておりました。通常稼動時は勿論人道口(写真の様な状態)として運用、それにしても放水時って何…?って思う方、そう、大切坑ってのは坑内排水を目的とした坑道なのです。しかし最盛期にはこの大切坑も「本抗口」として使用され、閉山期には本来の放水としての役目は果たせていませんでした(※2)。


※2 行政から提供された非公開資料の内容です、詳細を記載しない約束で説明しております。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


おじゃまー。


支柱がもう腐っちゃって腐っちゃって、どげんするとー。入口から数十メートルはコンクリートで壁面工事がされているけれどそこから先はこんな感じ、これは本来ずっと素掘り抗道だったものが鉱山の最盛期以降の後期に成って安全面での基準が明確化、その為に遅過ぎる壁面整成工事を行ったと言う訳。まあそもそもは排水路だったのだから当然か、人が通る事をメインで考えるならやはり安全対策は必要ですよねぇ。


途中坑道内の鉱山軌道の入れ替え場所が、写真左側にもう一部屋在るのだけれどそれが車両の保管や入れ替え場所(スイッチポイント)として機能(※3)していた。


※3 トロッコの荷台を洗う場所も併設されていたとの記述も在りますがハッキリしません。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


ここから迷路が始まる、入坑して最初の分岐地点。簡単に説明すると


右側(軌道抗):中後期:斜坑/地下にホッパー施設が在ったが埋没して閉塞
中央(人道抗):最古期:斜坑+縦立抗/現在は埋没して閉塞、枝穴の数は未確認
左側(軌道抗):最盛期:本抗/素晴らしい程に上下左右に枝が伸びる迷宮坑道(今回の調査物件)


と、こんな感じ。まずはメインと成る本抗に入るとしましょうか。


※ 坑道表を入手中です、鉱山研究のNPO団体が所有しておりました。公開まで少々お待ちを。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


ハッキリとした鉱山軌道が確認出来るのは本抗最初のT字路まで、そこからは埋没したりまた現れたり。たまに水没してたり完全に朽ちていたり、途中再度ハッキリする場所も在るけれど湿度の所為かな…奥に行く程その状態は悪く成っていった。


最初のT字路で左側に曲がる、後程戻って右側に行くのだけれどお目当ての斜坑はその先に。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


古い採掘口が在った縦抗、1970年以前の地殻変動水没。稼動当時は水位がもっと低かったと記録にある、その当時にあって時々水没する事が在った様だけれど現在の様に完全に水没は無かったろう。


この縦抗、水没以前は更に先の縦抗と地下で繋がっていてやはりと言うか…向こう側の縦抗も同様に水没している。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


水没坑道、ここは縦抗だった訳ではなくて隣の縦抗崩落と共に陥没してしまった場所。水没した先程の縦抗とも枝で繋がっている、坑道自体はこの先で左右2方向に別れる。


その2つの坑道も人道掘削道としてそれぞれ5方向位に分かれているけれど時代毎に掘削坑道が異なるので正確な枝の数は恐らく行政資料でも把握しきれていない、この鉱山ってば実はとても広いのですわ。途中数本の竪坑も確認出来るが昇降具が無いので外気の取り入れ口だったのかも。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


一番最初のT字路まで戻り、ここから複雑に枝分かれした坑道を一つづつ確認。幾つかのホッパー跡、縦抗(閉塞、埋没、水没)を確認。閉塞抗の上部に立抗も在ったが崩落が心配され、少し進んで戻る事が2度程在った。


それぞれを細かく説明するととても長いエントリーに成るのでメインの斜坑に移動しよう。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


立体的な抗口が魅力なこの縦抗、と言うか斜坑。これを見にこの加蘇鉱山へ来た様なものだ、足場がすこぶる悪いがとても面白い構造で向こう側に回り込んだり覗き込んだり撮影場所を色々と思案。


この斜坑には水没した下部終着部分斜坑用トロッコが残されている、上部にはテンショナーと中間プーリー、動力元のシャフトに設置されている主軸用プーリーがそれぞれライトの光で確認出来た。と、言っても鉱山の知識には疎い者ばかりで基本構造的な要点しか判別は出来ないのが何とも悔しい。


色々と残置物が在るのだけれどその設置理由や使用方法は…うん、御免なさい。解りませんです。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


どひゃー、結構高いんじゃないれすかー。


つっても斜坑、ロープを引っ張り出せば降れない難易度じゃない。んだども車まで戻ってロープ持って来るのも手間だしこの場所で使用したら多分廃棄だろうなぁ、ってか水没抗口でしょココ。降りてもどの道水没してるのだったら降る意味も無いや、以上言い訳よ。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


中間プーリーが見えますねぇ、それと気成るのは木製の梯子。触れただけで取れるんですよ、足場がポロっとね。


そしてこの斜坑、驚く事に別の地下坑道と繋がっておりまして。勿論水没しているけれどココからしか行けない人道掘削抗が2本程延びている筈なのですわ、流石に確認出来ませんが。


それにしても坑道内に足跡が多い事、どれだけ人が入ってるのかって言うね。これ以外と大切な事だけれど単純な分岐を繰り返す坑道でも一歩間違えると迷子に成りますですよ、穴屋はこう言う時にマーキングカードなるアイテムを使用しますが坑道の場合は記録に坑道図が残されている場合も多いと聞きます。


もし坑道に入る場合は複数で経由ポイントの確認を行う坑道図を持参して入坑して欲しいです、単独潜入とか以ての外。勿論この坑道も然り、意外と規模の大きな鉱山ですよ。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


さて、帰ります。最初の3方向分岐の場所まで戻って中央の閉塞坑道を少々調査、特に記載する様な物もなくて終了。最後に埋没斜坑へちょっとだけお邪魔します。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞

廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


この斜坑は地下に採掘用の小ホールが在りまして、また坑道外へ通じる通道坑と連結する枝も在ります。本来レールはその通道坑へ繋がっている筈なんだけど…土砂っててちょいと判別出来ませんでした。

斜坑入口にはプーリー(巻上げ滑車)も残されています。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


下から一枚、更に降ると埋没の為に閉塞している坑道と水没している坑道、それと縦抗とは別に竪坑も残されていました。記録に無い坑道も在りますが中期に埋められてしまった坑道も在るのでこちらもその正確な枝や坑道数を確認する事は適いませんでした。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


急ぎ足で廻った加蘇鉱山の地下坑道、閉塞や水没が多くて予定していた3時間を大幅に下回る1時間半で帰路に。入口付近の支柱崩落箇所を抜ければ近代壁面工事が施された坑道が目に入ります、ああ…もう終わりかぁ。


若干の物足りなさを感じながら大切坑を後にしました、だけれど外に出るとやっぱり安心しますわ。これはケイビングの時にも毎回思うのだけれど遊んでる最中は穴にずっと居たいなぁと、だけれど外に出ると何故か妙な安心感が身体を包むんですよねぇ。


photograph:koichiro


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


選鉱場の屋上部分、早く出て来たからと言って山中の斜面を駆け上がる様な事はしない。発見出来るかハッキリしない複数の抗口やズリ山なんてコレっぱかしの興味もねぇですよ、あたしゃ早くビールが呑みたいのっ。


photograph:koichiro
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未踏区間が多く残った物件では在りましたが通常の石屋さんや鉱山好きさんよりは歩いたかなぁと、もしこれから入坑しようと思う奇特な方が居るならば最低でもゴムウェーダーが無いと水没区間はどうにも成りません。出来ればドライスーツ素材のウェーダー、贅沢を言えばドライスーツでしょうか。ただ水没区間の”水”が意外と問題でどんな有害成分が含有しているか解らないって事は肝に銘じておいて下さい、鉱毒問題ってのは公表されていない鉱山や採掘現場が多数存在します(特に古い鉱山)。


僕らは…うーんもう一度位入っても良いかなぁ程度、面白くは在ったけれどどちらかと言えば正統派な穴屋の遊びがしたいのです。鍾乳洞って素敵なのよねぇ…、年内にはPCC(パイオニアケイビングクラブ)の一員としても何かエントリー出来ると思いますよ。
廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞 ふいー、ちょっと疲れましたな。最後に道路沿いに目立つ鉱山遺構「加蘇鉱山大通洞」を改めて見に行きますか。


廃墟 遺構 加蘇鉱山 抗口 洞窟 鍾乳洞


入坑した大切坑とは随分と雰囲気が違う加蘇鉱山大通洞、所謂「通洞坑」ってヤツでして坑口から水平に掘られた主要な運搬坑道の事。最後の斜坑の先とココが繋がっているって解ると上部の大切坑から随分と高度を下げているのが良く解る、水没しているけれど勿論鉱山軌道のトロッコレールが残っている筈だ。

この加蘇鉱山大通洞の脇には稼動当時トラックの積み下ろし場所が在った様だけれど県道整備の工事で現在はその姿は消滅している、っとそろそろ〆に入る訳ですが。


この鉱山の魅力を伝えるにはちょっとコンテンツの調査不足は否めないなぁ…いや言い訳させて頂戴、ホント資料が少なくてね。行政の記録も非公開資料だしNPO団体さんも一生懸命当時の記録を探してくれてはいるのだけれど。古い鉱山ってレポート書くのが本当に難しいですわ、はいまた言い訳ね。


photograph:+10


本日は以上です、坑道レポートなんて2度と書くかぁー。


アプローチ
鹿沼からだと国道121号線から県道へ。県道は14号線と240号線をハシゴして上久我方面へ、石裂集落までは国道から30分程。


地図リンク
http://goo.gl/maps/mkzv1


photograph - nee


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REPORT - 0201│鹿沼市石裂集落

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6Frogs Photograph Blog-鹿沼 加蘇路 上久我 石裂 廃村


廃墟 廃村 集落 石裂 加蘇路


栃木県│鹿沼市石裂集落


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 加蘇路地区 - 鹿沼市石裂集落


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気に成っていたこの集落の歴史を調査しました、過疎集落では在るけれどそこには歴史の生き証人が生活を続ける日本の良き”田舎風景”が残っていました。上記バナーから追加更新分の下方へ移動します。


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前回と今回は栃木県鹿沼市の加蘇路地区のエントリー、石が裂けると書いて石裂(おざく)と読む集落へ行った時の模様をお伝えします。


前回のエントリーは以下のリンクよりどうぞ。


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廃村が気に成り出してから全国の過疎集落や限界集落を調べたり実際に訪れたりする事が増えたのだけど中々滋賀県の霊仙地区を越える物件には出逢えない、まあそれは規模だったりバックストーリーだったり歴史だったり沢山の要素が物件の色を作り出すから一概には言えないのだけれど。


で、この石裂地区。規模は小さいながら歴史を辿ろうとすると一筋縄ではいかない、そしてこれがとても面白い。長い歴史の在る集落はその筋の人達には必ず注目されて沢山のソースがウェブ上に転がるのだけどこの石裂地区に関しては本当に出て来ない、その殆どが登山(石裂山)に関する情報ばかりだ。


まずは現地で見た物をまとめよう。


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石裂地区の終点地点手前、ここで左側が登山道入口、右側が川沿い住宅の私道と更に置くに進む道へと分かれる。この赤い屋根のお宅は見事な屋敷で現在も人が在住、この地区には廃屋も沢山在るのだけど意外と最近の建造物も在って一見すると過疎化してるのかどうかが判別し辛い地域でもある。


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中を覗くと手入れをされた小さな日本家屋庭園が在った。


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この地区を語る上で見逃せないのがこの加蘇山神社、実は創立年代が判別出来ない程古い、と言っても兵火で記録が焼失してしまい、詳細が不明との事。しかし現在解っているだけの記録によれば「陽成天皇の元慶二年九月一六日下野国加蘇山神に従五位下を賜う」と在る、878年にはそれなりの神社としての認知度が在った事が解る。一説によるとその数百年以上前から神社が在ったのではないかとの事、今後の追加調査の課題だ。


この加蘇山神社が鎮座する石裂山、現在では熱心な登山家で賑わう。意外と登山者を選ぶテクニカルコースらしいが今回は登らなかった、山男としても気に成る山に成りそうだ。加蘇山神社の資料がウェブ上に転がってたので転載しておく、因みにこの神社に関しても調査と同じく沢山の写真を今後取に行く予定だ。


加蘇山神社全国神社名鑑由緒

再三の兵火によって記録が焼失のため創立年代不詳。光仁天皇の時代に勝道上人の開山によるものといわれている。また三代実録によれば陽成天皇の元慶二年九月一六日下野国加蘇山神に従五位下を賜うとあり、五穀豊穣を祈念し、農業の祖神を祭る神社として由緒の正しさがしのばれる。境内は周囲二里余、樹齢千年余の檜・杉等五本(神代木という)があり、森厳な神域にふさわしい。なお永承年中源頼義奥州征討の時鎧太刀等奉納。天文年間皆川山城主が神馬・太刀を奉納祈願。江戸時代は日光御入山の際、一品親王宮の御直持として守護せられた。旧県社。


栃木県神社誌由緒

創立年号は、詳細にはわからないが第四九代光仁天皇の御代に、勝道上人が開山したといわれ、磐裂命、根裂命、武甕槌命の火の神の御分身の三柱を奉り、五穀豊穣を祈念して、農業の祖神を祭ってある神社という。境内は周囲二里余りあって、老樹が繁茂して、古檜、古杉及び桂木など千有余年を経過したものが多く天然記念指定になっている。なお、昔から武勇の神様としても崇拝され、永承年中に、源頼義奥州征伐の折り、鎧太刀などを奉納し戦勝を祈念したといういい伝えもある。


社名:加蘇山神社(かそやまじんじゃ)
祭神:磐裂命 根裂命 武甕槌男命
鎮座:栃木県鹿沼市上久我3440


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川沿いには沢山の廃屋が在った、この日は幸運にも現地の人がちらほらと居たのだけど余りに高齢の方で詳しく話を伺う事適わず。神社の社務所からおよそ3キロの場所で蕎麦屋を経営されているご主人にお話を聞きたかったがこちらは運悪く営業時間外、評判の蕎麦屋さんなので次回は是非。


石裂山神水そば うえ田”
http://www.tochinavi.net/spot/home/?id=4371


実はこの地域に関してはもう少し調べが付いているのだけど詳細は次回の調査後に合わせてお伝えしようと思います、大河ドラマや映画のロケ地でも好評な地域なのでTVや映画関係者さんなんかは詳しいのかもしれませんね。


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中々と来訪する機会に恵まれなかったこの石裂集落、霧降の滝アタックで栃木を訪れた際に時間が取れたので本当に久し振りに来る事が出来た。調査中物件としては約4年間もホッタラカシ状態だったけれど机上調査はある程度進めてあって後は現地の方のお話を聞いて整合性を取るだけの段階まで来てはいたのだ。


この地域の特色と言えば廃屋が多い事、観光のメインは石裂山の登山で在る事、集会場と隣接する廃校(鹿沼市立石裂小学校跡)がランドマーク化している事位だろうか。もう一つ挙げる成らばこの僻地において有名なそば店で在る「石裂山神水そば うえ田」の存在、今回はそれに付け加えて付近の旧道などを調査した。


余りに歴史が長く、そして全てを語るには石裂山の存在や地元信仰の宗教遍歴なども視野に入れなくては成らないので今回は現在に至るまでの集落の簡単な歴史と現在残されている廃墟に関する情報などを中心にまとめた。更に興味が沸いた方は各々調べてみても良い、この地域は奥が深いんですわ。


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集落自体は記録では江戸時代には既に存在しており、集落の人間は山岳信仰をもってその結束を高めていた様だ。諸説在るが878年に加蘇山神社開社と在る。だけれども度重なる火災や戦火によって由来や記録は焼失、関連する賀蘇山神社と同時期に建立されたと言う一節から878年と言う数字が出てきてはいるけれど正確には判別不可能だ。


どちらにせよ何故この深い山中に神社を開いたのかはどの説にも語られてはいない、しかし神社が開かれると言う事はその地に人が集まっている事を同時に語ってもいる。記録は江戸時代までしか遡れないとしても実際はもっと古くから山岳信仰の民が居住していた筈だ。


今回の調査に当たりお話をお聞きしたのは集落に沿って流れる荒井川(釣漁管理)と神社の管理をされている方でこの地には1952年から住んでいると言う、この集落においては生き字引の様な方で聞けば何でも答えてくれる凄い方だった。


その方曰く


・1950年代に成って急に人が増えた
・神社付近だけで13軒の家が連なっていた
・長谷山弘宣寺(廃校よりやや鹿沼よりの寺)より下(の集落)は別の管理者が居た
・1980年代に入ってまた人が減ってしまった


廃校の追加エントリーでも書いたが産業の中心が都市に集中しだした事でどの山中集落でも人の流失が起こった事は想像に容易い、勿論この集落においてもだ。実際このお話を聞いた方の息子さん達は鹿沼市にて働いていると聞いた、こんな山中では仕事など無いのだと。


子供が減り、学校も廃校。僻地が故に神社の社務所にも常駐が居なくなって代わりに管理しているのがこの方なのだ、因みにこのエントリーの2枚目と3枚目の立派な屋敷だが2014年現在で居住者は居なくなっていた。聞くとこの屋敷は「加蘇山神社」の神主さんのご自宅だったらしく、しかし来訪者が居ない(減少した)事でその職を鹿沼市に移転。鹿沼市内の神社の神主として現在はその神社の近くに住んでいて此方は空家と成っている、その管理もされているので少々中を覗かせて貰ったが何とも綺麗に掃除されていた。


嫌な話に成るけれど度々泥棒の被害にも在っている様で川沿い奥の蔵に埋蔵して在った荷物も移動したそうだ、こんな場所にまで泥棒さんがねぇ…いやご苦労様です。


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廃校、神社、大きな屋敷とお話を聞き進めて最後にどうしても気に成っていた対岸の廃墟について聞いてみた。


川の向うのあの廃屋、随分と大きいですが
「ああ、アレね」


お寺か何かの跡ですか?蔵も在るようですが
「ああ、あの家は湯沢さんの家だよ」


湯沢さん?誰ですか。


鹿沼 加蘇路 上久我 石裂 廃村


この大きな屋敷、2階建ての木造建築で2棟と蔵が2棟。見えるだけでも300坪以上の敷地で門構えもとても立派だ、その持ち主は「湯沢さん」だと言う。何故名前を伏せずに実名で記載出来るのか、それはこの湯沢さんが「」の人だからだ。


photograph:koichiro


鹿沼 加蘇路 上久我 石裂 廃村


この屋敷の所有者の名前は「湯沢三千男」、元内務大臣だった人だ。


ウィキペディア - 湯沢三千男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B2%A2%E4%B8%89%E5%8D%83%E7%94%B7


東條内閣で二期目の内務大臣に就任、戦中から戦後の政治家として手腕を振るったが1963年に亡くなっている。家族は既に鹿沼を経由して別の場所へ引っ越されている様でこの土地は長い事放置されている、政治家として都市部に出向した時点で家族も引っ越しているので空家と成ったのは1950年代だ、つまり廃墟歴は眼前の廃校「鹿沼市立石裂小学校」より長い事に成る。


湯沢家は先に紹介した加蘇山神社との関係も在ったけれどその辺はちょっと複雑なんで割愛、いやぁやっぱり調べると面白い集落だなぁ。


鹿沼 加蘇路 上久我 石裂 廃村


立派な正門、湯沢三千男の生家なので少なくとも1888年には建っていた事に成る。明治時代で言えば中期だがデザインが明らかに江戸時代後期の流れを汲んでいる、湯沢家自体はこの地に数世代居住していたとされているので最初の建築年代はうっかりすると江戸時代かもしれないって言う…うへー、古そうに見える訳だ。


いや、実際100年以上の歴史が在る訳だから古いのよね。


鹿沼 加蘇路 上久我 石裂 廃村


2棟在る内の新しい建築の方が先に倒壊している、明治時代に数回増築改築を繰り返していた記録も在るのでどちらが強度的に問題が在ったかは判断しかねるけれどやはり日本の木造建築の素晴らしさは廃墟に成ってもその成果を継続し続けるのねぇ。


鹿沼 加蘇路 上久我 石裂 廃村


霊仙の廃村群を思い出した、中でも山中に取り残された「杉集落」や「保月集落」に似ている。冬季は雪深く、誰にも管理されない家屋の廃れていく過程。それもホントに最後の方の、そんな匂いと言うか雰囲気がこの廃屋からは感じられた。


photograph:koichiro


さてさて、これにて4年間も放置していた物件を一先ず〆る事が出来ただろう(と、思いたい)。いや、書ける事はまだまだ山の様に在るのだけれど多分そこまで面白いモノではない。個々の現住者の歴史とか山岳信仰の移り変わりとか、恐らくその手の地域民俗学に興味が無いとツマラナイ内容だ。


なのでこの集落に関してはこの辺で勘弁して欲しいと思う、で最後に。


ずっとね、気に成っていた「」が在るのですわ。


加蘇山神社前の橋を渡り、上久我林道に入ると暫くは舗装林道が続く。しかし地図上では数本の枝を残すものの道路は中断している。


上久我林道のスタート地点
http://goo.gl/maps/QIJc4


地図上で終焉を迎える地点

http://goo.gl/maps/kqXLU


しかし航空写真にすると道路はずっと続いているのです。


http://yahoo.jp/s6_R-w


この道、どうやら未成道と旧道が複合的に混ざった廃道(しかし交通は結構在るって言う矛盾した道)の様だ。途中幾つかの工事車両を見たがその工事車両も廃車の様な状態、地図から削除された廃道だけれど地元民は生活道路として今だ利用している様だ。


で、この廃道のゴールはココ。


https://maps.google.co.jp/maps?ll=36.624005,139.541146&spn=0.004159,0.00707&t=m&z=18&brcurrent=3,0x601f0fab31216311:0x3a9527b78262f652,1


やっぱり地図は無いけれどストリートビューでは青看も道もシッカリと確認出来る、それに休日ともなれば沢山のライダーが走るし渋滞を避けたい地元の方の抜け道にも成っている。ただこの道、運転に自信の無い方は絶対に通らないで下さい。それはどうしてか…


・車幅が非常に狭い
・相互通行が出来ない為に細いワインディングで長い距離バックを強いられる場面が在る
・ガードレールが殆どない(高所を走行しているのに)
・落石と土砂崩れ、道路の崩落箇所が結構在る
・ライダーが突っ込んでくる


以上の点から毎日運転している方、しかも車は軽かコンパクトカーの人限定って道です。デカ目のセダンや大きめの車は本当に通行は無理です、それでもって方は…うん、頑張って


あ、石裂集落から3キロ位先に例のそば屋が在ります。本当に凄い所で営業してます、旨いです。


石裂山神水そば うえ田”
http://www.tochinavi.net/spot/home/?id=4371


以上、石裂集落の追加レポートでした。ふう、あの道路は2度と通らんぞっ。


アプローチ
鹿沼からだと国道121号線から県道へ。県道は14号線と240号線をハシゴして上久我方面へ、石裂集落までは国道から30分~40分程。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.60129325801467&lon=139.60310940692517&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.588062321133&hlon=139.64821343372&layout=&ei=utf-8&p =


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REPORT - 0124│鹿沼市立石裂小学校跡

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廃墟 廃村 廃校 石裂小学校


栃木県│鹿沼市立石裂小学校跡


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月日の経過と共に風化した埋没歴史をちょっとだけ掘り起こしてみた、やっとこさで判明したこの学校の謎は行政も把握していない忘れ去られた事実だったのです。


追加調査内容のエントリーは上記バナーより、追加更新分へ移動します。


- - - - -


ちょっと前に霊仙廃集落群をご紹介した、内容は各々興味の在る集落のエントリーを参照して下さいまし。


これらの集落は国内でも稀に見る「廃村」としての色合いが非常に強く、限界集落、過疎集落としての貴重なモデルケースとしても取り扱われる事も少なくない。滋賀県霊仙地区は日本国内に置けるこの手の調査では欠かす事の出来ない地域と言える。


その中でも冬季限定で無人化する期間限定限定集落や数少ない住民で運営された通常の限界集落、その形態と非常に酷似した地域が栃木にも存在した。大まかな括りでは「加蘇路地区」と表現出来、今回紹介するのは栃木県鹿沼市上久我の「石裂(おざく)集落」だ。


この石裂集落は歴史も古く、地域に密着した産業や文化を大切にしてきた集落だ。現在の居住人数は少なく成りつつ在るが調査対象としてはとても興味深い。今回はその石裂集落の児童教育を支えた鹿沼市立石裂小学校をレポートしたい。


因みに奥に見える赤い屋根の物置小屋は現役当時は教室として使用されておりました、どの様に使用されていたかまでは判明していませんが仮説は在りますので最後尾にて少々記載しようと思います。


6Frogs Photograph Blog-加蘇路 石裂 集落 登山 神社


この鹿沼市立石裂小学校は廃墟さんや廃校さんにも余り知られておらず、素晴らしいロケーションが現在でも残されている。場所を特定してアナウンスするか考えたが地域文化や廃校のデータベースにはシッカリと記載されている場所なので当ブログでも普通に掲載する事にした。


データベースには廃校後に鹿沼市石裂寄栗地区集会施設として転用と在る、しかし現地の方にお話をお聞きした限りはもう何十年も使用されておらずに機能していない。と、言うより別の場所に集会所が新築されており、集まりはその建物で行っているそうだ。


入口は2箇所、此方は裏手にあたる。今回はこの裏手からお邪魔した。


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とても古い作りの校内、撮影後に自宅で詳細を調べた。するととても長い歴史を持った学校だった事が解った、創立はビックリの1873年(明治6年)。その頃は民家を仮校舎に充てた簡易的な学校だったが1902年に現在の校舎が完成した。


増改築を何度も経てこの校舎が残ったのだけどそれもいつ迄見れるのか、窓ガラスは年々割れて行き、知るだけでも3枚は新たに割れていた(訪問時)。


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ネット上で幾つかこの学校を取り上げているサイトやブログを目にした、運悪く近年に心霊にもさん知る物件と成った様だ。幾つかその形跡も垣間見れた、ホント勘弁して下さい。


自治体では夏季の間を中心に夜間の見回りをするそうだ。


6Frogs Photograph Blog-加蘇路 石裂 集落 登山 神社


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ちょっとニッチツ鉱山を思い出した、こんなロケーションが確かに在った。この鹿沼市立石裂小学校は近年の市町村統廃合とは関係なく、随分昔に廃校と成っている。簡単に歴史を振り返ろう。


栃木県の地域文化冊子によるとこの学校は意外と複雑な経緯を辿っている。


1873年 - 創立(当時は民家を仮校舎として運営)
1892年 - 久我尋常小学校石裂分校として運営
1894年 - 久我尋常高等小学校石裂分校と改名
1900年 - 石裂小学校として独立運営
1902年 - 校舎を新築
1912年 - 校舎の増築
1926年 - 校舎の増築
1941年 - 加蘇村石裂国民学校に改名
1947年 - 加蘇村立石裂小学校に改名
1954年 - 鹿沼市立石裂小学校に改名
1964年 - 鹿沼市立久我小学校と統合し廃校


この様に約90年間に及び、長い歴史を刻んだ。簡易的な流れを記載したがこの学校には地域と国の問題、そして戦争、過疎化と多くの問題を抱えた児童教育の場だった。深く調べるとその時代背景に翻弄された地域性が良く解る、それでも約90年間に渡ってこの地域の児童の教育を担った素晴らしい学校だったのだ。


この学校の卒業生に話を伺おうと考えると現在46歳以上の方でこの地域の出身者と成る、探すのは大変そうだ。


さて、冒頭でもちょっと離した赤い屋根の元教室として利用されていた建造物。ボロボロに見えるんですがこれ、実は本校舎より新しい建築物でして。それは記録にも残ってるので解る、そしてその建造が1950年前後だと言うのも複数の証言から明らかに成っている。


ところでこの小学校、一時期(約7年間)だけ中学校が併設されていた事は余り知られていない。その中学校の名を「鹿沼市立加蘇中学校石裂分校」と言う。しかしこの中学校の分校、現在の中学校(鹿沼市立加蘇中学校)に統合されるまでの所在などが明らかに成っていない。


行政の資料にも残されておらず、ちょっとした謎だったりするのです。当時は鹿沼市立加蘇中学校ではなくて「加蘇村立加蘇中学校」と言う名称、その分校が先程の「鹿沼市立加蘇中学校石裂分校」だ。この分校は1950年10月21日に校舎新設と資料に記載されているが…ん?ちょっと待てよ。


鹿沼市立加蘇中学校石裂分校の校舎が1950年に新設されて。

その後7年間だけの運用で統合先の中学校へ(1957年3月31日に閉校)。


あれ、鹿沼市立石裂小学校の赤い屋根の元教室として利用されていた建築予想時期って確か1950年前後って…。ああ、そうか。多分だけれど、恐らくは。


この同じ土地に小学校と中学校の両方が存在していたんだ、一応と思って中学校の方の現在のサイトを見ると「沿革」に資料と同じ年表が記載されていた。


鹿沼市立加蘇中学校 - 学校概要

http://www.school.kanuma.ed.jp/j-kaso/gaiyou.html


正式な資料や記録が行政に残されていない以上は確認のしようがないけれど、まあその内現地調査で聞き込みが出来れば確証が持てて良いのだけれどねぇ。うん、個人的にはこんな予想。


※ 他にも解体された建造物が過去に存在したとの情報もあり、あくまで予想と言う仮定の話です。


6Frogs Photograph Blog-加蘇路 石裂 集落 登山 神社


この学校、と言うよりこの石裂と言う集落は実に面白い歴史を見せてくれます。今後霊仙の様に何度かに分けて調べて行きたいと思える場所でした。次回のレポートではこの石裂集落を含む加蘇路地区を掘り下げてみようと思います。


本日は以上です。


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全くもってお久し振りです、長い事ご無沙汰してました石裂集落さん(集落の追跡調査で再訪した際に地元の方と寄りました)。いやぁ4年振りか、この集落に来るのも。今回は他の物件で栃木に来たもので兼ねてよりこの集落の調査を行いたいと思っていた身としては又と無い機会、来訪を決めてから事前調査も行い万全の体制で挑みます。それでは集落の顔でも在る「鹿沼市立石裂小学校」の追加調査をお伝え致しましょう。


加蘇 石裂 集落 神社 廃校 石裂小学校


前回は時間都合でユックリと見て廻れなかったけれど今回は周辺をジックリと観察、まず小学校跡の右側奥倒壊した家屋を確認しに。


いや、残ってますね。これ、前回も目には入っていたのだけれど興味が無くてスルーしておりまして。帰宅後にこの集落の歴史を調査する過程でどうしても気に成って撮影したいなぁとずっと思っていたのです、ではこの家屋から説明に入りましょうか。


photograph:+10


加蘇 石裂 集落 神社 廃校 石裂小学校


普通学校と言ったら誰が居るでしょう、まあ普通に考えて生徒と先生でしょうか。それでは生徒は校舎で学ぶとして先生はどこで採点をし、授業計画を練るのでしょう。って事でこの家屋、2棟倒壊している内の左側ですが「教員用の別棟」だったのです。


実はこの小学校が運営当時、この学校に出入りしていた業者さんを特定致しまして。そこで色々と聞く事が出来ました、と言っても既にその業者は廃業しており担当されていた方も亡くなっています。今回この集落出身の方の紹介でお話を聞かせて頂いたのはその担当のご家族で在るSさん、そのSさんも大分昔の話なので整合性がどれだけ取れているかは…まあ貴重な話なので意訳して掲載致します。


で、この教員用の別棟。当時は少ない先生方がこの狭い別棟で生徒の帰宅後も仕事をされていたとか、廃校が1964年って事は東京オリンピック開催の年。その廃校の年から幾分経過しても夜間に電気が灯る事が在ったとか、何でも統廃合されてからの残務処理がこの僻地で行われていたと聞くが事実はやはり解らない。


加蘇 石裂 集落 神社 廃校 石裂小学校


倒壊したもう一つの家屋は「教員用宿舎」、つまりは派遣された先生の宿直室だった様だ。この分校は元々この集落の人口増加に伴って増設された学校で先生はこの地から排出されてはいない、つまりこの学校で教鞭を執っていたのは別の地域の方だったのだ。


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これで倒壊していた建造物の謎は解けた、が。


最初のエントリーでも宿題事案と成っている「7年間だけ運営された小中学校共学時の校舎」が何処に在ったか、だ。人口増加で分校化したのだから更に中学校を増設するのは難しい、この問題には当時を知る方に聞くしか無かった。


この集落に1962年から住み、現在も居を構えている方にコンタクト。来訪時に色々とお話を聞く事が出来た、その時にこの学校に関しても勿論聞いたのだが聞けば成る程…全ての答えが当たり前の様に判明した。


栃木県の地域文化冊子にはこの学校の複雑な歴史が記されている。


1873年 - 創立(当時は民家を仮校舎として運営)
1892年 - 久我尋常小学校石裂分校として運営
1894年 - 久我尋常高等小学校石裂分校と改名
1900年 - 石裂小学校として独立運営
1902年 - 校舎を新築
1912年 - 校舎の増築
1926年 - 校舎の増築
1941年 - 加蘇村石裂国民学校に改名
1947年 - 加蘇村立石裂小学校に改名
1954年 - 鹿沼市立石裂小学校に改名
1964年 - 鹿沼市立久我小学校と統合し廃校


そして別の資料にはこの「鹿沼市立石裂小学校」と同じ敷地内に「鹿沼市立加蘇中学校石裂分校」の名が突如現れる、しかも「1950年10月21日に校舎新設」とも記されている。


この「鹿沼市立加蘇中学校石裂分校」はこの地で7年間だけ運営された短期間の中学校の分校だ。


1950年 - 沼市立加蘇中学校石裂分校新設
1957年 - 鹿沼市立加蘇中学校へ統合の為に廃校


しかし新しい校舎が建設された記録も形跡も無い…いや、まてよ。そうか、「新設」か。新たに建設したのではなくて同じ校舎に「新設」したのか。


ここまで予想して地元の方に聞くとその答えは呆気無いモノだった。


戦後人が増えて今まで小学校に通っていた子供をその間々同じ校舎で中学生として学ばせていた


つまりは同じ校舎で最長9年間学んだのか、まあ子供が増えれば外の学区域まで歩かせるより余程合理的だ。それでは何故たった数年で廃校に至ったのか、それは戦後復興から国内需要が高まり、産業の中心が都市に集中しだした為だとも言われている。これはこの学区に限らず他の地域でも同様な問題が同時発生していて現代においてもその現象は継続している。


まあ解った事は中学校が短期間この学校に併合されていた、その期間は1950年から1957年。そしてその7年間だけは


鹿沼市立石裂小学校(加蘇村立石裂小学校)
鹿沼市立加蘇中学校石裂分校


の2つの名前を持っていた珍しい学校だったと言う事だ、これは現在の行政も把握していない事実で知る人も殆ど居ないと言う貴重な情報だ。いや、追加調査して良かったですわホント。


加蘇 石裂 集落 神社 廃校 石裂小学校


校舎の方はと言うと保存計画は頓挫して現在は倒壊へ一直線です、内部も大分腐って廊下も教室も底が抜けそうな状態。窓枠も落ち、ガラスも割れてそう長くは持ちそうにないですねぇ。


photograph:+10


加蘇 石裂 集落 神社 廃校 石裂小学校


90年の歴史を誇り、廃校から50年の月日を耐え抜いた学校「鹿沼市立石裂小学校」。新改築からも100年以上を経過したこの校舎が何時まで建っていられるか、それは季節的な問題だったり天候的な問題だったり。それでももう少しその姿を見ていたいと思うのはノスタルジーなんて言葉を創ってしまった人間のエゴだったりするのかもしれませんですねぇ、って事でこの学校の追加調査は以上と成ります。


あれ、もう終っちゃった。


アプローチ
鹿沼からだと国道121号線から県道へ。県道は14号線と240号線をハシゴして上久我方面へ、石裂集落までは国道から30分~40分程。


地図リンク
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.60129325801467&lon=139.60310940692517&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.588062321133&hlon=139.64821343372&layout=&ei=utf-8&p =


photograph - nee


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REPORT - 0405│ 水掛社宅地区

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水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部


栃木県│水掛社宅地区(水掛役員社宅)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 水掛社宅地区(幹部職員用住宅/古河掛水倶楽部/足尾鉱業所付属倉庫)


足尾銅山の関連遺構として取り上げられる事が少ない物件として少し前に「本山鉱山神社」をレポートした、そして今回もやっぱり撮影される事が少ないこの物件「水掛社宅地区」をご紹介したい。


この”水掛地区”は足尾駅の眼前と在って足尾銅山の盛繁期には色々と主要な役割を持つ建造物が集中していた、と言っても事務的な役割を担う物でその他の銅山関連遺構と比較すると少々見劣りするのは確か。だから廃墟さんには人気が無いのかもしれませんですなぁ、撮影対象としても中々なんだけれどもなぁ…。


大きく分けてのこの”水掛地区”、観光スポットも含めて以下の撮影ポイントが存在する。


・水掛社宅(水掛役員社宅)
・足尾鉱業所付属倉庫
・古河掛水倶楽部
・銅山電話資料館


一般公開されているのは「水掛役員社宅」、「古河掛水倶楽部」、「銅山電話資料館」の3つ。この3物件は資料館としても機能していて公開は週末のみ行われている、以下詳細。


公開:土曜日・日曜日・祝日
時間:午前10時~午後3時
料金:大人300円・子供200円(20人以上の場合20%の団体割引)


※ 平日も事前予約にて応相談(拝観出来る場合も在る様です)
※ GWは平日も通しで公開
※ 12月上旬~3月下旬までは冬季休館


問い合わせ先が平日と休日で違います、ご注意を。


平日:0288-93-3255
休日:0288-93-2015


水掛役員社宅」は6棟連なる幹部職員用住宅の一つで現在はこの1棟のみが「鉱石資料館」として一般公開されている、保存状態は他の5棟より格段に良い状態だ。


それではほんの少しでは在るけれどこの「水掛住宅地区」をレポートしよう。


photograph:+10


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水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部

貴重な昭和初期の町並みを残す地区としても歴史的価値が在り、足尾銅山関連の保存運動ではその対象として上位にランクされている。が、現在でも現役で住んでいる方が居る為に転居が完了しないとその保存対象として正式に名を連ねる事が出来ない状態でいる。


写真の住宅群は足尾駅寄り、つまり道路側の平屋群で現在で言えば中間管理職の方達に宛がわれた住宅。山側の一軒屋が連なる住宅群は幹部職員用住宅でその中の1軒(古河掛水倶楽部に一番近い住宅)は記述の通り鉱石資料館として一般公開されている、実はその幹部職員用住宅の中で一番大きくて豪華な中央に位置する家は市の管理下には無くて保存状態は非常に宜しくない。


photograph:koichiro


水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部


一般住宅群より少々上位の中間管理職の住宅、その玄関先。今で考えれば貧相な一軒屋とも思えるこの規模が当時は中階層の贅沢な家だったのだ、比較的銅山後期まで住んでいたのかサッシなどがステンレス製だ。


photograph:koichiro


水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部


幹部職員用住宅は縦に6棟連なっているが此方は3棟づつ平屋が並んでいる、波板で申し訳程度の囲いがされてはいるが桶屋が儲かる風が吹けば飛んでいってしまいそう。地区内は今でも銅山関係者の車が通行するので轍は新しく、そしてハッキリ残されている。


photograph:koichiro
水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部 地区内の位置関係はこんな感じだ、テニスコートを挟む形で上方が古河掛水倶楽部、下方が住宅群。住宅群も左右に分けて左側が中間管理職、右側の樹木が庭に点在するのが幹部職員用住宅。


水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部


足尾鉱業所付属倉庫、管理物件では在るけれど外壁の老朽化は隠せる段階をとっくに過ぎて少々の崩落が見てとれる程。古河掛水倶楽部の敷地内だけれどこの建造物は非公開だ、中の様子を撮影した資料写真が在るけれど(コレは出版元から転載許可が降りませんでした)まあ普通。


記録では1910年に建築され、元々は本山抗口の敷地内に在った本山鉱業事務所が1907年の暴動によって焼失。兼ねてからの事業拡大も兼ねて現場から離れた交通の便の良い水掛地区に事務所を移転新築、これが1910年で同時期にこの倉庫も建造された事に成る。


事務所は1921年に足利市役所庁舎として売却され、その後老朽化に伴い解体。同じ建造時期でも煉瓦造りだった事で現在でも辛うじて現存出来た様だ、因みに大きな洋館だった事務所は解体後は現在の更地(テニスコートとして運用中)に成って新しい建造物の計画は全く無いとの事。


photograph:+10


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さて、最後にもう少し古河掛水倶楽部について語ろう。


古河掛水倶楽部は1899年、関連企業の重役や国の役職を迎える迎賓館として建造された。国内では最高峰の銅山規模と最先端の技術を投入した産業で得た莫大な資金力を活かし、この迎賓館は贅の限りを尽くして設計、建造されたそうだ。


建造当初は和洋折衷の造りだったが1910年に事業拡大(暴動によって本山鉱業事務所が焼失も移転新築の要因の一つ)を念頭に置いた鉱業所新築が行われ、掛水事務所がこの水掛地区に置かれると同時期に古河掛水倶楽部も和風部分を洋風に改築。正面玄関は洋風2階建て、庭園側は石造りの部分も含め3階建てと成って現在に至る。


因みに休日の一般公開以外の平日は現役稼動施設の「古河機械金属株式会社福利厚生施設」として現役職員が使用しているのは余り知られていない(現地の説明ボードにもパンフレットにも記載があるのになぁ)、改築跡が所々に見て取れるので旧建築に興味が在る人は別の意味でも楽しめる筈。


公開されている幹部職員用住宅の一つ、鉱石資料館。この住宅に関しても館内のパンフレットに大まかな歴史が記載されているので転載しておこう。


「この建物は明治44年(1911年)、幹部社員向けに建設された社宅で、床面積は約42坪あり、10畳間1室、8畳間3室、6畳間1室、3畳間1室、勝手、浴室となっており、6畳間は書生部屋、3畳間は女中部屋に使用された。


庭園部分は約216坪で、第2次世界大戦の時には「古河家」の疎開に使用された事から、庭には防空壕が作られている。


掛水地区の社宅は明治末期から大正初期に建設され、今もそのほとんどが使用されており、板塀、砂利道、木製電柱等、町並みそのものが古いまま残っており、貴重な建物群である。」


アプローチ
わたらせ渓谷線足尾駅の目の前です、足尾駅も風情があるので是非立ち寄る事をオススメします。


地図リンク
http://goo.gl/maps/PzFIP


photograph - nee


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水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部


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REPORT - 0405│ 通洞動力所・新梨子油力発電所

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栃木県足尾町│通洞動力所・新梨子油力発電所


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 栃木県 通洞動力所・新梨子油力発電所


※ 2011年夏季に通洞動力所左側が半壊し、内部は現在大変危険です。


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崩壊後のこの物件が気に成ってちょっとだけ寄り道撮影、予想以上の崩壊っぷりにびっくらこいたけどその魅力はいまだ失われず…と言いけれどもう駄目っぽいです。


上記バナーより追加更新分へ移動します。

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ちょりーっす。


約1年振りに来ましたよ、足尾銅山系の遺構としては素晴らしい物件と言える通洞動力所・新梨子油力発電所の再訪(初回訪問と再訪双方のエントリーを再構築して掲載しております、本文中に幾分かの時間軸の前後が在る事をご了承下さい)です。2つの廃墟が混同されてますがコンクリート製の建造物が新梨子油力発電所跡、レンガ造りの建造物が通洞動力所跡です。


日光市教育委員会事務局の文化財課「世界遺産登録推進室」から頂いた資料によると、


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動力所では、さく岩機の動力源である圧縮空気がコンプレッサーによって作られていました。


また、そのための電気は、間藤発電所(後に細尾発電所)から送られた高圧電力を併設の変電設備で変圧し、供給されていました。明治45年には、通洞動力所に大型コンプレッサー「インガーソルランドPE-2」が導入されました。このコンプレッサーは、当時の国内の鉱山では最大となる320馬力の出力を誇りました。大正3年には、本山動力所にも同型の大型コンプレッサーが導入されました。


本山動力所には現在もコンプレッサーが保管されています。


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との事、この辺は少しづつ掘り下げていくと致しましょう。あ、余談ですが「本山動力所」が木造なのに対して、この「通洞動力所」は赤煉瓦造りです。理由は、うーん…なんだろ(机上調査では判明しませんでした)。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


通洞動力所正面入口、地震の影響か2011年の夏に左側が崩落してしまった。311の影響は足尾銅山関連の遺構に影響は在った様で管理物件とはいえ形のみの放置されている建造物は軒並み部分損壊などの報告がなされている。


いやいや、そんな硬い話は抜きにして。


ここの何が好きって足尾銅山系の遺構が集中する地区に在ってそれがしかも2つも一度に楽しめる、でもって物件内容も美しいとくりゃねぇ奥さん。


まずはぐるっと周り込んでレンガの外装が素敵な通洞動力所へお邪魔しましょう、早朝のお邪魔ですが陽の高さを計算して内部へ入ったので光量は十分。よーし撮りまくるゾーウ…って…ん…?


おかしい、何かがおかしい…言うなれば気配視線を感じるんだ、事故で傷めた左足も疼く様に「警戒しろっ」と僕のゴーストに囁く。


ふっ、見切ったぁあー。そこかー。


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(´・ω・`)?


え…っと…さん…です…よ…ね?


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すっかり忘れてた、廃墟に来てたんだ。初っ端でイキナリやられたからな、うん…ここは通洞動力所だった筈。あー綺麗だなー、偶然が作り出す滅美って唯一だよなぁ……。


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廃墟を撮影しているとですね、なんと言うか、人が介した歴史を一度凍結して僕らの様な廃墟好きがその歴史を解凍してると言うか。凍結と解凍、言うなればP-MODEL。P-MODELと言えば平沢進…平沢…。


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こいつぁやべー、素敵な内部。壁の変色具合とかご飯3杯はいけらぁ、差し込む光なんか最高の塩加減でうっかりカロリーオーバー。


そう言えば2010年に訪問した時にはシッカリとこの場所に変圧器が残されていた、ギリギリとは言えその形を残した屋根が残る状態だったので特に気にはしていなかったのだけれど。


そして約1年後の訪問。


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うん、無いでしょ変圧器。で、コイツは何処に行ったかと言うと正面入口付近に移動されていた。相当重い筈なのだけどどうやって…什器用コロ使ったって土の地面じゃ上手く動かせないし人力でやったのか…。


当初はこの移動に関して色々と憶測が飛んでいたのだけれど関係者が屋根の崩落を見越して入口付近に移したとの情報を入手、地震発生から1ヶ月以内の出来事らしいので崩落した夏まで少ししか猶予が無かった事に成る。


どちらにせよその予見能力は素晴らしいの一言だ。


写真は311の地震から1ヶ月半を経過した4月中旬、既に変圧器は移動されいて屋根の崩落は1年前とは随分変わって崩壊が進んでいる事が解る。


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日光市教育委員会事務局生涯学習課世界遺産登録推進室発行パンフレット「足尾銅山近代化産業遺構群」には、


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明治45年には通洞動力所に大型コンプレッサー「インガーソルランドPE-2」が導入されました。このコンプレッサーは当時の国内の鉱山では最大となる320馬力の出力を誇りました。対象3年には、本山動力所にも同型の大型コンプレッサーが導入されました。本山動力所には現在もコンプレッサーが保管されています。


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と在る。当時国内のコンプレッサーの出力が軒並み100馬力前後だったのに対し、凡そ3倍と成る大出力の320馬力。関連資料にはその出力を発揮して多いに事業に貢献した記されている。この「貢献」とは具体的にどういう事か、ほんのサワリだけ記載しよう。


本山動力所で大型コンプレッサーがまだ稼動してなかった時期、この通洞動力所で作られた圧縮空気を利用して銅山でのさく岩機の動力源としていた。電力は以前ご紹介した細尾発電所から送られていた電力を使用(初期においては間藤発電所)、送られて来た高圧電力は併されている通洞変電所で変圧し供給されていた。因みに通洞変電所は現在も稼動中の現役銅山施設だ。


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この動力所は2度の増築を重ねており、当初の木造建築から無理やりレンガ補強コンクリートでの外装補強がされています。それぞれが独立した建築法を確立している為に複数の建材が重複すると建築物としては逆に脆く成る事も在るのだとか、今後崩壊は更に進んで行くと予想されるだろう。


銅山の掘削において中枢を担ったこの動力所、広い内部には幾重にも機材が置かれた痕跡が見て取れるのもこの廃墟の見所。完全崩落と成る前に来訪出来て本当に良かった。


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数年前まではこの動力所の保存を推進するNPO団体が在ったそう、しかし311の地震以降の大規模な崩落を経てその声は現在殆ど聞こえないのだと言う。しかも2011年の崩落を受けてお隣の新梨子油力発電所跡を含めた解体更地化の計画が予定されているのだとか、これは地元の住民からの聞き取り調査で得た情報なのでその真偽を確認する為に行政へ。


現在予定は在りません


うーん、現在は…ですか。行政内部も一枚岩ではなくて観光課、世界遺産登録を推進する関係部署とは随分と温度差の在る回答内容だった。行政上層部として面倒な問題を抱える「足尾銅山の関連遺構」は観光足りえる物を残して解体してしまいたいってのが本音だろう。


この辺を取材した地元新聞社の記者さんから提供された情報(ちょっとハッキリは書けないけれど)だと、近年中に幾つかの関連遺構が解体される事が既に決定しているとの事。


やはり地元感情や過去の就労被害者などとの世論を慮ると仕方ない事なのかもねぇ。


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稼動開始時期はハッキリしないものの明治、大正、昭和と3つの時代を駆けた動力所は1959年(昭和34年)にその使命を終えて稼動停止と成った。それからは向う1年間で停止された関連施設の移管作業が続けられた事で行政の記録には「昭和34年頃に廃止」と残されている。


直接は関係ないけれど銅山関係の発電所や動力所は過去に沢山存在していて「通洞」と名の付く水力発電所も一時期稼動していた、1901年(明治34年)に開設した「通洞水力発電所」だ、1934年(昭和9年)に廃止されるまでこの通洞動力所とは切っても切れない関係に在ったのは言うまでもないだろう。


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びっくらこいたでーな崩落状態の木造左側部分、こりゃ右側も時間の問題ですなぁ。解体計画もある様なので気に成る方は早めに写真に残した方が良いかもしれませんです。(※1)


それではお隣の新梨子油力発電所へ移動します、バイバイ。(※1


※1:件の唯さんですが崩落後もしぶとく生存が確認されております、流石です。


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こちらは新梨子油力発電所、隣接する臨時発電を担う銅山発電所です。と、言っても元々は工場として建造された建物でその時期も発電所の稼動が確認される1929年(昭和4年)より数年前の事。成る程、関連資料に目を通せば付近の発電所との稼動時期など「何故この時期に臨時発電所を?」と思い当たる節は沢山在った。


内部の作りも凡そ発電所としての作りでは無いし、工場だと解れば納得の構造と言える。しかしゴミが凄ぇな、こりゃあ。


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工場としての役割は掘削機械の整備木工製作で木工に至っては関係者の居住区の住居資材の加工まで行っていたと資料(行政から提供された非公開資料)に在る、そして1929年からは更に臨時発電所としての役目も加わって一見広く感じる内部は随分と手狭だった様だ。


発電所としての役目は1954年で終了、一部の発電機器はお隣の通洞動力所と他の動力関係施設に移された。発電所の稼動途中から場内クレーンと手動ホイスト(恐らくチェーンブロック的な使用だと予想)が設置され2階部分を増築、事務所と倉庫などとして運用された。


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この新梨子油力発電所は呼び名が3つ在り、ご存知「新梨子油力発電所」、旧名の「新梨子火力発電所」、そして日光市教育委員会事務局の文化財課の保管資料にも記載されている「通洞工場」。歴史的にも行政に「工場」だったと認識されている様で今後製作される一般向けの遺構群パンフレットにも”工場”のキャプションが併記される事に成りそうだ。


工場工場と連呼してはいるけれどこの臨時発電所、当時の国内では最大規模の1000キロワットを出力。勿論銅山関係の発電所の中でも最大でメインより予備稼動施設の発電所の方が出力が大きいと話題に挙がった事も在ったと言う。


まあ、そりゃそーか。


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相変わらずのゴミの山すなぁ、もうずっとこんな感じだけど内部は現役で利用されている様だ。関係者の出入りは比較的頻繁で倉庫や廃材置き場としてなのか来る度に物が減ったり増えたり移動してたり。


外壁はコンクリート製、戦時中は外壁全体に迷彩塗装が施されていたが今ではその殆どが退色してしまい、その配色を確認する事は難しい。


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新梨子油力発電所も通洞動力所と同じく、日光市教育委員会事務局が公表している資料から抜粋しながら簡単な歴史を説明致しましょう。


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足尾銅山系発電所としては珍しい重油燃料による発電を行ったのが新梨子油力発電所、足尾地区には日光地区と重複しながら足尾銅山関連の発電所は大小設置されていて本山にさえ予備発電施設が在ったほど。


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説明を読む限りでこの発電所は何をしていたかと言えば更に不足の事態に備えた非常用電力供給発電の為の施設だったってのが答え。公表で出力1000kwは当時としては最大規模と謳われているけどそれはあくまでピーク出力で在って非常用電力としてその全てを利用する物では在りませんでした、大正4年に建設され昭和29年に廃止。


内容はレポートで調査したものと殆ど一致、まあ整備工場や木工加工工場としての説明は流石に掲載してはいなかったですけれどね。


最後に2003年(平成15年6月号)の「広報あしお」に掲載されたこの動力所と発電所、付近の関連施設を取り上げた部分をPDFで見つけたのでリンクしておこう。


広報あしお - 足尾の産業遺跡⑱
http://ashio.shokokai-tochigi.or.jp/dennouhakubutukan/sanngyou%20iseki/kouhouashio/h1506.pdf


本日は以上です。


※ 2013年11月29日:2つのエントリーを統合した上で再編集しました。


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2011年の夏季に崩落一報を聞いてからずっと気に成ってはいたこの物件、別物件の撮影時の前を通りかかったので寄ってみました。うん、こりゃ酷い。随分と倒壊が進みましたねぇ…当初の倒壊より3年経過して更にその崩れっぷりに磨きが掛かりました。


って事でちょっと覗いてみましょうか。


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


新梨子油力発電所の正面玄関、こちらはパっと見全く変化なし。しかし実際は色々とガタがきておりまして、壁面の崩落や裏手の木造部分の倒壊、そして天井の崩落など確実にダメージが蓄積している事が解ります。


その割りに内部には地域の祭事で使用する車両やらイベント用の小道具などが補完されていたりちょっと良く解らない利用のされ方をしていますねぇ。


photograph:koichiro


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


3年前には無かった天井部分の崩落、しかも結構大きいです。内部の変化はこれら崩落類だけでなく、地盤の変化も顕著に現れていて色々と危ない状態と成っています。また以前と比べて随分と配置場所が変化している物や処分された物なども在って此方は意外と倉庫として利用頻度が高い様ですね。


photograph:+10


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


通洞動力所は道路からもその倒壊箇所がハッキリ判別出来るレベルで画像で見ていた状態よりも実際はかなり崩落が進行していました、そして2011年以降に噂されている本格的な解体計画…いよいよ現実の段階と成って来ている様です。


実は倒壊前から計画は有った様ですがこの倒壊によって近隣住民からの危険性に対する投書などが在ったようです、うん…これは仕方が無い。


photograph:+10


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


そして一番楽しみにしていた「」ですがやはり居ませんでした、2011年の4月に初確認し、その年の倒壊の知らせを受けた後にも生存確認がされていたのでもしくは…と期待していたのだけれど。


そりゃそうか、いくら「」でもその正体はただの紙っぺらだしなぁ。


photograph:+10


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


ここまで来ると「」的な被写体としてもちょっと…小雨でも降ってドロっとした濡れた雰囲気ならまだどうにか、しかしその撮影自体も危険が伴う事を十分に自覚しておく事が必要な状態。


photograph:+10


通洞動力所 新梨子油力発電所 廃墟 足尾銅山


裏手、此方も色々ともう駄目っぽい。兎に角「通洞動力所」側は建造物としての寿命をとっくに過ぎているので強風でも建物全体がグラグラと揺れるレベル、おっかねぇっす。


と、現在(2014年)の様子をお伝えしたけれど足尾銅山関係の遺構に関しては「産業遺産」として価値の在る物件とそうでない物件の扱いが非常に顕著に現れている、特に来年(2015年)からは倒壊している建造物や倒壊の危険が在る建造物は解体していく方針の様だ。


考えてみれば少なく成りましたよ、足尾の銅山関係遺構って。


photograph:+10


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水掛社宅 役員 廃墟 足尾銅山 古河掛水倶楽部


この物件の近くに足尾銅山の関連遺構が在ります、余り知られていませんが企業としては重要な場所でした。メニューにもないおまけエントリーなので期待せずにご覧下さい。


photograph - nee


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REPORT - 0401 │ 霊仙廃集落群・向之倉集落跡

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 向之倉


霊仙 廃村 集落 向之倉


滋賀県│向之倉集落


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 霊仙廃集落群 - 向之倉集落跡


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以前の霊仙廃村群のエントリーは以下より。


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前回のエントリー(後谷集落)は以下より。


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霊仙の廃村群、実は同区域ながらその形成時期はバラバラだ。その中で形成時期はハッキリしないものの随分と歴史の在る廃村が在る、「向之倉」集落だ。「むこうのくら」、「むかいのくら」、「こうのくら」など後谷集落同様に幾つかの呼称が在った様だけど正式名称は「むかいのくら」。


2006年頃までは自立していた廃屋も多くて一帯の廃村群でも人気の廃村だった、しかし2008年を過ぎた頃から度重なる倒壊により現在は自立廃屋が無くなってしまった…とても残念だ。それでも歴史在る廃村が故、その経緯を調べるととても面白い。


今回は写真数こそ少ないがその長く深い歴史に少しだけ光を灯してみたいと思う、向之倉集落跡のレポートを開始しましょう。


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向之倉集落の形成は江戸中期と言われている、中でも1700年~1750年の間に家屋が集まりだして江戸時代の後期には現在の造成地形が確立していた様だ。


山間部においてに貨幣経済が民間にまで浸透した時代だ、林業、山間部農業、山窩木工など様々産業形態を経てこの村では製炭が主な産業として落ち着いた様だ。多賀町の山間部での産業は製炭が多いが形成時期が異なっても地形が地形だけに似通った産業で生業を立てるのは当然の事だろう。


それでは現在の村内を見ていこう。


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集落内を碁盤上に走るかつての道、倒壊後に回収された廃屋建材の残りと最近に成って倒壊した最後の家屋、そして苔生した石垣が廃村だと強く感じさせる。正直霊仙の廃村群はどれもが廃村として不自然に綺麗…と言うか「廃村」と言うイメージ通りで写真映えするものばかり、だけれども向之倉集落に関してはリアルに「廃村」感じられる貴重な場所だと思うのです。


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1990年代まではこの集落跡に実に多くの廃屋が残されていた、現在は倉庫以外の家屋が全倒壊してしまった。豪雪地帯でしられる鈴鹿山系霊仙地区、人の手を介さなくなった家屋は驚く速さで朽ちていく。


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向之倉集落には一時期とは言えこの様な山間部に20軒の家屋が立ち並び、100人近くの人間が住んでいた。1880年頃の話だ。


それからは定住者が減り、冬季限定廃村と限界集落を繰り返しながら1985年に廃村と成った。しかしその後再度冬季限定廃村として復活、1992年頃まで人が住んでいた様だ。


人口の推移としては、


1880年 95人
1960年 52人
1965年 43人
1970年 10人
1975年 3人
1980年 2人
1985年 廃村


しかし元住民の期間在宅や冬季限定での廃村なども考慮すると1992年頃までは実は村民の出入りは在った思われる、現在この集落の関係者やご家族は各地に転居しているが今でも訪れる事が在るそうです。


廃村の一番の理由は他の製炭で生計を立てていた霊仙の廃村と同様、やはり多岐に渡る産業の燃料と成る「」が電気やガス、石油にとって代わった事が原因。国内では高度成長期を待たずして戦後電気機器が浸透し始め、工業が盛んに成ると石油の需要が増加。その為生産効率とエネルギー変換率の悪い炭は衰退、産業を失った村は他の経済需要を探して住民がこの地を離れるに十分な理由となった筈。


人口推移からも国内の炭に変わる代替燃料が色々と出始めた時期と一致、時代の流れによる廃村が全国で爆発的に増えた時期とも合致する。


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向之倉集落入口から少し進み、山間部土手の下方に井戸神社が残る。この井戸神社には樹齢300年を越えるカツラの木が有名で県下一の巨木だと言う、御神木として地元民ならず行政の保護も受けていて町指定天然記念物と成っている。


樹齢300年と言えばこの村が形成した時期と同じ頃、人と木が同じ時間を過ごし、現在においては人が去り、この巨木だけが取り残されてしまっています。定住者が居なくなっても、せめて人々の歴史を見つめたこの木をこれからも大切に残していって欲しいと思いながら次の集落に向いました。


アプローチ
県道17号線、芹川沿いに集落までの舗装林道が延びる。


地図リンク

http://goo.gl/maps/djMy0


photograph - nee


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REPORT - 0402│ 霊仙廃集落群・杉集落跡

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 杉


霊仙 廃村 集落 杉

滋賀県│杉集落


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 霊仙廃集落群 - 杉集落跡


以前の霊仙廃村群のエントリーは以下より。


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今回の多賀町廃村群エントリーは以下より。


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旧脇ヶ畑村三集落一番歴史が古いと言われるのが実は杉集落だ、旧脇ヶ畑村の三集落と言うのは「杉集落」、「保月集落」、「五僧集落」なのだけどこの3つの集落は保月集落を中心とした組織的な集落を形成していた。


では複数の集落の中心だった保月集落より「」が長い歴史を持つと言う説が在るのは何故だろうか、それにはこの地名他と異なる産業を保持した文化、それに山間部においての立地条件が物語るのだけど簡単に説明していこうか。


※ この地域の集落形成には諸説在り、現在はっきりその歴史を辿れる資料が在りません。当ブログにおいては多賀町史に加え、幾つかの関連書籍を交えた上で一つの可能性として語られる「三集落における杉集落最古開村説」を軸に話を進めて行こうと思います。


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6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 杉


国道306号線から県道17号線に入り、道なりに進むと入谷集落や落合集落へ向うのだけどその手前の分岐で県道139号線に入れば別の廃村群に出会う事が出来る。


旧脇ヶ畑村の三集落。


さっきも書いたのだけど旧脇ヶ畑村の三集落は杉集落」、「保月集落」、「五僧集落」から成る組織的な連携を執っていた集落群で今回お邪魔したのは「杉集落」と「保月集落」、その内の「杉集落」についてエントリーしていこう。


この三集落については形成時期に諸説在る事は記述したけど当ブログでは杉が一番歴史が古いと言う説を推したい。


と言うのも霊仙の廃村群はどれも江戸後期から明治初期に掛けて村としての組織が出来上がっていたのだけど(後谷は除く)この杉集落、「杉」と言う名前が着く位地域の状況に則った村形成をしている。


命名は恐らく付近に点在する杉に関係する信仰に関係しているとの記述も良く見掛ける、杉坂峠の祠御神木と共に祭られている杉坂峠の3本杉などがそうだ。樹齢は400年以上との事で他の村の形成より遥かに古い、つまり周囲にまだ村が出来て居ない当時にこれらの信仰が既に根強く定着した村が在った事を意味する。


今と成ってはその先の保月集落の方がこれらの信仰跡と近しい距離関係に在るが杉集落が出来上がった当時は付近の住民(山に点在する単独住居)も含めて杉集落を中心に生活していた事だろう。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 杉


ネット上で良く見る杉集落の以前の状況と随分と違う事に違和感を覚えた、写真でも解る通り倒壊家屋が増えているのだ。豪雪に加え人の手が離れた家屋の脆さは今前でエントリーした他の集落での様相と同じなのだろう、とても残念な事だ。


廃村時期は1976年(行政側は1973年と認識)の様で翌年の1977年には集落内の寺院だった公明寺も移設されている、寺院跡には「公明寺之跡」という石碑が建てられいる。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 杉


杉集落には他の山間部集落と少々異なる産業を手にする土台が既に用意されていた、それは「平地」である。他の集落の殆どが斜面にへばり付く様に形成されているのに対し、この杉集落は山間部の窪地に位置している為に村内が平地なのだ。つまり。


それは田畑などの通常農耕が出来る事を意味する。


山間部農耕はその規模や農作出来る種類が色々と制限されているが平地なら水路を確保する事で山間部では出来ない農作が可能だ、加えて周囲は山に囲まれている為他の集落同様に製炭なども行なっていた様だ。


成る程、杉集落から幾つも延びる山道(現在は廃道)の理由がようやく解った。近隣集落において他の集落に出来ない産業を手に入れていた事で沢山のアクセスを用意し、経済の運搬経路として利用していたのだろう。


特に有名な山道は桃原集落に続く物で今でも登山好きの方がトレッキングで使用するそうだ、国土地図では更に幾つかの分岐道を発見出来る。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 杉


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 杉


家屋内部は既にこの有様、朽ちるのも時間の問題だ。


最近になって頻繁に人が来る様に成ったと話を聞く事が出来ました、実は訪問時に元この杉集落の住民の方が戻って来ていて話を聞く事が出来ました。


地震(東北地方太平洋沖地震)から自分の家屋や他の家屋などの倒壊が心配で見に来ており、以前から村内の掃除や管理で訪れているとの事。この様な辺鄙な廃村を知って貰う事は歓迎するが(地方文化などの面で)家屋内部を荒らしたり破壊行為をする輩も居て心配事は耐えないそう、一時期雑誌などにも取り上げられたけど現在は取材なども断っているのだと言う。


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山間部へ延びる山道、この道はどうやら桃原集落へ続く様だ。


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村内で一番の高台に残る廃屋、概観は今でも十分住めそうな雰囲気だが内部へ入るとそれがとても恐ろしい認識だった事が解る。


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入口付近でこの有様、倒壊も近い。そして驚愕の内部へお邪魔する。


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お解かり頂けるだろうか、家屋自体の重さで柱を含め家全体が押し潰されそうな程歪んでいる。正直アチコチでミシミシ言ってるのが怖くて直ぐにこの家屋を後にした。


以上で杉集落のレポートは終わりと成ります、町歴資料によるとやはりこの集落の形成時期は「とても古いが何時頃出来たのかは不明」という事らしい。先に書いた「杉」の信仰関連との繋がりは深い筈、だとすれば樹齢400年以上を数える御神木と共に歩んだ歴史が何処かに刻まれている筈だ。


山岳信仰、更に樹木信仰と自然を畏れ(恐れではなく)、自然を敬い、そして自然と共に生きた村民達の長い歴史は現在と成っては解らない。だけれどもその不明とされる村の起源を彷彿とさせる痕跡は到る所に残されていた、これから風化が進むその歴史もせめて人の記憶に留まっていてくれれば…そう思える廃村だった。


最後に町歴資料に残されている人口推移を見てみよう。


近歴での最多人口は明治時代、


1878年 18軒74人


それから昭和後期までは少しづつ人口は減少していく。


1970年 8軒14人


この時期に急激に減少する、鈴鹿山系霊仙の廃村群ではこの時期での衰退が顕著だがそのどれもが燃料産業(この地域で言う製炭)が後退した事による人口流出が最もな理由だろう。


1976年には完全な廃村と成るもののその後期間限定で住む元村民が居た為(併せて理由を述べるなら住所変更をしなかった為)1985年位までの10年間は人口推移の表に3人~6人の人口が計上されている、行政側の廃村認定では記述の通り1973年と成っているが幾つかの矛盾点は期間限定での廃村で在る為だろうか。


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アプローチ
県道17号線と県道139号線の分岐を県道139号線へ、そこからは一本道で最初の集落が杉集落と成ります。


地図リンク

http://goo.gl/maps/tE83p


photograph - nee


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REPORT - 0403│ 霊仙廃集落群・保月集落跡

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 保月


霊仙 廃村 集落 保月

滋賀県│保月集落


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以前の霊仙廃村群のエントリーは以下より。


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今回の多賀町廃村群エントリーは以下より。


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今回の廃村群エントリー最後の集落はとってもとっても有名な「保月集落」跡、廃村単品としても今迄に多くを語られ、更に近年の多賀町廃村群のネット上でのエントリーにも数多く登場。時には幻の廃村などとも噂される事も、それだけ魅力溢れるワビサビ沈殿物件「保月」をレポートしていこう。


廃村群最後のエントリーとして存在感が在る集落をと考えていた、そしてやっぱりこの保月集落しかないと思ったその理由とは。


旧脇ヶ畑三集落中心的な役割を果し、三集落に留まらず多賀町廃村群随一の家屋密集度を誇った過去を持った保月。形成時期は杉集落より新しいとされているもののその人口はこの鈴鹿山系霊仙の山間部集落としては最大600人を越えていたとの記録も。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 保月


実はこの集落は完全な廃村ではない、男鬼集落や後谷集落と同様に冬季限定無人の限界集落だ。行政側の認識では1976年に廃村と在るがその後一部の住人が戻り定住した為に2005年再度廃村指定を受けている、この様な限界集落と廃村を繰り返す山間部の集落は日本全国各地に存在している。


1878年 65軒301人
1922年 58軒273人
1965年 28軒99人
1980年 12軒19人


大きな人口の変動時期を辿るとそれぞれが時代背景と連動する、峠越えの山間部宿場町としても栄えた保月。大人数を収容出来る宿や関連施設、杉集落同様平地の強み、行政の県境としての役割など人と産業が関わる重要な立地だった事も人口増加に拍車を掛けた事だろう。幕末から明治へ、最初の世界大戦、日本の敗戦、多少の時期ズレは在っても世の中の動きと人口変化は連動していく。


そして燃料革命と共にやはりこの保月も廃村へと歩みを早める、結果通常農耕や宿場としての機能も失われ現在に至る。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 保月


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今でも元住民の方や行政の方が頻繁に往来する廃村だ、管理が行き届いていて寂れた雰囲気は余りない。


直ぐにでも住めそうな家屋が現在でも数件残る、家屋の機能を残した間々の廃村としては一帯の廃村より遥かに状態が良さそうだ。


実際廃村時期が他の集落より実質的も近年よりだと言う事、大規模な集落だったので必然的に行政の手が入っている事がその理由だろう。


解体作業もやはり近年に掛けて数物件行われていて役場や学校なども、特に廃校物件としても知られていた「脇ヶ畑小学校」の跡地には記念碑も建てられている。


因みに下の写真の建物は教員宿舎。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 保月


6Frogs - 毎日をデザインで考える-霊仙 廃村 集落 保月


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崩壊が進む家屋もやはり在る、此方は荒らされたのか自然の力なのか、もしくは動物の仕業なのか…倒壊と言うか荒廃の類。


しかし他の廃村に比べ、家屋の状態が比較的良い物が多い。それには理由が在って車道の開通が遅かった事が挙げられる、なんと車道開通1949年。戦後復興とは関係なしにそれまでは山道しか無かったのだ。


今でも残り、そして山屋さんに人気の登山ルートが三重県から延びている。この保月集落や杉集落を横切るコースも数本在って廃村の時期も人の往来が在った様だ、機会が在れば是非歩いてみたい。


その後の国産車の国内需要が急増し、物資の運搬も必然的に増える事に。それによって立て替えた家屋が家屋も沢山在った様でその結果が家屋の倒壊を免れている一因に成っているとも思える。


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沢山の資料が残されていて、レポートサイトや書籍が沢山見つかる廃村「保月」集落。当ブログで深く掘り下げる事は敢えてしなかったけどとても一度では紹介しきれないエピソードが沢山在る、それだけ多くの人と接してきた集落だったのだろう。


冬季限定廃村とは言えこれからこの保月が再復興する事はない、ならば出来るだけ多くの人の記憶に留まり続け、より多くの資料やレポートが後世に引継がれて行く事を望みたい。


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去年(2010年)の霊仙廃村群レポート、今年(2011年)の多賀町廃村群レポートと滋賀県の廃集落を幾つかエントリーしました。今回の保月集落跡でこのシリーズは終了ですが鈴鹿山系霊仙にはまだまだ語りつくせない人の歴史と廃村が存在します、機会が在れば是非この人が残した歴史を体感して欲しいと思います。


自分的宿題として謎の多い男鬼集落(城址、比婆神社)は再訪予定です、また比婆神社は特に重点的に調査予定。比婆神社の地下に静かに眠る未調査の洞窟なんか滅茶苦茶そそられるじゃーありませんか、高取山城(男鬼)と日光東照宮の関係とかも…ほら、気に成るでしょう?


滋賀面白い、ホントこの地域の文化や歴史は人を魅了します。


インデックス程度に覚書、詳しい調査をまとめたサイトは沢山在ります。興味が在ったら、もしくはこのブログで沸いたら。


だけど。


キーボードを叩くだけが勉強にあらず、現地での見聞こそが一番の知識欲を満たすご馳走なのです。連休や有給の消化に如何でしょうか、廃村散歩などは。


アプローチ
県道17号線と県道139号線の分岐を県道139号線へ、そこからは一本道で最初の集落が杉集落、次の集落が保月集落と成ります。


地図リンク

http://goo.gl/maps/biUIS


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REPORT - 0404│ 三井三池旧万田坑

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-三井三池 万田坑


三井三池 万田坑

熊本県│三井三池旧万田坑 


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 熊本県 万田坑跡(国指定重要文化財)


1904年に操業を開始した万田坑、このとても美しい炭鉱遺構は現在国に管理され、沢山の人に当時の歴史を魅せてくれます。現在公開されている万田坑と呼ばれる竪坑は正確には第二竪坑櫓として操業し、第一竪坑の関連施設は解体撤去されて今では何も残っていません。


第一竪坑自体は現在も残っており(坑内吸気道確保の為)、一説には300メートル近くまで堀下がられた竪坑は水没こそしているものの撤去の予定などは在りません。


国の重要文化財として指定され、明治、大正、昭和と九州地域の主力坑として活躍しました。1951年の閉坑まで熊本県荒尾市の主力産業としても大いに貢献したこの万田坑、行政の地域開発の関係も在って残される事に成るのですがその遺構としての魅力は現在にこそ輝く何かを持っています。


近代化遺産、国指定重要文化財の史跡として大変興味深いこの万田坑のレポートをご紹介したいと思います。


また今回は荒尾市教育委員会社会教育課文化係さんと万田炭鉱館さんの協力の下、本来一般入場が出来ない場所にも撮影で入る事が出来ました。こういう時に出版やプレス関係と仕事をしていると本当に助かります、それでは早速レポート開始。


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通常は万田坑ステーションでチケットを購入して構内へ、入って直ぐに作業トロッコの路線跡が目に入ってきます。


三池炭鉱の主力坑として歴史に名を刻んだ万田坑、三井三池炭鉱の総力を挙げて整備され国内最大規模堅坑に。当時では珍しく各施設を電化するなど設備や機械も充実し、出炭量も年々と増大。しかし1940年代後半から採炭効率が低下、1951年には採炭を中止しました。


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重機や工具などの修理工場、と…言ってもとても小さな建物で昭和初期に建てられた小規模工場です。


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一部崩落崩壊の部分も在るけどその存在感は建物の規模より遥かに大きい、この場所も崩落の危険が在る為に通常は立ち入り禁止区域です。


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鉄っちゃんではないのでレールの幅を計ったりトロッコの形式を職員さんに聞く事は無かった、折角専門の職員さんが一緒に廻ってるのに勿体無い事をしたなぁ。


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こちらは万田坑で働いていた方達が汗を煤を流す浴場、当時の職場内の娯楽は湯を浴びて仲間と語らう事だったのだ。此方も現在内部は立ち入り禁止。


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閉山後は安全燈室として使用されたが本来は機械室としてその機能を果たした部屋、万田抗において初期の建造、沢山のバッテリーが残されていたが近年に成って心無い者達に窃盗に合い、施錠されて見れなくなった貴重な部屋だ。


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ポンプ室と倉庫を兼ねた場所、全盛期である1905年~1914年までは坑内の換気を行う巨大な扇風機が置かれていた。此方も先程の機械室と同じく開山当初の建造で崩落が進んでいる区画だ。


訪問した3日前にも新しい崩落が発生し、今後も補修作業を行わないと崩壊する恐れが在るとの事だった。勿論立ち入り禁止区域で特別な許可を得てもヘルメットなどが必要だった。


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第二竪坑櫓の裏手、2009年のリニューアル時の時に作られた工事作業用の仮設階段を登った所からの1枚。この場所は職員のみならず工事関係者しか本来は登っては駄目との事、「大丈夫、大丈夫。1枚撮って来てください。」って、そんな軽い感じで良いんですか。


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万田坑のシンボル第二竪坑櫓、勿論内部の第二竪坑坑口も撮影したのだけど出版物との兼ね合いで今回は不掲載。


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2時間程の滞在だったけど沢山の話を聞く事が出来た、現在この万田坑ステーションで働く方で当時の関係者も居る。その方からお話を伺ったけど当時はとても辛い仕事だった語る、小さな事故などは沢山起きて回復の見込めない怪我をする人も沢山居たとか。


表立った歴史では知る事が出来ない沢山の事を知る関係者の話は迫力が在った、関東圏の人間としては直ぐに行ける場所ではないけれど機会があれば再訪したい産業遺構の一つと成った。


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万田坑

三井三池旧万田坑・荒尾市教育委員会社会教育課文化係
0968-63-1111(内線414)


万田炭鉱館
0968-64-1300
熊本県荒尾市原万田213


※ 遺構内部見学は行っていません。


アプローチ
国道208号線を万田西交差点を県道29号線へ、800m程先の万田坑へアナウンスボードに従って左折。。


地図リンク

http://goo.gl/maps/spkMa


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REPORT - 0409│ロワジール伊東赤坂(軍艦マンション)

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廃墟 遺構 軍艦マンション 伊豆 ロワジール伊東赤坂


静岡県│ロワジール伊東赤坂(軍艦マンション)


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - ロワジール伊東赤坂/軍艦マンション(Gマンション)


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 調査終わりました


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃虚や廃村、秘境や遺構の調査レポート- 削除物件


この物件に関し、以下の企業から削除依頼が在りました。行政機関を通して調査撮影した内容でしたが企業側との話し合いの上、エントリーの削除としました。別途でソートされたウェブアーカイブ(当ブログの管轄外)が御座います、以下URL海外のアーカイブサービスサイトから自己責任にて閲覧下さい。


廃墟 遺構 軍艦マンション 伊豆 ロワジール伊東赤坂


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当サイトに削除依頼を出された企業は以下の通り。


会社名称:株式会社ケイ・コーポレーション
業務内容:ゲームソフト作成・不動産業・物品賃貸業・建物売買業・土地売買業
本社所在:〒221-0056 神奈川県横浜市神奈川区金港町3-1コンカード横浜19F
電話番号:045-440-1161 [ FAX:1140 ]
所在確認:http://yahoo.jp/7MUciq
諸支所在:静岡県伊豆市内
従業員数:50人弱
削除担当:k_corporation@juno.ocn.ne.jp


以上を持ちまして削除以来に対応しました、お手数かと思いますが削除されたエントリー内容は記述のアーカイブサイトからご確認下さい。


photograph - nee


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REPORT - 0406 │ 東京医科歯科大学霞ヶ浦分院

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6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


東京医科歯科大学霞ヶ浦分院 鹿島海軍航空隊指令室

茨城県│東京医科歯科大学霞ヶ浦分院


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 鹿島海軍航空隊指令室(東京医科歯科大学霞ヶ浦分院/鹿島海軍航空隊司令部庁舎)


2010年最初のエントリーで探索レポートを書いたこの物件「鹿島海軍航空隊」基地跡、関係建造物の探索は以下の通り行ったものの本命の「鹿島海軍航空隊司令部庁舎」への撮影は不発に終わった。今回は1年振りのリベンジとして万全の準備と関係各所への仕込みを行っての再訪なのです。


と、言っても。


このレポートが掲載される2011年6月現在ではこの鹿島海軍航空隊司令部庁舎を含む周囲の区画で大規模な工事が行われている、その中には地震に関する補修工事も含まれていたのも幸いだった。復興工事の取材撮影扱いにて地元新聞社と出版社からGOサインが出たのだ。


厳密には屋内撮影に関する取決めが無かったのだけど「無い」が故にちょっとだけ、先っちょだけだからお邪魔しようかなぁ…なんて。まあコソコソせずに撮影出来るのは在り難いこってす。


6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境や遺構の調査レポート-廃墟 鹿島海軍航空隊 霞ヶ浦分院


この時のエントリーでは「機械室」、「変電施設棟」、「ボイラー室」、「倉庫」をレポートした。今回は既に書いた通り以前行く事が叶わなかった「鹿島海軍航空隊司令部庁舎」へと向う。


鹿島海軍航空隊司令部庁舎は1938年、鹿島海軍航空隊の軍用道路や関連施設と共に設置された。1937年の設置工事着工から1年余りで完成、設置当初は安中航空隊と呼ばれた様だ。


1938年5月11日に「霞ヶ浦航空隊安中水上隊」として運営開始、同年8月30日には「鹿島海軍航空隊」と改称。第2次大戦中は1000人を超える国内でも大規模な基地で実に多くの海戦に参加、1945年5月5日に練習航空隊の指定を解除。その後鹿島海軍航空隊北浦派遣隊と改称し終戦と共にその役目を終える。


その後再利用で東京医科歯科大学霞ヶ浦分院として長い間運営されるが詳細は後程記載するとしよう。


今回はこの鹿島海軍航空隊の「司令部庁舎」を探索、撮影を行ってきた。既に沢山の廃カーや軍需遺構フリークによって沢山のレポートがウェブ上にアップされているのだけど何番煎じだろうともやはりエントリーはさせて頂こうと思う。


それでは茨城県の鹿島地区に眠る大規模廃墟「鹿島海軍航空隊司令部庁舎」のレポートをお届けしたい。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


1年振りの司令部庁舎、前回では周囲に沢山のブッシュがモッサモサで結構機材を気にしながらの探索だった、しかし今回は違った。司令部が置かれた頃に建設された滑走路の工事と先端海岸の護岸工事が始まっていて「倉庫」の隣に作業員ハウスが作られ、重機も搬入されている。随分と薮も取り除かれていて周辺の見晴らしは非常に良くなった。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


前面正門跡からスロープを登ると以前は施錠されていた扉が開放されていた、お…おおお…お邪魔しましましま、エックシ。します。


あ、いや。余りに綺麗で舌噛み切っただけですよ、ご心配には及びません。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


1階は暗い、お先真っ暗。僕の人生と同じだ、大丈夫だ…怖くない。


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東側階段前、この階段が唯一屋上まで繋がる階段だ。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


2階にやって来た、1階と打って変わって光が外から入っている。撮影しやすくて本当に素敵、しかし悪戯書きが多いなぁ。


が幾つかはセンス汁が滲み過ぎて思わずカメラが邪気眼レフ化する事も。僕が大好きで良く見させて頂いているブログ「くろべぇの廃墟」の中でこの写真を発見。


くろべぇの廃墟 - 鹿島海軍航空隊指令室(東京医科歯科大学霞ヶ浦分院)
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/3980267.html


から1枚、

http://livedoor.2.blogimg.jp/kurobee_ruins/imgs/7/5/758b4fda.jpg


自宅で見つけた時など我が家のニャーズがフェレンゲルシュターデン現象を引起す程、プロの犯行と思われる。


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廊下にも沢山の悪戯書きが、犯人はヤス。


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暗い部屋で数秒開ける。


2秒開けてもこの写り、暗いなぁ。しかし雰囲気はすんばらしく良い。


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3階に上がって来た、ここに来て更に廃墟としてのクオリティが上昇。悪戯書きは相変わらず酷いけど美しい物件である事は間違いない。


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ここ、ここが見たかった。


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アイシンクソートゥー


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当時としては珍しい水洗トイレが設置されいた、実はこの建造物は歴史的な建造技術の資料としてもその重要度が高い。内装やその装飾、鉄部の加工技術、コンクリートの使用技術、電気や水道などの利用技術は国内でも取り分け高い物だったと言われている。


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最上階、この上には貯水槽などが残る。屋上部分とこの上部に登って見た、カナリ目立つが誰も気付かない。直ぐ隣には稼動施設「独立行政法人国立環境研究所(水環境保全再生研究ステーション)」が置かれている、入口には警備棟も在り撮影には意外と周囲への注意(※1)が必要だ。


※1:研究所敷地内の建造物や内部の撮影は厳禁されていて撮影規約に色々と引っ掛かります


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鹿島海軍航空隊司令部庁舎


1945年5月5日に練習航空隊の指定を解除され、その後鹿島海軍航空隊北浦派遣隊と改称し終戦と共にその役目を終えた司令部庁舎。しかしこの歴史的にも重要な役割を務めた建造物はその間々終わりを迎えた訳では無かった。


翌年の1946年12月2日、東京医科歯科大学霞ヶ浦分院が同舎に開院する、同敷地内には時を同じくして国立公害研究所が置かれる。双方の役割としては結核療養の治療、研究、実験などが行われ、近年の1997年まで運営されていた。


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さて最後に。


鹿島海軍航空隊基地跡の随分昔の空撮写真を入手、撮影時期は1984年4月。まだグーグルマップどころか一般家庭におけるインターネットも普及するずっとずっと前の空撮写真。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


この写真が撮影された1984年、良く考えてみれば東京医科歯科大学霞ヶ浦分院だった同舎の国立公害研究所が現役で稼動していた当時の貴重な写真だ。


どうりで敷地内は綺麗に整備され、今では解体された施設棟が数棟残っている筈だ。それではもう少しズームして見てみよう。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


入手したのはフィルムベースなので拡大してもピクセルノイズは出なくてもどうしても少々ボケてしまう、お許し願いたい。


現在では取り壊され撤去された物、付近の敷地では新しく建築された物が写っていないなどの違いが良く解ると思う。と、言う事で現在の同じアングル空撮は以下。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


ほら、随分と違うのが解る筈です。


特に今回取り上げた鹿島海軍航空隊司令部庁舎国立公害研究所として現役稼動していたので当時の写真では小さなロータリーと植樹がとても印象的、現在では見る影も在りません。


結局残っているのは同舎ボイラー室機械室変電施設棟、そして少し離れた倉庫だけ。他は全て撤去されてしまいましたが何故これ等が残されたのかは解りませんでした、しかし時代を感じますホント。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-東京医科歯科大学霞ヶ浦分院  海軍鹿島航空隊基地


こちらはつい最近(2007年頃の空撮)の鹿島海軍航空隊司令部庁舎をズームした物、ちょいちょい関係者や工事業者が入っている様です。写真でも関係者の車が同舎の前に止められています、無許可の撮影はお気をつけて。


アプローチ
美浦方面へ国道125号線を走行、JRA美浦トレーニングセンター→バイオ・エコエンジニアリング研究施設と探していくとそのバイオ・エコエンジニアリング研究施設の裏手が海軍鹿島航空隊基地跡です。


地図リンク
http://goo.gl/maps/CqrRi


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REPORT - 0407│日本BE研究所 桑原研修所

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廃墟 日本BE研究所 桑原研修所


廃墟 日本BE研究所 桑原研修所


静岡県│日本BE研究所 桑原研修所


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 日本BE研究所 桑原研修所


人の手を離れ、その役割を終えた廃墟は日本全国に数多く存在する。その中には自然と上手く融合して人間の美意識に訴え掛ける物も在れば、全く持って興味を惹かない物も在る。今回訪れたのは静岡県は伊豆半島に残る研修施設跡、結構沢山の廃墟や遺構を見て来たけどココまで「2度と来たくない」と思ったのは初めてだ。


汚い、かび臭い、胸糞悪い。


兎に角最低で滅びの美しさの片鱗さえない正しく廃墟、そう…ここは悪い意味でとても廃墟らしい廃墟だった。そしてまたこの施設の研修内容や閉鎖時期に書かれた受講者の壁面メッセージのマジキチっぷりが凄まじく、追って詳細を伝えて行きたいと思う。


有名物件、BE研究所。そこは常人を見えない磁力の様な物で遠ざける恐ろしい迫力を維持し続けたキ[禁止事項です]イ廃墟で在りました。


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日本BE研究所


まずはこの廃墟の場所をお伝えしたい。この施設は静岡県の伊豆半島の根元、田方郡函南町桑原と言う場所に存在する。地図で言うとこの場所だ。


地図リンク

http://goo.gl/maps/R72yE


伊豆スカイラインの熱海IC、丁度熱海峠の交差地点に在って交通の便は意外と悪くない。しかし付近には一切の家屋や店舗は無く、交通設備を除外すれば外界から隔離された施設だと言う事が解る。


何故こんな場所に研修施設を作ったのか、それはこの施設の運営者とその研修内容に触れなければならないのだけど少しづつ説明していこう。


まずは入口付近からレポートを開始しよう。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-BE研究所


熱海峠から交差する県道11号の分岐から直ぐ、その道路沿いにこの廃墟は在った。敷地内は全くと云う程人の手が入っておらず、現状捨てられた建造物の様相…なのだけど。実はまだこの土地の権利者や管理者がハッキリしている、意外だけど廃墟歴も浅くて1999年に閉鎖された施設だ。


コンクリートの駐車場や入口付近は沢山のクラックが走り、周囲の山々が自然の猛威を振るって建物を飲み込もうとしている様だ。


さて、外に居ても陽が暮れるだけだ。中にお邪魔するとしよう。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-BE研究所


きったねぇ、兎に角汚い。そして何よりカビ臭い、もう絶えず肺を刺激するカビ臭さ。簡易マスクが大して役に立っていないな、こりゃ。


エントランスは破壊し尽され、カウンターやその他の備品もどっちらけていた。悪名高い[禁止事項です]集団[禁止事項です]陽の教団もしっかりとマーキング(ステッカーが貼って在りました)、ホント何処にでも居るなコイツら。


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エントランス横のカウンター背面には素敵な案内嬢がお出迎えしてくれました、オリジナルより若干大人っぽい桜あかり嬢(※1)です。アチコチの廃墟で落書きしてる廃墟walker[禁止事項です]ukulさんの作品っぽいですね、その隣にはあずにゃんと澪さんが。


※1:\アッカリ~ン/(余所見)


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出来る限りパケ写詐欺を目指して撮影したのだけど…うーむ。アングルと設定をアレコレ変えて帰宅後に補正してもなんかシックリ来ない、撮影時のテンションが低すぎた所為だろうか。


廃墟全体は窓ガラスが殆ど割られ、空気の循環は良い筈なんだけど建造物全体がカビに侵食されている。ホント我慢出来る限界を超えてるな、この廃墟は。こんな辺鄙な場所でコレだけ汚い建物に野良さんが住んでたって事実も驚きだ。


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1階2階、屋上と周り、いよいよアノ部屋なのですがまずはこの施設が何なのかを説明しましょうか。


この施設は「行徳哲男」氏と言う人物によって設置されました、この人物に関してはグーグルにて各々辿って下さい。恐らく殆どの方が


「?」


だと思います、正直私も宇宙だと思います。


http://www.google.com/search?hl=ja&safe=off&client=opera&hs=8TR&rls=ja&sa=X&ei=6bbGTYD5PJGiuQPVl9miAQ&ved=0CCIQBSgA&q=%E8%A1%8C%E5%BE%B3%E5%93%B2%E7%94%B7&spell=1


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行徳哲男(日本BE研究所所長)


1933年福岡生まれ。成蹊大卒。労働運動激しき時代、衝撃的な労使紛争を体験し、“人間とは何か”の求道に開眼。1969年渡米、Tグループ(トレーニンググループ)の世界と出会い、米国流の行動科学・感受性訓練と、日本の禅や経営哲学を融合させ、BE訓練(Basic Encounter Training=「人間開発・感性のダイナミズム」)を完成させる。


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えーと。そして彼のプロフィールは更に続く。


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瞬時にして人の心に楔を打ち込み、理性の殻を打ち破りながら、人間本来が持つ実相に気づかせる姿は、まさに芸術である。


30年に及ぶ研修は、受講生とともに『人間万歳』を叫び続けた壮絶なドラマである。著書に「いま、感性は力」「随所に主となる」「遺伝子は語る」(いずれも致知出版社)「全生語録」がある。その話は聴く人の魂をバイブレートさせずにおかない強烈な力がある。


その力は政財界を始め、スポーツ界、芸能界、中小企業のオーナー等に多大な影響を与えている。現在、感性論哲学者 芳村思風氏、筑波大学名誉教授 村上和雄氏と共に、シンポジウムを通じて「21世紀の日本の使命」を担い得る青年達を育てる夢に賭けている。


30年間続けてきた四泊五日のBE研修は終了させたが、現在そのエッセンスを集めた二泊三日及び三泊四日の感性研修・BE訓練をスタートさせ、「まぎれもない自分」を取り戻すことの大切さを教え続けている。


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魂をバイブレート…だと…?


色々と正直に書きたい事は沢山在るのだけど一言にまとめる事が可能なので言ってしまおうか、まあ[禁止事項です]ですよね。普通じゃないですよ、うん。


で、この方の提唱するBETですが。このBE研究所の「BE」はベーシックエンカウンタートレーニングの「ベーシックエンカウンター」の部分を省略して表記した略語です。エンカウンター自体はアメリカの臨床心理学者だったカール・ロジャーズによって提唱・確立された来談者中心療法の一種。


カール・ロジャーズ - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%82%b9


ベーシックエンカウンターは集団心理療法として国内では戦後に導入された精神治療プログラム、が…近年では「マインドコントロール」の一種としてプラシーボ効果を狙った宗教勧誘や商品販売などにも応用されている。


エンカウンターグループ - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%a8%e3%83%b3%e3%82%ab%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%97


行徳哲男はこのエンカウンターグループを独自に発展させたBETを創始し、1971年に日本BE研究所(桑原研修所)を運営開始する。


簡単に言えば企業研修型の自己啓発セミナーだ。


自己啓発セミナー - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e8%87%aa%e5%b7%b1%e5%95%93%e7%99%ba%e3%82%bb%e3%83%9f%e3%83%8a%e3%83%bc


さて、その受講内容とはどんな物だったのか。


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日本BE研究所


桑原研修所では1971年から1999年(12月)までに約550回(参加者18000人)がBE訓練と言う名の自己啓発セミナーを受講、行徳哲男曰く「アメリカの行動科学、感受性訓練と日本の禅及び経営哲学を融合」した素晴らしい自己啓発プログラムだと言う。


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あまり強い言葉を使うなよ。 弱く見えるぞ。


問題の研修内容は参加者、運営関係者共に絶対の守秘義務を強制されており、ねずみ講の様に甘い誘い文句で次々に参加者(被害者)を増やして電波さんを量産。連邦で言えばジムにも成らないボールレベルを意図的に生産していた訳だ。


ジムはさ、「製造に手間とコストのかかるジムを支援するべく、数で押すために大量生産された低性能安物MS」って設定なのだけど人間だと糞の役にも立たない電波さんが世に放たれる訳でして。


案ずるよりボケはヤスシって言うけど素のボケは「あたしってぇ、良く天然系?って言われるのぉ」ってノタマウ勘違い女より鬱陶しい。


運営、参加者共に…


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って普通の人は絶対に思うだろう。スッカリと電波注入された参加者さんは自分のブログでこんな感想を綴っていた、きめぇ…。


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私は、以前ここにも書かれている、箱根のBE研修を受けた、BE研修体験者です。


先生に、人間の大切さ、商売における人への感謝、などさまざまな事を学びました。一昨年、12年ぶりに大阪でお会いでき、覚えて頂いてました。先生に数々の事を学びましたが、一番今も私の中で生きている言葉。


それは「」です。


先生は毛筆で「」とよく書かれます。「」とは人間生きていく中、一番必要な力です。「」があれば「元気」にもなります、しかし「」を弱くすると「病気」にもなります。


病は気から・・・」といいますが 本当に生きていく中で必要なんだと、先生から伝えられました。寒い箱根の雪でいっぱいの山の研修でした、いま、ここで経営を出来るのも 先生との再会のおかげです。ありがとうございました、いつまでもお元気で…。


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もうやだ、この国…。


いやね、人それぞれですよ。どんな体験だろうと好きなように想像してもいいと僕ぁ思うよ、だけれどね…


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と思うんだ。


参加者の中には「プロゴルファー・青木功、プロテニスプレイヤー・松岡修造、プロ野球・王貞治、X-JAPANのToshiなど、数々の著名人に多大な影響を与え、その影響力はスポーツ界から、政財界・芸能界にも及ぶ。」とセミナーの紹介文には書かれていた。


松岡修造…Toshi…げふんげふんっ。


それではアノ部屋に入りましょうか、おりゃー。


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こりゃ重症でごわす!


一体何がはじま…いや、もう終わったのか。スティービーワンダーが思わず二度見するレベルだぞ、この部屋。


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皆さんご存知の通り、この部屋は半地下の全く光が入らない施設中央に位置している。しかも扉は厳重な鉄製(金庫などに使われる重厚鉄製扉)で完全隔離、この部屋に研修中の1日~2日間監禁されるプログラムが存在した。まっこと恐ろしい事よ、アジの開き直りで過ごすには余力が足りな過ぎる。


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\(^o^)/


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生まー


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霊夢さん、貴方もココで受講されたんですか?幾らお賽銭が少ないからって商売繁盛のノウハウはココでは教えてくれませんよ?


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魔理沙さんまで…oioi、心の整理が着かないぜ?


アンタこんな所に来る位なら香霖堂のレジから金パクった方がイイって。


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あ、はい。


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可及的速やかに、諸々と。我々は。よく考えるんだ。


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エネルギッシュ塚山、か…ナルホド。だがしかしよく考えてほしい。


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びっくり監禁部屋は確かにびっくり監禁部屋だった、正しくだった。


この部屋は1999年の12月、施設が閉鎖される時期に受講者が書き込みを残し始め、それが伝播して在る程度はこの様な様相に成った。その後の廃墟ブームでここに訪れた方達がこの部屋を見て更に進化させ、現在はこの様な「様子がオカシイ」部屋として有名に。始めからマジキチだった訳ではない様だ、しかし。


さて、この監禁部屋から更に奥に進むと受講者の資料が置き去りにされた部屋が在る。資料にはこの施設の管理者、管理関係業者、受講者の資料と関連書籍が見て取れる。


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受講者が描いたと思われる絵やアンケート内容、個人情報などが散乱している。その中にはこのBE研究所がどの様な研修を行なっていたかが垣間見れるマニュアル的な物や運営側の資料も沢山発見出来た。


受講者関係の資料はプライバシーも在るので伏せる事にしよう、しかしどの方も平均すると現在40代半ば~50代が多くて色々と「」を生きる上で大丈夫なのかなぁと心配に成ってしまった。


それでは最後に、受講者(関係者も含む)達の感想を幾つか掲載したいと思う。中にはBE研究所が閉鎖した後、日本創造教育研究所名を変えて現在も続けられている研修の苦情や苦悩(稀に感謝)が散見出来る筈だ。この辺も最後尾に少々紹介するので是非見て欲しい。


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うちの会社の社長が研修にはまってしまって、社員はもちろん、取引先の人までに勧誘の手をのばしているのです。私はまだ声はかかっていませんが、先日「時期が来たら行ってもらおうと考えてます。」と言われました。なんとか断る方法はないでしょうか?


私はそんな所には絶対に行きたくありません。でも、行かなくては研修に行ってないオチコボレ扱いになってしまいます。ちなみに今期の新入社員は研修必須です。研修に行った上司は3人辞表を提出しました。



会社役員の夫が3年前よりここに入り浸っています。第三段階、アシスタントを経て、田舞氏本人にも会い、著作もかなり持っています。毎晩のようにカセットを聴き夜もどこかに電話をかけているようです。会社ぐるみでオーナー会員の契約を発起したのも夫です。今では家族から浮き、ますますのめり込んでいくようです。


「経営の指針にしようと自分なりに考えて参加している」と言う意見を信じ、休みの度に家族を置いて出かけるのを、ずいぶん黙認しました。


でも、もう限界です。同様のマルチ商法の説明会に2度も出かけ、1度は私を連帯保証人にして仮契約までしてしまいました。(翌日解約)かなり、マルチに引っかかりやすくなっているようです。マルチのことは反省したようですが、日創研の事実だけは受け入れないようです。



先週末、夫と精神科へいきました。夫側は「正常の診断書をもらえば次のコースへ参加出来る」との日創研側の言葉を受けて、でしたが、私は夫のしつこい勧誘活動に耐えかねてのことでした。


医者は、私の意見を支持してくれました。そして、「自己啓発セミナーはインチキだと思います」と断言しました。それでも、夫は医師の言葉を信じません



私は広島であるセミナーを受講いたしました。ザメディアジョン様主催の「人間力」セミナーです。歴史教育を社員教育へ導入しているこの会社ならではの考えでしょう。8月6日、行徳哲男先生という偉大な講師をお招きしていらっしゃいました。恥ずかしながら、それまで行徳先生がどのような方なのか、知らなかったのですが、セミナーを受講して、素晴らしいと感じたので、今日はそのセミナーに関してです。


私はこのセミナーでは、3点を強く感じ取りました。本当はもっとあるのですが、ここは便宜上3点に絞りたいと思います。


・ときめき感
・情緒
・自彩


行徳先生のセミナーは非常に感銘的でした。そのため、感情・心に打つ一言一言が胸に刺さりました。不覚にも私は、セミナーで泣いてしまったのです。



TOSHIのコンサートに行ったら自己啓発講演が始まった、後で調べたら日本創造教育研究所特別顧問の行徳哲男って人の講演だった。途中退場しようと思ったらガードマンに止められた、2度と行かない。



二泊三日で行われたBE研修。内容は行徳哲男さんのお話が中心で、感性に正直に生きることの重要性を教えてもらいました。頭で考えて行う行動と、頭で考える前に自然と出てくる行動ではパワーが違います。どちらかというと、これまでの私は自分の思いを外に出すほうではなかったのですが、研修を終えて感情を素直に出すようになり徐々に自分自身がパワーアップしているように思います。この研修に参加させていただき本当に感謝をしています。ありがとうございました


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最後の感謝の気持ちを述べているのは初春の奇祭で御馴染み、春のパン祭りを主催されているヤ[禁止事項です]キパンの本社社員さんです。


色々大丈夫か、ヤ[禁止事項です]キパン!


現在は主催者が変わっているがBE研修(訓練)は行なわれている、日本BE研究所は実質消滅はしたのだけど株式会社日本創造教育研究所の一部として今もヒッソリと息づいている。


日本創造教育研究所

http://www.nisouken.co.jp/


研修内容はBEと少々異なるが目論む事は同じ様でして、行徳哲男も特別顧問として在籍して多くの電波を現在も量産している様です。


因みに日本創造教育研究所の研修プログラムは洗脳プログラムとしても近年問題視されていてその歴史を辿れば「アメリカの精神に障害を持ったベトナム帰還兵向けの人格改造プログラム」を日本国内用に改造した物、その体験談はブログやスイーツさん大好きmixi(笑)、情弱ドヤ顔ツイッター(泣)なども含めて沢山のウェブサイトで見る事が出来る。


さてさて如何でしたでしょうか、有名物件日本BE研究所。情報や現状をネット経由で収集しただけなので詳細に…とまではいかなかったけれども知らなかったこの廃墟の歴史を知る方も居たと思います。


汚い、かび臭い、胸糞悪い。


ホントに2度と行きたく無くて美しくなかったこの廃墟、真実は更に廃れた歴史に身を埋めた虚しい物件でした。


アプローチ
伊豆スカイラインを熱海ICで降り、県道20号線と県道11号線が交差したやや県道11号線よりの茂みの中に在ります。


地図リンク

http://goo.gl/maps/R72yE


photograph - nee


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REPORT - 0410│ 湖南小学校後山分校

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廃墟 廃校 湖南小学校後山分校


長野県│湖南小学校後山分校


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 湖南小学校後山分校


やっべ、ココやっべぇ。


この物件へ随分と早起きしてやって来た。早起きは三文の得と言うが今のお金にすると六十円位、寝てた方がマシだなと散々言われ続けて来たがここに関しては六十円以上の収穫に成りそうだ。


やって来たのはオンバシラが軽くぶっ飛んで来そうな諏訪大社からも程近い諏訪市湖南地区、お目当ては湖南小学校後山分校。道中はキツイ山道だったけどネイティブ聴きながら気持ち良く走って来た、古戦場じゃなくて御免なさい神奈子様


後から知ったのだけど実写版ひぐらしのロケ地だそうで、まあ実写なんて興味がコリドラスの髭ほども無いけどな。いやコリドラスは可愛いんだよ、可愛いよコリドラス


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コリドラス…じゃなくてコリャ怒えらい綺麗に残ってる廃校だなぁ、ネット上でも沢山取り上げられていて綺麗な写真も沢山見て来たけど廃墟って言う美学より保存された当時のロケーションって感じ。


それではチョロっとお邪魔しますか。


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やりやがった、前言撤回。立派な美しき廃校さんです。便所からしてコレだもの、便所で感動してチビるワケにもイカン。尿管をしっかり引き締めて僕は便所を後にした。


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階段手前の廊下を一枚、ふと足元も見るとヘビが居た。沢屋だし山屋だからヘビなんて別に驚かないけど、ん…ちょっと待てよ。こりゃコブラじゃないか、しかし良く見ると心配ゴム用なヘビでしたが。仕方ない、ほら…コレでも喰ってろ。
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しかしなんだか雰囲気に似合わず最近の物が残ってるなぁ…と思ってた。


地元の人に聞いたら映画のロケ以降沢山の人が押し寄せて来たのだと言う、以前は特に警備もしてなかったけど最近は立ち入り禁止にしていると話す。


同行して頂いた地元の方には大変お世話に成ったのだけど他にも悪戯や廃墟を撮影に来た方達とのトラブルなども聞く事が出来た、一般開放は今後は控えたいとの事だ。


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まだまだ使えそうだと思いながら撮影する、すると「近年まで地元の催し物や話し合いなどで使用していた」との事。どうりで綺麗だし管理されているっぽいなぁと思った。


現在は別の場所に公民館が出来て、そこで地域のイベントなどは行われているそう。


6Frogs - 毎日をデザインで考える-湖南小学校後山分校


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ロケ後の廃道具なのか当時の物なのか、案内して頂いた方曰く「色々と混じっている」。PVや映画で使われたロケ地って意外と撮影チームのゴミが残ってる、ホント残念な事です。


現役当時はこの後山地区だけだはなく、付近の区域の児童も通っていた。実に沢山の子供がこの山間部では比較的大きな学校に身を寄せて勉強していた事だろう。


隣接区域では椚平(現在では限界集落)や近辺分散していた家屋児童が通学、離村(一点集中過疎化)なども経て後山地区も近代化と共に若年層の人口は激減。現在では高齢化に悩む山間部の過疎区域と成っている。


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素敵…思わず股が開いちゃう(バルブ的な意味で)、アタシ男だけど。


ところでこの湖南小学校後山分校、廃校の時期は1968年と判明している。またその後は翌年次学年から豊田小学校に編入されている、しかし創立時期の詳細を記したサイトが殆どない。何故だ、何故なんだ?書いちゃ…駄目…なの(上目遣い)?


知らん、どんな事情が在るか知らんが最後に書く。


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くそ…この階段くそやろう…。


6Frogs - 毎日をデザインで考える > 別館-ちくしょう AA


いやね、3階へ向うこの階段なんだけど階段の途中にビックリ加工された怖い顔のコラージュ画像のプリントが落ちてたの。いやぁビックリした、ビックリしたんだよ


思わず引き締めた尿管暴発すると思ったね。まあ最悪液体放射は許す、「」の方は何としても…なんとしても守り抜く。


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コチラは体育館、平仮名で書くと「たいいくかん」。皆ぜったい「たいく」って言うよね、そうだよね?


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大変素晴らしかった、保存状態も良いので是非地域行政指導の下「管理物件」として残していって欲しい廃校だった。しかし段々と許可の降りない廃墟が増えて来た、仕事柄出版社の出してくれる大義名分や取材と言う理由での撮影は行い易い。そもそも侵入と違って膨大な資料と関係者と一緒に周れるのが個人的にも嬉しいのだ、しかし。


ココもそうだったけど「立入禁止」が増えて来た昨今、同種の趣味を持つ同業者さん達には撮影し辛い状況が広がりつつ在る様だ。許可が出なくてもせめてヒッソリと撮影して欲しいです、はい。



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湖南小学校後山分校


1803年 諏訪藩主により長善館設立
1875年 神宮寺学校後山派出所として創設
1877年 真志野学校後山分教場と改称
1890年 湖南小学校後山分教場と改称
1904年 湖南小学校後山分教場を改築
1948年 校舎新築(1階建・教室3/教員住宅付属)
1955年 校舎増改築(2階建・教室5/特教1/講堂/廊下/便所)
1960年 後山分校給食室完成
1968年 廃校


※ 後山区の生徒は豊田小学校・諏訪西中学校へ
※ 椚平区の生徒は箕輪東小学校・箕輪中学校へそれぞれ通学


これらの略歴を含め、この学校の歴史などが納められた「湖南小学校百年のあゆみ」と言う資料が在ります。湖南小学校百周年記念事業として編纂されたもので非売品貸出も不可出版物、しかし諏訪市教育委員会へ赴けば閲覧は可能です。


今回は地元の方諏訪市教育委員会事務局(教育総務課)さんとお世話に成りました。ご協力頂き、有難う御座いました。


※ 現在は校内立入禁止、侵入発見時は警察へ通報するそうです。


アプローチ
とても説明し辛いので地図参照でお願い致します。


地図リンク

http://goo.gl/maps/zQ4g0


photograph - nee


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REPORT - 0411 │折門八坂地区 三ツ沢集落 - 前編

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八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落


山梨県│八坂集落


滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 三ツ沢集落(八坂集落、旧八坂集落)


・富士山の麓の孤立した集落
35.505446,138.588215


こんなレスを見た事はないだろうか(※1)。


ネット上で時々だが話題に成る富士山麓に位置する集落が在る、その名は「八坂(はっさか)」集落。日本全国に散在する不思議な地名や怖い地域などを取り上げたまとめサイトやスレでも話題に成るのでご存知の方も居ると思う、しかし…だ。


何故かこの集落をレポートしたサイトが無い(※2)、何故だかホントに見当たらない。過去にこの場所に赴こうとした人達は確かに存在する、なのだけれど何故かこの場所に行き着いて詳細なレポートを記したエントリーやサイトが見つけられないのだ。


※1 2010年前後ネット上で語られる事が多かった「検索してはいけないキーワード」系のレス

※2 レポート公開当時はこの場所まで来訪する方は居なかった様です


確信に迫ろうとしたサイトも在った、そのどれもが「天空菜園・八坂村」か別ルートに在る廃村「折門」集落のレポートと成っている。


どうしてだっ!


丁度「富士の樹海アタック」の事前調査も計画していたのでこの摩訶不思議な廃村「八坂」集落を調査したい、ずっと確かめたかった「八坂」の事実をこの目で確かめたい…今回の調査で「八坂」の事実が判明します(まあ、そんな大それたモノじゃないけど)、沢山の疑問も新たに掘り起こして。


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八坂集落


まずは何故僕らがこの八坂集落へ興味を持ったか、そこから説明するとしよう。


何年前位だろうか、ネット上で「地図に無い村」、「隔離(孤立)集落」、「道が無いのに山中に民家が在る」、「本当は怖い山梨(富士山の麓の孤立した集落)」などで頻繁に取り上げられたグーグルマップのスクリーンショットとリンクが出回った。


コレだ。
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落 見て解る通り不自然に山中にポツンと民家密集している、しかも周囲は深い山々に囲まれていてアクセスする為の道路も無い様に見える。


まあ普通なら「へー怖いね」、「こりゃ廃村だねー」で終わるのだけどそれからも幾度と無く取り上げられ話題に成る。そうなれば誰かしらこの場所へ向って自分のサイトやブログでエントリーしたり動画を撮ってニコ動やyoutubeでアップする輩が居てもオカシクは無い。


なのにこの集落に関しては沢山の人が不思議に思うのだけど核心に迫ったレポートが存在しない、殺るしかない…名も無い岸壁や廃橋で側転カマす我々である、危険な場所が在ると聞けば行くしかないでしょう?


行くと決まればこの「八坂」について色々と調べなければ成りません、どうせ行くなら予備知識を持った上で現地の建造物や残留物と照らし合わせて現場検証も重要な歴史の手掛かりに成り得るからです。


もう一度グーグル先生の地図情報を見てみましょうか。
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落 うーん、道が敷かれてないのかなぁ…なんか舗装道の様な物も薄っすらと見える気がするし以前の生活道路が残っているなら意外と辿り着くのは容易…?何時もお世話に成ってるヤフーマップはどうだろうか。
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航空写真はグーグル先生に比べて随分と貧弱だなぁ、地図は同じ感じで描かれてない。うーむ、そうか…国土地図だ!
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落 あれー?
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落 普通に舗装林道が描かれてるな(※3)、反木川の支線をシッカリと道路が走ってる。そしてその道路の先には4軒の家屋と1軒の神社が、こりゃ意外と簡単に辿り着ける…の…?


ええーい、面倒だ。こうなりゃ最初からネタの根源を浚ってやんよ!


この「八坂」集落を抱えるのは身延町、ならばその身延町を擁するは山梨県、んなら直接電話deきいちゃおーっと。行く手間省けるかも、正直家で酒呑んでる方がイイしな。


個人的に地域民俗学を学んでいる、身延町山中の「八坂」集落についてお聞きしたい…これが行政(山梨県)側に質問した内容だ。


その地域の者(担当者)が不在の為、お答え出来ません


なにぃいーっ?


そんな訳が無かろう、今迄どんなに小さな村役場だってその地域の歴史については詳しく教えてくれたぞ。何か隠しているな、貴様。


やってやんよ…丸裸にしてんやんよ八坂さんよー。


幾人もの挑戦者を拒み、行ってみれば現八坂村(天空菜園)か折門へ誘われ、その歴史すら垣間見れない廃村?「八坂」集落。たまに見かける有力情報も登山者のちょろっと報告、こいつぁブッコロだぁ…。


ガイアがコレを撮れと囁いているんだよ、八坂にゃんペロペロ(^ω^)


※3 このレポートが公開されてから約1年後の2012年、ヤフーマップ・グーグルマップ、ゼンリン系のオンラインマップサービス全般に三ッ沢集落までの舗装林道が描かれる様に成りました。


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本編に入る前に付近の歴史を少々説明しようか。


この付近の集落はどれもが古く、既に廃村化した区域も少なくない。富士山麓には実に多くの形態を持つ集落が今でも残っており、また消え逝く運命を一本道で進まざる得ない集落も存在する。
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落 特にこの八坂集落近辺における過疎化は切迫していてる。同区域で有名な折門集落は上折門、下折門、それに少し離れた峰向こうの御弟子と言った3つの集落(+沢集落)から成っていた。


※ 写真は人が住んでいたと思われる当時の旧八坂(三ツ沢集落)集落
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落 集落の中心部だった折門は1973年頃に最後の住民が転居して廃村、峰向こうの御弟子も2009年に最後の住人が亡くなられ廃村。この区域は限界集落から完全に廃村と成った、今でも定住している区域と言ったら県道416号線を国道300号線まで下った古関周辺だろうか。


※ 写真は人が住んでいた当時の旧八坂集落周辺の地図


さて問題の八坂だ。


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位置関係を見て貰うと解る通り最近まで限界集落だった御弟子地区と現在定住者が多い古関地区に挟まれる様な場所…とも取れるけどアクセスのメインと成る県道416号線からは遠く離れている。一帯の集落が江戸後期から明治初期に成長して現在まで残るのだが八坂はどうやら元々この場所で生活する人々が居た古い集落ではないか…と推測する。


山中に残る集落は開拓民では無い事が多い、元々その土地で生活していた者同士が集まって形成される山中集落は現在でも沢山残っている。


町歴を辿ると折門、御弟子は共に開拓、移動、転村などで各地から集まった姓がバラバラな集落で製炭や山中農耕で生計を立てていた。また現八坂村の出身の者も含め、近隣のここ100年程の歴史は十分調査で判明した。なのに、だ。


今回のターゲットで在る「八坂」だけは一筋縄で行かなかった。


近辺の歴史を辿れば少しはヒントが有るのでは…そう思っていた、その歴史を辿る上で一番の手掛かりに成るのが学校だったりする。


土地の管理に関しては実は戦後随分と古い資料が紛失している事も在って国土交通省が現在でも誰の所有であったか解らない土地がゴロゴロと存在している、ところが。


文部科学省には旧文部省の時代でさえ「こりゃー古いでぇ」ってレベルの資料が膨大な量で残されていて尋常小学校など旧形態の文教場資料が閲覧可能なのだ。そこから辿ろうとこの区域の学校の成り立ちを追ってみた、付近の児童を引き受けていたであろう学校は判明している。


古関小学校校折八分校と言う既に廃校に成ってしまった学校だ、地域近代化と市町村合併の煽りを受けて改称を繰り返し、1973年に廃校と記録に在る。この学校の学区域を調べてみると…


折門、御弟子、沢、八坂、三ツ沢と在る。


ビンゴだ。


実はこの「三ツ沢」こそ今回の調査対象と成った廃村、「八坂」の旧名称地名。つまりこの学校には三ッ沢の児童が必ず通っていた筈、それでは古関小学校校折八分校の歴史も一緒に少し見てみよう。


1877年 折門分教場設立
1889年 下九一色尋常小学校折門分教場と改称
1941年 下九一色国民学校折門分教場と改称
1947年 下九一色小学校折門分校と改称
1951年 下九一色小学校折八分校と改称
1954年 古関小学校校折八分校と改称
1973年 廃校


最後の生徒さん達は現在40代後半~50代前半、しかしその世代でさえ八坂から通う児童を覚えているかどうか。またはその当時既に八坂から通う児童は居なかったのか…廃校してから約40年の校歴からでは八坂集落の関係者を探すのは無理そうだ。


やはりまずは現地へ、行政からの回答は得られず卓上調査も手詰まりでは自分の目で確かめるしかない。道路や住所も地図から消された廃村?「八坂」集落、一体この場所に何が隠されているのだろうか。


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ウチのメンバーと卓上調査中、1人が僕に話しかけた。


「これ、八坂の歴史が載ってますよ」


ガタッ


「何ぃ?」


ガタッ


「いや、見付けたお前は座ってろよ」


ガタッ…ガタガタガタガタガタ


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現地レポートを始める前に。


身延町の行政サイトに掲載されていたPDFファイルからほんの少しだが八坂・三ツ沢集落について記載されている資料を見つけた、以下にその内容をコピペしよう。


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(五) 八坂(はっさか)


沢部落を過ぎて反木川をさらに登ると約五〇〇メートルで川は二つの沢に分岐する。右の沢をさらに約ニキロメートル入った、反木川の源流点に近い所に三ツ沢一みつざわ一の集落がある。集落とはいっても現在は二戸であるが、かつては五戸の孤村集落であった。


分岐した沢を左に約六〇〇メートル入ると、やはり反木川の源流点近くに印沢一おしてざわ一という現在は無人の住居跡がある。さらに左に急坂を里程七〇〇メートル、標高差二五〇メートル登った所が八坂の部落である。


第二章下部町の集落


三ツ沢、印沢、八坂、この三つの疎村集落が旧八坂村である。「八坂八軒、沢三軒、御弟子は五軒で後生楽」という昔からのざれ言があるが、現在も八坂は八軒、三ツ沢が二軒、あわせて一〇戸、二七人の小集落である。折門村と同じく、旧幕時代は九一色郷一四か村の内であったが、明治二十二年九一色村が上・下分村するに当たって下九一色村に属し、昭和二十九年、折門とともに古関村に合併、三十一年下部町八坂となったものである。


甲斐国志によれぱ、文化年間には二〇戸、六二人を数えていた。「八坂村、石高七石四斗四升八合、戸二〇戸、口六二、鑑札四枚、下芦川村ノ南一里半二在リ、高萩村へ二里、根子村へ一里、各々坂路也、東ハ精進村ノ山堺ヒ、本村は九一色郷名ニミェズ、分村の事詳ナラズト云フ」とあり、二月当たり平均石高わずかに○、三七石という全くの山間の孤村であった。地名は八坂、三っ沢とも、いずれも土地状況によるものと思われる。三っ沢へは車を利用することができるが、八坂へは折門、御弟子と同じく徒歩に頼るしかない。


(中略)


八坂の鑑札四枚、折門の一五枚はこの六四二枚のうちのものである。三つ沢部落にある金山神杜にはこの「諸商売役免許」の木札一鑑札)一〇三枚が保存されており、この鑑札は昭和五十四年四月、町の文化財に指定された。


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これは意外と有力情報が隠されていた、まず場所だ。


ヤフーマップ、グーグルマップ、国土地図とこの場所を仮定で目的地に据えていたがどうやら予想が確定に変わったな。地形状況と国土地図の等高線や川の描かれ方が合致しているのが証拠、しかし航空写真の家屋数と資料の家屋数が一致しないのが少し気に成るなぁ…。


「地名は八坂、三ツ沢と、いずれも土地状況によるものと思われる。」


うん、これもマンマその通りの地形状況だ。間違いない。


ん?いや、ちょっと待ってくれ。


三ツ沢へは車を利用することができるが、八坂へは折門、御弟子と同じく徒歩に頼るしかない。」


逆だろう。


折門、御弟子は車で行けるし、八坂自体に道路が通っているじゃないか。地図を見たって道路が描かれていない「三ツ沢」こそ徒歩でしかアクセス出来ない筈、それは今回卓上調査で登山者やトレッキングのブログ報告などの方達の情報でハッキリしている…いや、車で行けるのか?。うーん、解らん事だらけだ。


やはり…。


これは現地調査しかない、ってか行きたいよココまでよく解らん廃村に。それでは勿体つけて色々と説明をして来たけどこの謎の廃村「八坂(実称・三ツ沢)」集落のレポートを開始しよう。


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高速道路(中央道)河口ICを降りて国道139号線へ入る、この辺は景観も良くて別名富士パノラマラインとしても知られている。暫く走ると今回の物件とは別だけど「八坂」と同じ様に語られる「精進地区」が見えて来た、ちょっと寄ろうか。

場所はここだ。


http://goo.gl/maps/xu1Pe


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本当は恐ろしい山梨県」と言う括りで知られている精進の航空写真をご存知だろうか、先ほども書いたけど「八坂」集落と良く一緒に書かれている事が多いちょっと面白い区画整備をされた地区だ。
6Frogs - 毎日をデザインで考える-八坂 三ツ沢 廃村 富士山の麓の孤立した集落本当は恐ろしい山梨県
35.479484,138.612564


まあ簡単にネタ明かしをすると別段と語る事もない普通の山間部区画だ、精進地区に関しては結構ネタバレされている事も多いけど簡単に書こう。


ここ、正確には「精進移住区」と言います。移住区って言う位なんで他の場所から移住して来た訳でして、その為の区画整備がとても綺麗に整理されている事と山間部の隔離地区の様な場所柄が噂を変な方向へ向けさせました。


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写真を見て貰えば解る通り、普通の住宅地。


では何故この場所に「移住」して来なくてはならなかったのか、それについては是非グーグル先生に、


足和田土石流災害


でお伺いを立てる良いでしょう。


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1966年9月25日、旧足和田村を台風による大雨と洪水が襲いました。旧足和田村は現在の富士河口湖町で洪水により発生した土石流によって甚大な被害を被ります、教訓を活かしその後の復興を精進湖畔から青木ヶ原樹海に集団移住した結果がこの「精進移住区」と成っています。


余談ですが区内には何箇所も「熊出没注意」の看板(※4)が。


※4 この地区では度々熊が出没しており、窓ガラスを割る、ゴミを漁るなどの被害が報告されています


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寄道も程々に目的地の旧八坂集落、三ツ沢集落へ向います。


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本栖湖畔手前の国道分岐、ここから本栖湖北部を走る事に成ります。国道は139号線から変わり300号線へ、幾つかのワインディングを過ぎてターゲットと成る集落へ続く県道までやって来ました。


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古関集落、国道から県道404号線へ。最初の分岐で県道416号線、いよいよ目的地へ近づいて来た。


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ここにて急に「三ツ沢」の文字が増えて来た、の名前や電信柱に書かれた住所など本丸に近づいて来た事を実感する。しかし一体何処まで車で行く事が出来るのか…。


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国土地図で言えばこの先に旧八坂集落へ向う舗装林道が在る筈…なんだけど…。


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あったけど…あれ?普通じゃね?


なんか普通の道路じゃね?


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いや、実は確信が在るのだ。この道で間違いない、前振りで散々地図に道が無い!とか県が八坂の事を教えてくれない(後に協力してくれました)とかラッパ吹いたけど…実はね。


今回の取材は行政さんが全面的に協力してくれているのです。


今回協力して頂いたのは山梨県身延町教育委員会/生涯学習課/文化財担当/主任の坂口さん地元の方、それと今回の取材にとってはなくてはならない人物。その人物に行き先を先導されながらずっと気に成っていた旧八坂「三ツ沢」へ向う。そう、この時点で実は三ッ沢集落の住人(後に詳細を交えてご紹介します)と合流して集落に向っているのだ。


まあその詳細は後程、まずはレポートを続けようか。


と、言うか何故皆さんこの道に入らず真っ直ぐ天空菜園へ?


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集落入口


文献や資料は正しかった、旧八坂集落へは車で来る事が出来た。意外とアッサリ来ちゃったもんだから感動が若干少ない…が、実感は出来る。


ここがアノ航空写真で異彩を放っていた旧八坂集落「三ツ沢」なんだと。


ふと路地脇を見ると古い道祖神が、歴史の在る場所なんだと実感してきた。


ここに来て少々ネタをドロっと流すと「旧八坂」って言い方も正しくない、この辺は折門八坂地区、略して折八地区として地元の方には当然の様に知られている。ウェブ地図を製作する過程で折門八坂と記載すべき所を折門集落が無人化してしまった事を受けてどうやら「八坂」だけを名称として記載した様なのだ、そしてこれまた偶然にも広い折八地区の「三ツ沢集落」の真上に広域名称として「八坂」の文字が載ってしまった事でこの場所を「三ツ沢」ではなく「八坂」と勘違いする者が沢山出て来たと言う訳。


これでではなくて現在も折八地区で在る事は理解して頂けたと思うし名称の勘違いで「三ツ沢」ではなくて「八坂村」の天空菜園へ向う人が沢山現れた事への回答としたい。


それでは早速三ツ沢集落へ…って、ええっ?


文字数制限で保存出来ない


だと…?


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そうなんです、ウチのレポート史上初の「文字数制限」に引っかかりまして。モッタイ漬け漬けない主義で一つのレポートは一つのエントリーを基本理念に挙げて来たのですがホント御免なさい、今回ばかりは「前編」・「後編」に分けてのエントリーと成ります。


1日挟んだ明後日に「後編」をアップしますのでもう少々お付き合い下さい。


アメブロってテキスト容量24KB位でアウトみたい、今後気をつけます。地図リンクアプローチなどは次回の「後編」にて、両方アップロードした時に双方のエントリーをリンクしますので明後日以降は此方から読んで貰うとその間々後編へ繋がる様にしておきます。


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それでは一先ず、閉幕


※ デザインリニューアル時の更新時差は1時間となっております(2014.07.21/11:00に後編を更新)


photograph - nee


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